子育ての前にあるもの vol.2 ~自分の人生を生きること~ - 2019.03.21 Thu
3月14日に上げたこちらの記事をタイトルを変えてvol.1としました。(元のタイトルは『自己受容と自己肯定 ~子育ての前にあるもの~』)
子育て以前にあり、それが子育てに大きな影響を与えていることがあります。
しかし、場合によってはその当事者にそれは見えません。
すると、「子供の問題」としてその人には見えます。
もし、それが子供の問題ではなく、自分自身の問題だとしたら・・・・・・。
そういった気づきになるよう、それに関連することを『子育ての前にあるもの』としてまとめていこうと思い、このタイトルでシリーズ化します。
今回のテーマは「自分の人生を生きること」です。
子育てをしている親の世代がすでに持っている問題が、
・過保護、過干渉に育てられていること
・過度の期待を受けて育てられていること
・進路に対する親の干渉を受けていること
・周囲からの評価で自己を規定する自己認識を持っていること(他者の顔色が気になる)
などがあります。
これらの傾向が強い人が、いざ我が子の子育てという段階になると子育ては大変難しいものとなることがあります。
・我が子が思い通りにならないこと。子育てが思う通りにならないこと
→ 不安や自己否定、怒りに直結する
・子育てや子供の成長に不安、心配が強くなる
・子供の自立が不安要素になってしまう
→ 無意識に過保護になり自立を束縛してしまう
・短期的な結果を子供に持たせたくなる気持ちの強さ
例:勉強の成績や習い事の成果など、おむつやお箸を使わせることなどの目に見える到達点。子供の行事における出来不出来など。
・漠然とした不安や焦燥感から、些細なことが大きく気になる
→表面的な悩みとしては些細なことなので、周囲の人に理解してもらえない。
→本当はその背景に原因があるのだが、終始些細なことが気になるという出し方になっているので問題解決につながらない
こういったあり方。
自分の人生を生きていないこと。逆に言うと、これまで親のためのに自分の人生を費やしてきてしまったがゆえの問題と言えます。
この問題は大変根深いです。
その年月はほぼ自分の年齢分積み重ねられているからです。
(ある時点で親の束縛から逃れ、いろんな意味で自立した人はそれまでの年月分)
自身の親が自身のためにしてきたことを素直に受け取り、さまざまな干渉も自分のために親がしてくれているのだと認識し、それを許容して来た人。
特にそうした子供への干渉があっけらかんとしたものではなく、その親自身がエゴで出していた傾向の強い場合、その影響はさらに大きくなります。
(例:子供をブランド品のようにする親からの束縛)
そういった親からの期待や干渉が強い人生であっても、社会生活まではそれなりに無難にいきます。(人によってはその時点で難しいこともある)
しかし、子育てはなかなか難しいです。
実際の出方は人の数だけありますが、傾向としてはふたつに分かれます。
・自身がされたように束縛の多い子育てをして難しさに直面するもの
・自身がされた関わりをしないようにと思うが、どうすればよいかがわからず不安、自己否定が強まってしまうもの
こういった状況になると当事者は視野が狭まってしまいます。
・子供が思い通りにならない
・子育てが思い通りにならない
と見えてしまいます。
そこで大いに悩んで、自己否定をしたり、子供の否定になったりしてしまうのですが、実はこの子供の問題は原因の大元ではないかもしれません。
・直接関わっていないように見えて、それまでの自分の生育歴、思春期、青年期と人生を送ってきた中で自分の人生を自分で決定してやりたいことをして生きてきたのか?
・意識、無意識に親の望む自分を想定してそれに合わせるように生きてきていないのか?
・親が他者からの評価を気にする人で、自身もそれを負わされて、他者からの評価ばかりを気にして生きてきてはいないか?
こういったネックを抱えていると、子育ては何倍も大変になってしまいます。
完全に解決しなくとも、その問題に振り回されないようになるだけでも子育ての安定に近づけます。
子育ての前にあるもの vol.1 ~自己受容と自己肯定~
こちらの記事で、「自分を甘やかしましょう」と書きましたね。
これは、小さなできることからでいいので、自分の人生を歩んでみる練習のことです。
「おいしそうと思ったものを買って、それを罪悪感なしにむしろ楽しみながら食べる」
こんな些細なこと。
他者がどう思うかとか、健康のためなどの規範意識抜きに、自分のしたいなと感覚的に思うことをそのままする。
自分のできる範囲のことから、自己決定をして自分の人生を歩むようにしていきます。
そういう積み重ねが、子育てを、そして子供の心をラクにし安定させてくれることにつながります。
このことは、お子さんが小さくても大きくても同様です。
中学生であっても、高校生であっても、成人していても、自身の親が自分の人生を歩んでいない状態にあると、子供はそれゆえに苦しんだり、悩んだり(表面的には違う理由がつくが)します。
子育ての前にあるもののひとつ、それは自分の人生を生きることなのです。
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● COMMENT ●
でも、自分の子には厳しく制限も沢山してしまいます
子育てについてはまあいいかとできないのです
そんな場合はどうやって自分を甘やかしたらいいでしょうか
私も先にコメント書かれている方のように
上が姉下が弟の2才差の姉弟の子どもで
上の子の甘え方が下手なので
イライラしてしまい上手く接することができません
普段から上の子にイライラしがちで注意することがホントに多くなってしまいます
下は何をしても可愛くてしょうがないです
きっと下の子は
おとーちゃんさんのブログを参考に育児をしてとにかく甘えを受けたため
甘え上手で可愛く育ち心も通じあっているのだと思います
上の子をなんとか心の通じ合える
信頼し合える関係にしようとしているのですが、イライラが先にきてしまいます
どうしたらいいのでしょう
もう何でもいい!!と諦めではないですが、気楽になりたいのですが
どうしても自分で難しくしているような気がします
私自身母親から拒否されること多かったので、相手を受け入れることが苦手なのだと思います
子どもの頃からずっとなりたかった職業があり、国内ならどの大学のどの学部でもほぼ確実に合格できるだけの学力がありましたが、高校3年の冬、母のたった一言で私の志望する学部は変わりました。
ただの何気ない一言だったんです。
でも、そういう一言にすら従ってしまうほど、支配されていたんですね。
それを受けて志望学部を変えたときの母の満足そうな顔は忘れられません。
でも、20年近くかかりましたが、もう乗り越えました。
それから、会話というものは私にとってずっと「相手の望む返事をすること」でした。
大人になってからそれに気づき、いろいろと誤解もされますので、「もうやめよう!自分の考えを話そう!」と決めたのですが、自分の考えが全然わからず、返事ができなくて愕然としたこともあります。
幸いにも私のありのままを受け止めてくれる夫に出会い、社会人になってから鬱病で苦しんでいた時には恩師と呼べる人に出会い、今ではかなり自分らしく生きられるようになったと感じています。
今は幸せなのでもういいのですが、もし今のコミュニケーション力が子どもの頃から備わっていて(たぶん発達障害なので親は関係ありません)、支配されずに育てられていたら、私は幼い頃からなりたかった職業について、今とは違う幸せな人生を送っていたのだろうな、と思います。
最後に、恩師から紹介していただき、支配からの脱却にかなり役立ってくれた本を紹介させてください。
PHP文庫の「人生がうまくいく、とっておきの考え方―自分を信じるだけで、いいことがどんどん起こる! (ジェリー・ミンチントン著)」です。
これを何度も読んで、本当に気持ちが楽になりました。
今では、以前には想像もつかなかったくらい生きていくことが楽しいです。
自己決定
私は元々、敏感な性格で、緊張しがちで、幼児のころから、強い緊張感があったり、何事にもすぐに恥ずかしがっていたのを覚えています。
いまだに好きなことを好きということさえ苦手で、好きなものを表現することに対する羞恥心が強いです。
父が環境や就職にめぐまれなかったためか、私の進路に対してシビアで、いつも進路は父の顔色ばかりうかがってきました。
「普通に生きる」ことが幸せだと教わっていたので、レールに外れる恐怖心や、反対にマイノリティな人間に対する強い憧れがあったりします。
父が私に愛情があったからこそ、父の考えを受け入れ、それを否定したいのに否定したくない気持ちを抱えています。
もちろん、すべて父の責任ではなく、私自身の敏感な性格も合わさってそういう自分になったと思っています。
私は、就職でもその壁にぶち当たり、強い自信の無さで、吃音を発症したこともあります。今でもたまに吃音は出ますが。
子育てでも、周りから振り回されてしまい、身内の意見を聞き入れすぎてしまい、義理親とも離別しました。
誰が悪い、とも思うことさえ、自身を苦しめ、とりあえず自分が悪いことにすることで、自分を守ってきました。
ささいなことを自己決定する難しさは痛いほどにわかります。好きな食べ物を好きと言えず、相手が望むものを食べたりすることも。メニューから好きなメニューが選べないのです。とりあえず相手が選んでから決める、というか合わせるのですね。どれか都合が良いのか、と。
好きな食べ物を好きという、好きな食べ物を選んで買って食べることが大切なのだ、と思うと、ずっと我慢してきた気持ちがスーっと楽になりました。
そういうささいな積み重ねなのだ、と思うと今までしていた途方もない数の「合わせてきた経験」がのしかかり、これから幾度も繰り返し私は決定する練習をしていく必要がありそうです。
でも、好きなものを食べる楽しさを知ると、この途方もない練習は、私の幸せにつながると思います。
あと、SNSで好きなことをつぶやくのも練習になります。
匿名なら恥ずかしさも減りますから(^^)
保育士おとーちゃんのブログは好きなことの一つで、少しづつその好きも発信したいと思っています。
とそのような言い方で嫌な気持ちを我が子にぶつけてしまいます。とにかく嫌になってしまいます。
怒っているその時は本気でそう思ってしまいます。
このような伝え方では自己肯定感を低くしてしまうだけですよね。
でも、どうしてもそんな風にしてしまいます。ちがった形で伝える方法を身につけたいです。こっちもスッキリして、子どもを傷つけない方法はありませんか?
自分を甘やかす方法
他の方法だと、たとえば子育てでストレスを溜め込んでいる時にリラックスしようと思って好きな音楽を聞くと、その音楽が自分のストレスの原因になっている嫌な記憶と結びついてしまい、その後は同じ曲を聴くだけで自己嫌悪やイライラが蘇ってくることがあります。
自分が子供時代に、親や周囲の大人からモラハラ子育てを受けた気はしないのですが、気付いていないだけで重症なのかもしれませんね。
自分の子供には出来るだけ過干渉にならずに受容の子育てをしていきたいですが、怒ってしまうこともあるし、十分に相手をしてあげられないこともあるし、どう子育てしていけばいいのか、ブログを読みながら勉強しているつもりですが、まだまだ混乱したり不安になることも多いです。
いろんな「自分を甘やかす」アイデアがあったら知りたいです。
そういうお母さんは自分や子供、配偶者にも厳しく、悪循環に陥ってしまいがちで、聞いていて悩ましいです。
「○○すればいいのに」と言いたくなりますが、「そっか、すごく頑張ってるんだね」と言います。
照れ臭いけれど信頼関係が築けたママ友ならば、「楽してるお母さんでも○○ちゃんはお母さん大好きだし、私も素敵だって思うよ」と言うと、嬉しそうに笑ってくれます。
お母さんが手抜きしたり、好きなものを食べたり買い物したりして日々を楽しんでいる姿は、今は子供には影響はないように見えても、子供の「人生を楽しむ」という核になると思うんですよね。
そして疲れた日、気分が優れない日にやり過ごす方法がいくつかあると、子供もその後の人生の参考になると思うんです(その方法を押し付けたら本末転倒ですが)。
なので、お母さんが日々の生活から手を抜くこと、お金をかけること、好きなことを楽しむことにそんなに罪悪感を持たなくていいんだよ、とママ友にも言うし、自分にも言い聞かせています。
頑張れない自分を「そんな時もあるよねー」とやり過ごせるようになると、なぜか子供のできない姿も、夫の思うようにならないところも、「私もできないことあるし、お互い様ですし」と寛容になる自分がいます。
こういうのがおとーちゃんがおっしゃる「自己肯定」なのかな、と考えています。
ちなみに自分を甘やかすため、お掃除ロボットを購入しました。
今は子供が春休みなので、掃除はロボットに任せて外遊びに出ています。
料理もしたくないときは夫にお願いするときもあるし、カップ麺のときもあります。
「人の作ったご飯は美味しいね」と言うと夫も嬉しそうで、子供もお父さんのお手伝いをして楽しそうです。
カップ麺は「この値段でこの美味しさ」と、製造メーカーに感謝して、楽しく食べています。
>お母さんが手抜きしたり、好きなものを食べたり買い物したりして日々を楽しんでいる姿は、今は子供には影響はないように見えても、子供の「人生を楽しむ」という核になると思うんですよね。
>そして疲れた日、気分が優れない日にやり過ごす方法がいくつかあると、子供もその後の人生の参考になると思うんです(その方法を押し付けたら本末転倒ですが)。
たまになら「そんな時もあるよねー」と思えそうなのですが、毎日が辛く感じていると「いつも頑張れていない」と思ってしまう自分がいます。
でも、自分が日々を楽しみ、手を抜けるところは手を抜いて、自分の人生を満喫している姿を子供に見せるというのは、なるほどと思いました。
「自分が楽しんでいるところを見せなければいけない」と無理に行動するのは良くないと思いますが、いい方向性が見えた気がします。
話は変わりますが、どぶろくさんのコメントや最近の保育士おとーちゃんさんのブログ記事を読んでいて、ふと疑問に思ったことがあります。
悩みを相談した時に「そっか、すごく頑張ってるんだね」や「楽してるお母さんでも○○ちゃんはお母さん大好きだし、私も素敵だって思うよ」の方が、多くの人が必要としているメッセージなのでしょうか。
愚痴は別として、私は、悩んでいる時は大体解決策を模索しているので「○○すればいいのに」の方がありがたいのですが。
カルトの記事にあったような「○○してしまうんです」と悩みを相談して「○○してもいーよ」なんて返事をもらったら、この人は信頼できないし悩みを打ち明けられる相手じゃないな…と思ってしまいます。
なかなか難しいですね。
今、珍しく子供たちと一緒に寝なかったの、久しぶりに一人でPCに向かっています。ですが、「家事」をせずに「家事を気にすること」もせずに「子供のことを考えずに」ゆっくりはなかなかできません。
正直今でも、「明日の朝ご飯、晩御飯用におかずの作り置きをしないと」と言う思いが頭から離れません。(夫は料理をしないので)
ついつい、「明日自分が楽になるための家事をしなくては」と言う思いが頭を離れずにいます。
気持ちの切り替えもうまくできず、どんな隙間時間でゆっくりできても、「ゆっくりできないお風呂の時間」「楽しくも美味しくもない食事の時間」「疲れの取れない寝る時間」
が待っているかと思うと、休むに休めないです。
専業主婦であり、夫の家事・育児も「できるだけ」「気が付いたら」の域を出ないので、夫の家事・育児に対して心から感謝できず、自分軸で「助かった」「楽になった」と思えない、非常に自己中心的な自分もいます。
どうすれば他力本願にならず、緊急性のない嫌なことをせずにいられるのでしょうか??
こんな簡単なこともできない、ネガティブ思考で自己中心的な自分が嫌になります。
愚痴も聞いてくれる友人は限られるし、嫌われたくないので思う存分頻繁に愚痴をこぼして発散することもできません。
さくらさんへ
アドバイスが欲しいママ友にはアドバイスをしますし、その上での「楽してるお母さんでも〜」という言葉です。
私も悩みを打ち明けた相手にそんな言葉を言われたら、「いや、アドバイス欲しいんですけど」と思っちゃいます。
そして私が受けるママ友の相談は、真面目に子育てに取り組むあまり、子供至上主義になりパンクしているので、その情熱を旦那さんや自分自身にも向けようね、というものなので、カルトの記事の場合とはちょっと違いますのでご安心下さい。
「○○すればいいのに」をなるべく言わないようにしているのには理由があります。
私の場合には○○がマッチングしたけれど、ほかの家庭ではそれがマッチングするとは限らないからです。
自己否定が強いママ友に言うと、アドバイス通りにできない自分をまた否定するようになったり、よかれと思ったアドバイスが相手の負担になったりします。
自己否定の傾向が強いな、と感じたママ友の周りは「○○すればいいのに」と干渉してくる人が多いので、あえて私が言わないほうが本人は自由に考えられるし、逆に「誰々にこう言われたんだけどどう思う?」と尋ねられます。
これは私が仲良くなる人の傾向もあると思います。
私の周りには母親と不仲だった人(過干渉で不安が強い母親をもつ人)が多く、親に否定された部分は私はそう欠点とも思わないし、気にならないよ、その状況で今までよく頑張ってきたね、と、そんな意識でいます。
私の子供は今5歳ですが、それまでに色々息抜き法を探ってましたし、今も探してます。
子供の成長によって、自分を取り巻く状況も変わるし、何より体調に左右されることが増えました。
なので楽しみもコロコロ変わります。
今は昼寝がこの上ない幸せだし、ちょっと前までは夫と同じゲームを競ってました。
子供と拾った松ぼっくりでリースを作ったり、姑の愚痴を聞くとどんなメリットがあるか(愚痴の内容によって持たせてくれるお土産が豪華になります)とか、継続しなくてもいい、お喋りのネタになるようなことをしてます。
さくらさんも負担にならない楽しみが見つけられるといいですね。
なんだかとりとめのない文章で失礼しました。
おとーちゃん、コメント欄をお借りしました。ありがとうございました。
子どもの頃も何でも好きなものは買ってもらいました。
でも、母は私の話をゆっくり聞いてくれることなどなく
いつも仕事や家事で手一杯のようでした。
甘える隙はありませんでした。
そんな私は何をしたら満たされるしょうか。
真剣に自分を甘やかす方法を考えましたが、わかりませんでした。
みのむしさん
私も共通して言えるのが気が抜けないとゆうことですかね。
色々縛られてしまうこと共感します。
でも、きっと自分の思い込みってのが強いのかな。
私もみのむしさんも。
お風呂もご飯も
しなくてはいけないことで、楽しい時間ではないと思い込んでしまってるから楽しくない。
だから、楽しいものなんだ!!と思い込んでみたらどうかな。
食事中や、お風呂の時間なんかも
みのむしさんの好きな音楽を流したりして
みのむしさんが楽しむことをしたら
いいのかな?と思い、
みのむしさんの文章を読んで
私もヒントがみえた気がします。
私たちが楽しめるようなやり方で
その苦手だと思い込んでいる時間を過ごす。
私はお風呂の時間子どもと向き合って話したりとかするのが苦手でそれぞれ
過ごしてほしいので
ペットボトルに色水をいれて
子どもたちが夢中で遊んでてくれるのを
みています。
ホントは保育士おとーちゃんのように
子どもと向き合ってお喋りしたりする時間にしたいのですが、それが私は苦手のようです。
いつもブログ楽しんで読んでいます。ありがとうございます!
現在、旦那が海外赴任中で、仕事に育児にワンオペで死にそうになっており、心の余裕がなかった時期があったのですが、おとーちゃんのブログに触発されて、最近、大好きだった読書をしてみたり、子どもを預けてコロッケのものまねコンサートに行ったり、子どもと一緒に友人に会いに新幹線で旅行したり、自分の楽しいという気持ちを大事に出来るようになりました。
心なしか以前より子どもと笑い合う時間が増えて、心が軽くなったような気がします。
最近始めた読書で、ひと昔前に話題になったアドラー心理学の「嫌われる勇気」を読んでいて、おとーちゃんのエッセンスに通じるところがあるなぁと思っています。(子どもの課題についての、見守るという姿勢など。)
おとーちゃんのブログから、気づきや、その気づきを元にした世界の広がりをもらっています。
ありがとうございます!
コメントを読んで、どぶろくさんはとても優しく思いやりがある方だなと思いました。
だからこそ、どぶろくさんに悩みを打ち明けたり相談するお友達も多いのでしょうね。
私も少しずつ楽しみや息抜きの方法を増やしていきたいです。
子供と一緒に楽しみつつ息抜きできたら最高ですね。
共感!
わかります!
以前私も全く同じ気持ちでした!
暗闇のどん底で精神的にも体力的にも限界でした…
私の場合は下の子が幼稚園に入園したことで1人でいる時間が増え段々と楽になりました。
こうするといいよ!みたいなコメントができずに申し訳ないです。
でも、仲間がいるよ!と伝えたくて(´・ω・`)
私の旦那も非協力的です…
その中で、みのむしさんは十分頑張ってると思います!!
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私の場合お酒が好きなので飲みたいときは飲む!となりがちで、それに罪悪感を抱かないというのはなかなかハードル高いです。世間の目も流石にそこまで甘くはないかなと。
今は春休みで一週間ずっと子どもと一緒に過ごしているのですが、そうするとどうしても子どもの要望で食べ物を買ったり出かけたりして自分に使えるお金が減ってしまいイライラしてしまいます。家事も三食準備するのも大変。ゲームや遊ぶだけの子どものために一日中動いている自分が理不尽に感じます。とにかく一人にして!という気分になってしまいます。
我が家は姉と弟の二人きょうだいで2歳差です。姉はもう三年生になるのですが、私にベタベタしたがりそれが苦手です。
思えば自分も母からスキンシップを避けられていた記憶があり悲しかったのですが、自分も娘のスキンシップを受け入れられないのです。
息子はしつこくないので受け入れられます。
客観的に見ても娘のスキンシップはしつこいと思います。友達にも時々嫌がられており、そういう時に泣いているのを見ると自分が十分甘えさせてあげられていないせいだと絶望感があります。
長々と書いてしまいましたが、自分がされて嫌だったことを自分も子育てでしてしまうという話です。ちなみに母が私に冷たいと感じていたのは小学生くらいまでで、その後は話の分かるいい母でした。この悩みは解消できないのでしょうか。