保育園、学校における承認欲求のあやうさ - 2019.04.11 Thu
これと似た問題に自身の承認欲求のために子供を利用するもの。
そして、自身の不安、心配の解決を子供に負わせてしまうものがある。
今回はその前者、承認欲求のために子供を利用してしまうものについて見てみる。
今回は家庭での子育てから離れて、保育園や学校などにおける承認欲求のあやうさについて。
(自身の不安、心配の解決を子供に負わせてしまうものについては、家庭での子育てに戻る。最近多忙なのでもし書けたら・・・・・・)
自己承認という面もあるし、他者の視点から自分がどう見られるかというファクターも関わってくる。
この点において、子供を自己実現のために利用するものと違いがある。
ただ、自己実現のために子供利用する人が、同時にこの傾向を持っていることもある。
他者からどう見られるかという視点で見れば、消極的なものと、積極的なものでやや傾向が分かれる。
・消極的 他者からどう見られるのか不安になり子供を自分の望む姿にしようとする
・積極的 他者から自身がよく見られたいので子供を自分の望む姿にしようとする
「承認欲求」として考えると、欲求という積極的なものであるので主に後者になる。
このことは、特に保育施設や学校といった子供に対する仕事において顕著な問題となる。
例えば、運動会や発表会といった外部に見せる行事はそれにおちいりやすい。
他者から見たときに、立派に見えるものにしなければならない要素がどうしても大きくなるため、その内実である保育・教育要素よりも、「見た目」「出来」に寄りやすい。
現在学校における組み体操が、安全面の指摘などさんざんなされているのにやめられない理由もここにある。
また、「親を感動させる行事」を作為的に作り出してしまうあやうさもここにある。
加熱しすぎてしまう部活動の問題も、背景をたどっていくとこの子供に関わる大人の側の承認欲求の問題に行き着く。
そういった対外的な行事などでなくとも、子供を自身の承認欲求に利用してしまうことは普段から多々ある。
並ばせたり待たせたり、「ちゃんと」「きちんと」しなければならない場面を大人が無自覚に増やしてしまい、その型にはめることで自身の気持ちを無自覚に満たしていこうとする。
無自覚であるだけに、こういったことにはなかなか歯止めがかけづらい。
これらが、表面上は「子供のため」「保育のため」「教育のため」という理屈をつけてなされてしまうので、それもまたこの負の影響を押さえられないことにつながる。
特に大きな問題なのは、学校における部活動。
これまで過熱化した部活動により、子供が事故死したり、またはそこでの負荷からいじめが起こったり、自死したりといったケースが山のようにあるが、それでもこれがなかなか是正されていかない。
部活動で自身の承認欲求を満たしたい教員にとっては、それを手放したくない心理が強く働くことだろう。
しかし、それにより子供を事故や死亡に至らしめてしまえば、その教員にとっても不幸な事態となる。だからこそ、「承認欲求をないもの」とするのではなく、「誰しもがそこにおちいりやすい」という前提に立って、職業的に子供に関わる大人の側に研修をしていく必要がある。
しかし、残念なことにあまりこの問題自体があまり認識されていないようだ。
保育においても、この承認欲求の問題は大きい。
例えば、○○式などをうたう、子供にできる姿を持たせるメソッドの保育では園ぐるみでここにおちいる。
・立派な保育として外部から見られたい組織の思惑
・子供を自身の思い通りにすることで自分を満たそうとする保育者
・子供に到達点を持たせたい保護者の思い
結果的にこれらがタッグを組んで、子供を大人の望む姿にすることで、大人を満たすための保育が組織的に出来上がってしまう。
保育の原点が意識されていれば、本来はこのような事態にはならないのだが、残念なことに日本ではいまだに保育が確立していないためにしばしばこのようになってしまう。
まずは、承認欲求が誰しもにあることに気づくことからが大事だと思う。
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個人と組織の承認欲求
心に染みました
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どんな仕事にも承認欲求(健康的なものと病的なものがりそう)は伴うのだと思いますが、子どもを相手とする場合、被害が表面化しずらいのかもしれません。医者と患者といった関係にも類似を感じます。被害を受ける側が社会的に弱いという構造がありそうです。
承認欲求という場合、個々の保育士や教師、コーチなどの個人れべるでの大人の承認欲求と、学校、保育所、チームといった組織の「成果」や「目標」に従わされる個人が作り出す侵害もあるなあと・・。