岩手県へいってきました - 2019.10.21 Mon
僕がいろんな方の子育てにまつわるお話しを聴いていて直面するのは、一見子育ての問題に見えても実は子育て以前の所の大人のあり方がいろんなネックになってしまう現実。
●まじめさ →
・自分の自信のなさ
・他者からどう見られるかが大きく気になる。
・子供の一時的な姿を過剰に自分のせいと感じてしまう。
・誰かに助けを求められない。
・自分のしんどさ大変さを出せないがためにその負荷が子供に向いてしまう。
・自分を犠牲にして他者に尽くす価値観。子育てではそれが子供への過保護、過干渉や依存の元となる
・まじめな人は、自分で自分を律する感覚が強い。他者に対しては要求しないことでも、我が子のうまくいかない姿は許容できなくなる傾向
まじめさというそのひとつをとっただけでも、これだけいろいろある。
自分が当然と思ってきた価値観が、子育ての中ではうまく機能しないとき、その子育ては自分ではなかなかどうにもならなくなってしまう。
その目の前にある問題と見えることが本当に大きな問題なのか、それとも一過性のものなのか、それ以前にそもそも本当に問題なのか。そういうことすら、わからないまま日々の子育てに向き合っていると、それが大きな不安をもたらしたり、子育ての疲弊につながる。
そうしたものが、一生懸命子育て頑張り過ぎたがゆえに子供に向き合うことがつらくなってしまうという人すら生み出してしまうのが、現代の子育てをする人をとりまく状況なのだと思う。
こうしたことを良い方に変えていくべく子育て支援などの制度的なものを見直したりすることも大事なのでしょう。その一方で僕は個々の人ひとりひとりに向き合うことを大事にしたいと思う。
いま、まじめさということを取り上げたけれども、実はこのまじめさということをもっと掘り下げると、社会における男女の非対称性(男女格差、女性蔑視、ミソジニー)にもつながっていく。人によってはオーバーに感じるかもしれないけれども、僕にはこれは直結した問題だと見えている。おそらく見えない人にはまったく見えないだろうし見える人にはありありと感じられていることだろう。
今ここでそれについてを書ききれないけれども、端的なのはこれまでの日本の社会、文化の中で生きてくると女性は「被モラハラ体質」を持たされやすいこと。
被モラハラ体質を持っている人。この人達は表面的には「まじめさ」という姿として表れていること。
こうした男女間の非対称性が、実は現代の子育ての難しさやしんどさの根っこには隠れている。
僕はこうしたところにも寄り添っていきたいと思う。
なんのめぐりあわせか、そうやって子育てや生き方に難しさを感じる人の主に女性のお話をたくさん聴いてきた後、東京に帰っていろいろ思いながらお酒を飲んでいたら、隣に絵に描いたようなミソジニー、ホモソーシャル男性の3人連れが座って、「(その中の兄貴分の人に対して)○○さん、すごいっす。まじ尊敬っす。自分なんかとても○○さんのようにはなれないっす」から始まり、「俺、嫁のことすっげえ愛してますけど、体は別っすねぇ(3人同調して笑う)」「(女性のことを指して)あいつら頭で考えないで感情でわーわー言っているだけだからハイハイって聴いときゃいいんだよ」「(夜中の12時過ぎに奥さんに電話して)オイ、いま○○さん来ているんだから顔見せに来いよ。なんでそんなつれないことをいうんだよ。俺の顔潰すなよ」などなどを大声で放言していた。(実際はもっとひどいことも言っていたが・・・)。
仮に男性が若い内はそれで済んでも、何十年と結婚生活を経ていった先に、もっとも身近で寄り添ってくれるはずの女性や子供が、こうした体質がずっと続けられるとしたらその人は本当に自身を尊重して寄り添ってくれるか?
そんな人はまずいない。
すると男性は、お金や力関係なんらかの理屈(モラル)を持ち出して、自分から人が離れてしまうのを縛ろうとするようにならざるを得なくなる。結果、人はより離れていってしまう。
本当の所を言えば、現実を認識せず頭で考えていないのは明らかに男性の方。しかし、社会における男女間の非対称性が、そうしたあり方を許してしまっている。言ってしまえば、男性は男性であるという理由でたくさん甘やかされている。下駄を履かされている。
しかし、男性からすると男性であるという理由でたくさんの理不尽な要求をされ、それに我慢して耐ええる文化(ホモソーシャル)の中で生きているので、自分は甘やかされている、下駄を履かされているという意識などまったくなしに、「俺は必死に頑張っている」という自己認識を持ってしまう。
この図式は、男性の育つ家庭内でも同じ形を持っており、父親に過剰に厳しく時に理不尽なことをされ、その負荷を母親への依存によって、どうにかやり過ごすという生育歴になる男性は少なくない。
この時の母親への依存の形が、母親からの過保護や過干渉という形が強くなると、「女性にやってもらって当たり前」の精神構造へとつながりかねない。
これを配偶者にも求める場合。結婚生活においてたくさんのすれ違いが生まれることになる。
モラハラ男性のしばしばが、自分の母親にはいいなりで逆らえなかったり、母親に異様なほどの居丈高な態度をとるといった精神的にアンバランスな姿を持っているのはこうしたことと無関係ではないだろう。
一般にしばしば男性が「結婚は人生の墓場だ」などと、どこかで聞きかじってきたような言葉を、さも自分が生み出した言葉かのように口にする。
もしかするとそのようにしてしまっているのは自分自身のあり方なのかもしれないと、多少なりとも客観的に考える視点があればその人はより幸せになれるだろうと思う。
どちらが上下なのではなく、互いに同じ価値を持った人間同士だと尊重しあって過ごすことができれば、家庭や結婚というものはとても素晴らしいものになるのに。
次の座談会は東京都渋谷区笹塚において11月16日(土)にあります。まだ空きがあるようなのでよろしければどうぞいらしてください。
https://www.facebook.com/events/451010852180052/?active_tab=about
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● COMMENT ●
こそだておはなし会。
そもそも…
おとーちゃんの様なバランスの取れた考えを持つにはどうしたらいいのか、息子がいる私は子どもにどうしたらそういった感覚を持たせてあげれるか…、まだまだ勉強が必要だと感じます。
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まじめさゆえの苦しさ…
私であり、参加された方の中にも少数ではなかったように感じました。
自分のせいと思わなくて良いんだよ。
子供や夫自身に考えさせて良いんだよ。
背負い込むクセを、きつく心を縛ることをやめ、ゆるめよう。
ゆっくりゆっくりで良いから。
一人一人の不安に寄り添って、大丈夫と背中をなでてくれるようなおとーちゃんでした。
このような場が、お近くで開催されていたら、勇気を出して参加してみることをオススメします。
みんなで補い合おう。
このたびは、本当にありがとうございました。
12月もお待ちしています。