【保育】信頼関係は大人がスタート地点 - 2020.03.04 Wed
それは、「信頼関係は子供が大人に対して持つもの」といった漠然とした理解をしていること。
この理解では信頼関係を構築することは難しい。
ではどういうことかというと→
関係であるがゆえにそれは相互でなければならない。
そして起点になるのは、大人から子供への信頼が先ということ。
つまり、まず大人が子供を信頼しなければ、最低限の信頼関係(生活等を共にするから自然と生まれるレベル)以上のものにはならない。
具体的に見ると例えば過干渉がある。
子供に対して過剰な干渉が起きる背景には、大人がその子の能力を信頼できていないときor大人自身の不安や心配が強く手を出さずにはいられないときに起こる。
どちらも子供からすると、「自分の力を信じてもらえない」という大人の気持ちを受けることになる
自分を信じてくれない人に、厚い信頼を返すことは子供でなくとも難しい。
「どうせあなたできないよね。だから私がやるわ」
その大人は無意識に親切心でやっているとしても、過干渉は子供にとってこうした関わりとなってしまう。→
だから、ここで子供を信頼するというのは、「失敗してもいいから、子供が自分で試行錯誤するのを手は出さないけれどもあたたかく見守ろう」という態度になる。
もし、その試行錯誤を繰り返す中で子供が自発的な達成感を感じられたときに大人が微笑んでそこを認めることで、→
「(この大人は)自分のことを信じてくれていたのだ」と子供は実感的に理解し、そこに本当の意味での信頼関係が構築される。
このように信頼関係とは、大人の適切なアプローチによって形成されるものなのだ。決して、子供が勝手に大人に抱いてくれるものではない。
特にこの信頼関係と過干渉という視点では、「失敗させられる」という大人側のスタンスが重要になる。
「子供に手をかけることがいい保育」といった表面的な理解だけだと、ここが簡単におろそかになってしまう。
物理的、精神的な「手をかける」では、単なる過干渉、精神的過保護を生みかねない。
保育で言うところの「子供に手をかける」とは、子供を伸ばすための「配慮」をきめ細かにすることであり、なんでも「やってあげること」が良いのではない。
これを具体的に見てみると、たとえば午睡時の「寝かしつけ」がある。
保育者がそれを無自覚にやっていると、「私は子供に親切で寝かしつけをしてあげている」といったスタンスで日常的に行われてしまう。
もし、その子が自分で入眠できないなんらかのネックを持っていて、なおかつ睡眠が必要であるのならば配慮として寝かしつけをすればいい。
しかし、そうした配慮なしになんとなく日々のあたりまえの感覚で寝かしつけをしているのであれば、それは実のところこういうことだ。
「どうせあなた自分では入眠できないよね。だから私がねかしつけてあげるわ」
このスタンス、これは子供からすると自分は信じてもらえていないということを、日々メッセージとして受け取ると言うことだ。
これで、その大人への信頼感が厚く形成されていくだろうか?
実際に、あなたの身の回りにいる大人でも子供でもいい、「保育園のお昼寝好きだった?」と聴けば多くの人が「嫌だった」「トントンされるのが苦手だった」という人はたくさんいることだろう。
こうした子供を無自覚に「信じない」というスタンスが、日本の保育観、子育て観、子供観の根っこには慢性的にある。
まずは、ここに気づかなければプロの仕事としての保育はそもそも始まりもしない。
「信頼関係」という言葉、山ほど使われているが、実践の中でそれが明確になっている保育は、それに比べてあまりに少ないのが現実だ。
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● COMMENT ●
午睡のトントン寝かしつけ
Re: 午睡のトントン寝かしつけ
職業歴の中でやってきた「当たり前」は非常に大きいものです。
また、専門的な配慮における「手を出さない状態」というのは、保育実践の中でももっとも難しことの一つかもしれません。
意外にも、何かをしていることによる「やっている感」を人は無意識に好んでしまうものです。それがたとえ意味のないことであっても。
こうした心のクセを人は持っているもののようです。
順当な保育の学びから言おうと思えば、たくさんのアプローチのポイントがあるのですが、ここでは簡単に二つのケースをお伝えしましょう。
1,子供自身を「伸ばす」視点の確保
子供がコップを倒しそうなとき、少なくない人が手を出すことで解決を考えてしまいます。
・コップをぶつからない位置に置く
これは、過干渉です。結果を「作る」関わりと言えます。
こうした過干渉を蜜にすることが良い保育、良い子育てと考えられがちです。
これに対して子供を「伸ばす」アプローチは、
・「コップにぶつかって倒しそうですよ」と事実を提示して、子供自身に考えさせたり、行動させたりする関わりです。
多くの人が、前者のみを視野においており、後者の関わり方があることにすら気がついていません。
もし、この理屈が理解できる人であれば、午睡を見守ることによって子供を「伸ばす」ことも理解できるでしょう。
ただ、やり方を変えることで不安になるのはある意味当然ですので、「しばらくやってみて様子を見てみましょうよ」などと呼びかけるのは必要かもしれません。
結果が出ていることですら、なかなか人はそれまでのやり方が変えられないことがすくなくないようです。
2,子供に聴いてみる
その当事者である子供たちに、ジャイ子さん自身が質問してみて下さい。
「私が見守っている中でお昼寝するのと、トントンされることで寝かしつけられるの、あなたはどちらがいい?」と。
関わりを欲っする気持ちが強い子でなければ、保育園での寝かしつけを本当のところでは嫌がっている子は少なくありません。
また、幼児クラスの午睡時の姿を確認することも参考になるかもしれません。
おそらく、幼児クラスは「寝かしつけ」をされてきて現在にいたっていることでしょう。で、その子たちがいま自分たちで進んで寝る力が適切に育っているのか?
もしかすると、ここを踏まえると過剰な干渉がプラスでないことに気がつけることもあるかもしれませんよ。
Re: Re: 午睡のトントン寝かしつけ
大人が子供に言わせた「ごめんなさい」や、あいさつに意味はないですよねというとそれに同意できる人は多いと思います。
しかし、「トントンさせて(寝かしつけて)寝かせた午睡に意味はないですよね」というのがその延長線上にあることに気づけない人もまた多いですね。
自主性・主体性の視点が理解できていると、これが同じレベルのところにあることがわかるようになるかと思います。
インスタで、保育士おとーちゃんのメッセージ発信してもらえたらいいなー
保育士おとーちゃんが経営する園が全国にあったら、、、あと、保育士おとーちゃんの教えを受けた人が全国にいてその人たちが各地で子育てカウンセリングや、保育士講習を行って、、
おとーちゃんの考えがどんどん広がってくれたら、、
子どもたちの未来は明るくなります。
ありがとうございました!
理解して欲しい。という気持ちがありましたが、もう少し柔軟な相手への理解を持ちながらも、自主性、主体性の保育について園内研修や会議等で取り上げていけたらいいな…と思います。
それ以前に風通しの良さや、考えの違いを認めて行くことが大切ですね。
迷ったときはおとーちゃん先生の本やブログをバイブルにさせてもらい、仕事頑張ってます。
いつもありがとうございます!
また勉強会参加したいです。
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2歳児クラス。
午睡の寝かしつけはおとーちゃん先生の研修(12月)で保育を振り返り、こどもとの信頼関係もできているのもあって寝かしつけをしていません。
子ども達は、自分で寝られる力があったにも関わらず、数名時間がかかる子に対してはトントンをしていました。
しかし、寝かしつけを辞めたにしても全員が遅くても20分あれば寝られる状況です。(早い子は2分ほど)
子ども達は時間になれば、サッと起き、カーテンを開けてくれてます。
おやつを食べたくて布団も自分達で片付けています。
できないときは手伝って〜と呼ばれます笑。
自分達の生活を自分達で楽しみ考えている姿に微笑ましくたくましく感じてます。
しかし、午睡の寝かしつけをしないこと(また、給食の席を配慮の元決めている事)に疑問を感じる保育士が何人かおり、2歳児は年齢的にマッサージしたりしながら寝かしつけをするのが必要な年齢だと思うのになんでしないのか?
と言う声もあがっています。
おとーちゃん先生が言われてることを私なりに伝えても、凝り固まった保育観がありなかなかそこへ気持ちを重ねることは難しいのだと思います。
私はこの1年、保育を振り返ると、子どもたちとたくさん遊んで笑って受容をしていきながら信頼関係を無理なく築いてこれたと感じています。
それは一緒に担任として働いた仲間たちとも…です。
今の子どもたちの姿を見ればこの子たちにはこれで良かった!と思えるのですが、そのように強く否定されると自信もなくなってきます。
給食の席を決めて大人が一緒に、食への配慮をしながら楽しく食べていく事も、子ども達からあの子と食べたいの!という声がでないのがそもそもおかしいょ。と言われました。
安心して落ちついて自分から意欲的に食べてきました。
それでよかったと思ってます。
どのようにしたら納得してもらえるかちょっと悩んでます。
長くなってしまいました。
お忙しいと思いますが、お時間あれば簡単にアドバイス頂けるとありがたく思います。
どうぞよろしくお願いします。