いい慣らし保育と悪い慣らし保育 - 2020.04.01 Wed
保育施設ではもしかすると慣らし保育の真っ最中かもしれません。
そこで少し慣らし保育について書いておこうと思います。
慣らし保育なるものがありますが、実のところ僕はこれをあまり必要性が高いとは思っていません。
昔は、親子で保育室で過ごし場所に慣れるということをしているところが多かったようです。いまでも多いことでしょう。
最近は少し控えめにして、子供だけで過ごして早めにお迎えに来るものや、もしご飯を食べられなかったり、ずっと泣き通しだったりしたら迎えにきてもらうもの。
もしくは、まったく慣らしなどないというところもあることでしょう。
保護者の就労も厳しくなっている現状では、慣らし保育など行きようもない人もいることでしょう。
さて、今回このテーマにしたのは、慣らし保育の考え方として良くないもの「悪い慣らし保育」を明らかにすることで、そこにおちいらないようにしてほしいとの重いからです。
では悪い慣らし保育とはなんでしょうか?
それは、子供が保育環境に慣れないことを、子供のせい、保護者のせいというスタンスで考えてしまうものです。
保育が不適切なところは、簡単にこうした思考回路にはまってしまいます。
保育の成り立ちから考えて、まずもって子供が「慣れる」つまり「安心して過ごせる」責任を負っているのは、保育施設とそこで働く保育者に他なりません。
これが保育の大前提。
それがたとえ新入園児の保育1日目だとしても、基本的には保育者がそれを担保すべきものです。
子供がその環境に慣れないのであれば、保育者が保育を客観視してさらに安心して過ごせるように努力すべきものです。
しかし、慣らし保育という習慣は、簡単にその責任を子供と保護者に転嫁させてしまいかねません。
子供に十分に安心を与えるだけの保育の前提が整っているだろうか?そこを考えるようになると保育の質はより高まっていきます。しかし、子供のせい、保護者のせいというスタンスを当たり前のものとしてしまうと、保育の質はどんどん下がって行ってしまうことでしょう。
もしあなたが保育のプロフェッショナルならば、「子供が可哀想」という言葉だけはつかってはいけません。
これは、保護者を心理的に責めると同時に、自分たちには保育の専門性はないと断言する言葉に他なりません。
慣らし保育はじめ子供を預けることに対して保育者が不用意に、この「子供が可哀想」という言葉を保護者に対して言うのを何度も耳にしてきました。
もうそれは保育者の感覚として非常に古いといわざるをえないでしょう。
保育の整備と、保育者のスキルアップを適切にしていけば、慣らし保育はなくても問題ないか、必要最小限になります。
安心・安全と信頼関係。ここを十分につきつめればそのことがわかるはずです。
ある園では、新入園児に対して一生懸命音の出るおもちゃで釣って泣き止ませようとしていました。
もし、この保育を当たり前にしていれば慣らし保育にこだわって、早くお迎えにきてもらう期間を設けないことには成り立たないことでしょう。
この状態はそもそも保育として始まっていないのですから、もっと学びが必要ですね。
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