性教育と子育ての問題 vol.5 性教育とはNOと言えること - 2020.05.23 Sat
・性教育とはNOと言えること
これが本当に大切な要(かなめ)となる。
まず、大人であるあなた自身がNOと言える存在であり、それを子供にも持たせられるか。
この「NOと言える」ができるためには、「NOを許容できる」が必要となる。
もし、「NO」を口にしたときに、不機嫌になる存在がまわりにいれば、その人はNOが口に出せなくなっていく。
・性教育とはNOと言えること
・性教育とは(あなたが)NOを許容できること
性教育が人格形成に与える部分でもっとも重要なところをピックアップすると、このふたつがあげられる。
互いにNOと言うことができ、それを互いに許容することができるようになるとき、人は他者とパートナーシップ(対等の人間関係)を築くことができるようになる。
対人関係を上下の中でとらえる価値観が強い人は、NOが許容できなくなりやすい。
ものごとに対するNOを自分の存在へのNOと受け取らざるを得なくなってしまうから。
それはまったくの勘違いなのだが、他者を自分の上か下かという価値観で捉えている人は、そのように解釈してしまう。
このメンタリティを強く構築してしまうと、もっともプライベートな対人関係である性的関係においても、NOの許容できなさ、そればかりか相手の支配、嗜虐的な価値観へと発展しかねない。
現実には圧倒的に
・NOの言えない女性
・NOの許容できない男性
という形で顕著に現れる。
これは個々のレベルでは、結果としてどちらにも、他者とパートナーシップを気づけない人格形成へとつながってしまう。
また、社会的なレベルでは
・NOの言えない組織人(男女に関わらず)
・NOの許容できない硬直的な組織
を作り出すことにもつながる。
つまり、NOの言えなさが風通しの悪い社会や、負荷をためながら生き続ける人生を生み出してしまう。
NOが言え、NOを受け入れられるのは、自立した人格の形成があってこそと言える。
他者のNOが受け入れられない人は、支配関係に依存している弱さを抱えている人格形成である。
他者が自分に服していないと自分の存在が保てないような気がする。それが不安となり怒りへと発展する。
こうしたメンタリティだ。
これは周りの人にとってもその人との関係がしんどいものになるばかりでなく、その当の本人にとっても生きづらさとなる。
自分を保つためには、他者にマウンティングをし続けなければならず、しかしそれをすれば人が自分から離れていき、よりマウンティングを強め・・・という悪循環となる。
お金や権力で人を縛ろうとする人も根は同じ。
「誰のおかげで飯が食えていると思っているのだ」と凄む父親は、「あなたたちが支配下にいないと自分が保てないのです」と告白しているようなもの。一見強さに見えるものが弱さの裏返しであることの端的な例だ。
子育てにおける性教育は、つまり、他者に支配されない人生を歩める人格形成であり、他者を支配しなくとも人生を歩める人格形成に直結している。
◆性的合意
狭義の性教育で言えば、NOの言える、NOを許容できることは、「性的合意」を指す。
コメントでも紹介されていた、性的同意についてイギリスの警察署が作成した動画↓(リンクはハフポストの紹介記事)
必ず知っておきたい「性的同意」の話。紅茶におきかえた動画を見てみよう
もっともプライベートな対人関係でこうした性的合意の取れる人間性は、社会的な人間関係においても他者と対等なパートナーシップを築くことができる。
これはその人の人生の豊かさ、ひいては安定した社会の形成へと直接つながっていく。
だから、性的な価値観が独自に形成されてしまう前の年齢で、教育として性についての理解を子供たちに伝えていく必要がある。
◆能動的な性教育の必要性
僕はいまこのように性教育について述べている。
しかし、大変残念ながら僕自身は失敗作としてある。
あとで理解しても遅いのだ。
僕自身がこうしたことを理解したのは、だいぶいい歳になってからのこと。
それ以前には、この基本的なことを理解せずに生きてきたばかりに人を傷つけもした。
性教育は、「放っておけば勝手に学べる」ものではない。
放っておけば間違った知識を吸収する率の方が圧倒的に高いもの、そう認識しておく必要がある。
社会に出る前、さらにはプライベートな性的対人関係を築く年齢になる前、性加害、性被害を受ける前、こうした段階で能動的に教える必要がある。
しかし、現状の日本の社会で、また日本の文化の中で性教育が適切に施せるか非常に怪しい。
家庭での育児は、いまだに「しつけ」の概念が中心だ。
この「しつけ」の子育ての中で、子供にNOと言えるだけの成長を得させられるだろうか?
育てる側、育てられる側、それぞれその人の環境、性格で得ることもできるだろう。
しかし、しつけの基本構造は、親の支配に服する子を作ること。
構造がこれなのだからそれに飲まれてしまえば、NOと言える子、またNOをムリなく許容できる親の存在はむしろ例外的なものとなるだろう。
日本の現行の学校教育の中で、NOと言える子を育てていくことができるだろうか?
学校も、学校や教師に服する子供を一生懸命、それこそ勉強を教えること以上に熱を入れて作り出そうとしている。
ここに性教育に学校がなかなか本気で取り組めない本当の理由が隠れているのではないか?
敬語で男性配偶者のことを指すとき、「ご主人」や「旦那さん」などと従属関係でしか夫・妻を表すことができないような日本の文化の中で対等のパートナーシップを理解していくことができるだろうか・・・etc.
僕はさまざまにそんな疑問を感じる。
将来的には進歩していくかもしれないが、少なくともいま現在子育てをしている人たちは、他人任せにするのは危険だろう。
だからこそ、こうしたところの理解を深めていく必要がある。
NOと言えるのは、反抗や反発と同義ではない。
それは自分の考えや意見を持つこと、なおかつそれを表せること、つまり自主性・主体性を持てることに他ならない。
言い換えれば個の尊重ということでもある。
我が子の子育てで、どうしたら自主性・主体性を持てるようにできるだろう?
個を尊重しつつも、必要なことを伝えていくことができるだろう?
また、親がそれを無理なくできるためには?
これが性教育の段階、そしてその前の段階で重要になる。
性教育の観点ともからめ、今後はさらにそのあたりもまとめていきたい。
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● COMMENT ●
最高
とてもためになる分かりやすい気付きをありがとうございます!
私自身が、親の過度な期待を背負って幼少期〜中学生までを生きており、「NO」を言う、という発想すら無い状態で、思春期に一気に爆発した口です(笑)思春期に爆発できたので、まだ自分を保っていますが、歳を重ねた今でも「ありのまま」を肯定されたかったという願望は少なからずあります。
我が子には、「ありのままの自分」を楽しんで生きて欲しい。その願いだけで、毎日試行錯誤しながらの子育てです(^^)
「性教育」という課題で、私に取り組める事は?と考えるも答えが出ませんでしたが、今日の記事を読ませていただき、理解を進めることができました。早速、取り組めるところから取り組み、子どもが「NO」と言える家庭の雰囲気を大切に過ごしたいと思いました。
自分の考えをもち、自分が自分自身を理解して、違和感のある人間関係には「NO」といえる人。それをまずは親である私が取り組んで、自分の育ちを克服したいです。
自分の意見はひたすらに押し殺し、人に迎合してヘトヘトに疲れる人間関係しか築いてこれませんでしたが、これからは、自分の意見を言うトレーニングを、してみようと思います。時には自分の意見を言うのにドキドキしてしまってヘトヘトになるかも知れませんが、今からでも自分らしく生きてみたいと思いました。そして、息子にも自然と伝わればいいな。大切な気付きをありがとうございました!
もしどこかで取り上げて貰えたら嬉しいです。
ありがとうございました
すごくわかりやすい記事で考えさせられました!
私自身NOと言える性格でなく、親の前でいい子にしなくてはと過ごしていました。
幼少期年上の男の子にズボンを下げられたり、大人にスカートをめくられたり
実際に痴漢にあったりしました。
でも、全てNOと言えずこわい思いが忘れられません。親にもそのことを伝えたことはありません。
そして、悪いことをされた感覚はありましたが、問題だと感じず、あれは何だったんだろ?とゆう感覚だけ残りました。
今娘を育てていますが、自分の意見はあまり出さずハッキリNOと言える子ではありません。人に合わせるのが得意な子です。
私のように辛い思いをさせないよう
NOとハッキリ言えるようしたいです。
こんなこと教えてもらえる場がなかったので、すごく大きな気付きになりました。ありがとうございました。
書籍化してほしいです
子供が小さい頃から、保育士おとーちゃん様の子育てをできる範囲で実践しており、お陰様で子供の姿は比較的満たされているように感じます。赤ちゃんの頃から、プライベートゾーンを拭く時は一言断ったり、偏見やからかいにつながる性的描写のあるアニメからは遠ざけ、性的な知識を聞かれた時にはごまかさずに伝える、好きな人が同性であってもいいこと他、性教育によって子供を人として尊重していることが、きっと子供にも伝わっていると思います。
私も両親が性の話をタブー視してまったく触れない家庭で、なおかつ卑猥な表現のアニメは見放題という環境に育った大失敗作です。
だからこそ、子供には伝えたいです。
絵本「とにかくさけんでにげるんだ」も時々出して読んで聞かせています。おすすめです。長文失礼しました。
まさに今、娘が性的被害に遭っていた事が発覚しました
娘とはどんなことも話せる信頼関係を築いていたつもりだっただけに、娘が言えないでいた事がショックでした。キッズラインから男性保育士が今後サポート出来なくなった、と連絡があり理由は教えられないとの事、もしやと思い「お股触られたりしてない?」と具体的に聞いて初めて打ち明けてくれました。キッズラインは同様の事件があった事も今回の件で初めて知り、憤りを覚えています。男性保育士だからと偏見は持ちたくないという気持ちが裏目に出たのかと思うと切ないです。ブログの記事、しっかり読ませて頂きます。
Re: まさに今、娘が性的被害に遭っていた事が発覚しました
親御さんとしてはさぞご心痛のことと思います。
ひとつだけ僕の知っていることを申し添えますと、そうした被害を口に出せないのは信頼関係がないためではないようです。
親に心配をかけたくないといった気持ちやさまざまな錯綜した思いが、子供に言えなくさせてしまうことが多いです。
信頼関係が適切に気づけなかったためではないのだと思います。
ありがとうございます
つい最近報道された某出版社編集者によるセクハラ、パワハラの件で、同様のことを考え夫に話したところでしたので、タイムリーで更に考えを深めることができました。
性的(セクハラ)被害者が嫌だ、不快を明確に表明することができない、加害者の不快の方がが大きな力を持っている構造があると感じます。拒否を受け入れられない(人が多い)というのは大問題だと思います。
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いつも私に知恵をありがとうございます
自分がブレないためのいろいろがここにあります
嫌だということを許容できない人がたくさん居ますね
できないっていうと、頑張れって言われる…
時と場合によっては、頑張ってもできないのに…
いろいろを考慮して、許容することを改めて大事にしたいです