【保育】「個性を伸ばす」と「個性の尊重」の間にある落とし穴 - 2020.06.12 Fri
「個性を伸ばす」。この言葉よく聴きますね。この文脈で使われると個性=美点と解釈されます。
一方「個性の尊重」という言葉もよく聴きます。
この文脈だと、個々に備わっている性質、他者との差異、多様性といった意味合いであり「美点」ではありません。
さて、子供に関わる仕事をする上でも頻繁に「個性」と耳にするのですが、その割には個性への理解が適切に踏まえられているのとは反対のケースを多く目にします。
つまり、口では個性といいつつも、実際には画一性を子供に求める現実です。
これはおかしなことですよね。
こうした事態の一因は「個性」のミスリードにあります。
そこで僕は子供に関わる仕事の人には、極端ですが「個性とはその子の欠点のことと考えましょう」と伝えています。この上に立てば「個性の尊重」とは「その子の欠点の尊重」です。
日本の子育て観は「できないものを大人の干渉によってできるようにする」という見方が非常に強く、その子のネガティブな個性を目にすると大人はついつい良かれと思ってそれを直そうとアプローチします。これはその過程で、その子自身のあり方への否定が必然的に発生します。
短期的には「できない」が「できる」になるかもしれませんが、長期的には意欲や他者への信頼感の低下、自信の低下などを招きもっと大きな力を損なってしまうこともありえます。
「個性の尊重」とは、とりもなおさず「欠点の尊重」であり「できないの尊重」です。ここを理解して子供と関わるとき、本当の信頼関係が見えてきます。
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● COMMENT ●
肯定的に見ていきたい
Re: 肯定的に見ていきたい
これの答えは、「人は伸びる」ということです。
親だから我が子のことを心配するのは当然です。ですが、これが過剰になってもかえって子供のためにならなくなります。
この元にあるのは、「将来我が子がこれこれだから、こう困るだろう。だから今のうちに私が解決してあげなければ」というスタンスでしょう。
親だからこうした思考は当然とは言え、あえて意地悪ないい方をすれば、「お子さんが自分でそれを解決したり乗り越えていったりできないと考えているのですね」ということになります。
人は伸びるのです。失敗を経験したり、うまくできない状況を経ることでそこでひとつひとつクリアしていきます。
それでもクリアできないことを何も頑張る必要はなく、別の状況を柔軟に模索するのも大切なことです。
このことは「子供を信じる」ということです。
>ネガティブな個性を認めてくれる人(母である私)の庇護から離れなくなるのではと心配する気持ちも正直あります。
子供を信じられないスタンスが強化され、「子供が自分で乗り越えられないだから私が助けてあげなければ」を頑張り過ぎれば、いわゆる共依存といった状態になることもあります。
実際の子育てでは、親自身の心配をコントロールしきれないことなどが影響していることもありますので、そうしたところをケアやコントロールしていくことも大切ですね。
子供がこうした状況にならないように親が取り組めるのは、「小さな失敗を恐れないこと」です。
子供の年齢が低い内は、失敗が許容されます。この時期に失敗を経験できることが、親にとっても子供にとっても後の力、安定化につながります。
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ただ、社会人になったら、職場や取引先等「外の人間」は「できない所もあるけどそのままでいいよ」とは言ってくれず、結果的に本人の不利益になるという考えに対しては、どのように反論したら良いでしょうか。
日本中でこのような子育てができれば、世の中の人が他者に対して寛容になり、皆が暮らしやすい社会の実現と共に解決するとは思いますが・・・。まだまだ現実は厳しいため、外の世界から逃げて(引きこもるなど)、ネガティブな個性を認めてくれる人(母である私)の庇護から離れなくなるのではと心配する気持ちも正直あります。依存が強まるのは、過干渉等また別の要因だとは思いますが。