◆「小さい人」という呼び方について - 2020.07.07 Tue
そうした意図もわかりますし、その呼び方が悪いとも思わないのですが、踏まえるべき視点を外してしまうと、この呼び方には大きな問題が発生してしまうので、その指摘をここでしておこうと思います。
「コドモ」概念の発見は、非常にエポックメイキングなことでした。
近代を形作るひとつの重要な発見と言えるでしょう。
近代以前の状況では、コドモという概念がそもそもなく、まさに「小さな人」でした。大人とコドモの境目がないので、現代では当然とされているコドモとして守られているものが保障されていませんでした。
いまでいう児童労働は当然のこと。コドモという概念がないので、教育をうけることや、生命や生活を守られる、遊びを許される、そうしたことも認識されていません。
子供→子ども→小さな人
という変遷もコドモ尊重の意図の上にわかるのですが、コドモ概念という近代の昇華のひとつを埋もれさせるのは、僕は場合によっては危険ではないかという心配もします。
「小さな人」という言葉が流通されうるのは、コドモとして保障される権利が全うされた状況だけでのことです。
今現在でも世界の国々では、児童労働が一般的に行われています。児童の兵士すらあります。まだ、「コドモ」概念の敷衍が終わっていない状況です。
日本で一般的に暮らしている分には、「コドモ」概念は十分に全うされていると感じるかも知れません。
しかし、現在の日本ですらまだ児童(コドモ)として権利を守られる状況は、少しも十分とは言えないのが実際の所です。
児童労働、児童ポルノ。
教育を受ける権利もまったく不十分です(不登校の子ども達が十分な教育支援を受けていないことひとつみてもわかりますね)。
児童虐待、ネグレクト。
「コドモを甘やかすな」といった一般的な観念も、コドモの概念が十分にまだ認識されていないことを表しています。
性被害にあった子が、逆に大人から責められるような事態すら起こっています。
妊娠した生徒が教育の場から排除されるようなことも、公におこなわれています。
また、今後の世界的な経済低迷は日本においても深刻な影響をもたらすでしょう。それは前近代の「コドモが守られない状況」を再度コドモにもたらす可能性すらあります。
そうなったとき、いまよりさらにコドモ概念を維持することが重要になってきます。
コドモを「小さな人」と呼ぶことに僕は反対しません。しかし、単に「大人と対等の存在と認識しましょう」という視点だけで、人類が多くの犠牲を払って獲得した「コドモ」概念・呼称をそこから外してしまうことには、十分な注意を払わなければならないと指摘します。
そこを踏まえて、今後のコドモに関わる文化を発展させていただきたいと思います。
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