日本の子育て文化 排泄の自立 その3 - 2009.11.10 Tue

↑字ばっかりもいやなので以前の写真でも・・・2歳1ヶ月頃のわたくんです。うしろで手を振っているのがペーター(白熊)上野動物園から我が家へやってきました。いつかおんぶして動物園にいるペーターのお母さんに会わせにいってあげると張り切っているわたくんです。

「ちょっとオイラにもでんしゃやらせてくれクマ~」ものほしそうなペーターです。
そういうわけで、排泄の自立 その3です。前回は、排泄の程度そのものだけでなく総合的な発達を踏まえていくことが大切ってとこまででした。では、取る段階からを見ていきましょう。
おむつを取る時期ですが、これは個人差が大きいのでなんとも言えません。
時間の間隔も1時間程度しかもたないのであれば、失敗の経験を多くしかねないのでもうちょっと余裕があってもいいように感じます。大人で考えてみてください、1時間ごとにトイレ行かねばならないのって頻尿の部類ですよね。
1時間しかもたない子を遊びや、買い物につれていったりしたら、大人はおしっこ大丈夫か気になるばかり、出かける前にも「でないっ」って言う子を無理やりトイレ誘ったりね。大人がおしっこのことで神経質になっているのは、こどもにとってあまり良い経験ではありません。そういうわけで、余裕をもってできる間隔になってからでいいと思います。あとは前回の話であったように、総合的な発達のようすを見て判断してあげるのがいいでしょう。例えば、言葉の遅い子とかでおしっこがでそうなことをうまく伝えられないとかだったら、もうちょっと様子をみるとかね。その子に合わせて上げて下さい。
暖かい時期がいいとかよく言うけど、それであせって始めて失敗ばかりになってもよくないからね。実際、できる発達段階にきちんと到達しているなら暑い寒いはあんまり関係ないと思いますよ。無理して早期にはずそうとするから暖かい時期だとやりやすかったのでしょう。それはおしっこが溜められてるのではなくて、そもそも溜まるおしっこが少ないだけですね。
よく保育園なんかだと、散歩の前に出ようが出まいが全員トイレへ行かせたりするけど。あれはほんとはいいことじゃないんだよね。まあ、大人数を少数の大人で見なければならないのでそうせざるを得ないということなんだろうね。
では、いろいろ判断してオムツをとったとします。
こどもが健全に『自律性』を獲得するためには、信じてあげることです。
出ることを大人に知らせてトイレでできるなら、それでよし今までどおりたくさんほめてあげる。ほめるだけでなく以前「叱らない子育て」で言ったように、「おしっこ教えてくれてママうれしかったな~」とか「トイレでちゃんとできてとってもお母さんうれしいよ」など共感することを忘れずに出来たらなおいいでしょう。
そして教えてくれないときは、オムツをとる前と同じようにさらっと「トイレいく?」とか「おしっこどうですか?」とか聞く。しつこくするのは自立心をそこなうからしない。
「デナーイ」とか言うなら、おとなが「いや、そろそろもう限界だろ~。絶対むりだろ~。」なんて思っても『信じて待つ!』 こどもが「デナイ」ときちんと意思表示したのなら尊重してあげる。「デナイ」って言っているのに無理やりトイレ行かせたりするのは、「お前の言うことなんか少しも信用できないよ」と言っているのと同じですね。
いいのよ失敗しちゃっても、それはそれ。「ほら、思ったとおりださっき行っとけばよかったじゃない!」なんて言ったら台無しになっちゃうからね。失敗しちゃったときも、できるだけさらっと「でちゃったね。ま、そういうこともあるさ~」と嫌な顔ひとつせず対応しましょう。失敗すると「恥」という感覚をこどもは覚えますが。これは強調しないほうがよい心の育ち(自律性)を獲得できます。
(前の段階では失敗の経験はできるだけ少ないほうがいい、と言ってきましたが。一旦はずしてしまったら失敗は恐れないこと。大人が失敗を警戒しているととこどもは敏感にそれを感じ取って「恥」の感覚が大きくなってしまいます。それ故にこそ取る前の段階で十分に発達しているのを見極める必要があったのです。)
ここでね、大人がこどもの意思表示を尊重してあげられないと、このあと(もしくは同時期くらい)にくる成長期(いわゆる第一次反抗期、魔の2歳児ってやつね)がとっても大変になるよ。成長期は自己主張の練習なわけだから、それ以前の普段から尊重されていないと、その分こどもはとってもがんばって自己主張しなきゃいけなくなるわけ。子育てってすべてつながっているんだね。
逆に言うとそれ以前から自分の意志や自己主張というものを、常に尊重されて来たのならさらっといけるでしょう。まあ、それでも個人差あることだけから絶対とはいえないけど、尊重しないで来た場合よりずっといいはず。
それから、オムツをとる前とかどの段階でもいえることだけど、うんちやおしっこが出たり失敗したからといって嫌な顔したり文句いったりするのは、こどもの存在自体を否定することになるので気をつけましょう。まあ、普通にこどもがかわいいと思える人はそんなことないと思うけど、けっこういるので念のため。
ちなみに、うんちするたびに毎回文句いって育てれば、簡単に3歳くらいで「じぶんなんて生まれてこなければよかったんだ」って言う子にすることができます。実際それに近い子をみたことがあります。「お前なんかきたない」「抱きつかれると気持ち悪い」といわれて育った子です。なんと保育士のこどもでした・・・。手はあげてなくても十分虐待ですよね。
それからトレーニングパンツって意味ないような気がします。あれも、早期にはずす文化の賜物なのでしょうね。無理な状態でオムツをとるから、もれないパンツが必要なのかな。
じっくり発達段階を見極めてはずせば、実はこのおもらししちゃう期間はとても短いです。ね、その2で言ったように「こどもの負担は最小限に、達成感は最大限に」 こういうことです。
なんか具体的なトイレットトレーニングを期待されてた方にはちょっと拍子抜けかもしれませんね。
僕の考える「排泄の自立」は訓練ではないですから。そもそも、教え込みません。こどもはみな育つちからを持っています。野生動物は教えられなくても自分で立ちますよね。
排泄に限らず、教え込むことはむしろこどもの持っている力を制限してしまうように思います。
だから「知育玩具」とかも好きじゃないんです。はるかに上に行くちからをもっているのに、「これをすればこういうことができます」と設定することでむしろそこまでで留まらせてしまうような・・
それてしまいました、戻します。
僕の息子は保育園で1歳10ヶ月くらいからそろそろおむつとりませんか?みたいなことを言われました。(もうね公立のくせに勉強不足で考え方が古いんです・・・)まあ、やって出来なくはなかったでしょうが、その段階ではずしてしまっては保育園で生活している日中「おしっこいけ、おしっこいけ」をたくさんいわれて性格形成にプラスにはならなかったと思います。
なんとか引き伸ばして2歳4ヶ月頃にはずしました。そこからは早かったです。日中で失敗することは遊びに夢中になってしまった数回くらい。夜寝ているときにもらすことは何度かありましたが2歳半くらいでほぼ失敗することはなくなりました。その後は寝ていてもおしっこでるときは起きてトイレへいけるようになりました。結果的に排泄の自立も早くなり、心もまっすぐに育てたと感じています。
エリクソンが言うように「排泄の自立」は「心の自律」と密接な関係があります。
排泄が無理なく自立できることで、母親から独立した「個」というものを獲得します。
おしっこができることで人間として自信をもって生きられるようになるのです。
なんかすごくオーバーなことのように聞こえるかもしれませんが、まさに事実です。
最後にあまりにトイレットトレーニングに厳しすぎる保護者にする話を紹介します。
もう、10年以上前になるでしょうか神戸であった「小学生猟奇殺人事件」の話を覚えているでしょうか。「サカキバラ」の事件です。小学校の門の前にこどもの切り取られた頭部が置かれていたという事件です。口にはこどもの字で「サカキバラ」と署名された犯行声明らしきものがくわえさせられていました。
この事件、未成年者の犯行だったのであまり詳しくは報道されませんでしたが、その後裁判資料が公開されました。生い立ちについて詳細に調べられたものです。それによると、親による過度のしつけがありました。
それは、その男の子が1歳になるかならないかくらいのとき、トイレに座らせたらたまたまタイミングがあったのでしょう、きちんとおしっこがでてしまったのですね。それ以来、親はトイレでさせようとしつけ始め、失敗したときは玄関の前に正座させたり(家の外側ですよ)、言葉で責めたりを繰り返しました。そういう状況ですのでうまくいくはずもなく、そうとう自立するまで時間がかかりました。
小学校に入る頃には表情も、感情を表すこともない子になっていました。大好きであるはずの母親からはずかしめされつづけるのです、生きていくためには心に殻を作らなければなりません。
唯一、心が動くのは何者かを支配するときだけ。ずっと支配され続けてくるとこうなるみたいです。
初めは虫などをつぶしたり、そのうち学校でかっているうさぎやニワトリをいじめ、殺すようになっていきました。そして最後には人を殺めるようになってしまったのです。
これは極端な例ですが、排泄の自立が人格に大きな影響を及ぼした事実です。
しかし現実に、母親も義母にオムツのことなどいわれてプレッシャーになり、必要以上にこどもに強くあたるなんてことは少なくありません。でも、人間としてこんな最初の段階でつまづくとそれ以降も大きく後を引くことになります。それを修正するのは並大抵の努力ではできなくなります。だから、こんな脅すようなこと言いたくはないのですが、あまりに厳しいと思われる方には個人面談などでお話してきました。
余談ですがその後、神戸の男の子は触法少年の施設に入り全国から選抜された3人のエキスパートがチームとして矯正を手助けしたとのことです。人間に対する信頼感もなく、感情もこわばってしまっているので会話したりすることもできず、来る日も来る日もキャッチボールをして人間に対する信頼感を作るところからスタートしたそうです。
相変わらず、長文のくせに脱線も多くうまく伝えられなかったような・・・ごめんなさい。
具体的なことで質問とかあったらコメントなどで聞いてください。出来る限り答えられたらと思います。
今日も読んでくれてありがとう。
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● COMMENT ●
No title
Re: No title
エリクソンの発達心理学は、段階をきちんと分析しているところがすごいので、ほんとは前の段階もきちんと説明しなければならなかったのだけど、今回の排泄のところでは長くなるので省いてしまいました。
順序が逆になっちゃうけど、こんどまた紹介しますね。
エリクソンは子育て一通りしてから読むと、あ~そういうことだったのか~って、すごく納得できます。
あれ、子育て一通りおわってからじゃ遅いじゃん!(笑)
No title
ヒッチーさん
こんな時はどうされますか?
排泄について書かれていたので、お聞きしたいのですが…。
この4月から幼稚園に通い始めた下の子供。
上の子供の時にトイレトレーニングは早~くから頑張るよりも、本人のおしっこを貯める能力がついたところで始めた方がスパッといくというのを経験していたので、下の子も同じように始めスパッと終了しました。
家でも外出した時も自分でおしっこ~と言ってトイレに行きます。
…が、幼稚園は全く別の世界(?)らしく、幼稚園ではトイレに行けません。本人曰く、先生に言うのも、幼稚園でトイレに行くのも恥ずかしいのだそうです。
幼稚園以外では自分でトイレに行くので、本人の中にある何かのハードルを乗り越えれば幼稚園でもトイレに行くようになるんじゃないかな~?と思っているのですが、こういう場合はどうされますか?
ちなみに今のところは「家は上手にトイレ行けるから、幼稚園でも行けるよ。お母さん○○くんが幼稚園でも行けるようになると嬉しいな!」と地道~に伝えて見守っているところなのですが…。
子育てかーちゃん さん
>
> 幼稚園以外では自分でトイレに行くので、本人の中にある何かのハードルを乗り越えれば幼稚園でもトイレに行くようになるんじゃないかな~?と思っているのですが、こういう場合はどうされますか?
>
> ちなみに今のところは「家は上手にトイレ行けるから、幼稚園でも行けるよ。お母さん○○くんが幼稚園でも行けるようになると嬉しいな!」と地道~に伝えて見守っているところなのですが…。
こういうことってね、けっこうあるんですよ。
排尿の自覚がはっきりするようになっても、環境の違いによってなかなか安心して、排泄できないっていう気持ちがあるようです。
もちろん、性格的にはずかしがりだったりすることなんかも合わさって、意外と多いんですよ。
恥ずかしいという感覚だけでなく、排泄するときってなんか無防備になるというか、不安になるとでもいうのかな、家以外の場所では安心できず行きたがらない感じみたいですよ。
おしっこはできるようになっても、大きいほうは家でないと出ないなんてのもよくあるでしょ。大人だって家でするほうが安心してできるよね。
うちの子も3歳なるくらいまでは、保育園でしないわけじゃないけど、やっぱり家でするほうがいいみたいで、保育園から帰ってくるとまっさきにトイレにいってたくさんのおしっこする、なんて時期がありました。
だからね、特に心配するようなことでもないと思います。
そのまま見守ってあげればいいかな。
アプローチするとしたら、そのことについて強く言ったりするよりも、生活の様々なところで自信をつけてあげるような関わりをたくさんしていけば、幼稚園にいるときもだんだんと自信をもって過ごせるし、結果としてトイレにも少しずついけるようになっていくかと思います。
幼稚園にいっているということは下のお子さんは3歳かな?
コメント読んだ限りではそんなところですが、もしかして他にも性格的に極度のひとみしりとか、引っ込み思案、無口なんてことがあるかな?
そうでなければ、それで時間とともにできるようになっていくと思います。
もし、性格的になにかそういったことがあるならば、長引くかもしれないけど基本的にはおなじ対応です。
ただ、場合により難しいこともあるので、そういったことがあればまたコメント下さい。
ありがとうございます(^_^)
>排尿の自覚がはっきりするようになっても、環境の違いによってなかなか安心して、排泄できないっていう気持ちがあるようです。
なるほど~やっぱりそうですか。
性格的にはずかしがりだったりすることなんかも合わさって…というのも納得です。
>幼稚園にいっているということは下のお子さんは3歳かな?
>もしかして他にも性格的に極度のひとみしりとか、引っ込み思案、無口なんてことがあるかな?
はい、3歳です。
極度のひとみしりとか、引っ込み思案、無口というのはないですが、どちらかと言うと男の子の割には穏やかというか、ちょっと恥ずかしがりやなところもあります。例えば並ぶ時なんかは人が並ぶのを待ってから後ろについて並ぶような性格です。
>アプローチするとしたら、そのことについて強く言ったりするよりも、生活の様々なところで自信をつけてあげるような関わりをたくさんしていけば、幼稚園にいるときもだんだんと自信をもって過ごせるし、結果としてトイレにも少しずついけるようになっていくかと思います。
「強く言ったりするよりも、生活の様々なところで自信をつけてあげるような」というのは、トイレについてはあえて触れず、生活全般の中で自信をつけてあげるようにする…ということですか?
家で幼稚園のトイレについて触れて自信をつけてあげた方がいいのか(…と言っても、家では普通に出来ているし、幼稚園でのトイレの様子は何となく程度しかわからないので、今みたいな感じで励ましつつ、見守りつつで良いのでしょうか?)それともあえて触れない方がいいのかが迷い所で。
子育てかーちゃんさん
>
> 家で幼稚園のトイレについて触れて自信をつけてあげた方がいいのか(…と言っても、家では普通に出来ているし、幼稚園でのトイレの様子は何となく程度しかわからないので、今みたいな感じで励ましつつ、見守りつつで良いのでしょうか?)それともあえて触れない方がいいのかが迷い所で。
↑ごめんなさいそのあたりもうちょっとはっきりと書くべきでしたね。
トイレのことにまったく触れてはいけないということではないですが、あまり過度に親が気にしてしまうと、特に性格の穏やかな子はよけい抵抗感を感じてしまうということも多いようです。
その辺は、こどもの性格などによりけりなので、はっきりしたことは言えませんが、「きょうもトイレいけなかった」と言われたときには励ましの言葉よりも「あ~そだったの。まあそのうちできるようになるさ~」くらい軽く流しておくほうが、こどもは気が楽になるみたいですね。
だから、トイレのことに触れてもいいのだけど、しつこくすると返って行きにくくなることもありますよ。
で、自信をつけてあげるというのは排泄以外のことでいいんです。
ごはんたくさん食べられたら、もちろんそれをいつもほめていると思いますが、「おかあちゃんとってもうれしいな~」と共感の気持ちをこめて、それも伝えてあげたり。
「今日はなにが楽しかった?」などいろいろ話をひきだしてあげたり、男の子だとあんまりはなしたがらないかもだけど。(笑)
なんでもいいんですよ。上手にブロックで作れたとか、ほんとになんでもいいの、それを言葉と気持ちで伝えてあげることがこどもに大きな自信をつけるので、穏やかだったり恥ずかしがりだったりするのは個性だからいいんだけど、それでもそういった自信が、いろんな物事に対する意欲や積極性を生むので結果として、排泄にもつながることでしょう。
とりたてて極度の引っ込み思案とか無口とかでないならば、基本的には見守ってるだけで時間が解決してくれますよ。
ありがとうございます(^_^)
再質問にお返事いただきありがとうございました。
お返事の内容を読む限り、自信をつけてあげることとか、普段通りで大丈夫のようなのでこのまま見守っていきたいと思います(^_^)
ありがとうございました。
トイレ悩んでます
寝る前のトイレのみ習慣で行けますしが、それ以外はオムツなので声をかけても「行かない」と言われオムツに排尿しています。
保育園では気分がのると先生がすすめるとパンツを履くことができ、
そのまま家に帰れば、タイミングがあえばトイレででき、漏れずに
寝るまですごすこともたまにあります。
ただ、家でも保育園でも自分から知らせてくれることはなく、
誘えば行くといった感じです。
何よりも、家でかたくなにパンツを嫌がります。
よく、いつまでもオムツにしているからだめ、濡れてもパンツで。
といった意見を耳にしますが、泣いて嫌がるのを無理やりはかせるわけにもいかず。
去年に叱ってしまったのがいけなかったのか・・・と後悔ばかりです。
「びしょびしょになるからいや」といい断固拒否です。
「濡れてもいいよ」と言ってるのですが・・・。
どうやらおしっこ出るのはわかっているみたいなんですが、
オムツのときはもうそこにすれば楽なのか気にせずしてそのまま
ずっと替えなくても気にならないみたいです。
もうずっと保育園なのでよく、集団生活になれば、や他の子に刺激
されて、とかは期待できないですし。
とても甘えさせているとは思うのですが、まだ足りないのでしょうか?
いろいろと自分でやりたがる、できるようにもなっているし、言葉も
遅めながらいろいろと話せるようになりました。
ただ、人見知りが強く、環境の変化にはとても緊張したりする
し、マイペースではありますが。
まだオムツでもいいのかな、とも思うのですが保育園のほかの子が全員とれているのと、保育園で週に1回通うことになるスイミングに
一人行けない(プール大好きなので)のはかわいそうかな、と思うと焦ってしまいます。
まとまりなく長くなってしまってすみません。
お時間ありましたらアドバイスお願いします。
アカママさん
パンツを嫌がるとのことですが、受容がたりないといったことではなく、おそらくは失敗した時に強く叱ってしまったことがいまの状況をうんでいるでしょう。
排泄の自立をする上で、失敗を強く叱ることはなによりも避けなければならないことです。
オーバーに言ってしまえば子供にとってそれは「存在の全否定」に近いものがあります。
子供は排泄の自立と同時に、人間性・自我の部分の心を成長させ確立させていっています。
それゆえに排泄の失敗を責められることは、自尊心を傷つけることにつながってしまいます。
なので今現在でも、自分の自尊心・心を守るために、排泄の失敗を極度に恐るようになってしまっています。
オムツにする分には失敗にならないので安心できます。
保育園でときどきパンツをはけるというのは、保育園ではもし失敗したとしても責められることはないと安心できるからかもしれません。
とはいえ、パンツに移行することにはモチベーションを見いだせないばかりか、嫌な思い出があるので積極的になれないでしょう。
正直に言ってこうなってしまうと、対応はとても難しいです。
確立までに時間もどうしてもかかります。
まずは親の方があせりを捨てることです。
子供が現状こうなってしまっているのは、一切子供の責任ではありませんので、親がむやみに焦って子供の心をさらに追い詰めてはなりません。それは追い打ちをかけるようなものですので、避けましょう。
あとは、子供の性格や、失敗を責められたことで受けた心理的ダメージの程度にもよりますが、その程度が軽ければ、
・親が排泄のことはいっとき一切忘れ、日々楽しく子供と接する
・子供のさまざまな様子や経験のなかで、たくさん認めたり、褒めたりすることを重ねていき自信をもたせる
ということを続けていき、それにより培われた安心感や自信から、排泄の自立につながるかもしれません。
それよりももっと、問題が深刻という場合は、上に加え
・失敗を叱ってしまったことを、あれは間違いだったと認めそれを子供に伝え、もう失敗しても決して叱ったりしないということを伝え、理解してもらうことが必要かもしれません。
まず、当面は親が排泄のことを一切気にしないということがとても大切です。
排泄のことを親に、優しくだとしても触れられることで自尊心を傷つけられたことを当人は否応なしに思い出してしまいます。
焦ったりする心が垣間見られたり、それを他の子供と比べたりしているのを子供が感じればなおさらです。
実際の自立までには他にも様々な働きかけや、成長を待つことが必要かもしれませんが、それは個別対応の領域ですので、具体的には僕からはなにも申せません。
とにかく排泄を一度忘れて、子供の全肯定を心がけていくようにするべきでしょう。
No title
半年程前に、このブログに出会い、
ブログ記事を1から全て読ませて頂きました。
辛かった育児が本当に楽しくなり、
このブログに出会えたことを感謝しています。
さて、おとーちゃんに相談にのって頂きたく、
今回初めてコメントさせて頂きました。
1歳8か月の娘がいます。
1歳から保育園に通っていますが。
言葉もよく喋りますし、意思疎通も出来ているほうだと思います。
先日、保育園の先生から娘が最近、トイレに興味が
あるようだから、トイレトレーニングをしてみませんか?
とお話がありました。
私自身、おとーちゃんのブログを読み、
まだまだ先でいいのかなと考えていたところでしたので、
どうしていいものか迷いがあります。
ブログを読んでいても、トイレトレーニングは性格形成にも
大きく関わってくるようですし。とても迷っています。
世間でいう、トイトレを始めるタイミングの条件はクリアしていますが、
それは一般論ですし、始めるタイミングがいまいちよく分かりません。
おとーちゃんみたいに、知識があるわけではないですので、
断る術も持ち合わせていませんし、先生は
先生なりの経験や知識もありますでしょうし、
ただ単に、早くなくていいのかなという
漠然な自分の考えだけでしたので、
どのように対処していいものか困っています。
確かに家でもトイレに興味はあるようです。
まぁ失敗しても、もう1度オムツに戻ってもいいかな。
という気持ちで1度挑戦してみようかとも思っていますが、
それって、失敗した場合、結局ずるずる長引くだけなような気もします。
こんな私にアドバイスいただけないでしょうか?
お忙しいところ申し訳ないですが、よろしくお願いします。
ありがとうございました
返信を読んで、去年の夏、子供の心を深く傷つけてしまったこと、
あらためて後悔です。
実は、ここに相談する前に、
「今までトイレのことたくさん言ってごめんね、無理にパンツにしなくても
いいからね」と子供には伝えました。
特に、厳しいのは主人なので、お願いなので決してオムツやおもらし
を責めないで、待ってあげて。ということを話し合いました。
ここ最近、オムツやパンツのことには触れずにいたところ、
突然、「パンツはく」と言い出しました。
もちろん失敗したあとは「やっぱりオムツ」となっていますが、
夜など「パンツでねる」と言ってみたりと、少しずつパンツをはきだしました。
本当によかったです。今回のことで、自分の子育てを顧みる機会になりました。
ほんと、子供のせいじゃないんですよね。
他にもいろいろな息子のよいところをたくさん受け止めていってあげたいです。本当にありがとうございました。
いっちゃんママさん
1歳になったとたんに、なにもせずとも自分からおまるにすわって出来てしまう子だっています。
なので娘さんも、今の時点でおむつをはずしてもすんなりと確立してしまうかもしれません。
そのあたりを保育士は能動的に判断した結果そのように伝えているのかもしれません。
発達にそぐわないのに早期にとろうとすることにはリスクがありますが、無理なくとれるのであれば別に早くにとれることはなにも問題ないのです。
ですが、過去記事に書いたように、早くに取ることが母親の甲斐性だった時代のなごりで、いまでも世間一般はもちろん、保育施設や保育士のなかにも、紋きり型に1歳何ヶ月になったら取らなければといった考えでしているところも少なくありません。
適切に発達段階を見極めてであればいいのですが、そのようにただ月齢だけで判断して「トイレの訓練」をしてしまうことでむしろ長引いてしまうことすらあります。
息子の保育園の同じクラスの子は、1歳8ヶ月~10ヶ月くらいからトイレットトレーニングをされたにも関わらず(されたからこそ)年長のときも夜はおもらししてしまうので、オムツをしていた子が3~4、5人いました。
その子達が今現在どうなっているか、全員はわかりませんが、そのうちの一人はまだ夜間はオムツが必要だということを聞きました。
僕の甥っ子も、別の保育園でしたが同様に1歳6ヶ月くらいからトレーニングを始めたけれども、小学校1年まで夜はおむつが必要でした。
おそらく昔ながらの考えでおむつ外しをしていたその保育士たちは、その子達がその年齢でも完全に確立できていないことが、自分たちが早期にトレーニングに駆り立てたことと因果関係があるとは考えていない・気づいていないと思われます。
そのへんを考慮なさったり、保育士と十分に相談して判断されるといいと思います。
ありがとうございます。
先生に話を聞いてみると、とにかくトイレに興味があって、
トイレに行く、お兄ちゃんお姉ちゃんを見て、
「なぜ、私は行けないのよ~~!!」
的な、態度を取るらしいので、
一度、挑戦してみては?とのことでした。
彼女の意欲?を摘んであげたいなとも思いますし、
私自身、頑なにならないよう、
先生にも私の意見をちゃんと話し、
トイレトレーニングを始めてみたいと思います。
ありがとうございました。
恐くなってしまいました
私は独身時代、保育士をしていて、今30才、1歳1ヶ月の息子がいます。
布と紙と併用しています。
母の勧めで、4ヶ月頃から、オムツ変えの時におちんちんがパンパンの時トイレに連れて行ってしています。
6ヶ月から、おまるも使っています。
習慣として、寝起きとお風呂の前だけおまるに行きます。
あとは、オムツの中です。
ウンコだけは、したくなると動きが止まり、私の顔を見て「んっっ」と踏ん張るので「でるの?」と聞いておまるに連れて行き出します。
出ない時はすごく嫌がるので、「はいはい、出ないのね」と、すんなり引きます。
最近、おむつなし育児というのがありますよね?
そんな感じに似てるかもしれません。
怒ったり、責めたり、逆に過大に誉めたりしてはいませんが、記事を読んで恐くなってしまいました。
オムツをはずすためとも思っていませんし、(一応保育士なので)今できるからと言って、いざ外すときにすんなりいくとは思っていません。
ですが、私のしていることは、「早すぎるトイレットトレーニング」でしょうか?
よろしければ、意見聞かせてください。
ぴよこさん
何人かやっている人に話を聞いたりしたのだけど、そもそもの「なんのためにそうするのか?」というところが、やっている人自身も明確に分かっている人がいなくて、「トイレットトレーニングではないんだけど、そういう育て方があるから」みたいな感じで、いいも悪いも僕にはよくわからないというところです。
中国ではいまでもわりと一般的で、日本でも田舎とかではかつてはそういうふうに、今よりはもっとラフなかんじでしょけれども、していたらしいですね。
かつては現代人が考えられないくらい、布とかが貴重品だったから、おむつなんかに使えない状況というのも普通にあったのでしょうね。
そういうところから来ているのかな?となんとなく僕なりに思いました。
排泄の訓練として、追い立てるようにしていないのならば、とくに大きな弊害もないかもしれませんが、かといってメリットがやっぱり僕にはよくわからないです。
よくよく、やっている人たちに話を聞くと、「あわよくば、トイレが早く自立しないかしら」みたいなところも実際あるようで、一日中排泄が気になりながら過ごすなんてことにならないといいんだけどな~とその時は思いました。
3歳男児がいます
すごく勉強になりますし、救われています!
さて、排泄の悩みなんですが・・・、オムツが取れずとうとう3歳になってしまいました。あまりトイレトレーニングを積極的にはしてなく、成長に任せようと思ってましたが、来年幼稚園だし、おしゃべりもできるし、おしっこの間隔も空いているので(まずは)オマルに誘うのですが、頑なに拒否です。トイレももちろん拒否。とにかくオマルやトイレに行きたがらないんです。
ウンチが出る時はわかるので、(無理やり)オマルに座らせて出たことはあります。「すごいね~~!出たね~!」とほめて本人も「やった~!」とうれしそうだったのですが、次の日からまたオマル拒否。「オマルでしない!オムツでする!」と言うのです。
私も無理やりオマルに座らせてもあまり意味がないんじゃないかと思い直し、最近ではウンチが出そうな時に「オマルでしようか?」と誘ってみるのですがやっぱり拒否でそのままオムツにしてしまいます。
なぜオマルやトイレを嫌がっているのか、そしてこのまま本人がオマルやトイレに行こうと思うまで待ち続けるべきなのかわからなくてコメントさせていただきました。
主人は楽観的に「周りの子がトイレでするのを見れば、そのうち行くよ。」と言いますが・・・。ちなみに周りの子(ほぼ同じくらいの月齢)もみんなまだオムツです・・・
今までの「関わり」が悪かったのかな・・・と色々反省してしまいます。
お忙しいと思うので、できればでいいです。アドバイスいただけたらと思います。
こなゆきさん
お手数ですがそちらをご覧になってください。
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私の友達でいい子育てをしているなって思っていた人がいるんですが、そこの子は親が心配するほど二歳頃の反抗期がなかったそうで・・・。
でも今考えると意思表示の尊重が十分されていたように思います。
あと、たっぷりの愛情と。
トレーニングパンツ(^^;)
思いっきり使ってます(-m-)ぷぷっ
布オムツ使ってるとカバーにさらしをセットしてってのが面倒なのとお洗濯した後にたたむ手間が省けるので助かってます~。
冬はなかなか乾かないですけど(^^;;
エリクソン、昔の教科書引っ張り出してきたくなりました。
ちょっと探してみます。
「サカキバラ」の生い立ちにそんなことがあったとは知りませんでした。
体の虐待と違って心の虐待は周りが気づきにくいですし、本当に深刻ですね。
身体的な虐待ももちろん心に与える傷は相当深いものがあると思いますが・・・。
熱心になるあまり心の虐待になっていることに気づかないこともあると思います。
他人事と思わず私も気を付けなくちゃいけないなと思いました。