トイレトレーニングって本当に必要? Vol.1 - 2011.02.10 Thu
いつのまにか頭の7割くらい考え事しながらすごしているみたいで、キャベツ切りすぎちゃったり、赤信号で歩いていっちゃったりね。(笑)
あんまり要領のいい頭にできていないので、コメントの返信とか相談されたこととかブログの更新とか時間かけて考えとかないとまとめられないんですよね~。
そのわりには一月の初めに「これから書こうと思ってること」みたいなの1つしか消化できていないことに気がつきました。
あれらのほかにもこれは書いておきたいなんてネタがけっこうたまっているんです。
「叱らなくていい子育て」のつづきとか「お箸のこと」とかね。
でも、新年度が近いという時期的なもので、「排泄の自立」がどうもクローズアップされているようなので、今回はその関連のことを書いていこうかと思います。
「排泄の自立」というと多くの人が「あ~トイレトレーニングのことね」と思い浮かべるのでしょうけど、この「トイレトレーニング」という言葉がどうにも危険な響きを持っていると感じるのです。
「トレーニング」って「訓練」のことでしょ。
そうするとこれを聞いた人って「トイレは訓練するもの」「訓練してできるもの」「訓練しなければいけないもの」と暗に考えてしまうと思うのです。
しかし、たくさんの子供を見ていて「訓練」してできるようになるとはどうしても思えないのです。
その発達段階に至っているならば訓練なんかまったくしていなくても出来るようになってしまうし、その段階にきていなければ、いくら「訓練」を積み重ねたところで出来ないものは出来ないのです。
そしてその発達段階に至っていないにもかかわらず、「訓練」を積み重ねることでさまざまな状態・問題を引き起こしてしまうこともたくさんみています。
なのでどうにもこの「トイレレーニング」という言葉、それによる世間に流布している先入観が心配でしかたがないのです。
「うちの子はトイレトレーニングをしたらきちんとトイレで出来るようになりました」という人ももちろんいると思うのですが、それはトイレトレーニング以前もしくは最中に子供の発達段階が自立できるべき段階に達したということであって、トイレトレーニングをしたことが自立に至った直接の原因ではないと思います。
「トイレのしつけ」なんていう言葉を聞くともう冗談抜きで恐ろしさを感じてしまいます。
「しつけ」という言葉は非常に日本人の中に美徳として刷り込まれてしまっているので、『目的は手段を正当化する』で排泄の失敗を叱ってしまったり、なじってしまったり、辱めてしまったり、そんな人格をつぶすようなことまで平気で(そしてそれを省みることもなく)行われてしまうのでほんとに怖いのです。
もちろん「トイレのしつけ」という表現をしているからといって、それの内容がすべて悪いものだというわけではないのですが、「訓練」にしろ「しつけ」にしろ先入観というものは時としてものをありのままに見せなくなってしまうのではないかということです。
一般的に「トイレトレーニング」はどんなことをしているのでしょうか。
例えば、「トレーニングパンツ」というものがあり、これは当たり前のものと受け入れられていますね。
「トレーニングパンツ」の目的は、
・オムツでないものをはくことで、排泄への意識を高める
・オムツとちがい濡れる感覚をわからせることで、排泄の自覚を持たせる
・もれてしまっても、染みとおりにくいので服や床が濡れない
といったことなのでしょうか。
おそらく最大の存在理由はまんなかの「濡れることで自覚させる」というものだと思います。
これを使う方はおそらく「濡れて自覚させるようにすれば、トイレですることを覚える」のだろうと思って使っているのでしょう。
しかし実際は、まだ発達段階がそこまで到達していない子だと、トレーニングパンツにもらしていても、そのまま遊んでいます。
段階がそこまでいってしまえば、オムツにしていたとしても「おしっこでた」と教えることもできます。
つまり、濡れたからといって排泄の自立が進むというわけではないのです。
「紙おむつよりも布オムツのほうがオムツがとれるのが早い。それは布だと濡れた感覚がしっかりあるからだ」なんて話も聞きますね。
これもトレーニングパンツを肯定する根拠(?)となっているような気がします。
もっともらしく聞こえますが、どうでしょう?
むしろ、布オムツを使うということは、オムツ換えの回数だけ考えても紙オムツの子に比べて少なくとも2倍~3倍は多くなります。
そのたびに、その子は大人からオムツ交換という関わり、人との交流をもらうのです。
暖かい養育者がそれをするならばその関わりの蓄積というのは、紙おむつの子に比べてずいぶんと多くなるわけです。
たかがおむつ交換ですが、
オムツが濡れることで泣く(という自己主張) → 「あ、おしっこでたのかな?」(大人の気づき、受容)
→ 「じゃあきれいにしようね」(人との関わり、ケア)
→ 「ハイ、これでさっぱりしたね。もう大丈夫だよ」(安心感)
こういったことを暖かくしてもらうことで、子供は自己肯定感を得ていきます。
その積み重ねたるやそうとうなものです。それが紙おむつに対して単純にみて3~4倍は多いんですよ。
受容や肯定的な関わりの経験が、子供の情緒・心をしっかりと育てていくことでしょう。
僕は「濡れる感覚」などというものよりも、こちらの要素のほうが布オムツを使っていると取れるのが早いという結果を導いているのではないかと思います。他にも布をにするというのは、それだけの手間を受け入れていたり、子供に手をかけてあげようという意思の現われだったりしますからね、そういった要素が布だと自立が早いに向かわせているのでしょうね。
(別にだからといって布オムツにしなさいと言っているわけではないですよ、誤解しないでね。何事にも利点欠点はあるのだから、自分に合うものを使えばいいんですよ。よい関わりは他にもいくらだって出来るからね、紙おむつを非難してるわけじゃないよ。うちもずっと紙だし~。)
ちょっとそれてしまいましたが、そんなわけでトレーニングパンツの必要ってないのです。
「トイレトレーニング」ってほかにどういうことをするでしょうか。
「時間でいかせる」というものなんかもそうですね。
「はじめのうちは1時間。感覚があいてきたら2時間で誘ってトイレへいきましょう」なんて書いてあるものがありますね。
これをすることでトイレでするという習慣、経験を身につけさせていくというもののようですが、僕からすると「はぁ?」です。
おしっこを溜める経験を奪ってしまうので、明らかに逆効果です。(その辺の理由は過去記事に書かれています)
これを続けると覚えるのは「しぼりだし」とトイレで遊ぶことです。
おしっこがたまったという感覚はないのに、大人が「ここでおしっこしろ」というので、いわれるままに「しぼりだす」のです。
これを続けていくことで、いくつになっても「いつおしっこにいけばいいのかよくわからない」という子が出来上がります。
早期から「トイレトレーニング」を始めたにもかかわらず、小学校に行ってもおねしょするなんていうのはこういうことも原因になっていると考えられます。
そういうわけで、この「時間で誘う」というのも意味のないことです。
まだ、排泄に関する知識の少なかった時代のなごりですね。今もまだ「常識」になっていますが・・・。
長くなってしまったのでまた次回~~。
むーちゃんメモ:「のりとしらすはむーのそうるふ~どだお」(むーちゃん談)
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● COMMENT ●
No title
オムツ外れは奥が深い
うちは、まだ一歳になったばかりなので、先の話しですが、排泄の自立とは奥が深いんですね。この話しを知らなかったら、トイレトレーニングしてると思います…。
排泄の自立関連のコメントでどなたかが、不出来な母親と思われたくないから幼稚園に入る前にトイレトレーニングを焦ってしてしまったというような事を書かれていて、その気持ちもすごくわかります。やっぱり、昔からの文化だから、周りからの圧力は相当なものですもん。特に専業主婦をしていたら、オムツはずれが遅い子=母親の怠慢みたいなイメージを持たれると思います。しかし、そのためにオシッコ搾り出しをさせられる子どもはかわいそうです。
エリクソンの発達心理学、「基本的信頼感の獲得」に関してはよく目にしますが、「自律性」に関しては知らなかったので、とても勉強になりました。とても興味があるのですが、専門書はきっと読み切れないだろうなぁー。
「お箸の持ち方」や「叱らない子育て」の続きも楽しみです。「叱らない子育て」の記事のお陰で実は私はかなり肩の荷が降りました。躾のためには、時としてビシッと叱る必要があるのではと、これまた、「叱る」文化にドップリはまりながら、違和感を感じていたので…。
新しい記事は楽しみですが、決して無理のないペースで。おとーちゃんファンは、過去の記事も何回も楽しみながら、気長に新着記事を待ちますので(^-^)/
あおむしさん
子育てってほんとに一人でできるものじゃないんですよ。
誰かがだれかをちょっとお手伝いしたら、その人がまた別のだれかをお手伝いしてっていう形で成り立っているものなんですよね。
昔は地域とか大家族とかが、そういうのを担っていたんだろうけど、いま時代がかわっちゃったかららね。
こんなネットとかがそれに少しだけ成り代わっているのかもしれないね。
まあ、僕がブログを通してできることなんてたかが知れているのだけど、少しでもお役にたてれば僕もうれしいです。
排泄のことで叱られてしまう子、けっして少なくないのですよね。
親もそのことで神経質になったりしますからね。でも、それでいいことなんてないのだけど、ほんと心が痛くなりますね。
kyomiu さん
子育てって考えてみれば当たり前のことなのだけど、結局はすべてがつながっているから、排泄の自立を考えなくたって生まれたときからの関わり、環境といったものがその後の育ちの要所要所で積み重なって現れてくるんですよね。
たしかに、いまだに日本の子育ての中ではかつての価値観が幅を利かせていて、現実とのギャップが出てきてしまっているようです。一般の人だけでなく、育児雑誌や保育所の保育士ですらそこから抜け切れてないのですから、難しい問題です。
子育てのうまいやりかたを言っている人はたくさんいるから、僕はそんな普通では見過ごしてしまうようなところに気づきを与えられるのが役目なのかなと思っています。
エリクソンは心理学の中でもわりとわかりやすい部類のようです。
原典はさすがに読んだら大変だけど要点なんかをまとめている本はわりとありますので、そういったものが手軽かもしれませんね。
「叱らない子育て」に対する関心はとても高いようなんです。
しかし、実はこれには落とし穴がぽっかり開いているので、僕が今年一番書かなければならないと思っていることでした。
しっかりまとめて出来るだけ近いうちにUPしていきますね。
コメントいただけると次も書いていこうって思えます。ありがとね。
No title
うちの娘なんですが、(3歳半)平気でトイレを6時間しません。
6時間は流石に体に悪いかなって思ってトイレに誘います。
それでも、自分から行くというのを待つ方がいいのですか?
たまにおしっこ!って知らせます。
わぶぞうさん
これはもうおむつはとれているけれども、自分でなかなかトイレに行こうとしないという意味なのかな?
おむつはとれたけれども、おしっこが溜まったという感覚が育ちきっていなかったり、その感覚が鈍かったりという子もいます。
また、子供の中には、遊びやものごとに集中していたり夢中になってしまうたちで、なかなかトイレのことを思い出さないという子もいます。
前者のほうは、時間の経過・成長と共に、そういった感覚もだんだんと強まってくるので、あせらずとも出来るようになります。
後者の、トイレにいくという意識が少ない子には、おっしゃるように長時間我慢していたりするのは身体のためにも良くないので、トイレのことをときどき思い出させるということを大人がしていってもいいと思います。
また、3歳以上ぐらいでそういう子には、僕は「健康のために我慢しすぎるのはよくないこと、我慢せずにときどき行くことも大事なんだよ」とお話をして、自覚的に意識するように促したりもします。
No title
娘は、後者の遊ぶのが夢中でトイレをしない方です。
一度、トイレのことを思い出すように
話しかけてみます。
参考になりました。ありがとうございます。
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一生懸命わたしの話を聞いてくださると言うだけで本当に救われる感じがしました
(大げさではないですよ~)
昨日はとても激しいイヤイヤのピークで、1日の大半を泣いていて、
「こんなんで心の健康とか大丈夫なのかな」と本気で思いましたが(笑)、
なぜか今日になってほとんどイヤイヤ言わなかったのです・・
日によってこんなに違うものなのでしょうか。もしかしたら、今までのはイヤイヤ期ではなかったのかな、とも思うのですが・・
ところで、トイレットトレーニングについては、わたしもいろいろと思うところがありました。
おしっこがたまる感覚が分からないと進まないと思うし、
だから、濡れる感覚だとか、時間ごとにトイレに行くとかって
あまり関係ないんじゃないかな~?と、なんとなくだけれど以前から思っていたのです。
それで、実際どうやったらいいのかなぁ、と思いつつも、
まあうちはのんびり屋だから、もっと後でいいわ、と思ってあまり気にしてないんですけど(^_^;)
たまに、タイミング悪くウンチをしちゃって怒られてる子を見かけるたびに
心が痛くなります・・
ウンチが出ることはいいことなのに・・と余計なお世話ですが、思っちゃうのです・・