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2024-03

トイレトレーニングって本当に必要? Vol.2 - 2011.02.12 Sat

最近はアクセス数とか全然気にしていなかったのだけど、おととい昨日と451、335アクセスもあり驚きました、きっとどなたかが紹介でもしてくれたのかな、ありがたいことです。

今日は前回に続きまして、トイレトレーニングについて見ていきたいと思います。



前回、発達段階がそこに達してしまえば出来てしまう子は出来るし、発達段階がいっていなければ出来ない子は出来ないのだとお話しました。

じゃあ、その発達段階ってどんなものなの?
となるのでしょうけど、これってほんとに全般的なものだし何ができたら排泄もできるようになる、といった基準ではないので、これがこうとはお伝えしにくいんです。


それでもあえて一例をあげるとすると。
1歳であれ2歳であれ、3歳であれ、会話がかみ合わなかったり、大人からのアプローチがそのまま右から左へとぬけてしまったり、他児と自分のものの区別のなかったりする、他者との関わりにおいての発達段階がそういった未熟な状況の子は、まずどんなにトレーニングしたとしても完全な自立にはまだ至らないといえると思います。


そういった子でも「トイレトレーニング」させられている子は少なくありません。
素直に大人の言うがままにいくらトイレのトレーニングしても、この発達段階のままでいては排泄の確立はおぼつかないです。


別に発達がゆっくりだと良くないといっているわけではないんですよ。
それがその子の発達ならば時間をかけてゆっくり成長すればいいんです。

ただ、大人からの関わりが過保護だったり過干渉だったり、放任だったりしすぎて、発達段階を大人が押しとどめてしまっていることもまた少なくないのです。


3歳5ヶ月くらいで保育園に入園した男の子でオムツをしており、まったく排泄の自覚もなくダダモレな子がいました。
そのお母さんもそれなりに気にしていたのだけどわりとのんびり構えていらっしゃいました。

でもその母子の関わりを見ていると、着替えのときも子供はただ突っ立ってるだけで全部親が手伝ってしまうし、靴の脱ぎ履きまで自分でやろうとする前に親がしてしまう、食事も自分でする意欲が育っていなくて誰かに食べさせてもらうのを待つ、というものでした。

こういうのはもう「トレーニングが足りない」のではなく、親が過保護なために子供の全般的な成長経験を奪っており、それゆえに発達段階が「排泄の自立」のできるところまで至っていなかったということです。


この↑のケースはまだいいのです。
お母さんものんびりしてたからね。
でも、中には過保護過干渉などで子供の育ちを奪っておきながら、一方で「トイレトレーニング」に一生懸命な人もいます。


これをされると子供はつらいね。
どうしてもその子の持っている能力では出来ないことを要求されるわけです。
しかも、その能力を持たせないでいるのは、要求している当人なのですから。

それがさらに親が確立を望む年齢をすぎて、あせってきたりしてピリピリ・イライラした対応になってくると、子供はさまざまな問題を抱えることになりかねません。

自己肯定感の欠如、無気力、殻に閉じこもる、大人に対する不信、情緒不安定、イライラから暴力的になる、ストレスからくる指しゃぶり、チックなどなど・・・。


人々が「排泄の自立」のことを「トレーニング」「訓練」「しつけ」といったように認識している内はこういうことは今後もたくさん起こっていってしまうことでしょう。




こういった「早すぎたトイレトレーニング」によって子供に何らかの問題が引き起こされてしまった場合、ケースにもよりますが、一旦オムツに戻してストレスの無い状態で安心してすごし、その間に適切な関わりをしていくことで発達段階を引き上げたり、人間不信を解消していったりすることを提案することがあります。

以前書いた「排泄の自立」のところでも、<僕はトイレで排泄させようさせようと努力する代わりに、普段の生活習慣や遊び、会話、スキンシップなどをしっかりとやります>と述べました。

排泄を確立させるものは、「訓練」ではなくていうなれば、「日々の積み重ね」であると思います。


「2歳になったからトイレのトレーニングをすればよい」のではなく、それこそ産まれたときからきちんと相手を尊重した言葉がけをしたり、オムツが汚れても機械的・義務的にとりかえるのではなく、そこで意思を疎通させたり、おしゃぶりで子供の主張をふさいでしまうのではなくきちんと受け止め、刺激を受動的に受けるだけのおもちゃでなく、能動的に関われる遊びを提供していき・・・とそんな日常だれもがするような経験をめんどくさがらずにするというのが大切なことだと言えます。


今はいろいろな「子育て便利グッズ」みたいなものがでています。
この「便利」は親にとって便利なのですよね。そこで出来る楽は必ずしも子供の役にはたっていないかもしれません。

例えば、散歩や外遊びをするときにリードみたいなのをつけている人がいます。
ああいうのをしていれば、子供が公園から車道に飛び出したりすることを防げるというつもりで使っているのかと思いますが、それを使うことで本来なら伝えるべき「安全と危険」といった事柄や、そこで大人が大事なことだからきちんとわかってほしいという思いなんかを伝えずにきてしまっていますね。

この頃公園でリードまではいかなくても、子供の服のフードを後ろからひっぱって遊ばせているような人を多々見かけます。
子供が親の制止を聞かずすっとんでいってしまうからそうしているのかもしれませんが、子供にどうすべきか、どうしてほしいか親の気持ちをしっかり伝えないまま、たんに力で支配していれば、いつまでたっても人の言葉を聞き分けられる子には育てませんよね。

また、「公園に子供をつれて行くと必ず帰りたくないとゴネるからつれて行かない」 「買い物に一緒に行くと走り回ってしまうから、何かを買ってくれと駄々をこねるから、つれて行かない」なんていう話をよく聞きます。
たしかに親からすればそのときは「楽」をしてしまったほうがいいように思えるのかもしれませんが、こんな日々の一つ一つの積み重ねが子供の「育ち」を形成しているのです。

その積み重ねをはぶいていってしまうことが、「排泄の自立」では如実に表れてきてしまいます。


子供は一見ただ歩いているだけにみえる散歩なんかでも、大人には無い好奇心や感受性でたくさんのことを取り入れたり経験したりしています。
そんなことひとつひとつが、「排泄の自立」やさらにその先の子供の育ちに影響してくるということをぜひ知っておいてほしいと思います。


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● COMMENT ●

No title

私もトイレトレーニングという言葉には抵抗を感じていました。
他にも一人で寝られるようにするネンネトレーニングと言う言葉もあるということも娘が1歳くらいの時に知り、びっくりしたことがあります。
今考えると一歳の子とかに一人で寝られるようにトレーニング(ひたすらギャンギャン泣かせて諦めて寝るというのを繰り返す)するというのはありえないし・・・。

>僕は「濡れる感覚」などというものよりも、こちらの要素のほうが布オムツを使っていると取れるのが早いという結果を導いているのではないかと思います。他にも布をにするというのは、それだけの手間を受け入れていたり、子供に手をかけてあげようという意思の現われだったりしますからね、そういった要素が布だと自立が早いに向かわせているのでしょうね。

前回の記事でなるほど~と思いました。
濡れる感覚がわかるようになるから布オムツのほうが取れるのが早いと昔から母が言ってましたが、それだけじゃないんですよね。
今は布のそういうところを見直されて、布オムツを楽しむという方向でされる方が増えているようです。

子どもにリード、たまに見かけますが、犬みたいでちょっと嫌ですね・・・。
便利グッズ、確かに親が楽なだけなものが多いですね。

公園で帰らないといったときに付き合うエネルギーはすごいですからね~(^^;)
そんな日はこちらも帰ってからぐったりです(-m-)ぷぷっ
でもこういうひとつひとつの積み重ねを大切にして育てていってあげたいな~と思います。

日々の積み重ねですね♪

こんばんは。すっかり常連です(笑)
こんなに早く第二弾が読めてラッキ~です(^^)

記事の中でおっしゃってる「日々の積み重ね」ということ、まさにそうだろうなぁと思います。きっと、こういう日々の積み重ねが出来ていたら、オムツを外す見極めも自然にできるのではないかと思います。

と、言うのは、最近実感したことがあって。
一歳一ヶ月の息子は、最近では着替えの時に一部自分で出来るようになったんですよね。ロンパスの袖口を持ってやれば、手をスルスルーっと抜いて、自分の両手で頭を抜きます。前開きの服なんかは、前のボタンやファ
スナーを外せば自分で脱ぎます。
別に教え込んだわけではなく、着替えさせていた時に、手を抜こうとするので、やらせてみたら出来て、それから毎回するようになりました。出来た時に「すごーい。」と拍手するの
で、嬉しそうに毎回頑張ります。

この見極めが出来たのは、日頃から細やかに接するように、心掛けているからかもっ♪だから、この心掛けてを忘れなければ排泄の自立の時も上手く出来そう!とおとーちゃんの記事を読んで自信を持てました。あ、なんか自画自賛で感じ悪いですね(>_<)

でも、日々、細やかに接する事が絶対大切で、それが結果的に育児を楽にするものだと私は確信しています。

突然ですが、おとーちゃんは、シアーズ博士ってご存知ですか?アメリカの小児科医で11人の子どもを育て、その経験から「アタッチメントペアレンティンク」という育児方法を提唱しています。アタッチメント…というのは、日本語にすれば「密着育児」だそうで、赤ちゃんに寄り添い、赤ちゃんの要求にきめ細かく応えてあげましょうという育児方
法です。博士は「ベビーブック」という本でその育児法を著していて、私はそれを実践してみました。具体的には長くなるので割愛しますが、この博士の考え方がおとーちゃんと通ずるところが多々あり、そのやり方を実践した私は育児が楽しく、息子もとても穏やか育ち方をしているので、何だか自信満々なのです(笑)

う、何だか話がすこし逸れてしまいました^^;ごめんなさい。

「急がば回れ」ではないですが、便利グッズや目先の楽は、後々自分の首を絞めることになると思います。何より、そういうことに頼っていると、子どもがかわいいとか、子育てが楽しいとか思えなくなりそうで、ずいぶん損なのではないかなぁと思うのですが…。偉そげコメントで失礼しました~。

No title

まさに自分のことです(汗)
保育園のお迎え前に買いもの済ませたり、宅配ですませたり、
経験を減らしていると思いつつ・・・
面倒とか、面倒以前に「経験の機会を、という発想がない」とか。

また過去の記事にトラックバックさせていただきました。

勉強になります

二人の母です。

おとーちゃんさんのblogはかなり勉強になります。

なるほどな!

っていつも考えさせられます。

これからもよろしくお願いします。

さっちんさん

そのネンネトレーニングは怖いですね。
それは「大人に手をかけさせずに寝る子」になったのではなくて、「大人を信頼するのをあきらめた子」でしかないですね。
赤ちゃんのうちにそれをさせられて、まともな育ちをおくるとは思えないですね。

「大人の思い通りになる子」=「よい子」みたいな考え方だと陥りやすい構造なんでしょうね。


>公園で帰らないといったときに付き合うエネルギーはすごいです

わかります。でも実の親子だったら、どんな対応をするにしろ自信をもってそれをできれば、それなりにうまくいけるんですよね。
まあ、その自信を持って関わるというのが難しいところなのかもしれないですが。

kyomiu さん

>出来た時に「すごーい。」と拍手するので、嬉しそうに毎回頑張ります

↑これなんですよ。子育てっていうのはよい関わりとその積み重ねがあって成されていくんですよね。
でもなかなかいろんな現実から、多くの人が出来なくなってしまっているのですよね。

シアーズ博士はもちろん知っていますよ。
いわれてみて気づいたのだけど、なるほど僕の言ってることと似ているのですね。
きちんとシアーズ博士の本を読んだこともないし特に影響を受けているわけではないんです。
でも、おそらく子育てを客観的にみてきて行き着いたところが同じようなところだったのでしょうね。

それまでアメリカで子育てのバイブルとされていたスポック博士が時代にそぐわなくなってしまったのとちがって、シアーズ博士は研究も新しく、客観的、科学的、臨床的になされていて、とてもしっかりした育児本だと思われます。

「アタッチメント」を「密着育児」としたのは内容を汲んでの意訳なのでしょうね。
通常は「愛着」または「愛着形成」のことをさします。

おそらくアメリカでは一時期、放置育児みたいなのが主流になっていたことがあって、それにたいするアンチテーゼとして、ベビーに寄り添うこと、密着して子育てをすることの大切さを強調したかったのでしょうね。

kyomiuさんは子育てを心から楽しめていらしてすばらしいです。
多くの人がおなじように子育てを楽しめたらいいのだけどね~。

てんさん

でも、てんさんのところみたくこどもが三人もいると大人がことさら経験の場をつくろうとしなくたって、子供たちだけでもひとつの社会が構成されるので、一人っ子や二人兄弟にくらべて飛躍的に経験の機会が増えていることと思いますよ。
別に家事の負担を軽減しようとすることはわるいことじゃないですよ。その分あんな素敵なノートを描いていらっしゃるのだし。
てんさんの絵はいきいきとしてていいですよね。お子さんたちにとっても一生の財産になると思いますよ。

トラックバックまでしていただいて、ありがとうございました。

こめさん

こめさんはじめまして。
こんなブログですが読んでくださってありがとう。
これからもボチボチ更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。

今からでも大丈夫ですか??

はじめまして。
2歳5ヶ月の娘と6ヶ月の娘がいます。

今、お姉ちゃんのオムツをとろうと毎日やっています。
外出してるときやおじいちゃん・おばあちゃんの家にいるときは
自分から「トイレ!」って言って行くのですが、
家に帰ってくるとオムツにしてしまいます。

今日もオムツにばかりで、
私もイライラしてしまって感情的に怒ってしまいました。
怒ってはいけないとわかっていてもどうしようもなくなり
気づくと怒鳴っています。

そんなときこのブログを拝見して、
私が今日娘にしてしまったことにすごく恐怖心を抱きました。
今日だけでなく過去に何回か怒鳴ったこともあります。
これから気をつけていけば
まだ大丈夫でしょうか??
娘もまた安心して自立心を養っていくことができますか??


最近は、下の子にも意地悪をするようになったり、
思い通りにならないと叫んだり泣き方もすごいです。
毎日どうしたらいいかわからず悩んでます。

忙しいと思いますが、お返事いただけたらうれしいです。
文章が読みづらかったらすみません。

紙おむつの進化で・・

〈排泄の自立〉を読ませていただきました。
いつもながら、なるほどなるほど!でした。
4歳と1歳半の娘がいるので、上の子の「トイレトレーニング(やっちゃってましたね)」で大変だなーなんかうまくいかないなーイライラしちゃうなー・・・だったのでそれから調べたり自分なりに考えたのですが、紙おむつが高機能になったために排泄の意識っていうのが薄くなってるんじゃないかな・・と思ったんですが、そういったことはあまり関係ないんでしょうか。
昔は一歳代でとれていたのが今は三歳が目安、というのは昔が早く取ろうとしすぎていたのもあるかもですが紙おむつにも原因が・・?と思ったわけです。
どうでしょう?
AERAwithBABYで何度かおむつなし育児というものを紹介していて、(首が据わらない赤ちゃんからなるべくオムツの中以外で排泄させる、裸ですごさせる)それはトレーニングではなく赤ちゃんはオムツの中で排泄したいとは思っていないという考えから赤ちゃんの様子をママが感じてあげる・・というものです。それを知って下の子は小さいバケツをおまるにして1日に1回とか2日に1回とか排泄させて意識付けしてきています。これで早く、スムーズにおむつ外れてくれたらいいな!と思っちゃってましたー

それはぼちぼちと続けてきていますが、おとーちゃんのこの記事を読んでトレーニング的なことはせずにこの子の育ちを信じて待とうと思いました★
上の子にはほんとに知識のない母親でトイレトレーニングのことでも悪かったなーと、おとーちゃんのブログを読んでから(尊重してたつもりが、いいなりだったかなー、そしてもっとかわいい大好きって伝えるように)対応改善中です。
おとーちゃん流の子育てを誰もがみんな当たり前に知っている世の中になったらホントにいいなぁー

双子の実さん

>紙おむつが高機能になったために排泄の意識っていうのが薄くなってるんじゃないかな・・と思ったんですが、そういったことはあまり関係ないんでしょうか。

この紙おむつ・布おむつ的な考え方は、どこまで信ぴょう性があるのか今ひとつはっきりしません。
あるかもしれないし・ないかもしれない、影響ある子もいるし・ない子もいる、そんなところではないかと思います。

また、この記事で述べたように、濡れたのがわかるわからないということだけでなく、その周辺の環境・関わりなどの方が影響している可能性も大いにあります。

影響は皆無ではないにしても、それが「排泄の自立のメインの要素ではない」ということは言えると思います。

早期にトイレットトレーニングをさせられている子で、布パンツにしているから濡れているのがわかる状態になっているにも関わらず、それに全く無関心でいる子も僕はたくさん見ています。

そういう子たちはダダ漏れ状態でも、何事もなかったかのように過ごしています。



濡れることがわかることが、排泄の自立を促進するならば、この現実の事象とは相いれません。

それゆえに、排泄の自立が可能な発達段階に来ていれば、「濡れたのがわかること」は多少のきっかけにはなるかもしれませんが、「濡れることが排泄の自立につながるのだ」とは言い切れないと思うのです。

なので僕はトレーニングパンツの必要性も感じません。



>昔は一歳代でとれていたのが今は三歳が目安

これも色々な要素があります。
昔の方が今よりも、子供の生活経験が多かったので、今に比べると早めに自立に向かっていたということもあるでしょうし、

「一歳でとれていた」=「本当に自立していた」ではない、というのが実際のところだと思われます。


とにかく昔は「とらなければならない」が前提としてあったので、オムツを履かない状態にはするのだけど、実際は本当の意味で排泄が自覚的にわかってしていたというのではなく、おむつはしていないけれども、時間で行かせたりトイレへ大人が連れて行ったりすることで、結果的に「もらさない」状況を大人が作って、その間に排泄の自立ができる発達段階を迎えさせていたということではないかと僕は考えます。

いまでもこのことは同様にみられるからです。

なので、いまでもそうですが、昔は夜尿をする子が多かったです。

そういうわけで僕は早期に外すそうとすることは、返って本当の自立を遅らせていると思います。



オムツなし育児についても、しばしば聞くのですけれども、僕にはよくわかりません。
なので僕からは、いいとも悪いとも言えません。

「おむつなし育児はトイレットトレーニングではない」と言われます。
しかし、その話を聞いてそれを実行する人が

>これで早く、スムーズにおむつ外れてくれたらいいな!

と、ついつい思って実行してしまうだろう。そういう人が結果的には多くなってしまうのではないかと感じます。

それによって子供に余計なプレッシャーを与えていなければいいのだけど、と心配になってしまいます。


トレイトレーニングではないという主張はいいとしても、では何を目指しているのだろうか?
そのへんもあんまりよくわからないんだよね。

>赤ちゃんはオムツの中で排泄したいとは思っていない

そのところも本当はどうかわからない。たしかに野生動物はオムツをしないから、もしかするとオムツは不自然なものなのかもしれないね。

では、逆に

赤ちゃんは、排泄の頃を大人に見計らわれて、排泄を仕向けられることを心地よく思っているのだろうか?
という疑問も浮かんでくるわけです。

動物によっては、肛門を親に舐められて排泄を促されるということは哺乳類ではしばしば見られることなので、そういった感覚で赤ちゃんは捉えているのかな?

もうひとつの素朴な疑問は、では赤ちゃんにオムツの中でさせることは、なんらかのデメリットがあるのだろうか?

ということです。

赤ちゃん自身がオムツにすることを不快に思っていて、なおかつそれでなんらかの悪影響をその時期やのちのちにまで残している というのであれば、おむつ以外の方法を積極的に模索する必要というのもあるかもしれないけれども、とりたてて顕著なデメリットがないのであれば、もしくは「オムツなし」に顕著なメリットがあるのでなければ、別にオムツでもいいのではないかな~。 とついつい思ってしまうのです。

なんとなく、早期にオムツはずしで神経質に子供に関わって、結果的に子育てを難しくしている人をたくさん見ているので、どうしても不安要素がぬぐいきれないのだよね、僕としては。

子育てにはいろんなブーム・新説が現れてはいつの間にか忘れられていくものも多いので、そのひとつかもしれないし。

そういうわけで、よくわからないのでオムツなし育児を否定するわけではないけど、積極的に肯定はしないというスタンスをとっています。

丁寧な回答をありがとうございます!

そうなんですね、おとーちゃんさんにどうしても質問してみたくなってしまって、お忙しいでしょうに丁寧に答えていただいてありがとうございます。
おむつなし育児っていいじゃーん、と何の疑問も感じていませんでしたー。いろいろな育児方法を、あれもいいなーこれもいいなー・・と思ってしまいますがおとーちゃんがブログの中で何度もおっしゃっているように成長過程のその子そのままを受容して、共感や尊重することがまず第一ですね。
おむつなし育児(といっても忠実にやっていたわけではなく超自己流だったんですが)は私にとってはメリットがあったかなーと(裸で過ごしてても床にもらしても、まいっかーと思えたり、排泄の部分を喜んで過ごせたから)でも早くスムーズにはずしたいと思ってたところは、そうじゃないんだよと理解できて良かったです。
いや、半分くらいしか理解できてないかもしれないのでもう一度排泄の自立を読み返します・・!
ご意見聞けて良かったです。

排泄の手伝い方について

いつも楽しみに、時に考えさせられながら拝見しています。排泄の自律のカテゴリーに目を通したのですが、おはずかしながら具体的にどのように手助けを進めれば、いわゆる絞り出し式のトイレトレと区別化できるのかイメージできず…。もしよろしければアドバイスをお願い致します。 子どもの状況はもうすぐ二歳で、オシッコでる、ウンチでる、と7割位伝えられます。一度オムツをとると下半身は裸でいたがり(脱いでしまうことも!)ノーパンでいる間は自分でおまるにまたがり、又は小人用便座を付けっぱなしのトイレによじ登り、失敗しません。出来ると私もほめますが、子ども自身がとても嬉しそうです。私が今までやったことはおまるは用を足す物と教えたこととトイレを使いたがって危ないので小さい便座をおいたこと、できたらほめる、オムツ替えの時や着替えのついで、踏ん張っているのに気づいた時に声をかける位で、時間を見計らって声をかける、というのはまだやっていません。気になることは遊びやコミュニケーションの延長的な部分が多く、春から保育園なので保
育士さんはつきあいきれないよなー、怒られたら本人も可哀想だ
し…、ということです。

はじめてかあさんさん

「排泄の自立」カテゴリは「排泄の自立法」を目的として書いていないので、実は厳密な具体的な自立までの働きかけをきちんとかいていないのですよ。

上手く取ることよりも、排泄の自立にともなって心の成長や、排泄そのものの未発達を大人がさせてしまう、既製のトイレットトレーニングの考え方でその状態におちいってしまうことにならないように注意を喚起するというのが主な趣旨だったので。


で、コメントへの答えなのですが。

まず、「自立への見極め」はどうなのでしょうか。
トイレへの興味や、排泄の時間感覚などではなく、全般的な発達状況をしっかりと見てからトイレですることを考えましょうということは過去記事に書きました。その点はどうでしょう。



過去記事にもちらっと書いていたかな、トイレに対するモチベーションを大人が持たせてしまうと、トイレへ行くことを遊びにしたり、関わりの手段としてしまうことがあります。

このようになってしまうと、返って本当の意味での自立は遅れてしまうことがあります。


本当に溜まったことが知覚出来て、「トイレへ行きたい」というのと、大人の気を引きたいがために知覚がないのに、「トイレへいく」というのでは同じトイレへいくでも全然違います。


コメントからはその違いがわからないので、もし後者の場合であれば一度トイレのことはスッパリとなしにするのも手だと思います。


見極めるのはトイレで遊んでいるか否かではなくて、排泄の自立が可能な全般的な発達状況に到達しているかどうかというところです。
もし、それはできているがトイレで遊ぶ癖がついてしまっているというのであれば、それを習慣にしないような関わりをしていくといいでしょう。

「トイレでは遊ばないよ」「おしっこおわったら、お部屋で○○しよう」というような関わりを毅然としていくといいでしょう。
そしてその分遊ぶべきところで楽しくすごすようにすれば、トイレで遊んだりすることはなくなっていけます。

また、トイレを関わりとしてしまうなら、上と同様にトイレ以外のところで、くすぐり遊びなどをして楽しい関わりをするようにしていけば、それとなく改善していくことができるかと思います。






お返事ありがとうございます

コメントありがとうございました!お礼が遅くなりまして、すみません。あれから、まずトイレでの遊びを習慣にしないようにする関わり方を心がけています。「排泄の自律が可能な全般的な発達状態」を見極めるのは難しいので、ゆったり子どもとつきあっていればいずれ分かるだろうと信じて(^_^;)生活していこうと思います。

No title

はじめまして。2歳半になる一人息子を育てています。来春、幼稚園に入ります。
色々調べていて、こちらのHPに行き当たりました。是非相談させてください。
「排泄の自立」を読んで、しばし頭が真っ白になってしまいました。
ちょうど昨日あたりから、「そろそろトイレトレーニング始めなきゃな」と考えてて、とりあえず機嫌のいい時に1日1回くらいからトイレに座らせることからやるかな~、と思ってたところでした。そこでこちらの記事を読んで、どうしたらいいのかわからなくなってしまって。。。。。
息子は成長全般が遅い方だと思います。よく食べる子なので体つきはとてもしっかりしていますが、言葉はまだ不完全な単語をいくつか発する程度です。2語文は夢の夢という段階。でもこちらの言うことは理解しているようです。
トイレに関しては、絵本やDVDなどで意識付けをしてきた程度です。補助便座は用意していて、何度か座ったことはあります。ただ座るだけです。私がトイレに行くとよく付いてくるし、トイレで何をするかはわかっているようです。最近は、事後報告として「しーしー」とか「うんうん」とか言う事も時々あります。ウンチに関してはもじもじして教えることが多いです。
時々「トイレに座ってみる?」とか聞くのですが、拒否されることがほとんどです。なんとかなだめすかして座ってもすぐに降りたがります。大好きな車の絵のついたパンツを買って、「トイレでできるようになったらこれ履けるよ~」とかも言ってます。パンツ自体には興味があるみたいです。でも、いざ履かせてみたら嫌がってすぐに脱ぎたがりました。不安なのでしょうか。
これからどうアプローチしていけばいいのか、どんな言葉がけをしたらいいのかアドバイス頂ければありがたいです。昨日してみた、「とりあえず一回は座らせる」というのもなんだか間違ってるような気がしてきてしまって、今日はしてません。
すみません。長文になってしまいました。本当にどうしたらいいのか混乱してしまって。。。。
どうかよろしくお願いいたします。

雪さん

僕がこれまでに排泄に関して伝えたかったことの要点は、「焦らないこと」「どんな発達段階でも訓練さえすればできるというものではないこと」「排泄の自立には精神的な面も大きいこと」です。


具体的にどうすればおむつが取れるというようなことには、あまり触れていません。
なぜなら、それは子供一人一人がみな違うので、書いた通りにはいかないことのほうが多いからです。


ですから雪さんの場合も、お子さんの様子や発達段階を実際に目にすることができないという状況で、どのようにすればいいかということは僕からは具体的に伝えることはできません。


ただ、コメントにあるお子さんの様子からなんとなく感じるには、まだ排泄へのアプローチには早い段階にあるのではいかという気がします。


来春から幼稚園に入ることを考えそこまでにとするのであれば、あと約10ヶ月あるわけですから、子供に準備が整っていないようであればまだ焦って取り組まなくてもよいのではないかと個人的には思います。

排泄関連の記事にも書いてあるように、排泄は排泄そのものだけが大事なのではなくて、ほかのさまざまな経験・心の発達などが大切な要素となります。

もし、まだお子さんがその段階でないと感じるようであれば、普段の生活経験などをしっかりとつけたりしてあげることに力をいれてみるといいと思います。

No title

おとーちゃんさん、お返事ありがとうございました。

どんなお返事が来るかは、薄々わかっていたような気がします。
それでもあの時はなんだかパニクってしまい、相談させて頂きました。

幾つかの記事を読ませて頂いて、今は「受容」「共感」「脱過干渉」を
特に意識して子どもに接しています。
「助けを求めない限りは手伝わない」ということも、以前より意識しています。
トイレに関しては、1日1回はとりあえず座らせようということもやめて、たまに誘う程度にしました。未だにほとんどが拒否です。でも、発達がゆっくり目の子だし、何より本人のスイッチが入らないとどうにもならないと思うので、待ってみます。
ただ、やっぱりどこかで不安なんですよね。このままずっと拒否だったらどうしよう・・・・とか。

ちなみにおとーちゃんさんのお子様は2歳4か月で自立なさったそうですが、どのような声掛けやアプローチをなさったのでしょうか?いきなりパンツにしたりはしましたか?それぞれ違う子たちなので、同じようにいかないことは重々承知の上で、具体的にどのような過程を経たのか少しでも聞かせて頂ければ助かります。

雪さん

排泄については、他にもいくつも関連した質問がありますのでちょっとあとになりますが記事としてまとめたいと思います。

トイレットトレーニングではないのだけど、その中で具体的な関わり方についても触れてみますね。

おむつなし育児はコミュニケーションだと思ってます

こんばんは。
最近こちらのブログを見つけて、過去記事をコメントも含めて少しずつ読んでいます。

すでにコメントも2回しているのですが、おとーちゃんが「おむつなし育児についてはよくわからない」とおっしゃっていたので、経験談をお伝えしたくて、またコメントしています。お忙しいなかコメントを読むのも大変だろうとは思ったのですが、おむつなし育児がとても楽しかったので、是非お伝えしたくて!!

私がおむつなし育児をしていたのは、生後1ヵ月~6ヵ月です。
妊娠中に友人からおむつなし育児のことを聞き、本も読み、おもしろそう、やってみよう、と思って始めました。

・おしっこ&うんちしたくなると、赤ちゃんが教えてくれるらしい
・だったら、それに応えることができたら楽しいだろうな
という軽い気持ちで始めました。

スタートのきっかけは息子が泣いた直後におしっこをしていたこと。
もしかして、「これからおしっこするよ~」と教えてくれているのかな、と思い、泣いたらおまるを当てるようにしたら、おまるのなかでおしっこやうんちをしてくれるようになりました。

生後2ヵ月のころには、ほぼ百発百中で、息子からの「おしっこ」「うんち」の合図を100%聞き分けることができていました。毎日、昼間におむつにおしっこ&うんちするのは1回程度でした。
その頃には、すぐにそばに行けないときも10~20秒くらいだったらおむつでせずにおまるを当てるまで我慢してくれるようになっていました。

また、息子からの合図もだんだん変化してきて、はじめは泣いていたのですが、それに私がほぼ100%応えるようになると泣き声が小さく、泣き方も短くなりました。
(泣き方はおしっこ、うんちするとき独特の泣き方です。母親の私以外には聞き分けられませんでしたが。おしっこ、うんちそれぞれ違う泣き方です)
その合図にも慣れてまたほぼ100%応えられるようになるとまた合図が変化し、小さく「あ、あ」と言うだけになりました。「千と千尋の神隠し」の顔なしの声みたいなかんじです(笑)

自分の欲求がちゃんと伝わることがわかると、その欲求を伝える方法を省エネ化していたみたいです。省エネできた分のエネルギーを成長にあてるのでしょうね。

こんなふうに、「おまるで排泄できるように合図のあと我慢してくれること」「おしっこ、うんちの合図がだんだん省エネになること」から、「息子におまるで排泄させる」という行為は私の独りよがりではなく、息子自身も望んでいることだと感じました。

息子が合図を発してくれること、それを読み取り、応えることができること、それがとてもうれしく、楽しかったです。
おむつなし育児をしていたおかげで、排泄だけでなく、息子の発する合図全般に関してとても敏感に対応でき、これ以上ないほど幸せな毎日を過ごすことができたのだと思っています。

でも、年末年始で実家に帰省したことがきっかけとなって合図をうまく読み取れないようになりました。生後4ヵ月以降はおしっこ&うんちのキャッチ率が50%程度に下がってしまい、息子の欲求に気づいてあげられない自分にイライラするようになり、育児に対する自信もなくなっていきました。

そのとき、「おむつなし育児が原因でイライラして自信までなくすなんて本末転倒だ!!」と思い、ちょうど保育園入園の時期でもあったので、生後6ヵ月でおむつなし育児をすっぱりやめ、今(1歳11ヵ月)に至ります。

今は、排泄に関してはおむつなし育児の影響はほとんどないと思います。
でも、生後まもなくから息子と双方向のコミュニケーションができたことはとてもうれしく、息子にとっても私にとっても大きなプラスの経験だったと思っています。

ただ、おとーちゃんが懸念されるように、おむつなし育児をトイレトレーニングとしてとらえる人もいると思います。おむつなし育児の本にはトイレトレーニングではないこと、勘違いしないように、ということがしっかり書かれてはいますが。
本来のおむつなし育児はトイレトレーニングとは全然違うものであり、純粋に赤ちゃんとのコミュニケーションを楽しむためのものだと思います。

こんな親子もいますよ~、というお話でした。
これからも記事楽しみにしています!

ちゃしーさん

おむつなし育児について、そういうことだったのですね。

なるほど赤ちゃんとのコミュニケーションとしてというのがよくわかりました。

いままで僕の周りでやっている人や教えてくれた人でも、なんかそういうふうには伝わってこなくてなにを目指しているのかいまひとつよくわかりませんでした。

コミュニケーションならば納得です。

子育ての最初の段階で、どんなに小さくても意志や気持ちが通じ合うということを実感として理解できたらそれはおおきな子育てのメリットになりますね。

多くの人がどうしてもそういう部分が希薄になりがちですから。

教えていただいてどうもありがとうございました。

No title

おとーちゃんさん、こんにちは。
何度かコメントさせていただいています。
体調がすぐれないとのこと。風邪はもう大丈夫ですか。

そんなときにコメントすみません。
お時間あるときにお返事いただけたらと思います。

娘(3歳8カ月)のことなんですが、まだオムツがとれません。
春から幼稚園に入園予定です。
幼稚園からは、「オムツがとれていなくても大丈夫です」と言われていますが、あと2カ月でできることはないかなと思ってしまいます。

状況ですが、3歳前からトレーニングは始めました。
多分1年前くらいに御相談したことがあるのですが、以前の家がトイレが古くて段差がありトイレに行かせる機会がなかったので、小さいころにトイレを意識させることがあまりできなかったと思います。

2歳9カ月で新しい家に移ると、ちゃんとトイレを認識し、一緒にトイレ掃除をしたりしています。
春にパンツに興味を持ち始め、自分から「トイレに行く」とおまるに座ったのですが……、いまだオムツはとれていません。

春にトレーニングを始めようとしたのですが、最初はやはり成功せず、その後体調を崩し中断。
夏には、1日中布パンツで過ごさせたこともあります。(よくないのかもしれないですが)
そのうち、今度はおなかの調子を崩して中断。
秋に通う予定の幼稚園に「オムツでもOK」、「寒いのでこれからは無理しなくてもいいですよ」と言われ、それからは毎日トイレに誘うということはしていますが、なかなか進みません。

今までおまるでちゃんとできたのは3回ぐらいです。
ウンチは「ウンチが出た」とか「今やってるからね」と言います。(トイレではしません。部屋でりきんでます)

毎日「トイレ行こうか」と誘うと「いや」と言います。
でもときどき「行く」と行っておまるに座ることもあります。そのときは「出た」と言って満足げに言いますが、実際は出ていません。

本人ですが、もうしっかりしゃべれますし、理解力もあると思います。
もう二人でふつうに会話しますし、自分の意見もちゃんと言ったり、いろいろなことを指摘したりもします。
ご飯もちゃんと自分で食べられますし、ちょっと早かったかもしれませんが、本人がすごく希望するので箸で食べています。
一人遊びも上手で、お人形相手に毎日ごっこ遊びをしています。

トイレはうまくいかないのですが、今までその他の事は自然に任せていたのでうまくいったのかなと思います。
オムツはずしも3歳まで待ったつもりだったのですが、こちらの期待を読みとっていやがっているのかもしれません。

最近は、「幼稚園で先生に教えてもらう前に、ママと一緒にやってみない?」と誘ったりしていますが、やっぱりうまくいきません。
最初の段階「トイレ行く?」で「いや」となるからです。
でもこの間自分でおまるに座ってるときに「前、じゃーって出たよね」と言ってました。

あまりよくないのかもしれませんが、もうすぐ4歳というのも気になってしまいます。
多分本人がその気にならないとできないと思うのですが、どういうアプローチをしてあげたらいいでしょうか。

友達の子どもさんにも何人かやっぱり幼稚園に行くまでとれなかったけど、どの子も幼稚園でとれたと言っていました。
でも、あとちょっとなのですが、何かできることがないかなと思ってしまいます。

おとーちゃんさんの
<僕はトイレで排泄させようさせようと努力する代わりに、普段の生活習慣や遊び、会話、スキンシップなどをしっかりとやります>
というところは、なるほどと思います。

今の状況でどういう対応がいいかアドバイスいただけるとうれしいです。
お忙しいところ申し訳ないのですがよろしくお願いいたします。

さくらさん

これまでのコメントも踏まえて、僕ができる最大のアドバイスだと思うのは、「子供を信じてどーんと構えましょう」ということです。

コメントからだけなので、実際のところは違うかもしれませんが、コメントから受ける印象としては心配をしすぎていると感じます。



幼稚園もオムツのままでもいいと言ってくれている、周囲の同様の状況だった人たちも幼稚園にいけばとれたと言っている。
しかしそれでもさくらさんはそれまでになにかしなければならないと感じてしまっている。


この記事自体「トイレットトレーニング」に意味はないという記事なのに、3歳前からトイレットトレーニングを始めたという。
子供の成長に見合わない排泄のプレッシャーは、子供の排泄以外の成長面でマイナスになることもあるという過去記事も読んでいるはずなのに8ヶ月以上もその変化のないトイレットトレーニングを続けてきてしまっている。


おそらくは僕が述べた排泄の自立に関する趣旨も理解しているのだろうけれども、それ以上に「心配」が大きくて結局のところ、僕がしないほうがいいと言っていることまでせずにはいられなかったのでしょう。




しかし、「心配」に駆り立てられて子供に対する親の行動というのは、たいていの場合子供にとってプレッシャーとなってしまいます。

勉強を「しなさい、しなさい」と言われれば言われるほどしたくなくなるのと同様に、プレッシャーをかけられると、子供はそれに反発をしたり「イヤ」と言うものなのです。




さくらさん自身の心情はそうではないでしょうけれども、子供の育ちにたくさんの「心配」をかけるというのは、行動の結果としては「その子の成長する力を信頼していない」ということになりがちです。


プレッシャーはたくさんかけられるのに、自分のことを信頼してもらえていないと子供が感じていたら、なかなか親の望むような成長を見せようという気持ちにはなっていけません。




排泄面において現状で僕がアドバイスできることはといえば、「焦りや心配」をいちどどこかに置いてきて、フラットなところから子供の成長を信じて見守るということです。
ほかには過保護・過干渉になってはいないかなどの点検もしてみるといいかもしれません。



お子さんはなにか身体的な機能の問題があるとかでなければ、かならずおむつなどとれます。
トイレットトレーニングなどしようがしまいが、20歳でおむつをしている人はいません。なにか問題があるのでなければ小学校1年生でもいません。
さくらさんのお子さんも必ずとれるのです。

おそらくは、これから幼稚園に入り集団の経験ほかたくさんの経験をするようになり、周りの子供たちの様子を見聞きする機会を得ることによって急速に自立は進み、おむつはとれることでしょう。


子供の成長する力を信じてあげることができずに、心配で埋め尽くしていったら返って子供が前に進もうとするところの足を引っ張ってしまうことになりかねません。
「心配」をたくさん持っている人は、子供の自立への援助というのをすることがなかなかできません。



さくらさんの子供への視点は、『子供は欠如体ではない』のところに書いたような見方に該当してしまっていると感じます。


排泄に関して言えば、その見方が子供の排泄の自立へ向かおうとするところを阻んできてしまった可能性もあると思います。


もし、なにかすることによって直接的におむつを外す方法というのを知りたいのであれば、それについては僕は知りませんし教えることもできませんので、ほかをあたってみてください。



おそらく、子供の成長を信じて、できないところでなくいい部分を見るようにして、おおらかに接していくことで、排泄に限らずほかの多くの部分で子育てを前向きにすすめる効果があるのではないかと思いますよ。

ありがとうございました

おとーちゃんさん、お忙しい中アドバイスありがとうございました。

アドバイス受けて、正直言ってちょっとへこみましたが、多分おとーちゃんさんにがつんと言ってもらいたかったんだと思います。
ちょっと補足しますといわゆるトイレトレーニングはしていません。
毎日「トイレいってみよっか?」で「いや」ならやめる、「行く」なら行かせるということをしていただけでした。

信じてみる、そうですよね。
焦りや心配を置いてくることが課題かもしれませんね。

今までこっちがやらせるつもりがないことは自然とできていました。
多分トイレトレーニングは私の気合を感じていやがっていたんでしょうね。ふー。

信じて待ってみます。
ありがとうございました。

ありがとうございます!

この記事をみた時は、我が子は赤ちゃんでした。その時は、ホントにトレーニングは必要ないのかな?と疑っていました…。でも、ずっとこの記事の内容が頭にあり、早くオムツを卒業させようと焦ることなく、子供のタイミングを待っていました。娘が2歳10ヶ月を過ぎたとき、自分からパンツを履きたいと言ってくれました。それから1週間もしないうちに排泄面が自立しました。心もだいぶ自立し自信に満ちあふれている様子。突然お絵描きが好きになり、子供にしか描けない生き生きした絵をダイナミックに描いては家族を喜ばせてくれています。

トレーニングを大人のタイミングでしてはいけないこと、子供を信じて待ってあげることの必要性を教えていただき、ありがとうございました。

少し横気味ですが・・・

いつも参考にさせていただいております。

ひとつだけ、
ネンネトレーニングが「ひたすらギャンギャン泣かせて諦めて寝るというのを繰り返す」
という内容であるかのように書かれています。

私が持っている本(外国の著者の翻訳版です)には、
「赤ちゃんを眠らせるために長時間泣きっぱなしにするようにとは、決していいません」と書かれてあります。
外国の方の意見ですし、欧米の住環境や文化背景が関係しているので、
このまま日本で流用するにはちょっと…、と抵抗ある方が多数いらっしゃるのは尤もだと思います。

しかし、核家族化が進み母親一人で面倒を見る時間が多く、
少しでも休む時間が欲しいと思う者にとってはこれも一つの方法であると思います。
それに、決して親本位で実行される方法では無い事が
きちんと本をお読みいただければわかると思います。
(泣かせるというよりは、日中のスケジュールを管理して夜寝られるようにするという感じで、多かれ少なかれ皆さんされていると思うのです。)
少なくとも私にはこの方法が合っていました。子供との相性が良かったというのもあるかもしれません、何回も、何十分も泣かせ続けた記憶がありません。

それを、おとーちゃんさんのように影響力のある方に
「まともな育ちをおくるとは思えないです」と一刀両断されてしまうと、
とても悲しく感じました。
お育ちの結果は20年位経たないとわからないとは思いますが、ネントレをしている者もその者なりの愛情のかけ方をしています。

リードについてだって、うちは子供一人なので使わないけれど、
年子で複数子いたりして駐車場で下の子供の乗せ降ろしをしてる間に
上の子がフラフラしてほかの車に轢かれるかも!
というような状況では使っても良いのではないでしょうか?
(もちろん何度も言って聞かせるのが大前提だと思いますが。)

とかく母親は大変な思いをしてナンボのような風潮には疑問を感じています。
夜泣きに夜通し付き合うのも、何が何でも手をつないで歩かせるのも
やりたい人・できる人は存分にと思いますが、やろうと思ってもうまくいかない人や
様々な事情で孤独な育児をしている人が
ツールを利用したりいろいろ研究してみてチャレンジしていることを
許してもらいたいと思います。

ちなみに、このネントレの著者はトイレトレの本も出されていますが、
子供には、その子なりのオムツがはずれる適切な時期があり
親と子供の両方が準備できているとスムーズに進められると書かれています。
おとーちゃんさんの考えから遠くないと思いましたがいかがでしょうか。

かなり前の記事について書き込んですみません。
お目汚し失礼いたしました。


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