叱らなくていい子育て その4 『叱らない子育て』と『叱らなくていい子育て』 - 2011.02.28 Mon
検索キーワードを集計していると、「叱らない子育て」というのが「早期教育」なんかよりもはるかに多いことがわかりました。
試しに僕も「叱らない子育て」で検索してみますと、ずいぶんたくさんの「叱らない子育て」が検索にひっかかりました。
専門家の人たちのところでは、僕がいっているようなことも少なくないのですが、一般の人が意見を寄せているような「知恵袋系」のサイトなどですと、「叱らない子育て」に対する反論がとても多いことに気づきました。
というのも、反論する立場の人が、「叱らない子育て」を「放任」や「過保護」なために叱らない親の子育てを指して使っている場合。
それから「叱らない子育て」を子供にいいこと悪いことの区別も伝えずに、やりたい放題させることと理解している親側の意見という、ふたつの対立になっているからです。
「叱らない子育て」という名目で議論されているこれらのことなのですが、これは実は「叱らない子育て」うんぬんではなくて、子供に社会のルールをきちんと伝えるべきかどうか、という別のお話なのですよね。
僕も社会のルールを伝えることはとても大事なことだと思いますが、この「ルールを守らせろ」と言っている人たちもその手段としていきなり「叱る」ということを持ち出してきてしまっている辺り、やはり日本の「叱る・しつける」文化にどっぷりつかってしまっているな~と感じさせられます。(まあ今回は話がずれてしまうのでおいておきましょう)
どうも「叱らない子育て」というと、こういったことを想起する方が一般には多いようなのですが、僕が言いたいのはこれとはまったく別の問題です。
なので、カテゴリのところを見てもらうとわかりますが、自分が言いたい「叱らない子育て」については『叱らなくていい子育て』という言い方をしています。
(ところどころくどくなってしまうのでてっとりばやく「叱らない子育て」と書いてしまっているところもありますが)
僕が現代の子育てをする人に知っておいてほしいと思うことは、子育てをするのに「叱って育てるのか」、「叱らないで育てるのか」というどちらかに偏ったお話ではなくて、「子育て=叱る」ではないということなんです。
子供を育てる上で、「叱る」ということは出てくるかもしれない、でも「叱る」前にやれることはたくさんあるということを知っていてほしいのです。
実際、乳幼児に対して本当に「叱る」必要のあることって実はあんまり存在しません。
例えば、こんなことをよく相談されたり、話として見聞きすることがあります。
1歳(2歳)の子がおります。
この頃、食事のときに面白がって食べ物をテーブルから落としたりするのだけど、やっぱりきつく叱ったほうがいいですか?
とか、
食事のときに食べ物を落とすようになったので、あんまりわかっているようには思えなかったけど、おしりを叩いて叱りました。
などです。
こういうとき、大体僕はこんな風にお伝えしています。
その子はなんらかの悪意をもってやっているのでしょうか?
もしそうならば、叱ることも必要かもしれませんが、おそらくは違うと思います。
そのくらいの月齢になると、つまんだり、掴んだり、また手を開いてそれを落とす能力を獲得します。
子供は能力を獲得すると、それを使ってみたくなるんですね。(2歳くらいでは投げる能力)
なにかそういう遊びがあればいいのですが、たぶんまだ満足しきっていないので、今は食事のときが一番それをやりやすくなってしまっているわけです。
食事のときは、「食べ物は大事なものだから落としたら困る」というお母さんの気持ちをしっかり、子供に伝えましょう。そのとき叱ったり怒ったりする必要はないんです。
でも、食べ物を落としたらイヤだというお母さんの気持ちをしっかり気持ちを込めて伝えてあげてください。
一方で、型落としの遊びとか、缶に積み木など落とす遊びを用意してあげましょう。
いまなら粉ミルクの空き缶とかたくさんでますよね。最近のは缶のふちで手をきらなくなっているので、あんなのに積み木を落とすだけでも、とてもいい遊びになるんですよ。
そうやって、落としたい気持ちを満足し、お母さんの気持ちも伝えていくことで、子供は食事を落とさないようにだんだんとなっていけるはずですよ。
これは一例にすぎませんが、乳幼児とくに小さければ小さいほど、子供の行動には悪意ではないなんらかの理由があります。
その行動が大人の規範にあわないからと、いちいち叱られたり、規制されていたらどうでしょう?
子供はそれにストレスを感じたり、ひねくれていったりしてしまうわけです。
「叱る」「規制する」ことばかりの子育てを選択してしまうと、大人も子供にとってもほんとうに子育てが大変になります。
そして残念なことに、叱られることをする子の行動の原因、それをず~~とたどっていくと根本的な原因は親のその「叱ったり、規制ばかりする」子育て姿勢にあることが少なくないのです。
つまり子供を「叱ること」の原因になっているのは、親自身がしている「叱ること」にあるという悲しい矛盾があるのです。
これでは親にとっても子にとっても救いがありませんよね。
でも、このことが本当に大きな問題なのですが、親がそういう子育て態度をとってしまうことは、その人に問題があるわけではなくて、「日本の子育ての持つ文化」にあるということなんです。
ある方が相談のなかでこんなことを言っていました。
「3歳までは子供は叩いてしつけなきゃだめ」と言われて自分では心苦しいのだけど、これまでそういう風に育ててきました。しかし最近になりお友達を叩いてばかりいる行動を見てこれではいけないと思うようになりいろんな子育てを模索していました。
こういうことって少なくないと思うのです。
おじいちゃんやおばあちゃんに、「しつけがなってない」といわれたり、「叱らなすぎだ、もっときちんとしかりなさい」と言われたり、無言のプレッシャーを受けたりしている人もたくさんいます。
そうでなくても、性格がまじめな人や、子育ての経験が浅い人にとっては、正しいことをさせるのが「子育て」なのだと考え実行する人もすくなくありません。
いまの日本の子育てのスタンダードな落としどころが、「子育て=しつけ」である以上、「子育て=叱る」から抜け出すことは容易ではありません。
適切な関わり方をしっていれば、子供はなにも叱ったりお説教をしなくたって、きちんとルールを守ったり、人に優しく出来る子に育てます。
「叱らなければルールを守れる子にならない」と考えている人は、言わせてもらえばそれは既成の子育て概念に縛られていて、子供の能力を過小評価していると思われます。
もちろん、周りの人が不快になるようなことを平気でさせている子育てが、良いなどと弁護するつもりはありませんが。
「叱らない子育て」とは「子供を叱ってしつけていく」のか「一切叱らないで子供の好きにさせる」といった問題ではなく、養育態度として安易に「叱る」を多用しない子育てなのだと知っておいてください。
僕が『叱らなくていい子育て』と言っているのは、その「叱らない子育て」からさらに一歩進めて、そもそもの子供は親に寄り添ってくるものだから、関わり方が適切ならばもともと叱る必要のない、子供本来の姿をみせてくれるということなのです。
具体的にどうするかというのは、これまでの過去記事にいろいろ書いてきました。
子育てって、いろんなことが関わってくるので、こうすればこうときっぱりいうことってなかなかできません。
また、子供の姿は今だけで決められるものでなく、小さいときからの積み重ねがあってなので、もし変えていこうと思っても、すぐその姿が現れるものでもありません。
でも、子供には大きな柔軟性があるので、大人の関わり方を変えれば必ず、良くも悪くもなるものだと思います。
一応、これまで書いた記事の中で関連のところをあげておきます。よろしかったら参考になさってください。
関連:「過保護・過干渉についてとても高い関心が寄せられています」
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● COMMENT ●
風邪と花粉症 お大事に
No title
今回初めてコメントさせていただきます。
もうすぐ二歳になる娘がいます。
おとーちゃんさんのおっしゃっていることで本当にいつも救われます。
しつけ=叱る の概念は根強いですね。 実際迷いながらも子育てに奮闘しているママにとって周りの無言のプレッシャーや批判は本当につらいです。
こちらのサイトを拝見するようになって、いつも心にとめていることがあります。
●言い聞かせる時は分かって欲しいという思いをこめて話す
●子供からのリアクションは大人の三倍の時間待つ。
●普段なんでもないときのスキンシップを大切にする。
まだまだあるんですが今回の記事を拝見して、やっぱり大切だよな~と思ったのが特にこの三つでした。
叱ってしまいがちな場面で役に立ちました。
先日郵便で届いた大切な書類がありました。
それを娘がクレヨン片手に奪っていきました。「ちょっと!!だめっ!!」っと言いたいとこでしたが、「それはね、おうちの大事なものなんよ。ママにちょうだい。」とゆっくり二回程言いました。 そして三倍(笑)待ちました。すると返してくれました。 「ありがとう。ありがとうね。」というとニコニコしてまたお絵書きに戻りました。
言葉はまだうまく出ないけど大人の言うことはなんでも分かってくれているのだと感じることができて嬉しくなりました。
そして最近こういうやりとりが増えてきたんです。
娘はまだ人見知りがあり、「愛想がない」とか「人見知りすると損するよ」とか心ないことを言われたこともありました。私自身もせっかく話しかけてくれてるのに申し訳ない・・・という気分にもなって「人見知りが残っててすみません」といちいち言っていました。
しかし娘はもう「ママが私のことで何かネガティブなことを言っている」と感じているのではないかと思い、そう言うのをやめました。
もともと人見知りが悪いことだなんて思ってもなかったですし、娘は内弁慶ちゃんなんだと受け止めると楽になりました。
すみません。少し話題それましたが、いつもバイブルのように参考にさせていただいてます。
お体に気をつけて、またいろいろご教授ください。
やはり厳しい保育士は怖いのか一喝すると静かになったり言うこと聞きますよね。
私も厳しいやり方の保育士からは「悪いことしたら怒ってね」とか
怒らない私に対して
「はぁ怒り役も疲れるわ」とイヤミを言われます。
実際この先生は恐くないからと子ども達からなめられているところもあると思います。
反面
何か困ることがあると訴えて来たりベタベタしたり「○○ちゃん先生大好き」「○○ちゃんも先生好き」「先生がい~い」とか子ども達が寄って言って来ます。
厳しい先生にはいうことはきくけど訴えてたり甘えたりすることはなく子どもが寄り付かないです。
私は怒ったり厳しくするのは賛成できないのですが…
なんせ大規模で1クラスの園児の人数が多く一斉保育で何をするにも一斉に行動しないといけません。
甘いと思われてどうしたらいいものかと思っています。
良かったらアドバイスお願いします。
kyomiu さん
実際そう思ってしまう人は多いですよね。
しかも首までどっぷり浸かっているから、そこからなんらかの問題が引き起こされていても、それが原因とは考えられないということも多いです。
おむすびのお話も全くそのとおりで、きちんと心を通わせて関わってきていればどんなに小さくても伝わるんですよね。
でも、頭でわかっててもなかなかそれを実行できないことも多いので、それが出来たkyomiuさんはなかなかたいしたものですよ、ほんと。
> まあ、息子と接する時間が圧倒的に多い私にアドバンテージがあるので、たまにやられる祖父母からの過干渉はそのままでいいかなぁと思ってますが…。「ダメ、ダメ」を連呼されると、息子より私が頭が痛くなってるのかもしれません(笑)
周りがどうあっても、ダントツに影響力が強いのは親しかも母親ですからね、周囲が多少過干渉とかだったとしても、親がしっかりしてればそれほど気にすることもないようですよ。
えりぃさんはじめまして
ちょっと風邪をこじらしてしまいこのところ寝込んでました、返信が遅くなりすみません。
娘さんもうすぐ2歳ですか。
もうだんだんと赤ちゃんから子供になってきてしまう時期ですね。
子供の成長ってうれしいけど、反面いつまでも小さいままでいてくれればいいのにっていう気持ちになりますよね。
子供のペースに合わせて待ってあげたりするのって、頭でわかったとしてもとても難しいことですよ。
僕のブログを読んでとおっしゃっていますが、なかなかすんなりできるものじゃないです。
それはひとえにえりぃさんの人間性とか心の余裕とかあってのことですよ。
そういうお話を聞けると僕も心がなごみます。
そうでないケースをたくさん見てきてしまっていますから。
人見知りのことだけど、そうしてもらえると娘さんは一番気持ちが楽になるでしょうね。
人見知りしてしまう子というのは、人一倍繊細にできているから人見知りするのだし、そういう子ほど人の心に敏感です。
「人見知り」っていう方向だけから見てしまえば、それは一見ネガティブなことにみえてしまうかもしれないけど、繊細で感じやすいというのは感受性が豊かだということだし、人の気持ちに敏感というのは人の気持ちを理解できる優しい心になりやすいっていうことなのだから、実はとってもいい素質なんだよね。
それを親がわかってあげるかそうでないかで、その子の心の育ちの方向はある程度違った向きにいってしまうよね。
えりぃさんがそれをわかってあげられるひとで娘さん幸せだと思います。
これからも子育て楽しんでくださいね。
きららさん
保育に対する考え方が違うと、批判的になってしまう人っていますものね。
それでもお互いのやり方を尊重しあえればいいのだけど、自分のやり方しか認めない人もいるからね・・こういう人と組んでしまうとそれはもうやりにくいよね・・。
でも、ひとはそれぞれだから違ってもいいのだと僕は思いますよ。
それぞれにいいところはあるのだからね。
自分のやり方がいいかわるいかは、子供たちが一番よく知っています。
子供たちと心が通じているのならば、そのやり方に自信をもってこれからも続けていっていいのではないでしょうか。
自分の保育を自信をもってやっていると、そのうち周りも文句いったりしなくなるものですよ。
そのためには良い保育についてこれからもしっかり学んでいけばいいんです。
なかなか現場に入ってしまうと勉強しなくなってしまうけど、また他のよいやり方が見えなくなってしまうけど、しっかり良いものを吸収しようとしていると、「あ~ぜんぜんちがうこんないいやり方があるのか」っていうことがたくさん学んでいけますので、いろんな本を読んだりしていくと自分の保育に自信をもって日々取り組めるようになっていきますよ。
一斉保育ひとつとっても、実はいろいろなやり方があったりしますからね。
保育士の仕事ほんと大変なこと多いと思います。そういった職場の人間関係だけでも大変だよね。
僕もずいぶん苦しめられたので良くわかります。
でも、くじけないでがんばってね。
子供は一番だれが自分たちのことを大事にしてくれてたかきっとわかってるよ。
お大事に
お辛い中、コメント返しありがとうございました。お大事になさって下さい。
いつも助けてもらっています。
初めてコメントをしますが、なんだか投稿がうまくいかず、これで大丈夫でしょうか?
いつもおとーちゃんさんのブログに助けられています。
書かれてから時間が経っているので、返事をもらえないかもと思いながら書き込みました。
お時間のある時にアドバイス頂けたら幸いです。
今2歳9ヶ月の女の子と9ヶ月の男の子がいます。
長女は7ヶ月の時から長男の妊娠がわかるまで保育園に通っていました。
そして私も妊娠を気に専業主婦になり、
長男が産まれるまでの期間だけでもゆっくり育児をしたくて、
長女とおとーちゃんさんがよく書いてらっしゃるスキンシップだとか、長女に合わせてのんびり過ごしたりしていました。
手のかからないというか、穏やかな優しい子で、保育園の先生やご近所の方からも可愛がっていただきていました。
今も基本はそんな感じなのですが、長男が誕生してから私も余裕がなくなり、イヤイヤもゆったり受け入れてあげられず、
言葉が通じる分(会話ができるようになったのが早かったので)どうしても余裕がない口調で長男と私のペースに合わせて行動させる事になっていってしまいました。
それに関しては娘には申し訳ないけれど、赤ちゃんかいる以上はしょうがない事だと割り切って接していました。
そして今、息子の生活リズムも食事も安定してきたので、次は娘に合わせてあげよう!と思ってるのですが、
気づけば、息子に叩く・蹴る・「だめー!」と怒鳴るなど、見ていて悲しくなる事が目立っています。
息子もちょうど後追いが始まり、娘のやる事にも興味津々で、後ろからついて行って、娘からしたら邪魔な部分は多少あると思います。
でも、それも姉弟ならではだろうと思うのでいいのですが、
叩く・蹴るをどうしたらしないようになるのでしょう。
息子が誕生した時はそんな事なかったのですが、私の余裕がなくなってきたのと比例して増えたのは確かです。
「してはいけない事」として教えたくて、叩いた手や、蹴った足を叩いたりもしました。
「叱る」ではなく「怒る」になっている時もあったと思います。
それでも、やはりやってはいけないという事は教えなくては!と、
その都度見てみぬフリせず注意してきました。
優しく言ってみたり、諭して?みたり、色々試してみましたが、
ドンドン増していき、最近は1日中「叩いたらダメ!はるくん(息子)痛いよ!さきチャンが叩いたりするのママは悲しい」と言っている気がします。
我が身を振り返れば自分は棚にあげてな部分もありますが、
どうしたら伝わるのてしょう?
時期でしょうか?
わかってないのでしょうか?
叱った時の反応は、言い訳したり、
ごめんなさいと言える日もあるし、目を反らしたりし逃げて行ったりしてしまいます。
仲良く遊んでたり、気分がのってる時は一緒に遊んでいたりするし、息子の存在は受け入れてると思います。
でも、なにかと不満や我慢はしているだろうし、
娘はあきらかにストレスがある様にも見えます。
どうすれば、叩いたらダメと伝えれるのでしょうか。
どうすれば元の温厚な娘に近づくでじょうか。
大変ご多忙とは思いますがお時間あるときに返事をいただにきたら幸いですm(_ _)m
さきとはるのママさん
子供は親からいい関わりをもらいたいのだけど、その方法がわからなかったり、べつの形でだしてしまったりします。
叩いたり・蹴ったりしてからそれにいくらうまい対応をしたところで、根本的なところは解決しません。
なのでそうなる以前に、つまり先回りして娘さんに良い関わりをしてしまうのです。
それには大人の側から働きかけるしかないので、大人の先回りが必要になります。
それができればだんだんと弟に当たるという行動は減っていけるのではないでしょうか。
結局そこが満たされなければ、「ママは悲しい」といくら伝えても、それが心の奥底に響くことはなかなかできません。
>「してはいけない事」として教えたくて、叩いた手や、蹴った足を叩いたりもしました。
↑これは昔の人はよくやりましたが、本当のところはこれで学習するのは「人を叩くこと」です。
また、劣等感や疎外感、自己否定感というものを大きくしてしまいます。
意味がないどころか、かえってエスカレートさせてしまうのでやらないほうがいいと思います。
先回りした関わりや受容がちょっとずつでも蓄積されていくならば、ほかに大きな原因がなければ、あとは時間が解決してくれるでしょう。
No title
息子の園をまだ迷っています。
いいなと思う園は、まさに「叱らなくていい工夫」をしてみえます。
ダメと言わなくて済むように環境を整えたり、できていない子に注意をするのではなくできている子を認めて周囲に気付かせたり…されてみえます。子ども同士のけんかもすぐに大人が入るのではなく見守ってくださるそうです。(すぐに「ごめんね」「いいよ」と言わせない。)ただし外遊びや自由遊びが少なく…子どもたちはおとなしい感じです。(穏やかなのでしょうか。)話しも感心するくらいきちんと聞いていました。
一方もう一つの園は、昔ながらの保育園です。先生は大きな声で常に指示をされてみえ、できない子には(皆の前で)叱ります。それが活気あるように見られ保護者の方は「ダメなことはダメと言ってもらえていい」「厳しさもあっていい」と言われます。そのかわり、外遊びや自由遊びが多く、子どもたちは園庭を走り回っています。確かに元気に見えます。(打たれ強くなっているのか、「穏やか」というより、声も大きく動きも大きく話す言葉も強く…たくましい感じもします。)
卒園後に生きる力がつくのは、どちらでしょうか。
私は前者の方が自己肯定感がつくと思っていますが、理不尽に叱られた経験がほとんどない状態で過ごす気がします。(家でもいらいらっとして叱られる経験はあまりないのではないかと思います。)
理解ある大人に囲まれて育つことについて…これは理想でしょうか。
それとも心配な面がありますか。
教えていただけると有り難いです。
No title
初めてコメントをさせて頂きます。
いつもおとーちゃんさんのブログを拝見し、子育て真っ最中の今たくさん学ばせて頂いております。記事を書かれてから時間が経っていますのでコメントや相談をさせて頂いていいのかな…と思いながらメールしております。
大変お忙しい中、恐れ入りますが時間に余裕がある時にアドバイス頂けたら嬉しいです。
私には今2歳1ヶ月の男の子がいます。2歳になったのを機にすんなりと卒乳したのですが、それを機に一日中「抱っこ、抱っこ」や「抱っこしてちょーだい」と何度も頻繁に言うようになりました。
抱っこ出来る時は出来る限りするのですが、家事をしていたり、手が離せない時に言われる時もあり、おとーちゃんさんの記事に書かれてあったように「今ご飯作ってるから出来ないよ~」「今洗い物してるからちょっと待ってね」など言っているのですが…
待つことが出来ないのか、すぐにかなりの大声で足にしがみついて泣き叫びます。
三輪車やベビーカーで公園に行った時も、たまに歩きたがらず、歩くの嫌、乗るー!!とすぐに大声で泣き叫んだり、歩いてても「お母さん抱っこ、抱っこ」と頻繁に言います。公園に来ているのに私としては、抱っこではなく一緒に歩いたり駆け回ったりしたいのですが…
こんな時は、おとーちゃんさんが書いて下さってたように「そんな怒って言われるのお母さん嫌だなぁ~怒らずに言って」や「もっともニコニコして言ってよ~」「落ち着いてごらん、泣いてたら何言ってるか分からないよ」と言うのですが、泣いてヒートアップして怒っている時は何を言っても泣き止まず延々と泣き続けます…
少し落ち着くと私の言ってる事を理解して「抱っこしてちょーだい」とヒクヒクしながら言ってる状態です。
泣き止むのは、抱っこした時にようやく泣き止むか、泣き続けて自分で納得したのか諦めたのかで泣き止むか、何か食べる?と聞いて食べ物やお茶をあげて気分をそらせて泣き止むかです。
卒乳する前は精神的に安心するのか、日中もおっぱいをくわえるだけでしたが抱っこしながらよくてあげていたので、止めてからそれがなくなって抱っこが安心するのかなぁと思ったりします。
こんな状態の時は求められるがまま抱っこしてあげた方がいいのでしょうか?子供の性格だと思うしかないのでしょうか?
毎日午前とお昼寝が終わったら夕方、一日2回公園に一緒に行って木の実を拾ったり、キャーキャー言いながら楽しんで遊んだり、くすぐり遊びをしたり、毎日大好きだよ~など愛情を伝えているのですが…スイッチが入ると大声で泣きわめくのです。
そんな事が頻繁にあるので泣き声をずっと聞いてると、私も正直イライラしてしまって可愛いと思えなかったり、言わないように気をつけてはいるのですが、うるさい!!と言ってしまう事があって後で自己嫌悪になります。
お互いの実家が遠く、夫も月半分は出張で家にいないため、家事育児はほとんど私で、自分が無理だと思った時にすぐ誰かに頼ったり交代したりバトンタッチしたり出来ず、自分が壊れそうになったり苦しかったりした事が沢山あります。
息子が抱っこを求めるのも寂しいとか不安とか、私の気持ちを察知して感じ取っているのでしょうか。
またおとーちゃんさんはどんなふうに掃除をしていつご飯作りをされていましたか?
ご飯の食べこぼしやほこり、遊びから帰ってきた後の砂などが多くて朝さっと掃除機をかけて、夜拭き掃除をしているのですが、掃除してる時でも一緒に遊んで欲しいと泣き叫びます。ご飯を作っていいる時も同じです。いつもお昼寝してる間に作ったり、出来なかった時は泣き声を聞きながら手早くご飯を作って一緒に遊んでいる状態です。
泣き止ませなくてはと焦ってしまって…こんなに泣くのは私がそうさせてるのかなぁと思ったりします。泣き声を聞くと本当に辛いです。
まとまりがなくて申し訳ありません。お忙しい中申し訳ありませんがアドバイス頂けると嬉しいです。
なつきさん
よく、ハングリー精神とか呼ばれるものもこれに近いものがあるでしょう。
たしかにそういうこともあるでしょうし、そのような美談もたくさん耳にします。
でも、それは本当に普遍的に機能しているのだろうか?
僕はそれに疑問を感じます。
実際は美談はまれな一例だけで、美談の影に、主人公がたんにやさぐれて転落してしまった物語が、幾倍もあるのではないか?
逆境をあたえそれを乗り越える力をつけるといえば聞こえはいいけれども、「貧すれば鈍する」で結果的にはちっともプラスにならないことも実際は多数あるのではないか と思います。
これは僕の個人的な考えに過ぎませんが、逆境を与えて育てずとも、自己肯定感をしっかりと育てていくことでそれらを乗り越える力が十分につくのではないかと信じて、子供たちには関わっています。
みなみさん
ご相談にあるようなことは、よくあることです。
いくつも同様の相談のコメントが寄せられていますよ。
うちの上の子も同様でした。
なので、心配しなくても大丈夫。
ある面では「時間(成長)が解決する問題」なので、あんまり「待ってられるようにしなければ」とか「ほかの子はそんなことないって聞くのに」などと、自分のこそだてが十分でないのではないかと気にしなくてもいいですよ。
今後のためにも、「子供を腫れ物に触るように接しない。考えない」ということを覚えておきましょう。
そういう子供の姿はあるがままを「今はそういう姿なんだ」と受けて止めてあげましょう。
いきなり「いい」「悪い」で考えないことね。
どう対応したって間違いではありません。
「いまはどうしてもやらなくちゃならないんじゃ~~い」うりゃーーと家事に邁進してもよし。
時間や余裕があるなら、「よしよし、じゃあ遊んであげよう」と相手をしてあげてもよし。
過去記事に書いたように、子供の「泣き(言葉)」を代弁して、気持ちだけ受け止めてあげてもよし。
>記事に書かれてあったように「今ご飯作ってるから出来ないよ~」「今洗い物してるからちょっと待ってね」など言っているのですが
こういうのも対応の一例ではあるのだけど、「言葉」だけ言えばいいというものでもなくて、それを伝える大人の心持ちというのも、とても重要なのです。
「こまったなーどうしてこうなんだろう」と思いつつ言うのと、
「ああ、疲れちゃって甘えたくなっているのね~そういうこともあるか~」と広い気持ちになって言うのと
では、子供に伝わるものは全然違ってきます。
夕方とかご飯前とかってお腹減ってたり、疲れてたりして理屈でどうにもならないこともあるしね。
生理現象だからね。どうしたって、それが満たされなければどうにもならないわけ。
そういう時はもう、泣いてたって気にせず「うりゃ~」ですよ。
それでご飯作って食べさせてしまう。
別に、「今日は昨日の残り物でいいか」とか思えるなら、「じゃあ今日は徹底的に遊んでやるかー」でもいいけど。
子供の「泣き」で大人がオロオロしたり、ひよったりを常習的にしていると、子供は余計に泣きで大人を自分に向かせるということを覚えてしまいます。
泣くことというのは、大人が考えるほど「悪い」ことではありません。
だから「泣き」に負けないようにね。
どーんと構えていればいいのです。
なにかアプローチしたいと思うならば、「先回りした関わり」を普段から心がけてもいいですよ。
それでそういうことが減るかもしれないし、程度が落ち着くかもしれないね。
全然変わらないなら、一時的な成長段階の特徴だったり、生理的な原因のあるものだろうから、あんまり気にしない。
「そんなに泣いている子は、くすぐっちゃうぞ~~」と遊びにして切り返しても楽しいよ。
最初はそれしても、あんまり変わらないんだけど、やってるとそのうち笑うようになったりするかも。
ほかにもいくらだってできることはあるんだよ。
例えば、掃除しているときは子供用の雑巾を絞って持たせてあげて、「じゃああなたはここ拭いてねー」とお仕事を与えて、できてもできなくても一緒に楽しむ。「手伝ってくれてありがとね」と褒めてあげると、モチベーションもあがるし、それを望んでするわけじゃないけど自立の方にもすすめるしね。
食事作るときなら、「じゃあ、あなたは味見係にしてあげるからね。」と椅子でも持ってきてそこに座らせて、きった野菜とか、出汁とかあげてみる。
味見だといつも食べない野菜も食べたりするから不思議だね。
いろいろ書いたけど、その姿を否定的に捉えさえしなければ、どうしたっていいし、どうにでもなるから心配しないで子供と関わってみるといいですよ。
No title
おとーちゃんさんのコメントやアドバイスは何よりも納得し、癒され、安心します。心の中にスッと入ってきて子育てって楽しいかも…と不思議と自然に思えました。
→泣くことというのは、大人が考えるほど「悪い」ことではありません。
だから「泣き」に負けないようにね。
どーんと構えていればいいのです。
おとーちゃんさんのおっしゃる通り、子供の泣きに対して早く泣き止ませなければ=悪い事と思ってしまい、オロオロしてたように思います。
→「こまったなーどうしてこうなんだろう」と思いつつ言うのと、
「ああ、疲れちゃって甘えたくなっているのね~そういうこともあるか~」と広い気持ちになって言うのと
では、子供に伝わるものは全然違ってきます。
このおとーちゃんさんのコメントは本当にその通りだと思いました。いつも「どうしていつもこう泣くのかな…他の人はそんなに泣かないって言うのに…」と思っていました。
でも今日の夕飯を作っている時もまた泣いて同じ状況だったので、どーんと構えて、「そういうこともあるか~疲れたのかな~」と「ちょっと待っててね~」とダーッと夕飯準備を済ませていると、理解してくれたのかそこまで泣く事なく少しの間待ってくれました。
おとーちゃんさんの言っている事は本当なんだなぁ~勉強になるなぁ~と痛感致しました。よく分からなかったモヤモヤした気持ち、スッキリしました。ありがとうございます。
これからもブログコメントで色々教えてください。
できたら早急に教えていただきたいです…
たくましく育てなければいけないと周囲から言われ、不安になっていました。
読ませていただき、やはり自己肯定感さえあれば、しなやかに生きていける気がしました。
ありがとうございました。
本当に申し訳ないのですが、もう一つ教えてください。
幼児期、「園の先生から受ける影響」はどれくらいでしょうか。
大きいでしょうか。
子どもにしてみたら、いくら先生がヒステリックに叱ってみえても、「子ども同士で過ごすことへの関心の方が高い」でしょうか。
それとも、やはり「認められる園」での毎日の力は大きいでしょうか。
(家庭が一番大切ということは十分承知です。)
先週末に保育園の運動会に行き、次のことがひっかかる私は、アンテナがずれているでしょうか。
・先生方の表情が険しい
・子どもも無表情の子の割合が高い気が。
・鼓笛。先生が前に立ち、最初から最後まで大声で「たんたんうん!」と言ってみえた。
・未満児。泣き叫ぶにもかかわらず踊り発表の運動場に連れてこられ、ずっと泣いていました。(仕方がないのかもしれませんが、本人は辛いなと思いました。)
・並ばせる時に、無言で腕をぐっと引いて列を整える。
・園児たちは、リレーでなく単発競技の時、友だちを応援する姿が(年中も)なく、皆、自分がおわると土をいじりっていました。
・お昼ご飯をはさんで、9時~2時まで競技。未満児さんは眠そうでした。
子どもの立場だとどうなのでしょうか。
(体操やダンス発表の子どもの表情は、自信に満ちていて嬉しそうでした。)
すみません。
同じような質問ですが、教えていただきたいです。
natukiさん
これはまあケースバイケース、子供の性格にもよるしね。
でも、多少のことであれば親が子供を理解し受け止めてあげることができれば、それにより大きく育ちが損なわれることもないでしょう。
うちの妻自身の話なのだけど、妻が子供の頃、妻の母も行かせたくはなかったのだけどよんどころない事情で有名進学幼稚園みたいなところに通うことになってしまって、
そこで、引っ込み思案で、早生れで幼いところも多かった妻は担任の先生に、目の敵にされてしまったそうで、なおかつその先生も問題のある人だったようで、ずいぶんと不当な仕打ちを受けたそうです。
それでも母親が、その先生に問題のあることも知っていたので、いろんなことを言われてもきちんと娘のことを受け止めていたそうです。
それがあったから、嫌だったけどなんとかがんばれたとのことです。
避けられるならわざわざそんな環境に小さい子供をおく必要もないけれども、それで決定的にどうにかなってしまうものでもないという一例です。
その保育園の運動会だけど、昔ながらの「できる」「させる」を上位に置いた考え方の園ですね。
地域や子供の層によってもそれでいい場合もあるし、そういうやり方で伸びる子供ももちろんいますから、それが即よくないというわけでもないけど、知識を吸収せずに昔の考え方のまま来てしまったのだなあとは思います。
>・園児たちは、リレーでなく単発競技の時、友だちを応援する姿が(年中も)なく、皆、自分がおわると土をいじりっていました。
特にこの点は決定的ですね。
「クラスリレーができること」が先生たちのなかで上位に置かれているので、個々の子供たちがそれにどれだけの意義ややる気を持って取り組んでいるのかという、本当は最も大事なところが見落とされてしまっている状態といえるでしょう。
全体としての見た目の「できる」を追求するあまり、「子供個々」への視点が欠落してしまっている結果ではないでしょうか。
「森を見て木を見ず」状態ですね。
>・並ばせる時に、無言で腕をぐっと引いて列を整える。
このあたりに至っては僕から言わせると論外ですが。
>・お昼ご飯をはさんで、9時~2時まで競技。未満児さんは眠そうでした。
いまこういうことはだんだんとしなくなっています。
それは「主役」は「園の運動会」ではないからです。
「主役」はあくまで、子供たち個人個人なのです。
ですから、その子供たちにとって意味のない時間まで拘束する必要はありません。
なので、乳児の競技は前半に持ってきてしまい、それらが終われば乳児しかいない家庭には「見ていってもいいですけど、もう○○組は解散ですから疲れたら帰っていいですよ」というような形をとっているところが多くなっています。
「できる・させる」「協調・集団行動」「個々人よりも集団としての形」を求めるところもまだまだ多いです。
繰り返しになりますが、それが即悪いということではないですが、現代では、とくに僕が働いてきたような個別の対応が必要な子供たちの多い地域では難しくなっているのではないかと思います。
No title
自分の中でわからなくてもやもやしていたものが随分とわかってきました。
何でもケースバイケースなので、本当に子育てに関しては一概には言えないのでしょうが…こうして勉強させていただいて、自分なりの軸を作ることが自分のためにも子どものためにも必要だと感じました。
本当に感謝しています。
これからもずっと読ませていただきたいです。
(本にしていただきたいです。)
よろしくお願いします…。
No title
以前からブログを見させて頂いていて受容を心がけてきたこと、
もともとおとなしいタイプだったこともあり、
私が言わなくても周りの大人が言うルールをしっかり覚えて守り
あまり叱るような出来事がない子に育ちました。
が、欲求を内に溜めているようなそぶりを見せることがあります。
何か欲しいときに「これ、、どうする?」と曖昧な聞き方で聞いてきて
「買わないよ」と答えると、「うん、そうだよね」でその場は終わり。
ごねるようなこともなく、ほんとにアッサリ。
数日後、眠くい時などに、↑この時聞いたものを突然思い出し
欲しかったんだ・・とボロボロ泣いていたり。
物によっては主張しても買わないけど、
そんなに欲しいなら「その場」でもっと主張すべきなのに、しない・できない。
たしかに叱るような出来事もないけど、
大人に褒められたいがためにこうなってしまったのか。
彼が子供らしいワガママな気持ちを溜め込んでどこかで爆発しないか、
これで良いのか心配になってきました。
救われました‼︎実践してみたいです!
いつもママ友に気を使って我が子を怒りすぎていました!
ありがとうございます。
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今回の記事も私にとってタイムリーで、読んで安心できました。いつもタイムリーなのはビックリですが、きっとおとーちゃんの子育ての軸になっている「子どもの気持ちに寄り添う」をあらゆる方面から解説して下さってるので、読んでいる私にそう感じさせるのでしょうね。
>「叱らなければルールを守れる子にならない」と考えている人は、言わせてもらえばそれは既成の子育て概念に縛られていて、子供の能力を過小評価していると思われます。
この既成の概念は、おとーちゃんの仰ってる日本の「叱る子育て文化」が邪魔をして、多くの人が、子どもに、理屈は通らないのだから、身体で覚えさせるために時には叩いたり、厳しく声を荒げる必要もあると思っているのではないでしょうか?私も、実際に子育てをする前はその概念にとらわれ、いざという時にはしっかり叱れる親になろうと強く(笑)思っていました。
しかし、叩いたり、激しく怒っても、子どもはそれで、これはいけないことだと思うでしょうか?悪いことだからやらないのではなく怒られるからやらなくなるだけな気がします。
昨日の夕食で、息子がおむすびを床に落としました。夫は、「食べ物を床に落とさないよ。今度やったら、お父さん怒るよ。」と言いました。又、息子は手におむすびを持って落とそうとする仕草をします。私は、「○○君、おむすびは食べるものだから、ポイしないよ。お口に入れてね。」と言って、じっと息子を見ながら待っていました。すると息子は、あーんと大きく口を開けておむすびを口に入れました。なので、「ママの言うこと分かってくれたんだね。嬉しいよ。えらいねー。」というと、ニコニコ笑っていました。もちろん、私が同じことをしても床に落とすこともあります。でも、私はそこは、怒るところじゃないと思います。淡々と、拾って、又、何度でも言い聞かせればいいと思います。別に私は、夫が悪い見本で私のやり方が正しいと言いたいわけではなく、「怒るよ。」と脅した(少し言葉がキツイですね。もちろん夫は脅すなんて意図はなく、言い方も優しかったです。)夫と息子の間には、その瞬間やり取りがなくなり、沈黙となり何だか見えない壁ができました。一方、私と息子の間には壁は生じず結果オーライだったとしても、おむすびを食べました。いや、結果オーライと書きましたが、私は、これはタマタマだと思ってません。息子は私の言うことを理解し、私が喜ぶと思って頑張って口に入れたのだと思います。一歳になったばかりの息子にもこれくらいの能力は備わっているのだと思います。
だからと言って、毎回きちんとできるとは思ってません。ママを喜ばすことより、落としてしまいたい衝動の方が強い時もありますもんね(*^^*)
私の悩みは、むしろ息子へ対してよりも、周りの大人達にむやみやたらに「ダメ、ダメ」と言ったり、「ありがとうは?」などと要求することを控えてもらうには私がどう説明すれば納得してくれるのかしら?ということです。息子に理解してもらう自信はありますが、大人同志に生ずる所謂「バカの壁」は厚くて高すぎます…。
まあ、息子と接する時間が圧倒的に多い私にアドバンテージがあるので、たまにやられる祖父母からの過干渉はそのままでいいかなぁと思ってますが…。「ダメ、ダメ」を連呼されると、息子より私が頭が痛くなってるのかもしれません(笑)
今回も体調不良の中、素晴らしい記事をありがとうございました!快方に向かわれることをお祈りします。