保育の質 Vol.2 集団から個別へ - 2011.09.15 Thu
するとその話す声がガラガラでかすれているのです。
どうしたの風邪でもひいたのと聞くと・・
「保育の仕事で大きな声をだすから、こうなっちゃうんだよね~。あなたはそうならないの?」と逆に聞き返されてしまうことがありました。
よくよく話を聞くと、認可園ではあるけれどほとんど若い保育士ばかりで、日常的にみなそのように大きい声をだして子供を動かしているのだということでした。
大きい声をだすということは、それはまずもってのんびりした会話だったり、子供と共感したりする言葉ではないのですよね。
指示したり・命令・誘導、または注意や叱責の言葉であったりするわけです。
その園では保育士の子供との関わりかたの基本にあるのが、大きな声で子供を指示したり、注意したりすることだったわけです。
それがその園での当たり前の保育なので誰もおかしいとは考えていません。
これまでもそうしてきたし、これからもそのようにしていくことでしょう。
なぜそのような保育をしてきたのでしょう?
それはかつては、大人が指示したことに従えることがよりよい子供の姿であり、うまく大勢の子供に言うことをきかせられるのが良い保育士であるという価値観があったからです。
子供への援助がそれだけで済んでいた時代ならば、そういう保育でよかったのでしょう。
たしかにかつてはそれで保育の仕事が済んでいた時代がありました。
しかし、保育の長時間化や家庭での養育力の低下などなどの変化から、それでは適切に子供の育ちを援助できなくなっている現実があります。
おそらくその保育園でも、多くの問題が出てきていることでしょう。
しかし、そこで保育を客観的にみる視点がなければ、その問題の原因に自分たちの保育の仕方があることに気づくことはできません。
保育士のなかには「あの子は手がかかる子なのだ」「あそこは親の関わりがよくない」「人手が足りない」などのいろいろな理由付けをして、自分たちの保育の問題点を省みないことがしばしばあります。
明確な「子共観」や保育理念、客観的な判断力、知識、経験の不足、視野の狭窄がそういった事態を引き起こしているといえます。
僕が一緒に仕事をしたことのある年配の保育士のなかにも、押し出しが強く、声が大きく迫力があって、怒ると大変怖く、子供に言うことをきかせるのが上手な保育士がいました。
その人が保育をしていると、子供はきちんといわれたとおりに動いて、しっかりした子供たちに見えるのです。
そこだけ見ればたしかに立派な保育なのですが、より大きな視点で見ればかならずしもそうではありません。
その保育士が勤務を終えて遅番の保育士に引き継いだりすると、そのクラスの子供たちは他の保育士の言葉など聞かず大暴れしてしまいます。
これは当然のことなのです、子供はどこかを抑えれば、その反動をどこかでだすものです。
そしてその影響はその時だけに留まりませんでした。
年度がかわり(5歳児クラス)その保育士は持ち上がらず、他の保育士が担任になると、それまで出来ていたと思われていたことも出来なくなっており、その年齢ならば当然できるいくつかのことすらもしようとはしないのでした。
それまでまとまっていると外からは見えていたクラスが本質的にはそうではなかったのです。
とりたてて5歳のときの担任に力量がなかったわけではありません。平均以上の力量をもった人が担当していました。
子供の成長はひとつひとつの積み重ねです。
この子供たちは4歳児クラスでの一年間、自分で考えて動いたり、判断したりすることよりも、大人の指示に従う、怒られないように行動するということを結果的に多くしてきたのです。
その結果、子供自身の自覚的に行動することや、判断するということに対する、一年分の積み重ねが希薄なまま過ごしてきてしまったのです。
このことは保育園において大人の強権・外圧による指導が、本質的な子供の成長への適切な援助にはなっていないことを意味しています。
前回の記事の中であげた、「集団から個別へ」という保育の考え方の変化の原因もひとつにはここにあります。
それまでの保育は「集団」「協調」ということを大変重視してきていました。
ひとつには少ない大人の人数で多数の子供を見なければならないという事情もあったでしょうし、社会の価値観というものも、会社や学校などでの協調を重んじていたということもあったのでしょう。
保育する側が「集団の中で協調出来る子が正しい子供の姿」 「強調できない子は劣った・未熟な子」という価値観をもっているとどうでしょう。
子供の中には様々な理由で、集団が苦手な子、協調ができない子がいます。
単に性格的に集団が苦手だったり、月齢が低くついていけなかったり、多動的傾向があったり、なんらかの遅れ・障がいを持っている場合もあるでしょう。また、母子関係などから自己肯定感・自分に対する自信が持てなくて集団の中に入っていけない子というのもいます。
そういった子には、集団に適応するための訓練の前に、その子に応じた適切な援助が必要だったり、集団に無理に加わらせずとも疎外感・劣等感を持たせずに成長を図るということが必要なわけです。
しかし、保育者の視点が集団至上主義であればそういった視点はもてないかもしれません。
現実に僕の世代の友人なんかに話を聞くとやっぱりそのようには扱ってもらえていなかったということがあります。
月齢が低くてついていけなかっただけなのに、自分は出来がよくないからいつも先生に目の敵にされていたり、意地悪されていたなんてことを思い出として持っている人は少なからずおります。
当然これだけ時代が進んでそのような思いを子供に抱かせてしまうような保育があるはずはないのですが、似たような影響やその名残りのようなものは今の保育のなかにも残ってしまっています。
もちろんそうでないところもたくさんありますが。
「集団から個別へ」という考えから「一斉保育から自由(個別)保育へ」という考え方も派生してきました。
次回はそれについて見ていこうと思います。
- 関連記事
-
- 保育はサービス業か? その2 (2011/11/14)
- 保育はサービス業か? (2011/11/11)
- 保育の質 Vol.5 大人中心から子供中心へ (2011/09/30)
- 保育の質 Vol.4 保育業界の体質 (2011/09/20)
- 保育の質 Vol.3 「一斉保育から自由保育へ」 (2011/09/17)
- 保育の質 Vol.2 集団から個別へ (2011/09/15)
- 保育の質 Vol.1 (2011/09/14)
- 子供の人権 Vol.4 「子供の尊重」 (2011/09/09)
- 子供の人権 Vol.3 二義的な「子供の人権」 (2011/09/08)
- 子供の人権 Vol.2 『子供』の発見 (2011/09/02)
- 子供の人権 Vol.1 (2011/08/31)
● COMMENT ●
No title
自己肯定感と集団について
また思うことがあり、こちらの記事に関連するのでお聞してもいいでしょうか?
前にもお話ししたのですが、うちの娘(1歳3カ月)は家ではにこにこして一人遊びも上手なんですが、外では最近人見知りがひどく、よちよちと歩いている姿を見て、話しかけてくれる人に対しても固まったり、ひどいときには泣いてしまいます。
育児サロンなどに行っても、私からずっと離れることはないので、お世話の方やよそのママやお友達とふれあうこともありません。
「ばいばい」と笑ってあいさつしてくれる人に対しても、その人をじーっと見るだけで、しらっとした感じなので、いつも悪いなと思ってしまいます。
おそらく今は他人への警戒心が強い時期なのだと思うのですが、こちらの記事にあった
>母子関係などから自己肯定感・自分に対する自信が持てなくて集団の中に入っていけない子
というのが気になりました。
私自身が集団が苦手です。仕事をしたり、個人的にお友達とも付きあうことはできますが、集団となるとすごく疲れてしまいます。
特に子供ができてからは、子供の集まりに行く機会がふえ、余計気を使ったり、落ち込んだりして疲れます。
おそらく私自身がどこかで自分に自信がないのだと思います。
やっぱり私の子なので、似てしまうと思うのですが、「集団が苦手」というのと「自己肯定感が持てない」というのは関係があるのでしょうか。
>そういった子には、集団に適応するための訓練の前に、その子に応じた適切な援助が必要だったり、集団に無理に加わらせずとも疎外感・劣等感を持たせずに成長を図るということが必要なわけです。
とありますが、具体的に家庭でも心がけてあげられることはありますか?
生まれたときから「自己肯定感は持たせてあげたい」というきもちで日々のかかわりをしてきたつもりで、少なくとも私たち夫婦の前ですごくにこやかな明るい子なので、どうして外では変わってしまうのかなあと思ってしまいます。
自分自身が集団が苦手で疲れてきたので、できれば娘にはそういう思いをさせたくなく、集団の中でも楽しく過ごせるようにしてあげたいと思っています。
日々親がきちんと向き合ってかかわっていけば、いずれはほかの人ともうまくふれあっていけるようになるのでしょうか。
お忙しいところ申しわけありませんが、アドバイスいただけますか。
ゆきこにゃん☆ さん
いつも読んでくださってありがとうございます。
リンクもありがとです。こちらのリンクはフリーにしてあるので大丈夫ですよ。
本当なら相互リンクという形でお応えしなければと思うのですが、リンクが増大化しすぎてしまうので今のところリンクを増やすのを止めています。申し訳ありませんがご了承ください。
こはるさん
>>母子関係などから自己肯定感・自分に対する自信が持てなくて集団の中に入っていけない子
は、前提として集団に入ることができる・必要とされる年齢(およそ3歳以降)の子供をさしていますので、こはるさんのところのように1歳3ヶ月の子供の問題とは全然別のものになりますよ。
その点は気にしなくて大丈夫です。
以前ブログの記事で書いたことがあるのですが、「ひとみしり」することはちっとも悪いことではありません。
一般にはひとみしりを良くないことと捉える向きがありますので、我が子がひとみしりをしていると親は心配になってしまうようですが、それを無理に直そうとしたり、慣れさせるためにあえて人前に連れていったりする必要はありません。
ひとみしりするその状態を、「ああ、あなたはまだそういうのが苦手なんだね~」と認めてあげられることが一番その子の成長の力になると僕は思います。
家庭で明るく自分を出せて、そとではにかんだり恥ずかしがったりするのは、とても自然で健全なことです。
なかにはそれが逆の子もいます。それはかわいそうなことだと思います。親に自分をだせるのがやっぱりいいですよね。
今の時点でお子さんが集団・人前が苦手というのはまったく問題がないし、今後のこととは関係ないのは最初に述べたとおりです。
ですが、お子さんが集団に将来的に入れるかどうかというのを気になさっているようなので、それについて僕の経験から書きますと、集団に慣れさせたからといって人間関係がうまくなるというものではないようです。
大事なのはみぢかな人間との信頼感・安心した関わりとくに母子関係です。
子供の方が母親に笑って欲しいと思ったときに、笑顔で母親に応えてもらえる。そういうことが人に対する信頼感を形成します。
逆にそういうときに、無視されたり文句をいわれるような育ちをしてきていると、人間全般に対する信頼感をもてなくなるので、人との関わりもうまくできなくなります。
集団が苦手というのも個性です。
こはるさん自身が集団が苦手というのであれば、「あなたは人前が苦手でだめね~」といわれて育つよりも「あなたは自分でやりたいものが持てていていいわね」と言われて育つほうがずっといいですよね。
まあそれでも、日本の社会は端々で集団への協調を過剰に要求されてくるので、人からあえて否定的にいわれずとも、コンプレックスになってしまうことはなきにしもあらずですが・・。
ですので、お子さんに対して集団が苦手になってしまうことをどうこうしようとするよりも、気にせずあるがままをおおらかに受け入れていってあげることのほうが、結果的には人との関わりにたいして自信を持っていけると思います。
親が「この子は人前だめなのかしら・・」と不安に思っていれば、言葉にださずとも子供は感じ取って、自己肯定とは反対の感情が育つでしょう。
出来ないところよりも出来るところをみてあげましょう。
いま家庭の中で明るくにこやかならば、そこをいっぱい認めてあげるのがいいです。
「とってもいい笑顔だね~」「あなたのそういうところが大好きよ」と日々接していれば、自然と子供の自己肯定感は高まるはずです。
そういう積み重ねがきっと娘さんの力になるはずです。おそらくそれでこはるさんが心配していることも解決すると思いますよ。
バタバタするのは残っている保育士が悪くみられるので残った保育士もまた厳しくしてしまうという悪循環になってしまいますよね。
優しいと子どもがなつくけど厳しさもないとダメだと言われます
うちの園はおとーちゃんさんの友達の園と同じですよ
ありがとうございます!
読んでいてなんだかあたたかい気持ちになれました。
私はおそらくおとーちゃんより少し年上だと思うのですが、たまたま住んでいたところがそういうところだったのかもしれませんが、学生時代は「暗いのはダメ、明るくなきゃ」という風潮で、いわゆるはじける明るさでない私はしんどかったです。
また、妹がすごく社交的だったため家族に比べられるのもつらかったりして、今でも集団にはコンプレックスがあります。
だから、娘には「たくさんの人の前でも明るくみんなに好かれる子になってほしい」と望んでしまっているんでしょうね。
にこにこと寄ってきて大人にアピールできる子なんかをうらやましいと思ってしまうんだと思います。
>「ああ、あなたはまだそういうのが苦手なんだね~」と認めてあげられることが一番その子の成長の力になると僕は思います。
そうですね。私自身が人前が苦手なんですが、そういう自分と娘を認めてあげるのが、私の課題ですね。
>出来ないところよりも出来るところをみてあげましょう。
「とってもいい笑顔だね~」「あなたのそういうところが大好きよ」と日々接していれば、自然と子供の自己肯定感は高まるはずです。
そういう積み重ねがきっと娘さんの力になるはずです。おそらくそれでこはるさんが心配していることも解決すると思いますよ。
本当にそうですね。
毎日積み重ねていきたいと思います。
こちらを知ったのが娘が1歳になったくらいのときで、まさにやってほしくないことばかりしてしまう時期に入ったときだったのですが、記事にあるように「ダメ」を言わずに別の言葉で置き換えて話せるようになりました。
それから、毎日目が合ったらにっこり笑ってあげること、たくさん抱きしめてあげること、大好きよって言ってあげようって思ってます。
自分に自信を持って自分を信じられる女の子になってほしいので、これからもこちらを参考に日々楽しんで子育てしていこうと思います。
心のこもったあたたかいアドバイス本当にありがとうございました。
これからも応援しています。
きららさん
そういうのが長いこと一般的な保育としてあったので、なかなかそういった体質というのはかわらないものなのですよね。
保育士自身も保育の質についてきちんと前向きに考えてこられるような業界だったらよかったのだろうけど。
こはるさん
昔、作家の村上春樹がエッセーのなかで「なんで友達をたくさん作ることを小さい時から要求され続けているのだろう。友達なんて本当に信頼できる人が数人いればそれで十分なのに、数だけ増やすように子供に求めるのはなんだかな~」というようなことを書いていました。
僕もそう思います、いろんな人がいていいのにね~。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/218-dde6471d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
保育士おとーちゃんさんのブログのファンです。
娘の子育てにとても参考にさせていただいてます。
「お手伝いするね」という言葉。ステキだと思って私も意識して使っています。
初めてコメントさせていただくのですが、最近ブログを始めまして、リンクさせていただけたらと思っています。
よろしくお願いします。