保育の質 Vol.4 保育業界の体質 - 2011.09.20 Tue
それは第二次ベビーブームのときです。
その際の保育園の需要を満たすために、1960年代から70年代にかけてたくさん設置されました。
その数はものすごく多く、保育士の数が足りなくなるくらいでした。
当時は公立保育園であっても、試験に名前が書ければ受かると言われたほどです。
それどころか各行政は保育士養成校(当時は保母学校)に根回しをしておいて、自分のところに優先的に就職してもらえるよう、いわゆる青田刈りまでしていました。
今ある保育士試験は、僕もそれで資格をとったのですが、すでに無資格で働いている人に後付けで資格を与えてしまおうという側面もあったそうです。
(ですので、今はもういらないという廃止論もでているそうです)
保育園は、自ら問題意識をもって積極的に学ぶ姿勢がなければまったくといっていいほど変わらないところなので、残念なことにいまだにその大量設置時代の数をこなすのが最優先だった頃の保育が現在でもまかり通っているところもあります。
そういった進歩のない保育はまだまだたくさんみられ、たとえばいまだに個々の子供の発達を見極めてでなく、早期に月齢でオムツを外させようとしたりする保育士・保育園は後を絶ちません。
子供を大人の思い通りの型にはめるような保育や、問題を親に押し付けるだけで適切な援助をしてあげられない、子供を尊重しない保育などなど・・・も同様になくなっていません。
業界自体が保育を見直したり、省みたりということと疎遠なのかもしれません。
いまでも保育の専門学校や短大で子供の指導法と習ってくるのは「一斉保育」のやり方に終始しています。
これだけ子供の問題が多角化、複雑化し、個性や個人の尊重が叫ばれる時代になっても、個々への援助の方法や関わりというものが希薄なままなのです。
現在の保育業界のあり方をみていて、特に若い人たちが可哀想だなという思いが常にします。
驚かれるかもしれませんが保育の学校では、実際上のの子供との関わり方といったものをほぼ全くと言っていいほど学ぶことはありません。
例えば、2歳の成長期真っただ中の子供に対して、理論としてはあっても、どう具体的に関わればいいかといったことについて、本の上だけの知識すら学ぶカリキュラムはないのです。
「実習」というのが単位としてありますから、ここで集約してしまっているのかもしれません。
しかし、実習だけで学ぶにはあまりに子供へのアプローチの重要性・広汎性というのは大きすぎるでしょう。
つまり結局のところ、子供との関わりについてはほとんどしらない漠然とした状態のまま資格を与えられて、就職します。
そうしますと、就職したところの保育のやり方が、その人にとっての子供との関わり方にそのままなって行きます。
保育の質 Vol.2で挙げた僕の友人のように、大声を出して子供に言うことを聞かせる保育をしているところに入ってしまった人は、下手をすればそれが一生その人の保育のやり方になってしまうのです。
「どういったものが子供にとって良いのか」そういった考える視点すら与えられずに、保育士の資格をとって、良い保育なのかそうでないものなのか判断することもできないまま、就職するのが当たり前になってしまっているのが本当に若い保育士・保育士をめざずひとにとって不幸なことだと思います。
他者の保育を見聞きすることの少ない性質や、自分たちの保育がイデオロギー化してしまって、客観的に省みない体質などがさらに、保育が変わらない一因にもなっています。
また研修などがあったとしても、もともとも問題意識などが低ければ、それに触発されることはありませんし、「研修を頑張っています」というところでも結局は自分たちの方向性にあったものだけをチョイスしていたりすれば、新たな視点、それまでの保育を見直すきっかけとは成り得ません。
時代にそぐわない、すでにそれは間違っていたと修正されたところすらも知らないまま、保育を運営しているところがあるのが、いまの保育業界の現状です。
公立保育園・私立の認可・無認可関わりなくこの問題はあります。
もちろん、一生懸命勉強しつつ保育に生かそうとしている人たちもたくさんいます。
でも、それが業界の潮流・体質まではいっていません。
本来ならば公立保育園が牽引していかなければならなかったでしょう。
それまでの他のところに比べて、勤務時間や勤続年数などの待遇面、研修などのアフターフォローももっともよくできていたはずだからです。
そして事実がんばっているところもあります、ですが公務員体質的な前動続行・ことなかれ主義で古いことを古い体質のままやっているところも多くあります。
しかも、そんなところに限ってやけに高飛車だったり、えばっていたりね・・・。
保育業界自体が明確な子供への視点など持ち合わせていないので、結局のところ保育の質は今現在、各保育士の人間性にまかされきっているようです。
利用する側からいえば、あたった保育士次第、運任せのあたりはずれです。
本当はこうではいけないですよね。
多少の上手い下手はあるかもしれないけれど、きちんとしたプロフェッショナリズムが確立していて、どこへいっても信頼でき安心して任せられなければ。
大変残念なことに保育業界にはそれがないのが現状です。
ですので、社会に対して「乳幼児期の人格形成や保育は社会にとって重要なものなのだ!」「保育を売り物にするな」と強く言えません、また言ったとしても説得力を持ちません。
本当に質の高い保育というものを世間一般の人たちから認知されていないので、見た目のキレイさや保育時間の便利さ、英語教育などの付加価値のほうが一般人からは魅力的に見えてしまいます。それもいまの保育業界全体のあり方からいったらやむをえないえでしょう。
そのためずるずると、国や行政・民間業者が目先にちらつかせている安直な方へと落ちていってしまっているのを止めることができません。
このことは保育業界自体の責任であり体質が引き起こしたことと言えるでしょう。
ちょっと今回は、もともとこのシリーズで予定していた具体的な日常の保育の質ということからそれてしまいました。
次回はもとにもどってみてみたいとおもいます。
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● COMMENT ●
No title
質問です。
うちは、3歳ともうすぐ2歳(1歳6カ月違い)の女の子年子です。
最近、毎日何回も玩具の取り合いをしています。
私が見ていた時は、取り合いが始まると、先に遊んでいた方に渡すようにしています。見ていない時は、違う玩具を提示して反応がある方が手を離すといった感じです。
毎日何回もあるので、正直疲れます。
なので、玩具を買うときは同じもの同じ色を与えようと思っているのですが(本人がいるときは選ばせますが、居ないときの話です)
義両親は、安い玩具でも違う種類のものを買って遊べる玩具の量があった方がいい!譲合いを教えた方がいいと言います。
たしかに、私も最初はその意見だったのですが毎日毎日取り合いをしているのでどうなのかな?と疑問に思いメールさせて頂きました。
もうすぐ下の娘が二歳の誕生日が来るのですが、プレゼントで取り合いのケンカをすると思うと、二人で遊べる物を買うべきか
一人で遊ぶ用の物(メルちゃんのベビーカーなど下の娘が反応よく遊ぶ)を買うべきか迷っています。
もし、一人用の玩具を買った場合
この子の玩具なんだと娘二人に認識させるべきか…
ヨロシクお願いします。
保育園が向いている方向
その際は、アドバイスを頂き本当にありがとうございました。
現在は、ようやく保育園に慣れてくれました。
さて、今回の記事を拝見させていただいて
先日娘が通う園で行われた祖父母招待会での出来事を思い出しました。
母が参加したのですが、保育園が子供の方を向いていないというのです。
親が満足するように、親の方向ばかりを見ていると・・・。
(母は私と兄を保育園に預け働き、ようやく定年を迎えたところなのです)
自分が預けたときと様子が違うと言っていました。
私も見た目のきれいさで選んでしまったかもしれないです。
記事では保育業界自体の責任と書かれていますが、親の責任もあるのではないかと思います。
ameさん
でも、あっちはここが良くないこっちはここが心配というネガティブなことで迷うのではなく、どちらも魅力的だという選択肢が2つもあるなんていいことじゃないですか。
まあ実際の保育の内容っていうのはなかなか外側からは見れないものなんですよね。
そんなときはそこの子供たちを見ていればわかることもあります。
のびのびいきいきと楽しんで過ごしているのか、子供同士、大人へどういう関わりをしているのかなどなどね。
また、子供によってもより合うところとそうでないところ、みたく向き不向きもあるのでそういうところも踏まえて選ぶといいのではないでしょうか。
ゆきんこさん
そちらをご覧になってください。
あやこさん
実際いまの保育園は、営利追求のところであればなおさら、そうでないところもだんだんと、子供よりも親のニーズに応えること中心になりつつあります。
これも保育の質に大いに関係してくることです。
たしかにおっしゃるとおり、保護者の側にも見る目がないと表面的なもの、うまい宣伝・アピールに簡単に影響されてしまいます。その部分は選ぶ側の問題ですが、そもそもそういう土壌を許してしまったのは保育業界の責任なので、保育士の一人として大変残念であり、また申し訳ないと思うところでもあります。
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私はこれから子供が成長するためには、
何もしない自由や一斉保育ではなく、規律の中で子供が自分で考え選択し、
必要に応じて先生や年長さん達のサポートを受けて成長できる園がいいのではと、思い探してきました。
そして今、まさに先生の質が見えない壁となっています。
最初入れたいと思った園は、見学、体験までしてくださり、担任となる先生とお話する機会も何度もありました。
けれど総数10名足らずのとても小さな園です。
3年物間、子供がとても小さな人数の中だけで過ごすことに不安があり、
体を作る時期に体操や園庭が庭ほどしかないことに不安もあり、
同じ自由保育を重要視する学年60名ほどの園を選ぼうかと考えていたところでした。
園長先生は私たちの保育は自信を持ってお勧めできます。勉強会も欠かしません。とおっしゃってくださっていますし、教室も広く、清潔で、園庭も広く魅力的です。
そして大人の勝手ですが、おとーちゃんが書いたような体操や年長からの英語などがあることもないよりいいな、と思ってしまっていました。
まさに園長の言葉を頼りに見た目で判断しようとしていました。
けれど不安があり、踏み切れなかった原因が実際の先生達が見えてこないという事でした。募集人数が多いので小規模のような対応は難しいのは当然なんですが。
親がこういうことを考えるというのは、過保護というか、考えすぎな一面もあるんでしょうが、
接し方一つで子供は大きく変わるという一面もまた本当ではないかとこのブログを読んで思い、思わず書かせていただきました。