保育の質 Vol.5 大人中心から子供中心へ - 2011.09.30 Fri
ずいぶん前になりますからうろ覚えなのですが、そこがかつて『大人の都合で保育しない』というのを標語にしていた時期がありました。
保育園は言うまでもなく子供のための施設なのですが、これまでにも見てきたようにその実際は、大人が上で子供が下、子供は大人に従うべき存在、そういった理論で運営されているところが少なからずありました。
そこでは保育自体が子供を十把ひとからげにひとつの型にはめようとしたり、それにそぐわない子、マイノリティーを疎外するようなことも行われてきました。
それもまた大人中心の保育と言えると思いますが、まだそういった保育も時代がそれを要請していたという側面もあるし、ひとつの保育の理念と言えば言えるものではあるかもしれません。
ですがそれとはもっと低い次元で、つまり生活の場面での「大人中心」・「大人の都合」がたくさんあったのです。そして今だにあるのです。
例えば、これまでにも何度も僕はブログの中で、子供の手首や腕をつかんで引っ張ったり誘導したりするのは良くないと述べていますが、このような行為も平気でしているところが少なからずあります。
なぜこれは良くないのでしょう。
ひとつには子供の意思の否定です。手と手をつなぐのであれば、これは相互の意思によってすることですが、(僕は大人が指を伸ばしてそこに掴まらせるようにします、これは子供への信頼であり、尊重です)腕をつかむことは拘束であり大人の意思・都合の押しつけつまり強権です。強権で意思を抑えることはすなわち個人の尊厳の否定です。
これを重ねていくと、子供は大人を自分の行動を妨げるものと身をもって認識し、いずれ信頼しなくなり全般的に大人の話をきかなくなっていきかねません。
また、子供の生活経験の積み重ねをはぶいてしまうことでもあります。
子供をどこかへ誘導するために腕をつかんで引っ張らずとも、しっかり子供にするべきことを日々の生活習慣の形成や、言葉で伝えることを積み重ねたりすることで1歳児であったとしても出来るようになっていけます。
それをせずにいつも大人が手っ取り早く、子供を引っ張り回して誘導していたらどうでしょう。
その子はそれだけの経験・積み重ねをせずに来てしまいます。
するとその子はたとえ3歳になったとしても出来ない子になります。それだけでなくそこから派生する様々な経験も不足したまま育ってしまいます。
きちんと子供の成長を援助する保育をしていれば1歳で出来るようにすらなることが、大人が楽な、短絡的な方法を取ることで3歳になってもそれが育っていない子に容易になってしまうのです。
ちょっとした「大人の都合」その積み重ねがつもり積もれば、子供に大きな影響をあたえるものです。
ある保育園では、歯科検診のために1歳児を保育室から職員室まで移動するだけのために、廊下で避難車(避難用の大型のベビーカーのようなもの)に子供たちを乗せていました。
手をつないで静かに歩いていくなど伝えて見守っていけばいいところを、子供を効率よく動かす対象のように捉えているようなその保育に、腹立たしいを通り越して悲しくなりました。
保育士が、子供の力を大きく見くびり、育ちを奪っているようにとれて仕方がありません。
このようなことは保育の中に、数限りなくたくさんあります。
食事など生活の重要な場面であれば、その影響はさらに大きく出るでしょう。
ある保育園では1歳の子に食事の際スプーンをまったく持たせません。
全部大人が介助して食べさせてしまいます。
そのほうがこぼさないし、食事時間もずっと早く済むからです。
その時は大人は手間が掛からなくていいかもしれませんが、この子供たちが2歳になったとき食事経験の積み重ねが少ないので、あとあと困ることになるでしょう。
また0歳の子に食事を介助するときも、大人がスプーンにのせたものを子供の上あごにすりつけるように食べさせてしまえば、どんどん子供の口に放り込んでいくことができます。
しかし、このようなやり方をしてるとそのとき大人は楽ですが、子供が舌や唇を使って食事を取り込むという経験をさせないままいってしまいます。
また、スプーンを持たせないのと同様、自分から食事に取り組むという意欲も損なってしまいます。
こういった必要であるにもかかわらず、その行為を大人の都合ではぶいていてしまうことは「子供の育ちを奪う」ことであるといえます。
これまで少なからず世の保育園・保育士はこういった行為を、まったく無自覚的に行なってきてしまっています。
保育の理念・子供への明確な視点というものがなければ、なにも考えずにそれに気づかないまま来てしまい、しかも平然と続けていってしまうのです。
さらにもっと心苦しいことも無自覚に行われています。
それは大人の怠慢による大人の都合のおしつけです。
その端的な例が「温度管理」です。
冷暖房の効かせすぎが子供の体に良くないというのは、誰でも知っています。
保育士の学校でも必ず習います。
子供にとっての適温を意識し、こまめにそれに調整すること。
また同時に状況に応じて着衣によっても調整する。
そのために温度計・湿度計を子供の高さにあわせて設置するなどが必要と教わるはずです。
子供の適温だと大人にとっては、夏はやや暑く、冬はやや寒いです。
ですが、成長の上でや体温調節機能の未熟な子供たちにとってそれはとても大切なことです。
しかし、保育士が自分たちの快適のためにそれを怠っているところ・人が残念なことにたくさんあります。
また例えば怠慢な保育士は、見たい子しか見ない・手をかけないということもあります。
可愛い子、手のかからない子は可愛がるけど、手のかかる子・言うことを聞かない子には叱ったり怒ったりするだけ、本当ならば手のかかる子ほど丁寧な援助が必要なところを、自己満足な関わりだけして保育士本来の使命を果たさない人もいます。
そういった保育をみると「ああ、ここの(この人の)保育は子供たちよりも大人が(自分が)中心なんだな・・・」と感じます。
これらのことはほんの一例に過ぎません。
保育とは個々の子供の援助のため、つまり子供中心でに行うべきであるという視点を持っていなければ、生活全般・保育全てが大人中心・大人の都合で埋めつくされていってしまいます。
水は高きから低きに流れます。
子供のための明確な視点・理念というものがなければ、質が下がるのはあっという間です。
保育の仕事の成果は一見、目には見えません。
保育時間の間だけ無難に預かっているだけでも仕事を達成したと言うことも出来るし、子供の将来を見据えて様々な育ちを獲得させていこうということもできます。
本来ならば(保育所保育指針や理念の上では)当然子供の育ちを心身ともに伸ばしていくことが期待されているはずです。
しかし、実際上はその施設・その保育士の心がけにすべて任されているといってもいいでしょう。
行政の監査といったものはありますが、それが保育の質を是正する役にたっていないのはこれまでの保育のあり方をみても明らかです。
近年、第三者評価というものも導入されましたが、導入当初から現行のやり方では形式的なもの以上のことはできないといわれていましたし、それは事実だと思います。
そして現行の保育行政、保育のあり方というのも、必ずしもそういった個々への適切な援助、質の高い保育というものを望んでいません。
いま起こっている「こども園」の導入という国の方針をみても、「いかに安く大量に子供を受け皿に放り込めるか」というところにしか視点がいっていないのをはっきり感じます。
そういったなかで個人の資質に任されて質の高い保育をするというのはとても困難です。
またもともと保育士というのは資格取得や就職に高いハードルのある仕事ではありませんでした、個人の資質や使命感というものがそれほど重要視されてきたわけではありません。
はっきり言ってしまえば、人間を育てる重要な仕事というには程遠いい人、問題のある人まで少なくありません。
別の章で述べようと思いますが、使命感のある人職業意識の高い人ほど、いまの保育のあり方の中では燃え尽きていくという傾向もあります。
現在様々な社会問題となりつつある物事、ニートや引きこもり、犯罪の低年齢化、若者の自殺率の増加、いじめ、学級崩壊、学習困難、自己肯定感を持てない人の増加などの諸問題に、質の高い保育・保育士は少なからず寄与できるはずであるのに、それが全うできない現状をとても歯がゆく感じられてしょうがありません。
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● COMMENT ●
息子と犬
こどもの成長や精神状態が、園や担任の先生や環境によって良くも悪くも変わってしまう可能性があるなと思いました。
園生活の後のフォローって何かは必要ですね?まだ入園はしていませんが、気になりまして。
となると家庭での生活が、より大切になってくるんですよね…。
ともこさん
犬にたいして物を投げて面白がっているのもおそらく同様のことだと思うのですが、別に悪気があってやっているわけではありません。
母親にたいしてであればそれは関わりの一種だと思ってやっているのでしょうし、犬に対して投げたり叩いたりというのもその反応が子供にとって面白く感じられることだからのことでしょう。
でも、悪気がないからといって犬にしても母親にしても他者が困ることをしていいというわけではないのはもちろんです。
そこで伝え方が問題なのですが、どうしたらそれが子供に伝わるかというのはほとんどのポイントは「大人の心持ち」にあるといっていいかと思います。
「大人が落ち着いて理性的に言葉で伝える」というのも数ある関わりの中では大切なことではあるのだけど、時にはこれでは伝わらない・通じないこともあります。(性格・年齢・状況などによりけりで)
そういうときでも、「根気良く伝えていかなければならない」と考えて通じていないにもかかわらず同じ関わり方をただ繰り返していては、大人の「根気良く」も子供にとってはただ「しつこい関わり」になりかねません。
こうなってしまうと繰り返せば繰り返すほど子供は聞かなくなってしまうこともあります。
そういうときは大人がどれだけ関わり(言葉・態度)などに気持ちを込められるかが重要になります。
例えば、子供が煮えたぎる鍋に触ろうとしたり、車が行き交う車道に飛び出そうとしたら、大人は子供がはっとするほど感情のこもった、力のこもった制止の言葉をかけますよね。
それと同様に子供が何らかの行動をしたとき、大人がそれをどれほど困ると思っているのか、または好ましいと思っているのか、それらをどれだけ関わりに込めて伝えられるかが大切です。
どうしても止めさせたいこと←―――→見ていてほほえましいこと←―――→手放しで褒めてあげたいこと
今目の前で子供がしている行為はこのライン上のどこにあるのか?
どうしても止めさせたいことならば、大人は怖い顔をしてやめさせたり、強い制止の言葉をかけなければならなかったり、時には叱ることも必要かもしれません。
見ていて微笑ましいと思うのならば、優しく見守ってあげればいいし、その行為が素晴らしいならたくさん褒めてあげたり、抱きしめてあげたりすればいいでしょう。
子供との間に基礎的な関係(愛着形成や信頼関係など)が出来ていれば、こういったことはどんな年齢の子供に対してであれきちんと伝わるはずです。
ただ制止などは、そのときは分かってもまた別の時に繰り返すことがあります。
そういったときに根気良くまた伝えていく必要があるわけです。
みっきぃさん
そちらを見てください。
子供の福祉
ちょっと読ませていただきましたが、とてよいブログですね。
今、幼稚園に上の子が通い、下の子は今春から本当だったら幼稚園なのですが、入れなかったので、園に通いたいというこの為にダメもとで保育園に希望を出しているところです。
上の子を3歳から集団へ入れて思ったのは、保育園は子供にかなり無理をさせる環境であるなということでした。3歳でも、最初は昼ぐらいまでの保育でぐったりなるのに保育園では10時間保育を希望する親までいるとなると、子供は日々のことですからやはり疲れるだろうなと思うのです。
今の日本で、公務員でもない限り、仕事をきちんとやろうと思えば、5時代にあがるのは大変難しいし、母親でもお迎えにはいけないと思います。
ですから、やはり遅くまでやってる保育園は必要で、その中での家庭と変わらない環境というものは守られなければならないと思うのですが、専門職や、母子家庭など絶対働かなければならない人以外に、最近は経済が厳しいのはわかるのですが、少々のお金のために、0-歳から3歳ぐらいの一番親を必要としているときに仕事を取り、安易に保育園に頼りすぎの人が多い気がするのです。
私も常日頃思っているのですが、大人主体ではなく子供主体の保育を親はやり、保育園もそうであってほしいと思うのです。
てんとうむしさん
>0-歳から3歳ぐらいの一番親を必要としているときに仕事を取り、安易に保育園に頼りすぎの人が多い気がするのです。
僕もそのことは感じます。僕だけでなく多くの保育関係者が同様の思いでいることでしょう。
仕事のためにというのならばまだいいのです。
なかには「子供を自分で見たくない」ためにわざわざ仕事を探して保育園にあずけるという逆転現象まで起こっています。
大人主体の保育園になりつつあるのは保育業界の問題であるとともに、社会のあり方とか人々の心の問題などの根深いことでもあるのでしょうね。
良いブログですね
年長の息子がおります。いつも貴ブログを拝見しております。
とても良いブログだと思います。
現役の保育士の方がこのような発信をしていることは
とても意義があることだと思います。
私自身、思うところがあり、
息子の保育園を転園させたことがあります。
その時感じたのは、
多くの方は、1つの保育園しか知らないため、
年々、保育の質が下がっていることに気づいていないということです。
自分が子どもが通っている保育園でよほどひどいことがない限り、
そういうものなのだと思ってしまいます。
待機児童が叫ばれていますが、そのために、コストをかけない、
安い賃金で保育士を働かせようという方向に向かっていると感じます。
ですので、保育士の方からこのような発信があることは
本当に良いことだと思います。
これからも、是非、ブログを続けていって下さいね。
あおぞらさん
たしかに一般の人は保育の質が下がっていることに気づいていない人がたくさんいます。
そもそも保育に質の高低があるということすら気にかけない人が大半のような気もします。
保育士自身からして、保育に質があるということを知らない人がたくさんいるというのが現実という、大変お粗末な状況です。
>待機児童が叫ばれていますが、そのために、コストをかけない、
安い賃金で保育士を働かせようという方向に向かっていると感じます。
政治も国も行政も、いかに福祉にお金をかけずに済むか、規制緩和して経済界に儲け口を引き渡すかというところに完全に焦点がいってしまっています。
今後のことを考えると大変憂鬱です。少しでもいい方に向かってくれるきっかけがあればいいのですが。
ありがとうございます
産後まもなくの頃、このブログに出会い、私がしたいのはこれだ!と読み漁りました。
外を歩けるようになって3日目の今日、手を繋いでくれました!
通っている支援センターの保育士には、手首を掴んでおかないと解かれると言われましたが、おとーちゃんの言う指を掴んでもらう方法で繋いでくれました!
姉からは三歳まではまず繋がないと言われるし、男の子はハーネスをつけろとバスで乗り合わせたおばあちゃんに言われたり、周りのママ友を見ても繋いでいない人がほとんどなのも見てきっと難しいんだろうなと考えていました。
人見知りでママべったりの子も階段や始めての場所以外は繋がないと聞いていたので、繋いでくれて、本当に感激しきりです。
息子は好奇心旺盛で人見知りもなく、主張もかなり強いほうだと思います。初対面の店員さんにもいないいないばあ!したり、電車でも隣のサラリーマンに話しかけやしてもらってご機嫌です。
人形劇を見に行った際には広いホール内をハイハイで移動し、いろんな赤ちゃんやママに挨拶しながら一周し、ああ〜こんなに好奇心旺盛なら手を繋ぐのは嫌だろうな〜時間がかかりそうだな〜と感じていました。
でも、きちんと伝わる子に育ちました。
手を繋ぐ事だけではなく
ご飯も外食の際は立ってしまうこともあるけれど、
言えば座るし、手洗い歯磨きの習慣もつきました。
絵本も大好きで100回は読んでいる日も多いです。
家事中は、炊飯器のスイッチ押しや掃除機を少しかけてくれる真似をしたりとご機嫌で手伝いをしてくれます。
子育てって楽しいです。
いまは、支援センターから帰宅する時、着替えやお風呂などの気持ちの切り替えに時間がかかります。
けれど、このまま息子の気持ちを尊重しつつも言う時は言う、基本は一緒になって楽しむ事をしたらこの先も乗り越えられる気がします。
おとーちゃんのブログに出会って本当に良かったです。
これからも読み返しまくります!
ありがとうございます!
ぽこさん
でも、今の時代はなかなかそう思えるようになれなくて本当に残念です。
確かに、しっかりとつかまえていなければ一緒に歩くことができないという個性を持った子はいます。
でも、ぽこさんも感じておられるように、大半の子供はそうではありません。
しかし、大人が決めつけて子供に対応することによって、そういう子供にしてしまっています。
手首を掴んでいなければならないと考える人は、それによって手首を掴まなければならない子供にしてしまうし、ハーネスをつけなければならないと考えている人は、そう考えているがゆえにその子をそうしてしまいます。
大人が子供の能力の上限を作ることによって、子供がそこまでしか成長させてもらえなくなってしまっているのです。
こうなると悪循環になって、ほかの様々な部分でも手のかかる子供に育てていくことになってしまいます。
小さいうちから、いい循環でもって子育ての積み重ねをしていくと、子供は大人に寄り添う成長をみせてくれて、子育てはとても楽しいですよね。
それでも、節目節目では大変なこともあるのだけど、どうぞこれからも子育てを楽しんでいってください。
相談させてください
その後も相変わらず手を繋いで歩くのでとても楽しいです。
支援センターに一ヶ月ほど行かなかったのですが
今まで以上に甘えて、可愛い表情がでてくるようになり、人見知りもするようになりました。
今日は気になる事が二つあるので相談させてください。
一つ目は支援センターでのことです。
支援センターは大人の足でバスと徒歩で30分かかります。週に1度ほど通っていました。
そこでは、0〜3歳(大半が0〜2歳)が数時間おいてあるオモチャで遊んだ後、片付けの時間が5分、後に保育士さんが10分手遊びをして帰宅の流れです。
息子は手遊び中、最前列で見たいようで前へ行くのですが
保育士さんからはお母さん抱っこしてと言われます。
興味なくウロウロしている子は遠くへ行くので手遊びの進行の妨げになることはありません。
息子は絵本を指差したり手遊びの道具を調べたがったりします。
2歳くらいの子は座って見ているか、お母さんの膝の上です。
始まる前から、これ狙ってるね〜と言われます。
そこで、前へでたら声をかけて抱っこするも暴れて嫌がります。
普段は全くそういう姿は見受けられません。
多分、息子を力ずくで動かしているからですよね。
始まる前からママの膝で聞こうねと言うのですが、嫌だと言われます。無理やり抱っこすると体をくねらせ嫌がり、隣に座っています。が、興味あるものがでてくると前へ行きます。
八ヶ月から行っていますがずっとなので、私が言い聞かせられないのかと落ち込んでしまいます。
でも、外を歩く時は手は自分から繋いでくるし、コンビニを歩かせても商品を触らない、チャイルドシートも自らつけようとするなど 伝わっていると感じる場面は多々あります。
手遊び中に座って見るのはそもそもこの月齢には無理な状態なのか、それとも息子の性格や私の関わり方が合っていないのか、どちらなのでしょうか?
それからもう一つ気になる事があります。
つかまり立ちをするころから寝ながらオムツ替えを嫌がるので
立たせたまま変えていました。
今では私が拭きやすいように足あげてくれます。
でも外へ出ると2歳くらいの子も寝転がってオムツ替えしているのをみると、間違っていたのかなと感じます。
家ではごろーんして、と言うと寝転がるのですが、そのあと体を触ると嫌がり、いつも立って交換しています。
普段は立って交換でも良いのですが、出先だとベビーシートから落下しないかヒヤヒヤします。が、外でごろーんして、と言うと激しく嫌がり、無理に寝転がらせると号泣します。
おとーちゃんの仰る弱い大人の姿になっているのでしょうか。
言い聞かせで変えられるものでしょうか?
ぽこさん
なぜならそれをする必要のある発達段階にないからです。
このことは明確に保育所保育指針にも書いてあるのだけど、日本人の子供観の一般的通念として「集団での行動をさせる」ということが非常に強くあります。
ぽこさんが経験した事例のように、子供に対する専門家であってもたくさんあります。
それは「子供は集団行動できるべき!」というある種の理想像が先にあって、個々の年齢・発達段階・個性・状況ということを無視して、それにあてはめようとしているという関わりです。
「個性を尊重する」ということがこれほど言われる世の中になっていても、実際のところはそのレベルでのことが行われているのが現実です。
お子さんが、それに参加しようとしないからといってなんにも問題ないですよ。
まあ、そんな場でそれはおかしいと反発してもなんにもなりませんので、適当にスルーしておけばいいでしょう。
立ったままおむつ替えして問題なくできるのならば、ぜんぜんそれでいいでしょう。
発達段階として次のことができているのに、周りと比べて戻す必要などありません。
けっこう寝ておむつ替えされるのを嫌がる子は多いです。とくに外出先などの不安になる空間でだと尚更です。
>言い聞かせで変えられるものでしょうか?
そういうわけで、言い聞かせられないから弱い大人というわけではありませんが、周りと比べて自分の子育てをマイナスに感じてしまうという点では、「弱さ」がありますよね。
子供の発達はみなそれぞれです。
ひとつひとつを悪く考えることありません。
それは心配の先回りになってしまいます。
よほどのことでなければ失敗ということはありませんから、自分のしていることに自信をもっていける強さがあるといいとより子育て楽に、楽しくなっていけると思いますよ。
離乳食 ベビーカーについて
西原式という育児法(離乳食は二歳半以降に与える。それまでは育児用ミルクのみを哺乳瓶で飲ませる)を実践しております。病気もなく機嫌がよく健康ですが、このまま大人が飲ませていたら(自分で持ちたがるときはさせています。)子どもの育ちを奪うことになるのでしょうか?
西原式では、あまり歩かせないようにベビーカーに乗せる。とのことで公園以外は、おんぶかベビーカーです。
大人にとって都合が良い(夜泣きをしたら二度、ミルクを与えるのが大変ですが…)子育てなのでしょうか?
おもちゃのスプーンで食べるマネをしているので二歳半になって食事を与えれば一人で食べれるのかな。と思っていました。でも、娘は公園に行くと落ちているゴミを拾い、私の顔を見ながらゆっくり口に入れます。食事に出かけると、私たちが食べているのをオモチャと勘違いして欲しがりグズルので割りばしなどを与えて食べ物は与えませんでした。でも最近、あまりにグズルのでパンを少しだけ持たせたら飲み込みながら咳き込んでいましたが、貰えたことが嬉しいようで見ていてカワイイと思い離乳食を与えてもいいのか迷います。
娘は有意義語が一つも出ていなくて、離乳食と関係があるのでしょうか?保健師や支援センターの保育士には「大人の言葉は理解しているし椅子に座って遊べるし、他の子供にも興味があるから異常ないと思います。二歳まで様子をみましょう。」と言われました。西原式のことは内緒にしています。娘は、生まれて二か月には喃語を話し、一歳で歩くまで、順調に成長していました。指さしをするようになったのが一歳四か月と遅かったのが心配でしたが、人形をかわいがり、知らない人にも笑顔で人と関わるのが大好きな子なのに喋らないのが不思議で、わざと喋らないのででは?と思ってしまいます。
習い事はベビーマッサージを数回、早期教育の教室に数回行ったり、支援センターにはたまに行っていましたが、なんとなく娘にとってストレスのような気がして最近は二人で公園に行きます(近くに支援センターや保育園があると、娘は行きたがりますが…)兄妹もいないし、隣に住んでいる主人の両親からも可愛がられています。家族は「二歳にならないと喋らないんだよ。」と全く心配していません。離乳食の件は心配していますが私のやり方を尊重してくれます。
離乳食を与えていないので本当の事を誰にも相談できずに、本当にこれで良いのか悩んでいます。食べ物と言葉は関係ないのか、あるのか?娘は喋るのも早いだろうと思っていただけに不思議で不思議でなりません。ちなみに、宇宙語はたくさんしゃべります。六か月までは穏やかでよく眠り育てやすく、その後はだんだん意志もはっきりして最近は、「ウーン! あぁー!}威張りながら、おもいっきり指をさし私たちに指示します。伝えるパワーはかなり感じで表情豊かで、主張はすごいですが何もなければグズルこともなく気持ちの切り替えは早いです。
毎日夕方5時に寝て朝は7時前には起きます。お昼寝は車内での移動でしかしない娘です。20分しか昼寝できないこともあります。一歳半すぎてから娘がだんだんと自立してきたように感じ、最近は育児が楽しいです。娘が生まれてから、カルト宗教(私の実家の家族は全員入会しております)を抜けることができ子供ができるとこんなにも自分の人生が良い方へ向かうとはビックリです。両親の離婚、再婚ネグレクト、祖父母からの虐待、マインドコントロールなどなど、とんでもない成育歴の私が、おおらかに、ゆったりできる自分になれ子どもや主人たちに感謝しています。そして、このブログのおかげで育てやすい可愛い子に育って嬉しいです。ありがとうございます。
関川 夢都美さん
もうかなり経ちますが、西原式を信奉している助産師が必要な栄養は母乳から得られるのだからとビタミンKの投与を怠って新生児を死亡に至らしめるということがありました。
それもあってか西原式を我が子に実践するという人も減っていったようです。
子供は体だけでなく、脳そのものの成長もいちじるしい時期です。
諸処の栄養素が欠乏状態ですと、その際の脳の成長も十分でなくなってしまうということがあります。
母乳というのは飲ませ続けていればかなりあとまで出るものですが、成分は薄くなり栄養自体は不十分となることもあります。
これは個々の差が大きいことで、誰でも十分な栄養があるとは言えないことです。
粉ミルクはカロリー的な栄養は高いものですが、すべてが一度精製されたものであるということは違いのないことです。
子供の成長に必要な栄養素、例えばビタミンDなどをとって考えましょう。
これが粉ミルクには何mgはいっていると書かれていても、それが実際にどれだけ吸収されているかというのは精製されたものではその信頼性が落ちる可能性があります。
一般にも、栄養はサプリメントなどはあくまで補助に過ぎず、きちんと食物としてとったほうがいいなどという話はよく聞かれることだと思います。
粉ミルクにも同様のことが言えるのではないでしょうか。
西原式では乳首を吸うことが大事なのだ、おしゃぶりも5歳まで使わせなさいなどと指導しています。
それで出っ歯などを心配した保護者がかかりつけ医で相談し、その相談を受けたある歯科医がこんなことを言っていました。
「西原式やってると出っ歯心配する前に、ミルクばっかりなので虫歯になって出っ歯になる前に歯が溶けちゃってる子たくさんいるよ」
また、モノを噛む、咀嚼するということが脳の形成によい影響があるということも、すでに以前から広くしられていますね。
保育園の事例でこんなものもありました。
3歳で入園してきた子、言葉がほとんど出ずうなり声を出す。情緒も不安定、イライラしていて噛みつきをがたくさんある。
とにかくモノ(食品でなくとも)を口にいれ齧る、誤飲しようとする。
お母さんに話を聴くと、入園前まで西原式に影響を受けてそのようにしていたとのこと。
その事例以来、西原式について調べたところ、栄養不足での病気がちだったり、腎機能不全などを起こして入院に至ったというようなケースがあることも知りました。
そういうケースに対しては西原式側のコメントというのは「母乳の質が悪いからそうなったのだ」ということで終始してしまうようです。
医学というのも科学の一種ですが、いま世間をにぎあわせているSTAP細胞などのように、科学の研究というのは仮説を立て、それを立証するに足るデータを集め、それを世に公表して、検証を受けた上でそれに根拠が認められてからさらに臨床という実際のデータを集めて、それでようやくそれを一般に出せるだけのスタートラインにたつわけです。
食物をあげずに母乳・ミルクだけで幼少期を過ごすことで、アレルギーやアトピーにかからないという説を支持している学者・研究者・医師というのは僕の知る限りおりません。
さまざまな病気や疾患の原因が口呼吸することにあり、それを是正することで多くのものが治癒するということも同様です。
近年の著書では、鼻呼吸、温かいもののみを口にする、手足を冷やさない、まっすぐ上を向いて寝るということなどをするだけで、てんかんや肺炎なども予防したり治したりすることができるとのことですが、もしそれを証明出来るだけのデータや研究をつんで世に発表し認められたのならば、てんかんの原因を突き止めさらには治療法まで確立したということでノーベル医学賞も不可能ではないでしょう。
しかし、そういう話はまだのようです。
そういった説が、学会誌や紀要論文などでなされているのではなく、一般向けの著書として述べられていることも見逃せない点です。
同じ著書の中でサッカーに人々が熱狂するのは精子とと卵子の記憶があるからだとか、人間がネコザメから進化したために腸の環境が近いということが述べられていて支離滅裂な印象を受ける人もいるようです。
また、西原式と早期教育を同時にすることで、飛躍的に勉強のできる子供になるのだというようなことを言う人もいます。
アレルギーにもならず、アトピーにもならず、ほかにも様々健康体になり、しかも勉強もできるようになる、その通りならばまことにすばらしいかもしれませんが、それらの根拠が腸内環境や鼻呼吸であると断定してしまうのは少々飛躍があるように僕には感じられます。
先の事例にあった子の例を鑑みましても、現実はそうそう簡単ではないようです。
関川 夢都美さんのお子さんがそれで問題なく成長しているというのならば、それでもいいのかもしれませんが、正直僕は心配になります。
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ひとつご相談があってコメントさせてもらっております。我が家には息子が生まれる前から飼っている2匹のチワワがおります。息子は、もうすぐ1歳2ヶ月になるのですが、最近お茶の入ったマグやおもちゃで犬を追い掛け回すようになりました。毎回ではないのですが。何かを人にあげるのが好きなので、犬にもあげようとしている時もありますが、たまにそれで叩こうとすることもでてきました。何かを叩いたり落としたりして音を出すのが最近のブームのようです。最近は投げることも覚え、たまに犬に向かって投げて、犬が逃げるのを見て喜んでいます。
ごくたまにですが、私にもマグで叩くことがあります。面白がっているようなのですが、「ママが痛いからやめてね。」「ママが困るからね」と言っても全く耳に入っていません。息子の手を握って止めて、目を見て言ってもやはりとまらず、さらに面白がってしまいます。そして、それが犬に対しても同じです。以前、私を噛んだりする時期があったのですが、そのときも「痛いからやめてね」というとさらに固執して繰り返していました。
普段は、好奇心が強く、明るくよく笑うポジティブな子だと思います。危ない時など、少し低めの声で「あぶないよ~」と言うと、ニコっと笑って「ダメダメ」と自分で首を振ってやめてくれます。
ただ叩いたりするのはなかなかやめてくれません。やはり、根気強く教えていけばよいのでしょうか。ただ、うちのチワワたちも繊細な性格をしており、怯えて鳴いたりすることもあるので(でもそれがうちの息子にはおもしろいようなのですが(苦笑))、一時的に知人に犬を預かってもらうほうがよいのかと悩んでおります。できれば動物のいる生活を子どもにも楽しんでもらいたいのですが。ゴールデンレトリバーのように大型犬で賢い犬であれば遊び相手になってくれるのかもしれませんが。。
私ども夫婦としては、できるだけのびのびと息子が遊べるような環境作りを心がけたいと思っています。
お知恵を拝借いただけると幸いです。