「叱ること」 多くの人が気づいていない落とし穴 - 2011.12.09 Fri
なぜなら「叱ること」は日本の子育ての中心になっているにも関わらず、必ずしもそれが健全に機能していない、もしくはプラスに作用していないと僕には思われるからです。
そこで僕の子育てのスタンスは、「子育てを叱ることありきにしない」「まず受容と肯定をその根底に置き、叱ることはそれが必要な発達段階、状況などに応じて必然性をもって用いられるべき」というものです。
そのため僕が「叱るらなくていい子育て」として言っているのは、現在よく議論されるような『叱る子育て』=『しつけられた子育て』 v.s 『叱らない子育て』=『放任された子育て』という構造には組しないといったことをこれまでには述べてきました。
大雑把ではあるけれど↑が「叱ること」に対しての僕の考え方です。
今回テーマにあげました「多くの人が気づいていない落とし穴」とは、このような僕の考え方とはまったく別の次元のお話です。
それは「叱ること」はクセになるということです。
クセといっても、それは単なる習慣というものではなく、心理作用による習慣性と言えるような根深いものです。
わかりやすいところでいえば「叩くこと」もこれと同様のクセとなります。
虐待などの話を聞くと「いつも叩きたくないと思っているのだけど、気がつくと叩いてしまっており、ハッとしてやめるのだけど大変な後悔をする。しかしまた手が出てしまい自分ではどうにもならない」という人が大変多いです。
みなさんもこのような話はどこかで読んだり聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。
このことは人間の心理作用と大いに関係があるのです。
人は強いストレスにさらされると、それを解消しようとする行動をほとんど無意識にとろうとします。
例えば、対人関係にストレスを感じやすい人は、人と話すときに無意識に口を触ったり髪をいじったりすることがありますね。子供では指しゃぶりをしたりしますが、大人でも爪を噛んだりするのが心理的なクセになっている人がいたりします。
通常そういうクセのない人でも極限状態では、やはり爪噛みをしたり、ヒゲをさわる、胎児のポーズで丸まったりなどよく知られるところです。
音楽の良さは言葉では説明することができないと言われますが、不協和音と和音の関係については説明することができます。
楽曲のなかには人が不快に感じられる音「不協和音」が入っています。不快に感じるのであれば入れなければいいのに、入っています。
しかしそれには意味があります。
不協和音によって感じられた不快さストレスは、その後に来る和音により解消されて人はそこに心地よさを感じるからです。
ここにはそういったストレスとその解消行動という心理作用があるわけです。
話を戻して先ほどあげた「叩きたくなくても叩いてしまい後悔する」というものを見ていきます。
子供が泣き喚いたり、ぐずったり、思い通りにならないと、そこに人は強いストレスを感じます。
その人の状態によっても(子育てノイローゼになっているとか、仕事や家庭・金銭などですでに悩みやストレスを抱えていれば)なおさら大きなストレスとしてそれが感じられます。
すると人は、その感じられたストレスを解消しようとする行動を無意識にとります。
そのストレスの解消行動として「叩く」という行動が咄嗟に出てしまいます。
意識的にその「叩く」という行動が選択されることもあるかもしれませんが、人の心理はその「叩いたこと」によりストレスが解消されたという「心地よさ」を学習してしまいます。
このことは「考えて意識的に叩いているのだから、クセになどなっているわけではない」とそのときは言えても、その後その「心地よさ」を学習してしまっているその人の心理の方は、後々その「叩く」という行動をするようにしむけていこうとすることがでてきてしまいかねません。
もちろんそのストレスの解消をそのときはぐっと押さえ、他の機会に他の方法で解消しようとすることもできます。
しかし、叩いたりすること、怒鳴ったり、暴言をはいたり、怒ったり、ヒステリーを起こしたりすることを自分に許容していれば、だんだんとそこで抑えることは大変難しくなっていきます。
つまり一度でも「叩く」ということを自分に許してしまえば、その後その行動をがまんすることは難しくなっていきます。
回数を重ねてしまえば、さらにそれはそれは困難になってしまいます。
いま「叩くこと」を例にとって説明しましたが、「叱ること」でも同様のことが起こりえます。
ストレスをともなうことの多い「子育て」というものにおいて、なにかにつけて「叱る」という対応をとっていると、その必要のないときですら叱ることを止められなくなってしまうことがあるのです。
そうすると生活や子育てのなかで「叱ること」がどんどん増えていってしまいます。
そのことは結果的に子育てを大変なものつらいものとしかねません。
これが多くの人が気づいていない、育児書などでも書かれることのない「叱ること」の落とし穴です。
これはまた別の話になりますが、「叱ること」が子育てのなかで何よりも重要ですべきなのだといった「叱る子育て必須論」の人は、そういった感情的なものは「怒る」であって「叱る」ではないと指摘するかもしれません。
たしかに「冷静に理知的に諭す」ことが「叱る」で、「感情的に子供に対すること」を「怒る」と定義するならばそれは「怒る」であって「叱る」でないかもしれません。
そうであれば「怒る」ことは必ずしも子供のためにならないこともあるが、「叱る」ということは子供のためになることであり、それは必須なのだという理屈はなりたつといえるかもしれません。
しかし理屈としてそれはなりたっても、現実に運用してみると必ずしもそのようにならないこともあります。
このことはまた別の「叱ることの落とし穴」と言えるでしょう。
長くなったのでそれにつきましては、また次回にしたいと思います。
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● COMMENT ●
No title
えりぃさん
お二人目ご出産おめでとうございます。
出産後は体力が低下していたり、忙しかったりで何かと大変ですよね。
でも実家だと気分的にもいろいろ楽かな。
ご相談の件ですが、おそらくは下に赤ちゃんができたことの反動がでているのではないでしょうか。
それまでどんなに可愛がられてきた子であっても、やはり下に弟妹ができるといろいろ出てくるものです。
赤ちゃんが生まれる前と同じくらい同じように関わってあげたとしても、それでもでるものです。
困ることをわざと繰り返してするというのは、お母さんの関わりを引き出したいという気持ちの表れでしょう。
そうであるならば、「そんなことしなくてもいいんだよ。お母さんに甘えたかったら素直に抱っこしてって言っていいんだよ」などと声をかけてみるといいです。
それでもツンデレをしてこない子もいます。
そういうときには、「そういう子はくすぐっちゃうぞ~~コチョコチョー」と楽しい遊びにしてしまいましょう。
そういったことを繰り返していると、困ることを繰り返しするというのは減ってきて、なおかつ素直に甘えがだせるようになり、素直に甘えのだせる子というのはやるべきときにやるべきことが出来る子になりますよ。
おしえてくださいー!
こんばんは
たくさんのためになるお話、愉しく、そして学ばせていただいています
ありがとうございます
娘は1歳8ヶ月の半ばくらいになるのですが、先日断乳しました
外国暮らしですが、日本に戻って、実家で約一ヶ月半過ごし、その間に断乳しました
断乳は、比較的スムーズに行きましたが、その一ヶ月半の暮らしのためか、「ママ、ママ」と言う状態になっています
お風呂やおむつ交換は夫はほとんどさせてもらえず・・・
そのために、私のそれまではあった夜の自分の時間が少なくなってしまいました
時々、ストレスを夫にぶつけてしまいましすが、娘のこの反応は、今ちゃんと受け止めてあげるべきなのだろう、時期がくれば落ち着くだろうし、今は「プラス」の貯金をしてるんだ、と自分に言い聞かせています
ただ、彼女の反応がほかにもあって、いわゆる成長期に入ったのかなぁ、と。お風呂やおむつ交換を私がしようとしても、嫌がるのです。
おむつは、う○ちなどで、ほんとうに換えてほしいときは換えさせてくれますが、それでも、話をそらしたり、ほかの遊びに行こうとしたり・・・
そして、お風呂は時にものすごくないて抵抗します・・・
まあ、一日二日はいらなくてもいいか、と思ってからだを拭いてすませたりしているのですが。
そして出来るだけ、普段からこちょこちょしたり、肯定、受容したり、としているつもりなのですが、そう出来ないときに「じゃあ、もうずっとやらないよ」とか、「私はもう(おむつ)換えないから、パパに換えてもらってね」などと、ちょっと脅しみたいな反応をしてしまうのです。
そうすると、娘は泣いて「換えてー!」とやってきます
この記事にある「しかること」は癖になる
私のこんな対応も癖になってしまってるのではないか、と思っています
出来たら、こんな対応をしないで愉しく過ごしたいのだけど・・・
なにか助言をいただけたらうれしいです
長い文章になってしまいました
これからも愉しみにしています!
ありがとうございます
まりままさん
帰るところがあるっていうのはいいものですね。
ご相談の件ですが、「あ~そうなんだ~」をやってみるといいかと思います。
成長期というのは自分の主張の練習ですので、まずは受け止めてもらうこと、次に主張の引き際とそれにともなう感情のコントロールを実地に学ぼうとしているわけです。
受け止めることをせずに、主張の引き際つまり親の意に沿うことをまず伝えようとしていくとなかなか納得できずに激しくなったり長引いたりします。
そこで、なにかでごねたりしたときはまず「あ~そうなんだ~」という態度・心持を大人のほうがもつといいです。いきなり相手の主張をはねかえすだけの態度を大人がとってしまうと、子供はなかなか引き際をみつけられません、これは大人だってそうですね。
また、「あ~そうなんだ~」と一拍おくことで大人の気持ちもだいぶおおらかになれます。子供も大人も楽になれます。
もし、そのときの子供の主張が受け入れられないものであればそのあとに「そっか~でもいまは困るな~」「また入りたくなかったの。でも今日はきれいにしたいからお風呂にはいろうね」などの大人の主張を伝えていくとだいぶ子供の感情の受け入れ態勢もできてくるのですんなりいきやすくなります。
大人の側が譲歩するならやはり「あ~そうなんだ~」のあとでいいわけです。
「そっか~お風呂いやだったんだ~。じゃあ今日は体ふくだけでいっか~」
譲歩するならするで、文句をいいいながらとかイヤイヤでなくて気持ちよくやるのがいいです。
イヤイヤするのもニコニコするのも同じ手間、でも子供の受け方はぜんぜんかわってきます。
ニコニコとしてくれればそこで子供は「お母さんはわたしの主張をきちんとうけとめてくれたんだ~」と実感できます。その積み重ねがあって主張と受け入れに納得がいくようになっていくと、大きなゴネはだんだんなくなっていけます。
がんばって親が毎回譲歩していたとしても、それが不機嫌な顔でだったら子供はなかなかそうは思えませんね。
なのでこのメリハリが大切なわけです。
「あ~そうなんだ~」は主張の受け入れであると同時に、「あるがままのあなたの肯定」という親からのメッセージでもあります。
推測でしかありませんが、断乳したこともあって出方がより強くなっているのかもということが考えられます。
子供がおっぱいをほしがりそれを親が受け止め、心地よくおっぱいをもらえるというのは「無条件のあなたの肯定」という親子間のメッセージのやりとりでもあります。
いまは断乳も完了してその状況にお子さんもなじんできたわけだけど、その授乳という無言の会話がなくなってしまったことの喪失感を子供はうめなければなりません。
そこで強く自己主張することで「あるがままのわたしをうけとめて~」というメッセージを発しているのではないかと思います。
なので例えば「おふろにはいりたくない」というのは、一種の理由付けの側面があるわけです。
>「じゃあ、もうずっとやらないよ」とか、「私はもう(おむつ)換えないから、パパに換えてもらってね」
そういった観点から見ますと、↑こういうのは「受け入れてほしい」というメッセージに対して「あなたを受け入れません」という返事を返してしまっていると言う見方もできるかもしれません。
主張や感情をコントロールを覚えせせるための方便として、使うことも否定しませんが、成長期の前半はまず「あなたの主張をまずは聴きましょう」というのをしっかりやっていったほうがすんなりといくようです。
子供のこういった反応はいわばツンデレです。
まっこうからぶつかると反発対反発になってしまうわけだけど、親に余裕があるときなら楽しく受け止めてあげるということもできます。
例えば、「お風呂はいりたくない~」というならば、「あ~そうなんだ~。でもそういわれるとお母さんこまっちゃうな~。そんなこという子はくすぐっちゃうぞ~~~コチョコチョーー」みたいにね。
子供の気分によってはこういうのがきかないときもありますが、親も子も気持ちに余裕がもてたりしますからやってみるのもいいですよ。
というわけで、「あ~そうなんだ~」は単なるテクニックではなくて「あなたの気持ちを聴きますよ」という受け止める姿勢であり、「無条件のあなたの肯定」というものでもあったわけです。
よかったらやってみてください。
なんか「あ~そうなんだ~」で記事が一本かけそうな感じになってきちゃいました。こんど時間があるときにかこうかしら(笑)
No title
こんにちは
お忙しい中に早速お返事ありがとうございます
ブログにも来てくださったなんて、うれしいです^^
無条件の肯定、がんばって譲歩するのではなくてニコニコと・・・
譲歩しているようでもそうなっていなかったんだろうな、と思えることがたくさんです
そうなんだ、と言う言葉はあまり使わず、ついすぐにこちらの要求を伝えていたかも・・・
もう一つ、質問させてください
過去のブログで、ごねるのにはとことんつきあう、とかかれていたと思うのですが・・・
今日もまたあったことなのですが、出かける準備に、服を着たがらなくて、「そっかー・・・」とやってみてたのですが、そうするとどこかにいってしまったりします。出かけたいのは私で、用事もキャンセルが出来るときなどは、無理じいしなくてもいいのかな、と思い、今日は本人に「でかけないんだね?」と聞くと、「出かけない」というので、じゃあやめよう、と出かける準備をやめました.そしたら、「行く!」と言い出し、大泣きに。
私自身も、そこで何ともなかったようにニコニコできたらいいのだろうけど、そうは出来ず・・・結局また「だったら行かないよ」と言う対応と同じか、もっとひどいのかも、と思ってしまいました。
こんなとき、いや、と言われても、そっかー洋服来たくないんだね?でも、外に行くなら寒いから着ようね、などと言って、さらに嫌、と言われたらまた同じように対応してくのがいいのでしょうか?
出かけるときは公園に連れて行ってあげたいと思うことも多いのだけど、それも、私が行きたいとき、ではなくて、本人の口から「ブランコ」などの言葉がでて来たときに、じゃあ、服着ていこうね、などと誘ったほうがすんなり行くのかなぁ、と思ったりもしています。
変更できない約束だったらまだしも、そうでない場合は,無理矢理にでも服を着せて、ということもすべきかどうか、悩んでしまいます。
おとーちゃんさんのお返事を心に刻むべく、お返事を印刷して眺めています。穏やかに、娘の感情を受け止めてあげられるようになりたいのに、実際の毎日は応用編が多くて・・・笑
「あ~そうなんだ~」の記事、ぜひお願いします^^
ありがとうございます!
まりままさん
するとここhttp://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-162.html#moreのコメントの返信のなかで書いていました。
またここhttp://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-30.html#moreでも本文の下のほうで「基本的に「成長期」のこどもには根気よくつきあうのが大事なんだけど」と書いていましたね。
上のほうはあくまで僕のスタイルっていう話なのでまあ、そのままやることはないですよ。
下のほうは、投げたり放任になってしまったりせずにきちんと向き合ってあげましょうという意味合いで書かれているので、エンドレスに付き合えと言う意味でないのでどこかでたちきってしまうことがあってもそれはぜんぜんかまいません。むしろ、感情のコントロールもまだ未成熟な段階ですので、子供自身もわかっていても気持ちを変えられなくてゴネゴネから抜け出れなくなってしまうということもあります。
そういうときは気持ちの向きを変えてあげたりするのも必要です。
「出かけない」のエピソードもきっと一種のツンデレだったのでしょうね。
子供がごねるのにもけっこういろいろな理由があったりして、単に自己主張の理由づけだけでごねることもあれば、それまでしていた遊びを中断されたくなくて「いかない」と言ったり。
ほかに何かしたいことがあったとか、ちょっとおなかがへっててどっかいったらご飯食べられないんじゃないかとなんとなく思ってしまったりとか。
まあ、たいていは本心からそのことがイヤでごねているわけではないようです。
でも、「魔の2歳児」カテゴリーで書かれているように、自我を獲得するための練習期間なのでいろいろなことにかこつけてその練習をするわけです。
そこで「でかけないんだね?」と念押しのようにきいてしまうと、子供は感情が高ぶってしまっているのでそのまま「うん」と誘導尋問的にいってしまったり、うりことばにかいことば的に「そうだ」と言いたくなってしまったりすることもあります。
まあ、こんなときも前のコメントで書いたように、受け止める「そうなんだ~」のあとに相手の気持ちを汲むような言葉を投げかけていくと、子供は素直に言いやすくなります。
「そうなんだ~~。」ちょっと間を取って 「じゃあ、あなたはどうしたいの~?」
「○○○○ナノ~~~」
「あ~そうしたかったんだね~。うんうん、わかったよ、でもママは△△にいきたいんだけどどうする~?」
などと、気持ちを受け止め汲み取りつつキャッチボールをしていくと子供も気持ちがおさまってきて、すんなりと大人の意に沿える気分になったりします。
でも、ほんとにすごいときはこんなもんでは収まらなくて記事にあったように「大人のがまんに挑戦!」になったりもするので、どうにも落としどころのみつからない(互いに)こともあるんですよね。
また、どうしてもいかなければならないときとかもそうなんだけど、そういうときは「いいえ、いまはいかなければならないのでいきます!」ときっぱり言ってしまっていいんですよ。
子供も実はそういうときはきちんとわかっているんです。
だからそういう対応をしても大丈夫。
常にそれではちっとも大丈夫ではないけど、普段受け止めるところを受け止め、汲むところを汲んでいれば子供はそのとき無理やりやったとしてもそれなりに納得できるものです。
繰り返して納得できそうなときは繰り返してもいいし、無理そうなときは受け止めたり汲んだあとで譲歩するなり強行するなりそれはそのときの臨機応変でいいと思います。
これはどうにもこのままでは気分変わりそうもないなというときは、ちょっと間をおいてもいいし、なにかで気を紛らわしてもいいし。やっぱりそれもそのときどきで。
まあ、僕の言っていることだけが正解じゃないから、無理してやろうとしないで自分のスタイルでやってみればそれでいいと思いますよ。
このいまの大変さっていうのは、「のど元すぎれば熱さ忘れる」のたぐいのものだから押したり引いたりなんとか乗りきってしまえばそれでどうにかなってしまうみたいですよ。
おまけ
まりままさんのところみたく、成長期が早かったり出方が強かったりする子、特に女の子は成長期を終えたその後の精神的な発達っていうものが比較的早い子が多いので、一気に親からどんどん自立していってしまうという子がいます。
そうなると赤ちゃん赤ちゃんしているのもいまのうちだけだから、甘えてくるのをたくさん楽しんだり、だだっこしてくれるのもいまが花と満喫しておくといいですよ~~。精神的に自立してしまうと寂しくなってしまうので、大人の方が(笑)
いつも楽しみにしています。
いつもブログありがとうございます。
子育てに困った時、読んで持ち直したり
心の支えにしています。
お忙しいとは思うのですが、
今日は嬉しい事があったので、ぜひご報告したくてコメント投稿しました。
本当にちいさなことなのですが。
主張が強くなってきて時にひどい癇癪を起こす、2歳10ヵ月の息子。
今日の朝、朝ごはんのオカズにケチャップをもっとかけろーと
騒ぎだしたんです。(すでにたくさんかかっている)
私に余裕がない時は、つい強く「ダメ!」って言ってしまい
後悔してしまうのですが、今日は
おとーちゃんの「そうなんだー。でも……」を使ってみました。
じーっと顔をみながら、ゆーくり待ってみました。
そうしたら数分後。
「わかった」って一言。落ち着いたんです!
「僕、怒らなかった。」とも言って
素直にごはんを食べだしました。
怒りをコントロールする術を学んでいるんだなーって
実感した瞬間でうれしくなりました!
本当に「安易にしかる必要はない」んですね。
これからも記事を楽しみにしています。
報告メールで失礼しました。
No title
子供がそれをするには何か他の理由があったり、気付いてほしいことがあったりするのですよね。昨日また「困ったことを繰り返す」を私の母に対してしていたので、『そんなことしなくても一緒に遊びたいって言えば、おばあちゃんは遊んでくれるんだよ』と言うと、ピタッと止めて母にくっついていきました。
娘の反応に対しては嬉しさの他ありませんが、母の反応が興味深かったんです。
一瞬『娘が繰り返す小さな悪戯(?)に対して、私がトンチンカンなことを言いだした…』といった雰囲気になっていました。
母は私が娘の反応を大人の三倍待ったり、叱る前にまず言い聞かせたり、ちょっとしたことをオーバーに褒めまくったりするのを『甘やかしてる!』と感じているようなのです。
なのでこの時娘を叱らないうえにトンチンカンな投げかけをする私を不思議に思い、さらにそれに反応した娘に対しても不思議に思ったのではないでしょうか。
以前におとーちゃんさんが『おばあちゃん世代はダメ出しが多い』と書かれていましたが、日々感じています(苦笑)
『甘やかす』にはならないようにはこれからも気をつけていかないといけないとも感じています。
No title
こんばんは
お返事ありがとうございました!
納得しながら読ませていただきました。
たくさんの「?」がいつもいつもでてくる育児ですが、おっしゃるとおりに、この時期は永遠と続くわけではなく、終わってしまえばあっという間で、そしてその後は寂しくも感じるだろう、ってこと、とてもよくわかります。
ほとんどの場合において、よく笑い、歌い、お話しし、お手伝いもしてくれるし、「こちょこちょして」とか言ってくれて「ちゅー」とかしてくれて、とっても可愛い娘なので、お答えいただいたこと、ほかの記事も含めて、これからも参考にさせていただきながら、「今が花」と味わおう、と思います。
ほんとうにありがとうございました!
早くPCが直りますようにお祈りしています☆
Merry X'mas♪
助けて下さい
今思えば長男が2歳になった頃(自我が芽生え私の思うとおりにはいかなくなった頃)から叱る=ストレス解消の悪循環からずっとずっと抜け出せないでいるように思います。
次男は今魔の2歳児…。嫌!嫌!をぶつけ泣き喚き手がつけられなくなります。「ママ!もうあっちいってて!」と言い私を叩く息子。私は大きな声で怒鳴り、ひどい事を言ってしまいます。時には言葉も掛けず放っておく事もあります。叱ってはいけない、優しく受け止めてやりたいと思うのですが…どうしても怒鳴っている自分がいます。辛いです。長男も時々手がつけられなくなる程暴れて泣き喚く事があります。6歳になった今でも…。もう何年もこんな私に育てられきっと心に傷をつくってしまったのだと思います。長男は小さい頃からかなり人見知りでお友達と遊べなかったり、幼稚園の登園時に泣いたり…その他様々な場面で育てにくい子だと感じてきましたがそれは私の育て方がそうしてしまっていたんです。
このままではいけないと思います。でも繰り返してしまうんです。どうしたらいいのでしょう。助けて下さい。
ごはんが足りないと言って泣きます…
保育園のことでご相談させていただいたすももです。
結局、通勤時間が長いことから(1時間半)引っ越しするまでは保育園に預けるのは見送ることにしました。それまでは家で一緒に過ごすことにします。 まだまだ一緒にいたいという気もすごくあったので、最後はそれが決め手になったかもしれません。
保育園に入るのは少し先になりますが、いろいろアドバイスいただいて心構えができました。その節はありがとうございました。
本当は、積み木のことでお聞きしたいことがあったのですが、最近少し困ってことがあるので、ご相談させていただいていいでしょうか。
娘(1歳7カ月)はすごく食べることが好きな子で、小さいときから母乳はよく飲むし、離乳食を始めてからも残すということがなくて、 食事に関してあまり悩みがなかったのですが、最近、食事の終わりに癇癪を起こすようになりました。
食事の終りに「きき(ちょうだいという意味)」と器の中をさして、もらえないとわかると、癇癪をおこして器を投げるのです。
そういうことがずっと続いていたのですが、今日は今までよりもひどかったのです。
いつものように「きき(ちょうだいという意味)」と言うので、「まだほしいの?まだほしいんだね」と聞いて「でもね、これで終わりにしようね」というと「わーん」と泣いて、テーブルにあるタッパーをぶちまけてしまいました。
いつもよりきつく「お母さん、そんなことするのいやだな。悲しいな」と言ったらじーっと聞いていて、それから手を洗ってだっこして「お母さん、あんなことしたらいやだな。しないでほしいな」と言いました。
食事の量が少ないのではないかというとそんなことはなく、ぐずりながらも手を洗うとけろっとしているので、ほしいといってるのにもらえないことに腹をたてているんだと思います。
母乳をすごく飲む子だったので、断乳後(断乳して2カ月経ちます)食事だけの生活にまだ慣れていないのかもしれないのですが、それにしても毎回もらえないとわかると大泣きで、のけぞって椅子に背中をぶつけたりして、毎回食事のたびに困ってます。(今書いていて気付いたのですが、毎回というわけではなく朝食時に多いような気がします)
ほかのことではあまりぐずったりせず、その前の段階でなんとか納得しているようです。
おやつがほしいとき→「そうか、今おやつほしいんだね」
寝る前におもちゃで遊びたがるとき→「そうか、今遊びたいんだね。でもねんねの前だからないないしようね」
と言うとおさまります。
でも、食事のときと、私が持ってるものをどうしても欲しがってとってしまうときは、いくら言い聞かせてもダメです。
私が持ってるものすべてに興味があるみたいで、突進してきて奪ってしまうので「ちょうだいね」と言っても全然聞いてくれません。
こういうのは、やはり毎日毎日言い聞かせて、聞いてくれるようになるのを待つしかないでしょうか。
毎日自分なりにかかわってるつもりなんだけど、日々のかかわりがまだまだ足りないのかもしれませんね。
癇癪を起した際の対応や日々のかかわりのポイントなども教えていただけるとうれしいです。
今まであまりこういうことはなかったのですが、もう1歳7カ月なのでイヤイヤ期の始まりなのかなと思います。
もし、こういうのが毎日になったら、うーん、やっぱり叱ってしまうかもと思ってしまいました。
今日も「投げないでね」と言った後に、「これだけでほんとに聞いてくれるのかな。しっかり怒ったほうがいいのかな」とも思ってしまったし。
これだけおとーちゃんさんのブログを読んでわかってるつもりでもそうなんですよね。
すぐに叱ったり、いいなりになるのではなく、しっかりいってわかってもらえるのは難しいなとしみじみ思います。
PCが壊れたり、年明けでお忙しい中、申しわけありませんが、アドバイスいただけるとうれしいです。。
昨年こちらのブログを知ってから、悩みながらも子育てのよりどころができたようで心強いです。
これからも応援しています。よろしくお願いいたします。
かいじゅうはは。 さん
そういったお話を聞けると僕としても大変うれしいです。
子供と心が通じた!と思える瞬間ってとてもいいものですよね。
これからもどうぞ子育てを楽しんでいってください。
本当にコメントありがとうございました。
えりぃさん
でも、めのまえでそうやってきちんと伝えることで納得して行動できる子供の姿を現にみていくと、もしかするとかわってくるかもしれないね。
そういった支配せずとも寄り添った関わりが積み重なっていくと、子供と関わることが楽しくなっていくよね。
まりままさん
どんなクリスマスとお正月をお過ごしでしたでしょうか。
東京は年末から小春日和の続く近年ないくらいの暖かな年末年始でした。
お子さんの可愛らしい姿が目に浮かぶようです。
どうぞこれからも楽しい子育てをおくれますように、また皆様の今年一年のご健康をお祈りいたします。
だめママさん
ずいぶんたってしまったので見ていらっしゃるかどうかわかりませんが、ここに相談のお返事を書いておきます。
本文のなかにも書きましたが、こういったことは心理作用として万人が陥りやすいことでけっしてあなたが悪意があったり、子供を虐げようとしてやっているわけではないのです。だから「ダメ」なんてことはないですよ。
その気になりさえすればそういった子供の様子は必ず変わります。
具体的には、「先回りした関わり」「あるがままの姿から出発する」「自分を責めない」というところからやっていきましょう。
「先回りした関わり」はブログ内検索をかけていただくと具体例がたくさんでてくるかとおもいます。
要は、大人を困らせる子供のネガティブな行動の多くは「大人から良い関わりを引き出したい」という子供のサインであるのだから、子供がそういったネガティブな行動で大人を困らせてしまうよりも前にその本来求めている「良い関わり」を大人の方から働きかけてしまおうというものです。
その主なものとして「くすぐり」などのスキンシップをともなった楽しい関わりや、話を聞いたり、一緒に見た物事・経験したことに「共感していくこと」を特に勧めています。それは、小さなことでいいのです。例えば何かを食べて「おいしいね~」と言い合ったりするだけでも。無理なく出来ることを頑張らない程度にちょっとずつでも続けていくことが大切です。
「あるがままの姿から出発する」というのは現状を否定しないということです。
「この年齢ならこんなことしないはずなのに」「ほかの子はみんなできているのになんでうちの子はできないんだろう」などと今ある姿を否定したところでなんにもなりません。それどころか、そういった気持ちは表情や態度に必ず出てしまいますので、子供は敏感にそれを感じ取ります。
子供に余計な満たされない気持ちを抱えさせるだけで、返って難しくするだけです。
子供が最も親に望むことは、「自分の存在を無条件に全面的に受け入れて欲しい」ということです。
子供がごねたりするときに、そこで大人を困らせる本当の理由はそこで「なになにがしたい~」といった表面上のことではなく、「そうやって困らせようとしている自分でも受け入れて欲しい」ということがたいていです。
だからその理由にしている「わがまま」を叶えてあげたからといって満足するわけでもないし、またそのごねることを叱ってやめさせたからといって納得するものでもありません。
だから大切なのは「存在を肯定する」ことなのです。
そのためには「あ~そうなんだ~○○したかったんだね」などとまずは気持ちを受け止めてあげることなのです。そこをきちんとしていれば、かならずしもわがままを叶える必要も叱り飛ばす必要もなくなっていけます。
また「ダメ」「うるさい」などその子の行為や存在を否定する言葉掛けも少しずつでいいから減らしていくとよいです。
「ダメ」といままでいっていたところは、ほとんどの場面で「どうしたの?」とまず受け止め子供自身に考えさせる言葉かけに代えることができます。
わがままをなんでも聞けという意味ではありません。
「それはできない」と伝えることは、「どうしたの?」のあとからでも伝えることができます。
しょっちゅう「ダメ」といきなり一言で子供の気持ちを打ち切っていってしまっては、子供の気持ちに鬱屈したものが溜まっていくばかりで、結局はそれが大人を困らせる行動に駆り立ててしまいます。
3番目の「自分を責めない」というのは大人が自分自身を責めないということです。
例えば先回りした関わりをたくさんしたところで、まだまだ大人を困らせようとする行動はすぐになくなるわけではないでしょう。
いらいらして怒ってしまうこともあるはずです。
つい感情的になってしまったとしても、それで後悔してあとから自分を責めても得るところはなにもありません。
そういうことは疲れたり、忙しかったり、いらいらが重なってしまえば誰しもあることです。
親が自分を責めたりする気持ちもたいてい子供に伝わってしまいます。
そしてそのことは、子供にとって「自分が大好きなお母さんを悲しませてしまった」と子供自身が自分を否定する感情を形成してしまいます。
なので、もしつい感情的になったりすることがあっても、それはそれ。自分を責めたりするくらいならその分、またの機会に先回りした良い関わりを一個でも多くしてあげればいいでしょう。
すぐにとはいかないけれども、そういったことの積み重ねで子供の姿は必ず変わっていけます。
大切なのは出来る範囲でいいからあせらず無理なくやっていくことです。
まずはその3つに気をつけて、ほかの様々なことはカテゴリの「心の育て方や」「叱らなくていい子育て」のところなどに過去記事がありますからもしよかったら参考にしてみてください。
すももさん
ご相談の件ですが、本当に分量が足りなくてぐずっているのでなければ、おっしゃるとおり成長期に入ってきたことも考えられますね。女の子ですと早めに来ることもありますので、そのくらいの月齢であればその可能性もあります。
その場合であれば、僕だったら「子供をどういう風にさせよう」というのでなくて、まずは「僕はどう思っている」というのを伝えるようにします。
つまりこの場合であれば、「器を投げない」ということを仕込むのではなくて、食器を投げたり食べ物をなげたりしたら私は悲しい・嫌だ」ということをきちんと伝えることの積み重ねをしていきます。
その行為が本当に心から困ると思うならばその気持ち・感情を示してもいいと思います。
もちろん同時にというかその前に子供の「どうしたの? ○○したかったんだ」という気持ちの受け止めもしていきます。
すぐに結果はでないかもしれませんがそういった積み重ねをしていくことでだんだんと伝わっていけると思います。
ですが、そういった成長期に入りかけているというだけでなく、断乳したことの反動が出ている可能性も多分にあるのではないかと推察されます。
お母さんからおっぱいをもらうという行為は、単に栄養素をもらうというだけでなく、親子の大きな精神的な関わりを担っています。
ある意味、授乳という行為で子供は「自分の存在の無条件の肯定」を実感できるわけです。簡単に言えばそのつどお母さんに受け入れてもらっていたわけです。
いまその行為がなくなりました。
もう確立したものを戻す必要はありませんが、それのなくなった部分を意識的に埋めてあげるといいかもしれません。
そんなときは、例えば「先回りした関わり」です。
朝そういう風になることが多いならば、朝起きたときやご飯のまえにちょっと顔遊びをして関わったり、そういう時間がなければ、単にオーバーアクションで抱きしめてあげてもいいし、楽しく顔を拭いてあげたりでもいいしね。食事の時の関わり方を楽しくしてもいいしね。
そんなことでお母さんの気持ちが自分にしっかりむいているのだという実感を積み重ねていけば、だんだんやわらいでいくかもしれないね。
出来る範囲で無理なくやってみてください。
ありがとうございました
昨日もご飯の後、器を投げました……。「お母さん、投げるのいやだ」と伝えました。わかってくれる日がくるのを待ちます。
断乳後、寝る前もぐずらなくなり、よく寝るようになって、顔つきもかわり、本当に成長したなと思ってたのですが、彼女なりにストレスを感じているのかもしれませんね。本当におっぱいが大好きでよく飲む子だったので、断乳後体重もあまりふえなくなってきました。授乳時間のふれあいがなくなって、さびしいのかもしれませんね。
最近日中は抱っこをせがんできたり、絵本を読んでと甘えることが多いのですが、できるだけこたえてあげようと思います。
お忙しい中、記事やコメントを書くのは大変だと思いますが、御身体に気をつけてくださいね。今年も読むのを楽しみにしています。
ありがとうございました
「助けて下さい」こんな情けない相談に具体的な接し方や考え方を分かりやすく、また温かい言葉でコメントいただき涙が出てきました。本当にありがとうございます。過去の記事も読ませて頂きとても参考になりました。
「先回りした関わり」(心地よい関わり)や「今のあるがままを受け止める」事(この子はこの子でいいんだ)。「自分を責めない事」(叱ってしまっても責めて終わりではなく次の良い関わりを目指す!)
このアドバイスを心に出来ることをやっていこうと思います。
今まで誰にも相談出来ずに一人で悩んでばかりいました。このブログを私の様に一人で悩んでいる多くのママ達に見てもらいたい!そう思います!!心が救われました本当に本当にありがとうございました。
ダメママさん
前回の返信長くなってしまったので書ききれませんでしたが、どうしても伝えたいと思うので付け足しておきます。
あなたはダメな親なんかじゃないってことです。
ほんとにダメな親なら子供のことで悩んだり、心配したり不安になったりなんてしません。
僕はそういう親も現実にたくさん知っています。
そういう人たちは子供の存在を自分の利益になるときだけ利用はしても、子供のことを気にかけたりはしません。
手に負えなくなれば放り投げるだけです。
普通の親にとっては信じられないことかもしれないけれど、そういう現実は少なくありません。
でも、あなたは自分の子供のことで心配して悩んでいるのだもの。
それは親としての愛情がなければできないことですよね。そしてその気持ちがあれば子育てが多少うまかろうが下手だろうが問題ないわけです。
親子の絆っていうのはそう簡単に揺らぐものではないから、怒りっぱなしでいたとしてもどこかでその気持ちが子供に伝わってさえいれば、それで子供はきちんと育てます。
子育てでうまくいかないことがあるのは、むしろ当たり前のことです。
ほとんどの人が知っているようで実際にはなんの知識もなく、ある日突然、否応なしにこそだてをすることになります。
僕だってある日突然「一から味噌をつくりなさい!」とか言われても、「塩と大豆と、あと麹かなんかがいるんだっけかな・・」と断片的な知識だけもっているだけで、きちんとうまくできるわけはありません。
そんなとき、一度作ったことのある人やプロの人に聞いてみて作り直してみるのは恥でもなんでもないわけです。
それで試行錯誤していれば、プロが作るのと同じようには無理でも、自分なりのものがいつかできるようになるでしょう。
子育てもそれとおなじで、試行錯誤しながら自分なりのものができればそれでいいんじゃないかな。
あなたはお子さんに向ける気持ちも意欲も愛情もあるわけです。うまくいかないことがあったとしても、その事実はゆるぎないわけです。
どうぞ自信をもって自分なりのかたちでいいから子育てをしてみてください。
きっとそれでうまくいくはずですよ。
心から応援しています。
もし、今度いつかコメントをくれる時があったらお名前はかえましょうね!
お忙しい中、重ねてのコメント本当にありがとうございます。おとーちゃんさんの言葉にまたまた涙が出ました。
今まで毎日こんなに我が子を叱るなんて…私には母親としての愛情が無い、ダメな母親だ、と思っていました。
「子供の事で悩む事は愛情があるから」そんな風に言ってもらった事は今まで無かったので驚きと信じられない気持ちでした。
おとーちゃんさんの言葉は魔法みたいです。これまでの自分はダメだ↓というマイナスな考え方から前向きに頑張ろう↑と思う事が出来たんです。私でいいんだ、私らしく“子育て”していけばいいんだ、今そう思っています。本当にありがとうございました。
確か…味噌って作ってすぐではなく熟成させて美味しくなるんですよね。すぐに結果は出ないだろうけど…味わいのある味噌(子供それぞれの味わい)になる熟成期間だと思って、じっくりゆっくりやってきいたいです。
これからは自分を認め子供を認め前向きにニコニコ笑顔のニコママで頑張ります!!
ニコママさん
自分のことを良く思えていなかったら、他者のいいところなんてなおさらみえてこないですからね、そうやって前向きな方がずっといいですよ。
無理しないでできることからやってってね。
姉妹のモノの取り合いについて相談です
いつも上の子が貸さなければいけないのも可哀そうなので、下の子は「かーしーてー」と言うのですが、「使ってるときは今使ってるからあとで、と言えばいいんだよ。」と対応してきました。そうすると、下の子もマネして上の子が貸して、というと、「今使ってる。」「あとで。」など言うようになりましたが、今度は二人ともそれを理由にしてずっと貸さないのはどうかと思い「今本当に使ってるならいいけど、終わったら貸してあげてね。」と声をかけてきました。
それで収まればよいのですが、最近上の子が下の子が何かで遊んで(例えば風船をぽんぽんたたいてたりして)、下の子も一緒にやろうとするとすぐに届かないように頭の上に持ち上げて逃げまわります。下の子が「かーしーてー」と泣きながら言って追いかけても無視して楽しそうに届かないようにして部屋の中を逃げ回ります。そうすると下の子は上の子に追いついて服とかをつかむのですが、そのまま逃げるので追いつけずに、服を離したはずみでぽーんと転んでしまったりします。
その態度には腹がたってしまい、小さい子は届かないんだから、そうやって届かないようにするのはずるいし、掴まれて思い切り逃げたら怪我をして危ない、と言って怒ってしまいます。そうすると上の子は「もういらない」と言ってふてくされながら下の子に渡すのですが、どうもこういう対応ではいけないような気がするのですが、かといってどうしたらいいのかも分かりません
「遊びの保証」という記事も拝見したのですが、こういう状況にどうしたらいいのかがよく分かりません。もし既にこのような相談に回答されていたら申し訳ございませんが、見つけることができませんでした。
今のような対応で何か問題があれば、またよい対応の仕方があれば、またあまり干渉すべきでないのか(とは言っても小さい子が転んだり泣いたりしているのはかわいそうでなかなか黙って見ていられません)、教えていただけませんでしょうか。
モノの取り合いをするとき以外は仲良しで、上の子も本を読んであがり、泣いているとあやしてくれたりよく面倒を見てくれている方だと思います。下の子が寝ているときやぼーっとしているときはここぞとばかりにほっぺたにチューを沢山したりぷにぷにした腕や足を触ったりして、可愛く思っているようです。
Satoさん
人によってもその時によっても違いますからね。
ひとつにはモノの取り合いということも経験なので、それ自体は悪いことでもないし、適度に子供達どうしですればいいことです。
これはコメントにもあったようにSatoもお分かりのことだと思います。
>その態度には腹がたってしまい、小さい子は届かないんだから、そうやって届かないようにするのはずるいし、掴まれて思い切り逃げたら怪我をして危ない、と言って怒ってしまいます
コメントの相談の中心になるのはこのあたりのことでしょう。
優しい子供であっても、こういう状況にあるような「意地悪っぽい行動」というのは上の子独特の心理状態でしばしば起きることがあるようです。
まあ、そういうものだとはいえ、やはり意地悪な行動をするのはいいことではないですよね。
大人としても腹も立ちます。
別にそこでコメントにあったように怒ったっていいと思います。
それは事実ですからね。
でも、そう言われた時の上の子がふてくされた気持ちになるのも、やはり意地悪っぽい行動がでてしまうのとセットになっているかのような心理状態ですね。
それでも、それまでや普段の受容や信頼関係が、そういったふてくされた気分になったとしてもそれはそれで受け止め、消化していくことができるでしょう。
でも、たしかにこの方法ではなんだかうまくないような気はしますね。
僕もそう思います。
そういうとき、僕は気持ちを伝え考えさせる対応をとるときもあります。
たとえば、
「そういう風にするのは意地悪しているように見える。僕はそういうのは好きじゃない」と伝えます。
まあ、これでもふてくされたりは絶対しないということはないのですが、次の機会から自分の行動に自省的に対応するようにもなるので、そのように怒らなければならないことが減っていく可能性ができます。
ただ、やはりこれもそれをいい方へと変えていくには、その子に対する大人からの肯定や受容というものが基礎的にあってできることです。
普段、妹に優しくしているときや、ものを素直に貸してあげられたときなどにしっかりと認めて、褒めたりしていくとなお良いかと思います。
いいところを褒められれば、そちらの行動を自分からとるようにだんだんとなっていきます。
ありがとうございます
お姉ちゃんがそういう行動をしたときに、教えていただいたように考えさせてみることにします。
そんな意地悪をされても妹はお姉ちゃん大好きで、とても慕っています。幼くまだ意地悪な行動をすることもないので余計にかわいそうに見えてしまいます。でも、お姉ちゃんも沢山頑張ってるんだよね、我慢しているんだよね、ということは常に意識して言葉に出していこうと思います。二人とも相手に優しくできたり貸してあげられたときはオーバーに褒めるようにしています。実際そういう場面は可愛らしくて感動してしまいます。肯定と受容、忙しい日々で忘れがちですが特につい上の子にはお姉ちゃんらしい態度を求めてしまうので、改めて意識していこうと思います。お忙しい中、コメントいただき本当にありがとうございました。
いつも助けていただいています。
実は、問題のある子育てをしておりました。
「叱る子育て」というか、ストレス発散型「怒鳴る子育て」です。
子供がうるさいとき、いうことをきかないとき、大声でしかりつけて黙らせます。
これはよくない、と常々思っていました。
が、やめようと思ってもやめられずにいました。
昨年11月頃から、このブログに出会って読ませていただいています。
おとーちゃんさんの育児に対する真剣な思いや
悩みを抱えたママの皆さんたちとのあたたかいやりとりに
引き込まれました。
決め手はこちらの記事でした。
たたく・しかる=喫煙とかアルコールみたいなもの?
(↑こうは書かれてないですが、一読してこういう印象を受けました。
【クセになる】
【ストレスを解消】
【自分に許容していれば、だんだんとそこで抑えることは大変難しくなっていく】というあたりが。)
そう思ったら、やめられそうな気がしてきました。
子供の行為をやめさせるために大声で叱るのが、心底「意味ない」と感じました。
記事を読んで以来、これまでになく、きっぱり、怒鳴らずに生活できるようになりました。
多分、「怒鳴らない」スタイルは定着したと思います。
「だめ」「うるさい」という言葉も、以前は気軽に口にしていましたが、
慎むようになりました。
まだ始まったばかりですが、子供たちも、みんなで乱暴な言い方やめよう!という私の意志はわかってくれてきていると思います。
次男は発達が少し遅く、落ち着かない子です。
同じ育て方をした長男と全く違うので、本人の気質によるところもあると思いますが、
次男が大声を出して騒ぐのは、私が大声でしかることの影響が大きかったと思うので、
これからしっかり向き合って、成長を気長に待つことができそうです。
某有名著書「ハッピーアドバイス」でも同様の「怒らない」アドバイスがあります。
いらいらして怒るのがいやで、「魔法の言葉」、とか、育児の本ではないですが「怒らない技術」、とかの本を読みました。
けれど、子らが自我をもって私が怒りだして以来、怒鳴るのがやむことはありませんでした。
私はネットでコメントを発信すること自体初めてでした。
(実際に発信した質問は多少くだらないものなんですが)
こうして、見も知らぬ個人あてに応えていただいたことで、
一方通行で文章を読むよりも、深く共感でき、腑に落ちたことを感じました。
「怒ってはいけないから怒らないようにしよう」ではなく
「怒らなくても大丈夫だから子供を信じて待つ」
理屈じゃなく自然にそう行動できるようになれたと思います。
ほんとうに感謝しています。
例によって長文になってしまいましたが、
報告およびお礼なので、特に誤った解釈等がなければ、返信不要です。
これからも、参考にさせていただきます。
「喝」だと思いますが・・・
(ブログにコメントを書くのも初めてですが、ネットの礼儀や常識に疎いので失礼や抜けがありましたら申し訳ありません。)
一ヶ月程前にこのブログに出会いました。記事はもちろん、みなさんの相談内容のほとんどが自分のことのようで、一喜一憂して読みながら勉強させてもらっています。
おとうちゃんさん、相談者のみなさん、ありがとうございます。
相談というよりも、おとうちゃんさんに「私はまだ大丈夫か?」おしえてほしいのです。確信したいのかもしれません。
元々は公園でのおもちゃのとりあいに関する過干渉から娘との関係が歪んできたことに苦しみ、「否定しないよう・怒らないよう」に試行錯誤している時にこのブログに辿り着きました。
娘を「人格をもった大人と対等の個人」と意識することで理不尽に怒鳴り散らさないよう、注意したりするときは「さん付け」で呼びかけ敬語で話すようにしたりしてきました。
人に娘のことを話す時も「彼女」と表現します。娘を自分とまだ一心同体だと思ってしまわないようにとの稚拙な手段ですが。
こんなことに拘ってる上に、「否定の言葉は使わないように・過干渉の結果の”こんな私でも受け入れてグズリ”を否定しないように・自尊心を傷つけないようにetc・・・」と自分の一言一言や行動に気を付けているうちに、娘とのコミュニケーションが億劫になってきました。
話し始める前は景色やテレビなど目に映るものをずっと実況中継のように伝え、話し始めた頃からは娘の話すこと全てにリアクションするのが楽しくてしょうがなかったのに。(話の全てを拾おうとするのは性分なので娘にだけでもなく、頑張ってるわけでもありません)
なので娘は私が全てに受け答えするのが普通なので、スルーはもちろん「そうなんだ~」では怒るので、テンションあげて返事してます。
相談者のみなさんが自分を変えることで問題を改善していってるのに、私は自分を変えるどころか、「~しないように」気を付けるだけでいっぱいいっぱいで苦しくなってしまうのが情けないです。
「今日はこんなこと言っちゃった」と一言一言に毎晩反省し、そのことがストレスになって時々爆発して暴言を吐いてまた反省しての繰り返しです。
それなのに、パパやママ友、祖父母など第三者がいると私の言うことをきかなくなるは、おむつ替えなどのお世話も「パパがいいl」と泣き叫び、私が触ろうとすると暴れたりされると、もう冷静ではいられません。
公園ではあるママ友の後ばかり追っていて、私が「何する?」と声をかけると「○○ちゃんママがいい」と去っていきます。
好きな人(もの)の順番が、○○ちゃんママ、パパ、バナナ、おじいちゃん、ママ、おばあちゃんだったりします。
いちごとりんごにもママは負ける時もあります。
努力してるつもりなのに、楽しく過ごす時間の方が多いつもりなのに、全部私の”つもり”だったんだ。
そんなに彼女は私に抑えつけられ苦しんでいるのか。
私とふたりだけの平日は我慢の日々なのか。
いつもこんな未熟な人間が母親で申し訳ない、かわいそうだと思ってるけど、そこまで苦痛を与えていたとは。
やっぱり母親になってはいけなかったんだ。
日中も知らない間に息を止めて息苦しくなるくらい反省したり落ち込みます。
毎晩反省してるうちに寝つけなくて明け方寝ます。
申し訳なくて死にたくなります。
ダンナに「助けてくれないなら殺してくれ」と叫びました。かわいそうに娘もいました。
幼稚過ぎて批判されることも承知で告白してます。
低レベルですが子育てに悩んでいます。これでもだめ親じゃないですか?まだ大丈夫ですか?本当の親になれますか?
無気力な私でも、娘に良い関わりをもてる母親になりたいとだけは思ってます。彼女に生まれてきてよかったと思える人生を送ってもらう為にも大切な現在がこのままでは申し訳無さ過ぎます。
大丈夫、喝の一言でもいいので私の背中を押してもらえますでしょうか。
ばななさん
書かれていることを読んだ限りでも、現状いろいろと大変なことが伝わってきます。
僕がまず第一に強く思うのは、ご自分を責めないで欲しいということです。
子育てに関してならば、まだまだ2歳ですこれからなんとでもなります。
こういった大きなストレスに押しつぶされてしまいそうな時は、そのままそれを漠然と捉えてしまうと余計につらく感じられ、解決のいとぐちも見えてきません。
でも、個々の問題にわけていくと、対応のしようはわりとあるものです。
コメントを読んで感じたままをそのまま書きますので、見当違いのことをいうかもしれません。そのときはごめんなさい。
先程も述べたように、自分を責めないところから出発することが大事だと思います。
自分がうまくできないこと、子供が思ったように育っていかないこと、そういったことを自分のせいだと気にしてしまうと、その自分を責める気持ちがもっとも大きなストレス源となって、心のバランスを崩すのでうまくいくものもなかなかうまくいかなくなってしまいます。
子育てはなんでもうまくやる必要はありません。
それこそ極端な話、ぞんざいに育てていようと子供はそれなりにきちんと育っていくことのできるものです。
むしろうまくやろうとするあまり、ハードルをあげて日々をストレスフルにしてしまうことの方が、放りっぱなしの子育てよりもはるかに大変になってしまうものです。
子育ての実際の部分は、とりあえず置いておいて、日々の生活の中でのばななさんがストレスになっていることをまずは減らしていくことから考えてみるといいと思います。
もし、ご自身に身体的・精神的な問題があるならば、それを解決し健康を取り戻す方に前向きに取り組んでみる。
生活の上でなにか問題があるならば、そちらを解決するように考えていく、など、現在のストレスのもととなっていること減らし、強迫観念になっているものを除いていくことです。
もし、あまりに自分でもどうにもならないほどのストレスを感じていて必要ならば、心療内科などで相談してみるのもいいでしょう。
自分ひとりで解決できないということもたくさんあります。そういったときは第三者に入ってもらうことでずっと楽になることもあります。
子育てについて、自分を責めてもプラスになりません。
むしろ、あるがままの現状を肯定し、そこからあらたに出発していくくらいでいいと思います。
子供は柔軟ですからなんとでもなります。
これから、0から始めたって子供はまっすぐ育っていけます。
子育てで大変な部分がおおいならば、ご家族に少しでも負担を分担してもらったり、一時保育など打てる手はたくさんあると思います。
また、育児相談などどこの自治体でもやっていると思いますので、そういったところで話を聞いてもらったり、アドバイスをもらったりしてみるのもいいかもしれません。
地域の保育園でも、子育て相談など随時受け付けているはずです。
また、園庭開放や地域事業などに参加して継続的に相談したりすることもできます。
行政によってや空き状況などにもよりますが、育児ストレスなどで保育園に預けたりすることもできる場合があります。
子育てに関してならばいくらでも打てる手はありますし、このくらいの年齢で取り返しのつかないことなどありません。まだまだ全然大丈夫です。
ちなみに、怒ることが即「否定」というわけではありません。
「怒る」という行為は、子供に対して注視しその結果のリアクションですので、子供を気にかけているということであり、子供もそれを実感します。
心の大きなベクトルが子供に向いていることですから、いいなりや無視になってしまうよりも、よほど子供は安心感をえることすらあります。
自分に無理をして、日々の子育てを大きなストレスの塊にしてしまうくらいならば、自然体で臨んでみるのもいいかもしれません。
よしんば、それで小言ばかりになってしまったり、怒ってばかりになったとしても、「自分と関わることでストレスを増大させていく母親」と一緒にいるよりも、そのほうが子供は安心して過ごせると思います。
ひとつひとつの関わり方がたとえ良くなかったとしても、子供のことが大切で可愛いと心のどこかで思えていれば、子供はそれをきちんと感じ取っていくものです。
それがあれば子供は育ちます。
僕はこれまでに「子供を受容し、肯定していくこと」が子育てにおいて最も大事と書いていますが、これは大人に対しても同様です。
ばななさん自身も自分を受容し、自分を肯定していきましょう。
「自分はうまくできないこともたくさんあるし、できないことも多い、それでもそれが自分なのだからそれでいいんだ。無理しないでできることからちょっとずつしていこう」
そうやってだんだん自分を肯定できるようになっていけば、お子さんの難しい姿というのもなにもせずとも自然と解消していくと思いますよ。
まずは自分を肯定していくことからスタートするのがいいと思う。
僕が「大丈夫」と言うことで、それができるのならばいくらでも言いますよ。
まだまだ全然大丈夫ですよ。
いまこれほど悩んでいることも、あとで振り返ってみたらなんでもないことというのも子育てにはたくさんたくさんあります。
10年後20年後には笑い話になっていたり、そもそもこんなことがあったことも忘れている程度になっているかもしれない。
子育てはうまくできなくても、放っておいてすらそれなりにどうにかなるものです。
あわてず、あせらず、くらべず、まずは楽しいことを一日のうちにちょっとずつでも増やしていきましょう。
たとえうまくないことがあっても、それは何年と続く子育てのほんの一日のこと、あとからみたらなんでもないなんでもない。
今なにができなくても、今日なにをさせなくても、10年後20年後の子供の姿には毛ほどの影響もないこと。
できなくたって、うまくいかなくたって、その日に楽しいこと、一緒に笑えたことがひとつでもあればそれで十分。
これだけ子供のことで悩んでいるのだから、子供を大切に思う気持ちに間違いはありません。
そのことは、お子さんもきっとわかっています。
相談のコメントを読めば僕にだってわかるのだから、それを我が子であり一緒に暮らしているお子さんがわからないはずはありません。
それに自信をもって、無理をしないで一日一日を過ごしていけばいいのではないかな。
その気持ちだけでも、子供が育つには十分なものですよ。
救われました
何度も何度も泣きながら読みました。
すぐにお礼のメールを・・・と打ち始めたのですが、興奮(感動)しすぎて文章がまとまらないし、おとうちゃんさんの言葉をもっと自分なりに消化してからメールすることにしました。
お礼が遅くなってすみません。
自分を責めることをやめることから始める。
最初にすることを提示してもらって、しかもひとつに絞ってもらっているので、八方塞がり状態の私でも進むべき道が見つけられました。
自分を責めても子育てにはなんのプラスにもならない。
この言葉を思い出して、無駄なことにエネルギーを使わずに、責めたいときは現実逃避でいっそ昼寝したり好きなもの食べたりしてエネルギーを蓄えてやる!!ことにしました。
我ながらあほだなぁ~と思うのですが、意外と効果ありです。
好きなものを食べる・・・あんまりしてなかったんですよね。
以前、娘を寝かしつけた後に無性にハンバーガーが食べたくなって、旦那が帰ってきたら買いに行こう!と思うのに旦那が深夜まで帰宅せず、何時間も「肉、肉、肉ぅぅぅぅ」と頭を掻きむしってたことがあります(汗)
怒ることが即「否定」にはならない。
小言ばかりになったとしても「自分と関わることでストレスを増大させる母親」といるよりいい。
気持ちが本当に楽になりました。
我慢できなくなったら怒っちゃえ!でもそのあと反省もしないでおこう!
不思議ですね、ドカンと怒ることは一日一回程度になりました。
娘は以前はよく寝ている時に怒られた場面を夢で見ていたのか、一晩に何回も「いやぁぁ、やだやだ、違うもん、ママいや」等々うなされてましたが、最近はほとんどありません。
おとうちゃんさんの仰る通り、私は私自身を受容できず、否定ばかりをしてきました。
(特に娘が生まれてから)
旦那の祖母、両親、叔父叔母がとても働き者でよく気が利き、徳を積んでるなぁと尊敬しているのですが、時にそれが何も出来ない私にはプレッシャーであり、自分はなんてダメなんだろうと思っていました。
相談のメールをさせてもらった一週間程前に旦那の祖母が亡くなり、葬式がありました。
孫嫁としててきぱきと来客対応などすべきなのでしょうが、私は役に立たず、すべて叔母たちがしてくれました。
自分のグズさを思いしらされました。
義母には「あなたは町育ち、核家族育ち、同居もしてないから、ここでは役に立たないことは分かってるよ。」と(義母は優しさのつもり)言われてしまいました。
へこむばかりで努力してこなかった自分が悪いのは自覚してます。
ただ、「嫁としてもぐず、自分の両親にもダンナにも恥をかかせているようで娘としてもグズ、妻としてもグズ」と思ってしまいました。
毎日「母親としてグズ」だと自分を否定しているところに、それ以外の自分も全部グズだったんだ・・・と思うともう負の連鎖でした。
情けないことに、受容を娘に求めたのかもしれません。
グズだけど、それでもママなんだから、あなただけは私を好きでいてくれるでしょ?なんて。
なのに、娘がパパやママ友がいい!!って言うことで、自分勝手ながら私は壊れてしまったのかもしれません。
おとうちゃんさんの言う通り、出来ない自分・現実をまずは認めて受け入れることにしました。それが自分なんだと。
旦那の両親が年老いてしまうまでに嫁として力をつけるようにすればいいや、今後の度重なる念仏や法事は練習練習と気長に考えることにします。
その悩みを後回し?にすることで、少しは気持ちに余裕ができるかなと。
見ず知らずのわたしのこんな相談をおとうちゃんさんが「大丈夫」と受け入れてくれたことで、ほっとした私は前に進もうという気持ちに自然になりました。
「受容」ってこういうことなんだと、正直体感してやっと本当に分かった気がします。
おとうちゃんさんが私にしてくれたのと同じように、ありのままの娘を私が受容できたら、自然と自立していくんでしょうね。
娘はなにか気に障ると私だけにでなく誰にでも喚くようになって、お友達も泣かせてしまったことがあります。
過干渉と受容不足の結果です。可哀想に、喚かなければ自分の気持ちをきいてもらえないと学習してしまったんでしょうね。
最近はそっとしておきます。後から、喚かなくても普通に「いやだよ。こうして欲しいよ。」って言えば分かるよ、と伝えるだけにしました。
公園では他のママがなだめてくれる代わりに、私は口出しせずにそばにいることもあります。
喚くことはまだ収まりませんが、喚いたあとの気分の切り替えは早くなってると思います。
少しずつ娘の心を安心させてあげられるよう、ひたすら受容を心がけます。
結局とりとめのない文章になってしまいました。
まだまだ一週間程度の実践なので、しばらくはくじけ続ける覚悟ですが、おとうちゃんさんの言葉を胸に、今度は自分でもう一度考えすぎない程度に考えながら、自然体でやってみます。
また相談させてもらうつもりですけど・・・次は弱音、人生相談にならないようにしますね。
出来れば少しでも良い報告をしたいです。
本当に本当に背中をおしてもらってありがとうございました。
ばななさん
もし、出来る余裕がでてきたら、くすぐってあげましょう。
できたら、一日一回はくすぐる。もう少し余裕があったら、一回と言わず何回でもくすぐる。
もし、自分もストレスフルで、余裕もなく子供の姿も喚いたりが多くなってしまっているときだったら、ほんとは優しい気持ちになれないとき、一度深呼吸して自分の気持ちに嘘をついてでも、少しでいいからくすぐってみる。
そのことが、子供の気持ちをちょっとでも安定させる方向へ向けてくれるので、子供が荒れないほうへ向かわせてくれます。
ただ、無理だと思うときはしなくてもよい。
これは「先回りした関わり」というものです。過去記事に該当記事があります。
おそらくは、今の時期というのはどうしても成長期で大変なことも多いので、なんとかここを凌いでしまえば、だんだんと落ち着いていく可能性が高いです。
そういった意味では、ある程度時間が解決もしてくれるので、こういう様子がずっと続くと思わなくていいと思います。
もし怒ったりしてしまっても、あとでフォローさえすれば大丈夫です。
うまいフォローの仕方や言葉が思いつかなかったときは、ぎゅーっと抱きしめてあげることでもいいです。
子供が落ち着かないという様子の時は、歌を歌ってあげるのもいいです。
別に聞かせようとしなくても、自分が口ずさんでいるだけでも、子供はなんとなく落ち着いたりしていくことが多いです。
子育ては加点方式です。
一日の中で、一緒に笑ったこと、おいしいね、綺麗だねと共感できたこと、頑張ったねと認められたこと、そんなことがひとつあれば○が一個プラス。ふたつあれば二個プラス。
その○の分だけ、子供はよく育っていきます。
でも、目に見えて変化のないこともあります。
○が10個はたまっているはずなのに、あんまりかわらないなぁ。
もう100個はあるのに、ちっともかわらないな・・。
子供の成長はそのステージでためた分は次のステージに上がった時にでてきます。
なので、毎日のなかで変わっていかなくても、ある段階にきたときに、そのためていたものがどっとでてきます。
なので、焦らなくていいからちょっとずつ○をためればいいよ。
そして○がついた日は、それ以外に怒ったりしたことがあったとしても、その日はお母さんも○。
もし、○がつかなかったとしても、そういうことはあるのだから、気にせず明日○がつけられればそれでいい。
No title
今年の4月から双子も保育園に入り、保育園で頑張ってるんだから優しく接しよう!と思いつつ、まったくうまくいかず、怒鳴ったり、乱暴な扱いをしたり、なぜなんだろう、どうしたらいいんだろうと思って、おとーちゃんの記事をまた読み直してたところこの記事が心に刺さりました。
本当にその通りです。私はクセになってました。
自我を主張する年頃になったからか、保育園入園も関連するのか、コメント欄のご相談のようにお風呂やお片付けで、『イヤ~』と言ったり非協力的だったりするようになりました。
この記事のコメントを読むまでネガティブ行動だということにさせ気付いてませんでした。確かに、『イヤ』というから遊びたいのかと思って放置して片割れとお風呂に入っていたら、ふてくされたように寝転んでました。。。今思えば、関わってほしかったんだと気づきました。
本当にためになる記事をいつもありがとうございます。実は。。。自分で双子の育児日記ブログを書いてまして、おとーちゃんのこの記事とだ一回の指つなぎの記事を引用させていただきました。事後承諾になってしまって申し訳ありません。
これからも色々迷うことがたくさんあると思うので、これからも記事を楽しみにしています。(ここ最近の幼稚園と保育園の記事も、タイムリーで特に気になってます笑)
※お忙しいかと思いますのでコメントの返信は不要です*^^*
No title
5歳男児、もうすぐ3歳女児、もうすぐ3か月女児の3児の母をしております。
3人目妊娠中にこちらのブログにたどり着き、過去記事から順に拝読しております。
本も購入して読ませていただき、周囲にも勧めています。
ですが、なかなか実践が伴わず…
昨日、こちらの記事を読み、
本当に叱る(というか単に感情的に怒鳴り散らす)ことが癖になってしまっている、気をつけねば、と思ったのに、
今朝は登園前になかなか支度をしないで遊んでいる娘にイライラし、
怒鳴り散らし、当り散らしてしまいました。
そして怯えながら「手伝って」と言ってきた娘に、
さらに追い打ちをかけるように怒鳴りつつ無理やり服を着せ、歯を磨き、服が濡れるのも構わず顔を洗い…
まるで虐待ですよね。
でも、そうしないと気が収まらない自分がいるのも確かで、
これが「癖になる」あるいはもっと言えば「中毒性」のようなものなのでしょうね。
思えば実母もそういう面があったし、
私自身も、子育て以外の面でも自分で歯止めがきかないほど「キー!!」となってしまうことがあります。
そして、娘も(時期的なものもあるのでしょうが)「キー!!!!!」となることがあります。
私を見て育つのですから、娘がそうなるのも当然ですよね。
子供にいろいろ望む前に、まず自分が変わる。
そうすれば、子育て以外の面でも楽になるんじゃないかなあ、と思います。
おとーちゃんさんの叱らなくていい子育てって、
本質的な部分では子供に対してはもちろん、対人関係全てに当てはまる部分があるのでしょうね。
受容や共感を心がけていれば、ホントに世の中から争い事なんて無くなるのではないかなあ、ということまで考えた今日一日でした。
明日から、と言わず、今日からはできる限り怒らない!
子供に対してはもちろん、夫はじめ他人に怒らない!とここに宣言します。
(ご迷惑でしょうが、宣言した方が自分に気合が入るので)
乱文失礼いたしました。
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いつも楽しみにしています。
先月第二子(女の子)を出産して、現在里帰り中です。
母がいてくれるおかげで、二歳半の上の子(女の子)との時間もまだまだ取れています。
しかしここ最近私が『しないでね、やめようね』と言うと、わざと繰り返してやることがあります。
私も三回目位から語尾が強くなったりしてしまうのですが、そうすると『(私の言い方を真似して)じゃなくて優しく言って!』と言います。
『何回も言わせるからでしょ!!!』と言いたい気持ちを抑えて、落ち着いて気持ちを込めて言い直すと『はい、ごめんなさい』と言います。
時々大したことでもないのに『はい、ごめんなさい』と言うこともあって、本当に分かってくれてるんだろうか、私の言い方が威圧的なのかな…等と思ってしまいます。
そういう時期だと思って、このままの対応でいいんでしょうか?
今ちょうど二人とも寝ているので急いで携帯からメールしていますので、乱筆ですみません。