『くっついた』を絶賛する理由 - 2012.03.14 Wed
これまでにも何度も紹介している三浦太郎さんの『くっついた』とその姉妹本『なーらんだ』『わたしの』が出てきました。
三浦さんの絵本はどれもとても素晴らしいものが多いですが、中でも僕はこの三冊のシリーズが特に優れていると思います。
ちょっと大げさかもしれないけれど、絵本として優れているだけでなくて、これらの本とその評価が日本の乳児向けの絵本の歴史の中で革命的とでも言えるようなものだからです。



これまで日本で出版される乳児向け絵本のいいものというのはとても少なかったのです。
むしろ、子供だまし、いや子供だましにすらなっていなくて、大人だまし程度の出来のものを出版社はつくり、そしてそれらを大人は「そういうものだ」と思って買うので、これまでそれで売れてきてしまったのです。
「子供だましにすらなっていない大人だまし」とは、例えば、1ページや見開きの中にたくさんの物を羅列してそれのなまえを書いて、乳児向けとしてきたようなものです。
中にはその絵を書いた作者の名前すら載せていないようなものも多く、ただ可愛いらしい絵のかけるイラストレーターに絵を描かせて、それで「乳児向け」「赤ちゃん絵本」「ファーストブック」などと名付けて売っているものがごまんとありました。
小さい子、特に対象になっているであろう0~1歳や2歳くらいの子にとっては、並列的に羅列されたものを認識して楽しんでいくという力はまだ育っていません。
1ページに一つですら多くて、見開きに一つを描くというのがとても大切だと思います。
なので、そういったものは子供すら楽しんでいないので、子供だましにすらなっていません。
だから大人に買わせるだけの大人だましだと言ったのです。
そういう楽しむことのできない絵本を与えられた子はどうするかというと、本を噛んだり踏んだり、投げたり破いて楽しんだりするようなクセがついてしまうことすらあります。
こういうのはもちろん絵をかいた人が悪いのではなく、そういうもので売ってしまおうという姿勢で作らせている出版社に問題があるわけです。
ドイツの絵本文化などはとても有名ですが、日本では総じて子供文化に対する大人の認識の度合いが低いので、絵本に限らず質の低い玩具・遊具なども普通に認められてしまっています。
残念なことです。
そこでこの三浦さんの『くっついた』『なーらんだ』『わたしの』の三冊の乳児向け絵本の素晴らしさが、まさにエポックメイキングなものとしてあげられるのです。
先にあげた記事のなかで述べたように、子供の成長の核心的なところをうまく絵本にしてそれを楽しめるものとして作られています。
『くっついた』は 人への興味
『なーらんだ』は モノへの興味
『わたしの』は 自分への興味
というように乳児の成長の本当に大きな部分を、しっかりと捉え絵本にされています。
まさにこの順番で乳児の心や認識・興味というものが発達していっています。
三浦さんは、子供の発達の研究者などではないですから、きっとご自分の身近なところの子供たちに向き合う中で感じられたことからこのような絵本をお作りになったのでしょう。
きちんと子供を見据えた上でつくられた本です。
先に挙げた大人だましの乳児向け絵本とは、まったく違っているのです。
そして、この本のとても高い評価・売れ行きというものを今後の絵本の出版社は見過ごしていくことはもうできないでしょう。
絵本を買う側が、いいものをきちんと選ぶということが確立してきたと言えるからです。
それゆえに、今後このように質の高い低年齢時むけの絵本が増えていくのではないかと思います。
そんなこんなで、僕はこの絵本がほんとうに素晴らしいものだと思うわけです。
なので僕は、小さいお子さんがいるうちや妊娠・出産した方などいろんな人に、この三冊セットをプレゼントしまくっています。
【送料無料】三浦太郎のあかちゃんえほん(全3冊セット)
今回、絵本の出版社の姿勢について言及しましたが、もちろん絵本の文化を高めようといいものを一生懸命作ろうという姿勢のところもあります。
なかなかそういうのって気づきにくいものなのですが、実にさりげないところで「ああ、いい絵本を作ろうとしているんだな」と感じられたりすることもあります。
次回はそんないい絵本を紹介しようと思います。
ちなみに赤ちゃん向けとしてはこれもおすすめ。

1~2歳くらいになったら、こっちもたのしい。↓


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● COMMENT ●
楽しむ
もうすぐ3歳になる息子の事で相談させて下さい
最近、テレビに映るアイドルを見て『これ可愛い』とか言うようになったんですが、更に『脚が出てるのが好きなの』→スカートはいてる人が好き らしいです。 そして、自分もスカートをはきたいと言い出しました。
普段は、新幹線大好きっ子なんですが、買い物に行った時など、売っているランドセルを見て『これ〇〇が大きくなってから?』『そうだよ~小学生になったら買おうね~〇〇は何色がいいかね~』『ピンク!!』『…ピンクかぁ…』とか、洋服売り場で『見てぇ』と言って服を体にあてるんですが、手に取る服が全部女児用だったりで、女子系行動がたまに見られます…
それに加え、スカートはきたいって…と思い
『スカートはきたいの!?(笑)そっか~でも〇〇はカッコイイ男の子だから、男の子はスカートはかないんだよ。はけるのは女の子だけ。パパもスカートはいてないでしょ?』と言ってみましたが、この年齢だしただ単に、はきたい・ピンク好き を、受け止めてやった方がいいのか…あまり過剰に受け止めなくてもいいのか悩みます。
でも、テレビに出てるいわゆるオカマさん達は、ものごころついた頃(3歳くらい)には自分は女の子だと思っていたと言っているのを聞いた事があって、まさに息子の年齢だ!!と…
ピンクが好きな事や手に取る洋服が女児用だった事に対しては、さほど気にとめた事はなかったんですが(女児用の服の方がカラフルで目につきやすいのかな~と思ってたので。あとは私のマネッコかな?と思ってました)さすがに、スカートはきたいと言われちゃうと、それまで気にとめてなかった発言・行動も、気になってきてしまいました。
必要以上に、ピンクなんて!スカートなんて!と言うより、サラっと受け流した方がいいのでしょうか。
ちなみに今、おっぱい・オチンチンブーム(?)で、私やパパとお風呂に入った時には、それぞれ、ついてる・ついてないを確認しています。
No title
娘もお気に入りです(^-^)
入院中しんどくて遊べない時、絵本をよく読んでいたのですが
最近はすっかり絵本よりも体を動かすことのほうが好きみたいです。
でも、時折わたしがふと思い出してこの本のフレーズを言ったら
娘もじーっと聞いています(^-^)
絵本やおもちゃ、今はたくさんのものが出ていますよね。
選ぶ側がきちんと選ぶ目を持たないとダメですね。
早速♪
絵本を見た後「お母さんと息子君がくっついたぁ~♪」
とやるとニコニコ笑っています。
上の子も「くっついたぁ~♪」とやって遊んでいます。
肌の触れ合いもある心楽しい絵本ですね。(*^^)
大事に読み続けていきたいです。
いつも参考にさせていただいております☆
おとーちゃんさんのブログは友人の紹介で知りました。
過去の記事も遡り、「共感すること」やすぐに怒らず「気持ちを伝える」
ことを実践してきました。
実践して3週間ほど経ちましたが、話をするときに目が泳いでいた娘
でしたが、目を見てお話が出来るようになりましたし、歯磨きのときも
「歯磨きするよ~」と声をかけると、自分からゴロンしてくれたり^^
イライラする事が激減し、毎日イチャイチャしまくりです(笑)
本当におとーちゃんさんには感謝しております♪
娘が変わっていく嬉しさもあるのですが、今日は父親の対応の仕方に
ついて相談させてください・・・
私が怒らなくなった結果、どうしても関わる時間の少ない父親に対して
反応が少なくなったように感じます。
以前は父親が帰ってくると駆け寄って抱っこをせがんでいましたが、
今では、駆け寄るどころか嫌がるようになってしまいました・・・
父親にもこのブログを読んでもらい、同じ対応をしてもらっていますが、
もともと無口な父親なので、なかなか馴染むことができないようです。
母親の私から「お父さんはあんまり喋らないけど、あなたの事が大好き
だし、いつも見ててくれるよ」と伝えるようにはしていますが、この状況を
打開するために他に母親が出来ることはありますでしょうか?
また、父親ももっとこうしたほうが良いとか、方法がありましたら是非
伝授していただきたいです。
お忙しいとは思いますが、相談に乗っていただけたら嬉しいです。
よろしくお願い致します。
くっついた
「くっついた」の絵本、娘の出産の時に頂き、娘に読んであげていましたが、何しろ何をしてもあまり楽しそうにすることのない子だったので、「くっついた」も特に反応もなく・・・今は下の息子が何度も「くっついた~」としてきて、娘もつられて、3人でよく、くっつきっこしてます。今思えば、娘は思慮深いというか、私が(大人が)予想してる反応をしなかっただけで、本人は、自分なりに何かを感じ取ったり、心ときめいたりしていたのかなあ・・・。慎重で神経質で、器の大きな甘えたいタイプだったのかなあと今更ですが思って、走り回って遊ぶ子と一緒に遊んだら、とか、私のそばから離れるよう促してみたりとか、悪いことをしたなあと思います。
今日は、姉弟喧嘩の仲裁について相談させてください。
仲良く遊んでくれるし、娘が私に怒られた時は優しく寄り添って息子が慰めたり、その逆もあったり、ほほえましいところもたくさんあるのですが、弟のちょっかいがすごくて。
基本的に攻撃性は少ない娘ですが、弟があまりにもちょっかいを出すせいか、時々、軽く押したり、軽くたたいたりするようになりました。バシッと強くやれないところが娘の優しい部分なのだと思います。
息子が出すちょっかいとは、娘がトイレに行く時に脱いだパンツやズボンをすかさず隠してしまう。娘が遊んでいるおもちゃを取り上げて逃げたり、積み上げている真っ最中の積み木を途中でドーンと倒したり。娘が怒ったり泣いたりすると、ますますからかうようにします。「使いたかったの~?でも見て、取られちゃって泣いてるよ~。返そうね」みたいにいうと、「10数えたら返す」と言って、その後は本当にすんなり返します。娘も泣いているので、「10数えずに今返そう」と言うと怒って泣きます。
こういう息子への対応、声かけって、どうしたらよいでしょう。口で「やめて」「今つかってるよ。」「後で貸すから待ってて」と毎回言ってもやめてくれなかったら、そりゃあワーワー泣きたくもなるし、手だって、つい出てしまうこともあるだろうとは思うのでうすが、やっぱり、手を出してはいけないということを伝えなきゃと思うので、「いやだったね。やめてって言ってもやめてくれなかったから嫌になっちゃったね。あなたは悪くないよ。でも、手を出すのはいけないんだよ。もうちょっとしたら、○○もわかってくれるようになるからね。」と言っていますが、そんなふうな声かけでいいのか、悩んでいます。
受容、肯定、遊びの保障、まだ2歳の息子への対応と3歳の娘への対応。このバランスが難しく感じて、日々模索しています。これまで娘に対して申し訳ない接し方をしてきたと思うので、正解はなくても、大きく間違えたくないのです・・・。おとーちゃんの意見をお聞かせいただけるとうれしいです。
にこにこえがおも
「わたしの」も、「おおきい」「ちいさい」という概念しかなかったところに「ちゅうぐらい」という概念が入ってきたみたいです。でも、不思議なことに大きいのはパパ、中ぐらいはママ、小さいのは自分というのが感覚としてあるんですね。
三浦太郎さんのこの三冊は、あとがきを読むと、ご自分のお子さんの反応をヒントに書かれているみたいですね。素晴らしい洞察力ですねー。
息子は、「なーらんだ」の「にこにこえがおも なーらんだ」のフレーズが1番好きみたいです。
No title
突然横レス?すみません。
このおとーちゃんさんブログを愛読している者です。
桃さんのコメントによる相談をいくつか読ませて頂きました。
相談に対する的確なコメントはプロであるおとーちゃんさんにまかせます(素人のわたしができるアドバイスはないですからね)が、桃さんがとってもとっても頑張ってらっしゃることを、(ネット上の他人ですが)認めてあげたい、受容してあげたい、応援してあげたいと思って初めてコメント欄に書き込みしました。
お子さん、とても大変そうなのが伝わります。でも、桃さんがそれに対してがんばってらっしゃることも伝わります。
ぜひ見習いたい関わりたくさんしてらっしゃると感じましたよ!
なかなか娘さんのすぐの反応には結びついてらっしゃらないのかなと思うと、なんでだろうと不思議です。
お近くだったらわたしで少しでも助けになるなら行ってあげたいくらいです。
わたしは桃さんの娘さんがとても頭がいいこともさることながら、桃さんもとても聡明な方だなとお見受けしました。きっと遺伝かな?とても大変な時期だとは思いますが、将来桃さんの娘さんがものすごい大物・有名人になるのではないかと思ってしまいます。
本当に影ながらですが、桃さんを応援しています。ちなみにわたしは今なかなか赤ちゃんを授かることができず、不妊治療中です。いつか授かることができたときには・・・と思い毎日のようにおとーちゃんさんのブログにきていますが、ときどき、一生赤ちゃんができなかったら、ここで勉強したことって全部無駄になるのかなと思うと泣けてくることもあります。
みんな、みんな、悩み、苦悩し、それでも生きていくのだと思います。
疲れたら、遠く離れた場所で、自分を応援してくれる人がいることだけでも思い出して、少しでも毎日のチカラにしてください。
おとーちゃんさん、横レスすみませんでした。不適切であれば、削除してください。
混迷
桃さん
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-199.html
僕は基本的には、(相手がいることなので例外もありますが)年齢が低くても高くても一貫した対応をするようにしています。
例えば、5歳の子がたしなめられることを、1歳の子がしたときは許してしまうというのではおかしいと思うのです。
ましてや、5歳の子からしたら自分はだめなのに、その1歳の子がやるのはいいというのを目の当たりにしてしまえば、納得がいかなかったり、不満に思ったり、疎外感を感じてしまうわけです。
そしてそれを納得できないというのは当然のことでしょう。
だから、相手が小さいからという理由で不当なことを大きい子に我慢させるというのは、極力少なくしたいと思って関わっています。
今回のような、服を隠してしまったり、使っているものを取ったりするというのは、どこにもそれを許容しなければならない理由はないのです。
はっきり「困る!」と目に力を入れて言い切ってしまっていい場面でしょう。
>娘も泣いているので、「10数えずに今返そう」と言うと怒って泣きます。
↑そういうのも当然の権利でしょう。娘さんの言うこと筋が通っていると思うよ。
結局、「10数えたりする」ことを大人が許容してしまっているから、そこを弟さんも遊びにしてしまっているわけですね。
まあ、理由はわかります。
そういったことを関わりや、遊びの手段としてしまっているということでしょう。
お姉ちゃんと遊びたくてそうしたのかもしれないし、お母さんが目を向けてくれることがわかっているので、そのようにしたりというのはよくあることです。
なので、「お姉ちゃんと遊びたかったの?でも、服をもっていったりしても誰もうれしくないんだよ。じゃあ、こうしてごらん」と肯定できるやり方を伝えていったり、「そんな風にしなくても、ちゃんと遊んであげるよ」とか「ちゃんと見ているよ」などと、いうように皆が許容できる関わり方を伝えていくこともいいでしょう。
とにかく取られて困る姿を面白がるような遊びになってしまっているのであれば、はっきりと「困る」そういうことは「私は好きじゃない!」と相手が何歳であろうとも伝えていいことだと思います。
0歳でも80歳でもね。
積み木に関しては。
遊びのカテゴリで書いていたかな?僕は「遊びの保障」ということを、子供がしっかり遊び込めるためにとても大切だと考えていて、個々の遊びを楽しく展開できるようにサポートしたり、また他児が壊したり、とったりしないよう守ってあげるようにしています。
積み木をするときは一つルールを決めていて、「自分で作ったものを倒していい」というものです、小さい子相手であれば「自分のためにつくってもらったものは自分で倒していい」というわけです。
大人が一貫してそう考えていると子供もだんだんとわかるようになるもので。
保育園などで数人の子供を一度に積み木の相手をしているときでも、「はい、こっちは○○ちゃんのだから倒していいよ」「次はこっちに○○ちゃんの作るから○○ちゃん倒していいよ」というように自分の物を倒すというのを習慣にしていってしまいます。
それでも中にはなかなか理解出来ない子で人のでも倒してしまったり、敢えてわかっているくせに大人の気を引きたかったり、他児にちょっかいだしたくて倒す子もいるのだけど、そういうときは例外なしに本気で「困る」と伝えるというのをとにかく一貫してしています。
一貫してというのが結構大事で、倒されてしまう子の権利も守るけど、ちょっかいを出している子に対しても、「こっちはあなたのだから、どうぞ思いっきり倒していいよ」と作ってあげて、それをほかの子から守ってあげることで、その子もほかの子のものを倒さないということを満足感と共に学んでいけるようです。
ナッツさん
>『○○君叩くの!叩きたいの!』
言葉に出来るっていうことは、自分の気持ちと向き合って考えているっていうことだから、衝動的に手がでてしまったりするよりもはるかに心が発達してきているってことです。とっても大きな前進だと思うよ。
そこで大人が「○○君叩きたくなっちゃったの。~~だったんだね。」などと気持ちを受け止めてあげることができると、さらに自分で気持ちをコントロールする力がついていけるのではないかな。
りんごちゃんさん
これはまさにちょうどそういう時期ですね。
自分への興味が強まってくると、自分以外の人というものへも目が向くようになるので、自立の一段階なのでしょうね。
ご相談の件ですが、自分への興味がでてきたとはいえ性差というものにまだ明確な認識があるわけではありません。
なので、子供によっては男の子が女の子のものに興味をもったり、またその逆というのはよくあることです。
女の子だから赤やピンクで男の子だから黒や青というのは、普遍的な根拠があるものではなくて、たまたま現代の我々がそういった文化に多少そまっているというだけのことです。
また、軍国主義や男性中心主義のなごりで社会のさまざまなところで、性差をつけていくのがあたりまえの文化の中で今の大人は育ってきてしまっています。
以前は小学校で男の子の上履きは青で、女の子は赤などと決まっていたりしましたが、いまはそういうことは減っていますね。
現在は、学校指導要領や保育所保育指針のなかで、性差をあからさまにした指導をしてはならないと明記する時代になってきています。
ちょっとはなしがオーバーになってしまいましたが、これから心の成長によっていろいろわかってくることですので、あまり気にしなくてもいいかと思います。
また、実際気にしたところでどうにもならないものの類のことでもあります。
余談ですが、僕は実際に一例だけ、そうかもしれないというケースを知っています。
そのとき3歳男児でしたが、2歳になったくらいのころから、女の子の好むような遊び、服、色、言葉、しぐさ、態度、などなどが顕著で、そのお母さんももしかするとそうなのかもしれないと認識していました。
だからといって、薬をのんだり、矯正してなおるというわけにはいかないものです。
そのお母さんがえらかったのは、「もしそうでも自分の可愛いことに違いはないのだからなにもかわらない」と言っていたことだと思います。
子供がどんな子であろうと、最後まで肯定して、見守って、愛してあげられるのはやっぱり親しかいないのですね。
まあ、りんごちゃんさんの相談にあるようなことは、それほど珍しいことでもなくて、だいたいは一時的なものなのであまり気にすることもないとは思いますが、そんなことを思い出しました。
あおむしさん
作家のひとたちはさすがにそれをよくわかっていて、ほんとうにいい本は短い一文の中にも、子供をひきつける言葉・フレーズをしっかり入れていて、多くのものを子供に訴えかけています。
きっと、絵本の文章など短くて簡単に見えて、常人が予想もしないほどに練にねっているのかもしれないですね。
教えて下さい。
叱らない子育てでこちらと出会い、私の考え方にとてもプラスになり、また助けられてます。
今回、初めてコメントさせていただきます。どうしても辛いことが起きて、どうしたらいいのか不安で仕方なくなったからです。
2歳の息子がおります。
親に預かってもらうなどができないので歯医者や眼科など用事があるときに一時保育を利用しています。
一時間、一時間半くらいです。
息子も初めは泣くもののすぐに慣れて遊んでいると聞いて安心していました。
今日は早く息子を迎えに行きました。扉をノックする前に息子の様子を覗きました。すると…一人ぽつんと立っていました。食事中でした。保育士は怒った様子で息子を無理矢理ひっぱり引きずりながら椅子に座らせ食べなさいと怒った顔で言っていました。
息子は逃げるように一人ぽつんと立っていた姿が消えません。
明らかにいつもと違う泣き顔でした。
帰りに先生に何された?と聞くとぎゅーと言いながら私のほっぺたをつねりました。
悲しくて泣きました。息子は私が迎えにきたからいつも通り元気になりました。
言うことを聞かない時はいつもこういう扱いだったのかな?と疑問と不安でいっぱいになりました。
まだ幼い息子に辛い思いをさせていたのかと思うと胸が張り裂けそうです。
もう、一時保育は利用しないでおこうと決めました。
息子には辛い記憶となるのでしょうか…私が息子に無理矢理ひっぱるとかほっぺたをつねるなどしないので辛いです。
息子にこうしてあげたらいいなど、もしアドバイスがありましたら教えて下さい。
ゆずにしきさん
そしてやや女の子にそういう傾向が強い感じがします。
とりたてて、父親が威圧的に子供に接しているとかでなければ、そういう姿もおかしいことではないというのがまずひとつ。
場合によっては、母親に対する依存心が強すぎて父親を怖がったりすることがあったりもします。
また、母親に関わりを求めたいがために、「父を怖がったり・嫌がったりする」という理由に子供がおちいってしまっているということも、ときどきあったりします。
もしそういった点があるのであれば、その辺にきをつけていくといいかもしれません。
ですが最初に述べたように、普通にあることなので、過剰でなければあまり気にせずとも、子供の成長発達とともにそういう姿が減っていくことも多いようです。
まだ母親と子供が離れきっていない状態なので、母親が父親のことを否定していたり、夫婦ゲンカを日常目撃していたりすると、父親嫌いになったりすることもあります。
逆に、母親が父親のことを肯定していれば子供もだんだんと父への関わりに安心感をもっていけるはずです。
また、父親が母親とまったく同じことを出来る必要もないわけです。もともと違うものなのですから。
子供の個性・様子もありますから、あえて無理にしなくともいいのですが、父親としても子供に避けられてしまうというのもさみしいものなので、なにかひとつでも「ここは父親とするもの」というのがあるといいかもしれません。
毎日じゃなくても、できるときだけでもいいので、お風呂を一緒にはいるとか、お母さんが夕食をつくっているあいだに本を読むとか、なんでもいいのだけど「これはお父さんとすることなんだ」というものが子供の中にできると、ちょっとずつでも父親という存在になれていけるかもしれませんよ。
jamさん
コメント拝見しました。
我が子がそのようにされて、どんなにかお辛かったでしょう。察するにあまりあります。
保育士としても、そのような対応を同じ保育士がするということに憤りを覚えます。
大変許しがたいことです。
ご相談の件ですが、お子さんに精神的な影響がのこるかどうかということを心配されているのだと思いますが、たいていの場合、子供は柔軟な心をもっていますので繰り返しさえしなければ、悪い記憶はだんだんと薄らいでいけるものです。
今現在、なんらかの影響がでているということならばまだしも、特にそういった様子がないのであれば、日々楽しく過ごしてさえいれば、問題ないのではないかと思われます。
それよりも、jamさんやご家族の方が、もしかすると納得のいかないやり場のない気持ちでモヤモヤとしてしまわれていないか心配です。
もし、そういったことがあるならば、その施設の施設長なり経営側になり、目撃したことお子さんの話したことなどを伝えて、謝罪や改善策やしかるべき対応を求めてもいいレベルのことであると思います。
ただ、万一しらばっくれられたり不誠実な対応をされてさらに精神衛生上悪いことになりたくない、と思われるならばそうそうに忘れてしまうというのも選択肢の一つかもしれません。
本当に許しがたい。同じ保育士として恥ずかしいです。
oakさん
一つ言えることは、子供と親の絆はちょっとやそっとのことでは、そう簡単にゆらがないということです。
子育てが完璧に出来る人なんて結局のところいません。
oakさんは、自分で完璧どころか子育ての平均値すらいっていないのだと思われるかもしれませんが、極端な話もっとひどい子育てをしたとしても子供はそれなりに育っていけるものです。
お子さんが隣のおばあちゃんは笑ってくれるから好きだというのは、それはそれで本心かもしれないけれど、じゃあ隣のうちの子供になるかといえば、絶対それは嫌だと答えるはずです。
子供にとって親は、とくに母親は絶対的なものです。
笑ってくれないとかいつも怒っているとか、そういったこととは関係ない部分でつながっています。
親子の絆は、子育ての上手い下手というのとは違った次元のものなのですから、そのことに自信を持っていいと思います。
子供から見れば、親はそれだけかけがえのないものですから、笑えなかったり、支配的な関わりをしていたとしてもそれでも理解しようとし、寄り添おうとしているはずです。
なので、すぐになんでもかんでもうまくやろうとする必要はないのです。
できるときにできることだけでもしてあげればいいのです。
しかし本当に大事なことは、子供にどうするかではありません。
僕は子育てとかを考える以前に、そもそも子供と大人はどちらも一個の人格であり、それに上下も優劣もないと思っています。
ブログのなかでは「子供を肯定して育てていくことが大切」と書いています。
子供の欠点も肯定したところから、出発していくことが本当の意味での個性の尊重なのだと言っています。
が、それは大人に対しても同じなのです。
大人も肯定したところから始めなければならないのです。
例えば僕はoakさんよりは子育ては多少上手かもしれません、しかし、多くの欠点もあり自己嫌悪する部分もやはりあります。
100%自分のことが大好きな人間も普通はいないでしょう。でも同時に100%自分のことが嫌いな人間もいないはずです。
自分で自分のことを好きになれていなかったら、自分以外の人が自分をそれ以上に好きになることは大変難しいことです。
だから、「あれもこれも自分には欠点がある。でも、いまはあんまり表には出ていないかもしれないけれどいいところもちゃんとある。そんな自分が嫌いでもあるけれども、それなりに好きなんだ」と思うところから始めましょう。
どんなに自分の欠点ばかりが気になって、自己嫌悪したところで、自分が自分以外の人になることは決してできません。
なので、自分に今ない部分を自分に望んでもなかなか前には進めません。
自分のいいところももちろんだけれども、それ以上に自分のよくない部分をまずは肯定してしまいましょう。
「笑おう」、「笑わなければ」と思わずに、「ああ、今は笑えないんだな~」と受け止めてあげましょう。
できれば自分で声にだしていくといいです。
一人称の言葉を子供に使っていきましょうと、どこかで書いたけれども、自分にも一人称の言葉を普段からつかっていくといいです。
「ああ、なんか私は今イライラしてきちゃってるな~」「私は怒りたいな」「私は腹が立っているんだな」
「なんだか楽しいなぁ」「私はうれしいな」
これを出来たら声にだして言っていくといいです。
嘘みたいだけど、これをしていると精神的にとても楽になっていけます。
そしてときどきは、「いろいろ欠点もあるけれど、そんな自分が結構好き」と独り言でもいいし、鏡に向かってでもいいし、声にだして言ってあげましょう。
だまされたと思ってそれをやっていったら、今子供のことで悩んでいることもだいぶ減っているはずですよ。
双子
はじめまして
先日初めてこちらのブログを拝見いたしました
それからは、夜子供が眠った後に少しずつ読んでいます
今までずっと悩んで考えてきたことが、スーッと流れるように、頭がスッキリした気持ちになりました
こちらのブログに出会えて本当に良かったです
私には2歳の双子(男の子)がいます
保育園へは通っておらず、24時間私と一緒にいます
初めての育児で双子
毎日ガムシャラに1日1日を何とか乗り越える!という感じで今日まできました
肉体的にも気持にも余裕はありません いつも必死です
先月くらいから、双子の彼らに成長期がやってきました
といってもまだ始まったばかりなので「靴履こうか」と声を掛けると「いや」と顔をそむけチラッと私の反応を確認、で再び顔をそむけ またチラッとこっちの反応を見て、、、可愛いです
気持にゆとりがある時は大丈夫なのですが、忙しい時、本当に疲れている時だとイライラしてしまい、これじゃいけない!といつも自己嫌悪に陥ります
「明日はイライラを子供に見せず、子供と笑顔で過ごそう」と毎晩寝る前に反省する日々
自己嫌悪で悔しくて涙が出ることは、しょっちゅうです
自分で自分を「本当にダメな母親だ」と思うことも頻繁にあります
気付くと子供への声掛けを全くしていないこともあります(作業を全て終えてからハッと気付く)
たとえば2人をお風呂へ入れた時など、身体が冷える前に2人の髪を乾かしてオムツ履かせて、、、、気付くと声掛けをしていなかった 本当なら優しく声を掛けながらやりたいのに、ずっと無言で私は子供と接していたんだ と気づきます
「双子じゃなかったら、もっと抱っこしてあげられたのに もっと一緒にゆっくり過ごせたのに もっと、もっと、」と思ってしまうことは、この2年間何回も何回もありました
余裕がなさすぎる自分に腹が立ちます
考えていることは常に「眠い」ばかりです
文章にまとまりがなくて申し訳ございません
「子育てを楽しみながらやっていきたい!」と常に願って頑張るのですが、結局イライラしてしまったり無視してしまったり、、、そして毎晩反省する日々
おとーちゃんさんのブログには、楽しく子育てができるアドバイスが沢山書かれているので、私は出来る限りやっていきたいです
子供ともっともっと笑顔で一緒に過ごしていきたいから!
可愛い子供たちにイライラするなんてモッタイナイですよね
おとーちゃんさんのアドバイスを参考にして、もっと笑顔いっぱいの親子になれるよう頑張りたいです
ありがとうございます
おとーちゃんさんにお聞きしたいことがあります
今まで保育園で双子を見てきた経験はありますか?
おとーちゃんさんから保育士さんとしての「双子」に関するアドバイスやお考え、意見を聞いてみたいなぁ と心から思ったので、メールさせていただきました
双子育児の本などとは違った言葉を おとーちゃんさんから聞けるような気がしたのです
「双子じゃなかったら」と思うことは何回もありますが、これは「双子が可愛くない」と言っているわけではありません
子供のことは心から大切です
双子を授かって幸せだと感謝しています
ただ「してあげたいことの10%もできていない自分」がいて情けないし、子供にも申し訳ない気持ちになります
長くなってしまいました
読んでいただき、ありがとうございます
ありがとうございました!
父親は娘を溺愛していたため、嫌われてしまったと落ち込んで
おりましたが、時期的なものならしょうがないね~、と少しは立ち
直ったようです(笑)
アドバイスを受け、父親は新たに絵本読み大臣に任命されました^^
父親が帰ってきたら本を読む習慣をつけていきます(お風呂は
以前から入れてくれておりました^^)。
早く、前のように3人でのイチャイチャタイムが戻ってくるよう
見守りたいと思います☆
おとーちゃんさん、ありがとうございました!!
by ゆずにしき一家
No title
絵本やテレビ
それから、テレビはもともとそんなに好きじゃない娘ですが、「ア○パ○マン」、初めて見せた時に泣いて嫌がり、怖がりました。なぜ?と不思議でしたが、意地悪、怖いキャラクターや、ケンカやいざこざのシーンがこわいようで、その後もう1度見せてみましたが、パンチのシーンでワーッと泣いて抱きついてきたので、それ以来、とことん平和なテレビしか見せていません。私も元々「子供が見て楽しむのに、意地悪や怖いキャラクターはともかく、パンチって、いいの~?」と思ってはいたのですが、周りが見てるのに、ついて行けないのはかわいそうかなと思い、見せてしまったんですけれど・・・。後にこのブログで、暴力的なシーンを当たり前に見せるのはおかしいと読み、恥ずかしくなってしまいました。娘が泣いてくれなかったら、私は、流されて見せていたかもしれません。絵本もテレビも、おとーちゃんのブログを参考にしっかり選んで行きたいです。
それから・・・おとーちゃん、この場をお借りして、なおさんにお礼を伝えさせてください。
なおさんへ。
ネット上でしか知らない私を心配してくださり、認めてくださる言葉をかけていただき、本当にありがとうございます。身近な人には相談できず、こうしておとーちゃんや、なおさんに、温かい言葉をかけられ、確実に支えられています。そして、なおさんご自身の状況を考えた時、子育てに悩む私を、純粋に心配してくださるお心に感謝せずにはいられません。私も子供を授からなかった時期が何年かありますが、子育て中のお母さんがとてもうらやましく、悲しくてまっすぐに見れなかった時期もあります。それを考えると、なおさんが優しい方なのだということがわかります。なおさんの応援をチカラに、子育てしていこうと思います。
なおさんも色々な面で、どうかご無理をなさりませんように。
ありがとうございました。
MAIさん
双子って、同時に授乳があったり、夜間もかわりばんこに泣いて起きたりして、実に体力的に大変なことも多いですよね。
僕は保育園でも双子を何組か見たこともありますが、自分の知人友人になぜか双子が多くてですね、昔から人間そのものに興味があったので、けっこういろいろ聞いたりしていました。
それによると、多かった意見が2つあって、1つは「様々な双子扱いされるのがいやだったこと(特に物心ついてから)」、もう1つは「なにかにつけて比べられるのがいやだった」というネガティブなものがとても多かったのでした。
でも、あんまり言葉にしてはっきり言わない人もいるのだけど、「双子であること」自体は好ましく思っているようです。
双子だとどうしても、親としての手が十分にかけてあげられないということがしばしば出てきてしまいます。でも、そのことはあまり気にしなくていいと思うのです。
子供たち自身にとっては「双子であること」は生まれながらの前提条件なので、「双子で手をかけてもらえなかったので、なにか不満だ」とは思わないからです。
もし、そういった「手のかけてあげられなさ」を考えるのであれば、同時に授乳みたいなことはないにしても、例えば年子の兄弟なども、双子と同じくらい手の掛け方は半分になってしまうことは変わらないのです。
年齢の近い兄弟がいても、それでも子供たちはそれが問題でまっすぐ育たないということはありません。
だからそういった点で心配することはないと思います。
むしろ「双子だから可哀想」的な考え方を親がしていると知ったら、当の子供たちが悲しく感じるのではないかな。
かえって、双子の子たちは情緒的に落ち着いている子達が多いように感じます。また、双子の大人も穏やか・人当たりの良い性格の人が多いような気がします。
たぶん、双子であることには手をかけてもらえないこと以上に大きな強みがあるのだと思います。
それは、けして一人にならないことと、常に共感できる相手がいるといったようなことでしょうか。
さらっと書きましたがこのことはとても大きいことです。普通よりもより多くの「安心感」をもって過ごすことができるからです。
というわけなのでありきたりですが、「双子であっても個々の個性・個人を尊重してあげること」「比べてものを言わないようにする」ことさえ気を付ければ、あとは気にしなくてもいいかと思いますよ。
No title
なおです。おとーちゃんさん、またもこの場をお借りして桃さんにお返事させてください。
桃さん、お忙しいのに返信ありがとうございます。
桃さんの娘さん、アン○ン○ンのパンチのシーンで泣いて嫌がったのですね!これってすごいです。わたし、おとーちゃんさんのお子さんのわたくんがアン○ン○ンの暴力的なシーンで嫌がったという文章を読んだとき、本当に驚きましたから。ちゃんとした育て方をしたらこんなふうに育つんだー、アン○ン○ンを嫌がる子どもなんていないと思ってた!こんなまっすぐな子どもはおとーちゃんさんのお子さんしか現実にいないのでは・・・なんて思っていましたので、桃さんの娘さんも同じだったと聞いて、やっぱり桃さんの育て方は間違ってない、すごいなと思いました。
おとーちゃんさんのブログを通じてですが、わたしも桃さんからいろいろと勉強させていただいています。そして、コメントをしていない人たちでも、他のママさんの相談事を読んで共感したり一緒に「こういうときはどうすればよいのだろう」と悩んだり、そしてがんばって欲しいと思っている人は本当にたくさんいると思います。がんばれーっていう皆さんからの見えない「元気玉」、感じてください!
わたしも早く桃さんと「ママ友」になりたいです!その頃には桃さんはきっとおとーちゃんさん並みに相談にのってくれるママさんになっているかもですね!そのときはよろしくお願いします!
おとーちゃんさん、横レスして本当に申し訳ありませんでした。
ちなみにわたしは将来的に自宅で「保育ママ」したいなあと思っています(保育士資格あります(ペーパー)。
おとーちゃんさんも考えていますか?
なおさん
なおさんありがとう。
このような暖かいコメントが寄せられたてとてもうれしいです。
しんどいときもあったけど、ブログ続けててよかったな~って思いますよ。
>ちなみにわたしは将来的に自宅で「保育ママ」したいなあと思っています(保育士資格あります(ペーパー)。
おとーちゃんさんも考えていますか?
僕もね、「保育ママ」いいな~と思うんですよ。僕がやったら保育パパになるのかな?聞いたことないけど、誰かやってる人いるのだろうか。
大きな保育園で、大勢の職員とかの人間関係の中で仕事していくのとってもしんどいので、のんびりベビーちゃんを暖かく可愛がって育てていけたらいいな~って思います。
自分で保育園開いたりもできなくはないだろうけど、マネジメントするよりも、実際に子供を育てていくほうが僕には合っているみたい。
No title
なおです。
わたしの知り合いが保育ママを自宅でやっていますが、その人によると、ご夫婦でやっている方はいるようです。ただ、保育パパ一人っていうのは聞いたことないようです。
おとーちゃんさんは奥様も保育士さんのようですし、ご夫婦でやるというのもひとつの案かもしれませんね。
ただ、未就学児を養育していないことが前提なので、むーちゃんかもしくはその下に弟さんか妹さんができればその子が小学校にあがるまではできませんから、数年後になってしまいますね。
知り合いの保育ママさんは、自分の小学生の子どもが帰ってきてたくさん子どもたちと遊んでくれて、情緒的な成長の面でどちらにとっても良いと思っている、と言っていました。
おとーちゃんさんが保育パパさんやってくださるならぜひ将来自分の子どもができたら見てもらいたいです~!!
それか、おとーちゃんさんがお子さんを連れて出没する公園に行きたいなあなんて妄想しています。
今後公園にいって男性の子連れの方がいたら「もしやおとーちゃんさん!?」と思ってしまうかも・・・(笑)
きっと接し方で、一発でわかる気がしますもん。
わたしたちはよく夫婦で公園に行きますが、そこで遊んでいる子どもたちと一緒に遊んだりします!自分の子どももいないのにたぶん怪しい女になってますね・・・
子どもたちはほぼ例外なく普通に一緒に遊んで心を開いてくれるので、あーかわいいなあ、って思います。
大人買いしてしまいました。
乗り物大好き、手をつなぐの大好きな息子は大喜びで、繰り返し繰り返し読んでいます。「なーらんだ」も、とても楽しみながら読んでいて、可愛らしいです。「これはボクの」という気持ち、主張を、まずはしっかり受け止め、「お友達の」「お姉ちゃんの」と言うことも受け入れていけるようになっていってほしいなと願いをこめて読んでいます。
おとーちゃん、またコメント欄拝借してすみませんが、なおさんに返信です。
なおさん、私は間違いだらけの子育てをしてきて、今も娘に対応しきれず、こじらせるばかりな気がして、本当に恥ずかしいです。私の子育ての結果と言うより、娘は、わがままではありますが、意地悪や攻撃性はあまりないようなので、いざこざのシーンやパンチのシーンは見たくないようです。本来やさしい子なので、そこを見てあげたいのですが、欠点にばかり目が行き、難しいです。
なおさんが保育ママ、素敵でしょうね!応援してます。
なおさん
でも、いいんです。保育士にとって自分の子をのんびり見られるっていうのは一つの夢ですからね。
いまは出来るだけのことをやってあげたいなと思ってます。
子供って自分を受け止めてくれる人のこと、すぐわかるんですよね。
見た目とかじゃなくてそういう雰囲気が出ているんでしょうね~。
僕はあんまり一般の人が男性保育士に持つイメージとかけ離れているから、ちっとも気づかないかもしれませんよ~。
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出産祝いにバスがきました、と、おうちにかえろを貰ってから、三浦さんの絵本を買うようになり、くっついたも息子はニコニコしてみてました!
『ほっぺがくっついた~!』と言って寝る前に遊んだりすると、もっかいやって~となったり♪
絵本はたくさんあるのに、いいものかなんていまいち分からないものです。
キャラクターや何かを教えるような内容(あいさつを覚えるとかアンパンマンとか…)のはなんとなく避けてきましたが、誕生日にもらったり…
男の子なので、お下がりでもらったり電車や車の本が増えてきました。
最近本読んであげてないです…テレビの方が多くなってきちゃって、良くないですよね。
ちなみに、以前相談させて頂いた息子がお友だちを叩いてしまう件ですが、叱るのをやめて、気持ちを分かってあげるようにしてから、お友だちを叩く前に『○○君叩くの!叩きたいの!』と言うようになりました。言葉にした時は叩かない事が多いです。ただ言葉が発達しただけなんでしょうか?