そらまめってどんな味? - 2012.04.14 Sat
ウドの身はぬたにして、むいた皮も捨てずに細く切って味醂と醤油で炒めてきんぴらにするとおいしくて、僕はこれが好きなんですよ。
しかし、八百屋のおばちゃんに「ウドはね~置いても売れないから最近じゃ仕入れていいないのよ~。食べないどころか知らない人がいるくらいだからね~」と言われてしまいました。
う~ん、残念。わからなくもないけどね~。
このまえ「そらまめくんのベッド」を紹介しましたが、保育園で読んだ時などそれとなくそら豆食べたこと・見たことあるか聞いても、知らない子の方が多いくらいなんですよね。
小学一年生になった息子の学校の保護者会が、もうさっそくありました。
そこで担任の先生がおっしゃるには、
「自分の息子が一年生の時は、鉛筆がきちんと全部揃って筆箱に入って戻ってきたことがほとんどなかったんですよ。机に放り込んでしまっていたり、お道具箱に適当にいれちゃったたりね。もうね、そういう子はまず勉強なんて大してできません。(笑)」
先生は冗談めかして話していますが、僕もいろんな子供をみていてまったくそのとおりだと思います。
人が人として育つためには、そういった自分の身の回りのこととか、様々な経験が必要になります。
子供に勉強ばっかり教えたからといって、勉強ができるようになるとは限らないわけです。
そして、そら豆の話が戻るのですが、そら豆を食べたこともない、ましてやそら豆のさやを剥いたこともないっていうのは、今の子供のいろんな経験がとても少なくなってしまっている、ということを意味していると思うのです。
そら豆って独特のくせや匂いがあるし、そのまま食卓に出しても子供はろくに食べないです。
でも、親子で一緒にサヤから剥いて茹でたものだと、喜んで食べるのですね。
あの大きくてなかはふわふわした独特のサヤを剥くのは、無邪気な子供にとって下手なおもちゃであそぶよりずっと楽しいものにすらなるわけです。
そういう身の回りの経験なんかが、子供の想像力・空想力なんかを裏打ちしているし、自信やいろんな力につながっているのではないかと思うのです。それこそ勉強とかにすらもね。
● COMMENT ●
No title
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実は、旦那の希望もあり離婚調停中の旦那に子供を半日預けてきました。
子供はパパとの再会を
「パパも~ママも~みぃ~んな仲良し♪〇〇は大好き♪」って
想像力?洞察力?健忘力?・・・いっそ私さえ全て忘れることができれば。
この子にとって、私の決断は?と・・・揺らぎます。
ココロから笑顔になれる日が続きますように。
・・・今朝家のそばで福寿草が咲いていました♪
息子と春を探しに♪喜ぶ顔を想像しながら♪そらまめくんのベット☆も探してみます♪
No title
私はものすごい田舎育ちです。
おもちゃで遊んだ覚えはほとんどなく、春になると母が山菜採りにつれだし、筍、わらび、ぜんまい、せり、野蒜などを採りました。
夏は年上のお友達と山に出かけ、沢蟹を採ったり、熊蜂に追いかけられたり。
本家には牛がいて、蚕も飼っていました。
秋に山に出かけると、山芋ほりのおじさんがいて、アケビを採ってくれたり、一緒に山芋を探してむかごを拾って帰ったりしました。
おばあちゃんの畑にはにんじんや大根があって、一輪車に積んで帰ると、大嫌いなにんじんの匂いで頭が痛くなりました(笑)
えんどう豆の鞘をむくのが大好きで、えんどう豆ご飯がとてもおいしかったし、筍の皮をむいて、中身は食べて、皮は竹の皮饅頭(たぶん、郷土のおやつです)にして
冬になると、おばの家に味噌作りの手伝いに行き、初夏には別の叔母の家に茶摘とお茶煎りの手伝いにいったり。
そうい作業のすべてをすごく楽しんでました。
えんどう豆が嫌いな息子と、鞘剥きをやってみたくなりました。
新鮮な豆は生でも美味しい!
空豆、日本ではもうあまり食べなくなってきているのでしょうか??
イタリアでは4月下旬~5月は空豆が旬の時期で、ナマの豆をペコリーノチーズ(山羊乳で作ったチーズ)と一緒に食べています。こちらのひとは皮つきのまま食べていますが、とれたて新鮮な豆は、皮つきでも美味しいです!!(鮮度が落ちると、苦みが増すので不味いのですが・・・・)
去年は「そらまめくん」の絵本を読み、娘と空豆を鞘から出して楽しんでいました。残念ながら鞘は豆ごと千切られ、ベッドにはなれませんでしたが(笑)。今年はもう少し上手に豆だけ抜き取ってもらいたいですね~
動揺しています…
以前、「自宅でおもちゃを貸せない」という内容で、相談をさせていただいたはちと申します。
再び、おとーちゃんのアドバイスをいただきたくて、投稿しました。長文になってしまい申し訳ありませんが…読んでいただけると幸いです。
3歳5ヶ月になる息子。
先週から幼稚園に通い始めたのですが、5日目にして、(早くも…)お友達にケガをさせてしまいました。
ゆうべ、先生から「申し訳ありません!」と電話があり、状況を説明していただいたところによると…
園庭に、鉄道好きな息子が気に入っている汽車の遊具があり、最初はその運転席(ハンドルの部分)で遊んでいたらしいのですが、別のところ(登れるようになっている、煙突の部分)で遊びだした時に、お友達がやってきて運転席で遊び始めて…。
先生いわく「それを見て、やっぱり運転席で遊びたくなったみたいで、でも上手に気持ちを伝えられなくて…」お友達(女の子)の顔を、引っ掻いてしまったそうです。
先生は「園で起こったことは、私の責任です。先方の親御さんも、『気にしないでほしい』とおっしゃっているのでどうか…」としきりに恐縮されていたのですが、私はそんなふうに思えるはずもなく、相手のお子さんと親御さん、先生に申し訳なくて…(先方の了解を得て)連絡先をおうかがいし、電話で謝罪をしました。
そして今日、息子と一緒にあらためてご自宅にうかがい(お子さんのケガの具合も確認したかったので)、謝罪させていただきました。
先方は、「もう少ししたら、仲良く遊べるようになると思いますから、どうか気にしないで…」「あまりお子さんを叱らないであげて」と、本来なら怒ってしかるべきところを、むしろこちらの心情を慮ってくださいました。
また、ケガをした女の子も「また遊ぼうね!」と笑って言ってくれたのですが…息子は結局、もじもじするばかりで、「ごめんなさい」が言えませんでした。行きの車の中では、「ちゃんと言える」と言っていたのに…
しかもそんな状況でも、女の子は「照れくさいんじゃないかなぁ?」と笑ってくれていました。
先方の優しさに救われた思いでしたが、今も思い出すたび、心が締めつけられます。息子が引っ掻いたのは目の横(鼻筋)で、痕が残るんじゃないかと、心配で心配で…。
息子も去年の12月に、親子教室で引っ掻かれたことがあるのですが、その傷が今も消えていないからです。
うちは男の子で、もともとやんちゃな性格なので、(かわいそうと思うことはありますが)さほど気にしていません。
でも、息子が引っ掻いた相手は女の子…しかも目の横…
親御さんは「気にしないで」と言ってくださいましたが、心中きっと穏やかではないはず。
本当に、申し訳ない…
おとーちゃんの以前の記事にもあった通り、入園してから、息子がなんだかナーバスになっているのは感じていました。
朝、バスに乗る時に泣いたりすることはないのですが(2日目だけ、着替えを拒否し、バス停で脱走しようとしましたが、最後は自分から乗り込みました)、「行かない」「さびしいの」「お母さんと一緒がいいの」「公園に行きたいの(今はまだ園にいる時間も短かいので、あまり外遊びをすることはなく、午前中公園に行くのが日課だった息子には、それもストレスだったようです)」とポソッとつぶやくことがありました。
また、先生のお話では、バスが出てから少し泣いていたこともあったそうです(電話で教えてくださいました)。それに、なんだか感情の起伏が激しくて、ささいなことで癇癪を起こして暴れたかと思えば、「いけないよ」と注意しただけで、緊張の糸がぷつんと切れたかのように大泣きしたり、(少し前まではもう少し素直に聞いてくれたのに…)急に反抗的な態度をとり始めたり…。
おとーちゃんの過去記事で、「子供は、親と離れてがんばったことを受け止めてもらいたがっている」というのを読んでいましたので、なるべく怒ったりしないようにして、「今日も一日がんばったねぇ、泣かずに通えて偉かったねぇ」等の声かけをするように、心がけていたのですが…。
3歳を過ぎて、少しずつ落ち着いてきたとはいえ、気が強く、こだわりも強い息子ですので、いつかこんな日が来るだろうとは覚悟していました。でも正直、こんなに早くとは思っておらず…とても動揺しています。
ちなみに先生に、他に気になることはないかと訊ねたところ、言いにくそうに「お友達が持っているもの(制作物など)に興味を示すと、黙ってとっていってしまうことがあります。『今から作ってあげるから、待っててね』と言うと、わかってくれるのですが…。普段、おうちではどうですか?」と聞かれました。
前回のご相談でも触れましたが、息子は3歳前から「貸して」「いいよ」「ありがとう」などのやりとりが、自然に見られるようになってきました。
まだまだ目が離せない(その日の機嫌や相手によって、手が出ることもある)ものの、親子教室で息子が作った積み木をお友達に壊されても、手を出そうになるのをぐっとガマンして「やめて!」と言ったり、誤ってお友達が作った泥団子を崩してしまった時に、「あ、崩しちゃった…ごめんね」と言ったりする様子を見て、幼稚園でもなんとかやっていけそうかな…?と思い始めていました。
しかし…もしかしたら、私が強圧的な態度で「ガマン」させていたに過ぎなかったのか? 興味を持ったものを、興味のままに奪っていきそうな時に、「『貸して』って言った?」と「干渉」することで、うまくやっているように見せかけていたにすぎないのかな? と、不安になってしまいました。
そして、やっぱり今までの私の関わり方が間違っていたのかな、3歳を過ぎて、今まで言い聞かせてきたことが、少しずつ実を結び始めたような気がしていたけれど、私の思い過ごしだったのか…だとすれば、私はこれからどうすればいいのだろう?
今日は、息子の相手をしていても、ふとした瞬間に涙が出そうになったり、心ここにあらずといった感じで、ぼーっとしてしまいました。
初めての集団生活でナーバスになっている息子に、強く叱っても逆効果だろうとは思ったので、息子には「◯◯君は、一度(運転席を)離れても、まだ使っているつもりだったのかな。そういう時は、お口で言うんだよ。絶対に、手を出してはだめ。それに、幼稚園の遊具は、みんなのものだからね」等と、ひたすら言い聞かせました。
怒ったり、叱ったりはしていないつもりですが、でも、くどくどと言葉を重ねていたと思います。
本当にわかってくれてただろうか? また繰り返したりしないだろうか? という不安が拭えなくて、不安になるたびに、同じことをほじくり返していたと思います。
それも、本当はよくないのかな…
息子は「いけないことをした」ということは十分理解したようですが(「また遊ぼうね」と言ってもらったことが嬉しかったようで、月曜日、お友達に会ったら「ごめんなさい」を言う、と約束しました…確信は持てませんが)、私の言葉がどこまで彼の心に届いているのか…ようやく芽生え始めた、私の中のささやかな「自信」のようなもの(息子と心が通じた、という)が、今はガラガラと崩れてしまいました。
もう3歳なのに…
同じ年頃のお友達が、痛い思いをしてなお、相手を気遣うことができているというのに…
いつになったら、手を出すことがなくなるんだろう?
おとーちゃん、おとーちゃんなら、こんな時わが子にどう対応しますか?
私はこれから、どう息子と関わっていけばよいのでしょうか?
私の子育てに、欠けているものって何なのでしょう?
本当は自分できちんと答えを見つけなければならないのでしょうが、おとーちゃんなら、私には見えていないものが見えるかもしれない、と思い、投稿させていただきました…
お忙しいところ、まとまりのない文章になってしまって申し訳ありません。
お時間のある時で結構ですので、ひとことアドバイスをいただけるとうれしいです。
お手伝い
時期を逃さないように一緒に買いにいってみます♪
No title
先日の相談に丁寧なお返事、ありがとうございます。
心に留めて、関わってみますね
またご報告にあがるかもしれません^^
そら豆、いいですね
思い出すのは母が煮るそら豆ですが、自分でも皮ごと焼いたりして食べたことを思い出しました
他にも、子どもの頃、母のもやしのひげ(?)とりとか、そう言う手作業を見ていたことも思い出します。
娘も、玉ねぎの皮をむいたり、味噌を溶いたり(必ず口に入れていますが 笑)
お手伝いをしてくれます
台所で私が家事をしているときに、娘がそばで遊んでいる時間は、ほのぼのしあわせな気持ちにしてくれます。
こう言う日々の何気ない関わり 大切にしていこうと思います。
素敵な気づき、ありがとうございます
このコメントへのお返事は不要です^^
No title
こんにちは!先日はお忙しいところ保育園関係のことでご相談に乗って頂きありがとうございました。
ウド、おいしいですよね~。
うちは田舎の方の家なので、祖父がウドやタラの芽なんかを近くで取ってきてくれます。そんな季節の味を楽しむのも、大事な経験ですよね。大切にしたいと思います。
さて、お忙しいところすみませんが、またご相談に乗って頂きたいことがあります。
うちは2歳3ヶ月の息子です。よくお話もでき、こちらが言っていることの理解もかなりできていると思います。
相談というのは、
①着替えと靴を履くことを自分でやろうという気があまりないようなのですが、どのように自分でやるということを教えて行くと良いでしょうか。
②また、家から帰って手を洗うこと、遊んでいる時にお風呂に入ること、着替えることが、やはり気持ちの切り替えがなかなか難しいらしく、毎回ゴネられるので、どのように声かけしたらスムーズにいくでしょうか。
ということです。
①は、私は自然にそのうち自分でやると言うようになるのかな~、と思って、今まで特に何も言わずに私が着替えさせ、靴を履かせてしまっていたのです。それでおとーちゃんのブログを見たところ、親がやる場合にも毎回声かけはしていこう。ということが書かれていたので、最近は「お靴履けたね」(私が履かせても)とか「お着替えできてさっぱりしたね~、かっこいいじゃーん」とか「ここ(マジックテープ)ぺったんして履くんだよ」とか「腕抜いてね~」とか言うようにしたのですが、「自分でやってみる?」と聞くと「できない」「おかーしゃんやって」と言われてしまいます。
まだ自分でやろうという気になっていないだけなんでしょうか。それとも今まで私がさっさとやってしまっていたからやる気にならなくなってしまったのでしょうか。
②は、「お手て洗おう~」「お風呂入ろう~」「お着替えしよ~」と言うと毎回「やだ!」と言われてしまいます。ですので、毎回「お外から帰ったらバイキンいっぱいついてるから」とか「じゃあそれあともう1回やったらお風呂入ろう」とか「パジャマのままで保育園行ったら恥ずかしいよー」とか話して、それでやってくれる時もあればさらに何度もそんなやり取りをしても「やだ」と言ってくることもあり、最終的には「さっきあともう1回やったらお風呂入るって言ったのに!じゃあもうお母さん先にお風呂入ってるからね!」とか言って先にお風呂入っちゃうなんてこともあります。また朝の着替えに関してはだいたい朝イチでやってくれず、家を出る直前になってようやく着替えに応じてくれるということがよくあります。
なんだか、どう声かけしたらいいのかわからなくなってきてしまいまして。「それはどうしてもお母さんはやってほしいことなの。」と目に力を込めて言ったこともあるのですが、そうすると確かに応じてくれる確立は高くなります。
でも、保育園に通っているので、一日の中で一緒に過ごす時間が短いから、そうすると短い時間の中で私がやってほしいことがかなり多くなってしまうんですよね。着替え、ごはん、手洗い、おむつ替え、歯磨き、お風呂、薬塗る、就寝…等々。それに対してすべて「お母さんはどうしてもやってほしい」なんて言われるのもなんか疲れちゃわないかな~なんて。そうすると子供にもストレスになってしまわないか。そう思ってそれ以外のかなり短い時間では、かなり「スキスキ、チュッチュ」してるんですけどね(私がただ単に大好きでベタベタしたいだけなんですけど)。
まとまりなくなってしまってすみません。毎日の生活習慣をスムーズにできるようになるにはどのように声掛けしたら良いのでしょうか。
はじめましてm(__)m
もうすぐ三歳になる息子と四ヶ月になる息子がいます。
長男のほうの悩みなんですが、どうしたらいいのかわからず書き込みさせてもらいました。
割りと口は達者なほうなんですが、どうもケンカっ早くすぐ手が出たり噛んだりしてしまうところがあります。
いつも行く公園に大きい石で出来た山の滑り台があるんですが、半年位前からうちの子がちょこちょこその上で友達を押したりするようになったんです・・・・。「危ないからダメ」とはその都度言ってるんですが、毎回ではないもののたまにやります。
いつも遊ぶ友達のお母さん達も気がついて「○○君押さないよ」とか注意してくれたりしてます。
家に帰った後とかに「なんで押したの?」と聞いてみると「○○君嫌いだから」とか「嫌だったから」とか言うんですが、お友達が何かしてきた感じではないんですが・・・・。
おとーちゃんさんのブログを読んで過干渉ではないかと思ってます。
私に大してやつ当たりしてくることはあまりないんですが、私のお祖母さんとかには怒られると凄く怒ったりしてます。普段怒りすぎていることに対するストレスでしょうか?それが友達にも出ているんでしょうか?
Ritaママさん
イタリアは食べ物やワインもおいしくていいですよね~。
はちさん
いろいろ考えたのだけど、「どうすればいいか?」という問いには、
僕は今後のことを考えたら、とりあえずまずは「誰も責めない」ということから出発するべきだと思う。
相手の子のことを考えてしまうと、申し訳ないと思ってしまうのはわかるのだけど、そこを気にしすぎてしまうとはちさん自身を責めたり、言葉にはせずとも息子さんに「なんで、あなたは・・」という気持ちを持ってしまったり、それが伝わってしまったりしてしまうでしょう。
だから、心情的にはわかるけれども「申し訳ない」はいったん切り離して考えるのが最良だと思います。
実際、幼稚園側が言っているように、責任は100%園側にあります。
新入園児のクラスで、環境にもなれていなかったり、教員もきちんと子供のことを把握できていない段階で、母子分離が初めての子もいるなかで情緒的にも安定を欠いている可能性があり、突発的な行動が起こることも十分予測される状況の中で、一時でも完全に目の届かない場面を作ってしまうというのは園側の配慮不足といえます。
そういった状況を作ってしまうくらいならば、完全に目の届く室内だけで過ごすなどの対応もできたはずです。
息子が今月から小学1年生ですが、2週目になったいまでも、休み時間にはまだ校庭に出て遊んでいません。
小学校でもそうなのかと受け止めましたが、突発的な事態が十分予測されるのでそうしているのでしょう。
「最大限の安全への配慮」これは子供を預かる施設である以上、やはり怠ってはならない点だと思います。
しかし、その配慮を欠いた、もしくは油断した結果、一つの突発自体をまねき、それは4つのマイナスを作ってしまいました。
4つのマイナスとは、両方の家庭への不安や心配をもたらしたこと、そして両方の子供が当事者になってしまったことです。
一般的な見方をすると、息子さんは傷を負わせてしまったのだから、加害者と考えてしまうかもしれませんが、子供を育てるという立場から見るとそうではありません。
大人の配慮が足りなかったばっかりに、攻撃せざるをえない状況に子供を置かれてしまったことの被害者なのです。
こういうことが起こってしまったときに、一番心配するのは、やってしまった方の親が子供を厳しく責めないかどうかという点です。
気持ちとしてはわかるのですが、こういう対応をされてしまうと、結果的にその子は同様の問題をもっとしてしまう子になってしまいます。
または、そういった手を出すという行為をしなくなったとしても、萎縮してしまって心の内に溜め込む子になったり、手を出さない代わりに他者に意地悪な行為をするようになってしまったりしがちだからです。
なので初めに申しましたとおり、心情的なもろもろは一旦おいて、フラットなところから出発してほしいと思うのです。
子供はこういったことが起きてしまった場合、言われずともとても深い反省をしています。
それだけでなく、「いけないことをしてしまった、失敗した」と自分を強く責める心の傷を持ってしまいます。
なので、親が心配したり、一生懸命謝る姿を見るだけで、十分わかっているのです。
しかし、ここで激しく責められたりしてしまうと、返ってその自発的な反省の気持ちを吹き飛ばしたり、心の傷をより深くしてしまったりしてしまうことがあります。
なので二度とさせまいと大人がやっきになって、言い募ったりすると返って、収まらずに攻撃的な姿が強くなってしまうことがあるのです。
3歳というのは、まだ完全に自分の感情をコントロールしきれる年齢ではありませんので、頭でいけないといくら思っていても、突発的に手が出てしまったりすることがあるのです。
なのでいくら理屈を教え込んだとしても、それが実際の行動にそのまま反映されるわけではありません。
(まれに全く自発的に反省しない状態になってしまっている子供もいますが、それはまた別の大きな問題がありますので、ここでは除外します)
なので、過ぎてしまったことですのでいまから気にしても仕方ありませんが、くどくどという必要もなかったのです。
子供はほぼ初めて、親から全く離れていろんな不安があるなか、子供だけの社会に加わり自分で過ごしていました。そこで大事になってしまうようなつまずきをしてしまったので、「しっぱいしてしまったどうしよう・・。しっぱいしてしまったどうしよう・・。しっぱいしてしまったどうしよう・・。」
と心が波だっていたはずです。
そこにとりあえず受け止めることなく、畳み掛けられてしまうと、ネガティブな方にどうしてもいってしまいます。
もし、今度公園などで、たくさんの親子が遊んでいる場面を見る機会があったら、ちょっと意識してみてみるとすぐわかりますが、だだをこねていたり、大人の言うことを聞かずにいたり、他児にちょっかいをだしたり、他児の物を奪っていってしまう子の親はどういう関わりをしているかというと、その多くがくどくどと小言の多い親か無関心で放任な親なのです。
>相手を気遣うことができているというのに…
おそらく息子さん自身も↑はできていると思うのです。ただそれを表すことができないだけで。
どうしたらそれを素直に表せるようになるかと言えば、それは受容です。
「しっぱいしてしまったどうしよう。ぼくはだめなんだ・・。」と感じているところに、「ひっかいたらダメでしょ」などと否定的な言葉をいきなりかけてしまうと、そうは言っていないのだけど「やっぱりぼくってだめなんだ」と取ったりしてしまいます。こういうのは理屈ではないのですね。
なので、とうてい相手に気遣いをだしたりというところまで、心の余裕がもてなくなってしまいます。
何が欠けているかと問われたら、それは「信頼してあげること」だと思います。
別に息子さんが悪いわけではないのです。この年齢はまだ感情のコントロールが完全にできる年齢でもないし、なれない環境などからこういう事態は十分引き起こされることでもあるのです。
同じ状況の誰しもが、起こす可能性のあることです。
そもそも、こういった状況になれたり、他の子供と関わる経験を積むために幼稚園などがあるのです。
今回相手を傷つけてしまったということがあるものの、こういうことを経験しそれで成長していくのですから、これでめげることはありません。
きっと今回のことで一つ学び、成長したはずです。
ですから、息子さんのことを「ほかの子ができることが、ちっとも出来ない子」と捉えるのではなくて、「いまはこういう状況にあるけれど、いづれきっと出来るようになるんだ」と信頼してあげてください。
それから、はちさん自身についても、これまでの子育てで取り返しのつかない失敗をしてきてしまったなどと考えずに、自分を信頼してあげてください。
子育てが完璧に出来る人などどこにもいないし、息子さんへの子育てがきょうあすで終わるわけでもありません。
これからも何年もかけて、育てていくのですからいまちょっとやそっとの失敗があったとしても、あとから振り返ればなにほどのことでもありません。
また、幼稚園側も今回配慮に足りないところがあったとはいえ、きちんと誠実な対応をしていますから、十分に信頼に値するところです。
幼稚園でも、保育園でも、親があずけると決めたならば信頼して子供を送り出して上げるのが一番です。
「今日もなんかやらかしたらどうしよう」などと思いながら、子供を送り出していると、子供の方も気持ちが安定しきれず、なんやかやと問題を起こしがちになってしまうものです。
幼稚園もプロですから、虐待をされていて他児に暴力を振るいまくるなどというのでは手に負えないかもしれませんが、はちさんの息子さんのようなケースはなん百人とこれまで見てきているし、対応してきているはずです。
もし、今後もなにかあったら、幼稚園の先生と相談しながら対応していけばいいだけです。一人で抱え込まなくてもいいのです。
安心し信頼して送り出してあげましょう。
それができれば、もしいま心の底からこのことについて悩んでいるとしても、10年後、20年後にはこんなことあったことも忘れているか、笑い話になっているはずですよ。
yokoさん
まず、この時期はまだ身の回りのことが完璧にできる年齢ではありません。またできなければならない年齢でもありません。
多くの人が頭ではそのことを理解しているのだけど、いざ子供に向き合うと、「~~できる」ことを目的としてしまうので、「現状の子供の姿の否定」になってしまうことがしばしばあります。
こうなってしまうと、自己肯定感が下がってしまうので、目的としていることがちっともできなくなるばかりか、さまざまなネガティブな行動が多くなりかねません。
それは当然ながら、避けたいところです。
またほかにもできなくていい理由があります。
それは保育園でがんばっているということです。
保育参観などに来た人の多くが、家ではちっともやろうとしないことも保育園ではしっかり自分でやっているのでびっくりしました と言います。
保育士の関わり方が慣れているということも、ないわけではありませんが、大部分は子供自身がその環境(保育園という社会)に合わせてすべきことをしようとしているわけです。
大人ななら外でしっかりやってきて、家のなかでもしっかりやるということはできます。でもなかには外であんなにしっかりしている人が、家ではちっともなにもしないという人だっています。
子供はなおさらです。
外でがんばってきたら、家でも同じようにできるほど、体力や心の成長がそこまでいっていないので、うまくできなくて当然です。
ましてやyokoさんのところは保育園に行き始めたばかりですので、家でいろんなことをさせようとしても、反動がでてしまうことも考えられます。
そういうこともあっていまは、できない状態を受け止めてあげることが大事だと思います。
保育園での様子を聞いてみればわかるかと思いますが、家での姿以上にいろいろ出来ていると思います。
ならば時間の経過とともに家でもいろんなことができる姿をみせてくれるようなるでしょう。
もし、まだ園でもそれほど自分でしていないのであれば、成長がまだそこまで至っていなかったりということなので、いろんな経験をして楽しみ、共感したりすることで、まずは全般的な成長を促していくのがいいでしょう。
保育園でのやり方ですが、具体的に1~2歳児にたいして、どういうふうに靴を履くなどの生活の習慣をつけていくかというと、まさに習慣として形作ることをしていきます。
大人もそうですが、なにかを「やれ」と言われてするのは大変いやなものです。
ですので、「させる」のではなくて、「それはすべきもの」という習慣のほうを作っていくのです。
例えば、買い物にいくので外出するとき。
(風呂のこととも通じますが)この年齢は生活のなかでの「切り替え」というのが大変へたです。
なにかしていることをやめて次のことへ移行することに抵抗を覚えます。
なので、あるていど見通しがもてるように言葉がけをしていきます。
「もうすこししたら買い物にいきますよ」
と事前に伝えたり、(できるならば毎日の生活の流れを一定にしていくようにするとさまざまなことがすんなりいきやすくなります = 生活のルーティンです)
「では、そろそろいくので靴下を履きましょう」
「はい、どうぞ」靴下をだす
「できなかったら、テツダッテっていってね」
『テツダッテー』
「うん、じゃあ手伝うよ。はい、これでよし」
「じゃあ、いこっか~」
「お母さんは靴を履きます」 ←口に出していう。ここ大事
「あなたのもここに置いておくね」
『ヤダー、ハケナイー』
「そういうときはテツダッテっていうんだよ」
『テツダッテー』
「はい、じゃあ手伝うね」
「よし! じゃあ、しゅっぱーつ」
まずは、出来ることをもとめません。
習慣の形からつくっていきます。
これを日々繰り返していると、そのなかで自分で出来ることをやろうとする姿が見えてきます。
もともと自分ですることは楽しいことですので、他にネックになっていることがなければ必ずそれはでます。
上のことがすんなりいくためには、支配・命令・否定ということを少なくします。
例えば、いまの買い物に行く状況の前に、
「あなたはまたこんなにちらかして~~だめじゃないの」 (否定)
「さあ、早くかたづけなさい」 「靴下はくからはやくきて」(支配・命令)
こういうことがたくさんあれば、その反動がかならずでますので、大人がやってほしいと思うことでぐずりやゴネを出すことが多くなってしまいます。
なので、結果的に生活のことが身に付いたり、習慣が確立するのがすんなりといきません。
先ほどちらっと述べましたが、この年齢は生活の中などの行動の切り替えがうまくありません。
これは年齢特有のことですので、別に何が悪いわけでもありません。
そういうものだとおもって対応していけばいいでしょう。
ですので、毎日の確立された生活のながれ 「ルーティン」というものはとても味方になります。
しいてやらせようとしなくとも、それが毎日当たり前になってしまえば、しごく子供も納得するのが楽になるからです。
とくに保育園に入ったりして、生活の流れが変わってしまった時は、無理のない(急かしたりせずとも済む)時程でもういちど生活の流れを見直していってあげるといいでしょう。
>「パジャマのままで保育園行ったら恥ずかしいよー」
↑こういう風に声をかけられても、子供はあんまり納得してくれません。
こうやって文字でみればわかりますが、子供に対して否定のニュアンスが入っています。
婉曲な言い方をして、子供を嫌な気分にさせてしまうくらいならば、「今はお着替えします!」と言い切りの形で伝え、自分でできなければ手伝ってもいいので、「ご飯を食べる時」「手を洗うとき」「着替える時」というようにやるべきことをさせてしまって、習慣の形・大枠だけでも作って行ってしまったほうがあとあといいです。
子供に自分からさせようとして、上のような婉曲な言い回しをすることは多いのだけど、まだこの時期は自分で生活の流れを律してできるという年齢ではないので、そうするよりも「いまはこれいまはこれ」と形をつくってしまうほうがいいのです。
しかし、ここで最初に言ったことを思い出してください。
年齢的なものや・保育園でがんばっていること、身体的に疲れている時もあること、精神的につかれているときもあること、情緒的に安定しておらず甘えたい時もあること、などなどありますので、「言い切り」の形でやらせるとは言ってもビシバシやれという意味ではありません。
手伝ってあげる時は気持ちよく、できない時や、なかなか切り替えないとき、ぐずぐずするときがあっても当然というくらいに思って、その都度その都度臨機応変に対応していくことがとても大切です。
とっても長くなってしまいました。
きっとこのことは、ほかの人にも興味ある内容だろうろ思うので、このコメント本記事として転載させてね。
ありがとうございました!!
「いろいろ考えたのだけど」という言葉の通り、どこの誰ともわからない、見ず知らずの私のために…本当に多くの時間をかけて、コメントしてくださったことが伝わりました。ありがとうございます。
何度も読み返させていただきましたが、おとーちゃんのアドバイスは、何から何まで、その通りだと思いました。ショックのあまり、私が失くしていたのは、まさしく「自分への信頼」であり、「息子への信頼」だったんです。
なんというか、これまでコツコツと種を蒔いて(息子に言い聞かせて)、水やりをして(愛情を注いで)、ようやく芽が出てきた(心が通じてきた)かな? とわくわくしていた時に、あなたのやり方ではダメと、つきつけられたような気がして…
ゼロからやり直したくても(フォローしてやりたくても)、園にいる間は、そばで息子を見守ることも、「危険だな」と感じた時に、間に入ることもできない…そのことがもどかしくて、不安でなりませんでした。
でも今は、再び息子を「信頼」し、彼の成長を「待つ」覚悟ができました。
実は今日…息子がまた、同じ遊具のところで、お友達を叩いたことがわかりました。
バスで降園した息子と、今日の出来事を話していた時に、息子がふとうつむいて「幼稚園で、えーんえーんって泣いちゃった」と…泣いた理由を聞くと、
息子「先生に怒られて、さびしかったの」
私「どうして怒られたのかなぁ?」
(「怒られた」というのは息子の心象で、先生に諭されただけだと思いますが)
息子「お友達を叩いたから」
私「どこで叩いちゃったの?」
息子「汽車に乗ってる時に」
先生からの報告を受けずとも、どういった状況かは想像がつきました。
おそらく、例の汽車の運転席を、「お友達に譲りたくなかった」あるいは「譲ってもらえなかった」ので、とっさに手が出てしまったのだろうと。
「そういう時、叩いてもいいのかな?」と聞くと、ぽつりと「ダメだ」「(お友達が来たら)交代する」と言うので、おとーちゃんのおっしゃる通り、「本当はどうするべきなのか」も、自分が「失敗してしまった」ことも、よくわかっているんですよね…
息子は自分が「こだわっていること」となると、まだ理性で感情をコントロールすることができないのでしょう。おとーちゃんのおっしゃる通り、理屈を教え込んでも、すぐに反映されるわけではなく、親子の関わりを通して、安心感や自己肯定感を育んでいきながら、彼の心の成長を待ってやるしかないのだと思いました。
夜、先生から再びお電話をいただきました。
すべてお見通しといった感じで、「◯◯君、何か話していましたか?」と。
息子との会話や、私が感じたことをお話すると、おとーちゃんと同じようなことをおっしゃっていました。「感情をコントロールできなくてお友達とぶつかるというのは、今の時期あちこちであることです。それを学ぶために、幼稚園があるんです。まだまだこれからです。何かあれば、絶対にご連絡します。いけないことをしたら、その場できちんと言い聞かせます。その場でフォローすることが重要だと思いますので、自宅では、決してほじくり返すことなく、お子さんの話を、ただ受け止めてあげてください」と。
先生もきっと、先回りして心配したり、くどくどと言い聞かせたりするのではなく、園と自分を信頼して、任せてほしいということを、おっしゃりたいのだと思いました。
叩いてしまったことについては「次からは、絶対にやめようね」と約束しましたが、息子が自分から教えてくれたことについては、「えらかったね」とほめてやりました。
私から問いただしたわけではないのに、叱られるかもとわかっていたのに、内緒にしたり、ごまかしたりしなかったこと。そのことについては、素直にうれしく思いました。
息子がいつまでもそうあってくれるように、おとーちゃんのアドバイスをしっかり心に留めようと思います。
昨日は、ケガをした女の子のご両親にあてた手紙(こちらの心情を気遣ってくださったことへの感謝の手紙)&ばんそうこうを、息子に託しました。
夜、先方からお礼のお電話(本当はお礼を言われるなんて、あべこべなのですが…)をいただいたのですが、週明けに息子が登園を嫌がったりしなかったかどうか、気にかけてくださいました。
また、近所に住む友人(子供が、息子と同じクラスにいる)に「実はこんなことがあって落ち込んでいる…」ということをうちあけた時には、「◯◯君(息子)のことを、いつも『また何かやるんじゃないか』という目で見てしまうのはかわいそうだよ!」と言われました。
息子は気が強いけれど、やさしいところや素直なところもたくさんある…。でも、今回のようなことがあると、まわりのお母さん達から「乱暴な子」とひとくくりにされてしまうのではないか…。そんな不安もあったので、友人の言葉はとても心にしみました。
おとーちゃんからのアドバイスを拝読して、私は本当に恵まれていると思いました。
「できない」ことよりも「できる」ことを評価し、子供の心に寄り添ってくださる先生(幼稚園)と、ともに子供を見守り育てていける友人と、ブログを通して親身なアドバイスを送ってくださるおとーちゃん。
こんなにも心強い「味方」がいてくれる。おかげで私は、これからも前向きな気持ちで頑張れます。
ケガのことはやはり忘れられない(忘れてはならない)と思いますが、息子を信頼し、彼の成長を「いつになったら…」ではなく「いつかなぁ、楽しみだなぁ」という気持ちで待ちたいと思います。
(何かあったらその時は、親としてきちんと謝罪し、フォローをしてやる覚悟です)
またまた長くなってしまい申し訳ありませんが…
本当に、ありがとうございました!!
No title
よく拝見しています。子供が保育園に行っていることもあり、いろいろな面白い話がとても参考になります。
2歳になったばかりなの息子は大の豆好きで、そらまめも大好きです!皮にちょっとだけ切り目を入れてやると、自分で黙々とむいて食べてますよ~
「そらまめくんのベッド」は、パッと見て読み聞かせを拒否されたのですが(絵本の好みがうるさい・・・)、そらまめを実際に食べさせて、鞘も見て触らせてからもう一度見せたら聞いてくれて、本の内容もわかったみたいでした☆
おっしゃるとおり、生活体験って重要だと思います。食べ物や行事や遊び、いろいろ子供と一緒に楽しめたらと思います。
あぁ~でもウドって自分で料理したことないです・・・やってみないといけませんネ。
これからも記事を楽しみにしています!
お返事ありがとうございました
今回もとても丁寧にご回答頂きありがとうございました。
私自身、息子に対して「~できなければならない」という気持ちは普段からあまりなくて、保育園でいつもがんばってくれていることはよくわかるので、今何歳だからどうしてこれができないんだろうとかはあまり思っていませんでした。
ただ私の悪かったところは、そう思っていたのですべて私が率先して手を出してしまっていたということでした。
おとーちゃんのブログを拝見させて頂いて、子供は常に自立に向かっているということを改めて気づかせて頂きました。そこで、今まで私が率先してしてしまっていたことを、どうやって息子が自立せきるように手助けしてあげればいいのかなと考えてしまったため、今回相談させて頂きました。
おとーちゃんに頂いたご回答の中に具体的な声かけの仕方も教えて頂いたので、とても勉強になりました。本当にありがとうございます。
また、保育園に行っているため一緒にいられる時間が限られている中で、毎日の生活習慣の中でどうしてもやらなくてはならないこと(着替え、ごはん、手洗い、歯磨き、お風呂…等々)って、けっこう多くあるんですよね。それを毎回気持ちを切り替えてさせることに、息子にもストレスになっていないかと思ったり、私自身も疲れていることもありました。でも、
>毎日の確立された生活のながれ 「ルーティン」というものはとても味方になります。
おとーちゃんがおっしゃるように、毎日コツコツ「今はこの時間だよ」とルーティンにしてしまえば、お互いに負担に感じなくなってくるのでしょうね。
また、
>手伝ってあげる時は気持ちよく、できない時や、なかなか切り替えないとき、ぐずぐずするときがあっても当然というくらいに思って、その都度その都度臨機応変に対応していくことがとても大切です。
このように行って頂いて改めて安心しました。切り替えられない時があっても当然なんですよね。わかってはいましたが、忘れないでいようと思います。
でもその都度臨機応変ていうのがまた難しいところなのですが、それはその親子それぞれでいろいろやり方があるところだと思うので、私たち親子のやり方を模索していきたいと思います。
おとーちゃんのブログ、本当にすごいですね。とても勉強になりますし、細かい具体例もたくさん書いてあるので自分でも実践しやすいです。
育児方法って、やはり自分自身が育てられた方法がスタンダードになってしまうと思うんですよね。私はおとーちゃんのブログに出会う前に佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」を読んだのですが、私が育てられた方法とは全然違っていたので、衝撃を受けました。
やはり日本の子育て文化が今日の子育てに対する不安を生みだしたところは大きいと思いますので、佐々木先生やおとーちゃんが発するような子育て方法をもっと広く国を挙げて取り組むべきだと思います。私のようにこんな育て方知らなかったという人は本当に多くいると思いますので。
私も子育て新システム法案反対について、あるSNSで訴えたこともあるのですが、文章だけで伝えるのは非常に難しいと痛感しました。おとーちゃんもそのように感じられたこともあるかと思いますが、こんなにも多くの記事を発信されていて本当にすごいと思います。子供を育てるということはひいては自分を、大人を、国を育てることですので、おとーちゃんのような方をずっと応援しています。
関係ないことで長くなりすみませんでした。いつもお忙しいところありがとうございます。
かじゅさん
詳しくは「叱らなくていい子育て」「心の育て方」カテゴリーの過去記事に述べられていますので、そちらも参考にしてください。
もし、すでに過干渉や・怒られすぎなど、心のネガティブな要因から手が出たりすることが多いのであれば、
>「危ないからダメ」
は意味がないどころか、むしろ逆効果になって、そのダメだし自体がさらに攻撃させる原因になっていくことすらあります。
子供は否定をされていたら本来の自分を出すことはできません。
大好きな親に肯定や、受容、共感を十分にしてもらって初めて、素直な自分がだせるのです。
そのために普段から、「肯定、受容、共感」を増やしていきましょう。
どうしたらいいかよくわからなかったら、とにかく毎日くすぐり遊びをしてあげましょう。
「ダメ」とこれまで言ってきていたところを、「どうしたの?」と投げかけていきましょう。
この↑二つのことをするだけでもだいぶ様子が変わるはずです。
だんだんと褒めるところ認めるところを増やして、肯定していってあげましょう。
ちょっと考えてみてください。
いま子供への関わりを全部で10としたら、そのうちのいくつくらいが、叱ったり、ダメだしだったりになっているでしょうか。また、いくつくらいが褒めたり、笑顔でお話をしたり、認めたりの関わりになっているでしょうか。
例えば、それが9対1だったとします。
それを自分がされたら、と置き換えてみましょう。
職場の上司が、9個叱る間に、1つだけ褒めてくれたりねぎらってくれたりする状況に自分は耐えられるでしょうか。
僕だったらまず、そんな職場は願い下げです。
じゃあ、7対3なら・・?
やっぱりいやですね。
5対5だったら?
う~~ん、まあなんとか頑張れば、やってけるかな~。
3対7なら?
これくらいなら、けっこういけるでしょう。
1対9なら?
人を育てるのがうまい、尊敬すべき上司と思ってついていきます。
おわかりでしょうか?
ダメ出しばっかり、叱られてばっかりだったら、子供はちっとも伸びていかないのです。
もし、「危ないから押すな」と毎回毎回言ってそれが直るのだとしたら、息子さんはもうとっくにそんな行動はしなくなっているはずですね。
今現在でも、理屈として「人を押してはいけない」というのは十分にわかっているはずですよ。
でも、それができないのは理屈で直る段階のものではないからですね。
まずは先ほど述べた、「肯定、受容、共感」を目指すこと。
もし、万一押したりする姿がでたとしたら、
このケースの子には僕はこういった対応をします。
怒ったり、イライラしたり、「また、やったのか」などとネガティブな気持ちを自分が持たずに、とりあえず引き寄せて、膝に乗せます。前向きでのせると顔が見えないですから、横抱きみたいな感じにします。
たたみかけるのでなく、ゆっくりと「どうしたの?」と投げかけます。
別に答えを求めているわけではないので、事の理非を判断してやろうという意味ではありません。
子供は子供なりに理由がありますので、それが言えるのならば聞きます。
そしたら「あ~~そうだったんだ」と受け止めます。
基本的にはこれで十分です。
「でも、押したらお友達倒れちゃったね?」とか「泣いちゃったね?」
と様子によっては、投げかけてもいいかもしれません。
なかには膝に乗せた時点や、「どうしたの?」と聞いたときから泣いてしまう子もいます。
たいていの場合それは、自分が失敗してしまったことで自分を責めている涙ですから、それでもう十分です。
そのまましばらく見つめてあげて、落ち着いた頃に、「そうだね、もうわかったね」「はい、じゃあ気をつけて遊んでおいで」と遊びにいかせて、そのあとも見守っていてあげれば、まずそのときに繰り返すということはないでしょう。
しかしもし、その泣いている時にダメだしをしたり、「昨日も同じこと言ったじゃない、もう公園につれてきてあげません」などと否定的なことを言ったりすると、子供の心はささくれだちますので、さらにそういった行為にかりたてられますし、それで改善するということはありません。
ありがとうございましたm(__)m
早速ありがとうございましたm(__)m。そして言葉が足りなくてすいません。
携帯から投稿させてもらってるんですが、文字数オーバーで送れずだいぶ削らせてもらったんです(>_<)。
おとーちゃんさんのブログを読ませてもらってからなるべく誉めたり、抱きしめたり好きだよって言ったりしてるんです。それでも怒ることもあります。なるべく怒らないようにしようという気持ちはあるんですが・・・・。
もしかしたら公園に行く前とか遊んでいる最中に本人にとってイヤな怒り方してたのかもしれません。それでそうゆう行動が出てしまったのかもしれません。
公園で遊ぶことが大好きで、友達と遊ぶことが大好きなんです。下の子の都合もあるので早く公園に行くことができないジレンマもあると思います。
もしまた押してしまったりしたらおとーちゃんさんが言うように抱きよせて話をしてみたいと思います。
もちろん子供もずっとそうゆうふうにしてるわけではなく仲良くしたり貸してあげられた時は誉めたりもしてます。
その時子供は反応がなかったりするんですがそれでも良いものなんですか?
続きます!
続きです!
いつも遊ぶ友達が数人いるんですが、たまにその友達が他のお友達とケンカになって泣いてしまうことがあります。そのときうちの子が決まって、その泣かせた子に攻撃します。
いつも遊ぶ仲間を泣かせたから・・・・というふうに見えます。
が、泣かせてしまった友達からしたらなんで?ってなりますよね。そんなときうちの子にはなんて声かけするのが適切なんでしょうか?
一応私からは「あなたがやらなくてもいいよ」とは言ってますが・・・・。
いくつも投稿してしまってすいません(>_<)。
他の方へのアドバイスも勝手ながら参考にさせてもらってます。
これからも色々読ませて下さいね☆。
あっ余談ですが、うちの子本が好きなんで以前紹介されていた100階だての家と地下100階に最近はまってます☆。本の紹介も楽しみにしてます(^O^)。
ひとりあそび
さて、自慰行為のほうは 相変わらずありますが 減ったように思います。ありがとうございました。そしてやっぱりうんちをしたいときと ひまなときにしてるみたいです。『そんなことしなくてもうんちでるよ』って教えるんですけど…ちなみにおむつは1年前にとれています。
あとひまなときほど飲食をせがみます。だめだめ黙認の悪循環です。ひまなとき ひとりあそびしてくれればいいのですが、ひとりあそびはとくいではないようです。お母さんとあそびたいといいます。わたし自身はずっといっしょにあそんでてもいいのですが ひとりあそびも上手になってほしいなと欲がでたりです。
あといちどかんしゃくスイッチがはいるとずっと30分とか暴れます。受容してもなにをしても。しばらくほっておいたりしてしまいます。これはよくない対応でしょうか。
お暇なときでいいのでアドバイスあればよろしくお願いします。ひとつまえの『ひまなとき』を削除していただけますか?下書きの方をアップさせてしまいました。たびたび申し訳ありません。
かじゅさん
子供はそのときにはすぐ明確な反応がないこともしばしばです。
多くを伝えれば一度に伝わりきらないこともありますし、伝わっても心の中で腑に落ちるまで時間のかかることもあるからです。
次の方は、
こういったことは子供らしい正義感でしばしばあることです。
大人から見るとたしかに、あなたがでしゃばらなくてもいいことなのだけど、子供からするとそれなりに理由のあることなので、まずはどういう気持ちでそうしたっていう部分を受け止めてあげると、そのあとに伝えたいこともすんなりと伝わるのではないかと思います。
a.oさん
ただ、ひとり遊びが出来るようになるためには、大人が相手をすればいいというのでも、逆に離れさえすればいいというものでもないので、そのあたりは「遊び」の過去記事あたりを見てください。
また、子供同士で遊べる機会を設けてあげることでも、他児の様子をみて学べるのでプラスになることもあります。
>かんしゃくスイッチがはいるとずっと30分とか暴れます。受容してもなにをしても。しばらくほっておいたりしてしまいます。これはよくない対応でしょうか。
↑これに関しては、そのもとになっている原因がどこにあるかでその対応でいい時もあれば、よくないこともあります。
こういったことは個別の問題になってしまいますので、この場で僕からどうこうというのは判断がつかないので言えません。
あまりに、頻繁だったり度が過ぎると思われ気になる場合は、3歳児検診(もうおわっちゃったかな)の場で相談したり、育児・発達相談などで聞いてみるのがいいかもしれませんよ。
声かけについて
娘は同じ年代の子がまだこわいようで、相変わらずよそへ行くと私にくっついて離れませんが、じーっと観察はしているので、おとーちゃんさんが言われるように、彼女なりに経験を積んでいるんだろうなと私のほうも落ち着いて見られるようになりました。
お忙しいところまたまたお聞きしてすみませんが、↑のyokoさんのご相談とそのお返事がとてもタイムリーですごく参考になりました。
おとーちゃんさんのお返事に「そのうち転載する」と書かれていたのですが、私もお聞きしていいでしょうか?
うちの娘(1歳11カ月)も、毎朝の着替えに手こずっています。
まず、「お着替えしよう」というと「いやー」と逃げ回る。
その気になってからも、↑のお返事を参考に「はい、ズボンはきます。どうぞ」というとすぐ「ママー」と私にやってくれと言ってきます。
うちの子はまだ「手伝って~」とちゃんと言えないのですが、今はこんな感じです。
(私)「ズボンはこっかー」
(娘)(すかさず)「ママー」
(私)「ママ、お手伝いしたほうがいい?」
(娘)「うん」
(私)「じゃあ、ママお手伝いするね」
という具合で、「お手伝しようか」を言う間もなく、すぐ「ママー」と手伝いを求めてきます。
上着をちゃんと着るのはちょっとまだ難しいようですが、ズボンは自分でちゃんとはけるので、多分甘えたいんだと思いますが、お聞きしたいのは、
・「いやー」と逃げ回るときは、「はい、着替える時間です」と言ってわめいても着替えを始めたほうがいいでしょうか。今は、少したってからにこにこして抱きついてくるときが、彼女なりの着替えたいときみたいで、日によって待ったりすることもあります。
・「ママー」と言ってきたときに、できるだけ自分でさせるようにするのによい声かけはないでしょうか。
こんな細かいことまでお聞きして申し訳ありませんが、できるだけ自分でできるようないい声かけを教えていただけたらうれしいです。
それから、排泄の自立に関してなのですが、やはりこういう着替えなどが自発的にできるようになるころが、目安と考えていいでしょうか。
着替え以外は、食事もきちんと自分でできますし、食事中に立ったりすることもありません。また、外に出てもきちんと手をつないで、歩けます。
私がこちらを参考にいろいろ声かけをしているのを、夫も真似してくれて我が家ではどなったりすることなくかかわりができるようになっています。
本当におとーちゃんさんのブログにはお世話になっています。
お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
さくらさん
・待って出来る様子であれば待ってもいいけれども、まってもできないようであれば待つこともない。
・大人が多大な我慢・負担・犠牲を払ってまで待つこともない。
・子供のしたいことの意志の尊重よりも、生活習慣を身につけさせるほうが優先される。
・生活習慣として身についた上であれば、大人が許容できる範囲で子供のしたいことを尊重することは問題ない。
(例 遊びこんでいてきりのいいところまでしたい と子供が思っているとき、習慣として身に付いた上であれば尊重してもいいけれども、まだ身についていない子にそれをさせても、習慣化が遠のくことになる。 ただしそれも状況によるので臨機応変な対応が要求される)
・過去記事「おふろだよのうた」にあるように、メリハリを持った楽しい関わりというのは生活習慣上味方になる。
・子供が生活の切り替えでごねるとき、多くの場合原因はそのものでなく、それ以前にある。そこばかり気にしても改善しないし・大人はイライラするばかり。
先回りした関わりなどで、大元にアプローチする。
他にも、環境・時間的余裕への配慮・大人自身の気持ちの余裕など、子供の側でない原因というのも生活面での子供のゴネを生むこともありますし、そうでなくとも大人の側の配慮次第でかえられることもあります。
・とはいえ、成長の時間的な経過が必要なこともあるので、大人があせってもしょうがないこともあります。
・いいところをたくさん認めていけば、いま現在うまくいっていないことにもよい影響がある。
つまり、できないことばっかり大人は気になりやすいけど、そこは置いといていいところを見ることも大切。
・子供は(実は大人も)いいところを10個褒めたり認めたりしてはじめて、1個苦手なことが成長する。
↑子供には褒める・認めるの代わりに「可愛い可愛い」でもOK
とりあえず今思いついたのはそんなところかな。
外での注意について
大変遅くなってしまいましたが、前回着替えの際の質問にアドバイスいただきありがとうございました。
あれからも着替えの際に、「ママー(やって)」は続いていますが、「ママお手伝いした方がいい?」と聞いて、本人が「うん」と言ったら「お手伝いするね」という感じでやっています。
最近は靴を脱ぐのもうまくなったし、前よりいやがらなくなった気がします。
お忙しいところ申しわけありませんが、またご質問させていただいていいでしょうか。
先日娘も2歳になり、気候もよくなったので、今までよりも散歩をよくします。
今までは、私が「あっち行ってみようか」とか言っていたのですが、最近は本人が行きたいところへ私がついていくようにしています。
本人も楽しそうですし、私ものんびり歩くのは楽しいのですが、やはり外へ出るといろいろ口に出すことがふえてしまいます。
最初の質問なのですが、注意の仕方についてです。
こちらの「叱らなくていい子育て」や「過干渉、過保護」などのカテゴリを何度も読んで、参考にさせていただいているのですが、外に出るとどうしても口うるさくなってしまいます。
大体、声をかけるようにしているのは、
・危険なこと
・汚いこと(道に落ちている食べ物をさわろうとするときなど)
・お店のものや公共のものなどをさわるとき
なんですが、危険なことや汚いことは、「~すると~なっちゃうから~しようね」とか「それさわるとおててが汚れちゃうよ」などと言えるのですが、「お店のものなど公共のもの」に対する注意が難しいです。
本当は自然がいっぱいのところをのんびり散歩させてあげたいのですが、今住んでいるところが駅に近い団地で、本人が駅が好きなので、毎日お店などを通って駅に行くことが多いのです。
好奇心がいっぱいで、とにかく何でもさわりたがるので、そのたびに「それはお店のものなんだよ」と注意の連続になってしまいます。
たとえばお店の店先にある水道などをさわろうとしたら、「それはお店の大事(なもの)なんだよ。だからさわらないんだよ」と言ったら「だいじ、だいじ」と言ってわかってはいるようですが、駅やお店には自動販売機やパンフレットなどさわりたいものが多くて、そのたびに注意になってしまいます。
デパートなどに行っても、とにかくものに興味があるようで「かわいー」と言いながら商品をさわりたいみたいです。
おとーちゃんさんは、お店など外ではどのように声かけされていますか。
本人も散歩は楽しそうだし、好奇心は満たしてあげたいので、何かいいアプローチができたらなと思っています。ずーっと注意されながら散歩は楽しくないですよね。
それから次に、「言ってもやめてくれないときの対処法」です。
例えば、今は自動販売機をさわりまくったり、駅のパンフレットをとりたがったり、家では手をあらうときに水を出すのが楽しいみたいで、「もう一回、もう一回」といつまでもやりたがります。
「もう少ししたらやめようね」とか言って待っているのですが、いつまでたってもやめないときは、「はい、もうこれで終わりにしようね」と無理やりやめさせています。
本当は、そのときにちゃんとわかってやめてくれるといいのですが、わかってくれるようになるまで普段のかかわりを続けていきながら、わかってくれるのを待つしかないでしょうか。
また、やめてくれないその時点で、「ダメ出し」にならないいい声かけなどあったら教えていただきたいです。
先日夫の両親と会う機会があったのですが、夫の母が過干渉タイプの人で、子育てにも何かと口を出してきます。
一緒に街を歩いているときに、私たち親子(夫、娘、私)が三人で手をつないでいたら、後ろから「親二人の歩く速度が速すぎる」とか「もう少し横にずれて歩きなさい」とかいちいち口に出してくるんです。いい年した私たち夫婦に。
私たちは大人なので、笑いにもできますが、子どもが歩いているときに後ろからいろいろ言われたら、きっといやだろうなと思います。
それから、先日児童館で一緒になったママに「ダメって言っても聞かないときはどうしますか?」と聞かれました。「ダメとは言わないようにしています」と言うと、不思議そうな顔をされましたが、やっぱり「ダメ」と注意しても、そのこと自体がよくなることはないんだなと思いました。
長くなってしまってすみません。
お忙しいところ申しわけありませんが、アドバイスいただけるとうれしいです。
よろしくお願いいたします。
さくらさん
どのような環境にしたら、
指示や禁止事項を少なくすることができるか
友達とのトラブルを少なくできるか
大人が相手をしなくても自分であそび込める状態にできるか
などなどを考えて、遊べる環境を作ったり、遊具を選んだり、その個数を決めたりします。
相談にある散歩のことでも、同様のことがいえます。
このくらいの年齢の子供は、やはり気になるものがあれば触ってみたりしたくなります。
また大人が制止しても、どうしても手が伸びるものです。
いくらうまい対応をしたところで、多少減らすことはできても根本的にはそうそう変わらないでしょう。
なので、規制が多くなるところに行くよりも、規制を少なくて子供が自由にその好奇心や、探究心を満たせるようなところを開拓して、そちらで楽しめるようにもっていったほうが、親にとっても子供にとっても楽しい時間が多くなるかもしれません。
例えば、今の段階で駅前にいけば、気をつけて少なくして30回制止することがあったとします。
これが半年後同じところに散歩に行ったら、その制止は1回もなくなっているかもしれません。
その状況に合わせた環境を考えるだけで、ずいぶんとちがうわけです。
>なんですが、危険なことや汚いことは、「~すると~なっちゃうから~しようね」とか「それさわるとおててが汚れちゃうよ」などと言えるのですが、「お店のものなど公共のもの」に対する注意が難しいです。
これに関しては、規制することよりも、いいものを作っていくことで何かをいじりたい、探索したい、好奇心を満たしたいを全うさせてあげることで、そもそもの規制を減らすことができます。
なんでもいいのだけど、今だったら桜の木の下にいくとたくさんサクランボが落ちています。
そういうものを、拾って集めたりすることを遊びにして、散歩の楽しみとして形成してしまうことで、うまい言い方を考えるよりも規制そのものを減らすことで、子供をより伸ばすことにつながります。
そういうわけで、例えば散歩にビニール袋をひとつ持って行って、葉っぱとか石とか綺麗なものを集めていいよって言うだけで、そういった探究心を大いに伸ばし満たしてあげられます。
そっちの「肯定」の方にアプローチしたほうが、規制も減るし子供も楽しいしずっといいわけです。
また、いま一生懸命教え込まずとも、やはりもう少し成長すればいちいち大人が止めずとも、困るものを触ったりしなくなるので、いま「規制して教える」という「否定」の方に力を込めても無駄になってしまうのです。
公共のものでいじったら困るというようなものは、これはメリハリを使ってきっぱり言います。
遊んでいいものに対しては、大人はとてもニコニコ楽しく相手をしてくれる。
でも、こっちをいじったら真剣な顔で止められた。
そういう経験を重ねていくと、大人が喜んでくれる方に子供は向かうものです。
↑このことも、「規制」が少なくてはじめて成立することです。
もともと規制がたくさんだと、「メリハリ」がなくなってしまうので、ここぞというときも子供には伝わりにくくなってしまうからです。
「ダメ」は本当にいまの日本の子育てのスタンダードな関わりですから、みなさん当たり前にとてもたくさん使っていますね。
その大人の関わりが、どれほど子供のネガティブな姿を作ってしまっているか、多くの人は気がつかないし、知らないし、関わりがあるかどうかすら考えることもないのですよね。
このことは、保育士をしていてとても残念に思います。
ありがとうございました
今回も読みながら「なるほどー」と思わず口に出てしまいました。
>どのような環境にしたら、
指示や禁止事項を少なくすることができるか
友達とのトラブルを少なくできるか
大人が相手をしなくても自分であそび込める状態にできるか
などなどを考えて、遊べる環境を作ったり、遊具を選んだり、その個数を決めたりします。
子どもにとっての遊びの環境をつくってあげるというのも大事なんですね。
>なので、規制が多くなるところに行くよりも、規制を少なくて子供が自由にその好奇心や、探究心を満たせるようなところを開拓して、そちらで楽しめるようにもっていったほうが、親にとっても子供にとっても楽しい時間が多くなるかもしれません。
これも納得です。
いくら注意しないようにといっても、やはり駅などでしないようにするのは無理がありますよね。
駅といっても住宅地の駅でのどかなのですが、娘はとにかく自動販売機やパンフレットをさわりたがります。
大人から見たらやめさせたい行為でも、彼女にとっては「遊び」の一つになるわけですよね。
そして、もう少ししたらやらなくなるだろうというのにも納得です。
娘の行きたいところに行くようにしていると、駅になってしまうのですが、
今はできるだけほかに行くようにしてみようと思います。
それから、こどもは本当に葉っぱや石を拾うのが好きですよね。
ビニール袋に入れてあげていますが、それも楽しみの一つになるんですね。
今回の記事を読んで、今の環境では本当に散歩を楽しむのは難しいなと考えさせられました。
昔つくられた団地で、団地内は、むきだしの土の面がなく、なぜかタイル張りなどになっていて、子どもが土にふれることがなかなかできないのです。
でも、その中でも楽しんでいこうと思います。
今は何でもさわってしまう時期というのと、環境がととのっていないところで注意してしまうのはやめようと思いました。
ごはんが大好きで、おしゃべり好きで、優しい声でお話しするねと周りに言われる娘ですが、それでも物を投げたり、蹴ったりしたり、やってほしくないことを注意してもやめてくれなかったり、そのたびにむっとしたり悩んだりする毎日です。
でも、こちらがあることで本当に心強いです。
いつもありがとうございます!
No title
そら豆君とメダカのこの絵本を読んだ後でさや付きのそら豆を手に入れて、子ども達に剥いてもらったら大喜び!
中のそら豆も食べてくれましたし、三男(3歳)はそのあとで絵本のようにさやを水に浮かばせて、ボートと言って遊んでいました。5歳の二男や7歳の長男は、さやのなかはどうしてフカフカしてるのかなぁ?と、話してくれました。
その後も、枝豆やさやえんどうなんかも「これはなんていう豆?」とよく聞いてくれます。
おとうちゃんさんの記事をよんでいたわけではないのに、偶然さにとても嬉しくなって思わず書き込んでしまいました(^^)
長男が年長の頃に発達障害が分かり、周りの無理解と、育てづらさとで、ときどき子育てのハードルの高さに挫けそうになると、おとうちゃんさんのブログを読みます。
叱らない子育て、先回りした関わり(くすぐりや出産ごっこ、生活の中で気持ち良くやってあげること、その子の赤ちゃんだったことを話す、)、見ているよー肯定的な目線、受け入れない甘え方、自由保育と一斉保育、おもちゃや遊びの記事が参考になりました。
書籍化、我がことのように嬉しいです(^^)
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「そら豆」は居酒屋でしか食べたことありません
・・・の変わり♪「ウド」は買ったことありません
山で採るモノなんで(笑
酢漬けや冷凍保存して気が向いたら
年中食べられます