遊べる時間 - 2012.06.06 Wed
積み重ねはなにも、大人からの関わりというだけではありません。
適切な環境のなかで過ごすことも、子供の成長として大いに経験になっていくものです。
環境とはどういうものでしょうか。
物的なもの、時間的、空間的な環境。
直接の関わりというだけでなくて、どんな人がどういう風に周りにいるかというのも人的環境としてあげられます。
環境が及ぼす影響とは?
いろいろありますので一口ではいえませんが、わかりやすいところで例としてあげていきましょう。
例えば、ままごと遊具を子供が使い終わったあと、大人がいつも決まった場所に綺麗に並べて置くようにしていたとします。
逆に、特に場所も決まっておらず、いつもぐちゃぐちゃのまま置かれていたという場合もあります。
これを1年~2年と積み重ねていけば、かなりの度合いで子供は大人が口をすっぱくして教え込まなくとも、前者の環境にいた子は比較的綺麗にかたづけるようになるし、逆に後者の環境にいればかたづけという意識をきちんともっていないという可能性が高くなるでしょう。
また、例えばとくに見なくてもテレビをずっとつけっぱなしにしているという家庭も増えているようです。
赤ちゃんの時から、その常にテレビをつけっぱなしにしている環境で過ごしていれば、強い刺激に慣れてしまうので、じっくり遊ぶことが苦手になったり、落ち着かない様子の多い子になるという可能性は、そうでない環境にいるよりも高くなるでしょう。
↑これらは一部の例です。
必ずそうなるわけではないし、子供の気質や、その他の要因というものもありますので、あくまで可能性が高まるということです。
でも、日々の何気ないことだとしても、積み重ねていけばその蓄積というのはとても大きいものです。
子供の育ちは一朝一夕にできるものではありません。
大人が何かを働きかけたら、すぐそれが伝わるとか、教え込まれるわけではないのです。
なので3つ前の記事に出ていたように、一個一個のできることよりも、日々の生活習慣としての形を作ったり、常日頃の環境というものも、こういうのは目に見えないのでわかりにくいのだけど、実は大きく子供の育ちに作用していると思うのです。
前フリが長くなってしまいましたが、今回はそんな遊びの環境的な話です。
子供に遊ぶ力を身につけさせていきたいと思ったら、遊びの環境を整えてあげると、そうでないときよりもずっと遊びに取り組みやすくなります。
子供はいつでも遊んでいるように見えるかもしれませんが、遊びへのモチベーションが高いときや遊び込める時間というのは、一日のうちでも結構変化しています。
やはり一番子供がよく遊べると思われるのは、朝から午前中です。
なので、この時間にいい遊びをできるようにすると、それが力となりやすいです。
まあ、取り立ててすごいことをしろというわけではありません、普通にこの時間を楽しく過ごせればいいのです。
でも、大人の働きかけでこの時間をいい形で過ごせないという子も少なくありません。
例えば、朝ごはん抜きで過ごしている子。
これはもう確実にいい形で遊び込んだりすることはできません。
というよりも、それ以前の状態です。
お腹が減ってイライラしていれば、必然的に他児とのトラブルが増えたりします。
楽しい遊びがあっても、そんな状態では集中できません。
この子が、この一番遊べる時間をこんな状態で過ごすことを、半年、一年、二年と続けたらどうでしょう。
遊びの楽しさなどわからない子に育ってしまうでしょう。
そうすると、自分の遊びがないので、他児にちょっかいをだしたりすること、刺激を発したりして遊ぶことが身についてしまいます。
また、生活リズムが確立していなかったり、夜ふかし朝寝坊の生活になってしまっていたりすると、やはり朝の一番遊べる時間を、気持ちよく目覚めた状態で過ごせていないので、なかなかいい遊びはできません。
(ここで言っている「いい遊び」というのは遊びの種類っていう意味じゃなくて、集中して遊べたり、イメージして遊びを展開させていったりする、遊び込めている状態の意味です)
また、朝から何かにつけて叱られていたり、満たされない状態で過ごすことを余儀なくされてしまっても、やはり子供はなかなかそこでのいい遊びが展開できません。
最近では、大人の生活習慣に子供を合わせたりする家庭が多くなっています。
大人に付き合って夜ふかししてしまったり、遅くまで子供連れで外出したりすることが多く、0~1歳でも生活リズムがきちんと取れていないという子もたくさん見かけます。
「自分たちが朝ごはん食べる習慣がないので、子供にも食べさせていませんでした」なんていう親もいます。
大人は朝ごはんぬきでも普通に活動できるかもしれませんが、子供はそうはいきません。
大人は何気なくしていることかもしれませんが、そういった日々の積み重ねは必ず子供の育ちに現れてきます。
いいものもわるいものもです。
とくに考えずにしていることが、数年後、子供をとても育てにくい子にしていることもあるかもしれません。(乳幼児の朝食抜きなんてその顕著なひとつでしょう)
ちょっと脱線気味でしたが、遊べる子供にしようと思ったとき、遊び以前に環境や日々の生活が大切というお話でした。
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● COMMENT ●
No title
No title
片付けしなよ!といいつつ、私自身がちゃんとできてないので、
こんなんではちゃんと浸透しないだろうなぁ。と悩んでいたところです。まずは片付けできる大人、環境、目指します!!
おと~ちゃん、いつかかくとおっしゃっていた、食事の主導権についての話を楽しみにまっています。お忙しいかとは思いますが、お時間ができたときによろしくお願いします(*^o^*)
ちなみに、うちは子供が選択権をもっているように感じます(汗
例えば、朝の卵料理でも、卵焼きか、目玉焼きか、卵ごはんか選ばせる。一人が卵焼きを食べていても、一人が起きて来て、僕は卵ごはんにする。とか。お茶ずけがいいとか。とくに朝はごはんをしっかりというくらいで、どうたべるかは自由です(-。-;
夜のおかずは私が決めます。好きなものじゃない~といいながらも、お腹がすいているし、みんな一緒に食べているので、なんとかたべます。
でも、夜でも、内心、とにかくいろんな栄養とってほしい、作っても食べなかったら意味がない。と思い、同じ材料でも、豚汁つくって食べさせたいけど、
残されたら栄養がもったいないから、同じ材料でどんぶりものつくったり、苦手そうな食材を食べさせたくて、カレーにしてみたり。
結果、子供の好きそうなものばかりになりがちです。
ほうれん草のお浸しも、お浸しでは食べない可能性があるので、
食べそうなメニューに姿を変えたり。
そうすると、ついつい、これだったら食べる~?とお伺いをたてるような雰囲気になっていると思います。栄養さえとればと。でもよく考えたら、私が子供の頃は、祖父母中心の献立だったし、子供の頃は煮付けみたいなもの嫌でしたが、残さず食べさせられ、結果、今では感謝しています。そう思うと、同じ食材でも、子供よりではなく、和食中心の大人メニューに合わさせたほうがいいのか。ちょっと細身なので、ついつい、食べてさえくれれば。と甘くなってしまいます。
お時間あるときにで結構ですので、ご教授お願い致します。
こちらのブログはつい最近、息子を断乳するに当たって参考になる情報はないかと探していたときに見つけて以来、過去記事を少しずつ読ませて頂いております。
読みながら日頃の息子との関わりを振り返り、毎日の育児を見直すきっかけとなっておりますありがとうございます。
おとーちゃんさんの話を参考に、息子への接し方を改めてみたところ、息子に様々なよい変化が見られ、驚きました。(私が片付け出すと、自分も真似して棚におもちゃを戻したりなど)本当に子どもって、ちゃんとこちらの気持ちを受け取ってくれるんですね。
たびたびすみません
とにかく食べてさえくれればと息子の好きなものの偏りと栄養のコトも心配しながらの食事作り、お気持ちよくわかります。
片付けですが
昨夜息子が一人戦いごっこしてるうちに私をオモチャの鉄砲でかなり強く叩いたんです。
「叩かないで!叩いたら痛いでしょっ!やめてっ!」って言っても面白がってか?やめないので
「人を叩くおもちゃは捨てるっ!」と鉄砲をゴミ箱に捨てました。・・・泣き叫んだけど一応「ごめんねって言って」と説明したら謝ってくれて、その場はおさまったように思われたのですが
今朝、捨てられて壊れた鉄砲を見つけて機嫌を損ねた息子は私の口真似をしながら「もぉ~、おもちゃ捨てる全部ゴミポイ」「ゆうこと聞かないと捨~てる」と手当たり次第ゴミ箱へ
部屋はキレイになったのですが焦りました。「〇〇くんのオモチャかわいそうだよ。泣いてるかもよ。だいじだいじにしてあげようよ☆」と一緒に拾いました。
自分の接し方に問題があるのか環境なのか複雑な気持ちになりました。
ご相談です。
きんぎょさん
子育てっていうのは、下から積んでいくものだと僕は思います。
下からっていうのは、基礎的なこと、つまり当たり前のこと、それを避けては通れないもののことです。
食事や着替え、お風呂や、睡眠などです。
こういうのを基礎的生活習慣と呼んでいます。
こういったなんでもないようなことを、しっかりと毎日を過ごす中で身につけていくことによって、子供はさらにその上にある高度なこともやがてはできるようになっていけます。
ですから、子育てを漠然と悩んでしまうとどうしたらいいかわからなくなってしまうけれども、そういった日々当たり前にやることが、ちょっとずつでもいいから身についていけば、子供はそのうちいろんな力がついていけます。
例えば、食事なんかをきちんとすわって食べられるようにすることなどから身につけていくといいと思いますよ。
子供が食事に気持ちが向かなくなってしまったら、そういうとき大人がなんとか食べさせようと後追いして食べさせてしまったりすると、むしろ変な習慣がついてしまいます。
そうしてしまうくらいだったら、ちょっと少ないとおもっても遊び食べにするくらいなら、「ごちそうさま」させてしまう。
あんまり食事に気持ちが向かないようなら、空腹感を感じて食べ物に向き合えるようにちょっと食事時間を送らせてみるなどしてでも、習慣をつけてしまうとあとあと子供のためになります。
そうやってきちんと食事に向き合って食べられる力は、今度は遊びに向き合える力にもなっていけます。
子育ては全部つながっているので、一度にあれもこれもやらせようとしないで、ほんとに基本的なとこから一個ずつやってくといいと思います。
ミントさん
>例えば、朝の卵料理でも、卵焼きか、目玉焼きか、卵ごはんか選ばせる。一人が卵焼きを食べていても、一人が起きて来て、僕は卵ごはんにする。とか。お茶ずけがいいとか。とくに朝はごはんをしっかりというくらいで、どうたべるかは自由です
↑こういうことも、大人もそれに納得づくでしているならばなんら問題ないと思います。
でも、それがもしいやいやそうしているとか、作ったものを拒否されて作り直したなどということになってしまったら、それはもう大人が主導権をもっているとは言い難いでしょう。
子供に「今日何食べたい?」と聞くようなことは、別に悪いことでもありません。
でも、ほんとうに子供が食べたいというものしか食べないということになったら、それは健全とはいえません。
食事の栄養バランスを考えたりするのは子供にはまだ無理だから、そこは大人がきちんと主導権をもって舵取りしてあげなければならないのは当然のことです。
また、食事というのは単に栄養を摂取するだけでなく様々なところで人間の品性に関わってきます。
食べ物を大事にしたり、招待された先で残さず食べたり、食事のマナーを身につけたり、そういったことは家庭でなければ身につけられません。親しか教えてくれる人はいないのですから。
ミントさんが子供の時に食べてきたような食事が今ではよかったと思えるならば、自信を持ってそれを子供たちにも伝えていっていいのではないでしょうか。
そういうものは、ご両親や祖父母さんが残してくれたひとつの財産だと思いますよ。
子供にとってそれが「あたりまえ」になってしまえば、特に嫌がることもないわけです。
それを「あたりまえ」にできるかどうかは、親としての姿勢次第だと思います。
とかちさん
まだ、なにものにも染まっていない時期ですから、大人の関わり次第でそれこそどのようにもなれます。
とにかくいまは、素直に甘えが出せるようになって、たくさん可愛い可愛いをしてあげて、自然な笑顔の出る可愛い子にしてしまうのがいいですよ。
断乳だの卒乳だのなんていうことは、それができればあとから勝手についてくるものにすぎないですから。
きんぎょさん
その片付けのお話には、ひとつ得るところがありますね。
「なにかを伝えたいためであっても、子供にして欲しくないことを大人がしては伝えたいことも伝わらなくなってしまう」
その次の日にみられたような子供の反応というのはよくあることです。
怒られた時の強烈な印象と、それを受け入れて腑に落ちるまでの葛藤から、その場面の大人の行動をなぞったりすることがあります。
しかし、そのことに対応するあまり大元の「もので人を叩かない」というメッセージは返って薄れてしまったことでしょう。
子育てはまだまだ続きます。
今回あったようなことはこれからもたくさんあることでしょう。
次、あったときにうまく伝えられる関わりを、今回の経験から考えておけばなんの問題もないと思いますよ。
ぽんたさん
>「土日家庭で雑になり、平日保育園で少しずつ平穏 を取り戻す・・・」
これはむしろ残念な状態として書いてあったはずです。該当の記事を読み返してみれば、はっきりとそう書いてあるのがわかると思います。
平日集団の中で過ごし、興奮したり、心身が疲れたりしたのを休みの日に家庭でくつろいで癒して、また次の週からがんばれるのが子供にとっては健全な状態です。
休みを家庭で過ごすことで荒れたりしたのを、保育士がなんとか受け止めて満たしていくというのは子供の育ちにとっていいことではない。そういったニュアンスでかかれたものです。
保育園は勉強を教えられたりするところではありませんが、小さい子にとっては集団のなかで過ごすというのは、それはそれでストレスや疲れを感じるものです。
かといってそういう経験もまた成長の一部ですので、だからといって悪いという意味ではないですが。
しかし、そういう中で過ごすことが家庭で反動としてでることは当然あることです。
それは、それに応じてきちんと受け止めたり、フォローをしていくことで子供は成長していけるはずです。
ですので、
>月~金保育園から帰ってくると少し興奮状態の時も 、 乱暴な態度をとったり、気に入らないと奇声を上げたり
というのは、園での集団生活とその反動というものの範囲ならば、きちんとそれに対応さえすれば別に深刻な問題でもないわけです。
ただ、やはり言葉が出ないということであれば、そこでの他児との関わりなどでよりストレスを感じたり、我慢したりする部分は多くなるかもしれません。
ですが、それが現在のお子さんの発達であれば、それは避けて通ることはできないものです。
あせることなく地道な成長を促していけばいいと思います。
「可哀想の先回りは」子供の依存心を高め、自立を阻むだけなので、園での様子が気になるならば、聞いてみたり家庭での様子を話して保育園側と一緒に子供にとって最善の対応を考えていくのがいいと思いますよ。
きちんとした保育園ならば子供の様子を伝えるのは当然のことだし、発達に気になる点があるならば、当然それに配慮していくものです。
ただ、言葉の発達の遅れというのはよくあることですので、他児と比べたりあせらないで見守っていくのが大事だと思います。
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まさに、我が家の環境です。
幸い朝食はパン一枚、バナナ1本でも食べさせていますが
自分の胃はお茶くらいしか受け付けません
途中追いかけて「あ~んして」って食べさせたりetc
おもちゃの片付けも・・・朝私が片付けています
ゴミをゴミ箱に捨てるのも声かけて息子が機嫌のイイときだけです。
この頃は、注意すると目をあわさず無視します(涙
保育園では、ちゃんとみんなとできてるようですが
・・・離婚の影響かアタシがいたらないのか・・・私はお尻を叩くこともできませんし声を荒げたりしかる?怒る?できません。
時には注意しただけで『ママ、〇〇のコト嫌いって言ったぁ~!』とふてくされたり泣き出したり
不安や自身のなさが見透かされてるのか・・・。
私の両親からは「子供に甘すぎるっ」と言われます
どうしたらよいのか凹む日々です
おとうちゃんさん、どうしたら?どう接したら?
やはり自分も朝食食べなきゃなんないのかな