遊べる時間 Vol.3 - 2012.06.18 Mon
一言でいってしまえば、「子供の機嫌のいい時はよく遊べる時間」なわけです。
この「遊べる時間」を大人は大切にしてあげたいものです。
そこを機嫌よく相手をして一緒に遊びを楽しんでもいいし、大人に甘えたりすることもなく一人でじっくり集中してあそびこんでいるのならばそれをできるだけ長続きするように見守ってあげてもいいのです。
ですが、けっこうこの「一人でじっくり集中して遊んでいる」状態に、大人が余計な手をだしたり口を挟んだりして、せっかくのその貴重な遊びの時間を途切れさせてしまう関わりをする大人は多いです。
「ここはこうやったらもっとうまくいくでしょ」とか
大人が見守って上げていればなんでもないことでも「あぶないあぶない」とか
「そんなにちらかして、あとでちゃんと片付けられるの?」とかね
これがほんともったいない。
遊びのなかではうまくいかないことも大切な経験のうちだから、子供が助けを求めてくるまでは好きにやらせておくのが一番。
本当に自分の世界ができて遊び込んでいるときは、大人がちょっと言葉をかけたりするだけでも、その遊びのイメージの世界が壊れてしまうこともあるので、大人は少し離れたところから見守っているなり、自分の仕事をしているなりくらいがちょうどいいみたいです。
かといって、遊びこんでいるからと部屋に一人にしてしまったりすると、小さい子に対してだと一人にされる不安からその遊びを中断してしまったり、また別の機会に遊び込むと一人にされるという不安をぶり返してしまって、自分から遊び込まなくなることもあるので、よく遊べているからといって一人に放置することはあまり望ましくないようです。
遊び込めているとき、大人は適度な距離感をおいて遊びを見守っているくらいが、子供を遊び上手にするコツのような気がします。
よく遊び込める子には「イメージの世界」があります。
「イメージの世界」が持てるようになるためには、ひとつにはたくさんの実体験があること、もうひとつには豊かな感性を小さいうちから育ててあげること、そして絵本や物語にたくさん触れていることではないかと思います。
その点、小さいうちから強い刺激や戦い、キャラクター物で惹きつけるだけのことを遊びにしてしまうと、経験やものに鋭敏に反応する感性というものが、著しく少なくなってしまうことがあるので、小さいうちに大人から率先して与えることは避けたほうがいいと強く思います。
むーちゃんは調子がいいと1時間以上自分の遊びを集中して続けられます。
どんな風に遊んでいたかちょっと紹介。
昨日は↓これを使って、なにやらしゃべりながら1時間くらい一人で遊んでいました。

「せんせーーこっちだよーー」
「まてまてー」
「きゃーにげてー」
「みーつけた」
などなど、ビー玉が追いかけっこをしている人のイメージなのか、セリフをいいながら遊んでいました。
セリフからだけだと、具体的にどんなイメージなのかはっきりとはわからないのだけど、どうもその少し前の日に近所の小学生のお姉ちゃんと遊んだことが元になっていたようです。
その間、おとーちゃんは近くのソファーで寝そべって本を読んで、見るともなしになんとなく遊びを見守っていただけ。
それに飽きたのか、ちょっと一人でいることに寂しくなったのか、おとーちゃんのところに来てお腹の上に乗ってたけど、かといって相手をしてくれという感じでもなく、そのままテーブルの上にあったティッシュの箱を入れるケースのフタを開け閉めすることで、また別の物語のようなものをしゃべりながら20分くらい遊んでいました。
そのときのセリフもなんか面白かったのだけど、内容わすれちゃった。
自分の遊びが持てるようになると、子供はずいぶん手がかからなくなるよ。
お兄ちゃんがいるから、それを遊びのお手本にして遊びが得意っていうのもあるかもしれないけど、お兄ちゃんはお兄ちゃんでやっぱり小さい時からそんな風にイメージをもって遊んでいたから、兄弟のいるなし関係なく、やっぱりイメージの世界があると遊び込むということがしやすくなるのではないかと思います。
● COMMENT ●
はじめまして
豊かな感性
子供がもってる「イメージの世界」って、ほんとにかわいらしいですよね。
息子がひとりごとをいいながら遊んでる姿を見ると、何とも言えず嬉しくなって、その世界を壊したくないなぁと思います。
でも、こういう考え方ができるようになったのは、おとーちゃんのブログで勉強させてもらったからで、知らなければ、息子のひとりごとに、いちいち反応して、世界をぶち壊していたところでした(笑)
おとーちゃんのブログにご自分のお子さんたちに幼児期に培ってもらいたいのは、「優しさ」と「感性」だと書かれていたと思うのですが、「優しさ」というのは一般的に親がわが子に求めるものかなぁと思ったのですが、私の中で「感性豊か」というのが、どうもアーティスティックなイメージがあって、まぁ、別に芸術家にならなくてもいいかなぁ、なぜ「感性」なんだろうと、密かに思っていました。ところが、記事を何度も読ませてもらううちに、感性豊かな人は日常の些細なことに感動を見つけることが出来て、多くのことを求めずとも、幸せを感じることができる人なんだろうなぁと自己解釈に至りました。
でも、それって、毎年自殺者が三万人を超える、今の日本にあって、英語がしゃべれるとか、有名人になるとか、何かの才能に秀でて成功するとかよりも、よっぽど子供に持たせてあげたい資質かなぁと思います。何だか勝手に解釈したことを滔々と語ってスミマセン!
最近、記事のアップが頻繁で嬉しいです。おとーちゃんのブログは、子育ての参考書であるのはもちろんのこと、お人柄や価値観が伝わってくるところが、ファンにはたまりません~。これからも楽しみにしています。あ、でも、無理のない範囲で!
ひとりごと
大人の真似をしてるんでしょうが、彼としては何を語っているつもりなのか、とても微笑ましいです。
最近、お気に入りなのは車のハンドル。本物を触るのはもちろん大好きだし、コーヒーの1kg缶や小さなコーン缶をタテに起き、ハンドルを切るようにして回すことをよくします。
まだ1歳でも、頭の中でイメージしてそれらしいことをやっているのかしらと、とても不思議です。
No title
時々記事をまとめ読みさせていただいていました。
クーゲルバーンの階段を見て思わず出てきました。
楽しいですよね。
私も素敵な音にはまって何度も遊んでしまいます。
むーちゃん、これで1時間も一人で遊んでたんですね~。
その気持ちわかるわかる(*^m^*)
一時間も一人でおしゃべりしながら・・・すごいイメージの世界ができあがってますね~。
うちも私が家事に忙しくしてるうちにいつの間にか一人で遊びだしていることが多くて、はっと気づいたらかなり長い時間一人でおもちゃのキッチンで独り言を言いながら黙々と遊んでます。
相手してあげられなくてごめんね~と思ったけれど、私がじ~っと見ていても気づかないくらい集中してたりするので、それはそれでいいのか・・・なんて思いながらまた家事に専念させてもらえて助かってます^^
一人でおしゃべりしてるのってほんとにかわいいし、覚えてるうちに記録しておきたいなぁと思います。
No title
それは幼稚園のプレなどであじさいの花やカタツムリなど工作があるけど、みんなお手本通りにやらせようとするお母さんがほとんど。口出しちゃうんですよね。雨は水色だし、はみ出さないように色塗ったり。好きなようにやらせたらきっとたくさんの素敵なあじさいができるのにって思っちゃいます。
娘に好きなようにさせたらカタツムリの殻に花が咲いてました(笑
この間は公園で娘とお友達が葉っぱをたくさん拾って穴に入れ始めました。
なにやら楽しそうだな~って見ていたらお友達のお母さんが滑り台しようよって言って滑り台に行っちゃったんです。娘はちょっとさみしそうに見ていたけど、また葉っぱ拾い。
滑り台も楽しいけど、色んな形の葉っぱを拾うことで考えたり想像したり、きっとたくさんの刺激を受けてると思うんです。
娘は2歳5カ月ですが1歳の時からおとーちゃんのブログをお手本にしてきました。
今では素直な優しい子に育ってくれて、本当におとーちゃんに感謝です。
一人遊びも上手で集中して遊んでいます。
おままごとだったり、字が読めなくても絵本を読んでたり、なんか色々です。
昨日は昔のガウンを出してきてフードをかぶり、授乳クッションを腰につけて「うきわ!」と言い、寝そべって歌を歌いながら箱に足を入れてました。
聞いたら「お魚いっぱい♪キラキラ光る~」と汗だくになりながら自分の世界に入ってました(笑
自分の意識や関わり方をかえるだけで子どもがこんなに生き生きとするのは親としてうれしい限りです。
おとーちゃんがいなかったら今頃どうなっていたんだろう?
これからもブログ、楽しみにしてます♪
最近困ってる事がお箸を持ちたがるようになってしまったんです。
へんな癖もつくしお箸はまだ先にしたい。
わたくんにはなんて言ってお箸を先送りにしたのか教えて欲しいです。
一人遊び
今年9月に4歳になる息子(幼稚園の年少)についてアドバイスをお願いします。
小さい頃から抱っこ抱っこで、特に私や私の父にべったりで育って来ました。言葉が早く、2歳前から4語文をしゃべり、絵本が大好きです。テレビは極力見せず、様々な要求にもしっかり応えてきたつもりですが、未だに一人遊びが苦手です。どうしても誰か大人に一緒に遊んで欲しがります。
来月半ばから始まる夏休み、毎日1日中「何して遊ぶ?」と 言われ続けるかと思うと憂鬱です…。一緒に遊ぶのも楽しいのですが、どうすれば一人遊びに集中してくれるのでしょうか。
家には、夫手作りのままごとキッチン、童具館の積み木、レゴのブロック、プラレール、プラステンなどの木のおもちゃなど、自分なりに質も吟味した物を置いています。うまく誘導できれば、集中して遊べると思うのですが。
お時間のある時にアドバイス頂けると嬉しいです。
うるままさん
また、
>こちらが本気で 『困る』や、説明後、強行手段にでたとしても
よけいにダダをこね、かえって こじらせることになり、『なんでこれだけ言ってるのにわかってくれないんだろう…』
というのには、やはりなんらかのそれが通じない理由があるのでしょう。
いまはとりあえず、できる姿を引き出そうとするよりも、今ある姿を肯定してできたところを認めていくことを先回りした関わりと並行してやっていくのがいいでしょう。
あとメリハリのある対応です。
楽しい時は楽しく、その部分をまずは増やすといいでしょう。
もしできるならば、娘さんとうるままさんとで向き合える時間があるといいかもしれません。
たとえばお風呂に二人で入るとか、毎日食後に二人でできるゲームとかトランプとかをするとかね。
そうやって日々の生活の中で、決まりきって相手をしてもらえるということがルーティンとしてあると、子供は安定することがあります。
あと、実際にお子さんを見ている幼稚園の先生に、そういった子供の姿のことで相談してみるとなんらかのいいアドバイスがもらえるかもしれませんよ。
kyomiuさん
kyomiuさんのその解釈のとおりです。
いろんな子供を見ていると、ただ葉っぱが落ちてくるのを目の前で経験したとしても、
それがあること自体に気づかない子
気づくけど、ただそれだけな子
「葉っぱが落ちてきたね」と大人に共感を求める子
それが「きれいだね」とか感情で受け止める子
それを受け止めてなんらかの形で、詩的に表現してしまう子
本当にいろんな子がいます。
別に気がつかないということが悪いことではないのですが、それがその子の生まれ持った気質なら構わないけれども、大人のそれまでの関わりや対応でそういう子にしてしまったというのであれば、それはたいそうもったいないことです。
そして実際のところは、大人がそもそももつ感性や、美的感覚、日々の習慣、環境設定などなどで無意識のうちにだけでも子供に多くのものを与えたり与えなかったりしているし、さらには子供に意図した関わりというのももちろん子供に影響するわけです。
本当に早期教育だとかヒーローものを与えてしまうことで、葉っぱが落ちてくることに何の感動も覚えない、そもそもそれに気づきもしない子にしてしまうというケースもたくさんあります。
そういうのをみると、子育てって大人が試されているんだなと感じますよ。
そうそう、以前「ゆとり教育」についてのリクエストもらったの忘れたわけではないのだけど、ちょっと大きなテーマになるといろいろ考えちゃうのでなかなかまとめきれないんですよね。
そうやっているうちにボツになったり、もういっかって思っちゃうのもたくさんあるのだけど、「ゆとり教育」については必ず書くつもりなので、まだしばらく待っててね。
お返事ありがとうございます
実際は、帰宅してから寝るまで、ほとんど楽しい時間、なかったかもしれません…。毎日、夕方帰宅して、二歳と四歳の2人の世話と家事全部。
夜9時前には寝かせてあげなきゃ、と私自身、気持ちに余裕がないのは確かで…食事、風呂、歯磨き、明日の準備とバタバタ…、改めて、子供との時間、中身を考えてみようと思います。
たまには家事、カンペキに出来ない日もあっていいや~ くらいの感覚で(笑)。
実際、下の子が邪魔してママと2人の安定した楽しい時間なんてほとんどなかったと思います。
甘えん坊のお姉ちゃんの場合、慢性的なママとの時間欠乏症なのも分かってはいるのですが…。
それと、幼稚園では全く別人みたい(おりこうさん)で、担任の先生に聞いても、『そうですか~、なんでかな?園ではそんなことないですよ?』って感じです。
(すごく子供に対して考えてくれ園で、無理強いとかでおりこうさんさせられてるとかはないと思うのですが…。)ただ、新任&新卒の先生なのでまだ完全には関係も作れてないかもしれません。
先日はあんまりきつくなって、なんだか勢いでコメントしてしまいましたが、
おとーちゃんさんにお返事いただけて、少し糸口が見えたような気持ちになれました!
よくわからないコメントに丁寧に対応して下さり、本当にありがとうございました!
これからもずっと応援&参考にさせていただきます。ありがとうございました!
No title
>いろんな子供を見ていると、ただ葉っぱが落ちてくるのを目の前で経験したとしても、
>本当にいろんな子がいます。
本当に! そして、
>別に気がつかないということが悪いことではないのですが、それがその子の生まれ持った気質なら構わないけれども、大人のそれまでの関わりや対応でそういう子にしてしまったというのであれば、それはたいそうもったいないことです。
これも、本当に!!
私は以前環境教育に携わっていましたが、環境教育界のバイブル的存在であるレイチェル・カーソンの著書には、自然を知る、楽しむには子どもたちの「センス・オブ・ワンダー」に寄り添うことが何よりも重要と書かれています。子供に知識を「教える」のは重要ではないと。
わが息子は大の生き物好き(あ、親二人共も・・・)。今2歳4カ月です。親バカですが、相当な観察眼です。
1歳のころから保育園の庭や駐車場のクモを帰りに毎日チェックしてます。冬になって最後の一匹がいなくなったときの寂しさ、初夏になって初めてクモを見つけたときの大興奮など、季節と生き物の営みを肌で一緒に感じられて、本当に楽しいです。
けど、これまで残念ながら息子のクラスメート(とその保護者)で興味を示してくれた人、皆無なのです~
私たちがしゃがみこんだり、柵の上の方を指さしていると、同級生が寄ってきて「何?」と聞いてくれるのですが、「クモの巣だよ~」といったときの反応は・・・
「なーんだ」
「こわいからキライ~」
「やだ」
「しらん」
「・・・(無言で去る)」
先日は、息子が「くも~」と指さしたら、一緒にいた男の子がいきなり飛びあがってつぶして笑ってました・・・
もちろん、子供によって興味が違うのも、ときおり凶暴な行為をしてしまうのも(息子も勢いあまってダンゴムシをつぶしたりもするし・・・)OKなのです。
けど、まだ1歳、2歳だというのに、異常に小さな生き物を嫌がることや生き物へのまったくの無関心は、やっぱり子供の個性だけでは説明できないなーと思います。その子の親や身近な大人がどれだけ『おもしろいこと』を一緒に探して楽しんでいるかが決め手だと思うのです。
ときおり「子供は残酷なことをしなければ(虫の頭をちぎるとか)命の大切さはわからない」などということを言うひとがいるのですが、私は違うと思っています。
命の営みをそぉーっと覗いてみるという、『ワクワクする行為』を、となりにいる大人が寄り添って共に楽しむことができれば、どんなに小さくても「生きていることってすごい!」と感じることができるはずだと思います。
それに、こういうのって生き物や自然についてだけではなく、生活の中のいろいろなことに興味を持って楽しめるかと同じことではないでしょうか。
もっと大きくなって、学ぶことが面白いからもっと学びたいとか、将来何をしたいか自分で見つけることができる、とか、自分がどうやって生きていきたいかということに繋がっているように思います。
No title
ブログを読み始めてまだ間もないのですが、とても参考になり、育児について不安になると、拝見させていただいています。
怒ってばかりいるので、毎日、子供の寝顔を見ては反省をしています。
トイレトレーニングのことで悩んでいたので、このブログにたどり着き、読ませていただきました。
今、2歳10ヶ月の娘のことですが、春ぐらいから、一日に数回程度ですが、トイレに座らせています。
しかし、今まで私のタイミングの悪さもあるのか、出たことがありません。
ウンチはオムツでしたあとに、報告してくれる時もありますが、トイレに誘っても嫌がって、オムツにしてしまいます。
おしっこは出るタイミングがわからないので、朝、食事の後など、頻繁には連れて行ってはいませんが、座らせても出ないのです。
今はトイレに誘っても嫌がるので、座らせたり、そのままにしておいたりと、私自身も出ないので、イライラしてしまい、怒ってしまう自分が嫌になります。
このまましないでおいたほうがいいのか、無理にでも誘い続けてもいいのか、わからなくなってしまい、相談させていただきました。
お漏らししたら、教えてくれるよと友達から聞いたのですが、出ないまま、パンツにしてお漏らしを覚えさせたほうがよろしいのでしょうか
?
おとーちゃんのブログを読んでいますが、どのように排泄を教えていいものか悩んでいます。
お忙しいと思いますので、いつでも構いません。
アドバイスをお願いします。
おとーちゃんのように、広い心で子供に接してあげれたら、どんなにいいいかと毎日反省しています。
それではお子様共々お体に気をつけてお過ごしください。
まさに
センスオブワンダー…わくわくを楽しむ感性ですね~。
親が作る環境や習慣が子供の感性を豊かにも貧弱なものにもしてしまうことを感じ、習慣はこわいと思った今週でした。
“保育園からさっと帰る習慣”を身につけた2歳児クラスの同級生達は、息子が毎日観察する花の季節の変化や、虫のいろいろに興味もないし、目にとまることもないみたい。アリやダンゴムシで遊んでいる息子は、同級生に「早く帰らないとオニがくるよ」等と言われる始末。
私も保育園ではマイノリティですが、息子のワクワクを一緒に味わえて、しあわせです♪
今は息子がマンションの花壇で見つけたカタツムリの赤ちゃん3匹を一緒に育てています。
とかちさん
もう少し大きくなった時にできる再現としてのごっこ遊びにない自由な何かがそこには含まれているような気がします。
ですから、ほんとうにこの時期の子供のいろんな感じる力、それを表現する力はかけがえのないものだと思うのです。
さっちんさん
うちではこれをなんとなくイメージで「森の音」とよんでます。
こういうのはいまの日本のおもちゃには大きく欠けているところですよね。
相談に乗って下さい!
エプリさん
そうやって子供らしい豊かな発想やイメージして遊べることが、いろんな面で子供の力を伸ばしてくれると僕も思います。
お箸のことですが、自然な興味というのは特に否定しなくてもいいと思います。
大人がそこに過剰な期待をかけて、適齢期以上のことにモチベーションを高めてしまうと無理がでることがあるので、興味は認めつつもそれに対して、肯定も否定もしないという態度で接していると、子供本人が無理だと感じればそのうちやめるし、それでも自分でできるのだと思えば無理のない程度に自然と覚えていくでしょう。
できることがわるいわけでも、できないことがわるいわけでもないので、子供が自然にするならばそれはそれでいいと思います。
ピアットさん
また、3歳以降は他児と遊ぼうとする気持ちも強くなってくるものです。
もちろん、その年齢も個人差があります。
大人とあそびたがるというのは、「遊び」の問題とはまたべつのところで、大人との関わりや大人への依存・自立の部分の成長の問題かもしれません。
そうであるならば、自分で自分のことをする場面を増やしたり、自信をつけることや、過保護過干渉にならないようになどの点からアプローチするといいのかもしれません。
また、大人が憂鬱になりながら相手をする必要もないのですから、そういうときは「いまは忙しいからいっしょに遊べないよ」などと、そのまま伝えるようにすべきでしょう。
また、成長することで時間が解決する部分もあるかもしれませんので、「子供のできる姿」を作ろうとせずに、見守っていくのもひとつの対応かもしれません。
まっくすさん
多くの場合、残酷なことをするにはそれをするだけの理由が、たいていは育ちのなかにあります。
「子供だから○○するのだ」とか「そうすることで学ぶから○○するのだ」という意見は、一面的でしかないように感じます。
今はただでさえ自然との関わりや経験というものが子供から奪われているのに、さらに大人の意識・関わりから少なくなったそれすらももっと奪われていきつつあります。
そういう状況は、単にそのことやイメージの問題だけでなく、子育てのしにくさ、子供の育てにくさという問題にまで、間接的にではあってもかなりのウエイトで関わっているのではないかと思われます。
なので、大人がどう感じるかは個々人のあり方だけど、それゆえに子供からまで奪って欲しくないと常常感じています。
たかさんさん
おしっこを教えたり、自分でトイレでしようとする気もないのに大人が強制していくのは、意味がないどころかほかの部分への悪影響や、むしろ排泄の自立を遅らせることもありますのでしないほうがいいかと僕は思います。
特に
>今はトイレに誘っても嫌がるので、座らせたり、そのままにしておいたりと、私自身も出ないので、イライラしてしまい、怒ってしまう自分が嫌になります。
ということであれば、お母さんが怒ることで、子供はトイレや排泄そのものが嫌なものとして捉えていくようになってしまうので、そういった状況であればなおさらやめたほうがいいかと思います。
その分、ほかのところで子供に自信をつけたり、母子で共感する経験をすることのほうが、より排泄にもその他にも子供の成長につながっていけるのではないでしょうか。
友里さん
「子供を成長させなければ」という親の思いが、子供の子供らしさを奪っていたり、親の関心が低かったり、放任されてしまうことで、子供時代の様々なものを吸収する間もなく一部分だけどんどんいやおうなく成長させられてしまったり。
子供時代には子供らしくあること、そんな当たり前のことによって子供は成長していくものなんだけどね。
カタツムリって最近東京では昔よりもずいぶん見かけなくなってしまいました。
僕が子供の頃はめずらしくもなかったのに、いまではこのへんでは貴重です。
子供の経験が減るわけですね。
No title
もうすぐ3歳になるのと、周りの子達が取れているのを聞くと、だめなんですが、あせってしまい、幼稚園入るまでに取れるのか心配になってしまってました。
おとーちゃんの言うとおり、私がイライラしているのが伝わっているんでしょうね、トイレを嫌がっています。
頭では”一生オムツの子はいない”と分かっているのですが、一度も出たことがないので、この先が見えなくなってしまいあせっていました。
排泄については、のんびりやっていきます。(できるだけ・・・笑)
今しか長く一緒にいられないと思って、楽しくすごしたいなと思います。
自信がつくように何か探していきたいと思います。
これからもブログ読んで参考にしますね。
それと、何かあれば相談のってください。
tomafukuiro8さん
家の中など雰囲気の感じ取れるようなところで慣れているのであれば、必ずしも姿が見えなくても子供は安心して過ごせるようにもなるので、平気そうならばそれはそれでいいのではないでしょうか。
ありがとうございました。
お忙しいのにすみません。ちゃんと読み返せばよかったです(>人<;)
その後お箸ですが、娘はママはお箸?私はスプーンなどと言っています。やっぱりお箸は少し気になるみたいですが、二、三回持ってみたらやっぱりうまく使えないみたいで結局スプーンを毎回使ってます。否定も肯定もしない、娘は自分なりに答えを出したようです。おとうちゃん、ありがとうございました。
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今日の内容も、身につまされる思いでした…。
今日は下の子(男の子)の二歳の誕生日でした。
…が、
上のお姉ちゃん(年中)が帰宅後 すこぶる機嫌が悪く、2人共 泣くか叩くか 甘えるかのあれ放題で まさに遊べない状態そのもので…
そんな日が昨日もだったので 私もかなり精神的に参ってしまって初めてコメントさせていただきました。
以前から 上のお姉ちゃんの事で悩んでいて…
おとーちゃんさんの言う『甘えの器の大きい子』とはまさにこの子だと思っていて、私も気持ちと時間の余裕があるときはなるべく対応するつもりでいるのですが…
悩んでいるのは、それが無理な時で
こちらが本気で 『困る』や、説明後、強行手段にでたとしても
よけいにダダをこね、かえって こじらせることになり、『なんでこれだけ言ってるのにわかってくれないんだろう…』と悲しくなることです…。
そうなった時は結局、抱っこやおんぶで(私が心の中でぐっとこらえながら)甘えを一旦受け入れないと収集がつきません。
ダダをこねる理由(きっかけ)は主に
眠たい、疲れた、甘えたい だと思います
ただ、この頻度とレベルがあまりにも幼いのではと気になってもいるのです…。
甘えを素直に出せてるのだから、いいよー と言ってもらえることもあるし、幼稚園ではすごくおりこうさんで頑張り屋らしいのでその反動?ともとれないこともないのですが とにかく 疲れます…。私も毎日、仕事に出ているし、主人の助けもほとんどなく家事、育児をひとりでこなしている状態なので。
頑張り屋さんは 先生にもびっくりされる程で、年少の冬にはさるわたりをぜんぶできるようになったんです!年少さんで一番に!(たぶん80人はいます) それも本当に毎日毎日、手にマメを作りながら 寒さに負けず、私もお迎え時に毎日付き合わされ…
そんな根性のある素敵な一面もたしかにあるのですが、これも一面、と思って 成長を待つしかないのでしょうか…。
私の対応(最終的に言いなり?)がなにか抜け出せない原因になっているのでしょうか?
親も子供に育てられる、と言いますが、もう少しラクにならないものかなぁと考えてしまっています。長くなりましたが
なにかアドバイス いただけると幸いです。