父親の育児参加 Vol.4 ―近代における子育ての変化― - 2012.10.04 Thu
僕も以前は、「日本人が子供を支配的に扱うのは、儒教的な考え方に基づいているからなのではないか」と思っていたのですが、どうもそれは間違いでした。
儒教の根幹は、子が親を敬う『孝』という考え方にあるのですが、それに対して親が子に対して施すのは親からの抑圧や支配ではなく、『仁慈』『慈愛』というような慈しみの精神でした。
江戸期の子育てについての資料などからも、そういったことは読み取れるのですが、近年日本・中国・韓国にでの質問紙による調査で、子育てにおいての意識調査をしたところ、同じ儒教的な伝統を持っている国であるのに、中国・韓国では「子育てにおいてなにが大切か」の問いに「暖かさ」「寛容さ」という答えが支配的であったのに対して、日本では「厳しさ」や「甘やかさないこと」などの意見が多くを占めていました。
(出典は『児童心理』、結構前に読んだので号数や論文の題名は忘れてしまいました)
この二国との差からもわかることがあります。
それはもともとあった子育て観を上書きしたものが、実は日本の近代化・西洋化にあるという点です。
しばしば、日本の子育てにおいて『しつけ』『躾』という言葉が使われます。
『躾』という字は平安時代頃、日本で成立した漢字。いわゆる国字というものだそうです。
現代においても『しつけ』『躾』ということは、日本の古来からの伝統的な価値観・子育て法と思われていますが、実はこの今ある「しつけ」は明治以降、西洋文化の影響を受けて成立したものです。
例えば、「叩いてしつける」、子供を矯正するための「体罰」などは、この時期に入ってきた西洋の考え方の一つです。
江戸期にはこういった概念はないことでした。
江戸期の子育ての要諦は、「慈愛」であり「(大人側の)誠実さ」だったそうです。
さらに極端に言ってしまえば、このような支配的な方向性の子育ては、近代列強を目指した国特有のものだと言えます。
『富国強兵』という言葉を、近代の日本の歴史の授業で習ったと思いますが、まさに『富国強兵』を目指した国づくりの中で、こういった子育て法が強烈に取り入れらて今に至っています。
「子供は(ひいては国民は)国家に命を投げうつ程の奉仕をするべきもので、国家のお役に立つことがその主たる使命であり、そのためには一刻も早くお役に立てる存在にならなければならない」というわけです。
特に男子は兵隊になることが、最大の名誉であり義務であるとされてきました。
そこにおいては、子供であっても「幼くあること」「成長の遅いこと」「弱いこと」「集団から逸脱すること」「甘えること」「甘やかすこと」などなど。
そういったことは否定的にみなされます。
なので、「早くにオムツをとることが善であり、いつまでもオムツをしていることは悪いこと」「指しゃぶりや吃音など幼い行為は叩いてでも直さなければならないこと」「少しでも早くお箸を使って食べられること」など、今も色濃く残っている考え方が造成されてきたと言えるでしょう。
また明治期だけでなく、現在も残る「しつけ」概念が、明治期のそれをさらに色濃くしたような戦前の『修身』教育に強く影響を受けていることもまた考慮に入れてよいことでしょう。
近頃の江戸時代の子育てブームとは別の本ですが、近代以前から現代までの子育て観の変遷、戦前戦後教育についてこちらの著作が大変詳しいです。
貝原益軒から修身教育まで具体的事例とともに著されています。
『日本人のしつけ―家庭教育と学校教育の変遷と交錯』 有地享 法律文化社
日本人のしつけ―家庭教育と学校教育の変遷と交錯
こういった、江戸期(近代以前)の子育てを知ることと同様に、現在の子育て観の起源(近代以降)を知ることもまた、現在の硬直した子育てから脱却する契機となるのではないでしょうか。
ちなみに、身近でもそういった近代列強競争・富国強兵とは無縁で来た国の人の子育てをみることもできます。
例えばフィリピン人のお母さんの家庭です。
保育園で何人もフィリピン人のお母さんの子を預かりましたが、彼女たちにはいわゆる日本の「しつけ」にとらわれていないし、かの国にもそういう概念はあまりないようです。
もちろん、悪いことをしてはいけないとかそういうことはきちんと伝えます。
でも、子供を分別がましく育てなければならないとか、甘やかしてはならないとかそういった強迫観念めいた子育て観とは無縁なのです。
ただただ、子供を可愛がって育てています。
それで子供がまっすぐ育たなかったり、道を踏み外したりするかと言えばそんなことはありません。
その子供たちもおおらかで、とても人に優しい子に育っています。
そういうのを見ていても、やはりこれまでの日本の子育て観というのは窮屈で硬直しているなぁと感じます。
*今回だいぶテーマと外れてしまいましたが、男性の育児参加を考えるにあたっての現代の子育て観の源泉を考察したということでご容赦を。
参考文献
『明治近代以来の法制度・社会制度にみる児童の養育責任論とその具体化に関する分析』 主任研究者 田澤薫(国際医療福祉大学講師)
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● COMMENT ●
韓国に暮らして
そらみさん
そうですか、やっぱり実際にそうですか、とてもいいことを聞けました、どうもありがとう。
いまの日本で子育てっていろいろ窮屈ですよね。
この前blogosでも「ベビーカーを持って電車に乗るのは是か非か」みたいなオブジェクションスレッドが立っていましたが、そんなことまで槍玉に上げなければならないほどギスギスしているのかな~とか感じました。
うちの近所にもバングラデシュの人とかが働いているスーパーがあるのだけど、もう近頃の日本人ではありえないほど子供に暖かいのですよ。男の人も女の人も。
日本でももっとおおらかになれればいいのにね。
考えさせられますね。
日本と韓国の子育てと教育に関心を持っている者です^^
韓国に住んで3年目です。
そらみさんの視点も興味深いですね。
確かに、韓国の方々は小さな子どもには優しいです。
でも、小学生以上になると、
ちょっと違ってくるような気がします。
それと、厳しい人は厳しいです。
(勉強と競争の激しさ、大人の意見が絶対的という感覚)
キリスト教文化の影響なのかもしれませんが・・・。
日本とは違う意味でかわいそうだと思う事があります。
でも、電車やバス内で、
「子どもは甘やかしちゃいかん、混んでいたら立っているべきだ」
というのが一般的な日本とは違い、
普通に子どもに席を譲ってくれる人が圧倒的に多いのが
韓国ですね。
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韓国の人々は子どもの幼さや未熟さそのものを可愛がり、大人は泰然と子どもの有りのままの姿を受け入れていました。
特に日本と異なるのが、ご指摘通りに成人男性でしたし、高校生や大学生の男子たちも違った印象を受けました。
今は日本で暮らしていますので、近所の韓国料理屋さんやインドカレー屋さんで店員さんがうちの子どもたちを可愛がってくれたりすると懐かしさで胸がいっぱいになります。