最近気になるコマーシャル - 2012.10.08 Mon
それはなんとも露骨に、おじいちゃんが孫や孫家族に買ってあげろ、お金をだしてやれというふうなメッセージの仕込まれたCMです。
とくにあからさまなのが、台湾に旅行して「ああ、みんなで来てよかったなぁ」というおじいちゃんの笑顔で締めくくられる旅行会社のCMと、おじいちゃんから孫に送るということを強調したランドセルのCMは、ほんとにそのものですよね。
CMなんていうのは物を売るためのものだから、ものを買わせようというのは当然のことなのだけど、なーんかどうしてもつまらないことを考えてしまうんだよね。
ひとつは、「持てる世代と持てない世代」のギャップのこと。
どこでも言われていることだけど、いま使えるお金を持っている世代が限られてきてしまって、みな財布の紐がきつい。
使えるお金をもっているのが、年配のこのおじいちゃん世代と逆に若い高校生くらいと聞きます。
だから当然、おじいちゃん世代を狙い撃ちにしてくるのはわかるのだけど・・。
今後、高齢化社会になる一方で年金などの負担が若い世代に押し付けられているのに、その若い世代はろくに就職先もなかったり、就職しても少なからずひどい待遇でしか雇用していないという現状の中で、「持てない世代」がその「持てる世代」を支えていかなければならないという、なんとも暗澹たるものを感じてしまいます。
別に旅行会社やランドセル会社が悪いわけじゃないんだけど、どうにもひっかかるんだよね、この社会状況が。
もうひとつ感じることがあります。
最近の一連の記事ともつながるのだけど、
「稼ぐこと」を自分の大きなアイデンティティとしてこれまできたおじいちゃんたちが、退職などでその稼ぐことが終了したいま、なににアイデンティティを見出すかといえば、その稼いだお金をつかうことに行ってしまうのは理の当然なのだよね。
旅行会社のCMのおじいちゃんの「ああ、みんなで来てよかったなぁ」という笑顔は、「こういうお金の使い方をするとあなた(おじいちゃん)の満足が得られますよ」ということを示唆しているようで、なんとももの悲しい。
人間が何十年も生きてきて、その結果「お金を使ってあげること」に最も大きな意義を見出すようではさみしいじゃないですか。
実の孫・子だからもちろん「金の切れ目が縁の切れ目」ってこともないだろうけど、お金で人間関係をつなごうとするのは残念だよね。
そんなこんなで、ああいうタイプのCMを見ると、どうにもやるせなくなります。
関係ないけど、思い出したので書いておこう。
僕のおじいちゃんは僕が小学校に上がる前になくなっちゃったけど、一番の思い出は釣りを教えてくれたこと。
そのへんの土をほじくり返して、ミミズを捕まえてから出かけるようなそんな素朴な釣り。
教えてくれたといっても、手とり足取り教えてもらったというようなことじゃなくて、たぶんくっついていって見ていただけのようなものだったと思う。
そんなに話すような人でもなかったから、ほんとにただ釣りをして座っている横で、僕も川を眺めていたり、釣れた魚をいじったりして遊んでいたようなものだったのでしょう。
それでも、いまでも釣りと言えばおじいちゃんを思い出すし、なにをしてもらったわけでなくともそういった存在感があったように感じます。
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● COMMENT ●
同感です
No title
敬老の日に合わせて「ジージーの日」うろ覚えですが、ちょっと聞くと感じ悪い表現で大々的に放送売り込み。
ぽんさんもコメントで書いてらっしゃいますが、つい最近では、いつの間に出来たのか、勝手にその大型店が作ったのか、玩具コーナーに「孫の日」なるものがありましたよ。
なんだかな~・・・。
売る方も必死なのが感じ取れました。
公園やお散歩で十分過ぎる程満ち足りた物になるんですけどね。
爺さん婆さんは物で釣らないのでその辺は有難いです。
私の父は病気で孫を2ヶ月だけ見て空へ行きました。子供大好きな父が生きていたら 孫とも沢山遊んでくれていたんだろうなと思うと、本当に悔しいです。まぁ、その分 私たちが出来ることをするだけですね!すみません。私の話を長々と書いてしまいました。とーちゃんさんのブログを読んだら思い出が蘇りました。
いつも、ためになるブログありがとうございます。これからも参考にさせていただきます。
相談です・・・・
娘の事で心配事がありまして、色々とネットサーフィンをしていたところ、おとーちゃん様のブログにたどり着きました。過去のいろいろな記事を読ませて頂き、とても参考になりました。
初めてのコメントでとてもずうずうしいのですが、おとーちゃん様の
意見を頂けたらと思い連絡致しました。
我が家の娘現在2歳8ヶ月の娘が1ヶ月前から幼稚園に通い始めました。(主人がフランス人なのでフランスに在住です。こちらでは2歳代から幼稚園に通うのが一般的です) それまで私とぴったりくっついて生活をしていたにもかかわらず、幼稚園に行くのに2日ほどで慣れ本人も
「幼稚園大好き!」と言うほど何の問題もないのですが、初日に
ウンチをズボンの中にしてしまいました。オムツは2歳3ヶ月ほどで
きれいに取れていて、過去にウンチをもらしたことはなかったです。
本人に聞いてみると、日本語で「ウンチ!」と何度も言ったけど
誰もわかってくれなかったとの事です。先生に確認すると確かに
日本語で何か言っていたそうです。なのでアクシデントということで
先生も本人も全く気にしていない様子でした。ところがその後から
朝幼稚園に着くと必ず「うんち!」といってトイレに10分ほど座るように
なりました。そして確かにうんちをしています。ウンチがでると自分から教室に入って行きとても楽しそうに遊んでいます。
しかしたまに30分ほどトイレに座っているときもあり、遅刻をしてしまいます。教室が隣にあるので必ず先生にトイレにいる旨は言っていますが。「朝家でうんちして行こうよ」と言うと 「ウンチは幼稚園のトイレでする」との返事でした・・・。普段家ではそんなに毎朝ウンチをしたがることもないですし、よそにお出かけの際にも排泄に何の問題もありません。これは幼稚園で初日にウンチをズボンにしてしまった
ことが強く関係しているのでしょうか?彼女の性格は天真爛漫ですが几帳面で慎重なところがあります。ボーっとしている子ではないです。
こちらの幼稚園はオムツがとれていることが前提なので、お漏らしに対して日本の先生ほど寛大ではないですが、娘の先生はそんなにきつく
言わないタイプです。しかし叱られはしたそうです。(ある程度はっきり
言うのはこちらのお国柄なので、日本ほど何も言われないということは
すべてにおいてないと思います) 私としては原因がはっきりつかめないのでどう対処したらいいのか困っています。はじめはただウンチがしたいだけと思い、遅刻するのが心配で 「早く!」とせかしていました。
2週間ほど経ったところで、これはもしかして精神的なものからきているんではないかと思い始め なるべくせかさないようにしました。
今日は「何にも心配いらないんだよ。いいのズボンにうんちしても」
と言い娘も「うんうん」と言っていましたが40分幼稚園のトイレに
座っていました。さすがに先生が見に来て私は「まだ出る!」と泣く娘を
先生に託して去りました。今後どのように対応したらいいか、何か
アドバイスを頂けたら光栄です。お忙しいのに長文大変申し訳ありませんでした。よろしくお願い致します。
No title
いい思い出のお話ですね♪
確かに子供は、お金を使うより、一緒に遊んであげる方が喜びますよね♪
非常に頭も使うし、体力もいるし、楽じゃないですが…。
私もあんまし子育て向きな性格をしてないので、ついお金を使う方に逃げたくなる気持ちはわかります(笑)。旅行とか。
お金を使って何かした方が手っ取り早いし、何をしたらいいか明確ですもんね…。
こういうCMは、無意識の苦手感やコンプレックスにつけこんだり助長する商法に見え、なんというか、なりふり構わない感じがあって不快で、違和感あるのはすごく同感です。
最近の消費は、ターゲットを決めて財布の紐を選択的に緩ませようという傾向がある気がして、すごく限定的でみえすいた嫌らしい感じがする商法のが多い気がします…。
おじいちゃんと孫のスマホとケータイデビューのCMとか私はすごくイヤですね…ひねくれものですから(笑)。
散文で失礼しました…いつも面白い記事をありがとうございます♪
ラブリナさん
大人からすると、「そんなことが?」ということが子供の記憶には残っていて、「これは喜ぶだろう」なんて大人が思っていることは実は子供には大して印象的でなかったり。
そんな日常の中で「そんなことが?」があるのも、子供への温かいまなざしがあってこそなのでしょうけど。
ココのママさん
コメント拝見しました。
フランスは就学前教育が当たり前ですものね。
フランスの就学前教育で、個々の行動・発達をみて小学校への進級を決めるシステムはとてもいいものだと思います。
日本は年齢へのこだわりが大きいので、子供のためだといくら説明したとしても、「なんでうちの子が上がれないんだ!」になっちゃいそうですけど、
ご相談の件ですが、
>40分幼稚園のトイレに 座っていました。さすがに先生が見に来て私は「まだ出る!」と泣く
この辺の行動に対して、どうすればその姿がなくなるかという具体的なアプローチに関しては僕からは言えません。
デリケートな個人個人の部分の多い問題ですので、状況や性質・性格が実際にはっきりと見てつかめないことにはわからないからです。
直接的な働きかけに関しては、幼稚園の先生を信頼して託してしまっていいとも思います。
むこうもプロですし、似たようなケースのひとつやふたつは当然経験してきているはずです。
とりあえず、僕からはこういう場合の基本的スタンスだけお伝えしておきます。
ただ、個々にもよりますので大まかな目安程度のものです。
まず、こういう問題は、周囲の大人の気にしすぎ・心配しすぎ・アプローチしすぎは、逆に子供に意識させる結果になるので、返って長引かせてしまうことが多いです。
あっけらかんと構えている方が、子供も安心できますので、気にした素振りをしないほうがよいでしょう。
なぜなら、この問題は放っておいても時間とともに成長が解決してくれる問題でもあるからです。
それだけ排泄を失敗してしまったことを気にすることができるということは、自立に関しての精神的な成長が十分に達成されていることを示しています。
たまたま、失敗してしまったことを気にしているだけです。
また、もしかすると楽しい場ではあったとしても、生まれて数年しか経っていない子が、親元を離れて新しい環境に入ったのです、その変化に対しての精神面での調整期間として、その排泄へのこだわりが強くなっているという部分もあるのかもしれません。
暖かく見守ってさえ上げることができれば、時間とともに解決する部分が大きいと思われます。
子供へのアプローチとしては、こういうとき僕は「外堀から埋めていく」形で関わっていきます。
先程も述べたように、直接関わることがむしろ気にしすぎにしてしまうかもしれないので、直接的に排泄とは関係ない部分で子供の成長を助けていきます。
それはどういう方向かといいますと。
「自信を持たせる」ということをします。
園でやったこと、作ってきたものを褒めたり、ご飯を食べた時に「おいしいね~」と微笑み合って「共感する」ようなことをたくさんしてあげます。
うまくいっていない部分にアプローチするよりも、いい部分をたくさんにしていったほうが前向きになれます。
そうやって自分に自信を持ったり、新しい環境の楽しい部分を多く意識したりすることで、相対的に排泄の失敗そのものが小さな問題として心の中で処理できるようになっていければ良いのです。
おそらくはしばらくそれを大人が意識して関わることで、良い方へ向かっていけるのではないかと思われます。
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「孫の日」なるものがデパートの広告に出てから随分経ちましたが最初見たときはビックリしました。
うちの爺&婆ちゃんも「孫との時間をお金で買っているのではないか」と不安になるほどホイホイお金を出していますが…。
公園で一緒に遊んでくれるだけで充分楽しいのにな~。