ペットのしつけにおとる人間のしつけ - 2012.10.12 Fri
たまたま、本屋で平積みになっていたペットの雑誌に目が止まりました。
今でも有名な犬のなんとかという雑誌です。
別に犬を飼ってるわけでもないので、なんとなく手にとっただけだったと思うのですが、その時の特集が「犬のしつけ」でした。
そこに書かれていたのが、
「叩いたり、餌でつったりしてしつけることは過去のものだ。
愛情をもって世話をしたりすることで信頼関係を形成し、それによってきちんとしつけをすることができる。」
というような趣旨のことが書かれていました。
犬のしつけですら、もう20年も前にこのように言われているのに、人間の子供のしつけでは依然として「子供を叩かなければならない」ということがいまだに平然といわれています。
叩いてしつけない、餌で釣らないというのは犬のしつけでは常識になりつつあります。
現に本当に有用な高度な訓練を必要とする犬のしつけでは、もはやいっさい叩いたりしないそうです。
介助犬・盲導犬・警察犬・麻薬捜査犬などなど。
人間との信頼関係こそが大切になっています。
こういっては犬に失礼かもしれませんが、犬ですらそうなのになぜいまだに子供にはそれを平然とするのでしょう。
それをする人たちの多くは、おそらく客観的な検証や、体系的な子育て論に基づいてそのように言うのではなく、前時代から引きずってきた価値観から精神論的にそのように言っているとしか思えません。
「叩くこと」で「子供が学ぶ」と考えるのは、一種の幻想でしかないと僕は考えます。
この仕事を通して僕は叩かれて育てられた子も少なからず見ています。
その子達は、その親や、世間で「子供を叩いてしつけなさい」という人たちが意図するように育っているでしょうか?
乳幼児期から叩かれて育てられた子は、その多くが大変手のかかる子になります。
支配的で「叩く」その親の前では素直で従順かもしれません。
しかし、そうでない場所では大人の言うことなど聞きはしません。
つまり、「叩かないとわからない子」になってしまっているだけなのです。
「叩く」ということは物理的な痛みを発生させますから、それを嫌だと思えばそうされないように振る舞います。
しかし、「その大人から見ていい子」にそのときしているだけで、子供が自覚的に大人のいわんとすることを理解したりして、本当に成長しているわけではありません。
まさにかつての動物のしつけ・調教と同じように、痛みによってその状況における「禁止」を教え込んでいるだけにすぎないのです。
なので、その痛みのない場所・環境では、なにも律するものがなくなってやりたい放題です。
そして、叩くことを実地に学んでいますから、他者を叩くことに良心の呵責を覚えることはありません。
そういった子は受容されることは少なく、叩かれたり支配されることばかりが多いので、他者を攻撃したりして自分の鬱憤を晴らさなければならない理由をたくさん抱えています。
また、手のかかる子になるのとは逆に心を閉ざしてしまう子になることもあります。
大人に対する信頼感を欠如させているので、保育士がなにかを働きかけようとしても、容易に心に入り込めません。
ある意味、手のかかる問題児よりもこちらの方が非常に対応が難しくなります。
叩いて育てられても、まっすぐ育つ子も中にはいます。
でも、そういった子は別の誰かがきちんと受容してくれていたり、親が手を出しているとしても一方でたくさん可愛がることもできている子です。
また、頻繁・常習的にではなく、極限的にしか「叩く」を使っていない程度ということもあります。
しかし、そういう子ならばそもそも「叩く」という行為を大人が使わなくても、きちんと育てる子なのです。
単に大人の志向で叩かれているだけで、「叩いている」からきちんと育っているわけではありません。
「しつけ」「躾」という言葉は、いろいろな面や用法で使われています(例えば 箸の使い方=お箸のしつけ など)から、一概にすべてが良くないというわけではないのですが、
現代で、子育てにおいて使われるとき、こういった強権的で支配的な大人から子供への関わりかたという考え方も多分に含まれています。
もちろん、そう取らない人もいるでしょうけれども、現実にそのようなニュアンスで解釈していたりする人もたくさんいますので、僕は「しつけ」「躾」を志向する子育ては言わないことにしています。
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● COMMENT ●
わが家の恥を晒すようですが…
18歳くらいになったときに・・・
でも、現実には叩いている人の多さにしばしばぎょっとさせられます。
先日も子供と水族館で水槽を見ていたら、目の前で1歳後半か2歳になったばかりくらいの子が父親に叩かれました。しかも頭をかなり強くです。
ベビーカーの上に立ち上がって、2つくらい年上のお姉ちゃんとふざけただけでした。
息子もびっくりしてちょっと怖がっていましたし、私はとても暗い気持ちになりました。きっとあの子も平気で人を叩く子あるいは叩く親になっていくのかと思って・・・
ネット上の子育て掲示板も見ているのですが、「悪いことをしたら叩いて教えるのは必要」「子供が他の子を噛んだら母親が噛み返して痛みを教える」「けじめが必要だから叩くのもあり」といったことを書き込む人がものすごくたくさんいます。
親が噛み返して痛みを教えるって・・・それってまさに動物です。子供を人間として尊重してないとしか思えないです。人間には言葉があるのに。
けど、結構まじめな掲示板ですので、そういった考えを当たり前に持っているのも、おそらくごく普通のお母さんたちなのだと思います。
大人は子供についつい「今できること」を求めてしまうけれど、息子には18歳くらいになったときに、自分ですべきこととすべきでないことの区別がついて、自分で行動を選択できる人になって欲しいなと思います。
決して罰がなければすべきでないことがわからない人間にはなって欲しくないです。
躾とは違う話ですが、最近夫が冗談のつもりで「ほら、ママをパンチしちゃえー」なんて息子に言うことがあります。息子は叩くのはいけないこととはまだ知らないので、パパの言った通りに私を叩こうとしてしまいます。そんなときは「パンチされたらママ痛いから嫌ッ」と言うと叩こうとするのを止めてくれます。
遊びで叩くことを教えておいて、いざ友達とケンカになって手を出したら何て叱るつもりだろうと呆れてしまいましたが。
躾にしろ遊びにしろ、何にも知らない子供に叩くことを教えれば、子供はすぐにそれを覚えてしまうし、叩くのに楽しさを感じてしまえば、それこそちょっと言ったくらいではなかなか叩くことをやめられない子供になってしまうと思うんですがね~…。(実際、夫の働く保育園にも、棒などを持つとすぐ叩いてくる子がいて手を焼いているなんて聞きます。)
躾をしたいと思うなら、子供にして欲しくないことはまず親がしないように気をつける、言って教える前に親が見本を見せるのがいちばん効果があるとようやく分かってきたこの頃です。
暴力を肯定するつもりはありませんが、、
ただ、それはその人の許容量が少なかったと反省すればいい、その事に、子供に、ちゃんと向き合ってれば解決出来る事だと思います。子供にしてみれば迷惑かもしれませんが、、、、親も一緒に成長していけばいいと思います。
私が最近怖いのは暴力→悪→排除となっている人達です。
叩かない(叱らない)育児を表面ばかり受け取ったのか、中身はいいなり、過保護、過干渉状態でちょっと活発な子に遭遇すると目くじらをたて威嚇してくる親がいます。
そういう親は活発な子は暴力的な子に見えるらしく、その親に対しても暴力を容認しているとみなし非難の視線をなげつけてきます。
暴力は生死につながる危険があるからクローズアップされるのかもしれませんが、私は子育てにおいて、いいなり、過保護、過干渉も同等な事と考えます。
そして、それも叩いてしまった時と同様の解釈で親が成長していけばいいんだと私は考えています。
ま、おとーちゃんさんはそのような事を口酸っぱくなる程書いてきているとは思いますけど。。。
ここだけみると叩く育児をする人は即悪と単純に思っちゃう人もいるんだろうなぁと思いましてコメント入れさせてもらいました。
繰り返しになりますが、決して体罰を正当化するつもりはありません。
kyomiuさん
本当にその通りだと思います。
子育てというのは、非常に特殊なスキルです。
多くの人が「自分の子育ての仕方」を否定されると、不思議なことに「自分そのもの」が否定されていると捉えます。
>「お前もたまに息子を怒鳴り散らすことがある、それは言葉の暴力ではないか、叩くことと何が違うのか。」
旦那さんもこんなことが詭弁でしかないことはわかっているのだろうけど、否定されていると感じてしまうから防衛機制で感情的にでてしまうったのだろうね。
悲しいことに、いまでは日本は先進国の中でもっとも体罰が好きな国になってしまったみたいです。
まっくすさん
負の連鎖と言うやつですね。
ちょっと考えればだれでもわかることなのだけど、一般にはとても叩いて子供を育てると考える人がたくさんいます。
例えば、その人が母親だとしたら、DVなどは絶対反対だと思っているはずです。
でも、子供には叩くことが必要である・・と。
「あいつは間違っているから殴ってきた」
子供が学校や会社から帰ってきてそのように言ったら、悲しむでしょう。
でも、子供には叩くことが必要・・。
「叩いてしつけることで、人に暴力を振るわない子になる」
なんて考えている人がいたら、こんなご都合主義なことはないわけですが、
先入観で多くの人が軽々しく、「子供には叩くことが必要」と言ってしまう。
どう考えても矛盾していますよね。
とかちさん
諸外国の人が並々ならぬ配慮をして、子供を暴力からできるだけ遠ざけようとしているのに、日本では子供に暴力の手法も遊びとして教えます。
日本はずっと平和だったから無意識にバランスでも取ろうとしているのかな?
ころさん
「モンスターペアレントなど子供を過保護にしたり、甘やかしている親が多い。だから学校で体罰くらいする必要があるのだ」
という意見でした。
こういう意見に同調する人、賛同する人もとても多いのだけど、こういった考え方はいくつもの飛躍があるのだよね。
確かに、自分の子供に過保護で他者をなんともおもわないような振る舞いを子供にさせてしまうのはたいへんおかしいことです。
しかし、だからといって体罰や強権によってそれを押さえつけてしまえ、というのは論の飛躍です。
そのまえにできることはいくつもあるはずだからです。
しかし、どうも「わがままは罰することで抑えろ」というのが今の日本人のもっている思想のようです。
ちょっと訂正
ちょっと言葉たらずだったかなと思ったので再コメントです。
私も暴力は間違っていると思います。
言いたかったのは
暴力→そういう人は悪→人の排除
は怖いという事です。
一般のコミュニティの中でのそういう雰囲気はいじめとかわらない状況を引き起こし正直怖いですね。
排除という考えよりおとーちゃんさんが言うように解決方法を考えてほしいものです。
ちなみに、うちの娘は4歳で体も大きくなり、体当たりでぶつかってくるのに私も耐えられなくなってきていたので、おとーちゃんさんのブログで学んだ可愛い甘え方を提案したところ、考えていた以上にうまくいってすごく感謝です。ありがとうございました。
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私も、強くそう思います。よく、叩く方も痛いとか、愛のムチとかいう言い方をする人がいますが、それは自分の犯した暴力に対する気まずさからくる詭弁でしかないと思ってます。
しかし、言ってもだめなら、叩くことも致し方なし。おしりを叩くくらいは躾のうち。と思う人が、実はマジョリティではないかと思います。
実際、我が家であった出来事です。2歳の息子が食事中にお茶でうがいの真似をしてふざけ、注意しても面白がって続けていました。そこに、横に座っていた夫が何度か注意したあと、軽く腕をつねりました。息子はびっくりして大泣きをし、私もその行為は許せなかったので、つねるのはよくないと思う、息子に謝ってほしい。と言ったら、夫は怒り出しました。
夫の言い分は、「これは体罰でも虐待でもなく躾だ。強くつねったわけでもないし、日常的に叩いてるわけでもないし(実際、私が見たのは初めてでした。)、口で言っても聞かなかったから、痛みでわからせた。実際にそれでやめたではないか。」と言うので、「パブロフの犬でもあるまいし、痛みという反射で辞めたとしても、それが悪かったと思って行動を改めるわけではない。親がそのような行為をして、子どもに暴力はいけないというのは、矛盾しているし、そもそも、つねるような悪いことだったのかもわからない。」と言ったら、「自分も親に口で言って聞かなかったら、叩かれて躾けられた。自分のこの行為を非難することは、親を非難することだ。そして、子どもが他の子どもを叩くのと、大人が躾として叩くのを同じ土俵で語るな。」まで言われ、ああ、根深い話しだなと、ひどく落胆しました。おまけに、「お前もたまに息子を怒鳴り散らすことがある、それは言葉の暴力ではないか、叩くことと何が違うのか。」というので、「怒鳴り散らすことはあるけど、それは自分の感情をコントロール出来ないもので、やってしまった後反省もするし息子に謝る。そして、怒鳴ることは躾けとは思ってない。100%私が悪く、出来るならしたくないことだ。」と言うと、「自分が言葉の暴力を抑えられないくせに、叩くことを非難する権利はない。」と言われ、もう、その後は話し合いにならず、結局うやむやになり、それからそのような行為がないので、話を蒸し返してはないのですが…。
私も、子どもが何度言っても言うことを聞かなかったら、実際とても腹が立ちますし、叩きたい衝動に駆られます。しかし、親だからと言って、躾けという名の下に、叩くことが正当化されるとは思いませんし、叩きたいと思った自分の感情を分析するならば、怒りの衝動としか言えず、そこに「この子の為を思って。」などという理性的な考えはないと、自分自身には断言できます。だから、「躾」と称して叩く人を見ると、正当化か、何も考えてないか、親からされていたので、当たり前のようにするという見方しかできません。そして、夫は親から叩かれた時、素直に自分が悪いことをしたから叩かれたんだ、仕方ないと思ったと言っていましたが、それも、大人になり、親の立場になったから言うのではないかと勘ぐったりします。実際、私は父親から、よく叩かれていて、本当に嫌だったし、叩く父親をひどく軽蔑していました。しかし、世間一般には、夫のような親に叩かれて反省したという人の方が、私のようなひねくれ者より、素直ないい子なんでしょうね。ああ、そうやって、躾と言う名の暴力が市民権を得て、伝承されていくのかぁ…。ほとんど愚痴のようになってごめんなさい。わが家の恥を晒すようで恥ずかしいですが、実際、夫婦間でも、この問題は意見が食い違う家庭も多いのではないかなぁと、長々とコメントしてしまいました。あ、最後に夫の名誉のために、普段はとても優しい、いいパパですよ。