生活科の授業 - 2012.10.30 Tue
生活科なので理科の授業としての(そういう側面もあるのかもしれませんが)自然観察とかそういうものではありません。
他にも以前に生活科の中で「フレンドリープラザ」なるものがあって、これは要するに縦割り活動の一種で、6年生と鬼ごっこをしたりしたそうです。
なるほどなぁ、小学校でいまはこういうことが必要なのだなと僕もわかります。
これらどんぐり拾いや鬼ごっこなど保育園でしていることです。
でも、今はそれを小学校でもしなければならない子供たちの姿があるのでしょう。
これらそのものが必要なのではなく、こういった「遊び」から培われる経験というものが不足していると言えます。
ちょっと他児とぶつかっただけでも、イライラしたりムキになって叩き返したり、こういう子供の姿は身体経験の不足から来ているものもあります。
子供同士で体をくっつけ合って遊んだり、接触したりときにはぶつかったり、そういうことも心と体をつくるためには成長の中で必要な経験です。
どんぐりを拾ったり、その過程で土に触れたり、そういう経験も実は子供の性格や成長の必要な糧になります。
ときどき、土や虫などにとても神経質で触れることはおろか、近寄ることもしないような子もいます。
そういった神経質さ、潔癖さというものは対人関係でも余裕のない状況を作り出したりするのにつながったりするきらいもあります。
ある小学校の先生は、新一年生の親に入学する前に「字がかけるとかそういうことは頑張らせなくていいので、大人の話が聞けることとか、座ってご飯が食べられることを家庭でさせてあげてください」と言っています。
しかし、そう伝えても親はそういった勉強面ばかりを子供にさせてくるそうです。
学齢期以前は、遊びや生活の中で関わる様々な広い経験というものをしっかりとしておくことが、後々の子供の成長にもつながると僕も思います。
● COMMENT ●
初めまして
生活体験と座学
少し前からブログを拝見させていただいています。
15歳と13歳と1歳半の三人の子を持つ母です。
こちらのブログに書かれていることで気づいていなかったことに目を向けるようになり、日々の育児の参考にさせていただいております。
生活体験の不足と就学前の過度な座学について、以前から疑問を持っています。
特に私の場合、子どもと言葉の関わりについて考えることが多いのですが、日本の場合、超早期英語教育にお母さんたちを駆り立てるものがあるように思えてなりません。
同時に極端に生活体験に欠ける子どもたちが小学校高学年辺りから伸び悩んでいく姿を見ると、ますます考えさせられます。
これからもこちらのブログで勉強させていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
ありがとう。
毎日、こんなんでいいんかなーって思ってる日々ですが、おとーちゃんのブログが『いいんだよー』って背中を押してくれている気がしています。
散歩に出て、虫を探して、花を摘んで・・・そんなことでも子供を豊かにするお手伝いが出来るんですね。何かほっとしています。
2歳のムスコと今はお菓子作りを楽しんでいます。
絵本の影響もあるのでしょうが、パンケーキとかクッキーとか混ぜ混ぜさせてあげたりすると大喜びです。そしてよく食べます。
日々の小さな楽しみを大切にして、子育てを楽しみたいと思います。
いつも素敵な教えをありがとうございます。
No title
この記事を読んで思ったのですが、これは「家庭での生活体験」が不足していることが問題ということなのでしょうか。
うちの息子は保育園でまさに秋の楽しみどんぐり拾いに出かけています。世間一般では幼稚園も3年保育が主流になり、プレ幼稚園なる2歳児クラスも広く行われるようになっています。
昔のように近所の縦割り子供集団は確かになくなっていると思います。しかし、その一方で、幼稚園や保育園などの公式な保育の場でどんぐり拾いや集団あそび(鬼ごっこ、電車ごっご、おしくらまんじゅうなどなど・・・)をやる機会はたくさんありそうに思います。
それでも足りない=家族と外で遊ぶ時間が少なく、それが問題ではないか ということなのでしょうか??
余談ですが、昨日保育園の行事で園の周囲を子供と一緒に歩きました。その時に赤ちゃんをダッコしたお母さんがお姉ちゃん(多分4歳児クラス)に歩きながら蹴りを入れているのを見てしまいました。
お姉ちゃんも駄々をこねてるという感じでもなく お母さんは怒っているふうでもなく、理由がなんなのかはわからないのですが、4歳児がよろけるほどに膝蹴りっていったいどういう状況で起こるのか。
子供に対する他人の暴力をまた間近で見てしまい、なんだか憂鬱になりました・・・・
しろっぴーさん
そろそろ幼児期を卒業しなくてはならないからです。
そのため、確認作業のようなことをすることがしばしばあります。
確認というのは、大人からの肯定的な関わりのことです。
それがある程度納得いくと、次の段階である学齢期に精神的にも脱皮できていくようです。
その方法として、わざとではないのですが大人からはイライラするような行動で表現されてしまいます。
いま書いている記事にあるように、叱ってしまうことは気にせずともいいので、認める部分を増やしていくといいかと思います。
たとえば、自分の仕事(食後にお茶碗を台所までもっていく とか)を決めて、それをしたらきちんと褒めていくとか、お手伝いをさせてそこを認めていくなど。
ネガティブな部分への対処はあまり気にせずとも、ポジティブな部分を作っていくこと、増やしていくことがより良い形で次の成長段階を迎える力になると思われます。
shizuさん
特に私の場合、子どもと言葉の関わりについて考えることが多いのですが、日本の場合、超早期英語教育にお母さんたちを駆り立てるものがあるように思えてなりません。
>同時に極端に生活体験に欠ける子どもたちが小学校高学年辺りから伸び悩んでいく姿を見ると、ますます考えさせられます。
僕もそれははっきりと感じます。
親が子供にすべきことをしないで、しなくてもいいことをしていることをたくさん見かけます。
特に英語教育は、ビジネスとしても成り立っているので、宣伝などから余計に拍車がかかっています。
40万、50万もする子供向け英語教材を買って、それを熱心にさせられた挙句、生活力や快活さ、子供らしさのない子に育っているなどというのもしばしば見かけます。
親の方に、周囲や宣伝に踊らされず、子供をどのように育てたいのか、子供になにが大切なのかを見極める目や、ビジョンを持つことが必要な時代になってきていると感じます。
まっくすさん
↑そういう部分もほんの一要因としてはあるかもしれませんが、それを問題としているのではありません。
様々な経験が以前に比べ家庭でも不足しているとも言えるかもしれませんが、全般的に変わってきているだろうと思います。
このことはいつか記事にしていこうと思っていたのですが、例えば、地域差などもあるかもしれませんがいま小学生たちが公園で遊んでいる姿というものが、日常の中で大きく減っています。
公園にいてもしているのは、友達どうしでゲーム機の通信機能を使って並行的にゲームをしている姿というものが圧倒的に増えました。
いま、ものすごい勢いで小学生を対象にした学習塾というものが増えています。
たくさんの習い事をしている子もいます。
学齢期前から、習い事・早期教育などに駆り立てられる姿も多くなっています。
そういった子供たちが、生活力や人と関わる力で明らかに劣って育っている姿も見ています。
子供同士で遊んだり、年齢の小さな子供を大事にしたり、可愛がったりということもできなくなりつつあります。
できない・経験がないというだけでなく、さまざまな理由からその余裕が持てなくなっているということも多くなっているようです。
こういった姿が引き起こされているのは、子供そのものは変わっていないのですから、社会の変化や親・大人の考え方が子供をそうさせているということが無視できない問題としてあるのではないかと僕は思います。
その一例としてあげたのが、記事にある小学校からの要望と、それと温度差のちがう家庭の対応です。
親が子供に要求したり、与えたりしていることが、必ずしも子供そのものの育ちにつながっていない様相が増えています。
もちろん、それには親の対応だけでなく、社会の変化・環境の変化というものも否定できない要素としてあるでしょう。
学校が鬼ごっこをさせているのは、そこに必要なものがあるのだけど、それが不足しているからというひとつの現れです。
以前ならば、ことさら小学校が意識せずともよかった部分です。
しかし、それを学校がしなければならなくなったところに、現在の子供を取り巻く問題が出ていると思います。
この記事はそういう点を多くの人に認識してもらい、考えてもらいたかったというものです。
No title
お忙しいのにわざわざ回答をありがとうございます。おっしゃること、感覚的にわかります。
うちでは子どもが生まれた時から、テレビ・DVDに子守をさせない、能動的に遊べるおもちゃを選ぶ、子どもの身近な発見に共感する、体を接触させて遊ぶ、否定よりも認める、“早寝早起き四回食”をしっかり・・・など心がけてきました。おとちゃーんの推奨育児と基本路線は一致していると思っています。
2歳8カ月で何も結果は出ていないし、日々細かい悩みはあるけれど、自分としては子どもは良い方向に育っていると確信しています。上記のような子育て方法は、みな育児書などで読み聞きしたものばかりですが、基本的に自分の子育てにハッピーです。
けど、育児論のベースに実証研究をもとに組み立てた理論があると良いのに~~と思ったりもします。
たとえば、おとーちゃんのコメントを引用してみますと、仮説としては
「習い事・早期教育を重視して育てるほど、子どもの生活力が劣る」
あるいは、
「並行的なゲームをしていると、人と関わる力が育たない」
あるいは
「外で集団で遊ぶと、〇〇の力が育つ」
のようなものになるわけですよね。
人間の成長に関係する要素はものすごくたくさんあるので、子どもの生活のどの点とその子の成長のどの側面が関係しているのか、あるいは生活のどの部分が育ちに一番影響力があるのか、といったことは複雑で関係性を見出すのは難しいだろうと思います。
けど、おとーちゃんのような大勢の子どもを見る機会のある方々は、経験からこういった仮説が立てられるわけですよね。
このようなたくさんの仮説を客観的なデータで検証できれば、より説得力のある、実効性の高い育児理論ができるのにと思います。そうすると、流行の育児論、極端な育児教材などに惑わされるケースが減るのに・・・なんて思ったりします。
育児については、2歳児の母として携わるだけの私ですが、全く違う分野の研究者でもあるので、こんなことを考えてしまいます~~。大がかりなパネル調査をどこかでやってくれると良いのに~~なんて。
すみません、しょうもないコメントでした。
ありがとうございます
『叱る子育てを変えていくには』
何回も読ませていただきました。
おとーちゃんさんのお返事にもあったように、認める行為を沢山してあげるのが、長男にとって必要なことなんだと思いました。
年齢も大きくなってきて、やはり叱らないで過ごすことはとても難しく、これから改善は正直無理なのかな…と相談した時は思いましたが、、、
全面肯定
ハッとさせられました。物を隠す行為は認めてもらいたいからなんですよね。そこで見つけられた時に、良かったね、の一言が欲しかったんだなーと記事を読んでから分かりました。
寝る時も、おへそを触らないと安心しない子なのですが、私が嫌悪感があり、年齢も上がってきたのを理由に拒否してきました。別な寝かしつけも試しましたが(おへその代わりに手を握るとか)、絶対おへそ!と言って聞きません。最終的に嫌々触らせて寝ますが、嫌々だと子どもは分かりますよね。それも何かしら影響があったんでしょうか。
最近、悪いところばかり目について、良いところを見てあげてなかった気がします。
叱ることをゼロには出来ませんが、回数を減らしてその分褒める回数を増やしていきたいです。
今日は自分からお皿洗いのお手伝いするーと言ってやってくれました。勿論沢山褒めてあげました(^^)
このような相談に時間を割いていただき、本当にありがとうございました。
これからも勉強させていただきます。
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『叱る子育て』→『叱らなくていい子育て』に変えることは出来ますか?
おとーちゃんさんに共感して、私も叱らない子育てをしたいと思って実践してみるのですが、何せ今まで叱りすぎていて(本当、癖になっちゃっています)、叱らないことでストレスが溜まり、タンクが満タンになると爆発してしまいます(より大声で怒鳴ってしまいます(- -;))。
叱るのは、人の前でお尻をみせたり、人のもの(弟が大切にしているおもちゃなど)を隠したり、嘘をついた時…
このような場合はどのような声かけをすればいいのでしょうか?
物を隠した後、自分で見つけてきて、あったよー!と言ってきます。この時はその行為を認めてあげるのがいいのでしょうか?
私は、どーせ自分で隠したんでしょ、と思っちゃって、声に出せず、そ?などと素っ気ない返事をしてしまいます(- -;)
因みに長男は5歳、次男は3歳です。
今から変えることは出来ますか?
お時間ある時で構いません、お返事頂ければと思います。