「可哀想」は子供のためにはならない - 2012.11.01 Thu
よくみたら、そもそもついたちに記事をUPしていなかった!
なんともはや・・。
今月は頼まれている原稿とかもあるので、ちょっとスローペースになるかと思います。
今日は保育園にあずけることについての記事です。
前回の記事のような園での子供が満たされない姿を書くと、自分も保育園に子供を預けているので「子供に申し訳ないと思う」とか「子供が可哀想に感じている」という反応がしばしばある。
心情的にはわかるし、そういった状況というものもあるにはあるが、僕は親が一旦子供を預けて働くと決めたのならばそういう風には考えない方がいいと思う。
なぜなら、こう考えることはしばしば子育てを迷走させる。
また、場合によっては「共依存」状態におちいり子供の育ちはもちろん、様々な問題を引き起こす元ともなってしまうからである。
「子供に申し訳ないから」「子供が可哀想だから」
と考えて、関われる部分で過保護や過干渉になったり、結果的に子供の自立をはばむような関わりになってしまう人は多い。
この前もハミガキを嫌がる子の相談を受けたが、こういったことは子供をかえりみないで放任して満たされず泣いていたり、親が恣意的に叩いて子供が泣いているのとは当然ながら全く違う。
必要があって、親が子供のためを思ってしていることで子供が泣いたからといって、それに親が可哀想と思うことも申し訳ないと思うことも必要ない。
しかし、こういう姿に対しても、そのような「可哀想」「申し訳ない」という発想が出てきてしまう傾向が現代の大人にはあることをはっきりと感じる。
こういった思考は多くの局面において、返って子育てをまっすぐに行かせない方向に進んでしまうだろう。
子供のためと思ってや必要があってするならば、大人はそこに「自信」を持ってのぞむことが必要である。
「ダメダメ黙認」と同じようなもので、「よくないよくない」と思いながらすることが結果的にはもっとも「よくない」こととなってしまう。
保育園に子供を預けることもこれと同じだろう。
仕事やそのほかの事情や必要があって預けるのだから、そこは割り切ってドーンと預けなければ子供も不安になる。
口に出さなかったとしても、子供はそういうことをしっかりと感じ取っている。
「可哀想だ」と思いながら、毎朝預けられている子はそこで過ごす不安感も大きくなり、その環境に慣れるのにも時間がかかる。
「じゃあお仕事がんばってくるね」と笑顔で預けられている子は、その分預けられている時間も余裕を持って過ごすことができやすい。
小さな子供でも、本当に必要があってあずけられているか、親が子供を見たくないから預けているのかきちんと理解している。
必要なのならば、親はそれに自信を持って子供をあずければよい。
へたに、預けていること自体を「可哀想」などと思って、その挙句「いいなり」や「スポイルとしての甘やかし」になってしまう必要などないのだ。
それは預けられている子供の心情を理解したり、一緒にいられない分一緒に過ごせる時間に受け止めることとは違うことである。
昨日の記事のように、父親が出来る範囲で子供に関われるのならば、そこはともに子育てしていくのが現代の子育てには大事なことだろう。
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● COMMENT ●
No title
No title
伸び伸びと遊ぶ子どもたちを見て預けることの不安は大分払拭されました。
今度は、保育園に預けることで子どもの成長を日々見ることが出来なくてもいいのか?という自分の人生の迷いが出てきてしまいました。
経済的なことを考えると辞めるリスクは大きいので、簡単には辞められませんが。。。
一度決めたことは信念を持って貫かないとですね。やっぱり子どもが可哀想、自分の人生これでいいのか?と迷走するのだけはナシにしよう!と思いました。
その通りです。
自分は保育園へ行ってました。両親共働きでした。けれど、保育園の頃は気持ちも安定していたし、寂しいこともありませんでした。
母はパートで、夕方は必ず迎えに来てくれたし、とても愛情も感じていたからです。仕事で忙しいということも、ちゃんと理解していました。
問題は小学校入学してからでした。私は見た目にも大きくなり、日常のことは自分で出来るようになり、親からすれば手が離れたと思ったのでしょう。
母が仕事を変わり、私は鍵っ子になりました。
家には父がいました。父は夜間の仕事でした。私が帰ると必ず寝ていて、鍵を忘れてインターホンを鳴らすと酷く怒られました。
家にいても音をたてれば怒られるので、そのうち帰るのが憂鬱になりました。
ひたすらに母の帰る時間を待ち、そこを狙って帰るようにしました。
この時、祖母(父の母)も同居していましたが、父が寝ている時間は祖母も寝ており、二人して静かにしていろウルサイと私を怒りました。
家に帰るのが気が重い状況が何年も続きました。
幼かった私は、家へ帰っても「おかえり」と言ってもらうこともありませんでした。
母は、こういった状況に気が付く余裕がなく、てっきり父と祖母がいるから大丈夫だと思っていたそうです。
確かに家に誰もいないよりは良かったのかもしれませんが、この頃のことは寂しく暗いイメージです。
年令が少し上になった話ですが、子供は急に大人になったりしないのです。
私は専業主婦になることに強い拘りがありましたが、問題は子供と関わる時間の長さではなく、関わり方にあると思います。
けれど、おとーちゃんは特別として大概の父親というのは子供と関わるのは苦手ではないでしょうか。
苦手というよりは…他人事のようですね。
だからこそ、やはり専業主婦に拘りました。
そういうわけにいかない状況だってあると思います。
けれど、理想は専業主婦です。
家に帰った時に、優しく「おかえり」と言ってくれる存在がどんなに欲しかったか。
幸いご近所の同級生のお母さんが、ふらふらしてないで家においでと言ってくれ、一人で食べないでみんなで食べようと言っておやつやご飯に呼んでくれました。
そして、母本人は真面目に働き愛情をかけてくれ、ご近所のお母さんにいつも感謝を示してくれ、良い関係でいられました。
でも、どんなにアレコレ考えてみても、帰った時にお母さんがいて受容してくれるというのは何物にも代えがたいです。
それが、幼児なら言葉にも出来ず、どこかで発散することもかなわず、苦しいでしょう。
ちなみに母の母も共働きでしたが、母の父や祖母はよくできた人でそんなもんだと思っていたそうで、私の話を聞いてビックリしたそうです。話は大人になってからしました。子供の頃はうちはそういうものだと思っていたし、父のそういう性格も知った上での生活だと思っていました。
他人どうしが作る家族…話合いやルール、確認事項など家族でしっかりできればいいですが、ほとんど母任せというのが実状じゃないでしょうか。
おとーちゃんのブログをきっかけに救われる子供やご家庭がひとつでも増えるといいですね。
長くなりすいませんでした。こういったすれ違いが子供の心を荒れさせることもあるという一例として、書き込んでみました。
助けてください
四歳と一歳の姉妹がいます。保育園児です。四歳の長女が、ギャーギャー言ったりグズグズしたり、叩いたり(私を叩く)でついつい
ガミガミ言ってしまいます。
性格は真面目で頑張りや。溜め込むタイプです。
次女が病気が多くそちらにかかりきりになってる私が悪いのですが、
甘えたくても甘えられないのでそのようにグズグズしてるんだと思います。父親にはベッタリで甘えられるみたいです。
私は怒ってばかりなんでしょうね。私も怒りたくて怒っている訳じゃなく、優しくしてとも、酷くなるばかりなのでついつい言いすぎて毎回反省の繰り返しです。
「お母さんは私が赤ちゃんの時はもっと優しかったのに」等々言われます。
私も怒りたくて怒っているんじゃなくて、大好きだけどと言いながら伝えてますが、もう酷くなるばかりです。保育園では普通です。たまに、二人になった時に褒めたら凄く喜ぶので褒めて優しくてあげたいのですが、どうしたらいいのか分かりません。
何か改善案があればアドバイスいただけると嬉しいです
白いご飯について
息子は食べることが大好きで、肉も魚も野菜も果物もたいていのものは
好き嫌いなく食べてくれます。夕食を作っていると寂しいのもあってか、台所にやってきては、シンクに手を伸ばしてつまみ食いしようとしたり、戸棚をあけて出汁用のかつおぶしを食べたりします。ごはんに響かないように、こちらが量を調整してはいます。
ごはんが出来たよ~と言うととても喜んで席に着き、遊び食べもほとんどせず、がつがつ食べては「おいし~」という仕草をして、食事を楽しんでくれます。
でも、おかずも汁物も何でも食べてくれますが、白いご飯だけはなかなか食べてくれません。
「おかずと一緒に食べるとおいしいよ~」と言いながら食べさせたりと、こちらが何とかその気にさせてやっと食べてくれます。でも、自分も食べながら息子に食べさせているので、いつの間にかおかずばかり食べて残るは白ごはんのみということがほとんどです。「ごはんも食べないとお腹空いちゃうよ~」などと言いつつ、ふりかけを掛けてあげたり、一口食べるごとに「わ~えらいね~」とほめたり、「パパもごはん食べちゃお~、おいし~」と親が食べておいしいと言ってるところを見せたりしながら何とか食べさせます。もうごはんごちそうさまして、食後のみかんが欲しいと、途中で手を合わせてきても、「みかんはご飯を食べたらあげるね」と言うと、渋々ですが食べてくれます。なのでつい、「ごはん食べたらみかんあげるよ」と釣ってしまうことも時々あります。
でも、それが毎食のことなので、こちらとしてももう少し自分から食べてくれないだろうかと思ってしまいます。白ごはんですと毎回出さないわけにもいかず、せめて量を少なくしたりはして食べ切りやすいようにはします。
この前のお昼ごはんで、いつものようにごはんを食べさせようとすると、どうしても食べたくないようで激しくイヤイヤと首を振り、それでも「食べてね」と言うと、反発してかテーブルの上に足を乗せてきたので(ときどき面白いのか机に足を載せますが、ママはしてほしくないよと伝え、すぐ足を下ろさせます。)、つい感情的に怒ってしまいました。
おにぎりやチャーハンなど味付きのごはんは喜んで食べますが、毎回そう言った形で出せないし、多少の好き嫌いは仕方ないにしても主食をなかなか食べてくれないと毎回疲れてしまいます。
お手すきのときにでも、何かお気づきを頂けたらと思います。よろしくお願いします。
保育園
私自身、生後2か月から保育園に通っていました。小学校に入ってからは学童保育、そして4年生からはかぎっ子でした。
母は祖父母から「可哀想」と言われていたりしたようですが、私は特にそう感じていませんでした。仕事をしている両親が好きでしたし、兄弟も含め家族は今でも仲良しです。両親はきっといろいろなところでフォローしてくれていたのでしょうね。
私は一時期、毎朝保育園で母と別れるとき大泣きしていたようですが、心の傷になっていません。保育園に通っていた6年間の連絡帳は今でも宝物です。母や保育士さんにたくさん愛されていたんだな~と感じられる連絡帳です。
今は自分の子どもを保育園に通わせています。いつか子どもが読む日が来るかなと思いながら連絡帳を書いています。
No title
必要な事は譲れない。
当然の事ながら、自分の事に置き換えて考えているうちに、視点がズレてしまいました。
自分の事になると、冷静に考える事ができなかったり、お恥ずかしい話しです。
軌道修正でき、感謝しています。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
頼まれてる原稿って、何かに載るのでしょうか??
子育て関連の事なら、ぜひ読んでみたいと思いました!
もし、私にも入手できたりするようなものでしたら、またブログ内で発表して頂けたらと!
返信不要です。
ひあさんへ
うさこさんありがとうございました
怒るのは大体朝なので、30分早く起きて長女にゆとりをもって関わるように意識し始めました。
私に余裕がないから長女にあたっていることもあるので。
大切に毎日を過ごします。
ひあさん
とかちさんへ
おにぎりで食べてくれるなら、塩をふらないで、おにぎりであげればいいと思うのですが・・・
細かいことをあれこれ言うよりも、食べてくれればいいと思います!
うちも大人の親指くらいのミニにぎりを作ってお皿にたくさんのせて、手づかみでどんどん食べてくれるのがかわいくて面白かったです。
手を使うことも大事ですしね!
もりもりおかずを食べてくれてすばらしいですね!
楽しいご飯の時間になりますように。
No title
高2、男子の母親です

在住の市は、幼稚園は私立しかなく、しかも定住(永住?)のために
こしてきた市で、縁もゆかりもないアパート暮らしでした。
月謝25000円に給食費、その他もろもろではありましたが、私自身と息子とふたりっきりになる時間を仕事も持たないクセに’おのこり’=1回500円~350円(月の利用回数による)を利用し、ネグレクト系に育った私は常に反面教師での子育て。親にも頼りたくありませし、物理的にも無理がありました。いわゆる専業でしたし、主人は地方企業へ転職、経済的ゆとりのない中、そういうモノを利用させていただいていました。なので’逆版。可哀想’です。
裕福ではありませんでしたが、良かったと思っています。
息子はトンビが鷹状態で育ってくれていて良かったと今んとこ^^思っています。なんだかつぶやいてしまいました。ありがとうございます。
ひあさん
保育園では出さずに家庭でだけだしているということは、基本的な信頼関係というものがあるからこそだと思われます。
出来る範囲で「先回りした関わり」を心がけていけば、それだけでも子供の様子は変わってくるはずです。
そこをきっかけとして、だんだんと叱らずとも過ごせる状況をつくっていくといいでしょう。
少しでも、認めること褒めることを積み重ねていくこともいいですし、共感すること、一緒に楽しむことなどもいいです。
「くすぐり」はそれらがいっぺんにできるのでとっつきやすいです。
もしも、一日中起きている間叱ることばかりになってしまっているというのであれば、寝るときにでも、精神的にその余裕がなければ、寝てからでも「あなたのことを本当は大好きなんだよ」と言ってあげることですら、積み重ねになります。
起こってしまったことをいちいち気にしてもしょうがないですから、その分できることをしていけばいいと思います。
とかちさん
全く口にしないというのなら別ですが、それなりには食べるというのであれば、おそらくは時期的なものと考えていいと思います。
その時期的なときに、食べさせたいと思うあまり、ふりかけがないと食べられない子にしてしまったり、変なくせや、子供にとっての当たり前をつけてしまうよりも、あせらずに「そういう姿なのだ」と見守って上げていくほうが結果的によいこともあります。
僕はそういったときは、あえて白いご飯の量を減らして、無理してがんばらずとも全部きれいに食べられる達成感を持たせ、そこを認めていくことで自信を持たせていくという対応をとったりしています。
askaさん
たいていは乳幼児期のことってわすれてしまいますから、そういった日々の記録があるのっていいものですよね。
アドバイスありがとうございます!
他の物はちゃんと食べてるんだし、少しこだわりすぎだろうかと悩んでいました。たぶんその態度が出てしまって、息子にも食事中にしなくていい嫌な思いをさせてしまったと思います。
ごちゃごちゃ言って食事を楽しくないものにするよりも、食べ切れるようにちょっとだけ工夫をして、「ちゃんと食べられて嬉しいねー」と言ってあげられるようにしたいと思います。
ありがとうございました!
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子供への負担配分の配慮の問題と、子供に向ける感情とを混同せずに接すること。
自分のなかで明確に峻別するのが難しくて、つい混同しがちですよね…。