「弱い大人」の問題 Vol.3 - 2012.11.23 Fri
以前電車でこんなことを見かけました。
夕方の6時か7時くらいの時間だったと思います。
帰りのラッシュが始まったくらいの電車の中で、5~6歳の男の子とお母さんが乗っていた。
どうやら話している内容から、塾の行きか帰りの様子。
その男の子が「疲れた座りたい!」とかなり大きな声でごねている。
3歳くらいの子がするような、いかにもダダっ子というようなごねかた。
母親は、「混んでいるからどこも空いていないわね」と当惑したような、下手に出たような対応を続けている。
それでもその子は喚くようなごね方を続けているので、うんざりしたのか前に座っていた会社員風の男性が何も言わず席を立っていってしまう。
そこにその子が座るがその後も、なんやかやと理由をつけてはごねている。
母親はそれにいちいち応えているのだが、子供のごねはおさまらない。
ここで起こっている「ゴネ」は、前回の事例にあったように「上辺の理由」なのですよね。
だから、いくらそこを解決したとしても、結局子供は満足することができません。
むしろ、本当に気づいて欲しいことに気づいてくれないもどかしさが、余計に子供の気持ちをささくれだたせてしまうことすらあるでしょう。
また場合によっては、このゴネの過程で人として取るべきでない行動や、態度すら身につけていってしまいます。
そういうことは子供のためにもなりません。
どこかで、
「そんなわがままは聞けません、いいかげんにしなさい」と一喝してしまった方が、はるかによかったのではないかとすら思えます。
受け止めるべきところ・子供を本質的に「満たす」ことは、それ以前やその後にでもすればよいのです。
どうも話を聞いていると、その塾へ行かされることだか、勉強をさせられることに対しての不満が蓄積していたような感じでした。
僕は早期教育の必要性を感じないけれども、もしやらせるのだったら最低限心や情緒が満ち足りている状況でなければ意味はないと思います。
もしかするとこの子は、そういった不満をそのような形で出せているだけましなのかもしれないね。
それが出来ない子だと、以前紹介した卒園式のケースみたく心がつまづいてしまうことすらあるから。
それはさておき、この電車の子の見た目がちょっと変だった。
なにかというと、ものすごい厚着だったのです。
今年は涼しくなるのが遅かったから、10月にはいってもわりと暖かい日がありましたよね。
その日は大人でも僕なんかは、Tシャツに薄手の上着で平気なくらいの日でした。
それなのにその男の子は、マフラーを巻いて冬物の上着を着て完全に真冬の格好なのです。
よく、過保護の一例として「厚着」があげられます。
まさにその典型なのですが、厚着をさせてしまう大人に「過保護」以外のものもみつかります。
それはなんでしょう?
それは大人の「自信のなさ」なのです。
「この陽気なら、これを着ていれば大丈夫だ」
と思いきれる自信がその人にないと、どんどん厚着にさせてしまいます。
「これでは寒いのではないか」
「これでは風邪をひいてしまうのではないか」
そんな風に、その自信のなさに流されるまま、過剰なまでの厚着をさせてしまう大人がいます。
このような「自信のなさ」というのも「弱い大人」の特徴かと思います。
もしかすると、明確なビジョンがあるわけでもなく、子供を早期教育に駆り立ててしまうのにも、先行きへの不安とかからくる「大人の自信のなさ」というものもあるのかもしれませんね。
「うちの子は健康なら大丈夫!」って明快に思える人が、少なくなっているような気がします。
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● COMMENT ●
相談させてください
私が保育園に通ってた頃(おそらく年長時)公文式に通っていたのですが、それが嫌だったらしくよく母の膝の上でやりたくないだの、何でやらなきゃいけないのだのぶちぶち文句を言っていたそうです。膝の上でごねるなんてと、母は呆れたそうです。
我ながら、可愛げがない子供だったんだなぁと思います
習わせてもらったのはとてもありがたいことだとは思うんですけど、子供がぶちぶち文句言ったり可愛くない姿を引き出してまでやらせた意味はあったのかなぁと今でも時々思ってしまいます。
小学校に上がるとまた別の習い事を始め、もうイヤだとごねる度に「将来役に立つから」「やっておいて損はないから」「今やめたら中途半端になるよ」「親である自分はやりたくても出来なかった」などと言われていました。
不明瞭ないつかのためではなく、やりたくない気持ちをもう少し汲んで欲しかったなぁとは思います。
何だかグチのようになってすみません。
返信不要です!
どうしたらいいのかわかりません
5歳の息子の、私への執着(?)で悩んでいます。
息子は、私が息子を置いて出かけることを物凄く拒否します。
私は同居していますので、私が居なければ祖父や祖母、父親が息子を見てくれるのですが、息子本人が泣いて嫌がります。
どうしても置いて行かなければならない、保育園の保護者会などは、泣こうが喚こうが置いて行きます。もちろん、前々から説明をしておいて出かけますが、出かけるときはほぼ泣きます。
初めての保護者会の時は、裸足で追いかけてきたり、私が出てからも泣き喚いて物を投げたり1時間ほど大暴れだったそうです(当時4歳)。
今はそこまで暴れる事はないものの、出かけなければならない話をすると目に涙を浮かべながら「嫌だ」と訴えてきます。
友達の家に遊びに行くのも、私が居ないと行きません。息子の友達は子供だけで行って、あとで母親が迎えに来るのですが、うちの子はそれが出来ずに、「ママも来て」と言って私も行かなければ行けません。
私の実家に息子の大好きないとこがいますが、いとこと一緒でも留守番できません。私の母に息子を預けて私ひとりで買い物、なんて夢のような話です。
でも、時々、私の姉と息子が2人で車に乗っていとこを迎えに行く、なんてこともあります。
ちなみに、家に居る時も、友達の家でも、実家でも、私とずっと一緒に居るわけではなく、全く顔を見ないまま1時間以上経つこともあります。
実は下の子を妊娠中に、1泊2日の入院の予定が1ヶ月近くなり、しかも家から少し離れた病院で、息子が風邪を引いていたこともあり、いきなり約2週間会えませんでした。その後は週1位で会えましたが、会っても私に近づこうとしませんでした。入院前相当なママっ子でしたが、入院中は家では1度も「ママ」と言わなかったそうです。
下の子を出産し、家に帰っても私には近づかず、私の顔を見て泣きました。1ヶ月近く一緒に寝てくれませんでした。
下の子は未熟児だったのでNICUにしばらく入院していました。窓越し面会が出来る日に初めて一緒に病院に行き、ガラス越しに私がNICUの青い服を来て弟を抱っこしている姿を見て、突然大泣きしました。「ママ、あの青いのもう着ちゃダメ!」とあとで何度も言われました。
入院がトラウマになっているのでしょうか?
それとも、甘やかし過ぎたのでしょうか?
今は、どうしてもの時しか置いて出かけていません。
泣かれても、どんどん出かけるべきですか?
そうすることで慣れるのでしょうか?
無理やり置いていくことが可哀想で(入院がトラウマならと思うとなおさら申し訳なく思い、)それをしないのは、甘やかしですか?
いつか離れるときが来ると思っていましたが、今の状態が彼のために良くないのであれば考え直そうと思っています。
長文なうえにわかりにくくてすみません。
おとーちゃんさんにアドバイス頂ければ幸いです。
追記です
「ママが入院してた時、どうだった?寂しかった?」と聞いたことがありますが、その時は、「ばぁば達がいたから大丈夫だったよ。」と普通に答えていました。
実際、みんなといるときは本当に平気な感じだったようなので、トラウマってわけでもないのかな?とも思っています。
しのさん
僕は今の人は、大人が相手をしてあげることが多過ぎると感じることもあります。
むしろ子供が自分で過ごす時間というものも大切です。
また、子供が泣くのは決して悪いことではありません。
先回りして子供が泣かないように泣かないようにと関わる人も多いですが、そのような必要もありません。
11ヶ月ですと、授乳や離乳食などは大変ですが、寝ている時間もまだ多い時期ですし、行動の範囲も大きくはないので、子供そのものに手間がかかるようになるのはむしろこれからだと思います。
子供に手をかけすぎるあまり、「腫れ物を扱う」ように関わっていくようになってしまうと子育てそのものが大変に、子供の姿も大変になってしまいます。その点は気をつけたほうがよいでしょう。
子育てについての問題が解決してすめばそれでいいのですが。
ちょっとこのコメントからでは問題点が僕には絞りきれなかったのですが、原因となっているのは子供の様子からではなく、しのさんの精神面の方なのでしょうか?
育児ノイローゼや産後ウツなどもあります。
その結果のネグレクトというのであれば、まずはそちらの方に適切に対処することが大切だと思います。
産婦人科や心療内科などで相談に乗ってくれるところもあります。
また、そういった理由があれば保育園で預かるなどの公的な手段というものもとれますので、問題の程度にあわせて然るべく対処していくといいと思います。
なんにしても、子育てで焦ることはないですし、何ができないこれができないと自分を責めることもないです。
ひとつひとつ出来るところから対処していけば必ず解決のいとぐちは見つかると思いますよ。
かなさん
なので、こういったケースで比較的に多く見られる一般的なものと仮定して書いていきます。
あくまで参考程度にしてください。
まず、なんらかの発達上の問題が原因で子供のこういった姿が引き起こされているとか、その子特有の強い個性からくる場合というのは除外します。
そういったものはどうしても対応法も個別的なものにならざるを得ないからです。
つまり、ここで僕が述べられるのは、これまでの関わり方によってその姿が引き起こされているという場合についてです。
一番原因として考えられるのは「依存」という状況になっているのではないかということです。
トラウマについてですが、たしかにその可能性も考えられなくはありません、ですが同様の状況というのはほかの多くの子供にもあり、とりたてて根深い原因となる可能性はそうそう高くないと思われます。
また、当時の年齢も3歳という一応の成長の到達に来ている段階であり、またその時からすでに2年という時間が経過してもいます。
それらを考えると、そういったこともきっかけや背景のひとつにはなっているかもしれませんが、それが主たる原因となっている可能性も同様に低いと思われるからです。
もし、そのようなトラウマが大きな原因となっているのでしたら、それは個人の精神上の問題であり、僕の立場からはアドバイスしかねます。
まず、保育園に通っているとのことですね。
日常の当園時や保育中の様子はどうなのでしょう。
これまで日常的に保育園に通っていながら、それでも預けられている間中母親を求めて泣き通しであるいった様子がありますか?
であるならば、個別性の問題・なにか発達上の問題という可能性が高くなると思います。
そうでなくて、保育園で過ごしているあいだは普通に楽しく過ごしているということであれば、育ちにおける問題という可能性が高くなると言えるでしょう。
そこで先ほど述べた「依存」について見ていきます。
過保護・過干渉や甘やかし、またそれら直接的で具体的な関わりだけでなく、精神的な過保護・過干渉・甘やかしといったものが過度に積み重ねられてきてしまうと、子供はつらいことや大変なことを自分で受け止めることができず、それらを親に肩代わりしてもらわずにはいられない状態(=依存)になってしまうことがあります。
またこの「精神的な過保護・過干渉・甘やかし」というものは、この記事にあるような「弱い大人」としての関わり方をする人にとても多く見られます。
一例をあげますと、子供が転んでしまったとき、そのケガに見合った程度の心配や配慮であればいいですが、過度に心配や配慮をするようなことをしていると、子供はその守られた状態から自立する気持ちが育たないまま、事あるごとにその過度な心配に守られた状態を求めるようになったりします。
>私は同居していますので、私が居なければ祖父や祖母、父親が息子を見てくれるのですが、息子本人が泣いて嫌がります。
例えばこういったとき、
「あなたは5歳だから大丈夫です!」と親が自信を持って伝えるのと、
子供のその様子におどおどして「大丈夫かしら、おいてってはいけないのかしら。どうしましょう・・」などという気持ちでいるのでは子供の内的な成長に大きな違いがでてきます。
大人の方にその自信がないと、子供もその大人の感情にのっかって、そこへどんどん依存していくことになります。
これも一例ですが、そういったようなことが日々の中で繰り返されていけば、その依存心は高まっていってしまいます。
確かに、5歳くらいでもひとりでトイレに行ったり、暗い所へいったりすることが不安な気持ちというものは多くの子にあります。
それはそういうものだと思って受け止めていいものです。
しかし、大人が過度にそれを気にしていたり、それに対して配慮しすぎてしまったりすると、今度はそれを乗り越える「自立心」というものが育たないままにもなってしまいます。
対応としては
いままだ書いている途中ですが、この記事のような「弱い大人」の関わりなどが子育ての中にないか再確認してみてください。
まずは、大人がその点を認識し、できるだけそうならないようにと意識する姿勢を持つことが必要だと思います。
その上で、子供に対してはまず「自信」を持たせるような関わりをしていくとよいでしょう。
過保護・過干渉・甘やかしにならないようにするのはもちろんです。
そういった「自信」やそこからつちかわれる「自己肯定」というものが、いまの依存という状態から自立へと向かわせる助けになっていきます。
そういったものを積み重ねていった上でならば、先ほどあったような「あなたは5歳だから大丈夫」ということや、「そんなことでは泣かないよ」と大人が自信を持って言った言葉を、だんだんとでも受け止められるようになっていけるかと思います。
あとは「過保護と過干渉」のカテゴリや「心の育て方」のカテゴリの記事なども参考になるかもしれません。
ありがとうございました
息子は、保育園では楽しく過ごしているようです。
別れ際に、「はやく迎えに来てね」と私に言ってから部屋へ向かいますが。
おとーちゃんさんからのアドバイスを読み、まさに「依存」や「弱い大人」にあてはまっていると感じました。
2歳までは本当にイライラすることもなく、ただ可愛いだけで育てていましたが、2歳になる頃に読んだ育児本が「子供を大人に合わせるのは大いに結構。そうすることで我慢できる子になる」というような内容でした。「我慢ができる子に育てなければ」という思いが強くなり、厳しく接することも増えました。
そして3歳の頃。「子供の要求はなんでもすべて応えてあげましょう。そうすることで自己肯定感が育ち、自立して離れていくことができるのです。」という内容の本に会いました。
今までの対応は間違っていた!?という思いや、その頃私が入院したことで息子に対して申し訳なかったという気持ちが強かったこともあり、他人に迷惑をかけることや危ないこと、お金のかかること(笑)以外は、どうにもならないことでなければほとんど受け入れました。出かけるときはどこへでも一緒だったり、お風呂も絶対私としか入らなかったり。
受け入れていれば、いつか自分から離れていくのだ、と信じていました。私も、いつも一緒でも苦ではなかったので、つい・・・。
その頃の対応が、きっと「依存」につながってしまったのですね。
私は自分に自信がありません。まさに「弱い大人」です。息子にはそんな人間になってほしくないので、育児本を読んだりして勉強していました。自分の育児にも自信が持てず、本に振り回されていました・・・。
「あなたは5歳だから大丈夫」。言ってもいいのですね。
こういう事を言っていいのか分からず、口に出せずにいました。
おとーちゃんさんからのアドバイスでこの言葉を見たとき、涙が出てしまいました。
私が「弱い大人」であったために息子は自立心が育たず、私に「依存」している。
関連している記事をもう一度よく読み、今後の関わり方に気をつけて行きたいと思います。
今までいろいろな育児本を読みましたが、おとーちゃんさんの考えが一番納得できました。
もうブレません。
今夜も用事があり、息子を置いて出掛けなければなりません。
息子が嫌だと言ったら、「あなたは5歳だから大丈夫」とハッキリと言って出掛けようと思います。
おとーちゃんさんに相談して本当に良かったです。
どうしたらいいのかモヤモヤしていたものが、スッキリしました。
本当にありがとうございました。
これからも勉強させていただきます!
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ネグレクトではと悩んでいます。
発端は、育児と家事の両立が出来ず、可愛いと思う余裕がないことでした。
遊んであげることが大事と思い、常に遊んでいました。ねんねの頃から絵本を読んだりガラガラを振ったり。一人遊び中も声掛けしたり見守ったり。他事をすると子どもときちんと関わっていない気がして、ずっとそばにいました。結果、全く料理が作れず、自分の食事時間を作るのが精一杯で、冷凍物を解凍して食べていました。寝かしつけのおんぶ中のみ、家事が出来る時間です。音で目覚めると再度の寝かしつけがつらい為、寝たら一緒に休みます。
生活に育児を取り込めない状態に気持ちの限界がきて、子どもが10カ月頃から遊んでいるのを見ているだけになり、ひどいときには放っておくことも出てきました。
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未だに生活を軌道に乗せられない自分に愕然とし、今後の見通しも立ちません。
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