体罰と民主主義 Vol.2 - 2012.12.07 Fri
そこでわいた疑問が、果たしてあれらの政治家たちは本当に教育をよくするためにああいうことを考えていたのだろうかということでした。
教育をよくするための施策だったら、他にもいくらだって考えつくことだろう。
自分で考えつかずとも、首長ともなれば教育に関するさまざまな請願や申請などもいくらでも目にするはずである。
それにGOサインを出すなり、研究・検討を重ねる場を設ける場を指示することはたくさんできるだろう。
しかしながら、どうもそういった教育問題にとりくんでいるそのひとつとして、あのような「体罰が必要」という意見がでたという印象ではない。
そこで思ったのだが、政治家たちは教育問題としてあのようなことを企図しているわけではなく、
「上にあるべきものの権威を高め、それら権威が幅を利かせる社会」というものを志向してそういった考え方がでてきているだけなのではないかと、いろいろ考えてみて感じてしまう。
そういった自分の政治思想を実現するために、教育の場をだしにしているとしたら、なんともそら恐ろしくなる。
● COMMENT ●
No title
政争の具となる‘子育て’
その中でも、ここ数年の選挙の傾向として、「子育て支援策」「教育改革」のアピールが浮動票を取り込む目玉にいいように使われているような気がしてなりません。
中身のない箱物(保育園を増設)
子ども手当てのばらまき などは子育て期の女性を
いじめ対策には体罰も必要発言 は、昔型の発想に固まる男性を
それぞれ心地よく刺激して投票に繋げようというものなのではないかとすら思えます。
そんな政治の目指すところは、結局「いかに幼少期から御しやすい国民を育てるか」なんじゃないかとうがってみれば、‘そんな程度’に育て上げられた国民の作る未来の日本には、なんだか大した希望は持てそうにありません。
保育や教育の現場で日々、時代の変化に敏感に反応している子どもたちと向き合って、なんとか彼らの幸せを願って工夫を重ねている人たちは、「お上のお達し」に幾度となく翻弄されて、そのたびに新たな苦労を背負い込んでいますよね。
真面目で心優しい若いパパ・ママたちもまたしかりだと思います。
若い男女が結婚や子どもを持つことに、不安や懐疑や自己犠牲の感情ばかり持たずに済むような社会にしないといけませんよね。子育ては文句なく楽しいもの、そして親も成長できるとってもステキなもの・・・とみんなが信じられる世の中になるといいですね。
やまねこさん
これはほんとにそうですね。
特に公立の施設はダイレクトに影響されます。
ある都立高校の先生も石原都政になってから、なんとはなしにさまざまな部分で窮屈になったとこぼしておられました。
「子育て新システム」なんかも、本質的には切り崩しなのだけど、謳い文句の部分だけアピールしてそれをあたかも全てがよくなるかのようにアナウンスされていたので、一般の人は簡単に騙せてしまえるでしょうね。
こういう福祉分野に関わっていると、そういった政治の不誠実さをしばしば目の当たりにするでつらいです。
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そこへもってきて、教育の問題。
日本の自虐史を改める事や幼児教育からの子育てに関する見直しやいじめ、心の成長を含めた学校の教育内容の見直し等、私達が望む物が出てくるのか、甚だ疑問があります。
第三極などと持ち上げられている維新の会等は、ハッキリ言って票の事しか頭にないのではないだろうかと思われます。
政治家は色々良い事を言いますが、所詮は票なのかな?
国防に関しては日本の毅然とした対応が成されていないため、チベットやウイグルの例がある為に不安が募ります。
この先、子供達の為に明るい未来を作らないといけないですね。