食の変化 - 2013.02.06 Wed
夕食の風景です。
のび太くんのパパはおらず、ママとのび太くんドラえもんがテーブルについています。
ママのところには焼き魚。
一方、のび太くんとドラえもんのところにはハンバーグがあります。
こういったテレビや映画で描かれるものは、そのときそのときの世相を表していると思いますが、まさにこういうのが現代の食事風景として当たり前のものとなってきているのでしょうね。
まず、夕食時に父親がいないということが、現代ではおかしいことでもなんでもなくもはや普通のこととなっています。
「忙しいからやむを得ない」という意識の段階ではなく、もうそれは「当たり前」な世相となっているといえるでしょう。
また、大人と子供で食べるものが違うというのも、少なくない家庭で違和感のないこととなっている現実もあるでしょう。
でも、僕からするとそのことにはすごく違和感を覚えます。
大人と子供が食べるものを最初から分けていたら、子供は「食べられるものしか食べられない」「食べたいものしか食べない」という子に育ってしまうでしょう。
子供は、苦手なものや見たことないもの、慣れないものも大人がそれを食べているから、「おいしい」」と言っているから、自分も食べてみようという気になるのです。
すぐに食べられるようにならなかったとしても、それは将来への積み重ねとなっていけます。
食卓の変化は、単に食の問題に留まらなくなるでしょう。
以前コメントで教えて頂いて
<現代家族>の誕生 ―幻想系家族論の死― 岩村 暢子 著
という本を読みました。
これは、60年代生まれの家庭を持っている母親の食の調査を中心に、その母親である祖母世代への聞き取り調査などと合わせて、戦後日本の食文化の変化や人々の考え方を考察したものです。
単に食卓の変化にとどまらず、広範な考察へと発展してくので内容を一口に説明するのは難しいのですが、その中ですでにこの60年代生まれの親たちが子供の時代に、上のような子供の食べたいものを食卓にのせる家庭の風景があったことが述べられています。
その中の聞き取り調査における祖母たちの言葉がありますので、以下に引用します。
・「子供の好き嫌いを作らないために、私は『子供の食べられるもの』を出すようにしていましたから、娘はウチで食べるものに好き嫌いはありませんでした」(六七歳)
・「日ごろ子供中心の食事にしていましたから、私の作るものに子供たちは好き嫌いなんてなかったです」(六二歳)
・「嫌いなものを食べないのは仕方ないことですから、無理強いをしなくていいように子供の食べたがるものを作るようにしていました。だからウチは好き嫌いで困ることはありませんでした」(六八歳)
p.167~168
最初から好むものしか食卓にださないで、それを残さず食べたからといって、それは「好き嫌いがない」とは言えないはずなのですが、どうもそれでよしとする風潮がこのころから出てきたようです。
そして驚いたことに、こういったケースは少数派なのではなくて、調査対象となった人達の多くに共通している考え方だったのです。
ほかにも様々な矛盾とも思えることが紹介されています。
その祖母世代の人たちに、冷凍食品ばかりのお弁当や、コンビニ弁当の夕食、カップラーメンの朝食や昼食の写真を見せ、「こういった食事についてどう思われますか?」と質問すると
「ヒドいですねぇ。食事はもっときちんと作らないと駄目ですよ」(p.5)
「これは、子供のころからいい加減な食生活をしてきた特殊な人でしょう」(p.6)
「ウチの娘には、こんなことはありえない」「この人たちと違って、ウチの娘は良くやっている」(p.6)
「お母さんはもっときちんと食事を作らなければ」「主婦はもっと家族に愛情を込めなければいけないわ」 「ちょっと手をかければいいことじゃないですか」(p.16)
「親は子供が小さいうちに食習慣をつけてやらないとね」「野菜もちゃんと食べさせないといけないでしょう」「こんなことじゃ子供を躾けられないでしょうに」「子供がかわいそう」(p.16)
といった答えが返ってくる、
しかし、それらに娘が作ったものが含まれていることを伝えると、一転してそれらを許容するようなことになってしまう。
「娘がしたら?私は別に何も言わないです。…だって今の若い人は、それはそれでいいんじゃないですか?」(p.16)
「娘は娘の生活で、娘と私は食事も全然違うと思うし、口を挟まれたら娘もイヤだと思うので言わないのです。」(p.16)
「私はしませんけど、娘たちがそういう食事をしていても…自分たちの家庭だから別にいいですよ。私は何もいいません」(p.16)
これらのことが「個人の尊重」といった文脈で祖母世代の人たちから語られる。
一般論、常識論に個人の恣意的な行動が勝ってしまう。
同著では、なぜ祖母世代の人たちがそういった考え方になってきたのかについても、様々な傍証をあげ説明していく。
そのあたりもこの本のおもしろいところであるが、長くなってしまうのでここでは詳しい話を割愛する。
なるほど、こういった生育歴を経てきていれば、最近の親世代の家庭で様々な食の問題が起きること、また食に留まらず、自己中心的な考え方や、他者に対する攻撃的な姿勢や極端なクレームなどを付ける人が増えてきている現代の様子が引き起こされていることも、なんとなくうなずけてしまう。
「食」というのは、人間が生きていく上で必要不可欠です。
でもそれはただ単に、栄養素をとればいいということではないのは言うまでもないことです。
そこには、様々な文化的なものが詰まってもいるし、情緒や精神的なものを満たすということも多分にあります。
子供の成長にとってもそれは重要な意味をもちます。
最近では、1~2歳の子に対してすら「個食」の状況が生まれていると言われています。(かつては、小中高生に言われていた)
このことも、親子がバラバラなものを食べるようになったことと、けして無関係ではないでしょう。
はっきり言って、1~2歳から「個食」(つまり一人ぼっちで食事をしていること)の状況に置かれている子で情緒も安定し、他者ともうまく関わることができ、健全に育っている子というのはまずいません。
もちろん、その子には個食以外のさまざまな関わり上の問題がありますから、「個食」がそれらのすべての原因ではありません。
しかし、そういった状況を平然と子供にさせてしまう、親のあり方というものが端的に現れているとは言えるでしょう。
ライフスタイルの変化というのもわかりますし、便利を利用することが必ずしもいけないというわけではありませんが、あまりにもそれらに流されて「食」を軽々しくあつかってしまうことは、人の育ちや家庭のあり方に大きな影響を与えることだと思います。
● COMMENT ●
No title
食卓
私自身は小さい頃、各自取り皿に分けられていたので、苦手な物も食べていました。
自分が作る子どもたちの食事は、基本的に大人と同じですが、やはり食べの悪い物は作る気になりにくいですね。4、5品あればいいですが、せいぜい1汁2菜程度の食卓で、1品をほとんど残されては困るなぁと思ってしまいます。ただ最近、祖父の畑で自分が収穫を手伝ったたり、野菜の皮むきを手伝ったたりすると、苦手だった物も食べてみる気になるようです。
食に対する姿勢が、様々なことに影響することを肝に銘じて、出来る限り様々な物を楽しく食べられるようにしてあげたいです。
No title
自分たちが「家事を押し付けられてきた」時代の女性であり、「家事を手抜きすること」に対する文句は不当なものだ、という刷り込みがあるように思います。
それは、子供世代(今の親世代)への思いやりなのでしょうが、そのことで、孫世代にしわ寄せが来ていることには見て見ぬふり、、、あるいは気づいていないのでしょう。
今の親世代が、そういう時代背景に気づくだけでも、多少は気持ちに変化が生じるのではないかと思うので、おとうちゃんさんのこういう声には意義があると思います。
祖父母世代こそ偏食、という実感
が、あえて違う視点でコメントさせてください。
夫とよく話すことですが「お年寄りはよく、若い世代の偏食を指摘するが、高齢者こそ食べ物の好き嫌いと食わず嫌いが多いのではないか?」と感じます。
和食で育ったから(洋食やエスニックを食べようとしない)、だけではありません。
魚は嫌だとか、鶏肉は食べないとか、わりとはっきりと、主要な食材を避ける人は、今の中年以下の世代より、高齢者に多くありませんか?
私の実家も、夕食に和のメインと洋のメインが並びましたが、それは子供だった私が和食を食べないからではなく(むしろ食べていました)、クリームシチューやトマトソースのソテーなどを父親が「もひとつや(いまいち、という関西弁)」といって、一切口にしようとしないため、仕方無く父のために別のものを用意していた、というのが現実です。
夫の実家も、彼が食べない食材はないのに、父母が食べない料理が本当は好物だったから、出してもらえなかった…と言います。
他の世代を責めるつもりはありませんし、今高齢で食べるものに限りが出てきたことは非難しませんが、我々の子供時代、今の我々の年齢だった当時の親たちは、間違いなく我々より好き嫌いが激しく、食べ物を選り好みしていました。
戦前生まれも団塊世代も、食の許容範囲が狭かったのでは!?と感じますが、いかがでしょうか。
食について
最近、息子と一緒にお料理するようになりました。私自身、料理の勘所がないせいか、2歳足らずの息子にどういう風に関わってもらったらいいかよく分からず試行錯誤中です。私は、お手伝いをあまりしなかった子供で、親も手伝うより勉強や習い事しろというタイプだったのですが、小さい頃におばあちゃんと一緒にお料理して嬉しかった記憶は何となく残っているのです。
もちろん、自分のご飯は最低限自分で作れるようになって欲しいな~という目論みはあるのですが、(私はそれが出来ず、一人暮らししてた時に後悔しましたので)息子と一緒にお料理して、楽しいね~美味しいね~をたくさんやる!というのが私の夢です。
miyuriさん
内容をセンセーショナルにするために、著者が顕著な例をとりあげているのでなく、著者や調査の担当者たちも同様に驚いたということから、やはりそれが現代の真実なのでしょうね。
ゆかりさん
>60~70代の祖母世代は、確かに、子供の家庭にあれこれ口うるさく言わないようにしなければ、、と半ば強迫的に考えているような気がします。
自分たちが「家事を押し付けられてきた」時代の女性であり、「家事を手抜きすること」に対する文句は不当なものだ、という刷り込みがあるように思います。
僕も同感です。
かの世代が、不当に押し付けられてきた(もしくはそう思っているもの)、新しい時代において獲得したもの、そしてそこで得られたものと、失われたもの、悪く言えばそのしわよせ、よく言えばその調整の時代に来ているのでしょうね。
No title
ブログいつも参考にさせていただいています。
ですが、今回は、途中で読むことを中断してしまいました。
それは、母親達への批判に感じたからです。
最後まで読み意図するところは分かるのですが、藁をもすがる気持ちでここにたどり着いてきた母親達は、まじめな方が多いと思います。
まじめだからゆえ、悩み苦しんでいる方達で私も実際そうです。
子供が生まれてから母親は、否定ばかりなのです。
ミルクを与えれば、母乳じゃないとダメ
母乳を与えれば、いつまで母乳をやっているんだ
抱っこしていれば、抱き癖が付く
抱っこしなければ、スキンシップがたりない
保育園預けて働けば、まだ小さいのにかわいそう
専業主婦で子育てしていれば、働かないの?
何をしても否定です。
食事のことは良く分かるのですが理想ですよね。
まじめだからこちらのブログにたどり着いた方は、もうみんな分かっています。
子供のこと、家族のことをなんとも思っていない人、自分が間違っていないと思っている人は、こちらのブログをのぞくことは無いと思います。
ですから、こういうのはいい、ダメのような内容はこれ以上やめてもらいたいです。
保育士おとーちゃんだからできる子供への接し方のアドバイス、おとーちゃんの家庭でのできごとなどの内容でお願いできないでしょうか?
ブログは読み手が判断し、嫌なものは読まなければいいのかも知れませんが、書き手も不特定多数の方が読むことを考えて頂ければとおもいました。
cocue-cocueさん
祖父母世代といっても、いまではずいぶん年齢に幅がありますが、モノや食の乏しかった時代に育った団塊の世代の人たちですら、食の選り好みや、モノを大切にしなかったり、食べ物や食材を無駄にすることにむとんちゃくな人も多く、驚きと違和感を覚えることがしばしばあります。
時代の流れというものもあり、その世代の人たちに責任を押し付けられるものではありませんが、食に限らず様々なことも含めて、なぜこの世代にこういったあり方がでているのかと見ていけば、
敗戦により、それまでの既成の価値観が崩壊したこと、一種のモラルハザードがあったことや、それまでの価値観に対する反動、そしてその後の価値観の変化の中で過去や現状を省みることもなくあたらしいもの、あり方・考え方を受け入れ続けてきた結果なのだろうと思います。
もちろん、こんな一口で片付くことではありませんが、大枠だけ見ればそういうことゆえの現状がその世代にはあり、その子供・孫世代にそこでの種々のことがだんだんと大きく投影されて現れているのだ、と。
この本は、そういう面を浮き彫りにして見せてくれていると僕は受け止めつつ読みました。
しかし、これらのことをいい悪いで断罪するのではなく、この現状を調整したり、乗り越えていくのが僕らの世代の役割なのではないかと思います。
僕は子育てという分野でこういうことを言ったり、考えたりしていますので、どうしても心情的だったり抽象的だったりになりやすいですが、
実際はこれと相似的なことが、おおくの組織や会社のなかで現実に起こっているだろうと思います。
かつての世代が交代していく中で、当たり前であったことを大きく切り替えたり、反対がありつつも乗り越えたりして現代においてあるべき姿に変わりつつあるようです。
昨年業績不振と大規模なリストラを発表した某大手電気会社では、これまでのやり方に固執したその世代の重役たちの判断で引き起こされたということが指摘されました。
どの時代でもそうですが、いいものは残し、よくないものは見直していくということが、子供を持つ親の世代の仕事なのでしょう。
僕はこの本を読んでいて、子育ての中で感じていた様々な世代・世代間の問題がクローズアップして見えてきた思いがしました。
いろいろ勝手なことまで書いてしまいましたが、読んでくださってありがとうございました。
とかちさん
そして、それはしょうがないものでしたから、そういうことを不満に感じたことなどもありませんでしたが、だからといって進んですべきものでもないということも今はわかります。
キューピー3分クッキングのキャッチコピーが「愛は食卓にある」なのですが、あれを聞くといつもうまいことを言うなーと思います。
かずさん
しかし、僕自身は特定の誰かの批判や、世の中の母親たちへの批判として書いているつもりはありません。
批判として取ろうと思えば、僕の書いている記事のその多くが批判としてとることもできるかと思います。
特にこの「日本の子育て文化」のカテゴリはそうです。
それはそもそも、このブログを書いている原動力の一つが、当たり前と思われていることへの懐疑だったり、疑問だったり、気づきだったり、場合によっては啓蒙に近いものだったりしているからです。
子育ては突き詰めていくと、子供への関わり方だけでどうにかなるものではないと思います。
人々の考え方や社会のありかた、そういったものも一緒に考えていくことで、よりよい子育てを望めるのではないかというのが僕のスタンスです。
今回の記事は、家庭の食を便利や周りがそうだからに流されてこのままいっていいのだろうかという疑問であり、警鐘であると思って書いています。
かずさんのコメントに先立つコメントにも、このような意見が有用であると仰ってくれている方もいます。
>保育士おとーちゃんだからできる子供への接し方のアドバイス、おとーちゃんの家庭でのできごとなどの内容でお願いできないでしょうか?
かずさんがこう書かれていたような、家庭での出来事などを書いても、「ただの親バカの子供自慢じゃないか、読んで不快になった」というコメントを残す人もいます。
不特定多数だからこそ、このようなネットの上で書いてあるものは全ての人を満足させるようなことは書けないし、全ての人が読んで不快にならないように書けるとも限りません。
また、当たり障りのないことでしたら、すでにたくさんの育児書や雑誌などたくさんの情報が出ていることと思います。
僕は僕自身が子育てのために必要だと思われることを、真摯に考えて書いています。
そのなかには間違っているものもあるかもしれません。
ですが、ブログというものが本質的に個人の日記であるというですことから、それは許容される範囲のことだという認識でおります。
どうかそのあたりをご了承の上、ご利用ください。
No title
相談をいくつかさせて頂きたくメール致しました。お忙しい中大変恐れ入りますが、お時間のあるときにお返事頂けたら嬉しいです。
食事について
朝食や夕食など「ご飯の準備出来たよ~さあ食べよう」と言っても遊びに夢中になり、「~やってるから」「これしてから」「食べない!」「嫌だ」と言って席に着きません。ちゃんと席に着く時もあるのですが、私達が終わるころに「食べる~」と言って席に着くので、私は片づけしながら息子は一人で朝食を食べる事があります。(夕食はあまりそういう事はありませんが、特に朝食は多いです)
息子は言葉もよく話し、親が言っていることはほとんど理解しています。「一緒に食べたほうが美味しいし、お母さん一緒に食べたいから席につこう」とか「食べるっていう時に食べないとご飯片づけちゃうよ」など言っているのですが、もっといい声掛けがあるのでしょうか?以前、「子供にはっきりと物事を断言していいのはどこか」のコメントの中で食事と出ていたので、これも当てはまるのかなぁと思いました。
また「食の変化」で、みんなで食べる習慣が減っている事や孤食についてコメントされていました。我が家の朝食は、私と息子で食べています。(息子が寝ている朝早くに出勤するので)夫は19時くらいに帰宅するので、一日のうち夕食くらいしか顔を合わせないので、夕食はみんな揃って食べたいと思い19時くらいまで待っています。息子はおなかが空くので、炊けたごはんでおにぎりやおかずをちょこちょこ食べてますが…
周りのお母さん方に聞くと、夫なんて待たず17時半や18時くらいに先に子供と食べちゃう!!と言っていたので、19時まで待ってると遅いのでしょうか?
差支えなければ、参考程度におとーちゃんさんはお子様とどのようなタイムスケジュールで過ごしていらっしゃるのかお伺いしてもよろしいでしょうか?朝何時くらいに子供を起こして、昼食の時間、お昼寝は何時くらいから何時まで、夕食お風呂就寝時間など…当然都合などによって変化するかと思いますが、ご迷惑にならない程度に教えて頂けたら勉強になります。
子供と一緒にスーパーへ買い物に行くことについて
息子と二人でスーパーに買い物に行くと、必ず愚図るのです。以前スーパーに行った際、かなりわがままを言って泣いて愚図って大変だったので、スーパーに入る前に「お店の人や他のお客さんが困っちゃうから、商品には絶対触らないでね」「お母さんのそばでついて来てね」「わがまま言ったらもう一緒に連れて来れないよ」(これはおどしになるのでしょうか…)と言っているのですが、商品に触り、自分でかごの中に入れたがります。
袋に入っているもの例えばふりかけなどはいいのかもしれないのですが、包装されていない果物やパックに入ったお肉のラップを触ったり、むき出しの商品を触ります。幼児用のカートに乗せても「降りる!!」と騒ぎます。降ろすと自由に動き回るので、触らないか見て、「触らないよ~」「こっちに来て」と毎回言いながら買い物するのが大変なのです。
すくすく子育てで子供に簡単な商品と1円くらいのお金を持たせて、レジの人に「ピッってしてもらおうね」「大事に持ってレジに行こうね」と言うと上手くいくと聞いたので、やってみたのですが全くダメでした。「お母さん持ってて」「重たい」などと言って違う所に行ってしまいます。どう声掛けすれば落ち着いて一緒に買い物出来るのでしょうか?
お買いものごっこやレジに興味があるようなので、そういう遊びをしてあげたほうがいいのでしょうか?今その辺にある紙や丸いプラスチックをお金にみたててレジごっこしているのですが…男の子でも興味を持つものですか?
もしお買いものごっこでお勧めの遊び方や玩具があれば教えてください。
幼稚園について
来年の春に幼稚園で先なのですが、どんな幼稚園があるのか今見ている所です。もちろん子供の個性や性格で合う園、合わない園があるかと思います。
調べていくうち、お勉強系で文字や数字、英語、体操、水泳などに力を入れていたり、それを特徴にしている園もあれば、のびのび系でお勉強はあまりしないなどいろいろありました。私は勉強なんて後でいいから、自分の納得するまでたくさん遊んで育ってほしいと思っています。一般の幼稚園がやっているカリキュラム、少しくらいはお勉強や体操などさせたほうがいいのでしょうか?
調べていくうち、森のようちえんというのもあるようです。園舎を持たず、自然の中で、自然と触れ合って過ごすという幼稚園のようです。私はそこが魅力的に感じました。
長文になり申し訳ありません。お忙し中恐れ入りますがどうぞよろしくお願い致します。
No title
子供の昼寝についてです。
子供をどんなタイミングで、どのように昼寝させたらいいのか分からなくなってきました。
息子(2歳5ヶ月)はだんだんと昼寝をするのを嫌がるようになってきました。午前中早くから思いっきり走ったり遊んでも体力がついてきたのか眠たくないみたいで…
眠たくないなら無理に昼寝をする必要はないですし、寝なくてもいいと思っています。でもたまにですが、昼寝をしない日は夕方くらいになると疲れてくるのか、気に入らない事があったりすると泣きわめいて愚図り出し、夕方くらに夕寝をしてしまいます。夕寝をすると夜寝てくれないので、なるべく昼ご飯を食べた後にすんなり昼寝をしてくれたらと思っているのですが…
夕寝されるのはリズムがくずれるかなぁと思い、「まだ遊びたい!!」と泣いて騒ぐ息子をおんぶして強制的に寝かしているのですが、もう息子の体重が重くておんぶで寝かしつけるのは腰が痛くて限界に近いです。
おんぶするとすぐ寝てしまうので本当は眠いのだと思います。でも寝るのはもったいない!まだまだ遊びたい!やりたい事いっぱい!という感情があって「寝ない!」と言ってるのでしょうか?
一緒に布団に入って横に寝ても「お母さん起きて一緒に遊んで」と言ったり、ずっと一人で起きて遊んでいることもあります。
昼寝しなくても夕方愚図ったりしなければいいのですが、激しく愚図るので昼寝させなくていいのか、おとーちゃんさんはどうやってお子様をお昼寝させていらっしゃるのかお聞きしたいです。
夕食作りについて
おとーちゃんさんはどんな時間帯に夕食準備されていますか?周りの人は夕方テレビを見させてる間に作るとか、昼寝している間や朝出かける前に下ごしらえをしておくなど、いろいろ工夫されているようなのですが…
午前中は朝から外遊びに連れて行き、昼寝もあまりせず、夕方テレビを見ている間に夕食をつくろうと思ってもすぐ飽きて「お母さん一緒に遊んで!」と引っ張ったりして、ゆっくりご飯を作る時間がなくて…私自身要領が悪いのだと思います。
おとーちゃんさんはいつも夕食作る時どんなメニューを考えていらっしゃいますか?やっぱりパパッと10分くらいで出来るメニューだったり、出来合いの物に頼る時もありますか?もし、料理本などでおとーちゃんさんが参考に見ているおすすめの本(短時間レシピ等)があればぜひ教えて下さい。
沢山質問してしまい申し訳ありません。お時間のある時にお返事頂けたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願い致します。
みなみさん
まず、大事なのはみなみさん自身のもつ「自信」ではないかと思う。
かける言葉の言い方にも、よりよい伝え方というものはあるのだけど、でもいくら「うまい言葉」を選んで伝えたとしても、大人の姿勢や普段の関わり、そしてそれをきちんと伝えなければという意思、それらをひっくるめて子供とそれで関わっていくのだという自信がなければ、なかなか伝わりません。
そして、そういうものをきちんと築いてきていれば、視線やうなずきだけで子供と意思を通わせたり、困ることを困ると伝えることすらできます。
また、そういった自信があれば、よしんば言い方が多少悪くたって子供はそれできちんと理解し育っていけます。
むしろ、そういう自信をもてていない人ほど、くどくどと空虚な言葉を重ねて行ってしまう傾向があるので、返って言葉をスルーしやすい子になっていくことがあるように感じます。
つまり一種の過干渉状態です。これにおちいっていないかも確認してみましょう。
そうなってしまうと、子供も大人の言葉を聞かない、聞き流すことがクセになってしまいます。
本当に困る行動に対してなら怒ったっていいんですよ。
これに関しては、「弱い大人」で検索して関連記事を見てください。
また、子供の大人の思い通りにならない行動の一挙手一投足を変えていこうとすることから、視点をいい部分を認める方向に切り替えていくことで、子供の内的な自発性を伸ばしていくことも、ひとつの対応策になると思います。
こちらは「Fがない」の過去記事が参考になるでしょう。
個食や、父親のいない食卓については、これは無理にでも直さなければならない個々の家庭の問題という意味ではなくて、現在のそのような文化的なあり方について述べたものですから、無理に合わせる必要もないでしょう。
特に食事時間というのは、体のリズムと関係してきますので、食事が遅いと就寝も遅くなったりなどにもつながります。無理に父親の帰りをまたずとも、小さいうちは子供に合わせた食事時間でいいかもしれませんね。
生活時間は、個々の家庭の状況によりけりなので絶対正しいなどというものありませんが、小さい子供にとっては、早寝早起き・できるだけ毎日の時程が一定であることに気をつけるといいと思います。
昼寝は、子供の体力や生活内容、よく寝る子寝ない子の個性、などなどがあってどの子も一律にしてくれるというものでもありませんので、寝ないならば無理して寝かさなくてもいいでしょう。
ただ、ときどき昼寝をしない、夜なかなか寝ないなどの相談を受けたとき、よくよく生活状況について聞いてみると、毎日が朝寝坊状態で朝起きるのが遅いということもよくあります。
みなみさんのところがどうかわかりませんが、少しの早起きを心がけることで生活リズムが安定してくることもあるというお話です。
うちの子供たちは、もともとの気質もあるのかもしれませんが、生まれた時からの生活習慣やリズム、それらの「生活面に対する安心感」というようなものを重視して育ててきているので、昼寝に関してものすごく安定しています。
よほど特別なことがなければ寝ないということがないのですよ。
だから、「これこれをすることで寝ます」みたいなものは特にありません。
買い物ごっこなど興味があることならば遊びにしてみるのもおもしろいでしょう。
経験というのは多くのことが遊びにつながっていきますよ。
幼稚園にどんなことを求めるかは、人それぞれですし子供の合う合わないもあるでしょう。
なので、見学してみたりプレ体験などの機会があったら利用したりなど、雰囲気を肌で感じてお子さんや親として望むものに合うところを選べば良いかと思いますよ。
僕自身は、むーちゃんを幼稚園に入れるとしたら、お勉強よりも実際の体験・経験、子供の自由な表現などを大切にしてくれるところで、親の介入をあまり求めないところにしたいと考えています。
夕食は作りについてのところはうまく言うのが難しいのだけど、しいて言えば最初に書いた「自信」でしょうか。
「子供が泣こうが喚こうが、今はご飯を作らなければならないのだ!」という確固たる気持ちを内心もっている一方で、
「いまは相手をすることができないけど、あなたのことは見ていますよ。安心して遊んでいなさい」というおおらかな気持ちも同時に持ちながら、
そういった大人の忙しいから子供が感じる不安をカバー出来るだけの、受容や肯定をそれ以前のときに良い関わりとして、子供に与えてあるし、
さらに、ご飯を作るときはそれどころではないので、いちいち優しい顔を向けていなくとも、食事の時は機嫌よく一緒に食事をたのしむ。
そしてそれらが、毎日の中で日々の積み重ねとしてできてていくことで、安定して生活の中にも子供の中にもできていくという状態にすることで、夕食を作っているあいだも困らせずに過ごしてくれるようにしてきたと思います。
料理に関しては、特にあんまり見たりするものはないなあ。
たまに馴れない食材が余ったりした時にクックパッドで検索してみるくらい。
どっちにしても、今後子供の成長は大きく伸びていく時期だから、だんだんと待ったりすることもできるようになって、さほど夕食時の大変さというのもなくなっていくと思いますよ。
No title
お返事を見て、ハッと気付かされました。息子に対しての対応に自信がなかったのだと…まさにその通りです。
おとーちゃんさんのコメントを見ていつも勉強させて頂いているのにも関わらず、頭では分かっているのにいざ息子がぐずったり、無茶なワガママを言ってきた時に、泣かれたら嫌だなぁとか、どう言えば良いのか、息子に分かってもらえるんだろう、これで私いいのかなと考えてしまってました。自分はこうするんだという自信がないから、いけない事はいけないと毅然言えないでくどくど言ってたと思います。
もう一度初心に返っておとーちゃんさんのコメントを読み返したいと思います。文章だけで人の状況や奥深くの気持ちをズバリ言葉で言い当てられるおとーちゃんはすごいです。
これからもブログ楽しみにしております。
ありがとうございます!
私もこの本についての記事を書こうと思いつつ、ついつい後回しになっているのですが、何だかここまでおとーちゃんさんがちゃんと書いてくださってたら、私が書かなくてももういっか~って気になります(笑)
以前、拙ブログにて「集団生活、って家庭もそうだよね。」という記事を書きました(URLはそこにリンクしてます。良かったらご覧くださいませ)。そこで私が書いたのは、他の家族に合わせた生活をするという「訓練」ができないと将来的に子どもを持ったときに、我慢ができない親になるんじゃないかってことでした。
それで以前、そういう親御さんが増えているっていうおとーちゃんさんの記事のところでこの本の話をさせていただいたのでした。
おとーちゃんさんと、考えている方向性が同じようで、すごく嬉しいです。本当に子育てをしている身としては、「そういう流れがある」ということを感じる、知るということは決してマイナスにならない、と思います。
また、精神的なよりどころとしても、共に食事をとることが大切、まさにその通りですね。うちの娘も、食事時に幼稚園であったことを話してくれることが多いです。やっぱりイヤでも顔突き合わせて、「何か話さないと」って気にさせてくれる食事の場って有難いものなんだと思わされますね。
大家族だったらできなかった、「個食」。正直、そんなところにまで個人主義化が訪れていることに危機感を覚えます。
時代遅れかもしれませんが、それでも「家族」っていう単位を大事に守っていきたいって、人としてそこは何とか死守したいって私は思います。
と、いうわけで我が家では休みの日のダンナ、眠そうにしてても無理やり起こして一緒にご飯食べさせてます(笑)
鬼嫁ですよね~でも、なるべく多い回数、家族みんなで一緒に食べたいということで。。。まぁ、夫婦仲が険悪にならない程度にですが♪
へぶぶさん
子育てしているたくさんの家庭と関わってきて、祖父母世代のあり方、孫や子への関わり方、子育てへの考え方、いろいろとひっかかるものを感じていました。
この本を読んで、そういった漠然としたものがだいぶ形になって見えてきた感じがします。
今回書いたものも、この本のごく一部についてに過ぎませんし、ぜひお時間あるときにでもへぶぶさんも思うところを書いてみてくださいよ。
僕も、この本の内容に限りませんが、この祖父母世代と現代の子育ての関係についていくつか書きたいと思っていることがまだまだあります。
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その前に、同じ著者の、「家族の勝手でしょ!」という本が
新聞の一般投稿欄に紹介されていたので読んだことがあります。
こちらはえんえんと、「一般家庭の食卓」が写真で紹介されつづける本です。
読んでみて別世界の話のような気がしました・・・。
今日のブログ記事を読み、うちの母(70)が言っていたことを思い出しました。
「一回(食卓に)出して、あなたたち(娘二人)がキライっていったものは、つくらないようになっちゃうのよね。」
実家の食事ではこういうメニュー食べなかったよね~という昔話に対するせりふです。まさに紹介された本のとおりです。
食事内容についてはいろいろ気をつけていますが
ちょっと気になっているのは
私が家事をすませながら立ったり座ったりで
時間のかかる子供たちだけ座ってごはんを食べている時間が多いということです。
子供たちも「おかーさんと食べたい」というのですが
寝るときもべったりで、3人いるので、
つい、これ片付けてから、と思ってしまいます。