遊べない子に遊ぶ力をつける その3 ―遊びの援助― - 2013.04.23 Tue
遊びは子供が自立的に、自分で遊びをみつけ、それを展開し遊びこんでいくことがひとつの目的なのですが、遊ぶ力のついていない子はそれがうまくいかないわけです。
そこで、「遊びの援助」ということをしていきます。
一般には、子供に対して大人が「遊んであげる」という風に考えている向きがあります。
一般でなくとも、保育士やその他の子供向けの施設でも「遊んであげる」ことが、子供に対して手をかけていることなのだと考えているところが少なくありません。
しかし、子供自身の育ちのなかで「遊び」ということを考えたとき、「遊んであげる」という考え方では不十分と言わざるを得ません。
保育の目的が「その時だけ過ごす」という「子守り」であるならば、遊んであげて子供の間を持たせておけばそれでよいでしょう。
しかし、それでは保育としては二流以下のものでしかありません。
子供の力は「遊び」を通して様々に伸びていくものなのですから、子供自身に「遊ぶ力」というものを持たせることが大切です。
日本の子供への考え方において、「遊んであげる」ことが丁寧な関わりなのだというものは根強いようですが、保育士はこのことをきちんと明確に捉えている必要があるでしょう。
そこで、遊べない子供に対して遊びを提供していくなかで、ときとして「遊びの相手をする」ことも出てきますが、それは自立的に遊びをできるための経過点として考え、それに終始しないように留意することが大切です。
なので、子供への遊びのアプローチを「遊びの援助・サポート」と捉えます。
(とはいえ、遊びの「おもしろさ」を伝えることが必要なことがありますから、大人がイニシアチブをとって遊びに介入して子供と遊ぶということもあっていいでしょう。上の考え方はそれを否定するものではありません)
個々の子供の遊びへの興味、遊びに取り組んでいく力というのは様々ですが、遊ぶ力のない子はその遊びの面白いところまで遊び込めないので、遊具での遊びがよい形で発展していきません。
その遊び込めないにも人によりいろいろです。
集中力が散漫で、周りへの気が散りやすく遊びが長続きしない、刺激を求めるために本来の遊具の遊び方ができないなどなど。
それを大人が援助をすることで、本来の遊具のおもしろさが感じられるよう、遊びが持続するためにつきあっていきます。
先ほど述べたように、「遊んであげる」ことが目的ではありませんから、その相手の仕方も少なくて済むなら少なくていいのです。
大人がそばにいることで安心して遊び続けられる子であるならば、なにも大人が子供と同じように遊びに入らなくてもかまいません。
ときどき「ねーみてみてー」と言ってくるのに、オウム返しや肯定的に認めていくことで遊びが持続するならばそれでもいいでしょう。
しかし、それくらいでは遊びが持続しない段階にある子ならば、一緒に取り組んでいるという意識を子供が感じられる程度に大人が遊びに入ってもいいでしょう。
それでも目的は子供自身が自立的に遊びに向かえることなのであるから、子供の様子を見て離れても平気なようならば、遊びへの完全な介入から遊びを見守る立場へと状況に応じてシフトしていく。
ただ、それにはどうしても積み重ねが必要なので、あせらず長いスパンの中で考えていく。
つまり、すぐに「遊べる」を求めるのでなく、子供の段階に応じて「遊びの相手をする」などから「見守る程度」まで、様々な対応を適切に判断し取り組んでいく姿勢をもつ。
そのために必要なのは、クラス内での保育士の動き・役割のきちんとした配慮である。
遊びに集中して取り組めるようにするには、行き当たりばったりで出来る時だけ相手をするといった無計画なものよりも、短い時間だけでもその子をきちんときまった保育士が見守れる時間を確保して、その子の日々のルーティンにしていくと身につきやすい。
そこで例えば、「この一週間、朝の受け入れ後の室内遊びの時間に、その週のサブ保育士がその子について遊びの援助をしていく」など保育士同士で話し合い週案なり、個人カリキュラムのなかで計画を立てて取り組んでいくのがよい。
もし、より重点的に対応したい・その必要があるというならば、その対応をリーダーの保育士が受け持ってさらにしっかりと安定的に対応していってもいいだろう。
一日中それをしなくとも、短い時間であっても大人が明確な意図をもって取り組んでいくことで、的確な援助をしていくことができる。
また、特に乳児期であれば、遊びを持続させるには「大人に見守られているという安心感」が欠かせない。
保育士が雑事に追われ落ち着かないような状況では、子供は不安になり遊びが持続できないことも多い。
落ち着いて遊びが見守れる時間・環境というものを用意するのも大切である。
逆に言えば、それが確保できない状況であるならば無理して個別の対応をクローズアップして取り組まずともよい。
それが余裕を持ってできるときを見計らって、きちんと相手をすることが大事である。
例えば、今のような新入園の時期で、まだ新しい環境に慣れていない子がいてクラスが落ち着いていなかったり、その慣れていない子にそのような遊びのアプローチをしても、十分な効果は得られない。
まず、環境に慣れたり、保育士とのあいだに信頼関係を築くために受容や共感の機会を設けたほうがよいだろう。
遊び込む力が弱い子に、遊びを持続させるためには、子供の側に「遊びを見守られている」という意識レベルの関わりがどうしても必要である。
なので、余裕を持ってゆったりと子供に向き合える状況が、大人の方に欠かせない要素となる。
つづく。
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おとーちゃんこんにちは★
いよい~よさん
保育士をしていてそれは達成感の感じられる経験ですね。
いろいろ大変なことは多いと思いますが、頑張ってくださいね。
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おとーちゃんの記事を毎回参考にさせてもらいながら子育てに仕事に役立たさせてもらってます。
今回の記事も私にとってはすごくタイムリーで学ぶべきところのあった内容でした。
以前、独身時代に勤めていた園では、太鼓指導やら自然教育やらいろんな事をやるあまり、肝心の子供の育ちに保育士自身めもいかず、今の園のようなパートでお手伝いしてくださる保育士さんもいなかったので、正直、荒々しく保育をし、おとーちゃんのいう、こもり保育が毎日といった感じでした
子どもは落ち着かず、かみつき、ひっかきが日常のようにありました。
こどもの遊びに関して、見守りの姿勢の大切さ、子ども一人一人への配慮のあり方を再認識させてもらった日記でした。
ほんとにおとーちゃんの日記は私の生活のバイブルです。
忙しい中してくださってるのでしょうけど、更新楽しみにしてます。是非是非ながーく続けていただきたいです。