相談 「今からでも子供を変えられるでしょうか?」 - 2013.05.07 Tue
また、こういった子供のいまある様子に違和感を感じていて、親として対応していくことで変わりますかという趣旨の質問は、遊びに限らず様々な面でこれまでにもたくさんなされています。
一般論として、ごくごくざっくりと言ってしまえば、その答えはイエスです。
保育士になるときに習う『教育原理』だか、『保育理論』の中で「子供の可塑性(かそせい)」ということを教わります。
可塑性とは、ある程度形ができあがったものでも粘土のように直していくことができるという意味です。
子供はそういった柔軟さをふんだんに持っています。
ですので、基本的に子供の姿というのはいかようにも変えていくことができると言えます。
しかし、人間相手のことというのは、百人百様ですから大人の思った通りにいくかというと、型通りにいかないこともあるわけです。
子供の現状とその原因がはっきりしているならば、それはさほど難しいことではありません。
例えば、遊べない子供の原因というのが大人の過干渉の結果だったとしましょう。
大人が、遊んでいる子供に些細なことでも「ああしなさい、こうしなさい」「それはあぶない」などなど、日常的にまくし立てられていて、ちっとも落ち着いて遊ぶことができなくなってしまった子というケースもあります。
こういったように、その大きな原因が大人の過干渉なのだとわかっていて、それを大人が改善すれば、それまでの蓄積に応じて時間はかかるかもしれませんが、だんだんと子供の姿を修正していくことができるでしょう。
でも、ひとつの子供の姿でも、その原因となると多種多様です。
同じ、「落ち着いて遊べない」にしても、
もともとのその子の持っている「気質」や「傾向」ゆえに落ち着かないという子もあれば、
刺激の強い玩具やテレビ、生活環境などに影響されて、落ち着かなくなっているという子もあるし、
安心感や情緒の安定が得られないために、結果として落ち着かなくなっているという場合だってあります。
こういったものが複合して原因になっていることも、もちろんたくさんあります。
もし、これらに原因と結果を取り違えたアプローチをしていたら、なかなか思い通りにはなりませんね。
もともとの気質で落ち着いて遊ぶことを好まない子に、叱咤激励してやっきになって、しまいには大人がイライラしながらアプローチしても、なかなか良い展望は望めないだけでなく、むしろマイナスになってしまう場合だってあるでしょう。
ですのでこういうケースは、ある程度考えに幅を持ってゆるやかに、手探りをしてあたりをつけながら、無理のない範囲で関わっていけばいいわけです。
というように、「子供を変えていく」ということには、一面的でない子供の姿の認識ということがそこそこ必要です。
だから、もし身近に子供について相談できる人がいるならば、そういう人と相談しながら関わっていけるといいです。
保育園や幼稚園に通っている人には、ある程度そういう機会があるので、自分ひとりで抱え込まなくてすむのはひとつの利点でしょう。
はたまた、まったく子供の問題ではなくて、親の認識がずれていたり、理想が高すぎたり、高望みしすぎているだけで、大人が勝手に「遊べない」「落ち着きがない」と思っているだけということすらあります。
単に子供に関する知識や経験がなくて、自分の記憶にある子供時代の姿や、それまで見たことのある子供の姿と引き比べるために、1、2歳の子供に小学生くらいの姿を望んでいたりするケースも笑い話でなく現実にあります。
こういうのですと、それはもはや大人の問題です。
そのような状況で大人が悶々と悩んでいると、子供はなにも問題がなくともなかなか自己肯定感がもらえずに「伸び悩む」という状態にすらなってしまいます。
それが派生的に別の問題を生んでしまって、余計に本当の原因、つまりここでは大人の子供への見方ということが見えづらくなってしまったりもします。
こういうのは、早い段階で「それは気にしすぎですよ」とか言ってくれる人が身近にいてくれると、ずいぶんと楽に回避できるのかもしれませんね。
さて、いまちらっと出ましたが、なにかがあって「子供を変えよう」と思う人に持っていてもらいたいのは、「肯定から出発する」ということです。
現状の子供の今ある姿を、「良くないもの」「悪いものだ」と思って変えていこうとするのではなく、その姿は子供の成長のひとつの段階、過渡期にあるものと考えて、アプローチするということです。
子供の現状の姿を変えようと思って、ダメ出しや否定・制止を積み重ねていってしまう人は多いです。
こういう人は保育士にだって少なくありません、なまじ経験が豊富で自分でベテランだと思っている人にすらたくさんいます。
でも、それではなかなか本当の意味で、子供に成長を与えていくことにはつながりません。
いまある子供の姿というのは、別に子供に悪気があってそうしているわけではないし、たいていの場合子供がそうなろうと思ってそうなったのでもないのです。
子供の姿に対する「否定」から出発してしまうと、その大人と子供の関係における信頼感というのは薄くなっていってしまいます。
まずはいい悪いは置いといて、あるがままの姿をを認めるところから出発することで、子供は大人の気持ちを汲んだ行動をやがては選択していけます。
ダメだしや制止といった否定的な関わりでは、うまくいってもその行動をとらないということをおもに身につけていくのですが、子供が本質的に大人に寄り添った姿になっていけるわけではありません。
「現状を変えよう」と思っているのに、「現状を認める」ところから出発するというのは、心情的になかなか難しいのですが、結果的にはそこから関わっていくことのほうがすんなりといき、しかも子供の素直な姿のまま伸ばしていくことができるのです。
また、このことは安全弁としての機能も果たしてくれます。
もし、この記事の前半で書かれたような、原因を取り違ったアプローチをしてしまったとしても、子供に対しての「否定」をその過程で積み重ねることが少ないので、大人の判断ミスによるマイナスの影響を与えることを最小限にしてくれるのです。
もうひとつ言えるのは、「変えよう」と思っても焦らないことです。
子供は結局のところ積み重ねの中でしか成長できません。
その積み重ねも蓄積されていたとしても、目に見えてくるまではまだしばらく時間がかかります。
もし、1年間の大人の関わり方ゆえに、今ある子供の姿が出ているのだとしたら、変えていくのも1年間かかると思うくらいで気長に対応していくくらいでいたほうが、大人の精神衛生上もいいのではないでしょうか。
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● COMMENT ●
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早期教育
変えたいと思う‘基準’は何か
今回の記事もとても興味深く読ませていただきました。
私は自分の子育てがすっかり完了してから「姥桜」保育士になったものですから、今4年目でも毎日何もかもが新鮮で、日々子ども達から学ぶことの連続です。危ないこと、他人を傷つけること以外は、どんな風に遊ぼうとするか、何もしていないように見えても、そこにはその子なりの「面白いと感じる」ことがあるのかもしれないと思って、極力余分に手を貸したり方向付けをしないようにと心がけています。
実は、相当意識的にそうしていないと、自分の子育てのときの癖が出てしまい、まさにおとーちゃんさんが言われているような、「高望み」を子ども達に押し付けてしまいそうになる自分を戒めています。
ほんのちょっとだけのヒント、ちょっとだけ高い段にトライさせる・・・その「ちょっとだけ」の塩梅(あんばい)がうまく決まると、思いもよらないような素晴らしい反応を返してくれる、子ども達の日々の成長を見守れることは、私にとってこの上ない喜びになっています。
このごろは、ちょっと検索すれば、「理想の子育て」、「よい親になるためには」といった本やら、トレーニングやら、講座がザクザク出てくるので、若いお父さん、お母さんも、何がいいのか取捨選択するのがとても大変だろうなと思います。
保育士としても巷の情報について行かなくてはとも思うし、親御さん対応のときの心得としても、「もしかしたら、こんな意見の影響かしら」を知っておいた方がいいだろうと思って、いろいろ覗くようにしています。
最近見た中で、有名な子育て本ではないのですが、漫画家さんのご夫婦が、どちらも40歳を過ぎてから初めてのお子さんが生まれて、その一人娘さんの何気ない日常を、それぞれお母さんの目、お父さんの目で漫画に描いているのが、2冊合わせて読むととても面白かったです。
漫画のプロというのと、まさかの高齢になってからの子どもという条件が揃ったからか、我が子のそのときその瞬間を徹底的に客観的に捉えているし、親になった自分達のお互いの親ばかぶりまでネタとして笑い飛ばしているので、「こうしなさい、こうあるべき」などと書かれている本よりも、みんなつまずいたり、転んだり、悩んだりしながら子育てしていてもいいんだよなー、こうでなけりゃとういう‘基準’なんて、案外笑い飛ばせるようなものかもしれないなーと気づかせてくれて、気持ちが楽になる感じでした。
思い通りに変えようとして変わらない子どもたち・・・そちら側から発せられる、大人基準とは違うけどパワフルで魅力的な‘個性の芽’みたいなものを大事にしていけたらなと思います。
もし、よろしければ、おとーちゃんさんがこれまでに参考にされたり、この方法は結構いいとか、逆に人気でも「これはちょっとどうなんだろう」と疑問を持たれた「子育て本」「親講座」的なものがありましたら、お時間のあるときで結構ですので、教えていただけませんでしょうか?具体名でなくとも、こんな風な意見には賛成しません、というようなものでも結構です。過去にそのようなことを書かれたことが既にありましたら、タイトルだけでも教えていただければ、自分で探してみます。
どうぞよろしくお願いいたします。
赤ちゃん返り?
三歳になったばかりの娘がいます。一歳1ヶ月であっさりと授乳することを求めなくなり、その後もおっぱいに執着することはなく育ちました。私からの目線になりますが、育てやすい子です。駄々をこねるや、ギャーギャー泣いて収拾がつかないということはありません。人を叩いたり押したりもしませんし、いままで特に困ったことがありません。
人見知りで知らない子ども達が集まると大人しいです(少し年の離れたお兄ちゃんやお姉ちゃんにはすごく嬉しそうです)。しかし慣れると歌ったり踊ったりを全力で楽しんでやる。家では変な顔をして笑わせてくれたり、大好きと言って抱きついてくるのが日常茶飯事です。
そんな娘ですが、私にはお腹に赤ちゃんがいます。四ヶ月です。ここ数日前から私がパジャマを着ている時に首もとから手を入れおっぱいを触ってきます。寝る前ではなく、お風呂上がりでくつろいでるときや、朝起きてリビングにいるときです。上の方を押す感じで「ママのおっぱいムニムニ。笑」と普段の笑顔と変わらず。長いと3分ぐらいムニムニ言いながら感触を楽しんでいる感じです。「パパのおっぱいもムニムニしたら?」と言うと、「パパのはムニムニじゃないよ!」と膨らみがないのでしないみたいです。
産婦人科に一緒にいったり、お腹の赤ちゃんの話はしています。本人は、「もうすぐお姉ちゃんになるの?!」と目を見開きながら笑顔を見せてくれます。なんの前触れもなく突然お腹を撫でてくれたり…
娘がおっぱいを触るようになったのは赤ちゃん返りなのでしょうか?口や顔では笑っていても、何かしら不安とかあるということでしょうか。もしかしたら愛情不足?知らぬうちにプレッシャーをかけているのでしょうか。「ママのお腹に赤ちゃんいるの?」と聞いてきた時に「そうだよ、赤ちゃん生まれたらヨシヨシしてあげてね。」って言うぐらいで、あれしなさい、これしなさい、お姉ちゃんなんだから、は言っていません。
うまく文章がまとまっていませんが、お時間があるときに目を通していただけたら幸いです。
相談です
今までの私の子育て、よかれと思ってやっていたこと…でも過干渉だったのかも…とおとうちゃんのブログを読んで初めて気付かされました…。
娘はたぶんすごく落ち着きのない手のかかる子で(私の過干渉がきっと原因…)でも子供だからこんなもんか、そのうち落ち着いてくるでしょ、と深く考えることなく過ごしてきてしまいました。娘は5ヶ月の頃から保育園に通っていて、今まで保育園でも学校でも先生からは特に指摘などされたことはないので、外ではそれなりに出来てはいるようです…
ただ、家での娘は本当に落ち着きがなく、何度注意しても食事中に立ち歩く、遊びも家の中だろうと階段やソファから飛び降りたり、「ねーねー見て見て」の連発でとにかくうるさい(基本的に外での運動が好き、家にテレビゲームなどはなくテレビもリビングにないのでほぼ見ない→家での遊びが退屈だから跳び跳ねたりするのか?!)、夕方になると疲れからとにかく機嫌が悪くすぐキレる…
本当は寝る前に穏やかな時間を過ごして眠りにつく…なんていうのしてみたいです…が、お風呂からでても服も着ないでゴロゴロして歯も磨いてないのに寝そうになってたりを見ると、風呂上がりは弟にはどうしてもてがかかるので、私の方がついイライラして注意してしまい娘も逆ギレしてふてくされて泣き出す→そのまま寝る。そんな毎日です…
細かいこと口うるさく言いすぎてたと思うので最近は注意しないように気を付けているのですが…注意される事ばかりするのでなぜかいつも私と娘の喧嘩になっちゃうんです…
小さい子と違ってもう2年生なので、宿題や次の日の準備などやらないといけないこともあるし、あまり言わないようにしようと言わないでいると全て中途半端ほったらかしで遊びはじめ、いつまでたっても何も終わらないんです…
おとうちゃんの専門はもっと小さい子で専門外かもしれないのですが…
毎日怒ることの方が多くなっちゃって、でも言わないと何も進まなくて…どう声かけしていったら怒らずに仲良く心地よく過ごせるのでしょうか…
娘が小学生になってから色々難しくて悩んでいます…
おとうちゃん色々な相談に返答されていてご自分の子育てもお忙しいのに申し訳ないです…
イライラの悪循環の毎日…何かアドバイスいただけると嬉しいです!よろしくお願いします
ゆきママさん
>「ねーねー見て見て」
を子供自身が言っているうちはまだなんとでもなります。
しかし、女の子は精神的な自立が比較的早いですから、もう少し年齢があがるとなかには親の関心・関わりを求めなくなってしまう子もいます。
こうなると対応は難しくなってしまいます。
娘さんが何を求めているかと言えば、親からの「肯定」です。
肯定は、共感や認めてもらうことでも伝えることができます。
例えば一緒に本を読んで、「おもしろいね」と笑い合うようなことでも共感となり、子供の中に肯定されているという自身と安心感を与えることができます。
もし、そういった自信や安心感が欠如してくると、それを大人から引き出そうとネガティブな行動が増えてしまうので、結果的には叱られたりすることが増え余計に反対の方へと向かってしまいます。
でも、子供にはそういう出し方しかできなくなってしまっているので、そこは大人が意識的に変えて、肯定を増やすようにしないとこの悪循環からは抜けられません。
まず目指すのは、「怒ることを減らそう」とすることではなく、「肯定する部分を増やそうとする」ことです。
ご飯を作るのを一緒にしたり、食器の片付けを手伝ってもらったり、褒めるところ認めるところを作ってでも肯定していきます。
それでもすぐにはまだまだ怒られるような行動もとるでしょう。それはそれでかまわないですから、本当に怒る必要があるところはいつもどおり怒っていってもいいでしょう。
少しずつ共感や認めるを積み重ねていけば、だんだんと子供の姿は変わっていくと思われます。
くすぐり遊びなども日課にしていくといいですよ。
この段階で自己肯定感をきちんと身につけられることは、それこそ子供のこれからの人生に大きな影響を与えるほどのものになると思います。
ありがとうございました!
すごく具体的でわかりやすくすぐにでも実行できる内容だったので、今夜は肯定的な関わりかたができ、とてもいいかたちで娘が眠りにつくことができました…
おとうちゃんの、
大人が意識的に変わり肯定を増やしていく。
まず目指すのは、「怒ることを減らそう」とすること ではなく、「肯定する部分を増やそうとする」こと。
この言葉、肝に命じて、少しずつでも実践していきたいと思いました!
身近に相談できる人(友達や家族ではなく専門的な知識のある人)がいなくて、おとうちゃんのブログを見ては、過干渉にならないように…なるべく怒らないように…そればかり考え、でもうまくいかなくて…
おとうちゃんに、叱るべきところは叱ってもいい、意識的に肯定を増やす!この言葉をもらえたので、今日から自信をもって叱り、そして肯定してあげられる場面をたくさんつくりいっぱい肯定していこうとおもいます!
おとうちゃんのブログに出会った一年前から、おとうちゃんのブログは私の携帯のデスクトップど真ん中に置いていて、子供が寝たあといつも読ませてもらっています。
長々と失礼しました…これからもブログの更新楽しみにしています!
変わりたい...
私は、1歳10ヶ月の娘の母親です。
娘が1歳の頃からおとーちゃんさんのブログを見つけ、それ以来時間を見つけては少しづつですが、読ませていただいています。まだ読破出来ていませんが…。
今までおとーちゃんさんのブログを参考にさせていただき、何とか
私なりに娘に接してきました。
でも、相談コメントの方が沢山いらっしゃるのを承知で相談させて下さい。
娘は、1歳10ヶ月の元気で活発な成長期の女の子です。よく走り回り、覚えた言葉を沢山話し、女の子ですが車のおもちゃが大好きです。また絵本もよく読み聞かせています。大人の言っている事も大分理解していると思います。保育園などは行っていません。
家ではぬいぐるみを可愛がったり、プラステンや積み木など見たて遊びもしています。私達、親は普段はなるべく見守り、共感しようとしています。そのせいか、「〜ね〜。」というのが最近の口癖のようです。TVも見ず、割りと規則正しい生活をしていると思います。
元気な反面、癇癪もよく起こし、遊びや生活面(例えば靴を履く、ズボンを履くなど)で出来ない事があると怒りだし、放り投げてしまいます。出来なくてイライラしている様子です。そして、「ママ」や「パパ」と言い、やって貰う事をねだります。おとーちゃんさんのブログを参考になるべく手伝い過ぎない様、気をつけてきたつもりが知らず知らず過干渉にしてしまったのかもしれません。
家事など忙しいと、ついつい焦り、私が手伝ってしまっていたのでしょう。
先日、公園での事。娘と同じ位の男の子とママが砂遊び道具を持って来て遊んでいました。私達は何も持っていませんでした。
娘は初めは遊具で遊んでいましたが、男の子が遊んでいた物に興味を示した様で近寄って行き、暫くすると置いてあった道具を手に取りました。「貸してねって言おうね」など声をかけるものの、次から次へと手に取りはじめ、しまいには男の子が持っていた物にまで手を出し、「お友達が使っているね」などというものの、耳に入っていない様子。対して男の子はそれを取り返すどころか、別の道具を持ち、遊び始めました。
男の子は別の所へ歩きはじめたので、暫くしてから道具をその子のママに返しその場はさよならしたのですが。
最近、この様な事が続き外へ出るのも嫌になっていました。
そして、ついイライラがつのり、帰るなり爆発してしまいました。
「どうしてお兄ちゃんの車取っちゃうの?云々」と怒鳴ってしまいました。
オムツを替えたり、着替えなど、耳に入っていないなとおもうことがあります。イヤイヤで出来ない事もありますが。
おとーちゃんさんのお子さん達の様に…と理想を掲げ、人の物を取らない子にと思ってきましたが、私の接し方が間違っていたのだと思います。
私は、自己肯定感が低く、感情的に娘に怒ってしまう事が多く、後悔します。そして、受容•共感しようと心掛けますが、また怒るの繰り返し。最近、私の笑顔も減ってきてしまいました。
昼寝も最近、明らかに眠いのに寝るのを嫌がって寝かしつけが大変です。対して夜はすんなり眠ります。
夫は子育てに協力的です。
おとーちゃんさんのブログを読んだり相談コメントのやり取りを読んだりして何とか今までやってきましたが、夫と話しあった末、もう限界だろうとおとーちゃんさんに相談させて貰いたく書かせていただきました。
参考になる記事があれば、ご教示頂ければ読んでみます。
ぞうさん
こういうのも成長期のごくごく当然な姿です。
ただ、たしかにそれまでの関わりで過保護や過干渉が多いと、このような姿は増大する傾向があります。
ですので、そこは今後共気をつけていくべきですね。
また、大人が子供に対して口に出さずとも「できること」を強く望んでいると、子供はそういう気持ちを敏感に察しとって、その親の思いに応えたいという気持ちと、自分でうまくいかない現実とのギャップにイライラが募ってしまうというようなこともよくありますので、大人の方もおおらかに構えてあげると子供が楽になるということもよくあります。
さて、ものの貸し借りですが、この月齢の子にとって人のものであれ興味をもったものを勝手にとってしまうというのは、ごくごく自然な姿です。
「人のものをとってはいけない」とか「貸してと言う」などは大人の世界の価値観なのです。
ゆくゆくは子供もそれを理解していきますが、まだそれを認識して守らなければならないということを子供が自覚的に理解することを求めることは無理があります。
おそらくそのイライラも「人の手前」ということで募ってしまったのだと思います。
そういうときはイライラしてしまうくらいならば、子供に言葉を言うという「できる」を要求するよりも、大人が代わりに「ごめんね、あれ借りてもいい」などと聞いてあげてもいいかと思います。
そういう姿をみても子供は学んでいくものですし。
それでも相手が嫌がっているのであれば、そこから「それは返します」と取り上げてでも返したとしても遅くはないでしょう。
大人の価値観やルールを子供に身につけさせることも、将来的には大切なことですが、いまはその全部が全部を守らせることが必要な時期でもありません。
それをやっていると、子供にとっては「型にはめる」子育てとなってしまって、大変窮屈です。
結果的にそれは癇癪などの反発を多くすることにつながったりもします。
1歳2歳というのは、好奇心や自分のしたいことを素直にだせるいい時期です。またそれを微笑ましくも見える年齢です。
もう少しおおらかに見てあげることで、結果的にもいい方へいくかもしれませんよ。
相談させてください
体調が思わしくないとのことですが、
早く良くなられますように。
2歳7か月の息子のことで相談したいことがあります。
息子は一人遊びができません。
私が家事などで相手ができないときは、
「遊んで、遊んで」と言い続け、退屈そうに過ごしています。
一緒に遊んであげると遊びます。
「遊んで」と言ってくるだけあって、
遊び道具が車でも電車でも何でも「こんにちは~」などと会話をしながら動かしたり、相手がいないとできない遊びになります。私と一緒にするおままごとも大好きです。
できるだけ遊びを自分で進めていってほしいと思い、会話に合わせて返事をしながら見守る体制に入ると、遊ぶのをやめて「ママも遊んで」と言います。つまり、一緒に遊んでいる時も、私に遊びを進めるようにお願いしてきます。
絵本は大好きです。息子は絵本好きだな~と感じるのは間違いないのですが、絵本は私一緒に過ごせるという気持ちも含まれているのでは!?なんて思います。
このような状況をできるだけ気にせず現状を受け止めるようにして過ごしてきたのですが、数か月経っても変わっていません。
2歳3か月のころにこのブログを初めて読んだ時まで、
近所のお友達とわいわい過ごしたり、集会場に連れて行ったり、それが子供にとって良いと思い過ごしてきました。
また、それまで子育て=ちゃんと叱ると思って過ごしてきました。
息子の気持ちよりも私の都合を優先することが多かったです。
それだけの年月を遊びに集中できない環境、間違った関わりで過ごしてきただけ、
現状を変えるには時間がかかると思い心配せずに気長に付き合っていくしかないでしょうか。
あまりにも「遊んで、遊んで」と言い、一人で全然遊ばない状況なのでとても気になっています。
もう一点、
とってもよく寝る子なのですが、午前中に眠そうにします。また、昼寝起きの機嫌が悪いです。7時起き、14時前後から2時間昼寝、9時就寝といった生活リズムです。こちらも、遊べないことと関係があることは考えられますか。
来年4月の幼稚園入園まで、できるだけ良い関わりをし、少しでも遊べる子に変化してくれればと願うばかりです。
お忙しいと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます
本当にご無理なされないでくださいね。
そして、そんな時にご回答下さり、申し訳ありませんでした。
こんな私が子どもを育てられるのかと、毎日毎日自分を責めて泣いてばかりでした。
「できること」...求めてしまっていました。
「おおらかに」...おとーちゃんさんのブログで以前読んだのに、最近無くしてしまっていました。
おとーちゃんさんのご指摘にハッとして涙が出ました。娘に本当に可哀想な事をしてしまいました。もっと娘自身の事を見てあげたいと思います。
こちらが娘にできることを求めないでいると、癇癪が少なくなりました。すごいですね。別に言葉に出している訳ではないのに。
おおらかでいる事って子育てをする上で、とても大切なんだなぁと身をもって感じています。
まだ1歳10ヶ月、娘と共に私自身も自分の育ちを越えてゆっくり成長していきたいと思っています。
娘のありのままの姿をみていきたいと思っています。
助けていただいて本当にありがとうございました。
感謝してもし尽くせません。
ペンさん
例えば、年齢の近い子たちと遊んだ時に、「他児の使っているものをとって回っているのに、その遊具ではちっとも遊ばない」とかいうのでしたら、「遊び」の問題が大きく関わってきますが、
このコメントにあるようなことでしたら、もともとの性格や母子関係、自立や依存、受容などの「遊び」とはまた別のところに根っこがある可能性が高いと思われます。
そういう姿はこの年齢の子にはよくあることです。
また、これまで家庭で過ごしてきたのならば、そういった依存する気持ちなどが多少顕著になっていたとしても、おかしいことでも悪いことでもありません。
いまは、乳児から幼児への過渡期であるといえます。
少しずつ、自我も大きくなるし、自立も(目に見えるのはゆっくりですが)進んでいきます。
肉体的にも精神的にも大きく育ちます。
また、生活する世界も往々にして広がっていきます。
そういったなかで、いま気にしているような姿は変わっていくでしょう。
例えば排泄が完全に確立するというようなことを迎えたりすれば、もっと違った姿がでていることでしょう。
焦る必要はないですが、自分で出来るところを認めたり、自信をつけるなどして、生活面などで少しずつ「自立」への視点をもって関わっていくといいかもしれません。
寝起きの悪いなどもやはり身体的・精神的な成長とともにだんだんと解消していく部分もあるでしょう。
人為的に引き起こされることで多いところは、生活リズムのみだれや、厚着、過剰な冷暖房などもあります。
生活リズムは一定しているようですから、もともとの性質なのかもしれませんね。
これから夏ですから、水遊びなんかをすると感覚器に対する刺激がうながされて、そういった体の機能を司っている自律神経・副交感神経の発達にもいいそうですよ。
ありがとうございます
ご丁寧に返信くださいまして本当にありがとうございます。
現状を認め、息子の気持ちを受容し、
私も息子と一緒に成長していければと思います。
おとーちゃんさんのブログに出会わなければ、どうなっていたか。
子育ってこんなに大変なんだ、、、、
と息子にイライラしてしまうことが多く、なおかつ接し方がわからず頭ごなしに叱っては後悔の日々でしたが
今はとっても可愛くてしょうがないです。
また、おおらかな気持ちで過ごせるようになりました。
私も感謝の気持ちでいっぱいです。
おとーちゃんさんに担任してもらえるお子さん達がうらやましい!
息子も今後の人生でこんな素敵な先生と縁があれば良いな~!!
悩んでいます
実は保育園でお友達の輪に入って行けず、さみしそうに一人ぼっちで遊んでいます。輪に入ろうと近くまで行くのですが結局声をかけることができずにいます。その光景を見ているととても胸が張り裂けそうです。公園などでも自分からはもじもじし声をかけられず、誘われると遊ぶといった感じです。先生も気にかけてくださっています。
お友達と遊べるように、私にアプローチできることがありますか?こんなとき親はどのように対応すればいいのか教えてください。
よろしくお願いします。
リンママさん
とりあえずは、性格的なものとして話を進めますね。
僕はいろんなところでこのことを言っているのだけど、まずはその子供のあるがままの姿・性格をそのまま受け止め認め、肯定するところから出発するといいです。
これについては「全面肯定」でブログ内検索すると該当記事があります。
そして、
>私にアプローチできることがありますか?
なにができるかと言えば、まずは↑の肯定の次に、リンママさんが「お友達と遊べること」を望まない・望む素振りを見せないということをしてあげるといいと思います。
思っていても出さないということ、それから無理に「お友達と遊べるように」という意図をもってそういった場所にあえて放り込まないこと。
この種の親の思いはときにプレッシャーになります。
そしてもともと苦手なものに対してプレッシャーをかけられると、子供は返ってなかなか前に進めません。
保育園にいっているというのであれば、自然と他者と関わりをもつ機会というのは増えます。
子供同士の世界のなかでも、入りにくそうにしている子を誘ってくれたりする子もいますし、同じように引っ込み思案で賑やかなグループが苦手な子などもいて、そういう子とまずは友だちになってそこからそれが自然と仲間関係の練習になったり、気の合う友達として集団生活のなかで問題なく過ごしていく子もたくさんいます。
もしお子さんが人の輪に入っていくのが苦手な子だったとしても、必ずその子なりにその中を乗り切っていくすべを身につけることができるはずです。
その子供の力をしっかりと信じてあげることです。
それをせずに「子供がかわいそう」と親が思ってしまうと、子供はその親の精神的な過保護な気持ちに依存してしまって、なかなか自立(この場合は対人関係の発達)を達成できなくなってしまいます。
なので、まずは心配であっても、子供を信じてその素振りを出さないようにしたほうがいいです。
でないと、子供に自信のなさと不安感を持たせて、余計に前に進めなくなってしまうからです。
そして、対人関係というのは誰しもが実際の経験の中で実地に学ぶしかないことなのです。
それも自分のペースで。
この部分に関しては親であれ他の誰であれ手を貸すことはできません。
もし、なにかほかにアプローチしたいと思うならば、いい母子関係をこれからも作り、維持していくことです。
対人関係のモデルというのは、親子関係・母子関係にあります。
いい母子関係とは、過保護でない、過干渉でない、個人として尊重し支配しない、そして共感や会話がたくさんあって、いいところをたくさん認められる、そしてそれを伝えていける関係です。
そういうものから生まれる、自立心や自信というものが、対人関係やほかのもろもろの成長にプラスに働くはずです。
ありがとうございます‼
確かにもっと幼いころから、引っ込み思案で人見知りでした。そんな彼にいつも<今日は誰と遊んだの>とか<仲間にいれってって言えた>
などと聞いていました。プレッシャーをかけていたんですね。
そして、7カ月になる妹がおり、知らず知らずのうちにそちらにかかりっきりで、彼の事を大きなお兄さんと勘違いしていたのかもしれません。
多くを強要していたように思います。
これからは、子どもをもっと尊重し見守って行きます。
お忙しい中、貴重なご意見・アドバイスをありがとうございます。
重たい気持ちが吹っ切れました‼
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なるほどなあと、思いました。非常にしっくりくる言い回しですね。
柔軟に対応する心を忘れないでいたいなと思います。
子供は可塑性があるから変わるのは比較的容易というのも納得です。大人が変わるのが、実は一番なかなか大変なのかなあと思ったりもします…。