成長の瞬間 Vol.2 ―「できない」も経験のうち― - 2013.05.16 Thu
そして、この「今の自分になにができて、なにができないのだ」ということを自分で知ること、そういった認識や意識というものをもつことも、いくつかの面から必要なことだと思います。
ひとつには、安全・危険についてということからも、自分にできること・できないことを知るというのは大切なことです。
さらには、「自分にできないこと」を知ることは、実は成長への大きな原動力ともなっています。
「これがやりたいのだけど、自分ではできない」という場面に子供が立ったとき、「大きくなればきっとできるんだ」と理解していれば、それはひとつの目標となります。
中には、大きな子や周りの子がしていることで自分にも当然できることだと思っていて、「今の自分にはできない」、「大きくなればできる」ということに気がつかない子もいます。
そのままだと、「できない」という不満ばかりが募ってしまい、大人に手伝うことを要求したりもするのですが、「まだできなくてもいい」とか「大きくなればきっとできるよ」と大人が伝えてあげることで、納得したりするようにもなります。
「できないこと」を知るというのは、種まきみたいなものです。
できなかったことも、だんだんとできる方へ近づいて、やがては自分でそれができるようになる。
その過程は子供の中に「成長への期待」というものと、達成したあとの「成長の喜び」を持たせます。
この種まきをたくさんしている子は、成長することに前向きです。
積極的・自立的にものごとに取り組もうとする意欲が強くなっていきます。
当然ながら、小さいうちほど「できない」ことはたくさんあります。
それは「大人」を基準に考えたら「不完全な」「欠如した」状態かもしれませんが、「子供」としては自然な姿です。
だから、大人が強く介入してまで「できた」(できたように見える)状態にせずともいいわけです。
なので僕は大人の力による「できた」をプレゼントすることはあまりしません、それよりも種まきをしておいて、子供自身による「達成の喜び」をあとで得られるようにしたいと思っています。
このまえのうんていの例で言えば、僕は「のぼれないーー」と言っている子に、
「見ててあげるから自分でやってごらん」
「自分でできるところまででいいんだよ」
「無理して登っても降りられなくなっちゃうから、僕は手伝わないよ」
「怖かったらそこまででいいんじゃない」
「自分の力でできることが大事だよ」
などなど、状況やその子に応じて伝えてしまいます。
冷たく突き放して言ったら意地悪かもしれませんが、子供との信頼関係の上でこういうことを伝えるので、子供はたいてい納得します。
大人がなんでも手伝うことを当たり前にしてしまっている子だと、なかなか納得しずらくもなってしまうけどね。
子供が本当に自分の心から「したい」と思っていたことならば、こういったやりとりは子供自身しっかりと覚えていて、それが数日後・数週間後・数ヵ月後であっても、できるようになったとき、そのことを共感して欲しくて必ずその大人にできるようになったことを報告してくれたり、見せてくれます。
さっきの、「今はまだできなくていい」という大人の働きかけは、この共感や認めるということと対になっています。
そしてこういった経験がさらなる成長の原動力となっていくでしょう。
このようなやりとりを可能にするのには、大人と子供のあいだにきちんと築いてきた「信頼関係」がなければできないと思われます。
こういう積み重ねをいくつもしてくれば、特に大人の働きかけがなくとも、生活も含めて様々な場面で自分から成長の種まきをしていけるようになるでしょう。
例えばこのことは、「排泄の自立」で訓練することよりも現状を認めていくことと言ってきたことなどにも、つながっているのではないでしょうか。
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● COMMENT ●
ご報告とお礼
市の発達相談で家庭訪問を受けたのですが、結果「次の検診までご連絡しません」とのこと。検診時の様子から考えると全く逆の対応でよしとすれば良いのでしょうが、悲しくなりました。
というのも、最初から私の心配症、相談相手のなさが原因と決められているようだったからです。
通常1歳半検診の結果で相談を薦めるにしても後日連絡をしているそうで、気になる度合いで2歳まで待ってから連絡する方が多いとのこと。療育のスタートも2歳からとのお話でしたが、保健師・心理士2人居て、その療育の説明が無料で7回受けられるというだけでした。
もう話を聞いて安心させるというスタンスしか感じられず、専門的な見解を述べるでもなく、これは愚痴になりますが、育休や二人目について、近所に知り合いがいるか、実家で長時間預からないのは理由があるのかといった個人的なことを聞いてきて不快でした・・。聞くだけでコメントはなく、「3年育休とって復帰できるの?二人目つくって再取得するんでしょ?相談相手がいないんでしょ?親ともうまくいってないの?」といったニュアンスを受けました・・。さらにこういう傾向があるこどもにはこうすればいいという説明がないので、能面で聞いていたら、「お母さんはあまり大きく反応するタイプじゃないから違う大人が対応すれば変わるかも」と言われました。
「エネルギーが多い、コミュニケーションを取りに来てる、話をしているから邪魔しに来なくなった。」最初話しかけてきたのに相手をされなくなったからでは?
空箱をぶつけて痛いといわれて笑っている息子がおもちゃをぶつけ出して私が制止したら泣いて私に抱き着いてきましたが、それを見て「悪いこととわかってる。」息子は遊びを止められたと思っただけでは?「最終的には叱るしかないですけどね・・」
どうしたら構ってもらえるかと大人やこどもにちょっかいを出す息子ですが、以前にも書いたようにあしらわれたり、嫌がられたりしがちです。
今日も電車のTシャツを着た子にでんしゃ!と服を引っ張りつつ主張したり、背中が出ている子のTシャツをめくってみたり、使おうとしていたからと積み木を取られ、「この積み木いる?あーげない」と大きい子に仲間外れにされていました。(私も「どいて」と言われました。)そのうち輪から外れて掲示物を剥がしたりしていました。
はいはい時代からレクチャーする大人の持ち物に突っ込んでは触ろうと
していたのですが、他にも嫌がる反応をみておもしろがってる(「困る」がわからない)スーパーで売り場のお菓子を空ける(順番がとぶ)いたいいたいとんでけをさせるために壁に頭をぶつける(いたいはおもしろい?)など、悪気があるように見えない場面でとめる・しかるのに(しつこいしやめないので最終的に強く言って言い聞かせることが多いです)疑問が浮かびます。療育関連で調べると叱ると逆効果とありますね。
とりとめもなくなってしまいました。
診断云々よりもアプローチの方法だと思っていたので、これからも迷いが続きますが、息子を「我が強い」とせずに(私も「自分勝手」と言われ続けてきました)たぶん私のせいで起こっている出来事を反省しつつ、
落ち込まないように、過ごしていければと思います。
こちらのサイトはひとつひとつ噛みしめられるものがあってスペシャリストとはといったことも考えさせられます。読み込んでいるのですが、まだ全部読めていません・・。じっくり読んでいきたいです。
何度もコメント欄をお騒がせしましてすみませんでした。
ありがとうございました
預け先を選び、必要なときに利用してみます。
お忙しい中、ご丁寧にありがとうございました
初めまして♪
今ちょうど2カ月の娘がいます。遊び方について調べていたら、おとーちゃんさんの「うんこ鳴き」のページにたどり着きました!
わたしの実家が、青森県の県南地方なのですが、祖母も母も叔母も、娘と顔を合わせては、「うんこぉー、うんこぉー」って言ってます笑。
やり始めて一週間もしないうちにできるようになりましたよ♡私も最初は一方的にうんこうんこ言って恥ずかしかったんですが、娘が「うんこ…」って返してくれた瞬間、可愛すぎて今では誰よりもうんこうんこ言ってます!おとーちゃんさんのブログ、大変勉強になります!また拝見させていただきに参ります( ͒ ु•·̫• ू ͒)長文失礼いたしました
マイコままさん
子育てに関して、どんどん新しいものが入ってきて、新しいものほどよいというような風潮もあるので、もしかして元のところでも廃れてしまったかと気になっていました。
こういう遊びというか風習というかがあれば、赤ちゃんでもきちんと気持ちが通じるということが今の人にももっとわかってもらえたんだろうけどね。
おとーちゃんさんにお考えを聞いてみたい事があってコメントいたしました。
子育ての過干渉、まさになるほどなと思うのですが、私は社会そのものも、すごく先回りを要求される気がしていて、どうしても子育てもそうなってしまう気がしていて。
1つ例をあげると、園の検診なんかで、え!?これくらいの事でまた病院に行かせるの!?という事が多かったり、なんだか振り回されている感じがしたり。
昔よりいろんな解明されて、早期発見する事で良い方向に向かえる事もたくさんあるんでしょうが、一方で、専門家の保身を感じたり。
おとーちゃんさんも、社会や時代について触れている記事も目にしたんですが、具体的にどんな事が子育ての過干渉に繋がると感じていらっしゃいますか?
もし過去の記事に掲載されていたら、すみませんm(__)m
教えてください。
一歳半の女の子二卵性双子を育てております。
一歳三ヶ月頃に双子妹が自我に目覚めたようで、イヤイヤ期が早くきてしまったのは何か今までの子育てに問題があったのかと色々調べていた時におとうちゃんさんのブログに出会いました。共感すること、たくさんの発見があり子育ての参考にさせていただいています。
今回の内容とは違うのですが、性格、嗜好など全く違う双子子育てについて、またイヤイヤ期にあたっての今までとこれからの対応について相談させてください。
姉は赤ちゃん時から、よく泣き、寝る時には長時間の抱っこが必要でした。しかしよく笑い、人見知りも軽く、身内、知らない人(双子なのでよく声を掛けられます)共に愛嬌よく可愛いがられます。
一歳半で自我に目覚め、食事など自分ですることを望み、うまくいかない時、自分の意見が通らない時に癇癪を起したようになります。妹との物の取り合いでは、掴みかかり意地でも奪います。この点は赤ちゃん時からいわゆるジャイアン気質です。
妹は赤ちゃん時、姉に比べると手が掛からず、自分で寝ることが出来ました。しかし、いつも姉を抱っこしている事を分かっているようで、自分も抱っこして欲しい時は足に触れたりしていましたがそれで泣く事は少なかったです。
主人とこの子は赤ちゃんながら空気を読んでるかもと話した位です。
しかし人見知りがきつく、まわりはこの子が育てにくそうに感じるようでした。
冒頭に載せましたが、一歳三ヶ月頃から激しくイヤイヤするようになり、夜泣きが一週間ほど続きました。夜泣きはそれでぴたっと止み、すぐ奥歯が四本同時に生えてきましたのでそのせいだったかなと捉えています(奥歯の生える時期とは関係ないでしょうか?)。
イヤイヤはこのブログを読んで下記に挙げた点を改めたからか、だんだん収まっており、姉との物の取り合いでも自分から譲ることができるようになったり、嫌がっていたオムツ替えも軽くなった気がします。
1番の心配は、妹が赤ちゃん時からまさに空気を読んでいるかと思う様な感じがありましたので、我慢をさせていたのではないか。姉の気の強さゆえに、いつも物を取られ、先に遊んでいても奪われる事が積み重なり、その点が性格形成に関係するのではないかという点です。
おもちゃなどについては、一歳位までは二つ用意しそれぞれ与えていましたが、以降は分け合って欲しいという気持ちもあり、一つだけのものが増えています。取り合いはしばらく様子をみて、姉が掴みかかりケガをしそうな時は止めに入り、気持ちは受け止めた言葉掛けをし、先に遊んでいた方を優先させます。
イヤイヤ期については、妹が我慢していたせいで早く始まってしまったのかと心配しています。
また、早くもだんだん収まっているのも我慢しているのでしょうか。
それによって性格形成に問題がでるでしょうか?
私の今までの子育ては、赤ちゃん時から出来るだけ抱っこは惜しまずしていましたが、二ヶ月からほぼ日中は私1人でしたので、同時泣きでどうしようもないときは自動で揺れるバウンサーを活用(ほぼ姉に使用)。
出来るだけ話し掛け、歌をたくさん歌い、三ヶ月頃より絵本を読んでいました。
一歳になり、受容や先回りした関わりを心掛けていましたが、出来ることを少しずつ期待してしまっていたなと自覚しています。
姉が妹の髪を引っ張った時など、まだこのブログに出会ってなかったので、手をパチっと叩きながらそれはダメだよと叱っていました。
ブログを読んでからは手を叩く叱り方をせず、あまり出来ることを期待し過ぎないように気を付けています。
命に関わること、食べ物を粗末にすることについては強く言い聞かせます。
ほぼ毎日公園、児童館で遊ばせています。田舎ですので、ほぼ我が家だけの事が多いですが。
子育てサロンなどでは、妹は最初こそ抱っこをせがみますが、特に体を使う遊戯が好きで、みんなより率先してはしゃぎます。姉はいつも愛嬌よく何でも楽しみます。
二箇所の児童館の保育士さんから、以前保育士されてましたかと聞かれ、私より向いてると言われたことがありました。別の職業でしたので嬉しく思いました。
2人がイヤイヤ言うようになり、イライラすることを2人も感じ取るものがあるでしょうが、出来るだけ態度には出さないよう2人が寝た後などに主人にぶつけています(笑)。
昼寝はスムーズに出来るのですが、ここ数日夜寝ることを泣いて嫌がったり、抱っこを要求します。1人を抱っこするともう1人もとなり、長時間のダブル抱っこは辛いため、ママは体がしんどいから抱っこ出来ないと伝えます。それでも止まないと、私が泣き真似をして困っていると伝えてしまっています。するとすぐひっくひっくと我慢して泣き止み寝るようになります。この方法は2人に心配させており、精神的に負担が掛かりますでしょうか?
長々となり申し訳ありません。
双子育児、イヤイヤ期、親の泣き真似について、ぜひご意見いただければ今後の参考にし、さらに子育てを楽しいものに変えていきたいと思っています。
お忙しい中恐縮ですがよろしくお願いいたします。
ともこさん
先ごろ掲示板を賑わせていた話題で、ベビーカーを使っての外出でバスを利用する際のことがありました。
周囲の視線が好意的でないというものです。
そういうことがあると知れば、子育てしている親は子供の行動に対して過敏になります。
結果的に過干渉にならざるを得ません。
一方で子供に無関心な人はとことん無関心ですので、そういう人に向けられる世の中の見方が、子育てしている人全般に当てはめられていったりもしています。
保育園ですら例外ではありません。
園の騒音問題が、近年では世の中から言われるようになってきました。
そういうことに気をつけなければならないと思えば、それまでは必要のなかったところでも、子供に声を抑えさせたり、行動そのものを制限しなければならなくなっています。
下手をすると、そういった大人の都合を子供たちは押し付けられて叱られたりもしています。
このような部分が全般的に増えてきて、近年子供に対する過干渉のひとつの要因ともなっているようです。
もちろん、そういった社会的なもの以外にもたくさん過干渉になる原因というものはありますが、それは過去記事のどこかで何回か書いているので省略します。
>昔よりいろんな解明されて、早期発見する事で良い方向に向かえる事もたくさんあるんでしょうが、一方で、専門家の保身を感じたり。
これはまたさっきのこととは別の面での社会的な要請というか圧力というようなものが高まっている結果だと思います。
お医者さんなんかそれこそ、一段落ごとに「ここまでは理解できましたか?なにか質問はありますか?」なんて聞いてきて、最後には承諾書みたいなのにサインしてもらわなければならなくなっていますよね。
>園の検診なんかで、え!?これくらいの事でまた病院に行かせるの!?という事が多かったり、なんだか振り回されている感じがしたり。
こういう傾向もたしかにあります。
なかには「もっときちんとみてから言おうよ」というようなものもありますが、親の立場と園の立場の違いや、命を預かる以上万全を期したいということなどもあるとは思います。
また、なかにはちょっとした疑問を見過ごさず、きちんとした受診を勧めたことで難病を早期に発見して命が助かったなどということもありますから、それはそれでやむを得ないのかもしれませんよ。
ありがとうございます☆
みんながみんな、余裕がなく、自分の事で溺れそうになっている感じなのでしょうね。子にとっても、子を育てる現場でも、ホントに大変な時代ですね。
医療も、訴えられる可能性を一から潰すのに一生懸命。自分を必死に守らないとやられてしまう、ギスギスした社会の一面ですね。
検診で、命が助かるケースもあるのですね。そうか…甘く見すぎていました。いちいち不安になるのが嫌だったんですけど、そのくらい乗り越えないとですね。
ありがとうございます。お体、ご自愛ください。そして次のシリーズも又、興味深いです。ご無理の無いよう、お伝えください☆
双子ママさん
悪い意味ではありません。
いつでも身近に対等に関わりあう子供がいて経験が豊富だったり、精神的な葛藤なども多く経験しているためでしょうか。
一人っ子とも兄弟のいる家庭ともちょっと違った、「強さ」が小さいうちからあります。
そしてこういうものが、だんだんと「落ち着き」や「しっかりしている」という姿になっていくアドバンテージともなるようです。
もちろん、個性の違いというのはありますので一概にいえるものでもないですが。
双子のなかでも一方が特に強くて、もう一方はやられてばかりだったり譲ってばかりということもしばしばあります。
しかし人間というのはそういうものですし、それが個性というものですからそれはそれでいいのだと思います。
また、性格形成上のことを懸念なされているようですが、そういったことで性格が決定的に悪い方へいってしまうというようなことはまずありません。
なかには、泣き虫になったり依存心が高まったりする方へいってしまうこともなきにしもあらずですが、それはそれらに対しての大人のアプローチの結果ゆえになることですから、子供同士の人間関係が直接の性格形成にということは心配することもないでしょう。
子供というのはけっこうアバウトに関わっていても、親に守られている安心感や満たされている気持ちを持ってさえいれば、まずまっすぐに育とうとするものです。
過剰に心配する親の気持ちが返ってそれに水を差す結果になることのほうが、世の中には多いようですから、おおらかに見ていって上げていいと思いますよ。
ちなみに、歯が生える時期にはむず痒くなったりして、それが夜泣きにつながったりすることもありますよ。
ありがとうございました。
読みながら涙が溢れそうになりました。
生まれた時からパパママを独占出来ず、我慢を強いているのではないかと心配する気持ちと、まさにおとーちゃんさんがおっしゃる通り「たくましく育ってくれるだろう」と前向きに考えようと思う気持ちをいつも持っていました。
今回意を決して相談して本当に良かったと感謝の気持ちでいっぱいです。
お陰様で激しいイヤイヤは少し落ち着き、今は二人して甘えたいようです。
これからは出来るだけおおらかに、二人の個性を伸ばし、愛情たっぷりに育てていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
ありがとうございます
息子がまだ赤ちゃんの頃にこのブログと出会い、折に触れて読ませていただいています。
息子はとにかく何に対しても慎重なタイプで、危ないことは全くと言っていいほどしませんでした。遊びの中には高さやスピード感のあるものも多くて、それらをやろうともしませんでした。なので、それらは未経験の「できない」ことでした。あぶないよ!などと口うるさく言ってきた訳でもないので不思議だったのですが、自分で危機管理していたのだと思います。
幼稚園に行く前には、こんなことで大丈夫かなぁと本当に心配しましたし、不安に感じました。そんな中、おとーちゃんさん「種まき」というフレーズがとても心に響き、親の私の支えになりました。焦る気持ちもありましたが、とにかく息子のペースを待ってみようと思うことができました。時には楽しめそうなことから誘ってみたりもしましたが…。
そして、この春から幼稚園に通い出し、みんなとの遊びの中でやってみたい気持ちが生まれたのか、先生たちからの励ましや後押しもあったのか、あれほど頑なにやらなかったことにも、少しずつチャレンジするようになったのです。今では高いところもスピード感のあるものも慎重ながらも楽しんでいます(とはいえ、ベースの性格は慎重なままですが)。
公園で観察していると…他の子どもたちは何かできなさそうなことがあると、自分でやってみる前にすぐママに「手伝って!」と言います。手伝ってくれないと泣いたりする子もいます。一方息子は、決して何でもできるほうではないけれど、やりたいことを見つけると、自分でしずかに取り組み、ひっそりとやり遂げていたりします。そんな姿を見つめていて目が合うと、にんまり見返してきます。いろんなタイプの子がいてそれは比較するものではないけれど、おとーちゃんさんの言葉を信じて、子どもの「能力」を上げ底してこなくてよかったなぁと今つくづく思います。
上に挙げた子たちを見ていて思いました。ママの手助けを自分の能力の一部とすることは、ママのいない自分が欠如体となることなんじゃないかって。心も体も、ママと子どもとの境界線を曖昧にすることは、長い目でみると子どもにとって酷なことかもしれないなぁと思いました。
「種まき」は本当に深い言葉です。
意欲的に取り組む息子の姿を、これからも焦らずに見守り続けたいです。
さいごにもう一度、おとーちゃんさん、深い言葉をありがとうございました。
これからも不安なママたちに響く言葉をよろしくお願いします。それはきっと多くの子どもたちを幸せにする言葉になると信じています。
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この成長の瞬間のシリーズ、又々強く共感しています。
私も、出来ないことを手伝って出来たようにさせてしまうのは、子どもが自分で悪戦苦闘したりする経験を奪ったり、出来た時の達成感を存分に味合わせてやれなし、子ども自身がどこまでが今の自分の実力かわからなくなってしまって、安全面からもよろしくないと先輩ママに教えてもらい、なるほど、と納得した以降は手伝わずいました。
しかし、その際の声かけなのですが、「自分で出来ないことはやめとけば?」と実にそっけない感じで、もう少し良い言い方はないだろうかと思っていたので、今回のおとーちゃんの声掛けの具体例はとても参考になりました〜。ありがとうございました。
大人が手を出すのって実はとてももったいないことなんですよね〜。
そして、手助けが当たり前になってしまってる子どもは、ケンカも出来ない感じがします。やめてと言ったり、やり返す前に(手を出すのはいけないことですが…)、泣いて大人の助けを求めてくる気がします。