保育 第三の道 - 2013.06.23 Sun
「子育て支援」という言葉がずいぶん前からたくさん使われるようになってきました。
よく世間では「しつけは家庭の責任」などといった言葉が使われます。
これはつまり、子供の人格形成に関しては、親が家庭ですべきものと世間では広く考えられているということのひとつの表れでしょう。
もちろん、子供の人格形成を人任せでいいわけでないことは言うまでもないことではありますが。
(僕は「しつけ」という言葉・考え方を子育ての柱にしてしまうことの弊害を感じていますから、ここでは「しつけを重視しなさい」という意味のことを言おうとしているのではありません)
子供が小さい時から関わる保育園でも、多分にそういうところがありました。
ですから、そういう考えでいる人や園では、不適応な行動の多い子供に対して、「親が悪い」というような態度を示すところも少なくありませんでした。
子供を叱ったり怒ったりすることで、適応的な姿にさせようという方針の人や園ほどそういう傾向があったと感じています。
確かに中には、育児を放棄してしまったり、子供に必要なすべきこともしないで遊んでしまう親などもいますから、そういう人にきちんと意見できる保育士はそれはそれで立派なことと思います。
しかし、「無関心をつくらない」で述べたように、子育てがわからずに、望まない方向へいってしまい、子供に無関心になってしまう人という現実も最近ではたくさんあるのです。
そういう人たちに対しても、「子供が言う事を聞かないのは親が悪い」で済ましていいでしょうか?
当然いいわけはありません。
「子育て支援」という言葉は、まだまだ、保育の受け皿の数だとか、親の便利に合わせた長時間保育や一時保育などのサービス面として使われているにすぎません。
本当の個々の親の立場に立った、「子育て」の「支援・援助」にはなっていないのです。
国や自治体などの行政は、「子育て支援」「保育サービス拡充」ということをやたらと言っています。
でも、そこで意図されているのは、保育の質的・内容的な意味での「支援」ではなくて、多くがハード面についてであり、しかも子供本位の支援・サービスではなく親受けを狙ったものであるというのが現実です。
大量の保育所の拡充を現政権は掲げています。
「とにかく受け皿を」ということであり、もちろんそれが必要なことも理解できますが、保育について少しでも詳しい人ならば、短期間で大量に作られたそれらは、「子供を受託された時間だけ預かるだけの機能」になりかねないリスクを孕んでいることも感じていることでしょう。
1 子供を安全に預かる
2 子供の健全な成長を援助する
3 子供の健全な成長をなしとげるために、親へも包括的な援助をしていく
これまでの保育園というのは、1、2止まりでした。
実際には1はできていても、2いまひとつというところも多かったです。
2がいまひとつでも、さして問題なく成り立っていたのは、園でその「健全な成長を援助する」が十分にできていなくとも、家庭でそれがそれなりに可能だったからです。
ですから言ってみれば、保育園は子供の人格形成やいわゆるところの「しつけ」について家庭に寄りかかっていた部分があったのです。
家庭で、きちんとできるという前提があって、保育が普通におくれる状態だったわけです。
ですので、それができない家庭に対しては、「親がわるい」「家庭でのしつけがわるい」で済ませたり、そういった感想・批判がでてきてしまうのです。
これまで(いまでも)子供を保育園に預けていて、「保育士の心無い言葉に傷ついた」という保護者の方がたくさんいると思います。
もちろん、先程も述べたように快く思われないことがわかっていても、子供の成長のために言わなければならないということも保育士にはあります。
しかし、適切な援助もせず「親がわるい」という考え方・言い分は、もはや過去のものなのです。
初めて子供を持った人は、だれしもが子育ての初心者です。かと言って子供が二人三人いたとしても、必ずしも上手にできるようになるというものでもありません。
かつての日本の下町や農村のように、弟妹や近所の子の子守をするのが大きい子の役割だったなどという人はいないのです。
これからの保育士・保育園は、保育・子育ての専門家として、親への文字通りの『子育て支援』を明確に視野に入れる必要があるでしょう。
これを僕は『保育の第三の道』と定義します。
子供を預かることが第一であり、これは当然の最低限。
子供の成長に寄与することが第二の道。これも専門家として真摯に努力すべきもの。
そして、「子育て」そのものを親へのアプローチも含めて包括的に援助していくこと。これが第三の道です。
しかし、こういった親への援助というのは、別に最近になって始まったものでもありません。
そういった意図や理念をもって臨んでいた施設や、保育士ははるかに以前からしていたことです。
そういう人は、「あの人はベテラン保育士だから安心」などというように、親からも大きな信頼を寄せられていたことでしょう。
しかし、もう「あの人は」というように個人の力量に任せて、それを期待してはならない時代になっています。
明確に、保育の一分野として親への子育てのスキルアップとでも言うような、援助を盛り込んで行く必要があるでしょう。
しかし、まだまだ第二の「子供への適切な援助」というものすら道半ばです。
いますぐ、このような親への子育ての包括的な支援が、完全にできるようになれとも思いませんが、それを視野に入れて目標として掲げていかなければ、「専門性のある保育」と主張することはできなくなるでしょう。
おそらく今後、行政の流れから、第一の子供を預かるだけの保育が大量に増えていきます。
だからこそ、保育はもっと研究し学び高めていかなければならないと考えます。
排泄に関しての記事が途中ですが、コメントへの返信を考えていたら以前から頭の中にあった、このテーマが形になってきましたので先にまとめてしまいました。
次回、排泄についての続きを更新したいと思います。
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● COMMENT ●
保育園について
言語の獲得
1歳8ヶ月の息子がいます。専業主婦で夫は激務のためほとんど二人で生活しています。1歳半検診で言葉を話さず、聴覚検査や言語聴覚士さんによる発達検査を行いました。言語聴覚士さんからは息子は物に対しての集中が強すぎてコミュニケーションが一方的になっている。大人を真似るとか頼るといったことが弱く大人に話しかける隙を与えていない。と言われました。半年後またこの言語聴覚士さんの検査を受けることになっています。
夫も軽いアスペルガー傾向がありおそらく息子もそういった傾向があるのではないかと思っています。小児精神科や知り合いの幼児教室の先生に相談したところ、保育所を薦められました。
それが息子のためになるなら私もそうした方がいいのかなと思っています。ただ言語の獲得を早めるために息子と一緒にいられる時間を減らしていいのかという不安があるのです。アスペルガーの傾向があるなら尚更将来いじめに合いやすかったり、苦手な能力の克服に努力が人一倍必要だったりという状況のときに人並み以上に自己肯定感の強い子にしておく必要を感じます。自己肯定感はやっぱり家でみたほうがいいのではと思うのです。せめて2歳半くらいまではみたいと思ってます。ただマンションで二人なので刺激が少ないのは懸念しているところでもあります。息子と二人で通える保育園のようなところは田舎のためありません。半年頃から週2,3日1時間程度開放保育園には連れて行っております。お忙しいなかこんな相談をして申し訳ありません。ご意見いただけたらありがたいです。
ご相談
今回ご相談したいのはそんなわが子の春に転園してこられた幼稚園のお友達です。今はお母様が育児休業中で幼稚園に来られてるのですが、小さいころから保育園に通われていたようです。私が見た感じでは母親の関心不足?ではと思われる行動が多々あります。
家の子に対する理不尽な暴力、言動。といっても子供のすることですし、相手のお母様も叱ってはくれますが、半ばあきらめて、突き放すような感じ。相手のお母様がいないときは素直で私の言うことも聞いてくれますが自分の母親の前ではとにかく言葉使いや行動がひどいです。
私も保育の経験が少しながらあるのでなるべく受け止めようとは思いますが、もともとの母親との信頼関係がうまくいってないと思われる分、あまり意味がないようにおもえますし、私自身現在妊娠中で正直よその子の面倒まで見きれない。と思ってしまいます。
子供はいくらいじわるされても「もう遊ばない」とは言わず、おもちゃをかしてあげたりする姿をみると、いたたまれなくなります。
このまま少しずつお付き合いをなくしたいのですが、、、他に何かよい接し方はないでしょうか?
保育の質を高めるために
お忙しい中、返信をいただきましてありがとうございました。
いろいろなところで「保育の質=保育士の質」といわれていますが、資格試験と都道府県登録制で質を確保しようとしても、人間性や子ども観のようなものまでは測れないし、専門学校でですら、ここでお母様たちがおとーちゃんさんにご相談されているようなことへの対応策や、そもそも問題を未然に防ぐような「視点」など習ったことはない、と若い同僚が言っていました。
就職した先でも、きちんとした保育観や社会や未来に対する責任感のない上司や先輩に囲まれてしまったり、旧態依然とした対応をなぞることを強要されたりしたら、若い子は潰れてしまうこともあると聞きました。
そんな中、最近、首都圏の中堅・新設大学などでは、学生獲得の目玉といわんばかりに、「保育学科」「こども学科」などの新設を掲げているところがたくさんあるように思います。娘のために本気で調べていて、いささか驚きました。
もちろん、保育専門学校や、短大の保育科よりも4大のこども学科のほうが優れている、などと言いたいわけではありませんが、大学のカリキュラムとなると、「発達」とか「地域支援」とか、「心理学」「運動」「芸術」などにも多くの時間設定があるように感じましたし、新設を売りにするだけあって、情報量とこれまでとは違った視点や哲学を謳っているところが多いようにも思いました。
もし、それらの‘売り文句’に嘘がなく、そこの卒業生がみな‘品質保証’をされるような授業が行われて、よい保育士が輩出されれば何かが変わるかも、とも思いますが、その実は、「新設=低い偏差値=そこしか入れない人たちが集まる」とも言われているようです。そんな学生たちには、おとーちゃんさんのブログを読んでもらったほうが、よっぽど実践的でためになるのでは、と思ってしまいます。いや、いっそおとーちゃんさんに、こども学科で講師をやってもらいたい・・・
>これからの保育士・保育園は、保育・子育ての専門家として、親への文字通りの『子育て支援』を明確に視野に入れる必要があるでしょう。
先日紹介した「『便利な』保育園が奪う本当はもっと大切なもの」の中でも、‘親が親になる機会を奪わない’、‘保育士は親の協力を得て初めてよい保育ができる’と書かれていました。
今日から読み始めた「なぜわたしたちはゼロ歳児を授かるのか」松井和著 には、‘ゼロ歳児を育てるという不自由を味わうことで親心が育ち、絆という幸福を得る’‘親心が社会に溢れることが大切’ということが書かれていて、‘~であらねばならぬ’の線引きをはずし、価値の視点を変えれば、乳児の存在によって、大人が育てられている。’とも書かれていました。
少子化対策と女性を労働力に取り込むことをセットにして混ぜ返すような政策ではなくて、
「子どもに親心を育ててもらって、楽しみながら大人になろう。絆を育てて明日の社会をつくろう。」
じゃないと!・・なんだそうですが、これって、まさしくおとーちゃんさんがいつも書かれていることとマッチするな、と思いました。
またまた長々失礼いたしました。
まだまだ勉強しなくてはいけないことがたくさんあります。
子育て支援とは
後付けの育児支援ではなくて、そこからやってほしいと思います。
私は妊娠中は病気のため産む事自体をゴールと見なしていて、そして産んだら今度は母乳が出るかばかり悩んでいて、どう育てたらいいかなんて考える余裕がありませんでした。
フルタイムの女性なら尚更だと思います。
相談
出勤する主人を車で5分の駅まで息子と一緒に送って行きます。 車に乗る時、主人とバイバイする時もご機嫌です。
所が、家に帰ろうとすると泣いて怒ります。
公園行く?家でパン食べようか? アニメみようか?等のごまかしも聞かず。
今日はごまかしもしつつ、息子の指差し通りのドライブをしてみました。
いつか納得するかなと・・・
結局車で一時間家の周りをぐるぐるドライブ。
納得なんて程遠く、お腹もすいたみたいで余計に不機嫌顔。
結局家でもずっと泣きっぱなし。私の判断が間違ってたのかな・・・
9月から保育園にいきます。今は時間に余裕があるので大丈夫ですが、9月以降が心配です。
結局納得しないならドライブせず泣かせて帰った方が良かったのですが?
何処まで付き合ってあげるのが子供によいのかわからなくなりました。
気にしすぎ。
0歳児クラスから保育園に行っており、現在2歳児クラスです。
先日懇談会があり、先生から給食は全部きれいに自分で食べているけど、身長が大きいので、おかわりして、もっと食べてほしい。
一人で楽しく遊んでいる時が多く、もっと友達と遊んでほしいと言われました。
確かに身長は94センチで体重12キロなので、痩せています。
家では 私も主人も、食が細いとは思っていませんでした。
一人で遊ぶのが好きで、絵本を自分で読むのが大好きです。
家ではとても活発で、公園にいくと走り回っています。
元気いっぱいで、ニコニコして、に愛想もよく挨拶もしっかりします。
赤ちゃんから保育園に行っているので、満ち足りるよう心掛けてきました。
かわいい子に育っているなと思っていたのです。
前置きが長くなってすみません。何が言いたいかと言うと、保育園の懇談会後、私がとても不安になってしまいました。
そして、このブログを拝見して、とても参考になりました。
私の食事の進め方が悪かったとか、友達とあまり遊ばないのは、満ち足りてないせいかも、過干渉だったと思い、一日気をつけてみました。
次の日の朝、子供は今まで見たことがないくらい元気がなく、昼に 泣いて泣いて ママが嫌だよ~と言われ、驚きました。
私は良かれと思って変わってみたのですが、間違ったようです。
その次の日、私は子供と接するのが辛く、2時間もテレビをみて過ごしてしまいました。初めて自分が無関心状態だと感じ、自己嫌悪でした。
結論は そもそも、懇談会で言われたことを気にしすぎたということです。
自信がないからです。そしてブログを読んで、必要以上に変わる必要を感じ、無理に自分を変えて、子供にしわ寄せがきてしまいました。
情けないです。私が笑顔でいることが大切なのに。気持ちに余裕がないのです。
かわいく育っていると思っていたのに、こんなに揺らぐなんて。
乱文失礼しました。
確かに気にしすぎかも
次の日、お子さんが泣いてしまって、方向性が間違っていたとわかったなら、またすぐ戻せばいいだけのことではないかと。。。
自分の子であろうが、しょせん別の人格であり、たまに接し方を失敗するのは仕方ないのではと思います。
自分の子への接し方は、ただの一度も間違えてはいけないのでしょうか?
長いおつきあいになるのですから、何度も間違いはあるでしょうし、そのたびに修正すればよいだけなんじゃあ、、と感じました。親子の縁なんて切りたくても切れませんし。
それとも今、混乱されているのは、さらに次の日に無関心状態になってしまったことのほうでしょうか?
その原因は前日の失敗に落胆したから?
それとも他人の意見を聞いてしまった自分が許せない?
たった一日無関心状態になったことも許せない?
まさに気にしすぎ。
もともといい関係を築けていたなら、今回のことは謝って、その信頼関係の土台を信じてもとに戻ればいいだけではないかしらん。
ゆきこさんへ
お子さんの担任は、大きい子は食べるべき、子どもはお友達と遊ぶべきという通り一辺の考え方の人かもしれません。でも、私たち懇談会を開く立場の人間は保護者を批判したり不安にさせるためにお話しているのではなく、子どもがもっと成長していくためにお話させていただくのです。まして、お子さんは受験を控えた高校生ではなく、3歳になったばかりの幼児であり、今すぐ結果を求められるわけではありません。ゆきこさんは、言われた点をこれから伸ばす部分、少し意識して見ていく部分ぐらいに捉えたらよいのではないでしょうか。また、その不安になってしまったことや今後の関わり方は担任に伝えたり聞いたりされましたか?懇談会を開くと話が双方向にならない保護者がいます。疑問やご自分のスタンスは伝えても大丈夫というより、むしろ大歓迎だと思います。私はまだ育児休暇中で、サークルや支援センターの方ともよく話しますが、うちの子をずっと見てもらっているわけではないので、相談してもなかなか難しいです。保育園に預けているメリットをいかしてください。
それから、違っていたらごめんなさい。おとーちゃんのブログを全部読まれましたか?もしかして一部だけということは?過干渉の反対をあまり関わらないと捉えていませんでしたか?どうしてそう思ったかというと、お子さんが一人で集中して遊べることや親から見てかわいいと思える甘え方ができるのは大事だとおとーちゃんは繰り返しておられ、そんな記事をみたらゆきこさんは不安になるよりむしろ、今までのご自身のスタンスでよかったんだたと確認できたのではないかと感じたからです。私はおとーちゃんのブログを読んで、過保護や過干渉の人でなくても参考になり、このやり方なら子どもと心地よい関係を築けるなと思いました。もしかしたら、今回はちょっと違う風につまみ食いしたってことありませんか?
それでも、お子さんとはしっかり信頼関係がある様子なので1日くらいお子さんとギクシャクしたくらいで、それが簡単に崩れるとは思わないけどなあ…。ゆきこさんのお子さんみたいに一人遊びが上手な子、うらやましいです。うちの子はもうすぐ1歳5カ月になりますが、まだまだ私に参加してほしいみたいです。
本当に偉そうに書いてしまいました。すみません。こういうのって人のはこうだよって言えるんですよね。でも、自分のことになると自信がなかったり不安になったり…そんなんで忙しいおとーちゃんに相談なんてしてしまってます。だけど、悩みすぎはよくないけど、まったく悩まないというのも危険だと思うので、これからもお互い試行錯誤していきましょう。最後まで偉そうにすみません。
叱らない弊害
叱らなくていい子育てを何とかぼちぼちやってきて、子どもたちは真っ直ぐ可愛く育っているように感じます。
ですが、上の娘が叱られる(怒鳴られる)ことに耐性がなく、極度に怯えてしまいます。
元々の怖がりの性格もあるとはおもうのですが、怒られているのが自分でなくても、怒鳴る大人を見ると怯えて固まってしまいます。
幼稚園では、叱るとも言えない程度のキツイ口調の注意でも、びっくりして泣いてしまうことがあるようです。
穏やかにそれはダメだよと言われる分には平気で、ちゃんと聞き分けてくれるようなので、強い口調が怖いみたいなのです。
幼稚園の面談でも、素直で思いやりもあるいい子ですが、怒られたり、叩かれたり(友達に)することに耐性がないみたいで・・・と暗にもうちょっとたくましくなってくれないと、と言われました。
そういうのを見聞きしてると、冷静に寄り添い、考えさせ、導く様な子育てが良かったのか自信がなくなります。
下の息子をこのままの方針で育てていいものか。
男の子でもあり、時には、声を荒げるようなことにも慣れさせた方がいいのか悩みます。
洗濯日和さん
自分のことのようだったので、差し出がましく、コメントしています。
我が家の長男も全く同じでした。
穏やかに静かな環境で育てたせいか、幼稚園に入ったときから、先生が怒って怖い、と毎日言っていました。
知り合いの男性に「こんなにやさしいと先が心配。やさしいというのは褒め言葉じゃないよ」と言われたこともあります。落ち込みました。
でも、ある子供教室の先生に「子供時代に必要なことと、大人に必要なことは別。大人になって、優しすぎることで困ることがあるとしても、子供のときに大人が先回りして子供を強くしてやろうなんておかしい。子供をそのまま受け止めてあげてください。」と言われました。
この言葉で、「やさしいこと」はこの子の美徳だ、と信じて、ほめてきました。
でも、フォローのため、小学校に入ったときは、面談用の相談シートに、「怒って大声を出すと怖がります」と書きました。
今は高学年ですが、いつのまにか堂々とした落ち着いた少年になりました。友達には○○くんは優しいと言われています。
周りの声やプレッシャーに負けず、子供さんを受け入れてあげてくださいね。
みゆさん
施設内保育所ということですから、正規の基準などもなく託児としてもともと考えられてきたのかもしれません。
しかし、そうであっても、
>足を怪我していたので「あれ?この傷どうしたんですか?」と聞くと、「あ。本当だ~。気付かなかった。」と言われました。
>娘は便秘がひどく2日出ないと下剤を飲むのですが、出たかどうかも書いていないときがあります。
こういったことはやはり問題です。
健康状況の把握というのは、当然ながら託児であっても配慮されねばならない問題です。
対応や意識の改善があってしかるべくだと感じます。
これらひとつひとつは些細なことであっても、このような意識や配慮不足の積み重ねが大きな事故をうまないともかぎりません。
僕も最近大きな病院に行く機会があったので、院内の保育所を見学させてもらったのですが、そこは職員だけでなく外来患者の子供を預かったりもするところでした。
もし、みゆさんのところもそういう携帯であれば、それは職員として我慢すればいいだけではなく、病院全体としても責任があるといえるものでしょう。
直接その保育所の職員に伝えにくい、もしくは伝えても改善が望めそうもないというのであれば、病院の担当している部署に相談してみたりするのもよいのではないでしょうか。
業務を委託しているのであれば、理事者側から配慮を考えてもらうくらいのことは出来ると思います。
意識の低さというのは、保育施設のような閉鎖的な組織では内部からはなかなか変えられませんから、第三者からの意見なり苦情なりを受け止めることも大切だと思います。
あゆさん
おそらくは言語の獲得だけでなく、集団生活に入ることで家庭にいるよりも圧倒的に増えるだろう経験が、お子さんの成長に良い影響を与えることも考慮しての、保育園入園を勧めているのだと思われます。
作業療法士の木村順さんが、著書『「気になる子」の育て方』(成美堂出版)のなかでこういうことをおっしゃっています。
引用すると長いのでかいつまんで述べますと、
「昔よりも現在の方がグレーゾーンと思われる子供の数が増えているというデータが出ているが、必ずしもその数が増えたのではなく、かつてはあった子供同士の関わりや身体を使ったたくさんの遊びなどを日々することで、グレーゾーンと呼ばれるものや発達障がいなどの諸症状が、低減されたり、そこでの経験の中で気にならないくらいまでに成長を遂げていたという背景があるのではないか」
といったことが書かれていました。
あゆさんのお子さんも、保育園に入ることでこういった環境・経験を早い段階で持たせることで、言葉及び感覚統合などの物事に関わる部分での特質などそのものをコントロール可能な範囲にしていくというねらいがあると考えられます。
ご心配になっている自己肯定感の部分ですが、そちらは保育園に入ったら与えられないというものでもありません。
あまりに長い日々の保育時間などでは、そういった懸念も出てこないとも言えませんが、保育園はその人の必要な時間に応じて預かるので、迎えの時間がはやくとも別にかまわないのです。
ですから、預けたからといって直ちに自己肯定感の問題がでてくるわけではありません。
その点はご心配いらないと思います。
もし、行ってみて本当に合わないと思うならば退園してもいいのですし、専門家がそのように勧めているのでしたら、前向きに検討してみてもよいと思われます。
やまねこさん
たしかに、女性の労働問題と保育園の増設などがからめて話題になっているわりには、労働問題は完全放置のまんまで、大企業や国としての経済問題のなかでしか語られていない、国民に目が向いていないというあからさまな行政の方向性には心配の種がつきません。
田舎のデグーさん
僕もこれは是非必要だと思います。
保健所などでは出産を控えた人たちに、最近では父親にも参加を勧めているようなものが多くなっていますが、赤ちゃんのケア・健康上のこと周辺にとどまっているようです。
本当はもうすこしつっこんで、子育てにおける指標のようなものを示してあげられたら、かなりいろいろ違ってくるのではないかと思います。
とくに、これは子供が生まれる前、出産前にすることはとても効果があるのではないかと個人的に思っていました。
ぴょんきちさん
「いいなり」はいくら応えたところで、子供の心は満たされません。
なぜなら本当に子供が求めているのは、その目先の要求ではないからです。
実際の様子が見れるわけではないので、ぴょんきちさんのところがその「いいなり」が問題なのかどうか正確なところはわかりませんが、コメントの内容から推察されるところと、一般的に多いケースから類推したところで話を進めていきますね。
子供が本当に求めていることとは、お母さんからの暖かい関わりであり「肯定」です。
育児が大変になってしまうと、そうしているつもりはなくとも、子供と二人きりの時間を重荷に感じてしまったり、うんざりした気持ちになってしまったりということがあります。
ぴょんきちさんも、もしかするとご主人と二人で子供を見ているときは余裕をもっていられるけれども、二人きりになってしまうと、持て余したり不安な気持ちになってしまったりしていないでしょうか。
もし、そういうことがあるならば、子供はそういった母親の心情を敏感に察知して、なんとかその状況を良いものにしたいとあれやこれやします。
子供はよいものにしたいと切に思っているのだけど、その「あれやこれは」はたいていが大人にとって大変なものとして形になってしまいます。
僕が言うところの「ネガティブ行動」というものです。
こうして吹き出してくるネガティブ行動としての様々な子供の要求に、大人が「いいなり」に従っていても、大人は喜んでそれをしているわけではないので、やはり子供はその心情を察知します。
それにたいしてまたネガティブ行動がでてしまいます。
そうして悪循環となってしまうので、子育てが大変なばかりとなります。
これを改善するためには僕は「先回りした関わり」というのを勧めています。
詳しくは過去記事がありますので、検索してみてください。
また、「弱い大人」についてのところなども参考になるかと思います。
大人がしたくないのに子供が要求するからとしてしまうのが、「いいなり」です。
このことはプラスにならないどころか、マイナスになることが多いですのできっぱりと脱却するように努めたほうがいいと思います。
子供が要求することをするのではなく、「なにを子供にさせたいか」「一緒に何をしたら楽しいか」ということを自分で考えてみて、それをしていくほうがいいでしょう。
9月から保育園に入るということでしたら、それまでがとても大切な時間となります。
慣れないことで大変かもしれませんが、是非ともいまの段階で、「受容や肯定」の関わり方を親子で形成していくことが大事だと思います。
先延ばしにしてもさらに大変なってしまいますので、お互いに心地よい関係をいま作りましょう。
3歳の子に対してそれをしようとするよりも、1歳8ヶ月の子にするほうがずっとそれは容易です。
その方法は、過去記事やそのしたにあるコメント欄での相談のやりとりのなかでヒントはたくさん見つかると思います。
また、現状お子さんはそういった「ネガティブな甘え」の出し方を獲得してしまって、それが身についてしまっています。
これを切り替えるのは、この記事の本文であるような「大人が受け入れる姿勢を常に示す」ということが必要です。
また、朝のその車でのやりとりが癖になってしまっているようならば、その送り自体をやめてしまって、リラックスした状況で一日をスタートできるようにするという手も有効な手段かもしれません。
その場合はお父さんは少し大変ですが協力してもらって朝駅まで歩いてもらったりしてもいいかもしれません。
その上で、ぴょんきちさんのペースで一日をはじめるのです。
ぴょんきちさんがリラックスしていられるのが大切です。
その上でのんびり散歩したり、公園にいったり、今の季節ならば水遊びなんかもいいでしょう。
すごいことはできなくてもいいので、ぴょんきちさんが楽しく一緒に遊んでいる姿をお子さんに見せてあげましょう。
子供はだんだんとネガティブ行動を出さずとも安心して過ごせる時間が増えていくと思います。
また、もしネガティブ行動がでてきたら、「そういう風にキーキー言われたらお母さん困る!抱っこしてあげるから素直に甘えておいで」と抱きしめてあげることを繰り返ししてみてください。
あと「先回りした関わり」のところにありますが、「くすぐり」をたくさんしてみましょう。
ほかになにか原因があるのでなければ、これらの積み重ねで必ずお子さんの姿は変化を見せると思いますよ。
また、もしぴょんきちさんが育児ノイローゼなどがあると思われるならば、無理をせずにできるだけ多くの人に子育てに協力してもらうといいです。
ゆきこさん
>一人で楽しく遊んでいる時が多く、もっと友達と遊んでほしいと言われました。
これらのお話は、おそらく言葉通りのままで別に他意などないように僕には感じられます。
ご自身が題名に書いているように、あまり気にしないほうがいいと思いますよ。
人を育てるというのは大変なことですから、いろんなことがあります。
イライラしてしまうことも、子供と関わる余裕が持てない時だって誰しもあります。
僕だってあります。
そんなときは自己嫌悪になって余計気持ちが沈んでしまうものですが、そういうときは「自己開示」ということをしてみます。
どういうことかといいますと、子供にありのままの気持ちを伝えていくのです。
「僕はいまイライラしてしまって、優しい気持ちになれないです」
「おとうちゃんは、ちょっと嫌なことがあって元気がでないんだよ」
とかね。嘘をつく必要もないので、ありのままを伝えてみます。
子供は基本的に親の味方です。
理解しておもんぱかってくれます。
また、このことは子供にとっての救いにもなります。
子供は大人の不機嫌な態度に接したとき、自分が否定されているという気持ちを抱きます。
「こうこうこういう理由があって、こうなっているのだよ」と伝えてもらえることで、子供は自分が否定されてそうなっているのではないということがわかります。
人間ですから気持ちに余裕がない時があったっていいのですよ。
そんなこんながあって、子供は立派に育っていきます。
追記
ちなみに僕は↑このことは気にしなくていいと思います。
年齢から言って他児との関わりが必須な時期でもないですし、別にもっと大きくたってその子の個性で自分で遊ぶのが好きな子がいてもいいと思うからです。
僕だったらむしろ、この年齢でひとり遊びがじっくりできることをすばらしいことだと思います。
洗濯日和さん
近頃子供にびっくりするような暴言をはいたりするお母さんというのも珍しくなくなっていますが、生まれて数年の子供がそういことに耐性ができてしまっていることのほうが異常な事態だと僕は感じます。
この種の問題は、大人が先回りしてあえて「強さ」を植え付けようとせずとも、いい理由が二つあります。
細かく説明すると長いので、ポイントだけあげます。
それは「年齢が上がるに応じて、その年齢並みの耐性がついてくること」と「その子供の個性の尊重」と捉えるべきという二点です。
これについては以前から記事としてまとめようとおもっていたことでもあり、また同様の相談もほかに寄せられていますので、詳しくは記事としてUPしようと思います。
しかし、ちょっといま立て込んでいるのでしばらく先になるかもしれません。
ともさん
この意見に僕も全く同意します。
しかし、
>知り合いの男性に「こんなにやさしいと先が心配。やさしいというのは褒め言葉じゃないよ」と言われたこともあります。落ち込みました。
この種の意見の人たちが世の中にたくさんいることも知っています。
そして現実に「強さ」というものが必要な状況というものがあることも知っています。
でも、だからといって大人が先回りして子供に、それら未知の(子供にとってはさらに不可解な)状況に対処するための『強さ』なるものを植え付けることは理不尽なことであるように感じてなりません。
No title
いつも勉強になる記事をありがとうございます。
最近、保育士おとーちゃんが問題提起されている内容と重なる本を読み、こちらの記事に書かれていることがより深く理解できました。
本の紹介とともに、こちらの記事をリンクさせていただきました。
これからの子供が育っていく環境を思うと、
心に暗雲がたちこめてきます。
何か自分にできないか…というもどかしい気持ちでいっぱいになります。
ありがとうございます
娘はそれに輪をかけて苦手というレベルを越えて怯え、
最近、息子も大声に怖がる反応を見せはじめたので、
少し迷っていました。
ともさん、おとーちゃんさんのコメント読んで、このままの方針でいこうと思います。
強い口調で言われても怖がらなくていいんだよということも伝えていこうと思います。
ありがとうございます。
私自身、長男を出産後まさに、無関心な親でした。どうする事もできず、毎日がただ過ぎて子育ての楽しさが分からす、だったら仕事すると思い、アルバイトで、たまたまあった、学童保育で仕事をしました。もちろん、保育士でもなくただなんとなくでした。
ところが、そこで、とても熱心な先生方に出会いました。
毎日、親が仕事している事で、少なからず寂しい思いをしてる子ども達に、学童でしかできない体験、少しでも自信をもって、生きる力をつけてほしい…毎日毎日、ほんとに、子ども達とふれ合う中で、自分の無関心な、心と向き合う事ができ、何故私はこうなってしまったのか、とうしたらいいのかと、とても考えさせられ、保育とはとても素晴らしく、また、子育てとはなんて楽しいものかと、分からせてもらいました。
こうなった原因は、私の両親が、子育てに無関心で、自分のために生きるのにお互いが必用なのであって子どもは、ひとつの道具でした。悪口を書きたくて書いたのではなく、無関心は連鎖すると言うことを言いたいのです。虐待を受けて育った子どもほ、また、その子どもに虐待をする。この負の連鎖を絶ちきりたい!その思いから、昨年保育士を取得しました。
おとーちゃんさんの考えほんとに、感銘をうけます。
長い文章になり失礼いたしました。
このブログが、1人でも多くの子ども関わる大人に読まれて欲しいと思っています。
お返事ありがとうございます
保育園も前向きに検討していこうと思ってます。
素朴な疑問が湧いたのですが、昔よりも何かしらの障がいとしてレッテルを貼られる子どもは増えていると思いますが保育園に預けられる子どもも増えていると思うのです。保育園に行く子どもが増えれば気になるグレーゾーンのような子どもは減るのでは…と思うのですが。これはどうしてなのでしょうか??
もちろん背景に子どもの遊びが自然あそびからTVゲームなどにかわりかかわりあいが圧倒的に減ったという現状はあると思います。また簡単にグレーゾーンと名前がついてしまう現状もあると思います。
愛着形成がうまくいっていない子どももグレーゾーンのような発達段階になるということもどこかで読みました。早くから保育園に預けっぱなしになることでグレーゾーンと一見間違われる子どもが増えてしまったのかなとも思います。こうなると、持って生まれた気になる子どもと育つ環境でそうしてしまった気になる子どもへの対応は真逆なものになると思うのです。もともと気になる子へは保育園などで経験を積ませ環境による子には保育時間を減らす対応が必要かなと思います。
私自身、我が子と24時間365日一緒にいますが愛着形成がもしかしてうまくいかなかったからこうなっているのか息子がもともともって生まれたものなのかわからなくなる時があります。
すみません、ひとりごとのようになってしまいましたが、黒か白の答えではなく、保育園で経験を積ませつつ、親子でふれあい遊びを増やし愛着を形成しつつでいろんな方のお力を借りながら子育てしていこうと今は考えております。
お返事ありがとうございます!!
保育園に子供を預けていると保育士さんに意見を言うのはとても怖いです。モンスター扱いされて、あの子の親はうるさいからとか、親の見えないところで何かされるんじゃないかとか、保育士さんにそんなつもりはなくても他の子と扱いが変わってしまったらどうしようとか。
でも、やはり健康面についてはきちんと見てほしいと伝えていきたいと思います!!先生に言っても全く悪気がないので伝わらないと思うので、まずは園長先生にお話しします(園長先生が誰だかも分かりませんが)
ちなみにうちの保育園は職員のみで、外来のお子さんは預かっていません。職員だけでいっぱいで、先生が足りず、子供は保育園でテレビを見ているようです。
お忙しい中ご助言本当にありがとうございました
しきりんさん
でも、これからの時代きちんと理念を持って保育に臨める人材が欠かせないと思います。
大変なこともたくさんあるとおもいますが、どうかお体に気をつけてがんばってください。
あゆさん
保育園で得られる経験がプラスに作用するタイプの子供であればそうなるかもしれませんが、グレーゾーンはさまざまな要因があったり、それがなんなのかわからないことも多いので、すべてのケースのグレーゾーンが軽減されるとも限りません。
また、園にくることでグレーゾーンとわかるということも少なくないので、グレーゾーンという名称の数だけでしたら、ときに増えることにつながっているということもいえるかもしれません。
>愛着形成がうまくいっていない子どももグレーゾーンのような発達段階になるということもどこかで読みました。早くから保育園に預けっぱなしになることでグレーゾーンと一見間違われる子どもが増えてしまったのかなとも思います。こうなると、持って生まれた気になる子どもと育つ環境でそうしてしまった気になる子どもへの対応は真逆なものになると思うのです。もともと気になる子へは保育園などで経験を積ませ環境による子には保育時間を減らす対応が必要かなと思います。
こちらも一概には言えないのです。
愛着形成からそうなっている場合、家庭で適切にそれが与えられるケースならばそれでもいいのですが、なかには養育の意思が低かったり、親の病気などの理由があったり、または単にそういった関わりが下手ということなどもあります。
そういうケースでは、園で親をサポートすることでなんとかそれが可能になったり、親ができない分を保育士が肩代わりすることでなんとかバランスがとれるということもあります。
また、愛着形成だけでなく「関わりのまずさ」といったことが原因で、家庭において子供に適切な経験を与えられていない場合、これも家庭にいるよりも園に通っていた方がバランスがとれるので一概に家庭にいればよいということにもなりません。
おっしゃるように、グレーゾーンというのは原因がなにかわからないということが多いです。
むしろはっきりと原因がわかってしまえば、適切な対応も図れるのですが、やはりそれらがはっきりしないというところがグレーゾーンと呼ばれるケースの特徴であり、難しい点なのだと思います。
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ずいぶん前からこのブログには助けられていて、本当に感謝しています。
私は看護師をしていて2才2ヶ月の女の子を病院内の保育園に預けています。職場内の保育園なので託児に近いと思いますが、各クラス15~20人くらいいて、学童もやっていますし、土日も、夜勤の時も預かってくれます。病院の8階にあり、園庭もありません。
私は夜勤はやっていませんし、今日から産休に入り、娘も保育園に行かなくなりました(産休・育休中は預かってくれません)
この保育園にちょっと疑問があり、どうやって付き合っていけばいいのか質問です。
担任の先生が誰なのか紹介もなく、授業参観もなく、卒園式もなく、運動会もなく、園で子供がどのように過ごしているのか全く分かりません。
先生に聞いても「変わりありません。」とか、「今日はお絵かきをしました」ぐらいです。
足を怪我していたので「あれ?この傷どうしたんですか?」と聞くと、「あ。本当だ~。気付かなかった。」と言われました。
連絡帳も色々と質問事項を書くのですが完全に無視で「今日は○○をして遊びました。」としか書いてくれません。
娘は便秘がひどく2日出ないと下剤を飲むのですが、出たかどうかも書いていないときがあります。
また、身体に発疹が出来やすく「薬を替えました」とか、「今日はひどいのでステロイド塗りました」など連絡帳に書いているのに、職場に電話がかかってきて「発疹が出ています。昨日おうちで食べさせた卵が原因じゃないですか?(娘は卵アレルギーです)保育園では卵は食べさせていません。」と言われました。
娘のことを全く分かってくれていないんじゃ?と、とても不安になりました。
トイレトレーニングもやっとトイレでおしっこできるようになり、園でも1日三回トイレに連れて行ってもらっているので、先生に「今日はトイレで出ましたか?」と聞くと「今日は全部オムツにして、トイレに行ってません。」と言われました。
先生一人ひとりはニコニコして悪い人ではないようですし(プロ意識は無いように思いますが)何より娘が楽しんで行っているのでいいのかぁと思っていますが。
育休明け、子供二人をまたここに預ける事になります。
この保育園と上手に付き合っていくにはどのようにしたら良いでしょうか?
お身体の調子も悪い様ですし、お忙しいと思いますので、気が向いたらご指導くださったら幸いです。私もただ、聞いてもらいたかっただけかもしれません。
長文失礼いたしました。
お身体お大事にしてください。ブログ楽しみにしています。