子供の上限を決めつける - 2013.08.12 Mon
多くの人に共通して、「まだ小さいから」「子供だから」「どうせわからないから」「言ってもしないから」というような「決めつけ」があるのを感じます。
大人が言葉や態度で示したとしても、「どうせそれにしたがえないので、大人の手を増やすしかない」と考えてしまうようです。
なかにはそういう子もいるでしょう。
発達上の問題がでていたり、なにか特徴が強く行動に現れていたりするとそれはあります。
ですがそうしてしまっている家庭の多くが、それらにはあてはまっていないようです。
こうして大人が子供を「どうせ○○できないと決めつけること」、つまり大人が勝手に「子供の能力の上限を決めつけてしまうこと」はひとつの悪循環を生み出します。
このように大人が「子供はここまでしかできないのだ」と考えて、子供の「大変さ」に常に見合うような大人の手や手数を増やす対応をしていくと、子供は本来ならばそこで学ぶべき、自分でその行為をするだとか、待つという経験や、我慢するなどの経験もせずに成長していくこととなります。
これをたくさん積み重ねていくと、もともとは大人が決めつけて「させなかった」ことが、本当にその子にはできないことになってしまいます。
大人が決めつけをしてそれに見合う関わりをしてくと、本当に子供は「大人が決めつけた」ところまでしか成長していかないのです。
つまり、大人の思い込みで「子供の育ちの上限」をつくってしまうのです。
ですので、こういう悪循環になってしまっていると、「小さいうちはわからないから、できなくてもしょうがないわね」と考えてそのように対応しているほど、年齢が上がってもずっとできないままというようなほとんど横ばいの成長しかしてくれなくなってしまいます。
だから、こういった大人の対応は、「育ちを奪う」ものだと僕は思っています。
子供にかけられる手が多いというのは悪いことではありません、子育てというのは一人でするものではないと僕も考えています。
しかし、この問題とそれとは違います。
「子供を一人では見きれないから、人手を増やさなければならない」という状況に、もしなっていたとしたら、それはなにか問題があるということです。問題というと大げさかもしれないので、なんらかの「まずさ」とでもいいましょうか。
大人の子供への関わり方に、もしくはこれまでの積み重ねに、子供のおかれた状況(環境的や精神的など)に。
もしくは子供の発達上の難しさや問題がでているのかもしれません。
子供の様子に直面してそこをきちんとみつめることも、子育てにおいてはまた大事なことです。
大変だから手を増やすことで安易に乗り越えてしまう前に、今までの子育ての仕方や子供の様子に注目してみるきっかけとしてみることも必要ではないかと思います。
「たくさんの大人で子供に関わる」ということと、「たくさんの大人がいないと関われない」とはまったく違います。
でも、この「たくさんの大人がいないと関われない」状態が、子育てというものなんだと思ってしまっている人が大変多くなっています。
子供に関わる経験の少ない現代ではこう思ってしまうことも無理からぬ面があるのかもしれません。
保育園に通っている家庭でもとても増えています。
・母親一人では、園までつれてこれないので父親や祖母など二人でないとこれない
・一人では登園させて、その持ち物の用意までできないので、一人が登園させたら、一人が時間差で持ち物の仕度だけくる
・家にいても大人ひとりでは、子供をみながら家事ができないので、誰かに家事をしてもらうか、子供のめんどうをみてもらわなければならない
などなど。
確かに、子育ての中には大変なことはあります。
一人では手が回りきらないこともあります。
でも、それはそういう状況に直面しても、まずは少しずつ乗り越えていこうとすることです。
それを当たり前として、大人がそれを乗り越えたり、子供に成長させて乗り越えさせたりすることもなく、そのまま「大変さの大きさ」に合わせて、それを押さえつける大人の手だけ増やしていたら、子育てはどんどん難しいものとなっていってしまいます。
こういう状況はとくに「弱い大人」タイプのひとにとても多いです。
「どうせこの子はできない」と決めつけてしまっていることが、実は大人が勝手にそう思い込んでいるだけだったり、大人がそうさせるだけのすべや自信・強さがないので、そう考えることに逃げてしまっているということも感じます。
このように子供の「上限をきめつける」子育てを積み重ねられてしまった影響は、そのときだけでなく大きくなってからもずっと尾を引きます。
成長期の姿が強くでてしまったり、3~4歳ごろの乳児から幼児への過渡期の葛藤も強くでたり、4~5歳のそれなりに自立が出てくるはずの年齢になっても自分に自信がもてなかったり、対人関係での調整能力が年齢に比して弱かったりなどなど。
世間ではしばしば「子供は小さいからどうせわからない」とかいう言葉を聞きますが、そう考えてしまうことは僕にはとてもこわいことです。
「男の子だから大変」といった世間一般で流布しているある種の決めつけなども心配です。
また、「小さいうちは子供に手をかけてあげないとかわいそう」といった理屈で、ここに述べたような子供の力を低く決めつけた上での囲い込みの対応をしているのをみたりすると、本当に「かわいそう」なのは「子供の成長を奪ってしまうこと」なんだけどなぁなどと思ってしまいます。
現代の子育ての「大変さ」というものの背景には、大人が子供の能力を正しく知っていないことや、それらをひきだせるだけのすべをしらないということが多分にあるように感じます。
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● COMMENT ●
きめつけ
子供の成長を感じる
お願いしますね。楽しみに待ってま〜す。
「家にいても大人ひとりでは、子供をみながら家事ができないので、誰かに家事をしてもらうか、子供のめんどうをみてもらわなければならない
などなど。
確かに、子育ての中には大変なことはあります。
一人では手が回りきらないこともあります。
でも、それはそういう状況に直面しても、まずは少しずつ乗り越えていこうとすることです。」
最近、特にこのことを実感しています。
「誰か料理終わるまで見てて~!」と思う日もありましたが、
何とかこなしていくうちに子供との間で折り合いが付き始めたように
感じます。
「お母ちゃんこれから、ご飯作るから一人でご本見ててね」
「うん!」
「○△□ね〜」
と、普段は私が読み聞かせをしている本を、まるで読んでいる
かのようにマネして読んでいたりします。
そして、子供が好きなポイントはわかっているので、その部分だけ
料理をしながらでも一緒に声を出してあげれば、なんとなく一体感!
そうこうしているうちに料理もできて…
「よく一人で待っててくれたね。助かったよ〜」「うん!」
てな日がだんだん増えてきたように思います。
(もちろん、足元にまとわりついてグズる日もありますが)
少しずつ言葉も通じる月齢になり、子供と意識が通じているという
なんとも言えない感覚や、子供の成長を感じる瞬間は本当に
嬉しく思います。
まだまだ子育ては始まったばかりですが、一緒に成長するつもりで
頑張っていきたいと思っています。子供の無限の可能性を信じて。
No title
「子供の上限を決めつける」、いろんな場面で出くわすことがあります。
今度二歳半の娘とともに、実家の両親の車で帰省をするのですが
実家の母から「(妹の子供たち三才8か月の男の子、女の子)と取り合いのケンカになるといけないから、三輪車を車に乗せれるように畳んでおいて」と電話がありました。
三人で、二台のものを取り合いになると面倒だから、わざわざ数日の帰省だけのために持っていく準備をしておいて、と妹が言っているというのです・・・
私が「重いものをわざわざ持っていくのも大変だし、もともと二台しかないものなんだから、それで交代で乗って遊べばいいから」と断ると
母が「せっかく、妹(姪の母)がケンカになると可哀想だからって提案してくれてるのになんでそんなこと言うのか?」と不満そうでしたが・・・
三才8か月の姪は、言葉はいっぱしのことを話せるけど嘘をついたり、泣き落としというか、嘘泣きをしたり、まだイヤイヤ期が続いているようなネガティブな行動が結構目立っています。
保育園に通っていますが、土曜日や親が仕事が休みの時も保育園に連れて行っており、多い時は週6。祖母(私の母)がみているとき、迎えに行くときももありますが、そんな状態なので姪が来るときは少々うんざり気味。できるだけ迎えの時間を遅くしたり、姪に対して小言も増えています。
姪の母が仕事、父親が趣味の草野球に行くときは父親の実家の両親に預けないで、決まってうちの実家に連れてきて私の母が甥姪二人の子守をしていたりすることもしょっちゅうです。姪の母親も、姪がやんちゃで、大変なのをわかっているので自分の母に預けたがるようです。
でも、これが姪が生まれて以来日常化してしまっているので誰も何も意見しません。
ただただ、姪の子守がしんどくなっているばかりです。
姪のためにも何とかしてあげたいのです。もうすぐ四歳、本来なら、もう少し物事の理解ができる年齢かと思いますが、なかなか二歳のイヤイヤのまま、内面的な成長が見られないように思います。
子育てにおいて生じる困難は「大人の手を増やす。ものを増やす」という安易な方法は、本当に決めつけですよね。
No title
初めての育児で、それまで小さい子に接する事はほとんどなく(人生で3回くらい従兄弟の乳児期に抱っこしたくらい)、実際に自分の子を産んで育ててみて、戸惑う事や分からない事が多く、楽しく幸せなのと同じくらい、壁にぶつかって悩む事も多い今日この頃です。
もうすぐ1歳になる長男への接し方で、教えて頂きたいことがあります。
まだ大人の言う事で分別がつかない頃なので叱るべきでないと捉え、いけないこと(高い所にのぼるとか、ティッシュを食べるとか)をした時には「いけないよ、危ないから止めてね」としっかりと声かけはするにとどめているのですが、この対応方法は適切なものなのでしょうか?
特に最近、遊んでいる時に、父母の肩や脚を噛むことが増えていて、欲求不満or指導不足?なのかと、心配に思っています。子供の下の歯が2本はえ、上歯もみえてきたので、痒いのかなと思っていたのですが、それとも違うのかなと。。噛まれたときはどんな対応をとるべきだとお考えでしょうか。
心配に思ったきっかけは、通っている桶谷式母乳管理室の担当者の言葉からです。長男を連れて行ったのですが、施術中に横で待たせておくと元気にハイハイして動き回る息子をみて「この子は落ち着きがない。家でもこんな感じなのか?まぁ男はこんな感じだから仕方が無い。この子は噛むのではないか(←ドキッ当たっている・・)力が有り余っていてストレスがたまっている。他の子を噛むようになったら迷惑をかけ大変だ」と言われ、私の育児や接し方は間違っているのかとズシーンと不安に思ってしまいました。
とはいえ事前に今回の記事を読んでいたので「男の子は大変だ」という決めつけをした発言だなぁと不信不快にも感じたのですが、育児の道のプロ?の方の言葉なので、じっと座っておもちゃで遊ばない(どちらかというと動き回る子です)がそんなに問題点なのかと不安に思いました。
tomaryさん
こう思ってしまうと楽というのならばまだしも、決めつけることによって大人も子供も苦しくなってしまうようなことも多いので、やはり先入観ではなく、子供ひとりひとりを見るということが大事なのでしょうね。
ルンタさん
というよりも、子供というのは常に大人の心情に対しての敏感なアンテナをはっていますので、「小さいからわからない」基本的にはないのです。
問題は大人がどれほどそのことを伝えたいと思っているかという、気持ちの方です。
たとえばの話、子供がもし自動車が走っている道路に飛び出そうとしたら、大人は引きずり倒してでもとめるでしょう。
もし、子供にそれをして欲しくないと思うのならば、その心の思いの分をきちんと伝えればいいだけです。
言葉そのものよりも、そこにしっかりとその気持ちを乗せて目を見て伝えるといいでしょう。
そのとき大人が、どっちが正しいのかわからないなどと思いながら上辺の言葉だけ伝えていたら、それは伝わりません。
それどころか、それ以外のところでも言葉の力がどんどん小さくなっていってしまいます。
いいと思うことならば、気持ちよくさせる。そのことはいけないと思うならば、言葉だけでなく必ずわからせるという強い気持ちを持って対応します。
そのほうが子供は混乱せずに、安心して人との関係をつくっていくことができますよ。
子育てをしているといろんなことをいう人はいます。まあ僕を含めてですが。
そのときに、自分が気にやんでしまうようなことは、それがよしんば正論であったとしても、そのことで子育てのプラスにならなくては意味がないのですから、辛いと思う言葉は聞き流してしまうことも時には必要かと思います。
桶谷式は乳房マッサージの大家ではありますが、それ以外の点ではやや昔ながらの考えに固まっていたり、精神論的なところがあるようです。
子育てにはいろいろな考えの人がいます。それらひとつひとつが全て正しい全て間違っているということもないのでしょうけれども、人が正しいと言っていることを全てやることもできません。
そういうときは人の意見に左右されずに、自分の心に従うのが結局は一番いいのだと思います。
ひめママさん
なので、大人が先回りしてやってあげていたり、できないと決めてさせずにいたら本当にそのことはできなくなってしまうし、派生的に他の物もできないままにとどまってしまいかねません。
大人の方も同じように、無理でもやらなければならないと思う中で子供に対応する力がついたり、自信がついたりしていく部分もたくさんあるので、なんでも回避してしまうというのも、子育てが難しいことの一因となってしまいます。
一方で、子育てを無理難題にしていくこともないので、だれかに手助けしてもらったりという部分もあっていいことだと思います。
なんでもそうですがそれらのバランスが大事ということになるでしょうか。
みれきのさん
こういう考え方はまさに、大人が先回りして子供の限界を作っていってしまう例に当たると思います。
3人で2個あるものを、どううまく使えるようになるかということが、子供が喧嘩しないことよりも将来的にわたって必要になるべきことです。
それを学ぶためにときには喧嘩したり取り合いになったりすることもあるでしょう。
昔の人はそういうことが誰に言われずともわかっていました。
今の人は言われてもわからなくなってきてしまいました。
こういう問題はいかにも現代的だなあと思わせる所以です。
変な言い方ですが、大変な子を大変だからと、檻だけを大きくしていけば、子供はいつまでも自分の足でまっすぐあるくことができなくなってしまいます。
でも、いやでもなんでも、子供は年齢を重ねていけばどうしたって自分の足で歩いていくしかありません。
そのときまでにいかに子供自身の力をつけてあげるかということが大事になるわけですが、大人は知識のなさや経験のなさ、自信のなさに負けて子供をそういう方へもっていく力が弱くなってしまっています。
早くに気づいて対処すれば早いほどその対応は簡単ですむだのけどね。
おとーちゃんさん崇拝しております。
この記事を読んで、質問したい!と、貯めてた気持ちが爆発しました。
質問させて下さい。
どこにあげて良いのかわからず
まとめてここにさせて頂いたのですがカテ違いでしたら、
それぞれの質問に該当する記事へと
上げ直しますので
お時間ある時に返信いただけると、とてもありがたいです。
①この記事を読んで、なのですが、
うちは主人がお昼休み、2時間程帰宅するのでその間、主人と9ヶ月の息子が遊んでいる間に、私が晩御飯の用意など、家事を全てこなすので息子がひとりになる事がまずありません。誰かがそばで見ていないとひとり遊びができない子なのですが、やはりこの、常に誰かが側にいる。というのは、息子の成長にとってはあまりよくない事なのでしょうか?
良かれと思ってやっていた事が
このブログを読んで、色々気づかされ、私のやっている事は息子の為にはなってないのか、過干渉なのかと、不安になってしまいました。
おとーちゃんさんからのアドバイス、お言葉をお聞かせ頂けませんか?自信をもって子育てしていきたいです。
②食事の際のイスなのですが
今だに腰の座らない息子なのでこれまではバンボに座らせて、離乳食をあげていました。抜け出すようになったのでテーブルをつけて抜け出せないようになっています。また、もうそろそろ腰が座りそうなので
我が家の食卓に取り付けるタイプのテーブルチェアを検討しています。それもまた、座ると自分では動けません。もういやだー!とゆうアクションがあれば下ろしてなんとか私のひざで食べてもらいます。そうして無理やりにテーブルにいさせるというのはやめたほうが良いんでしょうか、まだ9ヶ月なので仕方ない事なんでしょうか?
③できるだけ、好きなように遊ばせるため部屋は整えてあるのですが
うちでは猫をかっており、その猫がとても凶暴で、息子に対しても本気で引っ掻きます。なので近づけたくないのですが、好奇心ですぐに寄って行ってしまいます。
また紙遊びをする際、破いたり、丸めたりをして、どうしても口にいれてしまいますよね。確かめているだけならいいのですが、よだれで溶けて食べてしまいます。
このように本人は興味を持ってやっているので、やらせてあげたいけど身をまもる為に止めなければならない時、9ヶ月の息子に対してどのように接するべきなのでしょうか。
④また、③と同じようなことなのですがオムツ替えの際、じっとしていませんよね。それだけじゃなく、生活の様々な面でずりズリ逃げる息子を追いかけて靴下はかせたりしないといけませんよね。今は色んな事に興味をもってそれでいいんだという対応でいますが、この延長線上でダメダメ黙認になってしまわないだろうか、と不安です。
いつ、どんなタイミングでの対応の切り替えが必要なのでしょうか?
⑤我が家では、リビングとキッチンの間にベビーゲートが設置してあります。こんなものつけずにキッチンにある危険なものなどその都度教えて行くべきなのでしょうか?
⑥もっと幼い新生児からのおとーちゃんさん流の接し方など教えて頂けませんか?泣いたらすぐに飛んで行ってしまっていたのですが、もしかしてそれも過保護、過干渉になってしまっていたのでしょうか?
一度にたくさんの、まとまらない質問でごめんなさい。考えすぎているのかもしれません。おとーちゃんさんのご意見お聞かせください。
初コメントです
イヤイヤ期の対応について調べていたら、こちらにたどり着きました。
個人的に教えていただきたく、コメントさせていただきます。
2歳5か月の息子が強く自己主張をするようになり、
最近手を焼いているのですが、ご飯を自分で食べようとしません。
離乳のころから「まだ小さいから」、「食が細いから」、「食にあまり関心がない子」だからと、日々追いかけまわしながら長々と時間かけて
食べさせてきたせいで「育ちを奪ってきた」んだと思うんです。
来年春、3歳になるかならないかのころ幼稚園に入れる予定で、
それまでに練習させないと本人が困ると、今成長期でこちらも精神的にきつい中、タイミングを誤ったなと思いつつ、自分で食べるようお互い努力していますが、うまくいきません。感情的になる場面もしばしばです。成長期が落ち着くのを待っていては、集団に入っても自分で食べれないかもしれないと思うと、責任を感じるのですが、あまりにうまくいかず、どのように進めていったらいいかわからず悩んでいます。
よければアドバイスくださいM(_ _)M
ダイヤさん
僕も一生懸命書いてはいますが、うまく書けなかったり、書ききれなかったり、論旨を伝えるために一面的な書き方になってしまっていることもありますので、あんまり鵜呑みにしないで、参考程度に読んでくださいね。
子供の個性や、関わる人や環境によっても、実際のところは違ってきますからね。
では順番に質問に答えていきます。
①は手があるのと、手がなければ対応できないのとでは全く違うことなので、そのことは気にする必要もありません。考えすぎです。
9ヶ月の子は誰かがそばにいることで安心して過ごせるので、わざわざひとりにしたりすることはないですよ。
むしろ、その安心して過ごせることから成長は進んでいきます。
②これはつまり食事のときの対応ということになると思いますが、食事の習慣でもっとも大事なのは、食事に向き合うということ、食事を良いものとして認識していくことです。
順序から言うと、「食事を良いものとして認識していく」こっちのほうが先かな。
元々食べるのが好きな子であれば、それは簡単にクリアできてしまいますが、0歳の子は必ずしもなんでもパクパク食べるわけでもありません。
未知のものや、慣れない味のもの、なれない食感のものなどは、警戒したりすることもあるものです。
しかし、それでも食べようとするのは、そこで大人が良い形で向き合ってくれるからその大人の期待に応える形で食べようとしてくれるのです。
つまりこの場合は、大好きなお母さんが食べてほしそうにしているから食べるという部分も重要なわけです。
なので、食事の時は温かい雰囲気の中で、母子の良い関わりがあっていい形で成り立つわけです。
これも含めて、子供に「食事を良いものと認識させる」わけです。
「おいしいね」「いっぱい食べたね」など温かい関わりがとても大切です。
そうやって食事を良いものと認識できていれば、子供は自然と食事に向き合うという姿勢を持ちます。
それを大人の方が、なにがなんでも食べさせなければとかいう気持ちから、食事をその子供にとって好ましくないものとしてしまうと、食事に向き合うという姿勢をもてなくなってしまうことがあります。
たとえばの話、子供に残さず食べさせなければとやっきになってその時は食べさせたとしても、そういった積み重ねからその子が食事を嫌いになってしまえば、あとあとむしろ食べない子を作ってしまいます。
なので、食事の方向性としては、まずは食事好ましいと思えるということを、母子の関わりによって形成することに重きを起きます。
それができれば、無理やり座らせて食べさせずとも食事に向き合う様子がでてきます。
ときには、苦手なものがあったり、眠かったり、ぐずったりして食べようとしないこともあるでしょう。
そういうとき無理して食事を嫌なものにするくらいならば、切り上げてメリハリを持たせてしまうということも必要です。あくまで臨機応変にですが。
膝の上で食べるならばそれだってちっとも問題ないと思います。
食事を嫌なものにさせてしまうくらいならば、ずっとそのほうがいいでしょう。
「座って食べさせなければならない」というような「○○すべき」論ではなく、「食事を好きと思える」ところをまずは目指していけばいいでしょう。
③ただ言葉で制止をするのではなくて、大人が感情を込めて伝えるようにしていると0歳児であっても、すぐにとは言いませんが積み重ねの中で伝わるようになっていきますよ。
もちろん、言うまでもないことですが前提としては、それを伝える大人との信頼関係などがあってこそ伝わるわけですが。
④これもメリハリを大人がしっかりと持つことで、子供に伝えていくことができます。
その基準は大人がもっています。
「これは正しいのだろうか?」などと大人がいちいち悩むことはありません。
あなたが「すべきこと」だと思うならばそれは「すべきこと」なのです。
そういうものであるならば、毅然と「いまは○○します」とやってしまえばいいのです。
そして、それを終えて子供がしたいことをしていいという状況になったら、それを一緒に楽しんだり、笑顔で肯定してあげれば、そのメリハリが子供にも伝わるので、やるべきことと楽しいことの違いというのがだんだんとつくようになっていきます。
なんでも無条件に子供の意思を聞いてあげていくと、子供はすべきときと楽しむ時の違いを実感として経験できないので、結果的に大人を困らせる行動につながってしまいます。
⑤その質問は「○○すべき」という考え方にとらわれてしまっているようです。
子育ての多くのことには「○○すべき」という正解がひとつ決まっているわけではないのです。
このケースで、あえて答えをだそうとしたら、それはこうなります。
「ある子供とその環境では、ベビーゲートをつけた方がよいだろう」という答えと
「ある子供とその環境では、ベビーゲートはつけなくてもいいだろう」というどちらの答えも正解です。
どちらか決めるのは、その子供の成長発達、様子、行動などなどと、そこでの環境を勘案してでてきます。
ダイヤさんのご家庭でつける必要があると思うのならば、なにはばかることなく使っていいと思います。
「ベビーゲートを使わずに安全危険を知らせるべき」という絶対的な正解というものがあるわけではないのですから。
このことは子育てのどの局面にもいえることです。
⑥これもケースバイケースです。
子供がなにか怪我をしたような大泣きをしていたら、そういうときは大人も心配して飛んでいくことでしょう。
そういうときはそれでいいでしょう。
でも、大人がいないことに不安になり、大人を呼ぶために普通に泣いているようなときもあります。こういうのは日常茶飯事のことですね。
そんなときに毎回、怪我をしたときのように血相を変えて飛んでいくようなことをしていたら、それはやりすぎになってしまいます。
そのように関わると子供は神経質になったり、大人を振り回すような関わりを覚えてしまいます。
そんなときはのんびりおっとりと、「あ~探していたんだね~、いつでもちゃんと見守っているから大丈夫だよ~」と優しく声をかけてあげればいいのです。
その積み重ねで、安心感をもって過ごせるようになるので、結果的には情緒の安定などにもつながっていくわけです。
なので、どういう対応がよいのかというのは、そのときそのときのケースバイケースなのです。
基本的には赤ちゃんの泣きというのは大人の「言葉」と同じものですから、その泣きが意味するところを汲み取ってあげて、それに言葉や態度で応えて上げればいいとおもいますよ。
「泣き」に大人がビクビクしたりする必要はありません。
大人が泣きを恐れていると、子供も安心感がなかなか持てなくなってしまいますので。
子育ては可愛がることさえできていたら、取り返しのつかないようなことになることはありませんので、あとはおおらかに関わっていってあげればいいと思いますよ。
お忙しい中、私のくだらない質問に丁寧に答えてくださりほんとうにありがとうございます。大変感謝しております。益々ファンになりました!ずっと応援しています!
きむりんさん
そこにもあるように基本的には「食べさせること」よりも、「食事を好きになる」ことを目指していくのがよいかと思います。
病気になるほどでは困りますが、食が細いという個性の子も少なくありません。
そういう子は食べさせようと周囲が躍起になったところで、それで食べられるようになるというものではありません。
まず、すぐ結果をだすことを求めない方が良いと思います。
食の細い子が食べられるようになっていくには、たいてい時間がかかるものです。
年単位の時間がかかることも多いです。
よく取る方法をいくつかあげます。
できそうなことから参考にしてみてください。
・その子の食べられる量だけ盛り付け、食べ切れたことを認めて自信を持たせていく
・食事のプレッシャーから開放してあげるために、無理やり食べさせることをやめ、自分で判断し切り上げることを認める
・食べないからと大人が焦らない。1回の食事量が少なくてもおやつなどで補うことはできます。むしろ空腹感を適切に感じるようになれば次の食事での意欲が上がるだろうくらいに考えていくこともできます。
>集団に入っても自分で食べれないかもしれない
先回りした心配は、精神的な過保護と同義です。プラスにはなりません。
いま心配の種がないのならば先の心配をしてもいいでしょう。
しかし、心配ばかりしていてば子育てがしんどくなります。
先のことまで気にする必要はありません。
こういった問題では、時間の経過は味方です。
集団に入ることで周りの子供の様子をみて成長することもたくさんあります。
そういう経験をするために幼稚園や保育園はあるのです。
また、そこで失敗したりすることをあらかじめ回避しようというのは、余計な心配というものです。
失敗したり、うまくできないことに直面して子供は自分から成長しようとするのです。
大人が用意した成長ばかりでは健全な成長にはなりませんので、それを恐れる必要はありません。
この食事量の問題で言えば、周りの子がたくさん食べるのをみたり、給食時間内になかなか食べ終わらなかったりといううまくいかないことの経験や、そこで先生という家庭外の人間にもっとたくさん食べることを望まれたりすることが、家庭では与えられない成長の糧になります。
先のことは心配いりませんから、今ある子供の姿をしっかりと見て、どんな些細なことでも積み重ねていくことで子供の成長へとつなげるようにしていくほうがいいですよ。
また、食事ばかりに目がいってもプレッシャーは減りませんから、ほかのいい部分を認めたり、褒めたりすることで、子供の自信を作っていくことも、間接的ではありますが効果のあることです。
これについては『Fがない』あたりの過去記事も参考になると思います。
こういった食が細いなどの生活面でコンプレックスがあると、全般的に自信不足で性格も積極性が欠けたりということになりがちです。
食のことは焦らずみてあげることにして、他の部分でしっかりと自信をつけ伸ばしていってあげることは重要だと思います。
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男の子だから、手がかかる。
2人目だから手がかからない。
〇〇だから、おむつの取れるのが早い、
言葉が早い、早生まれだから〇〇など。
よく言われますが、ウンザリします。
私自身早生まれですが、コンプレックスを持ったことはありませんし、
うちの兄妹は、上の子の方がおしゃべりもおむつが取れるのも早かったです。
下の子は上の子に比べると遅いだけで、世間から見るとどちらも早いようです。なので、決まって言われるのが「やっぱりねー。2人目だもんねー。女の子だもんねー。」と言われます。
わが子を見ていて思うのは、この決めつけこそ恐ろしいな、と。
子ども自身を見て成長を見るのではなく、性別や、世間的な先入観から見られていることがよくわかります。
誰かとの比較ではなく、一般的な成長との比較ではなく、子ども自身を見て成長を見てやりたいなあと思います。