息子の成長 Vol.7 「うちはなんでも半分こ」 - 2013.09.09 Mon
「うちはなんでも半分こ」
という言葉を我が家ではときどきつかいます。
まあ、そのまんまなのですが、お菓子とかおもちゃとかなんでも「分け合って使おう」というようなことです。
「うちはなんでも半分で分けるんだから、我慢しなさい」みたいなニュアンスで使っているわけではないです。
うまく説明できないけど、分け合うことを楽しむというか、関わりとしているというかそんな感じで使ってます。
だから子供たちはむしろ分け合うのが大好きです。
「これおいしいよ、たべてみて」
と、むーちゃんのお皿にも載っているものなのだけど、わざわざ息子は自分のおかずをむーちゃんに食べさせてあげたり、むーちゃんがおとーちゃんやおかーちゃんにくれたりもします。
お菓子をわけあったり、そういう姿も微笑ましいのだけど、僕や妻の思いの根っこにあるのは、「モノで心を満たす人にはなってほしくない」ということだと思います。
モノが豊かにあるというのは、たしかにある部分では心を満たしてくれます。
でも、子供が小さいうちからモノで心を満たすということをしていると、やがてモノがあるのが当たり前の状態になって、さらに新しいもの、豪華なもの、人の持っていないもの、というように結局のところ次から次へとモノを求める気持になってしまい、「満たされる」というのとはちょっと違うところへ行ってしまうことがあるようです。
僕も妻も多くの子供を見ていて、経験的にそういうことを知っています。
下手をすると「モノの豊かさは心の豊かさと反比例する」なんてことすら起こりうるようです。
これは子供とは関係ないですが、こんなこともありました。
車でスーパー銭湯に行ったときのこと、そこは入口のすぐ横に身障者用の駐車スペースが6台分あります。
通常の駐車場はちょっとだけ歩く場所にあります。
かなりすいているときだったのだけど、その身障者用の駐車スペースには全てに車が止まっています。
その車のどれもが、金のエンブレムのついているような高級車だったり大排気量のエンジンのものだったり、通常障がいを持った人が乗っているような車でないものばかり。
体の不自由な人に発行される駐停車禁止区域免除のライセンスカードが置いてあるわけでなし、銭湯の中にも車椅子の人やそれらしいひとがいるわけでもなし。
そんなに車にお金をかけられるような豊かな人たちが、ずいぶん心無いことするのだなぁとやるせない気持ちになったことがありました。
保育園の子供でも、親には気持ちを向けてもらえずに、モノを買い与えることで代用されてきた子供達というのをたくさん見てきました。
友達と話すことの大半が自慢話だったり、ほかの子がもってないことをあげつらってばかにしたりすることが性格として板についてしまったような子供などもいます。
小さいうちから、なんでも食べ物やモノでごまかされてしまうので、親の暖かい関わり方の求め方を知らずに、モノを求めることをゴネることでしか親との関わり方がわからなくなってしまっている子なども珍しくありません。
成長期などの一時ならばたいしたことではありませんが、その子の性格の中にまでそういう形でのモノへの関わり方が入り込んでしまった子というのは、大きくなってもなかなかそれは変わりません。
こういったものへの姿勢というのは、親の影響がとても大きいことです。
正直に言ってその子供にとって、それはとてもかわいそうなことです。
本当に求めているものが得られずに、モノで満たすように育てられてしまった子供というのは、いろいろなところで苦しみます。
そしてそれは本人ではどうしようもありません。
だから子供には「モノで心を満たす」ようにはなってほしくないと思っています。
その代わり受容や信頼という関わりで満たします。
そのことはとてもうまくいっていて、おじいちゃんやおばあちゃんがやたらとおもちゃを買ってあげようとしても、「ううん、そういうのもうもってるからいいの」と笑顔でいう子になっています。
ちなみに、たいやきを半分こするときは、頭の方はむーちゃんで、しっぽの方は息子ということにいつもきまっています。
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● COMMENT ●
モノよりも人。分け合えるきょうだいこそ宝。
そのときそのときでどうするのが良いか、アドバイスも参考にさせていただきながら、向き合ってこれたと思っています。
お陰様でまっすぐに育ってくれているように思います。
ブログもずっと興味深く読ませていただいています。
今回の記事で、最後の部分が気になります。
どうして頭がむーちゃんで尻尾がおにいちゃん?次回に期待、でいいのしょうか?
最近のきょうだい関係についての記事も私にとってタイムリーでした。
娘は3歳10か月になり、私も30代の終わりに近づき、もう一人子どもを産むということを、どうするのかずっと考えています。
産むということに一番の障害になっているのは、自分自身のきょうだいとの経験です。
心の隅で、私はいないほうが、姉にとって家族にとって良かったのではないかと、いまだにどうしても思ってしまうので。
子どもの頃、家は極端におもちゃが少ない家で、二女だったので特に、新しいものや自分だけのものに飢えていました。
最近頂きもののお菓子の箱を子どものために取っておこうと思った時に、自分の子どもの頃、きれいなお菓子の箱が、すんなり自分のものになることなどなかったことを思い出して、悲しくなりました。
質素で堅実な親に育てられて、良かったこともありますが、極端なのはやはり良くないと思っています。
雛まつりのときお雛様を姉が「これは私の。あんたのはそっち」と、子どもの目にはお雛様より見劣りするだけの市松人形を指差したこともいまだに忘れられません。
誰のものというより、それまでのきょうだい関係が良ければこんな話にはなりませんよね。
それまでの関係が良ければ、なんでも分け合って使おうというだけで、楽しく分け合えるのでしょうね。
かわいいな〜
うちも、美味しいものを食べると、時々(時々ですが、)ママもいる?と、分けて口にいれてくれます。美味しいと思ったものを好きな人に同味わってもらい、にっこりするのを見るのって、幸せな気持ちになりますね。
夏場はチューペットを半分こして、食べてました^o^
共感します
インテリアが趣味の我が家も、全体的に物は少ないです。おもちゃも1畳あれば全部がそこに置けるほどです。絵本だけはよそよりも多いかな。子供達はパズルのピースで炒飯を作ったり、枕カバーでコック帽を擬したり、想像力豊かです。
以前、地域のクリスマスパーティーがあった時の事です。お金を払えば簡単なプレゼントを用意する、との事でしたが、我が家は3人兄弟で1つを注文しました。すると「他の参加者は兄弟分注文しているけど、それで大丈夫?」と念押しされました。
シェアが当たり前、という時代ではなくなったようですね。当日、他のお母様方が「喧嘩になると嫌だから」と口々におっしゃっていました。私は、喧嘩も必要だと思っていますし、普段、物の取り合いも仲裁しません。我が子達は喧嘩もしますし、かわりばんこに2対1になったりします。ですが、多くの時間を仲良く遊んでいます。これも、シェアする喜び、シェアするいざこざ、そんな事をたくさん経験しているからかなーと思いました。3人兄弟の年齢も近く、男の子も女の子もいますが、親はいても、子供達だけで随分楽しそうに遊びます。
分け合うことと平等なこと
今日の記事も共感いたしました。心の豊かさを育む関わりをしていきたいとあらためて思いました。
記事とはリンクしてないことかもしれませんがいつもモヤモヤしていたことを聞いてください。幼稚園児です。
友達の家にプリンセスのドレスが2着あるのですがうちの子が遊びに行くとその友達と妹の二人だけがドレスを着て娘はいつも着ることができません。毎回着させてと言っても交代してくれないので娘ももうあきらめてしまい、お友達の家に行っても着たいと言わなくなり、私も交代をうながすことも出来ず見ているしかできません。しかし本当は着たいようで、そんな娘がかわいそうでモヤモヤしてしまいます。親は交代の概念がないようで、その子供が着たいと言えば娘がいても自分の子どもだけに着させます。交代を促すこともありません。
うちにも2着ありますが一人増えたら絶対に出しません。
この場合どうしたらよいのでしょうか。不憫に思う必要はないのでしょうか。
貸せないなら出さない、というのは良くないことですか?
No title
長女が2歳の頃からブログを拝見しています。
おかげさまで、イヤイヤ期もオムツからパンツへの移行も
(スムーズとは行きませでしたが)気持ちに余裕を持って
乗りきれたと感謝しています。
以前会社で、小児科の先生をお招きして子育てについてお話していただく機会があったのですが、
その中で「モノ」との関わりについて、印象的なことを言っておられました。
先生曰く、「嬉しい」と「満足」は違いますよと。
モノを買ってもらえたらそれは嬉しいけれど、
それが子供の心を満たすわけではない。
お金やモノではなく、親の時間を子供に与える(絵本を読むとか、いっしょにお風呂に入るとか)ことで、「満足」させることを意識してくださいねというお話でした。
今回のおとーちゃんのお話と通じる感じですね。
子供に誠実に接している人は、やはり同じ結論へと
行くのだなぁと、納得する思いで、思わずコメントをしてしまいました。
これからも更新楽しみにしています。
hanaさん
僕も本当にそう思います。
子育てというのは人間が必然的に通る道なのに、今の時代それがとても難しいもの、価値の低いものとなってしまっています。
これは本当にもったいないことです。
どうか子育てを楽しいと思える人が少しでも増えることを願ってやみません。
ひつじさん
僕自身は自分が保育をしたり我が子の子育てをする中で、よりよい行いをできることで自分の過去に味わった苦しみを消化しているような気持ちもあります。
子育てをこういう方向へ向けている人も僕以外にも少なくないと思います。
>産むということに一番の障害になっているのは、自分自身のきょうだいとの経験です。
自分の育ちというのは自分ではどうしようもないものです。
しかし自分の子育てというのは、かなりの部分を自分次第でどうとでもできるものです。
僕は自分の子育てで自分の育ちを消化できることがひとつの喜びともなっています。
うちは子供が出来たのが遅かったので、いまではもっとたくさん子供がいればよかったと思っていますよ。
共感ママさん
こういった考え方を子供に対する大人が多くなってしまいました。
あまりにも多いのでこう考えることのほうがまるで普通であるかのように錯覚してしまいますが、こういう先回りして大人が問題を起こさないように振る舞うのは、子供の成長の向きを逆向きにすることだと僕は思います。
こういった大人の気遣いは子供のことを思ってのように一見感じられてしまうのですが、その多くは根本に子供を御しきれる自信のなさや、子供の力を低く見積もった大人の子供観から出ていると感じます。
さまざまな葛藤や経験、心理的な成長を奪われて大きくなっていった子供たちの社会というものが怖いものになっていってしまわないかと心配になってしまいます。
相談させてください。
以前双子の子育てについての悩みを相談させていただきました。とても参考になりそれから前向きに子育てを楽しんでおります。
いつも前向きな気持ちを忘れないようブログを読み返していてこの記事に戻ったのですが、我が家の双子の分けっこの違いへの対応を相談したくまたコメントしました。
先月末二歳になりまして、言葉もよく話すようになり、だいたいの受け答えは出来るようになりました。
おもちゃやおやつなど、妹は自ら進んで半分こしたり分け合ったりするのですが、姉は全て自分のものとジャイアンの様になります。
先に相手が遊んでいるものも意地でも奪います。(妹は相手の物を取ることは殆どありません)
本ブログの別の記事に、この頃は全て自分のものとしか考えられず譲ったりすることは難しいので頭ごなしに叱るのはよくないとありましたので、危険な奪い方はきつく注意しますが、
「今⚪︎⚪︎ちゃんが使ってるよ〜」「無理矢理取ったら危ないし⚪︎⚪︎ちゃんが可哀想よ〜。」などにとどめています。しかし最近取られる側の妹がストレスが溜まってきたのか、取られた後そばにある他のものを投げたりぐちゃぐちゃにしたり、また物や私を叩いてくるようになりました(取った姉のことは叩きません)。
2人ともにストレスなどあまり溜めないようにする対応の仕方があれば教えていただければ嬉しいです。
また物に対する執着は二人の持って生まれた性格だと思っているのですが、こういった時の私の対応次第で好ましくない行動を良い方向へ導くことは出来るでしょうか。(多少は姉もこうした方がいいと分かってきている様ですがなかなか難しいので、社会性が出てくる年齢まで見守った方がいいでしょうか。)
幸い一歳半に自我の目覚めで一週間ほど大変でしたがそれも落ち着き、その後はそれなりのイヤイヤはありますがこじれているということはなく、大変ではありますが楽しく子育てしております。
ただ双子だからの理由で辛い思いをさせたくないと日々奮闘中です。
お時間ある時にアドバイスよろしくお願いいたします。
双子ママさん
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-495.html
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-464.html
こちらとこちらのコメント欄にありますので、そこも一応参考に挙げておきます。
子供というのは力関係からその子その子のポジションというものができてくるものです。
通常の兄弟であれば、まずたいてい年齢順にそれができますので、さして問題にならないのですが、それが双子だと普通大人はそれを対等になるようにしなければと介入してしまいます。
でも、実際は必ずしも対等であるわけではありません。
まれに力関係が伯仲しているということもありますが、一卵性双生児だとしても力関係の差はでるものです。
そういうときは無理に大人が対等にするのでなくその力関係で安定化させてしまったほうがのちのちうまくいくということもあります。
要するに、どうしても入らなければならない時以外、そのままやらせて見守ってみるのです。
大人が干渉することによって、する方もされる方も返ってそのダメージが大きくなってしまうこともあるのです。
自分のポジションが定まればそれで両者とも安定して過ごすことができるようになることも多いですよ。
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1歳の娘と日々楽しく過ごしています。
子育ては楽しいと笑顔で言えるママ達が、もっと増えることを願っています。