武道必修化について考える - 2013.09.13 Fri
今回は「学校における武道必修化」の話ををもとに、これからの教育についての僕なりの感じたところを書いていこうと思います。
いつものメインテーマにしているところの、乳幼児期の子育てについてのこととは直接関係ないので、興味の無い方はどうぞスルーしてください。
当初、武道を必修する理由として2006年改訂の『教育基本法』のなか(当時は自民公明連立政権時代)で「(日本の)伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養う」といったことが挙げられていました。
それを受けて上記のH.20だから西暦だと2009年になるのかな、その『中学校学習指導要領』で具体的に盛り込まれます。
つまり、日本の「伝統文化」と「愛国心」を学ぶために武道を(女子も含めて)子供全員にさせましょうということです。
ここで僕が特に気になったのは「愛国心」というところです。
まあ、「日本の伝統文化」というところでもひっかかるけどね。
「日本の伝統文化」がなぜ即、武道なのかというのも実はおかしいことです。
現在行われている武道は実はさして伝統文化ではないからです。
伝統文化というならばもっと、ほかにもいろいろあるはずです。
茶道でも華道でも、俳句や短歌でも盆踊りでも南京玉すだれだっていいはずです。
それらの選択肢のなかに武道があるのならわかりますが、それもなにもなくいきなり「武道」と言ってしまうのは、その思考になんらかのバイアスがかかっていると感じてしまいます。
話を「愛国心」に戻します。
「え、武道を愛国心と関連づけて教育の中で行ってしまうのって、日本の民主主義教育が始まる時にともに否定された概念なのに、現代になってそんなこと(どうどうと)言っちゃうのか、たまげたなぁー」と驚きとともに感じました。
武道と愛国心の関連付けについては多くの人が知らないと思いますので、僕の驚きの理由がわからないことでしょう。
簡単に説明したいと思います。
第二次世界大戦の敗戦後、連合軍の進駐政策が始まりました。
そこでいくつかの大きな施策を行っています。
中学校高校の歴史の授業でならっているはずです。
そこで教えられるのが、「財閥解体」「農地解放」といったあたりです。
もうちょっと詳しく教えているところだと、そこに「高等師範学校の解体」「戦犯の公職追放」などが盛り込まれます。
ほかにもマイナーなものがいくつかあるのですが、そのなかに「大日本武徳会」の解散というものがあります。
ここまでになると詳しい教科書でも書かれていないので、知らない人も多いかと思います。
「大日本武徳会」というは、簡単に言うと軍国主義政策のなかで当時の政府が各武道を掌握することで、軍国主義に武道を結びつけようとした政府の外郭団体といったものです。
創設は明治時代ですが、そのナショナリスティックな活動は昭和に入ってさらに加速化されました。
このあたりが、軍国主義政策に積極的に加担したことで、戦後日本が民主化するために阻害要因になるとして、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって解散された理由です。
占領後の一時期日本のさまざまな武道は禁じられて(映画や小説などでも時代劇などはできなかった)、さらに後にそのような軍国主義思想や愛国思想と切り離したところでようやく再建されることになります。
その際に、そういった思想的な面は減らされスポーツ化した形での復活となります。
特に柔道・剣道は競技性を強く持たされたために、よりスポーツ化したといえるでしょう。
このスポーツ化した武道というものが、本来の武道から考えていかがなものかということはもちろんあるのですが、でも、戦前戦中の武徳会主導の武道が本来の武道であったかというと、これももちろん本来あった武道とは大きく形をねじまげられたものであることは否定できない事実なのです。
もともとの武士がいた時代の武道というものを考えればそれは一目瞭然で、その当時の武道の概念の中に「愛国心」だなどと武徳会が重要視した考えなどそもそも入ってはいないのです。
これは明治初期に急激に近代化・西欧化するなかで、いちど断絶した武道が軍国主義的・富国強兵的な当時の潮流に飲みこまれる形で再構成されたゆえのものであるわけです。
しかし、現在でも「武道」というと、そのナショナリズムと結合された状態での「武道」として懐古する人、連想する人などは少なくないようです。
と、いうわけでここで僕の驚きというところに戻りますが、
つまりは、武道の必修化という問題を、そのナショナリズムとくっつけたところの「武道」として名指しで盛り込んできたからです。
せめてもうちょっとオブラートに包んで入れてくるならば驚かなかったかもしれないけれども、政治家がどうどうと、あからさまに軍国主義時代の施策のひとつを盛り込んできていることに驚きを隠せないのです。
政治家はその辺の事情というのは、知らないか何も考えずにおのれの主義主張によって教育基本法を変えたのかもしれないけど、すくなくとも文科省の役人たちはわかってやっているはずです。
全柔連や日本剣道連盟などは文科省の管轄下にある団体ですから。
文科省の学習指導要領を説明しているところでは、かなりオブラートにつつんで控えめな表現で武道の必修化について述べられています。
ついでにいうと、文科省のHPには柔道に関する安全措置についても随分といろいろ書かれているのだけど、どこから引っ張り出したのか学校柔道における死亡者0名などという不思議なデータをのっけています。
これはどう考えても偽りで、文科省の外郭団体である日本スポーツ振興センターが毎年発行する『学校管理下の死亡・障害事例と事故防止の留意点』のデータをもとに名古屋大学の内田良准教授が分析した柔道での死亡事故、ここ28年間で114人、重い障がいを負う事故275名という研究結果を無視して、意図的に安全であると国民に思わせるようなことをしています。
文科省の役人は国民を騙してまで政治家のお先棒を担ぎたかったのだろうかと僕は思わざるを得ません。
もちろん、年間たかだか13時間ほどしかできない程度の武道の授業で軍国主義だなんだと大げさなことになるわけもないことはわかりますが、それが一部の政治家の意図によって引き起こされているとなると、問題が小さいうちからきちんと認識していないとあとでとんでもないことになるというのは歴史が証明しています。
実際、現総理大臣は戦争をできる国にしようと躍起になっていますよね。
政権をとったらさっそく、憲法解釈という搦手から、現行法でも他国の戦争に介入できる法整備に着手しています。
これも本当にあからさまで驚かされました。追い風が吹いていると普通ならば、もっと時間をかける必要があるものもやりやすいようですね。
はなしがそれてしまうので戻しますと、こういった政治的意図の直接的な教育介入というのは、民主主義国においては大いに問題にすべきことであって、いじめについて述べたところでもちらっと出ましたが、教育権の独立、本来は教育は市民の手によって構成されるべきものという大原則がゆらいでしまいます。
いま、政府も文科省も大変な勢いに乗って、この教育権の独立を中央主導に変えようとしています。
日本は教育委員会がほとんど行政の持ち物になっているので、実際には教育の独立などというものは実感的には存在していなかったわけですが、例外的にがんばっていたのは大学です。
大学自治の基本的理念によって、大学は教育を一貫して自分たちの手で行ってきたのですが、助成金などを盾にとって、もうすでに相当の切り崩しが進んでいます。
義務教育分野などにおいても、そういう傾向は強まっているようです。
教育を受ける子供たちのことを考えたり、現場の意見を見向きもしないような形での中央主導の、施策が続々と打ち出されています。
武道やダンス必修化にしろ、いま議論になっている英語教育のさらなる低年齢化など、検証もほとんどせず、文科省の方針一つで推し進めるようなことがあからさまに多くなっています。
先のゆとり教育であれほどの大失態を露呈して、文科省はすこしおとなしくなるのかと思ったら、まるでゆとり教育の失敗などなかったかのように、思いつきのようなことを次から次へと出してしまう文科省。
識者会議みたいなのを開いても、役所側のいいようにお膳立てしてあるなどさまざまな問題も指摘されています。
日本の教育の将来はこのままで大丈夫なのかとても心配です。
● COMMENT ●
はじめまして
びっくりしました
現在の内閣総理大臣が戦争を出来る国を…とのことですが、国民を守る最低限の法整備をしようとしているに他ならないと思います。鍵をかけると泥棒が入る訳ではありません、逆ですよね。憲法に書かれてるような、世界中が平和を愛する国々であれば問題はないのですが、日本人が信じられない程野蛮で非常識な国も実際にあります。
おとーちゃんさんのように子どもに愛情深く接する事の出来る方のブログです、影響力が大きいと思い、僭越ながらひとつの見方としてコメントさせて頂きました。これからも更新を楽しみにしています。
はじめてコメントさせていただきます
政府にとって都合のいい国民を創出するための教育になってしまったら、本当に恐ろしいことだと思います。
アメリカではhomeschoolingが認められていますが、日本では子供を学校に通わせないと処罰の対象になります。おかしな話だと思います。
ネット上で他国のことを「野蛮」なんて表現する方がいらっしゃること自体、義務教育に何の意味もないと証明しているようなものです。
今回のようなトピックは反響も様々だと思いますが、今後もおとーちゃんさんのブログを楽しみにしています。
いつも更新を楽しみにしております
alisuさんがアメリカではホームスクーリングできると書かれてましたが、日本では小学校からの教育をほとんど選択できません。
一斉教育はもうずっと変わらないのでしょうか。
オランダのイエナプラン教育とういうのがとても理想的に思うのですが。
おとうちゃんさんはどういった教育が理想とお考えですか?知識が薄いのでおとうちゃんさんが薦められる教育についてしらべてみたいと思っています。
また、ゆとり教育は大失敗とのことですが、方向性というか方針として、詰め込みから個々の興味関心で自ら学ぶというのは間違っていなかったと思うのですが・・なぜ大失敗してしまったのでしょう?
ゆとり教育失敗から、今またさらに詰め込む教育となっていると思いますが本当はどう方向転換すべきだったのでしょう?
わが子たちは森のようちえんで今のびのびとすごしていますが、小学校に入ればきっと苦労すると思います。それでも今は外で思い切り遊ばせたい。でも小学校が気になっています。森のようちえんの先生は小学校がゴールではない、どんな人であってほしいかだとのご意見です。
おとうちゃんさんのご意見を聞きたくてブログの趣旨とずれた?質問を申し訳ありません。簡単にでもご意見伺えると方向性が見えそうです。
そうさん
過去の相談コメントにもたくさん寄せられています。
でも、それで子供がどうにかなってしまったということはまずないのです。
親が自信を持つことです。
これまで3年間しっかりと可愛がって大事に育ててきたのならば、その貯金がしっかりと子供の中に蓄積されているはずです。
多少不安定になったりはもちろんするでしょう。
しかし、それは必ず乗り越えられるはずだし、また子供自身が乗り越えなければならないことでもあるのです。
ここで、大人が子供に対して「かわいそう、かわいそうモード」に入ってしまうと、本来自分で乗り越えなければならない大きな経験を精神的に回避して育ちを送ることになってしまいます。
それはあとあとまで、依存が強まったりというような成長の足かせとなる形で尾をひきます。
親は自信を持って子供を信じてあげるべき時が来たのです。
そうすれば、子供は自分の力で乗り越えて、それは大いなる自信にもなるし、今後兄というポジションを受け入れる心の準備にもなることでしょう。
ありがとうございました!
過去記事のコメント、まだ目を通している最中でしたm(__)mじっくり読んでこちらも参考にさせて頂きたいと思います。
おとーちゃんさんのコメントやblogを読んでいて、私は私自身に自信のない、「弱い大人」だったのだと改めて解りました。
そして少し過保護だったな、とも…
私自身が親に依存しているタイプであることも気が付きました(^-^;
もっと言うと、息子にも依存し過ぎていたようです。
おとーちゃんさんのblogを参考に、
ダメなこと(=私が嫌だと感じること)を自信を持って息子に伝えることが今になってやっと出来るようになってきて、息子もそれに素直に答えてくれるし私の小さな自信にもなってきていたところでした。
今は結局自宅での生活が難しくなり、実家で息子と二人両親にお世話になっています。入院(恐らく産むまで)になっても、自信を持って子供を信じようと思います!
その勇気を下さり、本当に感謝しています。
「乗り越える」の記事も大変参考になります。ありがとうございました!!!
余談ですが、もうすぐ誕生日の息子にプレゼントとして「お兄ちゃん積み木」用意しました(*´∀`*)渡すのが楽しみです。
長文失礼致しましたm(__)m
これからもblog楽しみにしています!
alalaさん
これはすでに一応あるわけで、いま俎上に上っている「集団的自衛権」というのは、日本が直接的に関係のない他国の戦争に首を突っ込めるようにするという法整備であって、↑には該当しないと思いますよ。
arisu さん
日本の学校偏重のあり方も、それがいじめなどの問題とも密接に関わり合っていて、今後議論を重ねていかなくてはならない問題となっていくでしょう。
先般の「はだしのゲン」の問題も、政治家の露骨な教育介入でした。
なんだか、日本のさまざまな部分でこれまでのあやういバランスが崩れてきて言えるような気がします。
双子の実さん
僕自身はゆとり教育に賛成なのです。
しかし、先般行われた例のゆとり教育は、その実施においてあまりにお粗末でした。
そもそもゆとり教育は「難しい・失敗しやすい」ことで有名なのです。
唯一国家規模で成功しているといわれているのがフィンランドなのですが、かの国は社会的に「学び」に関するモチベーションがもともと高いという国民性もあって、それが可能となっている面も見過ごせません。
日本はどういうわけか、それが逆で、若い人たちは真面目に勉強したり学んだりすることを、無駄なこと、恥ずかしいことのように認識していて、テレビなどの子供たちに影響をあたえるものでも、まるで知識のないことや頭の悪いことをおもしろいこと誇らしいことかのようにしているという文化があります。
また、実社会においても、学歴は重視するのに、勉強に熱心に取り組んできたなどということはむしろ低い評価にすらなってしまうというような側面もあります。
このあたりのことは教育学者の内田樹さんが詳しく述べています。
そのような国民性の部分もあり、日本ではなおさら難しかったというのもあるので、もっと準備を入念に行うべきだったのです。
また、ゆとり教育の実施においては、教える側がゆとり教育の目指すものを教えるというスキルを欠いていました。
これは別に教師の落ち度ではありません。
それ以前とは求めることがまったく違ってしまったのです。
なので、教師たちはゆとり教育の目指すものを確実に実施することができませんでした。
せめて、もう少し準備期間を長くしたり、そうそうにゆとり教育を撤回せず長い目でみていたらその点は改善されていったことと思います。
子供たちへの影響としては、求めるところが逆になってしまいました。
興味関心を高めるところを重視して、結果的に学習の質を高めるはずだったものが、日本で実施されたゆとり教育の中では、全く機能せず興味関心を高めるよりも、あたえられたものの中で評価・数値化されるようなところでの高得点を目指すことを子供たちにもたらしてしまいました。
本来のゆとり教育が作り出すものとまったく別の結果を現出させてしまったのです。
ここが日本で行われたあのゆとり教育の最大の失敗だったと思います。
ゆとり教育については、もう2~3年まえから書こうとおもっていたのですが、そのままになっています。
時間があったらいつか記事にしたいと思います。
>オランダのイエナプラン教育とういうのがとても理想的に思うのですが。
イエナプランとはよくご存知ですね。
これも、詰め込みタイプの教育に対してゆとり教育に近いものだと思います。
年齢別を重視する日本の社会においては、このタイプの教育方法も根づかせるのがなかなかに難しいように感じます。
すくなくとも、先のゆとり教育以上に導入にあたっては、現在の教員がそのようなものとはまったく違う教育方法を学んできているので、さらなる大混乱があるのではないでしょうか。
こういう点からも、教育方法はかなりの部分をその国民性などに影響されるということを感じます。
>ゆとり教育失敗から、今またさらに詰め込む教育となっていると思いますが本当はどう方向転換すべきだったのでしょう?
これについては、教育が教育だけで完結していないということにも大きな要因があります。
つまり、社会がなにを要求しているかという部分です。
日本の教育というのは、就労のために必要なスキルを身につけさせるというウエイトが大きく、経済界からの要求を意識しつつ、教育の形が整えられているといっても過言ではありません。
例えば、英語教育の早期化などがその顕著な例です。
昨今のグローバル経済の要求が教育に与えている影響がとても大きいのです。
そういった社会的な要請の部分から、先のゆとり教育はどのみち成功しなかったのです。
ある意味日本の教育はお金を稼ぐための教育に重点を置いていると言えます。
ゆとり教育などの、詰め込みではないタイプの教育、イエナプランもそうですが、は人間がより豊かに(経済的な面だけでなく)生きていくことを目指して行われています。
このあたりの人間の生き方に対する、人々の考え方が教育の形を作っていく上で、実は重要です。
就労に関してワークシェアリングなどが、これから有効だということが言われていても、いまの経済界や政治の上の方にいる人たちには、相容れない考えでこの世代が牛耳っているあいだは実現は難しいだろうとよく言われています。
教育の変化というのも同様で、世代交代によって考え方がシフトしていかない限りなかなか現行の形からは大きくは変えていかれないのだと思います。
丁寧な回答ありがとうございました
とても分かりやすかったです。教育は国民性や経済界・社会から影響が大きいのですね。
断然、人生を豊かにしてくれる教育を子どもたちに受けてほしいですが、今の日本ではむずかしい。小学校に入っていろいろと問題が出てきたらその都度子どもと一緒に悩んで話し合っていきたいと思いました。逆に何も悩まず学校の思う通りの学生だったら、そっちの方が不思議じゃないかと。
おとーちゃんさんもゆとり教育の方向には賛成だったんですね。ゆとり教育の本を読んでなんだかとても良いことだったように思っていたので、でも何がそんなに悪かったのかと疑問だったので良かったです。
内田樹さんの本を探してみます。ありがとうございました。
ありがとうございました
集団的自衛権の懸念ですね、これは
・自衛隊の専守防衛では、万が一、他国が攻めて来たら本土決戦となり国民の命や財産が犠牲となること。
・これゆえ抑止力として同盟関係は必須。集団的自衛権も同盟強化のひとつ。
と私は捉えています。
同盟関係は契約ではないので常に信頼関係が必要です。米国世論も非常に重要です。日本は戦後、戦勝国に与えられた憲法のもと、米国の核の傘の下で、自らの手は汚さずに、平和に過ごして来ました。敗戦国の日本が同盟の義務を果たす意志もなく、米国の若い命をかけても守って貰う、そんな都合の良い話はないです。
集団的自衛権の憲法「解釈」変更であれば、戦争の戦闘行為に参加を要請されても断わる理由がまだ憲法に存在します。それに国民の賛成世論抜きの参戦は可能でしょうか??戦後復興や海賊対策での集団的自衛権の行使をも否定するのは今日の国際情勢上難しいかと思います。
教育者のお立場から、戦争に加担するような事は断固反対と思います。とても相容れない意見だと思いますが、ひとつの考え方として書いて置きたくなりました。済みません。
本題の武道による愛国心の部分は勉強になりました。愛国心というと、自己中心的な主義として捉えられることが多いと思いますが、本来、家族や地域を大切にする気持ちと同じだと思います。こういう「他を大切にする」気持ち、思いやりというのが現代には欠けている気がします。教育にはこちらに力を入れて欲しいなぁと思います。
自分を受け入れる自信と、他より自分が優れているという勘違いの自信では全く違いますが、国家でも、自己中心的な愛国心に向かう事のないようにしなければいけませんね。
補足。前回のコメントで、他国を誹謗した意に受け取られる方がいらっしゃったようですが、他国民の事ではなく、自国民の人権を蹂躙(虐殺、民族浄化tec)する国家(の政府)の事です。人間として許せない行為ですので、そのような言葉になりました。
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夢中になって育児の合間に全記事読ませて頂きました^^
もっと早くにこのブログに出会えていたらと思う点がたくさんありますが、
これから出来ることをしていきたいなと思います。
実は相談があってコメントすることにしました。
記事とは全然関係ない内容なのですが、どこの記事のコメントから相談して良いのか解らなかったもので最新記事にすることにしました…申し訳ありません。
私には今10月で3歳になる息子がおり、私自身は妊娠6か月に入ったばかりの妊婦です。
息子を妊娠時もそうだったのですが、切迫流産、切迫早産で入院は免れないだろう妊娠生活を送っています。
今は服薬で誤魔化しながら生活しているのですが、
日に日に横になっていないとお腹が張って動けない時間が増えてきており、その分息子の遊び相手はもちろん、食事の準備や入浴、トイレの後始末などが出来なくなってきてしまいました。
息子の時の経験からすると、いつ入院になってもおかしくない状況だと自分では思います。
息子は私の状態を解っている様子で「寝てていいよ」など言ってくれるのですが、やはり満たされない状況が続くと「お腹すいた」を連呼してみたり、一人で外に出ようとしたりと…
主人も休みの日には全面的に協力してくれて、外遊びや食事など息子のお世話をしてくれていますが、平日は朝から夜遅くまで仕事が忙しく、息子が寝てから帰ってくるような状況です。
私の両親も家が離れており、数日おきに来てもらって家事や息子の相手をして貰っています。主人の両親は遠方に住んでおり、こまめには協力をお願い出来ないのですが、義母が1週間ほど泊り込んで手伝ってくれたりもします。
出来る協力は仰いでいるつもりなのですが、息子の満たされなさはやはり目に見えて現れてきていて、とても心配です。
保育所なども考えたのですが送迎も出来ないし、
私が入院してしまったら、その分の「満たされなさ」は2人目が産まれたあとに補うことが出来るものなのか…
出産予定は来年1月なのですが、息子は次の4月から幼稚園に入園する予定で、これもとても不安でなりません。
2年保育で良いのでは、と主人と何度も話し合いをしたのですが、家に居て体を動かせずストレスを貯めるより、幼稚園で楽しい時間を過ごせた方が良いとの答えを出しました。
親と離れて寂しい思いは、幼稚園から帰って来てから満たしてあげられれは一番良いと。。。
おとーちゃんさんならこの状況をどう乗り切るかアドバイスが頂きたく、コメントさせて頂きました。
自宅で絶対安静していなければならなくても息子が少しでも満足出来るような声掛けや、入院になってしまったら私の両親に預けることになるのですがその際の注意点などあれば…
おそらく次回検診時には入院と言われると思うんです(涙)
お忙しい中、本当に申し訳ありません。
長文、失礼いたしました。
お時間のある時にご回答頂ければ嬉しいです。