公的保育とはなにか Vol.1 - 2013.10.04 Fri
公的保育というのは、「公立保育園」のことを指すのではありません。
国や行政が、市民・国民のために保育を用意するということです。
なぜ、保育を用意するかといえば、それは社会的な必要があることだからです。
もし、保育というものがなかったら、人は働くために誰かに子供をあずけたりしなければなりません。
家族など預ける人が身近にいればいいですが、そうでなければ預かってくれる人を探したりしなければなりません。
もし、預かってくれるところが見つからなければ、就労しつつも子供の世話をしたり、そもそも仕事につけなくなってしまったりするかもしれません。
そうならないために、「国民のために便宜をはかること」が「福祉」もしくは「社会福祉」ということです。
また保育というのは就労のためだけにあるわけではありません。
病気などで子供の世話ができない人たちにとっては、保育がなければ、その子供たちは保護や世話を受けられない状態におかれてしまうということになります。
そういった様々な状況において「保育に欠ける児童」を安全に預かることが「保育」なのです。
そして「保育」というのは安全に預かることだけではありません。
預かっているあいだ、家庭に変わって、子供がよりよく育つため、よりよく生きられるために必要なことを提供するのも、その理念の中には明確に含まれています。
もともと託児所やベビーホテルといった子供を預かる商業施設も存在しますが、こういったところはその名前が示す通り、基本的には「子供を預かる」という機能・役割しか持っていません。
なので、「保育」と「託児」というのは似ているようで、同じものではないのです。
また、福祉としての公的保育ですから、それはどの国民に対しても、どの地域に対しても、どのような生活水準にある人に対しても、国や行政が一定程度の質の保証されたものを提供するということでもあります。
福祉というのは社会のために必要なことを、行政や国家が認めているということですから、その必要に応じて全ての人がそれらを受けられるということです。
ここに住んでいる人は受けられるが、あそこに住んでいる人は受けられない、ここに住んでいる人は質の高いものが受けられるが、あそこに住んでいる人は質の低いもので我慢しなければならないというのでは困ります。
また、お金のある人はいいものを受けられるが、そうでない人は質の低いものしか受けられないというのでも困ります。
「福祉」というのは人々がよりよく生きるために必要なもののことですから、その機会や質を維持するというのは非常に重要なことです。
そのために、さまざまな法律や基準を定め、国や自治体に、市民・国民のためにその機会・質を整備・維持することを義務付けています。
「国民の福祉」つまり「よりよく生きるため」にあるのですから、あまり高い料金ではいけません。
利用する人が、その人の事情に合わせて払えるくらいの額において、保育料というのを集めています。
これは利益を上げるために集めているわけではなく、利用しない人々との格差を生まないための必要最低限の額です。
実際は、ある一定程度の質の保育をするためには、この集めている保育料では全く足りません。
ですから、それのためには福祉としての予算から、国や行政が支出するということもその義務の内なのです。
もちろんそれは税金から支出されます。
昨今では、この「部分が無駄な支出」であるという考え方が出てきています。
だが本当にそうでしょうか?
たしかに、これまで多くの国家・公的事業が民営化されてきました。
鉄道・電話・電力・郵便などなど。
市場は成熟し、国家がその基盤を整備せずとも維持・発展が可能になっているので、民営化しても問題ないという時期になり判断されこれらのものは民営化されました。
そういった社会基盤・インフラというものと、福祉というものを同列に考えてもいいのでしょうか。
いただいたコメントの中に「福祉」をさして「既得権」という表現をされているものもありました。
しかし、福祉を既得権と考えるならば、それはほかでもない「国民・市民の既得権」なのです。
保育園の位置づけは病院などと似通ったところがあります。
病院にも私立公立とありますが、それらは必ずしも利益一辺倒のものではなく、社会的な使命や必要性があってのものと考えられています。
なので、私立であってもそれが社会的に必要とされるケースにおいては、税金による維持・補助がなされているものもあります。
しかし、数年前からこのようなことが多くなっているのを、すくなからず耳にします。
それは、地方都市などのおもに市民病院などの公立の病院が、財政難を理由に閉鎖し医療の空白地域を生んでいるというものです。
それがなくなったことによって、地域住民が通院のために多大な負担をかけられることとなったり、救急車を呼んでも近隣の病院がなくなり、数時間もかかる遠方の病院に運ばれたり、たらい回しにされた挙句に助からなかったり、などなど。
これは、その「支出が無駄である」と行政が判断したために、その地域の医療福祉がとどこおってしまったということです。
このように、市民・国民の幸福・福祉というのは、単に経済効率と天秤にかけられるものではないのです。
しかし、昨今は景気が悪くなって以来、国民のためにある福祉までもが「無駄なもの」というレッテル貼りがなされつつあります。
生活保護などもその槍玉にあげられたのは記憶に新しいところです。
生活保護受給のシステムが健全に機能しておらず、不正をして受けている人がいるといった問題と、生活保護そのものの存在とは別個の問題なのですが、その論点が見えない人や、もしくは意図的にその論点をぼかして、福祉を削減しようという立場の人がいるためなのか、「不正受給」の問題が「生活保護の否定」にすり替わってしまいました。
現状、公立保育園にも認可保育園にも、まだまだたくさんの質的な問題など抱えているところは多々あります。
(はっきりいってひどいところもたくさんあります。
僕自身、息子を預けていた公立保育園に対して納得いかないことがいっぱいありました。でも仕事のためにはそれでも我慢して預けなければなりませんでした。
しかし、その質ゆえに第二子を預けることは断念しました。)
僕はそれらが向上してくれることを心から望んでいますが、そういった現状の保育園のあり方の問題と、「福祉としての保育」(公的保育)をなくしてもよいという問題とは別個の問題なのです。
「公立保育園や認可保育園に預けたけど、ひどいところばかりだったから、営利目的でも企業のやっている保育園になってもいいのでないか」という意見が一般の人からでることはよくわかります。
これはまったく保育業界に、その倫理・質を高めてこなかったという点において大きな責任のあることです。
しかし、地方都市などで公立保育園の質が下がってきたというのは、行政が以前から児童福祉にかける予算を削ってきたからという原因があることも否定できない事実です。
このあたりを詳しく述べるとこの記事の趣旨と違うところで長くなってしまうので、またの機会にします。
しかし、保育というものは、公立や福祉法人のしていることが、単純に営利企業に置き換わるというだけではないのです。
次は、公的保育をなくしていくということがどういうことなのかについて考えていこうと思います。
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