格差につながっていくという懸念 - 2013.10.27 Sun
世間一般でも「自分がしっかりしていくしかないのだろう」というたぐいの考えの人が少なくないようです。
たしかにその通りだとは思います。
各人や各家庭がしっかりしていれば、自分の子供の育ちというのはそれに見合ってきっとしっかりしたものとなっていくことでしょう。
しかし難しいのは、自分の周りまでそうとは限らないということです。
車の運転をしているとき、自分がどんなに安全運転をしていても、まわりのモラルやマナーが悪かったり、向こうからぶつかってきたりすれば事故にあうことは避けられません。
同様に子育て、またその子供たちが将来作る社会というものも、自分の家庭がいくらしっかりしたとしても、それだけで安心できるものとはならないということが言えます。
「水は高きから低きに流れる」といいます。
悪いものを良くするのはとても難しいですが、良いものを悪くするのは簡単です。
「自分の家庭はしっかりとしていこう」そう思える家庭ならば心配はいりません。
でもそのようになど考えない家庭というのもまたたくさんあります。
確信的な虐待やネグレクトになってしまっているような家庭はその逆であるとすら言えます。
まがいなりにも子供へのケアが福祉として維持されていれば、そういったところへも多少なりとも手が届きます。
しかし「保育」が単なる「育児サービス」となってしまったとき、そこにはそうそう行き届く手はあるでしょうか。
これを社会全体が続けていくとなにが起こるかというと、「住み分け」というものが起こります。
子供をきちんと養育していく意思をもった家庭は、子供に関心が低く野放しになってしまっているような家庭と接点を持たないようなライフスタイルを選択していくという可能性があるのです。
社会がだんだんとそういう方向になっていくと、それがもたらすのは「格差社会」です。
学校も職も、住むところも別々に意識・無意識に分けるようになり、「差別しない」とは言いつつも両者が離れたところで冷ややかに見つめるという社会になりかねません。
このことは机上の空論で言っているのではなくて、すでにアメリカという前例があります。
高級住宅地は高い塀に囲まれ厳重なゲートがあって銃をもった警備員が警備している。
通う学校も最初から別で、当然受ける教育内容も違う。
大学へ行くのにも多額の学費がかかるので、つける職も全く違う。
当然所得もちがう。
そしてその差はなかなか縮まることなく、社会全体では開いていく方へ向かう。
アメリカは政府自体もそういう方向を肯定し(おもに政権を長く保ってきた保守党が)、教育もエリート主義をとっています。
一昨年でしたかニューヨークで起こった大々的なデモは、もともと公立学校からの「格差を減らせ」という小さなデモからだったそうです。
日本では住宅地をまるごと塀で囲むということにはならないかもしれませんが、似たようなことはすでに起こっています。
例えば、高層マンションに住んでことさら地域とも関わりを持たず、幼稚園や小学校からすでに名門私立に通い、そのコミュニティのなかでだけで関係を構築していくというようなことで、もうすでに住み分けということは可能だし、起こっているのです。
別に住み分けをせずとも安心して暮らせる社会であれば、誰しも当然ながらそのほうがいいはずです。
子供へのケアをきちんと福祉として維持することは、社会のためにもとても大事なことだと僕は考えます。
僕はその焦点が今起こっている、保育の福祉から営利化への切り替えというところにあると思っています。
短期的にはその影響というのは見えないかもしれないけれど、そのつけはいまの子供たちが大人になった頃にでてくるはずです。
かつて鉄血宰相と呼ばれたドイツのビスマルクはこのような言葉を残しています。
「歴史から学ぶものは賢者であり、経験から学ぶものは愚者である」
アメリカがすでに実践して、(国としての)経済的にはうまくいっているのかもしれないけど、社会的にはとてもうまくいっているとはいえない前例があるのだから、わざわざ日本がこれからそれになぞらう必要はないと僕は思うのだけど、これからの日本はどうなるのでしょうか。
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● COMMENT ●
親が強くあれる保障はない
田舎のデグーさん
それに否定的な意見のできる親はどれくらいいるか。
おそらくほとんどいないだろうと僕も思います。
日本で売られている玩具などをみても、それらを大きな視点から吟味するという子供文化への価値観というものがほとんど形成されていないと強く感じます。
そういうなかでの、育児の営利化は安易な方へと流れていくことが容易に想像できます。
市場が十分に成熟していて、ユーザーが見掛け倒しのものを選ばなくなっている、というのであればさほど問題でもないのだけど、現状は厳しいように思います。
民間託児施設
素行の悪い男児の退学処分です。
託児施設からすれば他の顧客の安全を確保するためですので、正当な処分だと思います。その男児も扱いにくい乱暴者でしたし。母親の育児にもかなり問題があるのは確かでしょう。でも、だから排除するって方向へ行くと、幼児の段階でその様子なら、先は簡単に想像がつきます。
また、保育や育児に過剰な市場原理を投入することで、排除される子どもは増えることも容易に想像できます。民間の怖いところはそこです。
弱いものは淘汰されますから、子どもにしわ寄せが行きやすい。それが良くない状況だと分かっている人は沢山いるのに、と歯がゆい気持ちになります。
まあさん
放校処分というような対応でなくとも、レッテル貼りして問題児扱いというようなケースはすでにたくさんあります。
財政が厳しいからという理由で、子供を切り捨てていくシステムになってしまうのはなんとも歯がゆいです。
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子供が生まれたころ、妊娠中は仕事と自分の体調に振り回されてばかりで、育児自体についてはほぼ考えていませんでした。
産まれてからやっとネットで育児情報を調べ始めて、
でもしばらくは商業的な育児情報に惑わされてばっかりでした。
育児雑誌を読まないことから始めましたが、そうすると個別の情報を集めるのに時間がかかります。
子供に何かを与えて上げることは簡単だけど、
子供のためと銘打って売られている実は子供にとって無益で害になるものを切り捨ててあげるのには、知識が必要だと思います。
でも、保育所やその他の託児施設に子供さんを預ける理由としては、まず忙しいから、という方が多いと思います。
保育が営利のものになってしまうと、じゃあなるべく保育料を安価にするためには大規模、じゃああそこだろう、
教材は派手なイラストたくさん、
園庭の遊具もし◯◯◯◯やと◯っ◯◯ばかり?
それに否定的な意見のできる親はどれくらいいるか。
言い過ぎ?
でもそうなりそうな気がしませんか。
子供はたぶんそんなに嫌がらない様な気がしますし。
言い過ぎだったら以後改めます。