人はなにで動くか Vol.3 - 2013.11.05 Tue
なかなか返信が追いつかないので、今のところ10月25日前後に頂いたコメントへの返信中です。
相談の方は順番に返信していきますので、いましばらくおまちくださいね。
では、前回の続きです。
子供と信頼関係を作ること自体は難しいことではありません。
それこそ一緒にご飯を食べたり、添い寝をしたりするような日常することでも、子供はそこに大人への信頼感を形成していきます。
なので、親子として一緒に生活していればそれは自然と蓄積されていくことでしょう。
でも、ここで述べているような、何事かへのモチベーションとなるような、信頼関係の場合はそのような受動的な信頼関係の構築だけでなく、子供が行動への意欲となるだけの積極的な信頼関係の蓄積というものがあるほうがよりよいだろうと思われます。
そのような積極的な信頼関係というものは、なにによって育まれるかというと、それは「肯定」されることです。
この人は自分を褒めてくれる、認めてくれる、笑いかけてくれる、抱きしめてくれる、などなど、様々な肯定のうえに子供はなんらかの行動へのモチベーションを見出していけるでしょう。
具体的には、大人もいろいろだし、子供もそれ以上にいろいろですし、そのような関わりというのは無数にありますので、こうするのがよいということは一概に言えません。
なので、前記事から例にとってきている保育園での片付けの事例でもって、関わりの方向性だけ示すこととしたいと思います。
かの園では、1歳児であっても繰り返し「やるべきこと」をやらせることで、次第に子供への習慣化をしようと対応していました。
Vol.2の中で指摘したように、その1歳児がその「やるべき」ということを理解していなかったとしても、それの繰り返しでそのうちに「やるべきことなのだ」というなにがしかの理解には達するようになることでしょう。
それはその通りですので、そのやり方が必ずしも間違っているというわけでもないということは前号でも述べました。
ただ気になるのは、このケースではほかの子が外遊びをしているにも関わらず、その片付けをしない子を部屋に留めおいて片付けをするまで外遊びはさせないということを片付けをするための原動力・モチベーションとしてしまっています。
言い方は良くないですが、ある意味では、「外遊び」ということを大人が人質にとって、子供に片付けをしいているわけです。
また、ひとりだけ集団から引き離すという、子供の「疎外感」をも利用してしまっています。
こういうことは、場合によっては子供の持つ自発的なモチベーションや、大人への信頼感ということを損なうこともある行為です。(注1)
1歳児という成長段階を考えれば、まだことさら「やるべき」を課してやらせなくとも十分に自発的な片付けの意欲をつくる余地もあるだろうというのがポイントです。
さてそこで、そのためにはどういうアプローチをしていくかということですが。
できないからとあとから呼んで、その子に片付けさせて「片付けた」という事実を積み上げるよりも、片付けるべき時間、つまり周りの子が片付けをしている時間にひとつでも片付けるように大人が関わってみて、それを認めていく、褒めていくという対応がいいのではと思います。
まず、そのことは「生活の流れ」を理解するのに必要です。
室内遊びがあって、片付けをして、外遊びに行くという生活の流れがあるのでしたら、その流れをまずは身につけることで片付けの時間、ひいてはそれの必然性というものも子供には理解できてきます。
また、片付けの時間にすることによって、得られるものがほかにもあります。
それは周囲の子供たちの行動です。
子供は、大人に「しなさい」と言われることよりも、周囲の子供たちの行動を目にすることによってはるかに多くを身につけます。
周りの子がしているという状況の中に身を置いたほうが、はるかに片付けの必然性を感じられることでしょう。
これに比べたらよほど、外遊びを人質にとられたり、疎外感をことさら刺激されるのは「むりやり」に感じてしまいます。
子供は小さい子であっても、その集団に入っているという意識を一旦もったらそれを大切にします。
なので、疎外することで子供を意のままに動かそうというのは、子供を尊重しない行為であり、ときに傷つける行為です。
先日もらったコメントの中にもありましたが、「言う事を聞かない子は赤ちゃん組にいきなさい」と脅したり、そういうことを実際にするのは大人の立場をかさに着たずるい行為ですよね。
大人中心に子供を短絡的に動かそうとしたら、そういう疎外を使うのは簡単だけど、本当は集団の強みを適切なかたちで利用したほうが、子供には無理のない成長を与えることができます。
なので、周りの子が片付けをしている、もしくはその雰囲気がある中で、その子を導いたほうが子供の力となっていけるでしょう。
ですので、その時間にその子に大人がアプローチをします。
その雰囲気の中で、大人が主体になって片付けをしてそのお手伝いをその子にさせるという程度からはじめてもいいでしょう。
この行為は、その子と大人との信頼関係の上に成り立ちます。
信頼関係がそれ以前からあることで、このお手伝いということが可能になります。
そこでその子がお手伝いをしたら、「ありがとう」「よくできたね」などと認めていくことで、さらに信頼関係も強まるでしょうし、片付けという行為としてみたとしてもその習慣化の第一歩くらいにはなるでしょう。
さらに、続けていくことでその子が自発的に片付けることができたりすれば、そこもすかさず認めていくことでモチベーションとなっていけます。
時間はかかりますが、これの積み重ねで信頼関係を使い潰すことなく、むしろより強めながら行動を身につけさせるという方へ導いていけます。
この点がのちのちモチベーションの高い子供を作ることの分かれ目になるような気もします。
「認める」というのは紛れもなく「肯定する」ことです。
たくさん肯定されて育った子というのは、一言で言うと「子供らしい活気にあふれている」というような状態になります。前記事で「目の輝き~」と言ったのもこのことです。
こういう状態にある子というのは、大人がなにかを教え込まずとも、たくさんのことを吸収していけるようです。
人格がすでに出来上がってしまった年齢の高い子を、こういった状態にしていくというのは、関わる時間も関係性も親とは比べ物にならないほど小さい保育士というものではそう簡単ではないですが、乳児期ましてや1歳というなんでもすんなりと入る時期であるならば、このような状態、またはその下地を作ることはそう難しいことではありません。
このように子供のちからそのものを伸ばしてあげられる関わりというのが、それができる状況であるならば、より望ましいと僕は思います。
ちょっと回りくどくなってしまいましたが、こういうようなことが信頼関係の上に築いていくモチベーションの関わり方の一例です。
これが全てではないですから、あくまで方向性としてヒントくらいに思ってくださいね。
前回にも書いていますが、大人が子供の成長を焦っていたらなかなかこれはできません。
「子供への結果は今日出すものではない」
ということを大人の方が理解していることもやはり大事だと思います。
(注1)
保育方法として深く考えると、このような保育は古い・昔のやり方と言えます。
なぜなら、子供がもともともっている大人への信頼感というものがふんだんにあることを前提にしているからです。
それらは保育園で築き上げたものというよりも、家庭で形成されたものを利用しているといえるでしょう。
それが十分に期待できるならば、このように子供の大人への信頼感を逆手にとって、大人の思い通りにさせたりする対応や、疎外感を利用してしまうようなネガティブな関わり方も無理なくできてはしまいます。
しかし、『保育 第三の道』の記事でもちらっと触れていますが、現在はそうでないことも少なくないのです。
なので、この方法がうまくいく率というものも、それに応じて下がってしまっているでしょう。
● COMMENT ●
まさに今、迷走中です…
公園や児童館での他の子とのかかわりについて
私は2歳4ヶ月の娘を持つ専業主婦の母です。
保育士おとーちゃんのブログを拝見し、参考にさせて頂いています。
早速なのですが、タイトルの公園や児童館での他の子とのかかわりについて相談させて頂きます。
私自身人見知りで人の目をとても気にするタイプで、過保護タイプです。
娘が1歳の時期に児童館に行く時は、娘が使っているおもちゃを他の子が遊びたがっていたら、つい私がそのオモチャを他の子に貸してあげようねと言って無理やり貸していました。
その時期は娘も特に反応することなく、違うおもちゃを渡すとそのオモチャで遊んでいました。
(私がひと目を気にするあまり、娘の意思を全く尊重できず、帰宅後娘に申し訳なくなるというくり返しでした。)
2歳になり、自我もでてきたり、意思表示もできるようになりました。
公園に行き、娘がブランコで遊んでいて、あとから来た子どもが滑り台で遊び始めると、「◯◯も滑り台で遊びたい!」
や、児童館でも娘が遊んでるものよりも、他の子が使っているものが良く見えるようで、「◯◯も△△で遊びたい!」と私にいいます。
その時に自分では貸してと言えないようなので、その都度「貸してってお友達にいっておいで」
といい、貸してといって借りると、独占欲が出てくるようで、そのオモチャを他の子が遊びたがったり近くにきただけで泣いたりダメといいます。
無理に奪い取ることはしませんが。
以前、友達の子がうちに遊びにきたときに娘が使ってたおもちゃを奪い取られたときに、私に訴えてきたので、私がまだ使いたいから貸してって言ってきたら?と言うと娘は貸してといいましたが、友達の子は貸してくれずさらにその子が娘をたたいてきましたが、私がまだ使いたいんだってと娘に理不尽な事をいってしまいました。
(話はまた戻りますが)
また公園でもブランコで遊び出すと10分くらいは遊び、他に遊びたがってる子どもがいないときは遊ばせるのですが、他の子がきたりすると「◯◯のブランコ」と言って、私が貸してあげて欲しいそぶりを見せると泣きだすので、泣かれると困ると思い、悪いと思いながらも違うもの(お菓子たべにいこっかなど)で釣り、ブランコから離してしまう情けない状態です。
私がひと目を気にするあまり、娘にへんな我慢や習慣をつけてしまったのでつい人のあまりいない公園を選んで遊ばせてしまっています。
しかし娘も他の子と交わりたいそぶりを見せる事があるので、たくさん子どものいる公園で遊ばせてあげたいのですが、これから公園や児童館で私がどのように娘と関わったり、貸してあげて欲しいときはどのように伝えたらよいのか、アドバイスをいただきたいです。
どうかよろしくお願い致します。
はちさん
実際の様子を見ていないので、正確にどういったところから今の姿が現れているかということは僕からはわかりません。
ただ、一般的なところで言えば、なんとはなしにでも思い当たるところがあってそのように書いているのでしたら、多くの場合それらすべてが複合的に原因となっていることが多いです。
あと僕からもうひとつつけ足すとしたら、年齢的なものがあります。
4歳というのは、2~3歳までの親が全てというところからくる素直さからは自立し始めているのに、5~6歳で持つようになる一般的なルールなどを念頭に置きながら周囲の状況の中で行動するというような社会性の部分がまだ未発達な時期であり、もっともそのような姿のでやすくなってしまう時期です。
保育でもそういった点もっとも4歳児クラスが難しいと言われたりすることもあります。
ある意味でそういう成長の過渡期にあると考えて、この姿のまま小学校にいくわけではないですから、あまり先を見越しすぎた心配をせずに関わる方が、よりよいかと思います。
そのように時間が解決する部分もあるということがまずひとつ。
次に、対応としては(あくまで一般的なものとしてですが)
過干渉になってしまうとメリハリが失われて、結局何も伝わらないということにもなりかねないですからそこに気をつけること。
自主性に任せられる範囲ならば見守り、言うべきことならば毅然と伝える。
その伝えるにしても、それは普段の受容と肯定が前提としてあって初めてつたわることですので、過干渉のパターンの一つである「ダラダラとした否定」の関わりにならないことが大事になります。
保育士が子供によい関わりをしてもらおうと親に働きかけるとき、「10個いい話(褒めたりなど)をして1つだけ伝えたいことを言うように心がけましょう」と言われています。
それくらいでないと人間というのは自分を変えるところにはなかなか行き着かないようです。
大人ですらそうなのですから子供はなおさらです。
普段いいところを認めるという肯定の関わりの積み重ねがあってこそ、「○○しない」「○○してほしい」ということが伝わります。
個別の部分はわからないので、基本的なこととして僕からは、そのように普段からのひとつひとつの積み重ねを提案します。
家庭内でなにか簡単なお手伝いなどの、日々の役割などをつくってそこで毎日それを認めていくというような積み重ねなどもいいかもしれませんよ。
それはプラスの関わりのためにするのですから、できないからといって文句を言うような形や、ものにはしないほうがいいのはもちろんです。
ココんさん
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-248.html
の記事に、基本的なことは全て書かれています。
現状は、自己のモノに対する価値観を形成中のところであり、ときにとったり取られたりもしてそれを身につけていくことがなんらおかしいことではないのです。
ただ、公共の場で不特定の人と関わる場ではその通りにいかないこともあるでしょう。
それはそれでしょうがないことなので気にしなくていいと思います。
この問題は大人が子供に教え込んでどうこうするというだけで解決するというものではなく、それとともに子供自身の成長のベースが進んで行かなければならない部分もありますので、焦らなくていいと思います。
もし、子供同士でやりとりする場面があっても、できるだけ大人が過保護にならず見守ってあげることも経験となりますので、少しその意識を持っていくといいかもしれませんね。
ありがとうございました
コメントを投稿した後も、息子の様子を見ながらあれこれ考えていたのですが、やはりおとーちゃんが指摘してくださった通り、「すべてが複合的に原因となっている」ように感じました。
そこで、過去記事も参考にさせていただき、最近は「やめてほしいこと」は毅然として伝えるけれども、「やってほしいこと」(例えば、降園後のかばんの片付けetc)については、一方的に指示するのではなく、「時計の針がどこまで来たらやるか」を息子に決めさせて、それが守られなかった時だけ「時計を見てごらん」と声をかけて、なるべく息子が自分の意志で行動していると実感できるように心がけています。
実際のところ、いくら「やりなさい」と言ってもなかなか動かなかった以前と比べて、今は私が声をかける前に、息子自身が気づいて行動していることのほうが多いです。
また、ついつい叱ってしまった後も「でも、◯◯したのは偉かったね」と、息子ががんばったところを見つけて褒めるようにしていたら、反抗的な態度が減って、自発的なモチベーションが増えてきたように思います。
お箸もいやがらずに使うようになり、幼稚園の給食も「お箸で食べたよ!」と誇らしげに報告するようになりました。
ずっと苦手だったフルーツも、自分から「食べる!」と言うことがでてきて…。今日はみかんを半分こしたのですが、「次はりんご、その次はバナナとぶどうに挑戦する!」と宣言していました。
最近、「今日は格別がんばったなぁ」という日には、好きなシールを一枚あげて、子供部屋のカレンダーに貼り、「みかんを食べた!」などのコメントとともに花まるを書いてあげるのですが、それも励みになっているようです。時々、カレンダーを見てニコニコしています。
(これは「シールにつられている」だけで、もしかしたら自発的なモチベーションではないのかもしれませんが…汗)
本当に、叱るよりも認めることのほうが、よっぽど効果があるのですね。
それでもやはり、子供がたくさん集まる場所などでは、テンションが上がりすぎて、叱らざるを得ないこともあります。
ただ、以前と違うのは、叱られた時の息子の態度が「納得いかない(反抗的)」といった感じではなく、「ああ、反省しているんだな…」と感じられることです。
ちょっと落ち着いたら、自分のしたことが迷惑だったと気づけるのだけれど、過中にあっては、まわりが見えなくなってしまう…まだまだ、そんな時があるようです。
このあたりは、性格的なことと、年齢的なことも影響しているのかもと考え、繰り返し、伝えていくしかないなと思っています。
正直、「何べん言わせるのー!」とイライラが爆発してしまうこともあるのですが…怒りすぎたなぁと感じた時は、「ごめんね」と謝っています。そんな時、息子はほっとした顔で「いいよ」と言い、笑ってハグしてくれます。そんな息子を見るにつけ、私自身、もっと成長しなければと思う日々です…
おとーちゃんのブログは、これからも、心のよりどころにさせてもらいますね。行き詰まった時は、何度でも、ここに立ち返るようにしたいと思います。
お忙しいところ、本当にありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。
P.S. 過去に私が投稿させていただいた「自分のものへのこだわりが強くて、おもちゃを貸してあげられない」という相談ですが、あの時おとーちゃんがアドバイスしてくださった通り、その後だんだんと家でもおもちゃを貸せるようになりました。今では、自宅にお友達を招いて、子供らが遊んでいるのを横目に見ながら、夕飯のしたくをする…ということも可能です(私が仲裁する必要があまりないので)。なので、最近はむしろ、(息子の要望にこたえて)積極的にお友達を招いています。あの時、おとーちゃんに相談させていただいて、息子に「貸す」ことを強要しなくて、本当によかったです!
はじめまして
片付けないと外遊びに行けないという例を読み、うちの子どもが行っている園では、みんなでトイレに行ったあと、自分でオムツ、ズボンが履けた子から外遊びに行けるらしく(早い者順)、うちの子どもは時間がかかるから外遊びに行くのが他の子より遅くなって、お目当てのお気に入り乗り物おもちゃにいつも乗れないそうなんです
その話を担当の保育士さんが笑いながら教えてくれてたのですが、私は聞いていてせつなさというか、不平等感を感じました
まありさん
僕も子供を預けていたりしても納得のいかないことなんかも多々ありました。
あまりに目に余ることははっきりと伝えていましたが、そもそもの立っているステージが違うので話の通じないようなことも度々です。
そしてそういうのはとても疲れます。
子供は大きな柔軟性があるので、ちょっとやそっとのことではさして影響を受けません。
逆に最も大きな影響力があるのは親である自分です。
外の世界でどうであっても、親がしっかりしていればそうそうブレません。
ましてやときどき行く程度のところではなおさらです。
「それもまあ経験のうちか」くらいに捉えてあまり気にしないのがいいかもしれませんよ。
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過去に何度か相談にのっていただきました、はちと申します。
もうすぐ5歳になる男の子の母です。
今回の記事を読んで、最近の自分はとみに、「〜までに…できるようにならなければ」という考えにとらわれているなぁと感じました。というのも、小学校入学という節目を前に、(まだあと1年以上あるとはいえ)「大丈夫なのかなぁ」と焦りを感じ、自分の子育てに自信が持てなくなっているからです。
最近は、息子が「できる(ようになった)こと」よりも、「できないこと」(たとえばばお箸を使うことや、食事時の作法、読み書きなど)にばかり目がいってしまって、褒めるよりも、ダメ出しすることのほうが増えているように思います。
もっとおおらかに、気長に見守ってやらなくてはと思いつつも…たとえば読み書きなどは、現役の小学生ママさんから「昔と違って、今は入学前にできている子がほとんどだから、学校でも駆け足でしか教えてもらえない。だから、入学までにある程度できておいたほうがいい」といった話を聞いたりすると、親である自分が、もっと意識してやらせるべきなのか? お箸も、なかなか使えるようにならないのは、自分の怠慢なのか? と焦ったりします。
その結果、短期的な結果を求めて、指示(〜しなさい)やダメ出しが増えて…それを受ける息子は以前よりも、反抗的な態度が増えました。例えば、乱暴な言葉づかいが増えたとか、外出時などに親の注意を聞かないことがある…など。言葉づかいなどは、年齢的なこともあるのかもしれませんが、きっと息子もストレスをためているのだと思います。
以前は、ちょっとくらい苦手なことがあっても、「良いところ」をたくさん見つけて、それを伸ばしていってやれればいいと思っていたのに…。最近の自分は、子育ての時間制限にとらわれて、親としての「軸」を見失って…ゆらいでばかりいるような気がします。もっと長期的なスパンで、子供を見守っていけるようになりたい。そのためにも、もっともっと強くなりたいのですが。
ちなみに…上記の「反抗的」ということとも関連して、おとーちゃんに相談したいことがあります。お忙しいところ申し訳ありませんが、お時間のある時に、ご意見いただけるとありがたいです。
息子はお友達と一緒になると、テンションが上がりすぎてしまって、親の注意が耳に入らない(といより、聞こえていても言うことをきかない)、ということがよくあります。
もともと人懐っこい性格で、年中になってからは特に、お友達との関係が広がっているようです(もちろん、時には小さなイザコザもありますが)。家族でキャンプに出かけても、自分で気の合うお友達を見つけてきては、楽しく遊んでいたりします。先日は、病院のキッズコーナーで、一緒に遊んだお友達(初対面)ととてもウマが合ったらしく、「今度うちに遊びにきてほしい!」などと言っていました。
しかし、かように友達を求める時期ということもあってか、園行事や外遊びで、はしゃぎすぎてこちらの注意(声が大きいよとか、ここで走ってはいけないよとか…)が耳に入らなくなることがあります。
今日も、イベントの後でお友達親子とお昼を食べに出かけたところ、お店の中で大きな声で騒いだり、歩き回ったりしてしまい、何度も注意をしたのですが、まったく言うことを聞いてくれず、制御不能でした。
家族で外食した時は、ここまで落ち着きを失うことはないので、私もクタクタになってしまいました。
病気で3日間家にひきこもっていた後だったので、久しぶりにお友達に会えてテンションが高かった&はしゃぎすぎて眠かった(お友達を送った後、車で眠ってしまいました…)ということもあるかもしれませんが、それにしても、こちらの注意が届かないだけでなく、注意すればするほど「もう、お母さんはうるさい!」とばかりの、反抗的な態度をとるのも気になりました。
幼稚園の運動会でも、出番を待っている間、(親と一緒に、シートに座って)おとなしく観戦するということがなかなかできず、時間がたつにつれ、お友達と走り回ったりして落ち着きがなくなっていました。
後で息子に話をすると、「まわりのお友達も走っていたから」と。私としては、お友達がやっていることでも、その時の状況でやってもいいかどうかを自分で考え(少なくとも、こちらの注意を聞いて立ち止まり)、自分を制御できるようになってほしいのですが。
いつも幼稚園では、ちゃんと先生の話を聞けているのか心配になったのですが、「お友達とふざけてしまうこともあるが、しょっちゅうではなく、ふざけてしまった時は声をかければ、気づいて切り替えられている」とのことでした。
どうも、いつもと違う状況や、「お友達がいて、遊びに夢中になっている」状況で、楽しくなってテンションがあがりすぎると、こちらの注意が届かないようです。また、はしゃぎすぎてお友達から「やめて!」と言われているのに、なかなかやめられない(自分をコントロールできない)ということも、時々見受けられます。
おとーちゃんにおうかがいしたいのは、これは息子の性格的なものなのか、それとも普段の親(特に母親)の関わり方が過干渉であったり、支配的であるがゆえに、息子自身も気づかないうちに、外で(お友達と一緒の時に)それを発散させているせいなのか、どちらだと思われますか?
最近の自分の子育てが、ことごとくマイナスのスパイラルに陥っているような気がして、上記のような場面でも、それが影響しているのではないかと、モヤモヤしています。
また、(その原因にもよるかと思いますが)上記のような場面において、おとーちゃんならどのようなアプローチをされますか?
長文で申し訳ありません。率直なご意見を、聞かせていただけると幸いです。