かわいがらない見栄 - 2013.11.25 Mon
そこではそれは連れ合いに対して向けられているのですが、子供にも同様の感覚というのをどうも日本人は持っているのを感じます。
たしかに指摘されると不思議なもので、なぜか本来愛しい存在としてある恋人や配偶者や我が子に対してなんとはなしに、その大事にするという素振りを無意識にセーブしてしまうところがあるようです。
日本人はシャイなので「照れ」ということもあるのでしょうけれども、子供と一対一のときですらそうですからどうも「照れ」というだけでもないのかもしれません。
「自分の愛情に大きな自信があるからわざわざ言うまでもない」というような、バンカラな考え方がそこにはあるような気がしないでもありません。
特に男の人にはそういう風があるようです。
おじいちゃんおばあちゃんになるとそういう見栄をはる必要もなくなるのか、我が子の子育てとは打って変わってベタベタとできるようになる人もいます。
子供の子育て真っ最中の人にも、どうも我が子を可愛がることを無意識にセーブしてしまうという人が少なくありません。
この「かわいがることをセーブする」ということに、なんらかのメリットがあるのだろうかと考えるのだけど、僕が思いつくことでしいてあげるとすれば、「かわいがり=甘やかし・過保護」になってしまう人の場合それを少なくすることができるかもしれないということくらいでしょうか。
そう考えると「甘やかさない」というこれまでの日本の子育ての中心課題が、この「かわいがらない見栄」というのをもたらしてしまっているのかもしれないというような気もしてきます。
なかにはかわいがることがそのまま甘やかしになってしまう人もいますが、それはそもそも同じものではありませんので、かわいがることを押し止める必要はないと僕は思うのです。
実際にたくさんの子供たちを見ていて、この日本の子育てしている人の少なからぬ人たちが持っている「かわいがらない見栄」というものが子育ての足かせとなってしまっていると感じることがたくさんあります。
子供というのは成長のために自分が守られている・大切にされているという実感が必要です。
これは精神論として述べているのではなくて、一卵性双生児の片方には暖かい関わりをした養育をし、もう一方には無表情で冷たい対応しかしないで育てた時に、明確な身長体重・知能の発達に差がでたという実験結果があるほどです。(ひどい実験ですが昔のアメリカではこういう実験ができたようです)
その例はともかくとして、子供が大事にされているという感情をもつことは成長の上でどうしても必要なことです。
普通の子育てのなかでは、上のような身体的な発育や知能の発達まではいかなくとも、日々の情緒の安定や人間関係、生活や遊びに取り組む姿勢など多くのことにその実感が関係してきます。
子供もいろいろですから、「自分の想いに自信があるからわざわざ具体的に伝えるまでもない」という親の姿勢でもすんなりといってしまうこともあるでしょうけれども、子供はなかなかそういった空気を読むというようなことは得意ではありません。
また、ネガティブな感情というものは伝わりやすいけど、ポジティブな感情というのはむしろ伝わりにくいもののようです。
そして、子供は日々の中で、その「大事にされているという感情」を確かめようとしています。
それを確信できると、日々のものごとに積極的に自信をもって取り組みやすくなります。
それに自信を持てない子は、どうにかして誰からでもいいからそのような関わりというものを求めようとします。
普段からかわいがられている子はかわいい出し方をしっていますが、そうでない子はあまりかわいいだしかたというものをそもそも知りません。
なので、その出し方も大人を困らせるようなものの方がずっと多くなってしまいます。
ネグレクトの子などをみているとこういうのは顕著にわかります。
つまり「かわいがらない見栄」というのは、それでうまくいくこともあるかもしれませんが、でもリスクを抱えているとも思います。
逆の見方をすると、「かわいがること」は保険にもなります。
大人が仕事で忙しかったり、育児のストレスがあったりすれば、そのつもりはなくとも子供に辛く当たったりということもこれはもう普通に起きます。
そんなとき、普段かわいがられている子であれば、そういうことが時にあったとしても、それは普段の自信がクッションとなってさほどの問題を引き起こさずともすみます。
でも、そもそもその自信が持てていなければ、そこでの大人の態度は子供に大きな影響を与えてしまうかもしれません。
僕は子供をたくさんかわいがります。
照れくさい恥ずかしいなどというのは、実のところ余計な自意識でそれによって見せてくれる子供の素直な姿などと比べたらどうということもないものです。
周りの人はあの人は親バカだとか変わった人だとか思うかもしれないけど、ぜんぜんそういうのは気にしません。
実際はむしろ優しいお父さんだとか、子供のことをしっかり見ているお父さんだというように好意的に見てもらえることのほうが多いように感じます。
子育ては究極のところでは、かわいがってさえいればどうにかなってしまうのではないかとも思っています。
かわいがるということをしていることで、子育てする人が悩むけっこう多くのことが軽くすんだり出なかったりするのではないかと思うこともあります。
保育園で見ていた家庭でも、子育ての難しくなってしまっているうちには、家で過ごす限られた時間のなかで「かわいがる」というプロセスが持てなくなってしまっている家庭がたくさんありました。
かわいがられている、大事にされているという実感・自信なしに、さまざまな「出来る」を要求されたり、行動の制止・禁止を重ねられたり、親の思い通りにしようという関わりだけたくさん増やしたとしても、それらはなかなかうまくはいきません。
子供の問題行動をさせない努力を大人がするくらいならば、親子が向き合ってかわいがる時間を少しでも設けてもらったほうがずっと問題の適正化に効果があります。
そういう実例をたくさん見ていますから、僕には「かわいがらない見栄」みたいなものはどうにももったいないと感じられます。
かわいがられている子は、子供らしい素直さを人にも見せるし、生活や遊びの中でもそれをだして微笑ましい姿を見せてくれるし、とてもいいものですよ。
かわいがることはそれがそのまま、「受容」にもなることです。
かわいがられるということは、当然ながら相手に受け入れてもらえているからそうしてもらえるということですので、子供からすると受容される満たされるということにもつながります。
「子育て大変スパイラル」になってしまっている親は、気持ちに余裕がなくなり、表情も硬くなったり無くなったり、声がけもネガティブな制止や命令が多くなったりして、かわいがる余裕が失われてしまっています。
子供のごくごく小さいうち(生まれたとき)から、たくさん「かわいいかわいい」をしていたら、そもそもそのスパイラルにおちいる可能性が少なかったのではないかとも思います。
ただ、なかには産後うつや育児ノイローゼなどで本人の気持ちとはうらはらにそれができなくなってしまう人もいます。
そういう人は、その人がそれをできなくても別の家族にたくさんかわいがってもらうことで埋め合わせてもらうことをおすすめしています。
また、健康が回復してそれができるようになってからすればいいのです。
日本人はかわいがることを無意識にセーブしてしまうけど、それはさして意味のないことだし、気にせずたくさんしてあげたほうがずっと子育ては楽に楽しくできるのではないかと僕は強く感じています。
人前でするのがはばかられるならば、家庭内で遠慮なくしてもいいでしょう。
やはり「思っている」だけでは伝わらないこと、伝わりにくいことはあるのです。
子供が小さいうちにすらそれを伝えられなかったら、大きくなればなるほど心の行き違いというものは増えてしまうと思います。
もちろん、そう心に思っているのであれば旦那さんや奥さんにだってきちんと感謝や、気持ちを伝えることも大事なことでしょう。
「前に言った」「伝わっているはず」ではなくね。
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● COMMENT ●
子供をかわいがること
No title
いくつかの点から見て頂きましたが、「おやつさっきたべた」という言葉はうまくいかなかった時に言います。場面転換の時に気持ちの切り替えが難しい時があり、「もっと遊びたいー」「おやつたべたー」と言います。食べることで気分を紛らわす事も見られたので決まった時間以外はあげずに、「もう少し遊ぼうか」と本人が納得するまで遊ぶと自分から次のことをすると言い、始めることもあります。「したくない」という言葉の代わりに「おやつたべたー」と言う言葉を使っているのかなとも思いますがわかりません。
心の発達が十分でないこととありましたが、不安になったり、眠くなったりするとタオルを持ち歩いたり、指しゃぶりが少しあります。タオルも少しずつなくても過ごせるようにはしています。失敗するとダメージを大きく感じる事はあるようなので「成功」「満足」「達成」を多く体験できるように遊びの中では意識していますが、うまくいかなくても気持ちを立て直して遊ぶこともあるので見守っています。(心の発達が十分でないことの1つに排泄もトイレではまだ難しいです。パンツに出たことを教えてくれます。気長にやります) 褒める・認めることを増やしたいと思います。
こどもの心底までまだまだ気持ちがとどいていていないのかなともおもっています。まとまらずらにすみません。毎回の記事が本当に参考になります。
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かわいがることの大切さ
今2歳児の担任をしています。私だけではないですが…抱っこのし過ぎ、構い過ぎと言われます。かと言ってそう言う先生が子供と向き合っているかというとそうではありません。
個よりも集団を重視しています。
2歳児に抱っこっていけないことですか?
不必要な抱っこってありますか?
保育観の違いでしょうけど抱っこしたらいけないと言われ疑問です。
ズボンやパンツをなかなかはかない子やはけるのに「履かせて~」と言う子にはどう対応したらいいですか?
保育士の研修ではしてと言う子にはしてあげたらそのうち自分でするようになると言われました。
お時間のある時で結構ですのでよろしくお願いします。
愛着障害というのがありますが可愛がっていたら愛着障害にはならないですよね。
愛着障害の子供は「子育て大変スパイラル」になってしまってしまい悪循環ですよね。
娘には言葉や態度で愛情表現しているつもりで、その成果が見て取れると子育てって面白いなぁと思います。
私は周りの人に娘を褒められるとつい、いえいえそんな…とか否定的な言葉が出てしまいがちです。
よく言えば謙遜してるのですが、謙遜って親の建て前で娘にとってはいい事ないですよね。
最近は気がけて、ありがとうございますってお礼を言うようにはしているのですが。
逆にまだ〜してないの?とか否定的な事を言われると今はこれでいいんですってきっぱり言うようにしています。ここで便乗してしまうと娘に悪影響なのではと思ったりして…
今回の記事を読んで改めて娘に愛情を伝えていこうと思います。
これからも楽しみにしています。
返信不要です。
そうですよね〜。もったいない!
私は、何でも「かわいー。」と言ってしまう世代なので、息子が産まれてから毎日かわいい、かわいいと言っています。息子も毎日言われてるのに、その度に嬉しそうな顔をします。それがまたかわいい!(笑)
以前、友人が子どものことをあまりかわいいと言ってると、自分で「私ってかわいいでしょ。」と言うイヤな子になるよと言われたのですが、うちの息子には今のところ(もうすぐ4歳ですが)そんなところは見られないし、むしろそのうち子どもの方が照れ臭くなって、そんなこと言うなと言ってくるでしょうから、親だって「かわいい~!」と言えるのは期間限定だから言わないともったいないですよね。
かわいがることの大切さ
わたしも同じ経験をしたことがあるので、思わずコメント欄に載せてしまいました。
看護師として0歳クラスで保育補助をしていまして。
子どもは好んで私のところに来たりすることが多く、『甘やかせすぎ、優しすぎるから、抱っこしすぎ』だからとよく言われました。
園の保育観の違いから退職してしまいました。
その後自分にも子どもが生まれて、保育園に預けていますが、今の保育園は2歳過ぎてもたくさん抱っこしてくれ、いつもかわいいかわいいと言ってくれ、嬉しいです。
ズボンもはけるけど、甘えたり疲れてはかせてほしい時もありますよ。
きららさんみたいな保育観は素敵だと思いますし、多くのママはきららさん先生に保育をしてもらいたいと思います。同じ考えの人が周りにもきっといると思います。
れんげさんへ
看護師として0歳児の保育の現場で働いて同じ経験をされたんですね。
今日も若い先生にベタベタの子が2人いて「私特別扱いし過ぎですかね?」と言っていました。
私もあれっていけないことか陰で聞いたら「わがままを通しているし他の先生が言い聞かせができない状態になってる」という答え。
れんげさんは保育観の違いから退職されたなんて勇気があるな~と思いました。
厳しい職員多いので来年度クラス替えがあり厳しい職員と一緒になったらと今から不安です。厳しい中でマヒしてしまうのも怖いです。
今もマヒしつつあります。
きららさん
特に年配の職員たちはそういう傾向が強いです。
また、人間というものは自分のしてきてことを間違っているとは思わないものですから、目の前の子供の育ちと合わなくてもやり方を変えるというようにはなかなかいきません。
とはいえ仕事でしていく以上、折り合いをつけていかなければやっていかれないということもあります。
そこは無理せずご自分の出来る範囲でできることをしていくしかないのだろうと思いますよ。
きららさん
愛着障がいというものは「愛着」を形成することになんらかの問題があるということなので、可愛がったからなるなどということはありませんよ。
kyomiuさん
もし、その子がそう言ってそれが周りからイヤミな感じに受け取れるような言い方だったとしたら、おそらくそれはほかのところになんらかの問題がある場合だと思いますよ。
本当に純粋に可愛がられて育った子は、ほかの人から見ても可愛く見えますもの。
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息子は2歳8ヶ月、毎日さまざまなことがあります。
成長期のせいか、私の言い聞かせ方が下手なのかは分かりませんが、スーパーの中で寝転んで駄々をこねることもあれば、ママがしてほしくないことをわざと(それもわざわざ宣言してから)することもあり、(もう!憎ったらしいな、きーっ!)と怒ってしまうこともしばしばです。
根気よく諭していって、自分から「もう泣き止んだ!」と言って機嫌を直してくれることもあるし、私も息子もどうしても収まらずに大喧嘩になるときもあるし、子育ては本当に山あり谷ありだなぁと実感しております。
それでも、1日の内に何度も何度も、「ママのこと好き~」「ママも好きだよ~」「「ぎゅー!!」」と言って抱きしめ合えるのがとても幸せで、もうそれだけで、他の上手くいかない色々なことがどうでもよくなってしまったりします。
今回の記事もそうですし、おとーちゃんさんのブログからは今までも「子育てにおいて子供を可愛がることの楽しさ、大切さ」をたくさん教えて頂きました。ありがとうございます。
おとーちゃんさんのブログは、多くのお母さん方の励みになっていると思います。これからも更新頑張って下さいね!
返信は結構です。