雑記 11月30日 - 2013.11.30 Sat
ほんと全然子育て関係ないのでスルー推奨です。
食品偽装のニュースが相次いで表沙汰になりましたが、このことはこれだけの問題ではなく日本の社会のひずみのようなものを象徴的に示しているような気がします。
・報道とコマーシャリズム
・国民よりも企業を支持する国の姿勢
・犯罪まがいの行為を強制される労働する立場の人間の問題
報道によっては、『誤表記』もしくは『虚偽表示』『食品偽装』というように、その表現の仕方もまちまちでした。
『虚偽表示』『食品偽装』 という表現ならば、それはある程度恣意的にしていることが含まれていますが、『誤表記』というのは「ミステイクでした」ということであって、報道する側がずいぶんとそれら企業に配慮した言い方となっています。
しかし、1円単位の経費まで考慮している大きな企業がそのような「ミス」などするわけがありません。
当然それらは恣意的になされたと考えるのが普通です。
実際のあれらの行為は、それを騙されて買わされた消費者の立場から考えたら、『虚偽表示』でも甘くてそれらは『詐欺』にほかならない行為です。
一般の個人消費者には、それらが詐欺であるということを立証する手段がありませんから刑事告訴などにはそうそうなりませんが、やっていることは詐欺なのはあきらかです。
ここでひとつ浮かび上がるのは、マスコミのさじ加減によって企業はいかようにも責任逃れができてしまうのだなということです。
かつて、雪印乳業は消費者を騙したことによって会社が潰れました。
あのときは世論がものすごく高まりました。
でも、もしかしてマスコミに太いパイプをもっていて、世論をそうならないように誘導できたならばそうまではいかなかったかもしれません。
もしかするとマスコミと癒着することで、世間をのうのうと欺いている企業というのは実はたくさんあるのかもしれないという懸念を覚えます。
取り立てて刑事罰とかにならなかったとしても、社会的信用を失うことである程度の制裁は受けるのだという考え方もあります。
しかし、日本人は不買運動などを積極的に行ったりする国民性ではありませんから、たいていのことはしばらくすれば水に流れてしまうことが多いです。
いわゆる禊が済んだというやつですね。
『虚偽表示』であれば、罪に問われても罰金刑で済みますから、大手企業にとってはそうなったとしてもさしたる痛手ではありません。
個人や個人商店にその罰金が科されたらけっこうな痛手ですが、大企業は圧倒的にそれ以上の利益が見込めますので、「やったもの勝ち」になってしまっています。
この点日本の制度・法律・官庁は個人を守るよりもずっと企業よりです。
ときどきアメリカでの、トラストが発覚したときの罰金などが報道されるのを目にしますが、日本のそれらとは数桁も違う金額なので驚かされます。
ほかにも「懲罰的損害賠償」の判決などもありますので、企業もおいそれとはズルをできなくしているというのがわかります。
日本はその点、ザルですね。
企業が倫理を持っていてなおかつそれを守らなければ、消費者は騙され放題です。
我々が普段買うようなものも、わざわざ企業が消費者を欺けるシステムを国は認めてしまっています。
豆腐をかっても「国産大豆使用」と書いてあります。
でも、日本の表示の規則では、数%使っていればそう表記できるそうです。
正確なパーセントまで表記するように指示すればそれですむところ、わざわざ騙せる方法を国は定めているわけです。
なので、普通に我々が手にする商品には「嘘言っていないけど、本当のことは言っていない」というものが山ほどあります。
なんでこんな国になってしまっているのでしょう。
さまざまな利権や、天下りの制度などが国民を欺くシステムを作ってきてしまったのでしょうか。
悪いことがどうどうと許容されて、正直者が馬鹿を見るという社会はなんともいやなものです。
考えると怖くてモノが買えなくなってしまいますが、食品添加物の表記など抜け道だらけです。
他国では禁じられているようなものが、名前をその物質名ではなく種類名にしたりすることでどうどうと使われたりしています。
(例えば[ph調整剤]など)
話を戻しまして、食品偽装の問題に。
僕は今回の件は悪質なものは、しかるべく刑事事件として立件すべきではないかと思います。
でないとまた繰り返すだけでしょう。
今回名前の出ている企業のいくつかは、以前にもすでに同じことをして明るみに出ています。
これがまたうやむやのうちに終わればまた繰り返されるでしょう。
ここで災難を被るのは、騙されて買わされる立場の消費者もそうですが、そこで上から指示されてそれらの不当な行為をさせられる働き手たちもそうだと思うのです。
そこにいる人たちが良心に呵責を覚えているからこそ、「内部告発」ということがでてくるのでしょうし。
それらが社会的に「犯罪」と認識されるようになってこそ、働き手たちが「それは犯罪なので自分はできません」と言えるようになるのではないだろうかと思います。
もうひとつ、「うゎぁ~」と思ったこと。
オリンピックを開催するにあたっての国立競技場の整備費用が、誘致している頃は1200億円と言っていたものが、開催が決まって予算を計上する段階となった最近では、「あれ計算間違いでした、実は3000億円かかります」というのがニュースになっていました。
マスコミはあまりつっこんでいないようでしたが、「そんな計算間違いがあるかっ」となんで誰も怒らないのか不思議でした。
つい最近さらに計画を縮小して3000億円から予算を切り下げようということになっているそうですが、それでもなんだかなぁと感じます。
よしんば百歩譲って、それだけの金額が支出として決まるにしても、いったいそのうちのどれだけが、談合や利権や天下りなどの本来の目的以外のところに消えていくのだろうかと考えてしまいます。
日本は本音と建前の国というけれども、よからぬことがどうどうとまかり通っているところがあるような気がします。
建築業者がどうどうと「官製談合が一番楽でいいや」などとなにも悪びれずに言っていたり、談合をなくすと公約で掲げていた市長が脅迫されて辞めさせられたり。
なんかこの本音と建前の使い分けというのが、昔は是正するために働いていたのかもしれないけど、これからはこういうものが既得権となって国を食いつぶしていくような気がしてなりません。
この国立競技場の話を聞いて感じたことがもうひとつ。
今回のオリンピックは国民を欺いて開催にこぎつけたのだなということです。
なかんずく、震災の被災地の人たちを騙したと思う。
オリンピック誘致にあたって、国内向けには既にある施設を改修して使うので費用は少なくできるということが言われていました。
あまりにも莫大な金額がかかるということだと、震災復興もまだ半ばなのにという意見に対しての配慮もあったのでしょう。
しかし、実際にはそうではありません。
まさに競技場の1200億円が3000億円にというのはそれですよね。
建設重機を扱う会社に勤めている友人の話では、もしオリンピック関係の特需がきたら建設のリソースというものは旨みの多いそちらに確実に流れるということを話していました。
小学校に通う息子が、学校で「オリンピック誘致応援」のピンバッジをもらってきました。
都が配布したもののようですから、都内の小学生全員に配られたのでしょうか。子供向けではなくかなり立派なものです。
僕は正直このような予算があるならば、いまだに仮設住宅で暮らす人や、被災地の復興、原発の処理に向けたほうがいいのではないかと悲しくなりました。
この子供にバッジを配ったのもそうだけど、ずいぶんと世論を操作されてオリンピックムードを作ったというのも気になるところです。
あと、大人の思惑のために子供をダシに使うのはどうにも好きになれません。
また、「オリンピックの経済効果」ということが方々で言われていますが、お金のためにするものなのかとも思います。
低迷の日本にとって背に腹は代えられないのかもしれませんが、あまりにも露骨です。
子供達まで巻き込んで、このオリンピックは本当のところお金儲けのためにやっているのだよなどとは言えません。
先の東京オリンピックは戦後復興の象徴として日本中が熱狂したそうです。
もちろん、それによっての経済効果ということも莫大なものにのぼったのでしょうけれども、そういう意義のあるオリンピックだったのだと思うことができます。
もし、また日本でオリンピックをするのだったら、震災の復興がきちんとなってから、それも一緒に心から祝えるようなオリンピックに出来たらすばらしいものになっていたのではないかと感じてしまうのです。
● COMMENT ●
No title
想像力を遊びに出来るには
いつも、更新を楽しみにしています。
私には2歳7ヵ月になる娘がいます。
2歳すぎたころから、保育園に通っています。
先生に言われたことはキチンとできる子で、先生からは「なんでもできる○○ちゃん」と呼ばれたりしています。
(ウチでは甘えてやらないことが多いですけど・・・;)
そんな娘ですが、遊びに関しても保育士さんから特に指摘を受けることもないのですが(楽しく遊んでいる様子です)、
私から見ると、あまり”創造性”がないように思えるんです。
例えば、クレヨンを使ったドリルなどで「ここに色を塗ろう」「ここに○○を書こう」とあれば、見本をみて、その通りにできたりしますが、真っ白な画用紙に自由に好きなように何かを書いたりすることが出来ません。
すぐ、「ママ、書いて。」になります。
積み木も家にありますが、縦に重ねるだけで、何かを作ることはしません。
2歳7ヵ月だと、想像力を使った遊びが展開できる子もいると思うのですが・・・。
やっぱり、遊びの力が弱いのでしょうか?
そういう子には、大人はどのようなサポートが出来るでしょうか?
国民よりも企業を支持する姿勢…
先日、中村幹雄さんという食品添加物の専門家のお話を聞きましたが、
ちょうど今「遺伝子組み換え食品添加物の安全審査の簡略化」について
食品安全委員会で審議されていると言っていました。
申請される数が多すぎるから遺伝子組み換え食品添加物の安全審査を企業に任せるということみたいです。
主な材料である食材でさえ、多くの企業にこうも簡単に偽装されているのに、添加物となったら、一体どうなってしまうんでしょう…
>我々が普段買うようなものも、わざわざ企業が消費者を欺けるシステムを国は認めてしまっています。
子どもの安全な食品を食べる権利は親が守るしかないんでしょうかね。
オリンピック。。
オリンピックの件、本当にやる必要あったのかと思う一人です。
莫大な予算もですが、外国人がデザイナーらしく、UFOみたいな変な箱モノができるそうですよ。
あの明治神宮に近い景観がぶち壊しになるような。。
オリンピック終わったらどうなるのでしょうか。。
あと、皇室の方までスピーチに担ぎ出されて、被災者の人はとても寂しかったという感想もあるそうです。
やはり復興も進んでいないのにですよね。
招致スピーチも外人受け的な感じで、私は薄気味悪かったです。。
同感です
子育てブログを時々プリントアウトしながら色々と参考にさせていただいてきましたが、今回の記事にも大変共感しました。
子どもの食事を真剣に考えるようになればなるほど、企業を守る国のやり方が次々に露わになってきて本当に残念に感じていました。何を買っても信用できないため、今では大概の食品を農家さんから直接取り寄せています。
確かに日本人は企業を訴えるような気概は少ないですし、食や医療について正しい知識を持とうとする意欲も少ないように思えます。
もう少し安全への意識が高まると良いですよね。
ようたんママさん
どちらも値段は高くてもその名前という信用で売っているところであり、いわば小売店の最高峰にいるはずなのに、その消費者からの信頼を逆手にとるようなことをしているのは感がられないことです。
これでは本当にどこも信頼してものを買えなくなってしまいます。
企業が消費者の信頼を裏切るならば、規制を強くしてもらうしか消費者は守られないのだけど、国のほうにはそういう姿勢がないのでなんとも暗澹たる思いがします。
はなこさん
子供の遊びなども同様で、自由にイメージを駆使するタイプの子供もいれば、模倣をことさら好むというような子もいます。
これは個性というものです。
個性はならして平均的な力を持たせてしまうことを子供にしなくていいと僕は思います。
小さい子供ならばなおさらです。
日本人は、できないところに着目してそこを改善しようとする傾向があるので、いいところを見ずに足りないと思うところに目がいってしまいます。
でも、子供のちからというのはすぐ目にみえなくても、その中では伸びているものです。
なので、その子の得意なところを認めて、そこを伸ばせばいま目に見えない部分もそれにひっぱられるように伸びるものです。
絵がかけなかったとしても想像力がないということでもありません、物語を読むことでそういうイメージをしているかもしれません。
よしんばそういうことが得意でない子だったとしても、それは成長の大きな障害になるものではありません。
もしかすると、「この子は○○が足りないわね」と感じている親の気持ちを敏感に察して、それを解消するために「ママ、かいて」などの行動に駆り立ててしまっているという可能性だってあります。
園でしっかりしているというのならば、その子は本質的に外の世界での自立した自分というものが形成されているということです。
きっといい部分がたくさんあることだろうと思います。
そこを見てプラス思考で子供に接していくと、よりより育ちにつながるのではないかと僕は思いますよ。
三島さくら子さん
いつの頃からそれが顕著になってきたのか考えると、漠然とですが会社がそこで働く人たちを大事にしなくなってきてからのような気がします。
なんともやるせないです。
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自分がとても信頼していたホテルまで偽装をしていたと知り非常にショックでした。消費者はバカだなあと思われていると感じましたし、有名ホテル、百貨店であるということは、そこらの飲食店スーパーも当たり前にやってるんでは?と思いました。
オリンピックについてはあまり興味はなかったのですが、決まったらどんな競技でもよいので息子に見せてあげたいと、思いました。
でもお父ちゃんのおっしゃることも同時に同感です。私の父も同じことを言っていました。
それにしても、このブログをやりつつ、日々のニュースについてここまで真剣に考えて記事にできるお父ちゃんさんもすごいと思いました。