子供は欠如体ではない - 2013.12.04 Wed
たくさんの子育てする人と関わってきて感じるようになったことです。
日本の子育ての形というのが、ある種の「子供のあるべきすがた」や理想像というのを設定して、そこに我が子を近づけるというような関わりを重ねていっています。
この理想像というのは、その親である自分自身が「子供にこうなってもらいたい姿」というような親の望みの結実した姿というよりも、むしろ世間一般でいわれるところの「子供はこうあるべし」というものを気にして、そこにそのまま従っているというようなものであるようです。
あんまりうまい説明でもないけれども、
その理想像を100点としたら、自分の子供の姿をそこから逆算して「うちの子はまだ70点だわ・・」というように捉えていっているかのようです。
100-70=30
「うちの子は30点足りない」というところを気にして、そこの30点分の穴埋めをするようなことを子供への課題、関わりとしている人がたくさんいます。
多いところでは、「しつけ」「トイレットトレーニング」「人見知り」「子供集団での関わり方の上手い下手」などなど、これまでにもこのブログてもさんざんとりあげてきたようなことが挙げられます。
これらなどを「できていない」ので「できるようにする」というのが、いまの日本の「子育て」になってしまっています。
苦手な部分を伸ばそうとするようなアプローチが必ずしも悪いというのでもありませんが、それを子育ての主軸としてしまうのはもったいないことです。
この足りない部分を見て、それを埋め合わせるような関わりを重ねるというのは、場合によっては子供自身の「自己肯定感」を損なったり、伸ばさずにいってしまうものとなりかねません。
子供からすると、「親はつねに自分のことを足りないものとみなしている」ということを、言葉にして言われなくとも感じます。そのように感じない子もいますが、繊細な子はより感じてしまいます。
それが積み重ねられていくと、子供は親の視線や関わりに満足感・安心感というものを得られません。
それは結果的に、情緒を不安定にしたり、満たされない気持ちを募らせ大人の意にそまない行動を増やしてしまうことにつながります。
子供の問題行動を親が気づかないうちに自分で作ってしまっていきかねません。
このことがたいへんもったいないです。
「叱らなくていい子育て」その他のところで述べていますが、子供というのはもともと大人の思いに沿おうという気持ちを強くもっています。
しかし、大人が子供のいまあるありようを否定的にみてしまうことで、それらはいい形では出せなくなっていってしまうのです。
極端な話、子供は放っておいても育ちます。
ことさらこねくりまわさずとも、育っていくのです。
子供は本来的に、成長への意志というものをもっているのです。
大人が先取りして、「まだ足りない」「これが足りない」とレッテルを貼ることで、その意思をくじくことはないのです。
先日『子育ての第一歩はかわいがること』という記事を書きましたが、本当に「かわいいかわいい」だけされていたとしても、それなりの年齢になればしかるべく育っていきます。
「可愛がる」というのは「肯定」の行為なのですね。
そこでも述べたように、日本人は可愛がるということが得意ではなく、そのように足りない部分を伸ばそうとするアプローチが「子育て」であるという認識が強いので、どうにもこのあたりから「子育てのうまくいかない」が生み出されてきます。
真面目な人、子育てに熱心な人ほど、足りない部分をを埋めようとする関わりが顕著になるので、そういう人ほど「一生懸命やっているのに子育てがうまくいかない」になりかねません。
このこともたいへんもったいないことです。
子供に「何かが足りない」という見方をしていく必要はないのです。
子供は「欠如体」ではありません。
いま目の前にある状態が、その子供のいまある完全な状態なのです。
幼くたっていいのです。
わざわざ周りの子供と比べて我が子の粗探しをしなくてもいいのです。
ましてや、「3歳になったら必要だから・・」と2歳の子供に3歳ですることの訓練を施す必要もありません。
3歳ですることは3歳になればできるのです。
それは「心配の先取り」「心配の捕らぬ狸の皮算用」です。
できないように見えても、子供の成長には1年~2年のばらつきはよくあることです。
もし、どうしてもその場になってそこで問題がでるようだったら、そこで悩めばいいのです。
あるかどうかもわからない心配にとらわれて、予防線を張るような関わりをする必要はないのです。
2歳のときは2歳ですることをたっぷりとさせてあげるのです。
2歳の時にするべきことをしないで、3歳の練習をしてきた子は、2歳という成長の基礎工事をしなかったということになりかねません。
結果的にそのことはアンバランスな育ちを生み出します。
そうだとしたら、そのしてきたことは無駄な努力ということになってしまいます。
それはもったいないですよね。
2歳の子に3歳の練習をさせる人は、今度は3歳になったときは4歳の練習をさせることになります。
それは、成長のあいだその子はつねに「何かが足りない」と無言のうちに言われ続けるということです。
子供は欠如体ではありません。今ある姿を十分に認めて、そこでできることを笑顔や喜びとともにたっぷりすればいいのです。
それがもっとも子供を素直でまっすぐに育てることになると僕は思います。
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● COMMENT ●
No title
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今日来年の4月から保育園に預ける現在一歳になったばかりの子達と遊んでいたんですが…みんな近頃保育園に預ける為にこうしなくちゃと焦っているのか、一歳だからそろそろ躾もしなくちゃとおもうのか…子供に対して急に厳しくなったような気がしたんですよね…
人の物を取ってしまった我が子に必要以上にイライラをぶつけてしまったり、やっと歩き始めたような我が子に、ありがとうと頭を下げる事を求めたり…一歳になったばかりの子にオマルを用意したおばあちゃんがいたり…
なんか急に、みんなどうしたんだろうとびっくりしてしまいました。これまで赤ちゃんとして、のびのびやってきたのに。急に世間のいい子像に近付けようと、躾始めて…びっくりしました…
他人のわたしがびっくりしているんだから、当の子供の驚きはいかばかりか…と。
保育園という社会で子供が苦労しないようにという親心かな…とおもうと余計に切ないですね。まさに我が子に、足りないものをなんとか補って人様に恥ずかしくない子にしよう!ということですよね…
最近読んだ和久洋三さんの本に「すみれの花に、さくらやひまわりになれと言ってもなれないし、すみれには、すみれの素晴らしさがあることを喜ぶべし」的な事が書いてありました。まさにそれですよね…
No title
突然横から失礼します。
けふこさん、和久洋三さんの言葉をありがとうございます。
私はこちらのブログの読後に、けふこさんのコメントを読み、勝手に続きをつくってしまいました。
「すみれの花は素晴らしい。すみれのつぼみも素晴らしい。地中から出たばかりの双葉のまた素晴らしいこと!」
まずは、すみれはすみれであることをしっかり心にとめて、どの時期のすみれも素晴らしいと忘れずにいたいです。
携帯電話の待受画面を生まれたばかりの頃の子供の写真にしてます。
2歳半のまだまだわからんちんな時期のわが子ですが、携帯を見るたびに気持ちをあの時にもっていきます。
まさにそんな風に見てました
でも我が子が少し変わったなと感じます。
可愛がるというのは、母親がその母親にかわいがって育ててきてもらっているからこそ出来るんじゃないでしょうか。そういう人は自分がしてもらったように、すればいい。
そうじゃない人からすると、何をすることが「かわいがっている」なのかがまず難しい。愛情をかけているつもりなのに、伝わっていない。どうやれば伝わり、心を育ててやれるのか?そういう点をこのblogで詳しく書かれていて非常に参考になります。私の教科書です。息子が生まれた頃にここにたどり着いていれば、なにか違ったいたかも。
子どもを肯定して見て、ちゃんとかわいがっていれば私の息子の心にもゆとりを作ってやれるのでしょうか?もうじき5歳にやるというのに、今更間に合うのでしょうか……
ただ、今までの私の関わりがまずかっただけに、話していても可愛いげがないやり方で接してくるときが多々あります。例えば弟にダメ!!と言われて気を悪くした上の子が、その憂さ晴らし?に私に突然「◯※△×って言って!」と意味不明語を言うように言ってきて、「ダメて言われて悲しかったんだよね?よしよし」としてあげようと思って、そう声をかけると「もー!!!違う!!」と怒ってきてまた意味不明語を言うように指示してきます。一二度は笑いながら真似てやるのですが、「ちーがーうーの!☆▼◎って言うの!」と言い換えてきたり、その通りに言ってるのに違う!こう!と言い直しさせられたり……だんだん腹が立ってきてしまい、なんでそんなこと言わされなきゃならない?しかも怒られてる?私。で、私はよく「そんなこともう言いたくない!全然楽しくない!なんでそんなことまでしなきゃいけないの??それになんでママが怒られなきゃいけないのよ!」と直球で言い返してしまうのです。息子は黙って落ち込み、また不機嫌なまま、また可愛いげのないことをいい始め……という悪循環です。
そういうときはどう息子に伝えたらいいんでしょう?なんて返せばいいかわからないんです、、、アドバイスいただけると嬉しいです。
No title
今回の記事、意外だなーというのが、正直なところです。
私のお世話になってる保育園では、むしろ保育士さんのほうが、先取りするのが大好きなので。ここに書いてある「親」を「保育士」に変えたほうが、しっくりきます。4ヶ月で離乳食、1歳半でトイレトレが標準です。
では親のほうはというと、保育士さんに言われたらしょうがない、しぶしぶやりますよ、という感じです(笑)。本音としては、そんなに要求ばかりしないでほしいなーと思うのですが。
エリアによって違うのでしょうね。
ちなみに埼玉県のターミナル駅です。
No title
うまくいかない、と悩むことが多かったとき、たまたまおとーちゃんブログに出会い、以降本当に楽しみにいつも読ませていただいています。
保育園に通わせている母親同士の会話で、
ほかのお母さんたちに
「○○くん(うちの子)、もうこんなことできるんだね」「うちはできない」とか、逆に「うんこ、おしり、そんなことばっかり言うの、どう?」とかよく言われます。
私は保育園ママであり、忙しすぎるのか、幸い子供を「まだこんなことができない」と見ることがなく、他者と比べたことがありません。
むしろ「もうこんなことできるんだぁ」と日々驚きやら感心やらしてこれまで来ました。「うんこ」「おしり」等々も、3歳ならでは、一緒に言って楽しむ、しかしTPOを考えて注意はしますが、ね。
子育てを楽しむ余裕を持てるのは2人目だから、ということもあるでしょうが、ありのままの子供の成長を楽しんで受け入れることって、本当に大切だと改めて思いました。
でも多分、まだまだ”子育てのキーパーソンは母親で、子供の出来は母親の出来・評価”に直結するんだと思います。
悲しいかな。
おとーちゃんのいつも言われる「受容」、心に留めてこれからもがんばります。
ようたんママさん
それでも子育てしていく上では大変なこともあるけれども、この経験というのはもう失われないから先が見えるようになってくるでしょう。
子育てというのはなかなか誰かが評価してくれるというものでもないけれども、子供は親がどういう思いで手をかけてくれたかというのをきちんとわかって、かけただけのことを必ず返してくれるものだと思います。
どうぞこれからも子育てを楽しんでいってください。
けふこさん
なので、画一的とも言える姿を子供に求め、個々の個性というようなものは、それらが確立されたあとのプラスアルファとしての特技的なものと捉えているかのようです。
類型的でないこと・ない子、平均値に遠い子供をなかなか肯定的には捉えてくれません。
これは子供だけでなく大人に対してもそうかもしれません。
現実としてはそのように大勢が画一的にいくわけでもないというようなことは、頭では理解していても実地にはそれが生かせないというようなことも見受けられます。
そのままを認めることでも子供は伸びていくことができるというのを、もう少し多くの人に知ってもらいたいと僕は思います。
No title
本当に先が見えてきて気楽になり、育児はもとより自分自身が克服したいと思っていたことも、もう少しで越えられそうです。
お父ちゃんさんがコメントに付き合ってくださったことが、大きな助けになりました。お忙しい中、本当にありがとうございました。
これからも、記事を楽しみにしてます。
返信不要です。
なまこさん
あくまで僕の考えですからこれが絶対正解というものでもないですが、僕はその直球で返すのがいいと思います。
相手が心地よくない言い方をするというのは、むしろ最初から従わないほうがよいかと思います。
結局のところその理不尽な指示というのに従ったところで、子供はけっして満足することはないでしょう。
イライラをぶつける理由を作るために、その理不尽なことを要求しているのでしょうから。
このようなことは、今後大きくなったあとでもそのような関わりを心地よく受け止められる人というのは世界中どこへ行ってもいないはずです。
つまり、お子さんは感情のコントロールを外部(この場合はイライラをぶつけること)で処理することから脱却して、内面において処理できるようになるような情緒や精神面の発達がその成長課題であるということです。
そのために関わる大人ができることは、とりあえず2点。
1.そのような出し方は誰も受け止められないと理解させること
2.その内的な処理が可能になるだけの情緒を獲得させること
じき5歳ということですから、実のところ1の理屈はわかっているはずです。
そのような出し方が好ましいことではないということをおそらくは自分でも知っているでしょう。
でも、それ以外の出し方ができなくなっていること、またそれを受けてしまう人がいることで、それを継続してしまうことでしょう。
なので、僕は最初からそのような出し方をきっぱりと受けないと示すことが必要だと思うのです。
しかし正確にはこの1と2の順番は逆です。
2を先にある程度形にしてでなければ1を実行したところで、子供を袋小路に追い詰めるだけになってしまいます。
つまり、別のよりよい出し方の方途を子供に作った上で、その理不尽な出し方をせずに別の出し方なり感情の処理なりをするように持って行ってあげることが必要不可欠になります。
では2とは具体的になんでしょうか。
「2.その内的な処理が可能になるだけの情緒を獲得させること」
言い換えれば「気持ちの余裕」とでも言えるでしょうか。
それを持てるためには僕がブログで書いた様々なことが挙げられます。
満たす・受容・認める・肯定する・先回りしたよい関わり・可愛がる・共感する
これらによって、情緒の安定・心の余裕・満たされている気持ちなどを少しずつでもいいですから、持たせていくことです。
ですので、これはそのように感情が爆発してしまったときではなく、普段の関わりの時に積み上げていくべきことです。
確かに自分自身がその生育歴のなかで可愛がられたりする経験を豊富にもっていないとなかなかそれをうまくすることは難しいです。
そのことはとてもよくわかります。
でも、そのことに気がつけば多少なりとも大人は行動に変えることができるでしょう。
人がしていることの見よう見まねでもいいからやってみるなど、それでも子供の姿を良い方へと変えることは可能です。
まだ当分は、行動面の結果だけ求めてもそれはなかなか出てこないことと思います。
いまはその内的な情緒を作ることを意識して関わるといいと思います。
その一方で、理不尽と思われる出し方にはきっぱりとNOといい受けずに、自分で感情の処理を模索させます。
子供はその成長の過程の中でこのような経験を持つものです。
うちの息子にもありました。
怒られたりしたあとで、そのむしゃくしゃをモノに当たったり、妹に八つ当たりしたり。
しかし、それに対してはきっぱりと「モノに当たるのはよくない」などと毅然と伝え、「そのイライラは自分でコントロールしなさい」とそのまま伝え、自分で落ち着けたあとは「ちゃんとイライラを抑えられてえらかった」と認めました。
この場合それが可能だったのは、2の部分が前提としてあったからですので、言葉だけ真似すれば同じようになるというわけではありません。
2の部分を意識し、内面の成長、情緒の安定をまずは得られるようにすることです。
そのためには「プラスの関わり」をすることです。
なんでもいいです。
くすぐりをしたりするのもそうですし、何かを見て一緒に笑うというようなこともそうです。
食べた食器を片付けてもらって毎回褒めるや、何かお手伝いしたらシールをもらうなどでもいいでしょう。
意識して作ってでもプラスの関わりを増やしていくことでだんだんと気持ちの余裕というものが形成されてくることと思います。
それらが十分に育ってくれば、そもそも「ダメ」と言われたくらいで感情が爆発してしまうというようなことがそもそもなくなっていけることになるかもしれません。
僕は我が家でも、保育で関わる子供にも「素直に出しなさい」「素直に甘えなさい」「可愛く出しなさい」と言葉で度々伝えます。
子供は成長とともに、なかなかそのままの形で甘えを出すことができなくなっていってしまいます。
また、素直に出しても受け止めてもらえない経験を積み重ねてしまうことでも素直に出さなくなります。
そうするとネガティブな出し方、ひねた出し方をせざるを得なくなってしまうからです。
ひねただしかたでは受けずに、「素直にだしなさい」と伝え、可愛くだせたら「素直が一番いいんだよ」とにっこり受けて笑ってあげます。
以上がコメントを拝見して僕が感じたことです。
実際の様子を見たわけではないので正確ではありません、参考までにどうぞ。
ばねこさん
おけいさん
真面目な人や、プレッシャーのある人ほど、それらが不安となって返ってきてしまいがちです。
子供との実地の経験がたくさんあるはずの保育士だって、実際の我が子の子育てとなると不安にさいなまれてしまう人がいるのですから、それらは無理のないことです。
でも、いまはそういった子育てに当然ともなってくる「不安」を、むしろ子育ての情報・知識が煽ってしまったり、その不安を解消するプロセスというものが少なくなっていたり、失われたりしているのかもしれませんね。
幼稚園
3才になったばかりの息子がおり、来年から3才児保育の幼稚園に入れたいと説明会や面接に行っております。(国立や市立希望ですが、三年保育の幼稚園は人気があるので、抽選して受からないと通えません)
〉幼くたっていいのです。
わざわざ周りの子供と比べて我が子の粗探しをしなくてもいいのです。
との事ですが、それでも現実を突きつけられると、嫌になります。
先日、国立大附属幼稚園の面接等がありましたが、うちの子だけ明らかに違うのです。
月齢ごとに大体まとまっていましたので、同じ位の他の子供達(3才児)は、皆お利口に座って絵本を読んだりしている。
一方、うちの子は、隣の教室が気になってダメと言われても隙をついて何度も走っていったり、教室内を走り回ったり、先生に話しかけたり、他の子に話しかけたり、他の子を押したり、触ってはダメというオモチャで遊びたいと駄々をこねたり。
仕舞いには教室から出てしまい、一時間以上の待ち時間のほとんど間、遊具で遊ぼうと走り回ったり、廊下にある兎のゲージに釘付けになったりしていました。
〉それは結果的に、情緒を不安定にしたり、満たされない気持ちを募らせ大人の意にそまない行動を増やしてしまうことにつながります。
他の子達がお利口でちゃんと絵本を読んで大人しく待っているのに、うちの子だけが走り回る。なだめすかしても、言うことを聞かない。
これは、他の子の親達は子育てに成功していて、私は子育てに失敗しているという事でしょうか。
息子は、知恵遅れなどはおそらくありません。
言葉も、始まりは遅く、二才直前にようやく二語を話し始めたのですが、二才半過ぎから随分言葉が達者になり、三才になった今では、大人顔負けによくしゃべります。
両足でその場でジャンプもできます。
人が好きで人見知りせず、お店や町ですれ違う人にも「こんにちは!」「これ、おいしいねえ!」と元気に話しかけています。
それでも、やはり現実を突きつけられると、「欠如品」なのではと思ってしまいます。
ちなみに、附属幼稚園は、予測していましたがそのとおり、不合格でした。
オムツも未だに取れない。
息子はまだ一人っ子、親に構ってほしい甘えっ子なので、私は未だに子供に多くの時間を取られます。
本当にこの先不安でたまりませんが、本当に年を重ねれば成長するのでしょうか。
No title
今回の記事、激しく激しく共感しました!
まさに私がその通りの物の見方をしていました。
可哀想なことをしていたな、と反省すると共に、今気づいて良かったなぁ…と思いました。
長くなりますが、申し訳ありません↓
ご相談なんですが、うちの長男(来月で3歳)は、明るくてひょうきんで場所見知りや人見知りをしないタイプですが、小さい頃からやんちゃで、お友達に手が出ていました。
言葉は早くて、思ったことが伝わらないから手が出るというよりは、他人が持っているものは全部自分のものにしたい!という感じです。最近は月齢も上がってきたのか、そこまでのことはなくなりましたが、3つほど気になることがあります。
1つ目は物を暴力的に扱うことです。
オモチャをきつく叩いたり、「こわしてやるー!」とか「アーンパンチ!」と言ってオモチャ同士をぶつけたり、それを一人で黙々とやっているのを見ると、オモチャを痛めつけて楽しんでいるんじゃないかと、とても心配になります。
2つ目は都合の悪い時は私の話を無視することです。
普段はよく話もするし、お願いしたこともやってくれるのですが、注意をした時など、都合が悪くなると私の顔も見ずに完全無視する時があります。
3つ目は最近、最後まで座ってご飯を食べません。
親の関わり方に問題があるのか、
上に書いたように、基本的にはとても明るくてよく笑い、人が好きな反面、一人遊びもよくしますし、5ヶ月の次男のことも可愛がってくれるし、私のことを心配したりと優しいと感じることもたくさんあります。
男の子だから、暴力的というか荒いというか、そういうのがあっても普通なのかなと思ったりするのですが、私の周りには穏やかな男の子のお家が多いので、うちが暴力的なのかな…と心配で。
ちなみに他の記事にもあったアンパンマンのアニメは前までは見せていましたが、本人がNHKのEテレ系やトトロの方が見たいと言うので最近は見せていません。
1に関しては「かわいそうだよ、大切にしようね。お母さんそういうの嫌だよ」といっても、不満そうな感じで、またやります。
2な関しては「お母さんが話してる時はちゃんと聞いて」と言います。
何度話してもなかなか変わらなくて、私がイライラして怒ったりもするので、さらに頑固になってしまいます。
男の子の子育てについて、男の子ならではの接し方など、お時間があればアドバイスしていただければ…と思っています。
けいたママさん
この記事で述べているのは、一般的な子供のこうあるべきというような、いわば実は存在していないイメージのようなものとを大人がわざわざ設定して、現実の子供の姿をそれに引き比べ、そことのマイナスの部分を注視する子育て方を指摘したものです。
ある特定の幼稚園が、入園にあたって必要とする条件というようなものは、これは親が架空に設定して子育てを窮屈にしてしまっているというようなものではありません。
僕はハイスペックな幼稚園というものについて詳しくありませんが、おそらく国立大附属幼稚園などというものは、たまたま近所にあったから通わせてみようというものではないはずです。
わざわざ、そこへ入ることを準備して選考にくるものだと思われます。
それはつまり親自身が望んで子育てのハードルを上げているということです。
その選考において必要な発達の程度や能力については、これは先方に電話で聞いても教えてもらえるような具体的なものです。
それを受けに行って、周りの子供のように育っていないから
>「欠如品」なのではと思ってしまいます。
と感じてしまわれるというのは、アプローチの方向性に無理があるのではないかと思います。
僕は個々の子供の育ちを考えるとき、その子供に「適している」という点を重視します。
その子供の発達や状況に「適していない」ことを一生懸命したとしても、それは適していることをほどほどにするよりもよほど効果が低いです。
幼稚園というのも様々あります。
その子供に適していないところに入ったとしても、その子はそこで苦労するばかりとなってしまいかねません。
お子さんに適したアプローチを模索してあげることが、お子さんの育ちのためにも、けいたママさんの精神衛生上もよろしいのではないかと思います。
ようこさん
これまでの大人の関わり方にあるのか、単にその子の持っている気質から表れている姿なのかもしれません。
なので、とりあえず一般的に多い姿を基準にしてこれから書いていきます。
それが当てはまるかどうかはご自分でチェックしてみてください。
まず、この記事にあるような見方をしていたというのならば、「肯定」の視点、関わりが少なかったということが考えられます。
「あるがままの姿を認める」=「全面肯定」ということですが、これに関しては過去記事がありますので検索して見てください。
この「あるがままの姿を認める」という視点を大人が持っていないと、子供はなかなか大人のアプローチを素直には受け入れません。
例えば、いろんな場面で「あなたは○○ができない」「あなたは○○が足りない」と思われてしまっている子は、なんかのときに「このようにしましょう」というアプローチをされても、それを受け入れません。
コメントにある内容を引き合いに出せば、「またおもちゃを乱暴に扱って・・」「また友達を手を出して・・」などなど、ダメだし・否定を生活の中でたくさん敷き詰められている子が、食事の時に「最後まで座って食べなさい」というアプローチをされても、それに快く従おうという気にはならないのです。
それは逆もまたしかりです。
食事の際に「ああ、またこの子は座って食べてくれないわ・・はぁ」という気持ちを言葉に出さずとも持っていれば、いざ「他者を叩くな」と言ったとしても、それをそのまま素直に受け止めようとは、したくともできないのです。
もちろん、それはしてはいけないことを笑顔で見過ごせという意味ではありません。
すべきでないことには毅然としてNOと言えることも、子供を育てていく上では大切なことです。
でも、この記事にあるような、欠如体としての見方をしていれば、いつまでたっても悪循環のままいってしまいます。
それを是正しようとしたら、力で押さえるしかなくなってしまいます。
なので、まず第一歩としてとりくむのは、この欠如体としての見方をやめて、認める・肯定するべき部分を見るということだと思います。
このあたりも、過去記事にいくつか関連するところがあるはずです。ざっと思い出せるところでは『Fがない』などもそうです。
次に、大人の関わりが「弱い大人」としての関わりになっていないかどうかという点をチェックすることです。
相談カテゴリにある、「弱い大人」についての記事は読んだかな?
大人の方に自信をもって関わることができずに、「弱い大人」としての態度になっていては、子供は取るべき態度の価値判断がいつまでたっても身につかず、結果的にネガティブな行動が多くなってしまいます。
とくにこの年齢は成長期であり、自分の自我と大人の意思を天秤にかけることで様々なことを学ぶ時期ですから、大人の方のあいまいさ、自信のなさは、子供のアウトオブコントロールを引き起こしやすいです。
第三に、受容の部分が満たされているかのチェック。
甘やかしや、腫れ物に触るようにする配慮になってはいけませんが、大人の目が温かく自分をみてくれているか、気持ちを大人の方から受け止めようとしてくれているか、などの受容の満足感がなければ、その反動としてのネガティブな行動、大人がして欲しくないと思うことをすることによって目を向けようとする行動へとつながりやすいです。
>大人の目が温かく自分をみてくれているか
この「温かく」というところがポイントです。
このこはまた何かするんではないかというような、ヒヤヒヤした「監視の」目線ではないですよ。
また
>気持ちを大人の方から受け止めようとしてくれているか
こちらは「大人の方から」というのがポイントです。
子供の要求を叶えようと大人がヘトヘトになるまで関わったとしても、それは大人が子供に振り回されて受動的にしているだけであって、子供がそうさせてはいるのだけど当の子供はそれでは満足しません。
子供が本当に求めているのは、大人が積極的に・能動的に、自分を見て関わってくれることだからです。
なので、この点に関しては「先回りした関わり」が有効なのです。(←これについてわからなければブログ内を検索してみてください)
下に赤ちゃんがいるということですから、その分余計大人の目を引きたいという気持ちはあるでしょう。
このケースでしばしばあるのが、弟妹がいることを上の子に対する負い目に感じてしまって、上の子に必要以上に気を回したり、腫れ物扱いしてしまうことです。
これは、かえってプラスにならないので気をつけましょう。
下にいることは自分で乗り越えなければならないことですから、その上の子への関わりを無理して行うこともないですし、できないことにはNOでいいのです。
これら三つが有効かと思われます。
これらは同時に行っていっていいことですが、
優先順位で言えば、 全面肯定 > 受容 > 毅然とした態度 になるかな。
下に赤ちゃんがいるから、それでもすぐには変わらないかとも思うけど、これらのことを意識して関わってみるといいのではないかと思います。
欠如体ではないと思っていたのに・・・
息子は1歳5か月になりました。
先日保育所の内科検診で、未歩行という点でひっかかり、発達相談にいくことになりました。
発達相談では整形外科の先生に診てもらい、訓練士の方に運動なども教えていただきました。
神経の面は問題ないとのことなので、運動をしっかりして力をつけましょうとのことでした。
と、ここまでは私もよかったのですが・・・。
ついでに一緒にいた小児科の先生に(特に頼みたかったわけではないのですが)発達の面で色々アドバイス・・・を受けました。
どうも息子の発達具合が遅い、幼い。1歳前後ならこの状態はわかるけど。
言葉は出てる?指さしは?絵を指して、「くつ」がどれわかる?積木は?お絵かきは?
普段一緒に遊ぶ時間はとってる?もっととりなさい。見本を見せてあげなさい。
もうこの月齢になったら○○できるんだから、あんまり赤ちゃん扱いしないで、どんどんさせなさい。
などなど。30分以上真面目に聞かせていただきました。
特段きつい言い方というわけではなかったのですが、私自身ショックでした。
確かにお絵かきとか(もうできるとは知らなかったので^^;)させてなかったし、
一人遊びも上手だからつい家事をしながら「待っててね~♪」なんて言いつつ、
見守る時間も多かったので、かかわる時間が少なかったのかなと反省点はあるんです。
でも絵本が好きだったり、ままごとが好きだったり、
車をそこらじゅうハイハイやつかまり立ちしながら走らせたり、かごから物を入れたり出したり、
ごはんもなんでもたくさん食べてくれるし、ぬいぐるみも可愛がるし、犬も可愛がるし、
それでいいと思っていました。そんな息子がとっても可愛かったし、
日々物事の理解が進んでいるなぁ、昨日よりしっかり立てるようになったなぁ、スプーンも上手になってきたなぁと成長が感じられてうれしく思っていたところだったんです。
さらに、昨日1歳6か月健診の用紙が送られてきて、内容を見ると、
「一人歩きができるか」「言葉は出ているか」「鉛筆で殴り書きできるか」
質問の半分くらい、もしかしたらそれ以上、「いいえ」に○がついてしまう状態。
まるでテストです。赤点です(笑)
私自身やっと息子を全面肯定できるようになってきたところだったのに、
正直今かなり揺らいでしまいました。
また2か月後に発達相談に来てと言われ、それまでにいろいろできるようにさせないといけないような気がしてしまっています。
きっと1歳6か月健診でも色々言われるのだろうと、不安が襲っています。
体の発達、こころの発達、どっちもゆっくりで幼い息子。
時がたてばそのうち追いつくんだから、焦らない焦らない。大丈夫だよ、あなたのペースで育ってね。
そう思えていたのに、今も思いたいのに、ダメになってしまいそうです。
障害があったりすれば、早期発見して対応していったほうが良いので、
ある程度の基準を決めて子供を見る必要があるのはわかるのですが、
せめてもう少し・・・ゆっくりな気持ちで見てあげられないかな。
と思ってしまうんですが・・・。
息子が欠如体と判定されてしまったみたいで、凹んでいます。
何が言いたいのか、ただの愚痴のようになってしまいました。すみません。
親が不安定になると子供にも伝わると思うので、せめて子供の前だけでも安定しなくちゃと思っています。
その後です
あれから一ヶ月たち、昨日一歳半健診を受けてきました。
結果は、とても優しい先生と保健師さんで、ゆっくりだけど大丈夫と言ってもらえました。
この一ヶ月での息子の成長ぶりは目覚ましいものがあり、半分くらい「いいえ」だったのが、二つくらいにまで減っていました。
まだまだ他の子に比べたらかなりゆっくりな部分はあるけど、ちゃんと成長の意思をもって進んでいるのだと感じました。この子を信じて見守ろうと思います。
...と言いつつ、甘えて外で全然歩こうとしなかったり、汁物のお椀をいつもは自分で飲むのに飲ませて~と泣いて甘える息子に「ちゃんと自分でやりなさいー!」と怒ってしまったりしちゃう私です(-_-;)甘やかしと受容がわからなくて難しいー!(>o<")
そんなこんなでなんとかやってますので、私のコメントにはお返事不要とさせていただきます。お忙しい中お手を煩わせてしまいすみませんでした。
こまゆかさん
病院や検診の場では、専門家として言わなければならないことを言います。
これは立場上仕方がないことなのです。
ただ、それを自分が責められているととらないほうがいいでしょう。
専門家として必要と思うことを伝えているのであって、責めているわけではないからです。
ただ残念なことに、中には過剰に居丈高なものの言い方をする人や、無自覚に傷つけることを言う医師や看護師がいることもあります。
そういう人に当たってしまった場合は、話半分に聞いてあまりまっこうから受け止めない方がいいこともあります。
検診の書類は、子供の健全な成長のために、問題点があるならばできるだけ早期に見つけて、成長に資するためにあるのですから、採点をしているわけではありません。
〇がつかないからといって気にすることはないですよ。
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この記事のこと、子供をまず可愛がることが子育ての基盤となることをまさにこの数週間で体感しました。
きっかけは、私の妹と息子のやりとりを見てです。
妹は満面の笑みで息子に接し、かわいいなあを連呼し、スキンシップします。私には駆け寄ってきて抱きつくということはなかったのに、妹にはしたのを見て自分はやってるつもりでも息子にはそう見えて無かったんだと気がつきました。
それからは、朝起きてから、食事の後等意識してスキンシップくすぐりをしたら、息子が目に見えて変わりました。
今悩みだったことが、公園で興味を持った子を手でパッとさわってしまうことで、それ自体は自然な興味ですが、触り方が少し乱暴なので毎度毎度「そういう触り方はやめて、ニコッと笑えばいいよ。」と伝えていたのです。それが先日公園に行ったら、ある男の子にそっと近づいてスリスリみたくしたので驚きました。
そして、息子が私にだしていた甘えサインがわかるようになり甘えたい時に甘えさせることができるようになりました。
子育てを2年ほどして、やっと先日からのお父ちゃんさんの記事の内容である子育ての基本が体で理解でき、公園での一件を見て悩みもなくなりました。
靴をはくとか、かたづけるとかも教えなくてもやろうとするのを見て「子供は育つ力を持ってる」というお父ちゃんさんの言葉の真の 意味もやっと理解できました。
さきほどもイヤイヤでしたが「それはどうしても出来ないけど、お母さんはあなたが大好きだよ。」といったら、ちゃんとわかってくれ、イヤイヤ真っ最中の今に、やっと息子と信頼関係ができたな、親として自分が安定できたなあと感じてます。
そしてそういう風になると自然と息子への接し方がさらに良くなるので、いいサイクルができてます。
産まれてから引越しを二回して自分自身に余裕がなかったこと、自分が親にいい関わりをもらったことを忘れて若干卑屈に育っていたことを考えて、その中では私なりに頑張ってきたとは思いますが、この数週間で可愛がるということがちゃんとできるようになり本当によかったです。
改めてこのブログと、妹と、そういう妹を産んで育ててくれた父母に感謝です。