命に対する厳しさ - 2013.12.16 Mon
見れば30歳くらいのお母さん。スマホのパネルを操作しながら運転しており、カンガルー抱っこのスリングで胸にまだ3ヶ月にも満たないような新生児を抱っこ。
最近では「歩きスマホ」でもその危険を訴える報道や呼びかけがありますが、子供を抱いた状態で自転車に乗りながら操作するなど多少の判断力があれば、それが危険かそうではないかということはわかることでしょう。
もし万一、ぶつかったりバランスを崩して倒れたりしたら・・。相手が人じゃなくて車だったら・・。
新生児などちょっとしたことでも大きな怪我や命の危険、一生治らない障がいを負うことだってあります。
人は「事故などないだろう」「安全だろう」「大丈夫だろう」と、日常のことにはさして気にとめることもなく過ごしています。
まあ、たいていはそのように行きます。
しかし、実際に事故にあった人もやはりそのように「事故などおこらないだろう」と思っていてもあってしまったわけです。
それでもあまり安全・危険について頓着しなくなっている大人が多いように感じます。
前回、「厳し」さについて述べたので、今回はそれとの関連で書いていこうと思います。
大人が、親が子供の安全を守らなければならないというのは当然のことですが、実際のところそのようにできない人というのもたくさんいます。
ショッピングセンターの屋内駐車場で、エレベーターからおりた子供が、そのまま駐車場内へと声を上げながら走っていきました。
親は、「だめよー」と声をかけるだけ。
子供はそれに聞く耳を貸す気配もなければ、親の方にも言い聞かせようという素振りもないまま。
また、信号待ちをしている家族づれがおり、信号が青になった途端、子供は飛び出して走っていき、親は「おい」と声をかけるけどやはりそれっきり。
もし僕が、その子供の保護なり、監督する責任をもつ立場にいたとしたら、そのような行為はけっしてさせません。
言葉がけで聞かないなら、怒鳴りつけてでも、引きずり倒してでも決してさせません。
なぜなら、安全・危険、命に関わることというのは、数ある大人が子供に身につけさせる事柄の中で最大級のものだからです。
そしてこのことは、安全・危険の問題だけではおわらない、子育てする上でとても重要なことなのです。
というのも、もしもっとも伝えなければならないことが伝えられない大人と子供の関係だったとしたら、それ以外のこと。
命のやり取りまでいかずとも、日常の中で伝えなければならない数々のことを伝えることができるでしょうか?
まずたいていの場合これは無理なのです。
保育園でも幼児になってからの新入園児などでこういう子がいると、そういう部分が顕著にみえます。
安全危険の場面ですら考えようとしない子、そこでの大人の言葉に耳を貸そうとしない子は、それ以外の部分でもやはり、周囲と自己との位置関係を踏まえて判断をしたり、大人と信頼関係の上で気持ちを汲んだり、話を聞いたりということができません。
食事を座ってするなどといった、日常のルールや決まりごとなどもなかなか浸透していなかったり、浸透していかなかったり、絵本を集中して聴くといったことようなこともなかなかできません。
よく昔は「けじめがない」という言葉を聞きました。
この言葉は意味合いや、解釈が曖昧でともすると精神論的な方にもなってしまうので僕もあまり使いたいと思う言葉ではないのですが、一言で言おうとすれば上のようなケースはこの「けじめがない」という状態がぴったりと当てはまるようにも思います。
やはり、子育てをする上で、どんなに優しい人間でも弱い人間だったとしても、ここは「譲れない一線」というのは持たなければならないことがでてくるでしょう。
安全危険という命に関わることは、まぎれもなくそのどうしたって譲ってはならない一線であると僕は思います。
しかし、それすら大人が子供に伝えることができなければ、その他のことを子供に身につけようとしたって身につくものではありません。
なので、この安全危険に関する「厳しさ」というものは、子育てをする上で多くの事柄に影響してくる基礎にあることのひとつです。
また、「身につく・身につかない」といったことだけでなく、親と子の安定した関係というのも、このような場面での強さを出すことができなければ、なかなか持てないだろうとも思います。
「子育てが大変」という人の悩みの多くが、「子供が手に負えない」とか、「言う事を聞かない」とか、「反発ばかりする」といった、子供がアウトオブコントロールになっているというものです。
特に最近はこの「大変さ」というものがほとんどを占めます。
しかし、このケースの多くはその種を大人が蒔いているものです。
どうしても伝えなければならないことがあるのに、それをうやむやにしていたら、さして伝えなくてもいいことなど伝わるわけもありません。
小さい時からの日常の中での積み重ね。
親が伝えるべきことを親としての責任感なり、厳しさなり、子供を大切に思う気持ちなりなんなりを発揮して伝えていくという積み重ねが、子供と大人の信頼関係や絆、思いやりなどを形作っていくでしょう。
小さい時に、子供に安全危険についてきっちり大人の意思を伝えなかったというツケは、子供が大きくなってもあとあとまで響きます。
怒られながらでも、怒鳴られながらでも、口を酸っぱくしながらでも、大人は自分のために言ってくれているのだということを小さいうちから子供はそれを理解します。また理解させなくてはならないのでしょう、親の責任として。
それがまた親の誠意というものでもあると思います。
でも今の人は、こういった安全危険、命に関わることですらも、厳しさを発揮して子供に伝えるということをしなくなっています。できなくなっているということの方が正確なのかもしれません。
しかし、それは確実に子育てを難しくしていることの一因となっていると僕は感じます。
● COMMENT ●
No title
↑に補足です
3歳と1歳兄弟のママをしてます。
危ない事は何度でも言い聞かせなければ身に付いていかないものですよね。
妊婦の時にお兄ちゃんが1人で走り回り何度も危ない場面がありました。
走っても追いつけないので怒鳴るしかなく、人前だろうとかまわず注意していましたが、周りの大人には「怒りすぎだ」「かわいそうだ」と陰口を言われたりした事もありました。
そんな事を言われ悔しかったけれど、子供はちゃんとわかってくれていました。
子供の為を思って怒鳴っている親に、むやみに「かわいそうだ」と周りが言うのはちょっと違うんじゃない?と思います。
むしろ例で上げられていた声をかけるだけの親の方が子供は「かわいそう」だと思う。
No title
昔の記事の叩くこどもからこのブログを知り、心の励みにさせていただいています。ありがとうございます。ダメなことをダメといっては、厳しすぎたかなと3歩進んで2歩下がるような状態です。それでも時に息子に伝わったという感触があった時は嬉しくなります。 こどもの安全を守るシートベルトに関しては根負けしてしまうことがまだあります。すぐにはうまくいかないかもしれないけど、根気良く伝えたいと思います。
No title
最近、歩いていて(息子はいつも走るのですが)、又は遊んでいる時に、私の気が緩んで「はっ」とすることがたまにあるのですが、また気を引き締めようと思いました。
手を掴まれるのも嫌がるので、危ないところで手をつかむのも「なんだか、申し訳ないな。」と思うこともあったのです。でもどうせ掴むので、気持ちをはっきりと持った方がいいですね。
お父ちゃんさんのブログを見始めて、二年目ですが、今年は本当にお世話になりました。
心の底から子供を可愛いと思えるようになって、本当によかったです。
お父ちゃんさんが真剣な思いで続けてくださるこのブログを、自分のできる範囲で諦めずに息子に伝えて行き、来年も楽しい日々を送ろうと思います。
お父ちゃんさん一家の皆さんも、コタツで楽しい年越しを!
本当に一年ありがとうございました。
返信不要です。
幼稚園での暴力について
いつもブログを楽しみに拝見しております。過去記事も、コメント欄も、すべて拝読いたしました。私は「弱い親」であったと自覚し、9月下旬から態度を改めたところ、本当に子どもとの関係がよくなり、子どもがとてもかわいいです。
さて、本文とは関係がないのですが、ご相談致したいことがあり、書き込んでおります。お時間の許す時にアドバイスいただけたら幸いです。
息子は幼稚園に通っております。幼稚園は縦割りのホーム編成がされ、お絵かきや音楽の時間などは、年齢別に、それ以外のお遊びやお弁当などの時間は縦割りのホームで行動するようになっています。息子は年少です。
現在ホームの人数は16人ほど。担任は一人で、補助の先生がもう一人、時々様子を見られているようです。
このホームに、養護施設から通う子が4人います。一人は年中の男の子、ほか3人は年少の女の子です。
この年中の男の子から、息子が度々暴力を受けており、それが、子ども同士の喧嘩の域を超えているように私は感じるのですが、保育士おとーちゃんさんはどのように感じますか?
暴力の状況は以下のような様子です。
最初にわかったのは6月下旬。息子が手首内側に小さな切り傷のような傷を作ってきたので、どうしたのか聞いたところ、隣の席の年中の男の子Hくんがお弁当の時に爪をぐーっと食い込ませ続けた、とのことでした。
年上の男の子にされたことと、状況がよくわからず心配だったので、幼稚園に相談すると、先生が丁重に謝られその日のうちに席を離してくれました。
その時は子ども同士の喧嘩なのかなと思い、席も離れたことであるし大丈夫だろうと考えていました。あるとき、息子はHくんとは犬猿の仲で頻繁に殴り合っており、先に手は出さないが、やられたらやり返している、席が離れてよかったねと非常勤の先生が教えてくれました。
10月下旬、息子がHくんに「お片付けしなきゃいけないんだよ」と注意をし、Hくんに顔を殴られました。担任からの連絡で知ったのですが、殴られた箇所が顔であること、殴ったのがHくんであることを言ってくれませんでした。ちなみに他のお友達との喧嘩の時には、名前を教えてくれます。
「顔を殴られる」ということは私も経験がなければ他の子どもがやられているところを見たこともなかったのでショックで、担任に状況をよく聞き、このようなことがないようにお願いしますと伝えました。
11月に入ってもHくんの暴力は続き、耳たぶを痣ができるまで引っ張られる、息子がパズルで遊んでいるときに、他の子にパズルを渡したらHくんに蹴られる、お当番の日に、朝の挨拶を皆の前でしているときに、ピシッと立たずにくにゃくにゃしていたからと言って皆の前でHくんに殴られる、等暴力が続いたので、担任にはもちろん副園長にも相談しました。
副園長のお話では、Hくんのことは養護施設と幼稚園での協議会でも問題になっており、人に対する冷たさや人をモノのように扱ってしまう点をどうにかしなくてはいけないと対応を考えているとのこと。幼稚園としては、その都度きっぱりとやめさせるようにしていきます、とのことで、園としても考えてくださるのだなと思い少し安心しました。
しかしその2日後に、再び、お弁当前に手を洗っている息子に対し、Hくんが息子の人差し指を逆方向につかんで無理やり反らせたということがありました。これもしばらくの間やられていたようです。先生は気づかなかったとのこと。
担任に報告すると、お弁当前のお支度の時は小さい子をトイレに連れて行ったりして担任の目が行き届かないのでその時にやられたのだと思う、とのことで、すみませんでしたとお詫びをされました。私もかなり強く、しつこく、もう二度とないようにお願いしますと伝えました。
その後2日ほど、幼稚園から息子の様子とHくんとのかかわりについて電話があり、とくに何もされていませんでしたが、今度は息子の年少のお友達が、顔を2度蹴られ、目蓋が腫れたとのことを、このお友達のお母さんから聞きました。息子と違って、お友達は殴られたり蹴られたりしてもやり返すようなタイプではなくおとなしい子です。
その後も、お友達が持っていた袋に描かれたイルカの絵を「生きているみたいだね!」と言うと、Hくんが「生きていない!」と言って息子の顔を引っ掻いたりと、続いています。
息子だけでなく、女の子でも、「髪の毛誰に結んでもらったの?」「ママだよ」と言ったら、いきなり養護施設の女の子に髪を引っ張られぐちゃぐちゃにされたり、股間を蹴られて出血したりと、度々暴力を受けて、幼稚園に行けなくなっている子もいます。その子は全くやり返せず泣きも訴えもできない子のようです。年中ですが、いじめる子と一緒になる前の昨年は、行きたがらなかったことは入園時だけだったそうです。いじめた子は、差別したくはないのですが、同じ養護施設の女の子です。
最後に担任に電話をした際には、「集団生活なのだから経験の一つとして乗り越えてほしい」「息子だけを見ているわけにはいかない」「そういう子を幼稚園に入れないわけにもいかない」等と仰られ、現在の状況を受け入れろ、と言われているように感じました。
私が訴え続けているのは、暴力を振るっている子を退園させろなどではなく、子どもが安心して幼稚園に通えるように、暴力が結局はまかり通っている今の状況を何とかしてほしい、ということです。
息子は気が強く自己主張も強いせいか、他の子と喧嘩になることも多々あり、噛まれたり、ひっかかれたり逆に息子が叩いたりしたこともあります。
しかしその子たちとは、それ以外の時には楽しそうに一緒に遊んでいる様子も見られるので、それこそ「経験のうち」だと思って見てきました。それに、最近は譲り合うこともできるようになってきて、ひどい喧嘩は少なくなっています。
けれども暴力をふるうHくんとは、担任曰く一緒に遊ぶことはないそうなのです。
10月後半から11月は、息子は家でみられる様子はとても安定していて、可愛らしくよく笑い、一人でじっくりと遊んでいたりもできていたので、息子が原因、とはあまり思えないのです。親の欲目かもしれませんが。
11月は幼稚園に行くのを嫌がっていました。
心配なのは、「いけませんよ」などと言いながら、結局はいつもHくんが暴力を振るっている状況に息子がいることで、息子にとって暴力の敷居が低くなってしまうこと。
それに大怪我をするのも怖いです。
家で大事に育てているのになぜ顔を殴られたり蹴られたりひどいことをされなくてはいけないのか憤りを感じます。
どのように対処したらよいと思われますか?
他のお母さんたちとも一緒に、一度幼稚園に申し入れを行うつもりで準備はしているのですが、保育士おとーちゃんさんならば、どのように対処されますか?
キレママさん
僕もそう思います。
学ばなければならないことにおいて、親が曖昧な態度しか示すことができないというのは、実は子供も混乱した状態に置かれ続けることで、その子も悩むことになります。
大人が毅然とした態度を示せるということも親として必要なことだと思います。
えだまめさん
言ってしまったものは、それに自信を持って押し通してしまったほうがいいと思いますよ。
それがたとえ言い過ぎだったりしたとしていても、そこの大人の気持ちが揺らいでしまうと、そこで伝えようとしたことまで子供には伝わらなくなってしまうということがあります。
それを積み重ねてしまうと、子供は大人の主張を疑うようになることもありますので、自信をもって悠然と構えているのがいいです。
言い過ぎだったり、言っていることが多少理不尽だったとしても、大人がそれに自信をもっているほうが子供は混乱しないで済むので、結局はプラスになることも多いです。
ようたんママさん
うん、その通りです。
大人の気持ちがそこで揺らいでしまうと伝わるものも伝わらなくなってしまいます。
なのでそういうときは、大人本位でいいから毅然とその気持ちをもってしまったほうがいいです。
このあたりの心の持ち方というのが、いまの子育てする人には難しいところのようです。
にう庵さん
このケースは完全に「子供のケンカ」ですむ問題ではありません。
児童養護施設の入所児は、福祉の二重措置ということになってしまうので保育園に通うことはできません。
本当は保育園のように、個々の精神的なところからケアができるところに通わせられるのがいいのですが。
このことは知り合いの養護施設の職員の方もおっしゃっていました。
幼稚園ではなかなか個々のケアまでできないところも多いです。
従来の幼稚園だと子供を「受容」するという横からの関わりよりも、「指導」という上からの関わりになってしまうところも少なくないですし。
ですが、そちらの幼稚園のようにかなりの規模で児童養護施設からの子供を受託しているのですから、それなりに専門的に対応ができなければならないのは当然のことだと思われます。
いまは事故などのなんらかの不適合があった場合、施設側はそれの謝罪をして終わりではなく、他の利用者に対しても改善案を示すということが一般的になって来ています。
そのようなケースがあって、施設側は謝罪、また起こっては謝罪 の繰り返しでは預ける方としても安心して預けることができないのはもっともです。
園側に申し入れをするのであれば、単に「以後気をつけます」で終わりにされるのではなく、具体的な改善案を示してもらい、それをきちんと取り組んでもらうということをしていいと思います。
また、きちんと養護施設とも連携をとってそれに対応をしてもらう。
その申し入れをする際には、養護施設の担当者にも同席してもらえるかどうか、園側に打診してもいいかもしれません。
このようなケースでは幼稚園だけでの対応では、根本的な改善は難しいだろうからです。
>最後に担任に電話をした際には、「集団生活なのだから経験の一つとして乗り越えてほしい」「息子だけを見ているわけにはいかない」「そういう子を幼稚園に入れないわけにもいかない」等と仰られ
幼稚園というのは基本的に学校ですから、情緒面から問題のある子をケアしていくということはあまり本来の職務ではありません。
↑こういうことを言うようになってしまっているということは、気持ちはわかるのだけどその担任では「お手上げ」になってしまっていると告白しているようなものです。
その担任を責めても始まらないのだけど、この発言は筋違いで、おかしいことです。
ここは、担任ではなく園として責任をもって取り組むという意識になってもらわなければならないでしょう。
さっきの言葉を引き合いに出すと、
>「息子だけを見ているわけにはいかない」
→いやうちの子見てなくてもいいけど、その子からは目を離すなよ
ということになってしまいます。
まず再発防止策として、最低限その子から目を離さなくてすむような職員体制の具体的な提示、もしくはそれに向けての改善案を出してもらうこと。
なんども繰り返されていることから現状では防止が無理なことが露呈しているのですから、これは是非とも必要かと思います。
園側が「担任にもっと気をつけるよう指導します」というような対応だと、これでは改善は期待できませんから、副園長がいるならその人が自体が安定するまでそのグループにつくくらいのことはきちんと明示してもらっていいのではないかな。
次に、その当事者の子供に対して長期的にどのように関わっていくビジョンをもっているのかということの説明くらいは園に求めていいと思います。
情緒的なケアを幼稚園はするつもりがあるのかその能力があるのか、それともそこまでは無理なのか、無理ならば養護施設側にどういう対応を求めているのか、それに対して養護施設側はどう考えているのか。
保護者側からそういう声をだすことで、幼稚園の方にも意識を高めてもらうということが、その幼稚園にとっても必要かなと感じます。
No title
気をつけようと思っていたのにもかかわらず、一昨日息子が猛スピードの自転車にぶつかりそうになりました。
本当にぶつかっていたら、骨が折れたと思います。
まだ毅然ととは行きませんが、ちゃんと気を配っている「つもり」でしたが、息子が活発なのと手を離そうとする力とスキルがどんどん上がって行くのに追いついて行けていないとわかったので、しばらくは自転車の走る歩道や駅前などはいかないようにして、どうしても行く時は無理矢理でも抱っこするようにしようと思いました。(のんびり公園に行く時などは、同じスピードで上手く歩けないのですが、息子から手を繋いでくれる時が増えてきたのでよいこともあります。)
それで、お父ちゃんさんに頂いたコメントやいつも記事にある「毅然とした態度を取るのが難しい。」。まさにそうなのです。
もともと、自分に自信がなかったのに加え、息子が生まれて子育てが始まってさらに自分に自信がなくなり、ひどい状況だったのです。そうなった理由を一時期なんでなんでと考えていていたのですが、いつまでも考えていても仕方ないので、お父ちゃんさんの言う「軸」を持てるように鋭意努力中です。
考え方を変えるのは大変です。軸を持とうとしていても、息子の手を引っ張る時に心が迷っていることに、お父ちゃんの記事を読むまで自分でも気がついているようで、気がついていないのです。
でも、最近息子との関係が良くなったことをきっかけに、だいぶ成長できたと思います。
息子は自分を好きなんだな。とか、子供と笑うとこんな楽しいんだ。とか、そんなことですら、最近やっと心で理解できました。
また長々とすみません。返信不要です。
年末の忙しい時にありがとうございました。
ご返信ありがとうございます
私たち親の考えていたことがほとんど間違っていなかったと、背中を押していただいたようで、とても心強く思います。
養護施設からなぜ保育園でなく幼稚園に通うのか、私も不思議に思っていたのですが、福祉の二重措置という概念があったのですね。
さて申し入れは、年明け早々に行うことになりました。
しかも養護施設の担当の方も同席いただけることになりました!
保育士おとーちゃんさんの仰る展開になり、良かった!と思いました。
養護施設の方は、今回の一連のできごとについて、幼稚園からとくに知らされていなかったようです。
(養護施設の職員の方で、保護者たちと連絡を取り合う担当の方がいらっしゃいます)
>次に、その当事者の子供に対して長期的にどのように関わっていくビジョンをもっているのかということの説明くらいは園に求めていいと思います。
なるほど、そうでないと、根本的な解決にはならないですよね。
この点もしっかり伺ってみます。
年末のお忙しいところ本当にありがとうございました。
おかげさまで、少し安心して年の瀬を迎えることができます。
(親としては眠れないほど悩んだ数ヶ月でした。)
今年も残り少ないですが、保育士おとーちゃんさんもどうぞよいお年をお迎えください。
取り急ぎ御礼まで。
暴力を振るう子どもに対して
今回もにう庵さんとのやり取りを拝見する中で、福祉の二重措置のことであるとか、幼稚園の制度なり構えの限界についてなど、とても考えさせられました。
6歳にも満たない子ども自身に、何故暴力を振るうのかその責任をもとめることは難しいわけで、そのようになってしまった背景に思いを馳せると、養護施設に入るような原因がそこにまずあったでしょうし、そのような困難を抱えた上に、施設生活という「普通でなさ」の中で育ちながら、「普通の子」がいる幼稚園で、常に比較対象としての自分の欠乏感が、成長に伴ってより鮮明に感じられるようになるというのは、何とも皮肉な痛ましさだと思います。
もちろん、それだからといって、他人に暴力という形で辛さをぶつけていいはずもなく、被害に遭われているお子さんの親にしてみれば、いかなる困難や非難を受け止めてでも、我が子を守りたくなって当然だろうと思います。暴力はいけないと百も承知でわざとやっているというのもありますし。
私の職場の保育園には、そこまでの深刻な愛着の障害を抱えた子どもはいませんが、いわゆる広汎性発達障害の診断を持つお子さんや、お母さんが「子どもは嫌い」とか、手を焼いて放任を決め込んでいるような場合に、何かと友達に対して叩く、蹴る、ヘッドロックをかける、ボールをぶつけるなど、暴力的になってしまう子どもが数人いて、その子のクラスのヘルプに入るときには、常に事を未然に防ぐべく目を光らせていなければならない緊張感があります。
おとーちゃんさんも書かれていたように、たしかに保育園では、幼稚園のような上からの指導より、個別の背景を考え、子ども目線の支援を心がけてはいますが、それでもまだまだ、幼い子どもが拙い暴力に託した思いをどう理解するか、何を替わりの表現手段として教えていくべきなのかなどについて、勉強をしている人は少ないのではないでしょうか?
保育士の、経験上から出た叱責の言葉が、子どもの暴力にとって、火に油を注ぐような結果になることも皆無ではありません。
私はどちらかというと感覚人間なので、怒っている(悲しんでいる)子どもの背中に触ると石のように硬かったり、動悸が激しかったり、反対に筋肉の緊張がまるでなかったりというサインを、ボディータッチで受け止めて、気分を変えてやることに努めていますが、おとーちゃんさんは、もしご自分のクラスにそういう問題行動の多い子どもがいたら、まず何に一番気を配って、どのようにクラスをまとめていかれますか?家庭の事情など、根本原因を取り除くことの難しいケースではどうされますか?
お時間のあるときで結構ですので、具体的な方法などご紹介いただけましたら、参考にさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
やまねこさん
まだしも年齢が低ければ、信頼関係の構築と、愛着の形成によるところからの対応で、軽減していくことは比較的容易です。
その子供と大人との関係だけですむ部分が大きいからです。
また保護者へのアプローチも年齢の低いほどしやすいので、そちらのフィードバックも期待しやすいです。
これが年齢が上がり、その信頼関係の構築や愛着の形成というものが難しくなり、なおかつ友達関係という集団での要素も多くなってきますからその対応は難しさを増していきます。
「幼さ」ゆえに手が出てしまう子であるならば、もしくは内面に幼い部分がたくさん残っている子でもあれば信頼関係も作りやすいのですが、内面の成長の進んでしまった子の場合はさらに難しいです。
ここまでいくと親や保育士も含めて大人全般に対する信頼感というものを持てなくなってきてしまいがちです。
まだ保育園児の段階であれば、信頼関係を構築することは不可能ではないのですが、ただ保育士保育士個人が「努力する」というだけではまずむりです。
なぜならひとりの職員で、その子の日常の行動を問題のない範囲に抑えながら、信頼関係を厚くするということが相当に難しいことだからです。
はっきり言って、信頼関係が厚くなるまでに、その子を制止したり注意したり、叱ったりということがどうしても発生するので、クラス規模がよほど小さいなどでなければ、保育士一人では良好な関係を始められるスタート地点にいつまでたっても行き着かないです。
そのためにはどうすればいいかというと、簡単に言えば、叱り役と甘え役を複数の保育士で分担するということが効果的です。
漠然とその子供を受容していかなければという気持ちだけでいきあたりばったりな保育をするのではなく、大人全般への信頼関係を回復させる突破口となる特定のひとりの受容する役のA保育士と、その子との日常の行動を問題のない範囲に抑えるための注意や制止、叱るという行為を受け持つA以外の保育士を設定してしまいます。
2人担任であるならば、受け止めるA保育士と注意をするB保育士としてしまいます。
まず暖かい関係を持つA保育士が絶えず見守るようにし、毅然と対応しなければならないような事態にはB保育士が出て行くという対応を続け、とにかくまずはA保育士との関係作りを最優先としていくことがいいでしょう。
これはその週のクラスリーダーがAの役割をし、そうでない方がBの役割をするというよりも、0歳児の保育をするように担当の個人を特定していたほうがいいと思われます。
このように役割をわけ日常を送ることで、受容をし信頼関係を作ったのに注意や叱ることでそれをリセットしてしまう、「積み木崩し状態」をできるだけ避けることができます。
これを続けてA保育士との信頼関係が厚くなるにつれて、子供のほうに手を出さずともすむ場面やその保育士を意識して自制しようとする場面というものが生まれてくるはずです。
そこを認めていくことによって、自己肯定感や情緒の安定などをさらに大きくすることで、子供の姿を良いほうへ向けるという関わりがだんだんと可能になってくるでしょう。
認めるという肯定の行為は、これはA・Bどちらの保育士でもしていいことです。できるならば両者がしていくことがいいでしょう。
さらにそれを安定的に送ることで、それまで叱り役であったB保育士に対しても信頼を寄せるようになっていきます。
それが、できるようになって初めて「大人全般への信頼感を回復しはじめた」ということが言えます。
疎外をせずにその子の行動を規制していくことなど、Bの役割の方が難しい点が多いです。
Bの役割に経験豊富な職員を配置したほうがいいでしょう。
幼児のこういったケースでもうひとつ留意すべき点は、「周りの子供を敵にしてしまわない」ということです。
ただでさえ遊びを壊したり、手を出す子供を周りの子供は好みませんが、これだけでは子供は子供をそうそう疎外したりはしません。
しかし、そこに「先生がいつも○○ちゃんを叱っている」という場面を追加してしまうと、周囲の子供がその子の味方ではいなくなりやすいです。
また、周囲の疎外は当然ながらその子供の自己肯定感を下げ、暴力的な行動を増やすことにつながってしまいます。
そのため、Bの役割においてその子を規制したり注意したりする点においても、行動を否定はしてもその子を否定しているのではないという姿勢が、その子はもちろん周囲からも見えるように対応することが大切になります。
この点も、きちんと子供を援助するという視点、スキルを持っていないとBの役割は難しいです。
また、A・Bともに周囲の子供に対して、その子を理解し助けてあげるという気持ちを育てるように関わることが必要になってきます。
このあたりの集団のモチベーションを作るというスキルも、簡単ではないですが幼児の保育をする際にはそれができると保育の内容がレベルアップする点だと思います。
そしていくら保育士と本児との関係を作ったとしても、他の子供への信頼・期待という気持ちが持てなくなってしまうと、小学校に上がった後にすぐ孤立を生み、元の木阿弥となってしまいます。
そのためにも周囲の子供との良好な関係を持てるよう配慮することもとても大切です。
とりあえず、保育の中での関わりのガイドラインとしてはこのようなところからになることでしょう。
丁寧な解説感謝します
このたびは、暴力を振るう子どもへの対応について、大変丁寧で具体的な返信をいただき、ありがとうございました。
>しかし、そこに「先生がいつも○○ちゃんを叱っている」という場面を追加してしまうと、周囲の子供がその子の味方ではいなくなりやすいです。
>また、周囲の疎外は当然ながらその子供の自己肯定感を下げ、暴力的な行動を増やすことにつながってしまいます
本当にその通りですね。子どもの乱暴は、その子自身の受けた心の傷の裏返しだと感じることが多いです。
保育園にいる子ども達は、みな多かれ少なかれ親に置いていかれた感を心のどこかに持っていて、親の代わりとみなす担任保育士の言動には、とても感度の高いアンテナでキャッチし反応しますものね。
>また、A・Bともに周囲の子供に対して、その子を理解し助けてあげるという気持ちを育てるように関わることが必要になってきます。
>このあたりの集団のモチベーションを作るというスキルも、簡単ではないですが幼児の保育をする際にはそれができると保育の内容がレベルアップする点だと思います。
担任(常勤)より非常勤のヘルプの人数のほうがはるかに多く、曜日、時間も細切れに動いている状況では、A,Bの役割を誰が取るかなどの連携のための打ち合わせも難しい現状ですが、こういう「方法」について知っている人同士の集まりであるという暗黙の了解ができれば、それだけでも随分、問題を持つ子どもへの対応に一貫性が出てきて、効果(子どもが落ち着く)に繋がっていくように思えます。
大変勉強になりました。今年もいろいと参考にさせていただきます。ご無理をなさらない範囲で、貴重なブログをお続けくださいましたら、一ファンとして とても嬉しいです。
寒さ厳しい折柄、くれぐれもご自愛ください。
ありがとうございます
この記事も私にとってとても参考になりました。自分に自信がないってダメですね。自分の育て方に原因があるんじゃないかと思うと、譲れないライン、善悪の判断も曖昧になってしまってました。
おとーちゃんさんがおっしゃる「受容」の意味も間違ってとらえていたことに気付き、娘との関係も見直し中です。
親子の関係も人間関係と一緒ですね。
対人関係でつまづきやすい私、子供との関係も似たようなつまづきをしているだけなのかも。
おとーちゃんさんのブログ、本当にためになります。ありがとうございます。
トラックバック
http://hoikushipapa.jp/tb.php/513-6873eb24
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
信号をまもること、トイレにひとりでいかないこと、ゴミをあたりに捨てないで持ち帰ること。
こういっただいじなことをきちんとわかってもらうようにしてきました。
たいへんだったけど、乗り越えてよかった、そのとき、娘と私が泣いてでも止めたことは、「飴をコンビニで買うこと」「車、自転車のチャイルドシートのベルトやヘルメットをつけること」でした。
通園に時間がかかるのを紛らわすために、飴を食べさせていたら虫歯になってしまい、虫歯の治療が本当にたいへんで、1時間娘は泣き叫んでいました。痛い目にあったので、飴をやめようと話をしたものの、後日飴がほしいとコンビニの前で泣きさけぶ娘に、私も、泣きながら「ぜったいにだめ、また歯医者さんで治療をすることになるよ」「○○ちゃんの自分の歯のことだよ。自分で飴をなめて虫歯になるか、飴をやめて虫歯にならないか選べるんだよ」「○○ちゃんが大事だから、2度とあんな思いをしてほしくないから、言っているんだよ」と目をみて話しました。娘も泣きながら私の眼を見て本気だとわかってくれたと思います。
チャイルドシート等も同様です。号泣しましたが、絶対に譲りませんでした。
本気だ、大事なことだとわかってもらうのに、大声を出すのは必要なく、こどもの目の高さで目を見て低い声で話すのがいい、と、保育士の勉強をしたときに、ベテランの保育園園長先生に教わりました。
本当にこどもに甘い母親で、いろいろだめなぶぶんも多いのですが、命を守ることだけを大事にすれば、あとは、娘の好きなようにさせているかんじで、それで、信頼関係もうまくいっているような気がします。
情緒が安定していてやる気いっぱい、天真爛漫なかわいいこどもです。
親ばかなコメントですが、こんなふうにかけるのもおとーちゃんのブログに出会ったおかげです。ありがとうございます。
毎回の更新を楽しみにしています。
おとーちゃんのご家族がこれからも幸せでありますよう。
このブログに集うたくさんの親子が幸せでありますよう。