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2023-06

意識しない過保護 - 2014.01.10 Fri

時々うちの妻は、意識しないで過保護をします。

例えば、息子が学校の持ち物で「明日ぞうきん持ってきってって先生にいわれたよ」と言えば、それをカバンに入れるところまでやってしまったり。






本当ならば、これはぞうきんを出してあげるところまで、もしくは「どこどこに入っているよ」と教えるところまでが大人の役目のはずです。
なぜならば、それ以降のことは、もうすでに彼自身自分でできる力を持っていることだから。



その子供ができることまで「やってあげてしまう」ことは、子供のためにはちっとも親切なことではありません。

そういった経験を繰り返して、そのような「積み重ね」になってしまうと、子供は本来自分でできたことなのに、それをする習慣を失ってできなくなったり、「自分でしなくていい」・「やってもらえる」という意識・既成事実を持ってしまい、自分でする意欲を失ったりしてしまいます。


こうなってしまえば、その親の「やってあげた」は親切でも優しさでもなくて、「子供の力を奪う」ということになってしまうのです。



まあ、これなんかはわかりやすい方の過保護です。
本人でも少し気をつければ防ぐことができます。




僕が最も困る、して欲しくないと思うのが「押し売り」タイプの過保護です。


どういうものかというと、大人が一方的に手伝ってしまうなどの過保護をしておいて、子供に小言が返ってくるようなものです。

(過保護 + 小言・文句・怒る・叱る などがセットになったもの)





例えば、こんなことがありました。


子供たちがテーブルを使って遊んでそこが散らばっていました。

そのときはそこでの遊びが一通り終わったのか、別の方向で遊びが盛り上がったかしてテーブルでは遊んでおらず、その横で遊んでいました。


それを見て妻はテーブルの上を片付け始め、「もー、またこんなに散らかして・・」などと小言。



これの困る点は、大人が子供自身それを実行する機会を奪っておきながら、子供を責めていることです。

これでは子供は怒られる他なくなってしまいます。

この点が「過保護の押し売り」なわけです。




大人が直接手を出す前に、なぜ「テーブルの上を片付けて」と言わないのか。

もし、そう伝えても子供がそれをしなかったというのならば、そこには文句を言うなり、怒るなりのまっとうな理由がありますが、その手段を過保護の押し売りによって奪っておきながら、文句を言うのは理不尽なことになってしまいます。



その大人当人は、そのような押し売りをしながら言う、文句や小言を一種の「指導」と捉えてしまっているのかもしれないけれど、このような理不尽さというのは、人のやる気・モチベーションを奪うので、子供自身の力を伸ばすことにはつながりません。


もし、「片付けをして」というプロセスを入れて、子供がそれに応えてできたときに、それを認めるような関わりをしていたら、この「過保護+小言」という関わりよりも、ずっとよい関わり・積み重ねとなっていたはずです。
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● COMMENT ●

No title

あけましておめでとうございます。

今日の記事に驚きました。
なんとなく、お父ちゃんさんだけでなく、奥様も子供へのスタンスについてはほぼ完璧にできる人なのだろう、と思い込んでいたからです。
最近読んだ過去記事では、お父ちゃんさんもお兄ちゃんの成長期では煮詰まることがあったと書いてあり、どんなに子育てに慣れている人でもそういうことはあるのだなあと思いました。

私も最近息子に対して、「なんでわからないの?やらないの?」と思ってしまうことがありますが、振り返ると息子がわかるようにちゃんと説明してないな。話してないな。と気づきます。
私は、片付けは気にしないですが、きっと他のところで無意識の過保護やってると思うので、気をつけようと思います。

昨日の記事ですが、息子云々より、まず自分自身が過程を楽しんでないとハッとしました。いつも次のこと、今やっていることを終わらせた後のことを考えて生活してるなあ。と振り返ることができありがたかったです。

小学校を通るたびに、校庭で遊ぶ子供の姿は昔と変わらないなあ。と思います。校庭には、ゲームがないから皆遊ぶんですね。

返信は不要です。

No title

あけましておめでとうございます。
今年も、子育てに悩むたびにおとーちゃんさんの言葉に触れさせてもらうことになると思いますが、よろしくお願いします。

無意識の過保護、自分もしているのだろうなあ、と思いつつ。
自分が今悩んでいるのが、意識している過保護、とでもいうのでしょうか。

現在2才10カ月の下の子が、保育園の先生いわく「全部自分でやっています」という着替え・食事・トイレなどが、全部「できない、やって~」なことに、少し悩んでいます。

これまで自分が気をつけていたことは、
・「やって」と言われるまでは手伝わない
・時間があるときには手伝わない
・手伝うときには「自分でできるけど、時間が間に合わないから手伝うね」と声をかける(できるだけ)

逆にいえば、保育園では頑張っているからと、それ以外のときは手伝っていたのですが、保育園の時間やごはんの時間、寝る時間などを気にして、結局ほとんど手伝っている状態で・・・。

でもやっぱり、こういう関わりもやる気を減らしてしまう過保護なのか、もっと毅然と「自分で頑張ろう」というべきなのかと悩んでいます。

おとーちゃんさんならどうするか、お時間のあるときにコメントいただけるとうれしいです。
無理のない範囲でけっこうです。
よろしくお願いします。

No title

あけましておめでとうございます

今回の記事私も驚きました。
おと-ちゃん夫妻の完璧な子育て姿をイメージしていました。

4歳児の母で保育士2年目の者です。子どもを産んでから保育士になりました。

保育士であるがゆえ母親として悩んだり・・
母親であるがゆえ保育士として悩んだり・・

なので今回の奥様の一連の行動
あー気負わなくてもいいんだ焦らなくてもいいんだと力が抜けました。。

これからも記事楽しみにしています。

あけましておめでとうございます。

昨年は本当におとーちゃんの言葉に助けて頂いた1年でした。
今年もよろしくお願いします。

我が家の息子も2才5か月になりましたが、じょうさんと同じような感じで、思わすコメントしてしまいました。

私はもっと過保護?で、「自分でする?」と聞いて「できない」が返ってきた時は時間が許す限り、介助したりやってあげたりしています。
トイレに関しては、園で同じぐらいの月齢の子達の間でブームが来ているらしく、我先にと進んで午睡後にトイレに行ってるらしいですが、家ではトイレの扉に触れようともしません。

ただ、無意識ではなく、保育園で頑張っているから甘えたい時は、甘えさせてあげようと決めてしていることです。
もちろん、ご飯の前におやつを食べたいとか、危ないことなど私から見て好ましくないことに対しては譲りません。
自分でできた時には、できたねー!と認めたり、おうちのトイレでしたくなったら言ってねーと声がけはして、のんびり構えていようと思っています。

それでもやはり、過保護かな?と迷うこともあって、じょうさんへの返信コメント期待しています。
※私への返信は不要です

じょうさん

>保育園の先生いわく「全部自分でやっています」という着替え・食事・トイレなどが、全部「できない、やって~」なことに、少し悩んでいます。

これはいたって普通の姿なんですよ。


園でできているということは、子供にはすでに生活に必要な力というものがついているということです。

でも家庭でそれをしないというのは、それはできないからしないというわけではないのは明らかですね。

つまり、これは「関わりを求めて」そういう態度を示しているわけです。
一種の甘えと言ってもいいでしょう。


保育園で頑張っているからこそ、家庭で大好きなお母さんとにいるとき自分に目を向けて欲しい、手をかけて欲しいという気持ちの現れです。


なので、それを手伝ったからといって、生活に必要な力が育たなくなっていってしまうという種類のものではありません。


じょうさんも関わりの一つの手段だと思って、できるときは一緒に楽しく手伝ってあげていいと思いますよ。

園では頑張っていることを認め、家庭ではまだ甘えたいという気持ちを認め、それで子供というのはバランスをとって成長していくことができます。

そう思って見てあげれば可愛い姿ですよね。

AKARIさん

保育士でも親は親ですからね、仕事では当たり前でできることが、家庭で我が子に対してはなぜかできなかったり、そのことに気づきすらしなかったり。

こういうことはよくあります。

また、逆に仕事でするようなことを家庭でもしてしまうことによって、うまくいかなくなる例などもあります。

厳格な学校の先生などが、家庭でも同じようにすることで自分の子育てが思うようにいかなくなったなどのお話を聞いたことがあるかと思います。

人間相手のことですから、おっしゃるように気負わなくていいというのが、バランスのとれたものになるのかもしれませんね。

ありがとうございました

お忙しい中、コメントをくださりありがとうございました。

記事の中にもきっと書いていただいていたのだろうと思いますが、改めて質問してしまってすみません。

でも「手伝っても必要な力が育たなくなるわけではない」と言っていただけて、すごく気持ちが楽になりました。


自分も最初のうちは、「保育園で頑張っているから、家では甘えさせてあげたい」と手伝っていたのですが、保育園で靴を履くことなどを手伝っていると、先生に「あれ~、やってもらってるの~?」と言われたり、何か月もその「やって~」と言われる状態が続いたりすることで、少しづつ自信を無くしていたようです。

そんな中で今回の記事を読んで、おとーちゃんさんの

>その子供ができることまで「やってあげてしまう」ことは、子供のためにはちっとも親切なことではありません。

>そういった経験を繰り返して、そのような「積み重ね」になってしまうと、子供は本来自分でできたことなのに、それをする習慣を失ってできなくなったり、「自分でしなくていい」・「やってもらえる」という意識・既成事実を持ってしまい、自分でする意欲を失ったりしてしまいます。


>こうなってしまえば、その親の「やってあげた」は親切でも優しさでもなくて、「子供の力を奪う」ということになってしまうのです。

という文章を見て、自分のしていることがこれにあたるのでは?と心配になってしまいました。

「自分でしなくていい」という意識になってしまったとしたら、保育園でもしないということなのでしょうか。

でもきっと、その「やって」状態がずっと続いているということは、「甘えたい」という気持ちがずっと満たされていないことの表れなんだろうなあと思いました。

指しゃぶり(これは赤ちゃんの頃からの癖ですが)や、自分の服に手を入れておっぱいを触りたがる癖も抜けないので、淋しいのかな、上の子に少し意識が行き過ぎているのかな、と反省している部分もあるので…。


産後の上の子と下の子の関係の構築に失敗してしまったようで、上の子(5歳)は自分の遊びの世界を下の子に邪魔されては怒り、下の子は自分も一緒に遊びたいと上の子のところに行ったのに「あっち行って」と言われて怒り・・・。

しょっちゅうけんかしては二人が同時に「ママ、抱っこ~!」「自分が最初~!」「ママは自分と遊ぶの~!」と主張する状態に、二人にどんなふうに、どんなバランスで接してあげれば気持ちを満たしてあげられるのか、きっと満たしてあげられていないからけんかばっかりなんだろうなあ・・・と悩んでいました。

でも、そういった「やって~」というかかわりを、同じ手伝うにしてももっと気持ちよくやってあげることは、上の子に負担をかけることではないので、実践していきたいと思います。

きっと、大きく何かをしてあげるというよりは、そういった普段のそれぞれへのかかわりの中で、満たしていくべきことなんですよね。
自分は多分、子供から見るとかかわりが淡白なほうなのだろうと思うので、気を付けたいです。

>そう思って見てあげれば可愛い姿ですよね。

本当に可愛らしく、健気だなあと思います。
丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。


以下、おとーちゃんさんへのコメント欄をお借りしてすみません。


ママスケさんへ

コメントに、自分の名前をあげて共感してくださって、実践されていることなど教えてくださっていたので、一言お礼を伝えたかったのですが、すぐにコメントできずすみません。
ちょっと子供の体調不良が続いて、パソコンの前になかなか座れなくて・・・。

本当に自分と同じような感じで、「ああ、自分だけじゃないんだなあ」と思えてとてもうれしく思いました。
でも、ご自身の中で軸はしっかり持たれている姿勢、自分もそうありたいなあ、と思います。
お互い、悩みながらも日々子供との時間を大切にしていけたらいいですね。
本当にありがとうございました。

ママスケさん

じょうさんへの返信で書き忘れてしまったこともあるので、それも兼ねて補足しておきます。

まず、力は持っているのだけど、関わりや甘えたい気持ちがあっての場合は、一緒に気持ちよく手伝ってあげることなどで、その部分がみたされ安心感を持てると、いつまでもいつまでも手伝ってにはなりません。

もしそうなる場合は、そのほかの部分でチェックすべきなにかがあるでしょう。


ですので、少し手を貸したり、もしくはしばらく気持ちよく手伝うという経験を重ねたあとに、自分ですることを見せて認めてもらう方向へ子供が行動しだしたり、また大人がそちらに水を向けることで、強制力をもってやらせようとせずとも自然と自分からする方へむけることもできるでしょう。


また、子供は自立する方向へ成長する力をもっています。
ましてや保育園などで集団生活をしていると、そういう部分はより多くなっているでしょう。

ときに親の関わり方によって、自立心まで奪ってしまうということもありますが、そうでなければ成長による自立的な方への行動は期待できるでしょう。


ママスケさんのケースでは、園で排泄の自立への取り組みが無理なくできているならば、家庭でそういう気持ちになってくるのはあとは時間の問題でしかないように思いますよ。


排泄のところに書いたように、排泄の自立というのは心の成長や情緒の発達によって達成される部分がとても大きいです。
ママスケさんのブログ拝見していますが、毎朝ギューしてチューできる親子はその点なにも問題ないですよ。

じょうさん、おとーちゃん、ありがとうございます。

>じょうさん

同じように不安に思ったり試行錯誤されてるママさんの姿、力になりますよね♪
そうゆうママさん達の声が聞けるのも、ここのサイト様様です(*'ω'*)
お子さんお2人いて、尊敬します。私は1人でもヒーヒー言ってますので(笑)

>おとーちゃん
返信ありがとうございます☆

登園時は、甘えたい感じが全面に出ているので難しいですが、帰宅時に荷物が多くて先に荷物を部屋に入れて玄関に戻って来ると、靴と靴下を自分で脱いでることがあります。
しかもニヤニヤしながら(笑)
出来たことに満足しているのか、褒められるのを想像して笑っているのか分かりませんが、「わ!自分で出来たの?」と声をかけると、更に嬉しそうです。

こうやって靴を履かさせてくれるのも、あと少しなんですかね。
最近の成長が著しくて(まだまだ、やってーですが)、本当に嬉しくて淋しいです(笑)


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楽しく無理のない子育てを広めたいと2009年ブログ開設。多くの方の応援があって著作の出版や講演活動をするようになりました。 現在は、子育て講演や保育士セミナーの他、『たまひよ』や『AERA with Baby 』等の子育て雑誌の監修やコラム執筆。『ジョブデポ保育士』の監修や育児相談などをいたしております。

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