息子の小学校で募金がありました Vol.3 - 2014.02.18 Tue
目の前に100円玉があったとしたら、自分にとってのその100円の価値は、ある人にとっては自分の考える1円くらいの価値と同等かもしれませんし、もしかすると自分が1万円に感じる重さを別の人はその100円玉に感じているかもしれません。
お金を稼ぐことを子供に伝えることの大切さと同じくらい、お金を使うことの大切さを伝えるのも大事なことです。
僕が息子に「じゃあ明日持って行きなさい」とその募金の100円を渡してしまうというのは、簡単なことです。
でも、そのようなどっかから沸くように出てきて、ただ右から左に流れていくようなお金の使い方を息子にさせようとは僕には思えません。
彼が自分のお金として認識しているのはその貯金箱の中にあるものだけです。
それの中身を僕は正確にはしりませんが、「100円玉は一枚しかない」と言っていました。
その中に50円玉が一枚あるのと10円が数枚入っているのは知っています。
彼にとって100円というのは実に全財産の半分位に相当するでしょう。
大人でも全財産の半分を寄付するという人はそうそういません。
もし、彼にその全財産の半分を出させようとするならば、その対象についてよほどの知識と意義を見出さなければならないでしょう。
そして、自分の金銭を出す以上、彼には当然それが必要です。そして、それを要求する権利もあります。
またそうだからこそ初めてそこで、出した対象に対する責任というものも生まれてくるでしょう。
もし、「大事なことなのだから100円だしなさい」と言ったら、それはボランティアではなくて、たんなる強要です。
誰かに言われてそれをしたとしても、彼がそのことに意義を見出すようになることはないでしょうし、これ以降もなくなってしまいかねないでしょう。
ボランティアや募金をするというのを尊重するのと同じだけ、それをしないというのを尊重することは大切なことだと僕は思います。
逆に「出さない」というのを尊重するのは、すなわち「出す」というのを尊重するのと同様の意味を持ちます。
もし、ここで「出さない」ということを僕が否定したら、彼はこれから「ボランティア=自発的な意思による志願」ということを理解することは非常に難しくなってしまうでしょう。
人間は自己を尊重されることによってのみ、他者を尊重することを学べます。
彼は、これからたくさんの様々なことを学び、自分で考え、実行するようになっていきます。
もし、彼がそうしたいと思うようになれば、そうする日が必ず来るでしょう。
その成長を僕は応援しながら見守っていきたいと思っています。
つづく。
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● COMMENT ●
募金について、それほど気に留めることなく今まで過ごしてきました。
それでも、私がなんとなくどうしてなんだろう?と思うことが、子供の頃からあって、それは募金、寄付、援助の優先順位です。
日本国内で悲惨なニュースや災害が報道される度、日本がまだまだこんなに切羽詰まっているのに、どうして海外への高額な援助がなされているのだろうか?という疑問です。
子どもながらに、まず日本が先に豊かで安心できる環境が整ってから、海外じゃないの?と。
けれど、東日本大震災でたくさんの国から義援金が送られてきたというニュースを聞き、なんてありがたいことなんだろう!としみじみ思いました。
自国のことだけでなく他国のことに思いを馳せて、募金するという意味がとても重要なことがあるんだとハッキリと思いました。
募金の意味…
お金の価値観…
を子どものうちからしっかり考え、尊重してもらえて、おとーちゃんさんのお子さん達は本当に幸せですね!
どんな大人になっていくのかとっても楽しみです。
これからもお兄ちゃんとむーちゃんの成長を載せて下さいね^_^
お金を持たせる理由
私が募金するのを子が代理で届けるというスタンスです。普段は振込んでしまうので親が募金をする姿を見せる良い機会だと思うからです。
子供には募金やボランティアが身近なものであってほしいと思います。そういう考えで子供にお金を持たせる親も結構いるのではないかと思います。
色々な考え方がありますね。
No title
子どものころ、赤い羽根や緑の羽根はどういう組織の人が実際に役立ててくれるのか、分かりにくいと思ったけれど、主旨は理解して多分自分の小銭貯金箱から持って行っていました。
でも、鉛筆や消しゴムを買って、特別な病気の子どもたちにも学ぶ機会を、というような募金(?)の時に、お金の単位が大きかったので、はたと困ってしまいました。
募金したいけれど、母親がお金のやりくりに苦労し、泣いていたのを見ていたから、親に言いづらいなあ、と思ったのです。
でも、その時の自分はすでに「人の役に立つ」ということに執着していました。
自分はいい子でいることが自分の全て、正しいことをしないと人に愛されないと思っていたので・・・・。
母親に言うと、さらっと1ダース分のお金を用意してくれました。
1本でも良かったはずでしたが、そういうことは大事なことと母は思っていたのかもしれません。
母親の死を通して、自分は「人の役に立てるチャンスというのは当たり前にあるわけじゃないんだ」と思い、余計にボランティアや見返りを求めない行為に執着していきました。
今も正直、募金が必ずしも善行にばかり使われていないと思いつつも、無視できない自分がいます。
自分のように親に縛られず、自分で決められる人間になって欲しい、そういう意味ではおとーちゃんさんのようであるべきと思います。
でも、きっと自分はそのようにできないだろう、とも思います。
自分だったらどうするか・・・多分、その募金の主旨について子どもと話しあって、子どもがどうしたいかを聞き、「ママもその主旨に賛同したから、ママの分としてこれを持って行って。自分の気持ちの分は、自分のお小遣いから考えて出しなさい」と言うかな、と思いました。
そうじゃないと、小さな自分が辛くなってしまうから・・・。
子育てって、いろいろな自分と向き合っていかないといけないですね。
本当に、子どもになんとか親にしてもらっている感じです。
いつもいろいろ考えさせられる記事を、ありがとうございます。
お金を稼ぐことを子供に伝える大切さ
少し触れられていた「お金を稼ぐことを子供に伝える大切さ」
について、最近どうしたものかと考えあぐねています。
お時間のあるときにご意見いただけると嬉しいです。
長女(3歳9ヶ月)がなにか欲しい物があって、
親が「それは今、お家にはないわねー」というと
「じゃあ、買えばいいじゃん」と
気楽に言うのが気になっています。
(この半年で2回くらい聞いたかと・・・)
その都度、
「お金はお父ちゃんとお母ちゃんが一生懸命働いて
やっともらえるものなんだから、
そんな気楽になんでも買えるものじゃないんだよ」
と伝えると(納得したのかはわかりませんが)
それ以上は言わなくなります。
今後大きくなって、更に世界が広がって、もっとほしい物も
増えてくるであろう娘に、「お金」についてどのように
伝えていくのが最適なのか、しばらく試行錯誤が続きそうです。
今のところ、
・娘の前ではカードでの買い物はしない(必ず現金払い)
・お年玉は500円まで(自分が認識できる範囲のお金)
くらいは心がけているのですが、次女(8ヶ月)が
小さいこともあって、オムツ等々、買い物はネット注文で
済ませることも多いです。
そのため、長女にとって「物を手に入れる」ということが
「パソコンに向かって注文すると宅配便のお兄さんが持ってきてくれること」
になってしまって、「お金を払う」という過程が
抜けてしまっているのではないかということが心配なのです。
さやさん
になってしまって、「お金を払う」という過程が 抜けてしまっているのではないかということが心配なのです
うちでも宅配便のおじさんをサンタクロースの親戚かなにかのようにとらえていた時期があったようです。
このあたりのことは基本的なところがしっかりしていれば、大きくなるにつれてだんだんわかってくることだからさほど心配はいらないのではないかと僕は思っています。
が、確かに最近の子供の中には簡単に「買えばいいんでしょ」などと口にする子は多くなっているような気がします。
金銭の概念というのはかなり難しいことなので、小さい子供が漠然とでも理解するのはかなり高度なことではあります。
なので、あまり深く考えられないのは仕方がないとも言えます。
そこで基本となる積み重ねは、モノに対する親の姿勢だとか、モノを大切にする気持ちだと思います。
小さいうちに、モノや食べ物などを大切にする気持ちを養うことができれば、そこそこの年齢たとえば小学生になってお金に触れる機会ができるようになる頃には、それを大切にするという気持ちにもつながるのではないかと僕は考えています。
ありがとうございます
(引越のゴタゴタでインターネット環境に繋げませんでした・・・)
>基本となる積み重ねは、モノに対する親の姿勢だとか、モノを大切にする気持ち
ありがとうございます。すとんと腑に落ちました。
「お金」を説明するのは難しすぎて、どうしたものかと
思っていたのですが、そうですね、基本はそこですね。
娘の言動を受けての自分の気持を掘り下げてみると
「お金を大事にしない子になっては困る」ではなくて
「(お金によって得た)モノや機会を粗末に扱う子になっては嫌だ」
が素直な気持ちのようです。
まずは自分が意識したモノの扱いを心がけたいと思います。
「子供は親が思うようには育たないけれど、
親のように育つ」という言葉を最近実感しています。
マイナスなところも時々引き継がれてしまっていますが^^;
私が長女をあやした手遊び歌で、長女が次女をあやしてくれているのを
見ると、嬉しくなります。
親の心の持ちようで娘の育ちがより良いものになってくれればと思います。
おとーちゃんの記事や相談への返信を拝見すると、
「親として気合を入れねば」と背筋が伸びると同時に
子供に対する時のこちらの気持ちの持ちようとか、
具体的な言葉かけの選択肢が増えるので気持ちが楽になります。
本当にいつもありがとうございます。
No title
実は、最近似たようなことで悩んでいたので、良いヒントをいただきました。
子供が年中くらいの時、賛同できる募金などにお金を入れる際に、子供に代わりに入れさせていたのですが、入れると楽しいみたいで、ところ構わず、意味も理解せずにどんな募金にも入れたがる時期がありました。
でも、募金の本来の趣旨と違うから、そこは違うと思うからお母さんはお金を出さないよと。お母さんのお金は家族が生活をする大事なお金で、それを他の人にあげてもいいと納得できるものにしか出さないと伝えて、その場は終わったのですが。
自発的な募金の機会が子供にあった時に、どうすべきか、私が出すのも違和感があるけど、息子の小遣いから出すのも違和感があり、ちょっと悩んでいたのです。
違和感の正体は、お金の価値の違いだったのですね。
ちょっと自分の考えがまとまりました。目から鱗が落ちる思いです。
参考になる記事をいつもありがとうございます。
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よく考えたら、大切なお金なのに、何も考えないで出してました。共同募金とか、歳末助け合いとか、意味もわからず!
東日本大震災の時は、とにかく私にも出来ることはないだろうかと、目的意識を持っての募金だったけど。それまでの募金てなんだったんでしょうね⁇ベルマークとかも集めてみたけど、なーんにも考えてませんでしたねー何に使われたんでしょね?