ハードルを下げてしまう 《子育ての大変を変えていくために》 - 2014.02.20 Thu
こういったケースは、子供にどう関わっていくかという具体的なアプローチ以前のところで、大人の意識を変えなければなかなか子供の姿までは変わっていけません。
実際に子供に無理な要求までは求めていなかったとしても、親のイメージしている子供の姿と目の前の子供の姿のギャップから、その大人は子供と関わる際の根底に「焦り」を持ってしまっていたり、子供への視点が否定的になりがちだったりということもあります。
その大人の努力を否定するわけではありませんが、その子供に現状でできないことをいくら求めたとしても、それらは無駄な努力にしかなりません。
そして、その結果のいらだち(大人も子供も)や、子供の達成できない・認めてもらえないという負の感情や、大人の子供の姿が思い通りになっていかないことの焦りや不満というものは、返って成長のためのマイナスにすらなりかねません。
そしてさらに、この状態は「大人が自分自身を責める」という、もっとも辛い状態、子育てを大変と感じてしまう最大の原因にもっていってしまいます。
だったらば、いっそのことそのハードル(要求・理想)を下げてしまうのです。
むしろ、ハードルなどなくしてしまって、フラットなところを走ればいいのです。
つまり、一度成長のための課題などとっぱらってしまえばいいのです。
子育てを100mハードル走から、ただの100m徒競走にしてしまって、ハードルをなくしてできることだけでその道を敷き詰めてしまうのです。
「○○ができない、なになにができない、△△ばかりして困る」などの課題を一旦考えないで、それこそ、例えば「ごはんは食べるし健康だからいいや」などと、なんのハードルもないところに大人の意識を変えてしまいます。
もともと上のようなスタンスで子育てしていた人は、こういうことを聞くとそれでは子供が良い方にはいかないのではないかなどと考えてしまいます。
でも、「じゃあ以前と同じことをしていけば子育てがいい方へ進むと思いますか?」と再度聞いたとしたら、自信をもって「はい、そう思います」という人はまずいないでしょう。
このタイプの人は、子育てを自信をもってしてきたわけではありません。
変な話ですが、多くの人が「焦り」や「不安」を子育ての原動力としてここまで来てしまっています。
厳しいことを言うようですが、その「焦り」や「不安」が子育てを余計に難しく・子供の姿をより大変にしてきてしまっているという可能性が大いにあります。
なので、もしそのタイプだとしたら、どこかでその「焦り」や「不安」を原動力として進めてきた子育てを変えなくてはなりません。
そのために、その人が子供に課している・子供に求めているさまざまなハードルをその人自身でとっぱらわなければならないのです。
たびたびこのような相談を受けます。
「児童館や公園に行くと、うちの子供が他の子供のモノを取ったり、(or突き飛ばしたり、叩いたり)して、何度話してもやめないその姿にイライラして我慢するのだけど、最後はキレて激しく怒って毎日泣きながら帰ってくるのを繰り返しています。そのことが毎日をものすごく辛いものにしています」
そのあとに「あとで何度も後悔して、反省して子供にゴメンネと謝ります」などと続くのも結構多いです。
「モノをとったり」のあたりのバリエーションはいろいろです。「毎回帰らないとゴネて」とか「疲れて感情的になって」「なにかを買えとゴネたり」などなど
この種の相談というのが、このブログのコメントにあるものだけでも、おそらく数十件はあることでしょう。
僕はこれに対してしばしば、「そんなに毎回嫌ならば、行かないということも考えてみたらどうですか」というような返答をすることがあります。
これは別に意地悪でいっているわけでも、突き放していっているわけでもなくて、先に述べたように「ハードルを下げてしまえばいい」ということなのです。
例えば、そこにいくことで他の親御さんたちと話をしたりすることができて息抜きになるとか、そこの職員が見てくれるので多少なりとも息抜きになって、子供の姿の大変さはあっても総合的にプラスになるのならばそれはそれでいいと思いますが、もう嫌で嫌でたまらないものすごく自己嫌悪になったり、ストレスを感じたりしているという人もいます。
そういう人は、しばしば自分で課題を課してハードルを上げてしまっている人です。
「他児と関わらせる経験を今のうちからさせなければならない」とか、「モノをとってしまう子だから、経験させてモノを取らない子にしなければならないだろう」などなど。
そういった考えが根底にあるので、ちっとも進歩がないのを感じながらも難行苦行を繰り返しにいってしまいます。
もし、その人がこのケースだとしたら、それは無駄な努力というものです。
だったら、家の中でさほどのストレスなく遊んだり、すいている公園や、他児と接触せずとも済むような大きな公園などでそれなりに楽しく過ごせばいいのです。
そこでの「楽しい」や、ゆったりと過ごした時間、というのは小さくとも親子の関係にプラスの積み重ねとなっていきます。
ハードルのない状態から小さくともコツコツとプラスを作っていくのです。
そして、その間の時間の経過(年齢ベースの成長)というものも、無理なくこれからくるであろう課題を乗り越えるための大きな助けにもなります。
なので、ハードルを下げることを成長を後戻りさせることと考えずに試してみていいと思うのです。
ハードルを下げたり、なくしたりするところで、大人が子供のことを少しずつ「認めたり」「肯定したり」することが増えることで、大人と子供の関係を良いものにしていけます。
上のような状態になっているケースの少なくない数が、本当のところは子供は「その課題」を達成する能力がないわけではなくて、肯定や受容が少なく・できなく、なってしまっていることに原因があることがあります。
なので、大人が子供のクリアできないハードルをたくさん立てておいて、それらに不満や焦り・怒りを感じているうちはちっとも改善できないのです。
親子関係を良好にしてしまうことで、実はもともとクリアできなかったことは、良い方へ向かうことなのかもしれません。
なので、ハードルを下げる・なくすというのは、問題の改善に大きな力となることがあります。
このことは過去記事などで何度も出てくる『全面肯定』ともちょっと似ていますね。

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● COMMENT ●
納得です
No title
昨日の記事はお父ちゃんさんのおっしゃる通り過去記事で見ていたものですが、とてもよくまとまっていてわかりやすくてよかったです。
今日は息子にダメを言わず、いいよ。を使ったら、一日のんびり楽しそうでした。以前やった時はいいよ。が伝わらず、ダメを使うようになっていたのですが、子供は成長するから一度伝わらなくてもまたやってみればいいんだと思いました。
今日の記事のハードルについて、普段は下げていてもたまに(自分の体調とか忙しいとか)上がってしまう時があり、出来るだけ自分がゆったりできるようにと心がけているところです。
少し別の話となりますが、先日息子に雪遊びを、と雪国まで行きました。(今年は住んでいるあたりでも沢山降ったのですが、せっかく予約したので)
二歳直前の元気一杯イヤイヤ絶好調!の息子と新幹線に乗っていったので、普段より注意が増えて息子も自由にできないので、お互いヘトヘトで「あちゃ〜、やっぱりまだ早かったなあ。」と思いながら帰って来たのですが、何故か帰ってきてしまうと息子が満面の笑みでソリを滑っている姿しか思い出さないので、「子供の笑顔で疲れが吹き飛ぶとは、このことか。」と分かりました。
でも、旅行は大変だったのでまたしばらくはいいです。と、前回も思ったのですが、忘れてしまうのですね。
最近、自分の息子を見る目というのは、(自分の感じた)自分自身の自分の親からの見られ方と同じになってしまうのだなあ。と気がつきまた少し息子との関係がよくなりました。
最近は「歩いていいよ。」というと、歩いてくれたり、手をつないできてくれたりすることが増えて、「信じて待っていれば必ず成長するんだな。」と拙い経験ですが、自信が持てるようになってきています。
長々とすみません。
お返事は不要です。
なるほどー
自らハードルを高くしてしまう、子育てに対する「不安」のひとつとして、この子はもしかしたら障害を持っているのではないかしら、だからできないのではないかしら、という可能性があるからだと思います。どうしてもそれを考えてしまい、見合った成長時期と違うと不安になります。 おとーちゃんはそういうことを感じたことはありませんか?
はじめまして
2歳9ヶ月になる娘がおります。
全記事での『いいよ』を使うことを上手く取り入れたところ、私も娘もいつもよりゆったりと過ごせたような気がします。ありがとうございます。
今回の記事で思い切ってハードルを下げても良いんだよと言っていただいて気持ちが楽になりました。
娘が2歳になったばかりの頃、ご近所の方(同い年の女の子がいます)に誘われ、幼稚園でプレに通う前の子供を対象とした集まりに何度か参加しました。
時間にして1時間程度で、ベテラン教諭が一人見てくれるのですが、娘が車のおもちゃを手に取り遊んでいたら、その教諭は『あっちに道路のカーペットがあるからそこで遊んだら?』との声掛け。
自分で考えてここで走らせたら面白そうだなと、ワクワクしていた娘の表情が曇っていくのが分かりました。
また、ぬいぐるみをかわいがっていた娘を見て、『○○ちゃんは甘えん坊なのね。』との声掛け。
家のぬいぐるみを皆それぞれ愛着を持ち、大切にしている娘の優しさが嬉しかったので、これはショックでした。
帰り際には、それまで遊んでいたぬいぐるみとのお別れが寂しくてイヤイヤ・大泣きする娘を、『幼稚園のお人形さんだから、他のお友達もこれから遊ぶよ。また遊びに来たら会えるからね』と説得し、やっと泣き止みぬいぐるみを返した娘にその教諭が近付き、あろうことかおもちゃ箱からぬいぐるみを出してまた娘に手渡したのです。
当然娘は混乱し、その後は泣いて泣いて大変でした。娘の気持ちを思うと今思い返しても辛いです。困惑している私に向かって彼女は『今の時期は仕方ないのよ。自我が芽生えるころだからね。成長の証よ。』とうまい助言でもしたかのような顔。忘れられません。
ご近所の方はその後も何度も通ってらっしゃいますが、私は『行かない』決意をしました。
ベテランの幼稚園教諭の方だったら、娘と私だけで遊んでいる時には気付かないような関わりを学べるかもしれないと思っていましたが期待はずれでした。
子供同士の関わりは広場や公園でその時出会った子と、その場限りで過ごしています。
幼稚園などに通い出したら嫌でも友達との関わりがあるのだから、それまではこれで良いと開き直っています。
子供のために・・・と必死でママ友作って、まるでお母さん同士が友達じゃないと子供に友達が出来ない・・・みたいな風潮が窮屈に感じております。
No title
愛娘が1歳半。少し前から口癖のように「イヤイヤ」を連発しています。そのあとを追うように、自己主張がより一層強くなり、着替え=イヤ、オムツ替え=イヤ、保育園から帰るために上着を着ること=イヤ(おっぱいがすぐに欲しいのだと思いますが…)、自転車=イヤ、抱っこ紐=イヤ…全てイヤ…。何が駄目なんだろうと考えるも、それ以前に(私自身に「ゆとり」がないために)苛立ちが先行して、「もう!いい加減にしてよっ!!」とどなり、叩いてしまいそうになるのをかろうじてグッとこらえている状態が、特にここ最近は毎日のように続いていました。
でも、こんな状態が良くないことは分かっているつもりなので、心を入れ替えるべく、色々検索している中で、このブログを見つけました。
子育てに対して「焦り」「不安」を感じる…自分もそうかも、と思いました。
意識してハードルを上げているつもりはありませんが、「もう1歳過ぎた…あぁ、もう1歳半なのに、何故(例えば、食べ物で遊ばない、座って食べる等)分かってくれないのだろう」、「落ち着きのない子になってしまったら…」、「しつけが手遅れになる前に、今のうちに何とかしないと…」と考えること自体がハードルを上げ、子育てに疲弊してしまっているのかなと思いました。
おとーちゃんの記事にもありましたが、今はとにかく子供の心を満たしてあげようと、要求は出来る限り受け入れてあげるようにしているつもりです。そうすると、子供に対する気付きが増え、お互いに笑顔が増えたような気がします。
今回の記事からは少しそれてしまった部分もあるかもしれませんが、感じたままを書かせてもらいました。これからは、苦しくならないよう、子供の世界に入って共に歩みたいなと思います!
最後に、お答え頂けるなら…なのですが、
もう1歳半ですが、子供の心を満たしてあげる、というのはまだ挽回できるのでしょうかね。
また、保育園ではギャーと泣くことはないようですが、それも保育園では満たされているからこそ、そういう行為はないのでしょうか。
まさに「最近娘に対して怒ってばかりだ…」
と落ち込んでいたところです。
どんなときに怒る(感情的になる)かと言いますと、
•出掛ける準備が整って外出したいときに、イヤといってなかなか出発できない。その際に、イライラした様子でおもちゃなどを散らかす。片付けても片付けても散らかされて、私はすごく怒りがこみ上げてきます。「片付けないのに出さないで!もう今から出掛けるの!はやく靴はいて!」と怒ります。
•朝や、お風呂の後の着替えを嫌がる。楽しそうに逃げ回るときもあれば、イヤ!といって嫌がるときもある。ぱっぱと着替えたら、その為の時間っていうのは短くて済むのに、私の余裕のないときなんかは「早く着なさい!お母さんが着替えると言ったら着替えるの!」と怒ります。
些細なことだと思います。生活の流れがうまくいかなかったときに怒っている気がします。
こう書いてみると、怒る時、娘の意思なんか無視して「お母さんの言うとおりにしなさい!そうするしか選択肢はない!」と怒っているようで(すごく支配的な言い方のような気がするのですが…)、
怒り方(言い方?)もこれでいいのか悪いのか自信がないです。
本題ですが、
排泄についての記事や、全面肯定についての記事を読ませていただいて、
「こどもの能力以上のことを求めるのはよくない」
ということは大変納得できるのですが、
現在のこどもの発達や成長具合にみあっているかどうかという見極めが私にはわかりません。
例えば、
•遊び終わったおもちゃを片付けることができる段階なのか
私も片付けるよりも遊べる力がある方が大事だと思うのであまり強く言えないときもあります。しかし次々新しいおもちゃを出されて散らかるのは嫌なんです。
•食事のとき最後まで座って食べることはできる段階なのか
あまり注意しすぎると、食事の時間か楽しくなくなりそうなので、何度言ってもダメなようなら、食事を片付けてしまいます。
命に関わることについては、何が何でも許さないと決めているので、普段から「車がいっぱいよ。ひかれたら痛いよ。手を繋ごうね。(優しい口調でないときもあります。)」とこれだけは譲れないという気持ちで言い聞かせていたのがよかったのか、
「車いっぱいだよ」というと
「イタイー」と言って、駐車場や車の多いところでは手を繋ぐことは出来ます。100%ではないかもしれせんが理解してくれていると思います。
もうひとつ、他人に害を加えることについても同じスタンスでいますが、幸い(?)そういう場面がないので理解しているかどうかちょっとわかりません。
このことについては、他児との関わりが少なすぎるのかなあという心配もあります。
ちなみに児童館や園庭開放には一度も連れて行った事がなく、
「一緒に遊んだ」といえるのは私が実家に帰ったときに、2歳と4歳のいとこと同じ空間で数時間遊ぶ程度。
あとは、公園や出先でたまたま会った子供と数分関わる程度です。
話がそれましたが、
子どもに対して
「こどもだから言ってもわからないだろう」とこどもをバカにした態度をとりたくないという気持ちがあります。
その反面、上記のように発達にみあっているかどうかの見極めもしなければいけない、能力以上のことを要求しているのではないか、という気持ちもあります。
親が迷いながら子育てしたら、子供に伝わらないんじゃないかと、思うのです。
となると、やはり今回おとうちゃんがおっしゃるように、
フラットなところを走る、に尽きるんでしょうか(笑)
長く読みにくいコメントで申し訳ありません。
子供増えてハードルなくなりました
ハードルを下げることで子供との関わりが良くなるというのを、とても実感します。
長女が産まれて、とてもハードルを高くしていて、まじめに几帳面に育てていてとても精神的に大変でした。習い事も色々させました。
次女が産まれ、次女が天真爛漫でおてんばな性格でバタバタな毎日になり、細かい事は気にならないようになり、当時成長期だった長女に対してあまりイライラせず接することができるようになりました。習い事も次女がいると連れていけないこともあり、辞めました。
3人目の長男が産まれ、今は、「大怪我、事故に遭わせず、美味しいご飯を食べさせて丈夫に育てる」事だけが目標というか、精一杯になりま
した。それ以上は自分にも子供に対しても何も求めないので、とても気が楽ですし、子供達の成長をそのまま受け止めることができるようになりました。毎日無事に過ごせている事だけで有難いので、それぞれが成長した姿を見せてくれると、ご褒美をもらったような嬉しい気持になれます。
記事にある、「ごはんは食べるし健康だからいいや」というおとーちゃんのコメントは、まさに私が毎日思っていることなので、ついコメントしてしまいました。おとーちゃんの今回の記事は、ハードルを低くするという表現を別の見方からすると、もうそのままの可愛い存在に感謝すべき、という事のような気がします。与えられた環境(自分の人間的なキャパシティ含めて)で、やれることを精一杯子供のために頑張ればいいのでは、と思うこの頃です。
子供の数とハードルの高さというのも関連しているように思います。子供の数が減っている現代だからこそ、お母さん方の心を軽くして子育てを楽しいものにするために、ハードルを低くする、なくすというのは意識してすべきだと思います。
おとーちゃんの記事は、子育てのヒントが沢山ありとても参考になります。色々育児書はありますが、一番ピンと来るというか、心から共感できます。これからも応援しています。
ははは
普段はあまりコメントは見ないのですが、珍しく見てみたら皆さん同じ悩みを抱えてらして、和んだし励まされた気持ちになりました。
我が娘も1歳10ヶ月。常にイヤイヤばっかり言ってるので、これがイヤイヤ期か?と思っていましたが、どうやらイヤイヤ期の様ですね。
みなさん、日々、できるだけキープスマイルでがんばりましょー!!
頑張れ、私!
きうぴーさん
この点に関しては、僕は一般の人よりも多くの子供を見ている経験があるので、子供がその子の個性として「○○ができない」ということがあるのか、それとも発達の特性としてできないのか、これまでの周囲の大人の関わりや養育の仕方によってできなくなっているのかなどが、だいたい見当がつきますのでそう言う意味での不安というのはないです。
そしてもうひとつ、おそらくは発達障がいなどに関して世の多くの人たちと視点が違うということがあるので、それをハードルを上げる方向へとは捉えないということがあると思います。
むしろ、そうであるならばより堂々とハードルを下げる方へ舵を切れるということです。
この視点が違うということを説明すると長くなってしまうのですが、ごく簡単に言ってしまえば「恐れていない」ということでしょうか。
あんずさん
ベテランといっても、考え方が古いままだったり、自分の経験だけで個々の子供をとらえ客観的に関わることができないだけのひとも残念ながら少なくないです。
自分が合わないと思うところならば避けてしまうのも手だと思います。
子供の人間関係という点でしたら、別になにがなんでもその経験を増やさなければならないなんてこともないです。
親子関係が適切にとれていれば、よしんば集団に入るのが小学校からだとしても基本的に問題はないと僕は思います。
藤井さん
そういった「するべきこと」の境目を大人の方がつけられずに、するべきことに関しても子供の自由にさせていると、これは「いいなり」に近いものとなってしまいます。
過去記事で「毅然と伝えていいこと」のひとつにも上げましたが、僕も食事に関しては厳しいです。
小さくても譲れないことがあるというのをそこから子供は身につけていくと思います。
友達関係とかは、わざわざそのためにだけ今からかかわらせるという必要はないですよ。
確かに発達の見極めというのを細かくしようとしたら難しいと思います。
でも、毎日一緒に過ごしているのですから、いろいろ試行錯誤しながら要求していいところと、まだ大目に見ていいところをすりあわせていけばそれでいいのではないでしょうか。
Satoさん
よく3人目の子供は手がかからないなどと言われますけど、世話の手間がかからなくなったわけではなくて、大人の方の力が程よく抜けてくるのでそういうことになるのかもしれないですね。
これ私、すっきりしたぁ!
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以前積み木の記事にコメントした者です。
「大人が自分自身を責める」
そうだと思いました。
もっと早くこのブログを知っていたら、娘が0歳児の時も可愛い可愛い出来たのかなあ、と悔やまれます。
1才を過ぎ自我が出てきてからの方が私は楽です。
現在1才9ヶ月、おとーちゃんさんが伝えたいであろうことを読み解きながら育児に奮闘しております。
これからも、たくさんのヒントを頂きながら娘の育ちを笑顔で、見守っていきたいと思っております。
いつもありがとうございます !