苦手を決めつけない - 2014.03.11 Tue
これが実においしくできたんです。
夕食に焼いて出したところ、兄は魚好きなので普通に食べましたが、むーちゃんは一本食べて「もう一本いる?」と声をかけるもあんまり浮かない顔で、「ううん、むーちゃんもういい」と。
ややワタの苦みもあるし、まるごとなので背骨や小骨もあるので、まあそんなものかなと「うん、そっかー」とそのまま受けました。
しかし、数日してまた出すと、今度は味に慣れたせいかおいしさがわかったみたいで、自分からとって食べていました。
僕はしばしば子供に対して「肯定も否定もしない」という姿勢を用います。
上の例だと、「うん、そっかー」という部分です。
そのまま、ありのままを「受けるだけ」にしています。
食事のことに限らないけど、世の大人たちが子供に対して、「うちの子それ苦手なので」「それできないので」と先回りして決めつけてしまうのをときどき見かける。
僕はこういうのを「もったいないなー」と感じます。
子供の姿・成長というのは今が終点ではありません。つねに過渡期にあります。
今日苦手であっても、明日はそうではないかもしれない。
でも!
大人が「ああ、あなたはこれが苦手だよね」と言ってしまったら、かなりの子がそこから自分で足を踏み出そうとはしなくなってしまいます。
本当はそれをクリアできる力がある子であっても、苦手として確定してしまいます。
ある意味では、これは子供の力、子供の成長の伸びしろというものを大人が信じていないということです。
大変もったいないと僕は思います。
今、「子供の尊重」ということ、現代でどうもそのベクトルがずれてしまっていることについて考えをまとめています。
以前ドラえもんでの食事のシーン「親は焼き魚、子供はハンバーグ」というのをあげましたが、「それは苦手だよね」と親が決めつけて、「どうせたべないから」と次の時から食卓に出さないという様子は、今では普通のものとなっています。
こういうことを、子供を「尊重して」「配慮して」「大事にして」という意味合いでしている人もいるかもしれません。
でも、なんかずれているようにも感じます。
そのずれ始めたところをさかのぼって見つけ、そこを見直すことで現代の子育ての不安定さというものを、もしかするとより安定した方へとすることができるのではないかという感触がなんとなくあります。
まあ、そんな大げさなものでもないのですが、近いうちそれをまとめて書いてみようと思っています。
追記
→こちらの記事を書きました
大人と子供の位置 《やさしさ保育園とさばさば保育園の記事・コメントを読み返してみて》
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● COMMENT ●
尊重…
No title
親による苦手の決めつけ、これは、まさに、私が、母から何度もされたことでした。大人になってから、そのことについて、母に、自分の気持ちを言う機会がありましたが、母自身は、「あなたのために言っていた」っていう意識だったようで、まさに、ずれているんですよね。
母から決めつけられたことで、「そんなことない!」と奮闘して乗り越えたこともありますが、もうすぐ不惑を迎えるというのに、未だに、呪縛のように、「自分はできない」と思い込んでいることもあります。
なので、娘に対しては、そういう決めつけをしないようにしたいなと思いつつ、ちゃんとできているかどうか、時々、分からなくなります。関連記事、楽しみにしています。
No title
保育とは関係ないことかもしれませんが失礼ながら質問させていただきます。もうすぐ進級の時期ですがお世話になった先生方に子どもと一緒に何かプレゼントしたいなと考えています。保育士おとーちゃん的にもらって嬉しい物や役に立つなというものがあれば、ぜひ教えて下さい。よろしくお願い致します。
大人の世相の反映でしょうか
離乳食で納豆を与えたらそっぽ向いたと言うだけで「うちの子は納豆が嫌い」と、二度と出さないお母さん、知ってます。
それはもしかしたら、大人の社会がパット見とか、初回の感触だけで何でも決めつけて、余計な試行錯誤や検討による迷いの時間がもったいない!という風潮で動いているから、ではないでしょうか?
何でも早く決めつけたがる。
だから、乳児期からいろんな知育教材にてを出して英才教育してみたり、やってみて目立った成果に結び付かないことはしなかったり、なんでしょうね。
岡田斗司夫さんが、才能を伸ばすのは農業的なアプローチが必要で、寝かす時間が不可欠、工業的な取り組み(稼働率をあげればアウトプットが増える)とは異なる、と書いておられたのですが、どうもデジタルな割り切りが人の育ちすら支配しているように思えてなりません。
我が子も二人とも苦手なもの、大好きなもの、色々ありますが、苦手だからといって食卓に登場しなくなることはありません。なぜなら私が食べたいから(笑)でも、子どもが食べれない、いらない、となったら、そーなのかーんじゃ、もらうね♪と私のものになるだけです。そのせいか、上の子はなんでも美味しく食べます。下の子は好き嫌いはあるものの、食べたらおいしかった!と言う日もあれば口にもいれない日も。でも、これでいいんだろうなと、なんとなく思っていたのを、お父ちゃんさんの意見も後押しとなって自信がつきました!
また育児相談で、聞いていただきたいことがあります。上の子は5歳になりたて、4月から年長さんです。しかし、あまり友達と関わろうとせず、よほどのよほどのよろどのよほどに慣れた子だけは(今のところプレ幼稚園から一緒で習い事も一緒、園のクラスも一緒の女の子一人だけ)とは、弟と遊ぶみたいにキャッキャボール投げして、それだめだよ、次こっち!など言いたいことを言いながら、全く喧嘩もせずに遊んです。なので週一回の習い事がとてもとても楽しいようです。
しかし降園後に公園など言っても、その女の子とはすこーし遊ぶものの相手は女の子同士遊びはじめてしまうとポツンと一人になり、ママ帰ろうーコールがはじまります。公園に着いてから、ものの10分ほどです。弟と遊んで少し時間が過ぎ、時々クラスメイトの男の子が遊ぼうと来てくれます。
息子は黙って頷き、言う通りに動き、ついていき、、、、お互いつまらないのか遊びがすぐに終わります。息子は緊張してしまっているように見えます。遊ぼうと来てくれるのは嬉しそうですが、長続きしません。私が参加したり口を出したりすると、すごく嫌がり、あっちいっててと怒ります。
園では、集団生活ができていて、誕生会の質問にも大きな声で答えたりしているようですが、基本はものすごく大人しいようです。オセロやカルタ、すごろく、などは自分から入れて、やら一緒にしよう、やら声をかけることも多々あるようです。でも、友達とじゃれあったり、ごっこあそびをしたり、やることが決まっていない、特別な道具がないときは遊び方がわからないようです。遊ぶのが下手なんでしょうか。私は、親としてしてあげれることはあるでしょうか。
りんごさん
僕自身は公立保育園が長かったので、基本的になにか金銭であがなった贈り物というのは受け取れませんでした。
本当に子供を大切に思って見てきた人ならば子供の書いてくれた絵や作ってくれたものなどでも、一生大切に持っていようと思うほど喜んで受け取ってくれるのではないかと思いますよ。
まあ、僕自身の感想なので一般的な意見ではないかもしれませんが・・。
cocue-cocueさん
子育てというのは、本当のところその成果がでてくるのが何年先になるかわからない、目に見えるかどうかもわからないということが大半なので、現代のものの考え方のペースからするとどうしても間尺に合わないことになりがちなのかもしれませんね。
なまこさん
年齢の増加や、経験の蓄積、環境の変化などこれから多くの伸びしろがあるわけですから、なにか問題があるというのでなければ個性の範囲として見守っていくこと・待ってあげることも必要です。
親があまりに心配をしたり、手を出したりしてしまうと、かえって子供は自分から足を踏み出せなくなるということもあります。
まずは、そういう個性のなだというところから出発するいいと思いますよ。
お返事ありがとうございます。
考えた結果、お世話になった先生に子どもと一緒に手作りのお手紙をプレゼントしました!
とても喜んでくれました。アドバイスありがとうございました。
さて、子育ての話になりますが、最近よく思うのですが子どもに対して口うるさくなってしまってもいけないし、全く叱らないというわけにもいきませんし、ほめることと、叱ることのバランスが本当に難しいなと感じています。
叱らないようにしょうとすると全部言いなりになってしまう自分がいたり、人前で泣かれるくらいならその場凌ぎで子どものいいなりになってしまう自分がいます。(←本当はよくないこと)泣かれることに弱いのです。叱らなくてはいけないのは、危険が及ぶ行為に限定してあとはいいよと受容ほめるのが良いのが頭ではわかっているつもりなのですが、実際、なかなか行動がともないません。
叱らないようにしょうと思うと何だか全て言いなりになってしまったり、叱らなきゃと思うと口うるさくなってしまう自分がいたり、メリハリが難しいです。具体例などあげて対応法を教えていただけると大変ありがたいです。よろしくお願いします。
りんごさん
機会があったらできるだけ具体例もあげていきますが、まあこういうのはいろいろな状況があるわけでキリがないとも言えます。
何が大事かというと、失敗を恐れないで関わってみるということだと思います。
関わりのひとつひとつというのは、うまくいかなくてもいいんです。
言いすぎちゃったかな?というようなことがあっても、基礎的な信頼関係をが普段から築かれていればそういうことはさしてあとを引きずりません、ときどき繊細な子で影響が出るという子もありますが、それはそれで関わり方を調整していくことです。
手伝ったり、要求を聞いたりすることがあってもいいのです。
ただ、気をつけなければならないポイントは、「イニシアチブは大人が持つ」 「良くない癖をつけない」 「自立への視点を持つ(依存を強めない)」ということです。
それらも、絶対にいつでも守らなければならないというわけでもありません、子供の姿に合わせて試行錯誤しながらやっていけばいいのだと思いますよ。
お返事ありがとうございます。
関わりのひとつひとつというのは、うまくいかなくてもいいんですと言う言葉にほっとしました。
もう少し肩の力をぬいて子どもと関わっていこうと思います。試行錯誤しながら関わっていけば良いのですね。
おとーちゃんのアドバイスを肝に銘じながら子どもと関わっていこうと思います。
失敗を恐れないで関わってみる
「イニシアチブは大人が持つ」 「良くない癖をつけない」 「自立への視点を持つ(依存を強めない)」
アドバイスありがとうございました。これからも楽しく読ませていただきます。
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ベクトルがずれているという感覚、わかる気がします…尊重するがずれてくると『やさしさ風味の関わり』に繋がるのではないでしょうか?おとうちゃんさんが言っている事と違っていたらすみません。
私は自分の関わり自体がこれは尊重??それとも、子どもの成長するチャンスを奪っている??という所で悩みます。今までトラブルがあるたびに詳しくわかるように説明してきました。だけど、大人が介入しすぎたせいか…詳しく説明を常にしていたせいか…子どもたち同士の関わりが薄く、表面的なものしか出来ていない事が浮き彫りになっている状態です。
子どもの気持ちを尊重したつもりが、結果的に子どもたちの力を奪う結果になってしまったとすごく反省しています。私の関わりは尊重していた『つもり』だったのだなぁと…。保育士をして8年目なのに情けないのですが…ブログをみて勉強させていただいています。はっとさせられる事ばかりです。記事楽しみにしています。