にいにとむーちゃん 登園6日目 - 2014.04.17 Thu
『保育園の子供と幼稚園の子供』 こちらの続きはまとめるのに時間がかかりそうなので、もうちょっと先です。
むーちゃんは、人見知りだったり場所見知りだったりなところがあるし、人を気にせずわっーっと盛り上がれるタイプでもないので、予想通りにかなり緊張して通っていました。
先週の木金と、この月曜日は、親と離れるとき・迎えに来るときは泣かないけれど、園で過ごしている間少し泣いていたようです。
でも、自分からは言わないで、目の下に涙の筋があるので「泣いちゃったの?」と聞くと、小さな声で「うん」と言ったり、生返事だけだったり。
あんまり触れられたくないという気持ちがあったようです。
日曜に祖父母に会ったときは、「幼稚園楽しいよ」というようなことを話していたようです。
(それまで、父母には「楽しい」とは言っていない。)
でも、たぶんそれは半分位はほんとではないのでしょう。
最初の二日はそうとう緊張していたし、まだ他児と関わるわけでもなく、粘土やぬりえで乗り切っているという感じでしたので。
でも、なんで泣いたことに触れて欲しくなかったり、「楽しいよ」と告げたりするかというと、大人の期待というものを意識しており、それに応えようと頑張っているがためだと思われます。
多くの子供が保育園でも似たような姿を見せます。
子供は健気です。
大人の期待に応えようと、自分の気持ちを抑えてその姿を頑張ってだそうとしてくれるのです。
しかし、その頑張りを続けていくのはしんどいし、頑張ってその状態を維持していたとしてもそれは安心してくつろいで過ごせる状況とは違います。
その大人の無言の期待に頑張って応えているという状態は、しだいに解消されるべきものでもあるといえます。
逆に、大人がその子供の性質を利用して頑張らせすぎてしまうのはあとあと無理の来ることもあります。
これについては『人はなにで動くか』あたりで書かれていた「作られたモチベーション」ということが近いでしょう。
むーちゃんの、「泣いてしまった」というのを素直に伝えられない気持ちに対しては、あんまりしつこく言ってもプレッシャーにしかならないので、さらっと自然に「そういうこともあるよねー、おとーちゃんだってさみしいもの」と伝えていました。
妻はもっとはっきり「泣いたっていいんだよー」と言っていたみたいです。
休み明けの月曜日、やっぱりこの日も園にいるあいだに泣いてしまったよう。
でも、このとき迎えに行ったら「むーちゃんね、えーんっていっぱい泣いちゃった」と素直に自分から伝えるように。
ちょっと、頑張らなくてもいいと力が抜けてきたのかなとその時感じていました。
そして次の日、登園して門のところで先生に声をかけられたら、「うわーん;;」と泣き出し、「そっかそっかーじゃあおとーちゃんが抱きしめてあげるよ」と10秒ギューッとしてから下ろすと、そこからは自分で切り替え泣くのを自制して入室していきました。
子供の現象だけ見ると、泣くのが大きくなっていっているので人によっては心配のつのってしまう人もいるかもしれませんが、このむーちゃんのケースはむしろ過度な緊張や頑張りから解放されていっている過程ですので、慣れに向かって着実に進んでいるということがわかります。
そもそも、むーちゃんが適応していくことに対して、「心配」というのは僕も妻も最初から一貫してしていません。
親が不安になっていると、子供は自分の不安だけでなく、親から伝染した不安までも重ねて引き受けなければならなくなってしまいます。
これまでむーちゃんには、ことさら他児に慣れるようなことなどしていませんが、むーちゃんのもつ様々なリソースや発達状況から、時間はかかるにしてもいずれ慣れることはわかっています。
また、通う園もそれが困難な環境でないこともわかって入れています。
なので、時間はかかったり、つまづきはあったとしても、それすらも経験であり成長です。
だから、あとは子供を信じてその成長を喜んだり、認めたりすることを親としても楽しませてもらっています。
そしてその朝泣いた日は園内では泣かないで過ごすことができ、その翌日からは登園時・日中とも泣かずにいます。
まだしばらくは休み明けなど戻ったりすることもあるでしょう。
そういうものですからね、しかしそれもみんな乗り越えられることです。
子供を相手にしていていいと思うことは、子供はつねに成長の過程にいるという点です。
つまり、「昨日より今日、今日より明日は必ずより良い日」と思えることなんです。
「3歩進んで2歩下がる」でも立派な成長ですよね。
にいに(お兄ちゃん)とむーちゃんのお話までいかなかったので、それについてはまたの機会に。
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● COMMENT ●
No title
むーちゃんがひとりで頑張っている姿を思うとジーンと来ちゃいます(;_;)
今迄の感じからむーちゃんはどこでも誰の前でも元気ハツラツなのかと思っていたので
場所見知り人見知りがあるという事がとっても意外でした。
こどもはみんな一生懸命なんですよね。。。わかっているのですが中々うまくいかない日はガックリしちゃいます
私も頑張ろ
むーちゃんファイト〜p(^_^)q
No title
最近どんどん自己主張が強くなり、また私自身今まで子どもと接した経験などほとんどないもので元々難しく感じていた子どもとの関わりかたがここにきて更に難しくなり、朝が来なければいいのにと思ってしまうほど今、追い詰められています。藁にもすがる思いでこちらのブログの記事、申し訳ないことにピックアップしながらですが読み漁りました。が、ますます迷走中です…
例えば、食事や水分補給のときに飲むコップに入ったお茶を、手を入れてじゃぶじゃぶ遊ぼうとするので、これは飲むものだからこっちで遊ぼうとお風呂に連れていってバケツに入った水で遊ばせたり、私もそのコップから一緒に飲むようにして、じゃぶじゃぶ遊ぶとママ飲めないよと言ったりしてますが止めてくれません…。一度ダメといったことは撤回しないほうがいい、1歳でも話せばちゃんとわかってくれる、先生のお話からこれを続けようと思ったのですが、もっと私も子もどちらにとってもいい方法ってありますか?
一事が万事、すべてにおいてこれでいいのかな、間違ってないかな、という気持ちがつきまとい、非常に、非常に、育児がしんどいです。ソファーに登るようにもなり、危ないからだめと言いそうになったのをいずれ登るのだからと、下に布団をひきました。こういうことであっていますか?もう、何がなんだか本当にわからないです。子は可愛いです。大好きです。でも、辛いです。そしてこんな私に振り回されてるのが何よりかわいそうです。考え方、というかこうしたらいいよ、というアドバイスが欲しいです。もう何度も記事のなかで書かれてるはずですよね。理解不足で本当に申し訳ないです。
No title
食事の椅子が高いものにかわり、固定もできないので本当に危ないと思い真剣に、立ったら危ないからね、ケガしたらママ悲しいと言ったら一度も立ちませんでした。びっくりしました。ちゃんと向き合えば1歳の、あんなにちっちゃいのに答えてくれるんですね。最近、伝わったな、と思えることがいくつかあって、あったのに、昼間になると余裕がなくなり、気がつけば今日もどうしようもなくなって私も大声で泣いちゃいました。くすぐりも続けていきたいです。
No title
遅くなりましたが、むうちゃんご入園おめでとうございます。
むうちゃんにあったことはないのですが、このブログでチョコチョコ成長を垣間見てきて、「あのむうちゃんが、幼稚園かあ。」となんだか感慨深いものがあります。
うちの息子は、お昼寝がちょこっと出来るようになってきたところで、疲れからか風邪を引き今週はずっと保育園をお休みです。
自分の職場復帰が間近となり、早く治らないかとかなり焦ったりしてしまいましたが、もうここまで来たら仕方ないと逆に割り切れて、復帰前の最後の時間を二人でゆっくりできてよかったなあ。と思います。
むうちゃんが、そのうちに慣れて、幼稚園でどんな姿を見せるのか楽しみです。
ありがとうございました。
お返事は不要です。
6日目だと、そろそろ疲れも出てきて親子ともども週末が待ち遠しいですね。
今日はたまたま、近所の保育園に下の子と遊びに行きましたが、そこは今年から一週間だった慣らし保育の期間が、3日間程にへらされたそうです。
2日目からお給食も始まるんだそうで、0歳クラスは泣いている子がほとんどでした。
保護者からの強い要望でそうなったと聞いて、これからそういった所が増えていくのかな~と他人事ながら悲しくなってしまいました。
皆が笑顔で、楽しく通える日が早く来ると良いですね。
幼稚園が始まって
我が家の息子(3歳1ヶ月)も今月からもう幼稚園が始まり、今回のむぅちゃんの登園についての記事を身近なことのように読ませていただきました。
息子は、新しい制服やカバンやお道具の数々に目をキラキラさせては、幼稚園に行く日をそれは楽しみにしておりました。一日目は笑顔で登園し、降園時も「泣かんかったよー!!」と意気揚々として、迎えに来た私に飛びついてきました。
それが、土日を挟んで登園二日目の月曜日。何だか寂しそうな顔でトボトボ歩きながら登園し、それでもがんばって自分で靴を脱いで教室に入っていきました。お迎えのときこそ泣いてはいなかったものの、「(ママがいない間に)泣いたよー!」と報告しながら私に飛びついてきました。私が迎えに行く一時間の間ずっとカバンを下ろさず、誰か先生が一体一で相手をしないとずっと泣いてしまう状態だったそうです。(園長先生や副園長先生が、ずっと相手をして下さってたようです。)
それから日に日に登園時の泣きが凄まじくなっていったのですが、それには反して、園においてはだんだんと泣かない時間が短くなっていったということです。
息子の変化の仕方がよく分からず、慣れてきてるのかはたまたそうではないのか不思議に思っていたのですが、今回の記事を拝読し何となく腑に落ちました。
登園初日は、息子なりにものすご~く頑張っていたんだなぁと。それがだんだん力が抜けていって、泣いたり暴れたりが出てきたけど、それでも息子のペースで幼稚園に少しずつ慣れてきているのかなと。
今日も息子は、制服を着るのを嫌がって暴れ、幼稚園に着いてからも「ママも一緒にお部屋に来て!」とぐずりましたが、先生に抱っこされると泣くのを止めて、それでも寂しそうに私が離れていくのを見ていました。(昨日よりも頑張ってるのかな?)と思いつつ、「また迎えに来るからね!」と園を後にしました。
分かっていたつもりでも、泣き喚いて幼稚園を嫌がる息子を目の当たりにして、やはり私に焦っていたところがあったかと少し反省しました。ちょっと見ただけでは、成長しているのかしていないのかよく分からず、親として戸惑ってしまうことが多々あるのですが、もっと長い目で、ゆっくりじっくり子どもに接していかなきゃな~と感じております。
お返事は不要です。
次回の更新を楽しみにしております。
No title
1歳八か月の息子も4月から保育園に通っています。
とても失礼ですが、むーちゃんのようなとてもかわいい子に育っていると思っています。すいません。
息子はよく泣きよく笑いよくしゃべります。
園でもまだまだ泣きますが、だんだんお昼寝も出来るようになっているようです。
しかし園での反動か、帰宅後家ではずっと抱っこはもちろんで、泣きながら「嫌かったー」と言って大泣きです。昨晩は「食べる」と言った夕飯を目の前にして「嫌かったー」と言って泣き続け、何をしても大泣きで泣きながら寝てしまうという感じでした。
子供の心が壊れてしまうのではないか・・・
ほんとに怖いです。
おとーちゃんさんの率直な意見お聞かせ願います。
よろしくお願います。
感謝です
No title
むーちゃん頑張っていますね。
我が家の長女は保育園の年少さんになりました。
1歳から通っていますので、保育園では「ベテラン」の部類で
「場所見知り」「人見知り」は発動していないようです。
ただ、やはり新しい生活、慣れないこと、緊張することは
あるようで、泣いたりはしないもののおねしょが復活しました。
ああ、楽しそうに通っているものの、無意識下では
やっぱりストレスなんだなぁと改めて感じました。
(なので、「はいはい、取り替えてもう一回寝ようね〜」と
さらっと流すようにしています)
私は親としてはまだまだ未熟で、
「少しでも早く慣れてほしい。そうすればそれだけ
楽しく過ごせる時間が増えるのだから」とどうしても思ってしまいます。
「いつか必ず慣れる」「その「いつか」は子供が決めること」
と子供を信じて、寄り添いつつ密着しすぎないという
心の距離の取り方がなかなか難しいなぁと考えているところです。
ゴールデンウィークが控えていますので、
ここでたくさんイチャイチャ(笑)して、長女の心を
軽くしてあげたいなぁと思います。
No title
こういう記事を読むと、息子が小さかった時のことを思い出します。
ほんとに子供は健気ですね。大人の期待に応えようと懸命です。
その健気さに大人はあぐらをかかないように、頑張ってる子供がいつでも甘えられるポケットを広げておいてやるのが必要なのでしょうね。
ちなみに小学二年生になってから、理由は分かりませんが、息子が少し甘えたり、しがみつきが出てきたり、大した事では無いですがちょっとゴネることが増えました。
4月だし、参観日でも少し気になる事もあり、ちょっと気を付けて見ていかないとなーと、この記事を見て改めて思いました。
通っている小学校はほぼ毎月参観日があります。
最初は、多いなあと、仕事も休まなきゃならないし…1学期に一回くらいで良いんじゃあ…と思っていましたが、毎日迎えに行く保育園と違って、参観日でもないと子供の様子が見れないし、子供との学校の話題も増えるので、今は頻繁にあって良かったなあと思っています。
親の仕事上の利便性と、子供の利害というのは、相反しがちだというのは常に心に留めておこうと思いつつ、つい忘れがちになってしまいますね。
返事は不要です。いつもありがとうございます。
みんな初めて
新学期のこの時期に、むーちゃんの入園に寄せて本当にタイムリーで有意義な記事を書いていただきまして、感謝します。何度もうなずきながら読みました。
>親が不安になっていると、子供は自分の不安だけでなく、親から伝染した不安までも重ねて引き受けなければならなくなってしまいます。
本当にそうなんです。0歳から保育園で育っている子どもたちでも、4月は担任が変わり、部屋が変わり、おもちゃや家具や道具や「やり方」が変わって、とても不安に感じています。そこへ保護者たちの「前の先生どうして持ち上がってくれなかったのかしら。子どもたちが可哀想。」みたいな、不安とも不満ともつかないようなささやきがあると、犬の如く鋭敏な耳でちゃんとキャッチして、子どもたちは不安を増幅させているように見えます。
その上、もっとよくないことに、その親の不安を解消すべく、保育者のほうがお迎え時の親の対応にばかり時間をかけてしまうと、その間放っておかれることになる、まだお迎えの来ていない子どもたちの、「かまってアピール」は、夕方の疲れとも重なって最大限になり、部屋はさまざまな泣き声の大合唱になることも・・・。
そんなときのため(?)の非常勤保育士の私は、手を変え品を変えの対応に追われます。自分に「どう、どう、どう。落ち着け。大きな声を出すな。気を逸らすには・・・」と心の中で声かけしながら、怒涛の夕方一時間が過ぎて行きます。子どもたちも、小さな身体で健気に不安と戦っているのでしょうね。
子どもも親も保育士も、4月は新たな出会いとよく知り合うまでの試練のときなんだな、と思います。
>だから、あとは子供を信じてその成長を喜んだり、認めたりすることを親としても楽しませてもらっています。
>まだしばらくは休み明けなど戻ったりすることもあるでしょう。
そういうものですからね、しかしそれもみんな乗り越えられることです。
あぁ、みなさんこんな親御さんばかりだったら、本当に子どもの不安も半減し、適応にかかる時間もぐっと短縮できるんだろうなぁ、なんて思います。
>子供を相手にしていていいと思うことは、子供はつねに成長の過程にいるという点です。
つまり、「昨日より今日、今日より明日は必ずより良い日」と思えることなんです。
「3歩進んで2歩下がる」でも立派な成長ですよね。
まったくその通りです。私に『希望』ということを教えてくれる存在です。
明日からもまた、大人の事情に絡め取られないように、真摯に子どもたちと向き合おうという気持ちにさせていただきました。
ありがとうございました。
まぐまぐさん
いちおう簡単に触れたところがここにあります。
http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-90.html
問題があるようなケースは、家庭内でも自分の感情を出すことができなかったりといったレベルでの人との関わりの困難さをもっているようなときです。
あの記事で述べているところの「信頼関係」と「人見知り」を結びつけるのはやや読み込みすぎであるように感じます。
信頼関係を持てないから人見知りをするというわけでもありません。
人に対しての信頼感を持っていないから、他者に心を許さないということはあるでしょうけれども、それは「人見知り」とはいいません。
子供というのはもともと人見知りなものです。
それは動物の本来持つ「警戒心」からくるものとも言えるかもしれません。
誰にでも笑顔を見せて、すぐなつくというような子は天真爛漫で可愛く見えもしますが、誰彼構わずほいほいついって行ったり、食べ物をもらって食べるというような子は、ある意味危険でもありますよね。
これが自然界だったら長生きできないかもしれません。
人見知りというのは、生存していく上で必要な一種の知恵でもあるのです。
人見知り、それ自体は自然なものなのです。
人間では、それがどの程度出るかはひとそれぞれ、つまり個性です。
まぐまぐさんは「人見知りは良くないもの」という先入観から、過剰に心配になって、あの記事の信頼感のところと結びつけてしまっているのではありませんか?
4歳とありますが、3歳クラスで4歳になっている子と、4歳クラスの4歳の子では人間関係の発達具合もかなり違ってきたりもします。
もし、最近誕生日がきて4歳になったばかりというような子であれば、まだそんなに他者との関わりがうまくなくても当然ですね。
>仲良く遊ぶまでに時間を要します
仲良くなったその後もその子との関わりに問題がありますか?
ないのならば対人関係上の問題はありませんよね。
>人見知りの激しい子どもというのは何か親の接し方に問題のある場合もあるのでしょうか?
これはありますが、おそらくまぐまぐさんの考えているようなものとは違うでしょう。
例えば、人見知りをしてしまう子に対して、それを治さなければとか過剰に心配の種にしてしまって、子供を肯定的に見てあげられない親の場合、子供が自己肯定感を持てずに成長し、萎縮して育っていくケースなどです。
こういうのはひどくなると、人見知りというよりも、自分への自信のなさから余計に他者との関係に臆病になったりします。
または、親の過干渉ゆえに自立心が削がれて自分から他者へ積極的に関わることが苦手になってしまうようなものもあります。
親が「この子は人見知りだ」と思っている子でも、自分の気を許した(親の介入しない)仲間関係の中では自然に自分を出して過ごせているというようなこともよくあります。
ずっといる友達関係の中ですら一言も発することができないとか、家族間でも自分の感情を出せないというようなケースでないならば、人見知りというのはその子の個性です。
過剰に心配して子供をどうこうしようと考えるよりも、「ああ、こういう子なんだな」と認めて、肯定してあげることからスタートするのが大切だと僕は考えています。
あさいさん
推測ですが、子供によかれと考えすぎるあまり「○○しなければならない」にとらわれてしまっているのではないでしょうか?
このコメントでならば、
>一度ダメといったことは撤回しないほうがいい、1歳でも話せばちゃんとわかってくれる
こういうのを気にしすぎてはいないでしょうか。
確かにこういうことも間違ってはいないのですが、じゃあ必ずできるかというとそんなことはないわけです。
そういう「○○すべき」「○○してはならない」ということを気にかける前に、忘れてはならないことがあります。
たぶんあさいさんはそれに気がついていないのだと思う。
それは「自分に嘘をつかない」ということです。
「子供によかれ」と思うことを優先するあまり、自分の気持ちを殺してはいませんか?
「嫌だ」とか「やめて」とか「困る」というような自分の感情からくる言葉を言ってはいけないと考えていたり、そういうことを言っていたとしても、それにたいして「してはいけないことをしてしまっている」と自分を責めたりしてはいないでしょうか。
子供と向き合うのに、自分の感情を殺していたらそれはそれはしんどいものとなります。
しかも、そのような関わりというのは、目の前の子供に響きません。
>危ないからだめと言いそうになったのをいずれ登るのだからと、下に布団をひきました。
こういうとき、「危ないからおりなさい!」と言っていいのですよ。怒って言ってもいいのです。
子供の安全のために伝えなければならないことを伝えているのです。
子供が怒られてびっくりして、泣き喚いたっていいのです。
ここでの怒るというのは、親としての感情の乗っかった言葉です。
そこには嘘はありません。
コップの例で言えば、「それは困る!」と真剣な顔、怖い顔をして伝えていいのです。
それで聞かなければ、「もうおしまいにします」と取り上げたっていいのです。
それで泣くかもしれません。
泣いていいのです。
そうやって親との関わり、取るべき行動というのを学んでいくのです。
感情を殺して子供と関わる人は、感情の乗らない言葉を子供に伝えるので子供は真剣に受け止めません。
それを積み重ねていくと、子供はスルーすることがうまくなり、大人の言葉には抑えた感情の代わりに、「うんざり」という感情だけがのることになります。
それは余計に子供と大人の結びつきを弱めていってしまいます。
子供のことは大切に感じているのでしたら、ちょっとやそっとの関わり方の間違いがあっても子育ては失敗しません。
いっこいっこの関わりにビクつかないで、自身をもってやってみるといいです。
もし、それが多少間違った関わりだとしても、自身をもってする関わりはそうそう失敗にはなりません。
また、修正することも可能です。
でも、自信のない関わりはいくらしても、なかなか積み重ねは残りません。
そもそもの積み重ねがないので、修正しようにもするものがありません。
今のままの関わり方だと、アウトオブコントロールな子供になっていってしまいます。
可愛がるべき時はしっかり関わって、「しっかり可愛がっている」という自信を自分に言い聞かせてみましょう。
しっかり可愛がって子供との絆ができていれば、いくら叱ったって、怒ったって、それは崩れるものではありません。
お腹の中でつながっていた我が子です。
遠慮することはありません。
嫌なことは「イヤ」、困ることして欲しくないことは「困る」「やめて」といえばいいのです。
そのとき自信のない言葉、おっかなびっくりの言葉では子供には伝わりません。
また、ただ言葉を口から出すだけで、本気で子供に伝えようと思っていない言葉だったらば、その言葉は子供の頭の上を通り過ぎていくだけです。
自分の想い、感情をしっかりその言葉に乗せて、目でもその感情を子供の目に注ぎ込んで、きちんと伝えるのです。
それができれば何度も言葉を繰り返す必要はありません。
繰り返し言葉もやはり子供の頭の上を通り過ぎていくだけです。
最初はしんどいかもしれないけれど、それをその子にしてあげられるのはほかの誰でもありません。
その感触がつかめるようにさえなれば難しいことではありません、いま苦しんでいることはなんだったんだろうと思えるくらいになりますよ。
キレママさん
僕が勤めていたあたりだと、3日もあったのは10年近くまえになるかもしれません。
各家庭の希望で慣らしをしてほしいということであれば、それはもちろん受けますが。
でも、住んでいるところの息子が通っていた保育園は考え方が古いので、気の強い子で泣き止まない子などの親には一ヶ月も慣らしで早迎えをさせていたりというところもあって、さすがにそれは保育士の力量がなさすぎなのを親に押しつけ過ぎだろうと感じたりもしました。
慣らし期間を長く設けずとも、環境を整え、適切に子供をきちんと受け止めてさえいれば比較的子供は適応できるものです。
このあたりは保育の程度にも大きく左右されます。
とはいえ、新入園は体調を崩したりもしやすいので、ほどほどに余裕は持ってあげられるといいかとは思います。
上記の一ヶ月も慣らしを要求するようなところは、地域的にまだそれが許容されてしまうから保育の方もそこまでレベルアップしないままでいけてしまっているわけですね。
しかし、保育の力量がないのに慣らしだけなくなると、結局大変なのは子供になってしまうのでそこは保育士が頑張らないとですね。
かげははさん
それで当たり前です。
2歳の子も、3歳の子も5歳の子だって、「家でお母さんと遊んでいるのと、保育園いくのとどっちがいい?」と聞けばみんな「家がいい」と答えます。
最良の保育をしていてすら、それが当たり前なんです。
でも、子供は大人が思っているほどの子供ではありません。
みんな本心ではそうは思っていも、大好きなお父さんお母さんが自分が保育園にいくことを必要だと理解しているから、口ではなんといってもきちんと理解して保育園に来ます。
子供はそれに対してなにも対価は求めません、ただ頑張っている自分を認めて欲しいだけです。
お子さんは1歳8ヶ月で、通い始めたばかりです。
それはそれは嫌でしょう。
でも、お父さんお母さんが子供を見たくなくて預けているのでなければ、きちんと理解してくれるはずです。
今からでも仕事をやめて家庭で見てあげられるのならば、子供への心配を大きくして「かわいそう、かわいそう」になってしまっても問題ないです。
でも、それができないのだったら、そこで気弱になってはかえって子供のためにはなりません。
「嫌だったんだね、私もあなたに会えなくてさみしかったよ」としっかり共感して、あとは一緒の時間をできるだけ大切にしてあげましょう。
そして家庭にいるときや、休日にはしっかりと休息して子供のからだと心に負担がかからないようにしてあげるといいです。
そのためには、親子共々ゆったりとした気持ちで過ごせることをこころがけるといいでしょう。
あとは時間が解決してくれることですよ。
ただ、なかには分離不安がとても強くて情緒面に問題がでてしまうような個別のケースもあります。
そう多くはありません。
可能性としてはあるということです、そういった場合は心のケアということが専門的に必要になるということもありえます。
基本的には上のように対応して見守ってあげるといいかと思います。
No title
自分でも何がこんなに苦しいのかわからなくてしんどかったのですが先生にご指摘いただいて、やっと、納得というかしっくりきた感じです。
元々、ダメダメ言い過ぎていてしかもかなり怒鳴るような叱り方をしていたところ子どもが何をするにもまず私の顔色を窺うようになり、以前より心から笑うのがなくなっていることにショックで、どうしたらいいのかわからずこちらの接し方を見よう見まねで実践していた次第でした。そうなんです、今度は私が子の顔色を見ながらおっかなびっくりで接するようになっていました。過去記事にあった、乳児期は可愛がるだけでいいという言葉をあやまった解釈でとらえてたみたいです。だから、やめて欲しいことがあってもいつも尻すぼみ。もっとシンプルに、自分がいやだとおもったことはいやでいいんですよね。明らかに投げる用途じゃないおもちゃ、たとえば積み木を投げるとか。あれから毎日寝る前にブログ読んでます。本当に出会えて良かった!毎日必死で行ってもあれはダメこれは駄目ばかりいって、しんどいばかりだった児童館通いをやめ、近所の保育園の園庭開放で砂場で遊んだり一緒に探索したりして楽しい時間を過ごしてます。また、わからなくなることもあると思いますがそのときはまた相談させてください。ありがとうございました。
またまた、すみません
大人になってもずっと、生きづらさ、どうにも埋まらない寂しさみたいなものがつきまとっていたんですが、こちらのブログを読んでいるうちにその原因というか、ただ、受容がほしかったんだなときづいて、楽になりました。なんだか、おとーちゃん先生に、わたしのなかでずっとずっと泣いてた小さな頃の私を大丈夫だよって慰めてもらったような気がします。ありがとうございます。なんだかとりとめのない文章になっちゃいました。子ども以前に人との接し方がよくわからない私ですが、たくさん愛して、ちゃんとそれが伝わるように努力します。顔色を窺うのはやめて、心を伝えたいです。
食事のマナーとか、他の人の目はひとまずおいとく。…でいいですよね?まだ自信がない感じですが。笑
ありがとうございます。育児、たのしみます。
いつもいつもお父ちゃんさんの更新楽しみにしています!頑張って下さい。
ありがとうございました
まさしく、私の娘に対するとらえ方・対応の仕方を指摘されていて
ドキリとさせられました。
おとーちゃんさんのおっしゃる通り、人見知りに対して私がいい感情を持っておらず(自分が昔人見知りで、そんな自分が嫌だったので)、過剰に反応していたのかも知れません。
ちょうど昨日も私の友人の子どもら6人が集まったのですが、他のお母さん達にも懐き、愛嬌のある友人の子らを見て、内心「はぁ・・・」と思っていました。
そういう私の態度を感じ取ってしまっていると思います。
自己肯定感の高い幸せな子に育てるのが一番の目標だったはずなのに、真逆のことをしていました。
今気づかせてもらって本当に良かったです。
このままだと自己肯定感の低い、委縮した子どもに育ててしまうところでした。
人見知りでもいい、そこも個性だとおおらかに受け止めてあげないといけなかったんですよね。。
本当に気づかせてもらってありがとうございます!!
これからもブログ楽しみに拝見いたします。
慣らし0なんてあるんですね…。無知ですみません。
うちの近所のその園は、かなりほのぼのとした所で、なので違和感を感じてしまったんですが、実際に見て知っていますし慣らしが短くなろうが大丈夫なように配慮した上だと思います。
十分な慣らしをしていても、うちのお兄ちゃんは一週間目の金曜日に高熱を出しました。
泣きもしないし、楽しんでいる風な彼も、色々と頑張っているんでしょう。
たまにポツポツ語る園の様子も解りずらいんですが、なんだろ~と想像しながら聞くのもなかなか楽しいものですね。
むーちゃんやお兄ちゃんの話題、続きの記事も楽しみにしています。
あさいさん
そして、自分が子供だった時にしてもらいたかったこと、望んでもしてもらえなかったことなどを、我が子にはしてあげてください。
自分が苦手なことを子供には克服させようなどと考えるのはつまらない余計なことです。
自分に自信がない人ほどそういうことを考えてしまいますが、そういうのは置いといていいから、まずは小さいうちにそれをやってみましょう。
そのことはきっと、お子さんにはもちろん、自分にもプラスななにかになって返ってくると思いますよ。
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保育のプロであると同時に2人のお子さんの親でもあるおとーちゃんさんの言葉は、毎日の育児で疲弊している私の心にもストンとはいってきます。いつもありがとうございます。
子どもの人見知りについて、お時間のある時に教えて頂きたいのですが。。
「保育園の子どもと幼稚園の子ども」記事の中で、
「大人への信頼感ができていると、集団生活への適応も容易である」というような内容があり、4歳の長女の人見知りで悩んでいた私としては、私(や周りの大人)との信頼関係が築けていないのではないか、、と不安になりました。
普段は天真爛漫で楽しい娘なのですが、場所見知り・人見知りが激しく、慣れるのに時間がかかります。
私の友人の子どもたちと遊ばせようとしても、仲良く遊ぶまでに時間を要します。(まあ初対面の子どもといきなり仲良く遊べという方が無理なのかも知れませんが。。)
生まれ持った性格もあるのかも知れませんが、
保育士の先生からみて、
人見知りの激しい子どもというのは何か親の接し方に問題のある場合もあるのでしょうか?
お時間のあるときに教えて頂けると幸いです。
宜しくお願いします。