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2023-03

子供を子供にする - 2014.04.26 Sat

多くの親の関わり方を見ていてしばしば思うのだけど、子供を一生懸命大人にしようとしているのだなと感じることがあります。







とくに子供への関わりが熱心な人、教育熱心な人などにそれは顕著です。

例えば、フラッシュカードなんかもそうです。

まだなにものもわかっていない0歳、1歳の子にフラッシュカードを使って漢字や英語を覚えさせようとするわけです。

その能力というのは、学ぶのは子供時代だとしても実用に供されるのはそれなりの年齢になってからのことです。

0歳、1歳の子供にまでひと足飛び、ふた足飛びで要求されることを持たせようとしてしまっています。


以前あった(いまもあるのかな?)、子供向け株式投資講座なんていうのはその最たるものですよね。

株式投資などというのは、完全に大人がすることです。
しかし、それを子供に要求しようとする親がいるわけです。

僕からするとこれは異常事態です。



そこまで極端でなくとも、最近では保育園に通う子にも多く見られるようになってきた小学校受験する子なんかもそうです。

別にそれが悪いというのではないけれども、親は子供の将来を考えてとか、子供の可能性が広がるようにとかのスタンスでいるのだろうけど、なんかむしろそれによって子供の可能性を狭めてしまっているようなケースもあるように感じます。




子供っていうのは、まず「子供」にしてあげることが大事なのだと思います。

なんか今の時代は、そこをすっとばして「大人」にするための訓練を子供に課してしまっているかのようです。


今の子供たちを見ていると、「無邪気」でいられなくなっている子が多いです。

子供の無邪気さが最初からないわけではなくて、大人が「大人」にしようとばかりしているので、それに合わせていくうちに、とても「無邪気」ではいられなくなっているかのようです。


「大人」になるというのは、実はそんなに難しいことではありません。
誰でも年齢さえ重ねればなれます。あたりまえなんだけど。(笑)


でも、大人が子供になるということはできません。

子供のうちしか「子供」にはなれないわけです。



たいていの子供は生産性というものを持っていません。
マコーレ・カルキンのように子供時代に莫大な生産性を獲得した子供というのもいますが、まあそれはまれです。ついでに言えば、彼が必ずしも幸せな人生を送ったわけではないというのも広く知られているでしょう。


「子供」というのは、生産性とは無縁な、無邪気な状態であっていいのだと僕は思います。
そしてそこでしか獲得できないものがたくさんあります。

それは当然、お金では換算できません。

でも、現代の大人は子供に「大人」になることばかりを望んでいるかのような節があります。

ルソーが『子供』概念を発見するまでは、現代的な意味での「子供」というのはなくて、「生産性を要求される小さい大人」だったのですが、そこを考えると、いまの「子供」をすっとばして「大人にすること」を求めてしまう子育ての仕方は、ルソー以前の子供に逆戻りを目指しているともとれます。

いまでも子供が兵士にされたりする社会があります。
子供が「子供」でいられるということは、実はとても幸せなことで、大切なことでもあります。




以前事例で紹介した、早期教育を熱心にさせられたけど小学校受験に失敗し、卒園式で突然下着や性器を見せる行動をとったという子は、その後小学生になって山ほどの問題行動を示すようになりました。

これは早期教育だけが問題だったわけではなくて、ただでさえ過重な保育時間に加えて頑張りを要求されすぎたことや、もともとの親の無機的な関わりというものが背景にあったのだけど、これなどもやはり「子供」でいさせてもらえなかったケースのように感じます。



子供はまず「子供」にしようと僕は思っています。
大人にするのを考え始めるのは思春期くらいからでいいのではないかな。


子供時代が充実している人は、大人になっても充実した人生をおくり易いのではないでしょうか。

その逆でも、うまくいくひともいるだろうけど、あとからは取り戻せないことだけに「やり残した感」というのを引きずることになったらそれはその人にとってけっこう辛いことだろうね。


僕は卒園式なんかでスピーチするようなときは、「あなたがたの子供時代が一日でも長く続くことを祈っています」というようなことをいつも話しています。

それは「自立できない大人」としての状態のことではないですよ、もちろん。

屈託なく、無邪気でいられる子供時代というのはそのひとそのひとの人生の代えがたい基礎になることなのだと思うからです。
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● COMMENT ●

No title

はじめまして。おとーちゃんブログ、検索で発見して以来、過去記事から読者さまコメントまで読ませていただいています。いつも助けられています。今回の記事も個人的に、考えさせられることがあり、おとーちゃんの言葉が(あ、勝手におとーちゃんと気軽によんでいますね。失礼しました)胸に響きました。
さて、相談があるのですが、、私には二歳二か月になる双子の女の子います。そのうちの一人が私の実母(こどもにとっては祖母ですね)をここ最近嫌がるようになりました。例えば、一緒に買い物に行き、手をつなぐ時も『ママ!』車を降りるのを手伝う時も『ママ!』一緒にごはんを食べる時も隣に座るのは『ママ!』などなど、、たまにご機嫌で手をつないだり抱っこをせがんだりしてることもあり、気のせいかと思っていたんですが、最近は嫌がっているのを目にすることも多くなりました。でも同じように父親や義父母に対してもそうすることはありますし、そうすること自体は悪いことではない、というかおとーちゃんがおっしゃっているように『ママが一番!』それで良い!と私自身が思っているのですが、悩んでいるのは実母の対応です。
嫌がられるたびに『え〜ん!悲しいよう!』とか、それならかわいいですが、面と向かって『じゃあおばあちゃんも嫌!』とか陰で『親のしつけがなってない』みたいなことを言うようになり、対応にとても悩まされています。。徒歩1分以下のところにある実家なので、ほぼ毎日顔を出して、遊んでもらったり、手伝ってもらっていましたので、行かなければ済む、という話でもないような気がして。。一度、『ママが一番なんだよね!にこっ』みたいな感じで返したら『そんなんじゃ、この子が苦労する!』みたいなことを言われ、今では言われっぱなしです。。。
過去記事で人見知り等で検索もして、読み直したりもしたのですが、こんなに身近な人への対応なんかはどうしていいか分からず、相談させていただきました。読者さまでももし、過去記事にこんなことが載ってたよー!とかあればぜひお教えください。。
ちなみに昨日は、双子が二歳二か月の今でもママ、ブーブ、くらいしかしゃべらないこと(大人がいってることは全て理解しています。あとは身振り手振りで伝えてきます)や食事の好き嫌い(といっても肉系等が苦手くらいです)があることまで『考えた方がいい』と言われたので(どちらも親である私と主人は気にしていません(^^;;))いい加減まいっています。。
何かアドバイスがあればお教えくださいませ。
本文に関係のない相談でとても長くなり申し訳ございません。

No title

こんにちは。

今回のお話、自分も気をつけないと、と思いました。
ただでさえ子供が一人のうちは、子供一人に大人二人という環境の中で大人視点に偏りがちなのに、成長期で注意や叱ることが増えると気づかないないうちにもっとそうなっているな、と思いました。

先日のアイデンティティのお話ですが、乳児期の子供のアイデンティティとは、母親とともにいることなのだなあと思いました。
保育園に行き、母親が仕事に行くということは、自分のアイデンティティが根底から覆されることで、それを乗り越えることは子供によっては本当に大変なのだと。
しかし、お父ちゃんさんのコメントのレスを読んだり、可哀想と思っても自分は仕事は辞めないし、もし私が専業主婦だったとしてもどのみち一年後には幼稚園に行くのかな、と思いドーンと行くことにしました。

私の職場復帰も終わって、自分が落ち着いたので、息子が我慢していたものを昨日から炸裂させていて、癇癪がひどいです。
彼なりに親が大変な時は必死で我慢してたんだとわかりました。

ここ二週間体調を崩して保育園に行っていませんが、こんな感じでお休みしながら癇癪しながら、慣れて行くものなんだろう。と思い気長にやって行こうと思いました。

お返事は不要です。
ありがとうございました。

No title

いつも楽しく拝見させて頂いています。
ありがとうございます。

今回の記事、同感です。
親はついつい、成長を願うあまり、早く成長することを
求めすぎてしまいますね。
肝に銘じなければと改めて思いました。

養老卓司先生が書いていらっしゃったかと思いますが、
『伝染病などが原因で、昔は子供というものは、簡単に命を落としていた。
日までとても元気だった子が、次の日急に亡くなってしまうこともよくあった。だから、子どもはその日一日を楽しく過ごせたと思うような日々を過ごすことが大切だ』と。

今は乳幼児致死率も低いですから、
子どもが急に亡くなることは昔よりもずっと少なくなってので、
つい、少しでも早く成長することを、
親は望んでしまうのかもしれませんね。

うちの子どもはすでに6歳ですが、
「つ」が付く年齢の間、9歳位になるまではせめて、
子どもであることを楽しんで、
その日が楽しく過ごせたと思うような経験をさせてあげたいと
思いました。

子供時代が1日でも長く続きますように。とても素敵な言葉ですね。私も同感です。

幼少時代の楽しかった思い出は本当に自分の中の宝物です。あまり記憶が良い方ではありせんが、それでも子供の頃家族で行ったキャンプでのささいなひとこまや、友達同士で即興で作った下らない歌や躍りなど今でもふと思い出しては暖かい気持ちになります。

目一杯、子供でいさせてくれた両親に感謝!
そして自分の子供たちにも大人になってからふと思い出して幸せを感じたりニヤッとしちゃうような思い出が沢山出来ますように。
そして何気ない毎日を楽しめる人になって欲しいなぁと思います。

少し話が脱線したような気もしますが…。
暖かい気持ちになりました。(前のむーちゃんの花占いもニンマリしちゃいました)ありがとうございます(^ ^)

なるほど!無邪気な子供時代に育つものっていっぱいありますよね!

自分が無邪気でいられて満たされているから、周りの子の気持ちを考えてあげられる余裕がでてきたり、自分が自分がっていう気持ちを抑えるだけのメンタルの強さがうまれるんじゃないかなって思います。

近頃感じる子供達の変化ってそういうところで生じているのかもしれません。

小さい頃から出来ることを求められて、こうあるべきを押し付けられて、子供らしくいさせてもらえないのかもしれませんね。

子供と向き合う時、つい言葉をいっぱい知っているようになってきたら
理詰めで説き伏せたくなる時があります。でも、それも、子供を子供として見ていないことになっちゃうんじゃないかって気がして来ました。
言葉いっぱい羅列されて理屈をこねられるのも、しんどいですよね。

ごめんなさい!なんか脱線してしまいました!

おとーちゃんの子供時代を少しでも長くのお話、私も今年の卒園式では参考にしたいなと思いました!
ありがとうございます!

そう願っているのに

なかなかできないでいます。
子どもでいさせてあげたい。けれども、、、

初めまして。私にはこの春から幼稚園に行き始めた3歳8か月の娘がいます。
赤ちゃんの頃から好奇心が旺盛で、自分も小さいのに小さい子の面倒を見るのが大好きで、今もそれは変わりません。

おとーちゃんさんのブログを、2歳になる前くらいに検索で見つけてから、過干渉にならないよう気にしてきました。というのも自分が過干渉で育てられたから敏感なんだと思います。私は乗り越えられていないので、育ちを乗り越えて素敵な子育てをされてるおとーちゃんさんを尊敬しますし、お子さんたちは幸せだなぁと思います。

今日はお考えを聞かせていただきたくコメントさせていただいています。
うまく伝えられるか心配ですが、どうぞよろしくお願いします。

過干渉な父親(私の夫です)がいます。娘に積極的に関わる中で、どうしてゴハンをこぼすんだ、どうして食事が終わったら手や口をお手拭きで拭かないんだ、どうしておもちゃのベビーカーを壁にぶつからないようにできないんだ、1回言ったらすぐやりなさい、などなど。。。
夫の言い分は、娘はこんなにたくさんのことを話し理解もしているのに(実際に私から見てもよく理解していると思います)どうして何度言ってもできないのか。できないのは母親(私)が甘いからだといい、できないのだからペナルティを与えてもさせるべきだと言うのです。私は、いつかできるようになる日を信じて言い続けるしかないと思っています。

娘は夫の言っていることをスルーしているように見えます。娘がとても大事にしているベビーカーを夫に捨てる!と言われた時は泣いて抵抗しています(実際は捨てていません)

娘は周りからしっかりしているとよく言われます。実際よく話し理解もしているし、挨拶や着替えや排せつなど、基本的な生活習慣は身についています。促せば幼稚園の準備もやろうとします。私がお料理していると、お手伝いある?と聞いてくるような子です。

私から見ると、なんでもできるがために夫にそれ以上を要求されてしまっている気がするんです。お友達と食べている時でも娘は上手に食べてる方だなど、折に触れ夫に伝えているのですが。

そういう私も時々怒ってしまい、娘に背中を向けてしまうことがあります。どうすれば愛していると伝えながら教えていくことができるのでしょうか。私の言動も、時にどうしても娘を拒否しているサインを出してしまっていると思います。そんな時娘は、お母さん怒っていても○○(娘)は宝物なんでしょと言ってきます。私が寝るときなどに、あなたはお母さんの宝物だと伝えているからだと思いますが、返事に詰まってしまいます。

そんな娘が大人をからかうような表情をするようになりました。お話を聞いてほしい場面で目を合わせなかったり、親が好まないことをして見つかった時には隠そうとしたりします。こういった娘の行動は、とても気になります。
それから、なんでも口に入れるというのはもうすぐ4歳になる子でもするものでしょうか。さすがに砂などはいれませんが、プラステンやおもちゃの携帯、紙をなめてベロベロにしていたのには驚きました。

夫とのアプローチの仕方が違いすぎて戸惑う日々なのですが、私のできることを娘にしてあげたいと思っています。おとーちゃんさんのご意見を伺い、自分でよく考えてみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

No title

感動できな記事です…。

いつも本当に学びがたくさんですが
今日の記事も
読んでいてじーんとしました

おとーちゃんのブログが
数多くの方に読んでいただけますように。

返信不要です。
これからも読ませていただきたいです。

noricoさん

これは子供の問題というよりも、大人の問題ですね。

子供についてであればある程度こういう対応でというのがあげられるのですが、大人の問題というのは相手により違いの大きなことでありなかなかこうすればよいというものも言えません。



一番簡単でもあり、一番難しくもあるのが大人の問題です。


子供は理屈や、言って聞かせるだけでは思い通りになりませんが、大人は話し合うだけで解決するということも可能ですし、また逆に話し合ってもテコでも動かないということもあります。


子供の発達段階からいったら、身近な祖母とは言え母親以外全員に拒否反応を示すなんてことはしばしばあるものです。
しかしそういうのは時期的なもので、時間が経てば変わってくるものです。

それに大人が目くじら立てていたら、それこそ本当にその人を嫌いになってしまいます。


子供の姿として何も問題ない以上子供をどうこうするということもできません。
ただそういう発達段階にいるというだけです。


あとは大人同士で話し合って、おばあさんには了見してもらうということしかないのではないでしょうか。

あおぞらさん

http://hoikushipapa.blog112.fc2.com/blog-entry-170.html
僕も以前にこんな記事をかきましたが、本当に子供が健康でいてくれるというのは、今の人には当たり前になっていることですが、それは人類や日本のこの社会が築き上げてきた大きな成果とでもいうものです。
世界ではまだ子供の命が日本の大正時代レベルの社会というのもあるわけです。

当たり前になっているものを意識し続けるというのは難しいことかもしれませんが、ときにそれが絶対に当たり前ではないということを思い出すのも大事なのかもしれませんね。

No title

今回の記事もいいお話ですね。
色々と参考になりました。
本当に子供らしく子供時代を謳歌してほしいものです。

この記事の言葉を借りれば、子供がどうあれば子供であれるのか、大人と子供の線引きが最近難しいなあと思っています。
年齢と子供の個性に応じた適度な発達はどれくらいで、親がどういう環境を整えればいいのか等々。

子供は基本的に背伸びするのが好きなので、それに大人が乗じて過剰な無理はさせないようにはしたいなあとは思っているのですが、子供が自発的に背伸びして何かが出来ると親も嬉しくてつい調子に乗って気付くと子供の顔が曇ってて、慌てて撤退するとかたまにあります。
まだまだ親に修行が足りないようです…。。

何かを自分の意志で自分のペースで納得行くまでやり遂げたという経験をたくさん増やしてあげたいなと、今回の記事を読んで、更に強く思いました。
ありがとうございます。

記事の内容と関係ない質問で恐縮ですが…

はじめまして。一歳女児の母です。

つみきのレビューを巡っていたらここにたどり着き、一気にほとんどの記事を読んでしまいました。文章もよくまとまっていて読みやすく、とても勉強になりました。

そこで先生に少し聞いてみたいことがありましたので、もしよろしければご回答ください。

質問:ベビーサインについてどう思いますか

私は面白半分でいくつかのサインを教えてみましたが、たまに「食べたい」サインをしていたくらいで、あまり実用化はしませんでした。保育園ではベビーサインはよくあることなのでしょうか。というのも、国内のベビーサインは何というか利益重視になっていて、やれお教室だ参考書だで好ましくなかったので、私はアメリカのサイトを見てアメリカ式のサインを教えたのですが、もし国内のベビーサインを教えていれば、母親だけでなく保育士ともサインで会話ができると言われたことがあるのです。また、聾唖の友人が子供と手話で会話しているのも見ているのですが、ベビーサインをする子と手話をする子(親が聾唖)では相違点はあったりしますか。単純な興味ですので、もし気分が乗れば教えていただけるとうれしいです。

虹さん

「過干渉」というのをされると、される側はする側に対して不信感を募らせていきます。

もし、大人が自分の力で充分できることに対して上司が事細かに口を挟んできたとしたら、その人は「自分は信頼されていない」と感じるでしょう。
そうすると、人はその過干渉をしてくる相手をどうしても信頼できなくなっていってしまいます。



僕からは正確にはわかりませんが、もしかするとそれと似たようなことが起こっているのかもしれません。


実際にその力がないのならば、過干渉されてもさして反動はでないかもしれませんが、娘さんはその意欲も力もあるわけです。

それに対してお父さんが強圧的な過干渉をしてくれば、その分不信感というのは増すでしょう。


もし、お父さんからのそういった強圧的な態度を虹さんも容認、黙認してしまっていると娘さんが感じていたら、虹さんに対しての不信感というのも芽生えてしまうかもしれません。

「お母さんはなんで私のこと守ってくれないの??」と。



これまでも口に入れたりなにかをなめるという行動が昔からあったというのならば、単なるクセということもありますが、急に出てきたというのならば、ストレスに対してのものであるということも考えられます。

その場合もしかするとその強圧的な過干渉のストレスが、心の中では処理しきれなくてそのような行動面としてでてきているとも見えます。




「最も対処が簡単で、もっとも難しい」のが大人への対応です。

お父さんと話し合って、そのような過干渉が子供のためにはならないことを理解してもらったほうがいいと思います。

女の子の心の成長というのは早いです。
いま大人の関わりを変えなければ、相当あとまで引きずる問題となることだってあります。
(僕は少なくとも過干渉全部を急になくすのは無理でも、「娘がとても大事にしているベビーカーを夫に捨てる」こういった強圧的な過干渉だけでもこの1年以内になくす必要があると思います)


しかし、性格・生育歴その他で自分の子供への関わり方を変えられないという大人も少なくありません。
その場合は虹さんが娘さんの味方であるという姿勢だけでも見せないと、精神的なバランスが保てないのではないかと思われます。


女の子というのは、むしろ父親をとても尊重する傾向をもっています。
それゆえに、父親からダメ出しを重ねられるのは余計につらいでしょう。

すぐ全部とは言わなくても、可能な限りお父さんには理解してもらって少しずつでも関わり方を考えてもらったほうがいいのではないかと思います。

これはあとあと思春期のころまで引きずる問題ともなりかねません。思春期でこじれれば今度は一生の問題です。


将来子供を家庭につなぎとめるのは、子供が親に対して持つ信頼感だけになります。

もし、それのないまま年月がすぎてしまったら、そのときになって後悔しても遅いです。



>そんな娘が大人をからかうような表情をするようになりました。お話を聞いてほしい場面で目を合わせなかったり、親が好まないことをして見つかった時には隠そうとしたりします。こういった娘の行動は、とても気になります

こういった行動も、大人への信頼感の薄れが引き起こしているという可能性が大きいです。

もしそうならばそれはサインです。
それを叱って改善しようなどと思うと逆効果になってしまうでしょう。

大人が変われば子供は変わります。

子供のご機嫌を取るような必要はありませんが、理不尽な関わりというのはやめていったほうがいいでしょう。

もうすぐ4歳ということですから、この一年が分かれ目になりますよ。

ありがとうございました

保育士おとーちゃんさんへ

お返事ありがとうございました(本メールへの返信は不要です)。
過去の記事を拝読いたしました。

たった2~3世代前でも、今とは全く違って、
まだまだ、子どもが簡単に命を落とす時代だったんですね。

貧しくはあったけれど、
むしろその頃のほうが、子どもが子どもらしく過ごせていたのかも
しれませんね。

当時、うちの祖父は仕事が終わると、
縁側で近所の子どもと碁をしたりして楽しんでいたと
父がこの間、話しておりました。

今の時代も本当は、そのようなゆとりが欲しいですね。

はじめまして

いつもブログを参考にさせていただいております。

私には1歳半の娘がいます。
つい成長ばかりを願ってしまい、「子供でいさせてあげる事」の大切さに気づかずにいてしまいました。

特に0〜2歳までは、心を安定させるために大切な時期・・・とあるので気をつけているつもりなのですが、自分が過干渉になってしまっている自覚があり とても辛いです。

私は親から虐待を受けて育ったため、「絶対に叩く事は良くない。優しく接しなければ」と強く思う傾向にあり、叩かずに育児が出来ているのはいいのですが、どうしても「叩かない育児=優しく指導=言葉で分かるまで説明=過干渉」の思考になってしまいがちのような気がしています。
↑そもそも、1歳半の子供に「指導」って考えてしまう事がいけないのでしょうね・・・

どうにか今の子育てを改善していきたいと思うのですが、自分がされてきた子育ては全く参考にならず、「最低限ダメな事はわかってても、その方法以外でどうすればいいかが分からない」という状態です。

「降りようね」と伝えているのに 子供がローテーブルに何度も乗ってしまったり、雨よけのカバーを全力で嫌がられ 結局びしょ濡れで家まで帰らせる結果になってしまったり、散歩の時に もう時間も遅くて帰らなければならないのに 別の方向に行きたがって手をつないだまま座り込みをされてしまったり・・・

安全や危険に関する事でなければ「〜ねばならない」にせず 意思を尊重すれば良いのか?
それとも たとえ1歳児でも「ダメなものはダメ」で通せばいいのか?
日々の細々とした事すべてがどうしたら良いか分からず、そのたびに困り果ててしまいます。

危険度の低い「して欲しい事」に関してですが、言っても聞き入れてもらえなかった場合、その後は具体的にはどのように対応したら良いのでしょうか?
1度伝えてダメだったとしても 冷静に何度も言い聞かせ、ひたすら待つしかないのでしょうか?
それとも、「言って待っても伝わらない」と思った時点で 少々無理にでも実行させなければならないのでしょうか?

本来なら 冷静に言っただけでもちゃんと伝わるくらい親子の信頼を築いておくのが理想なのでしょうが・・・
自分では精一杯頑張ってきたつもりでしたが、残念ながら今までのやり方が良くなかったのために 今こうして苦労しているのかなぁ?と思ってしまいます。

長くなってしまい申し訳ないのですが、何かアドバイスをいただければ幸いです。
宜しくお願いします。

fugacoさん

僕はあまりベビーサインについて詳しくありません。

悪いものではないと思いますが、僕自身はサインを使わずとも赤ちゃんの意図することを感じたり、伝えたりすることに不自由を感じたことがないからです。それは同じく保育士をしている妻も同様だと言っておりました。

表情やしぐさ、ことばそういうものと数多く接している経験によるものなのでしょうか。その辺りは自分でもよくわかりません。


ただ、サインを使うことで、親子でのコミュニケーションを育んだりするというのはそれはそれで良いことだと思います。


なによりいいのは、一般的にどうも思われがちな点。
「小さい子はどうせ言ってもわからない」という偏見を、実際にベビーサインというコミュニケーションを赤ちゃんのうちから使うことでなくすことができるということです。

その子供の意思を尊重するということを赤ちゃんのうちから始められたというアドバンテージは、その種の偏見にとらわれてしまうことと比べたら子供の成長に大きくプラスになるのではないかと感じます。

興味関心は子供によりけりということもありますし、それができなければなにか問題があるというものでもありません。時期が来れば言葉に代わるものでもありますし。

好みにより、興味により、出来る範囲で楽しめればそれでいいと思います。

はじめまして。長文失礼いたします。

いつも読ませていただいています。今までも何度も相談させていただこうと思っていたのですが、文章力がなく上手くまとめることが出来ないと思い相談出来ずにいました。。でも先程、虹さんの相談コメント読ませていただいて私の5歳4ヶ月になる息子のとる行動に少し似ているところがあり、手遅れになる前に何とか変わりたいと思いましたので相談させてください。
私はおとーちゃんさんのブログを拝見するようになってから1年くらいになります。次男の妊娠中に切迫流早産でずっと安静だったので、長男の気になる行動を調べておりおとーちゃんさんのブログにたどり着きました。それまでは、ただただ「何で私の息子は育てにくいのか…」と毎日思っていました。でもブログを拝見していくうちに、それまでの私がダメだったと思ったんです。うまく伝えられるかわかりませんが、よろしくお願いします。※時間的余裕がある日はコメント欄も拝見していますが、余裕のない日が多くブログを開けない日もあるのでまだまだ追いかけながら読ませていただいている状況です。すみません。

私の祖母と父親、主人(婿養子)と長男5歳4ヶ月(年長クラス)、次男11ヶ月の6人家族です。
祖母の入院の関係で、長男が1歳半の時から(退院後も私が仕事をしたので現在まで)保育園に通っています。
私の育ちが関係あるのかどうかわかりませんが、、、
私の両親は幼い頃離婚していて、父親と祖母に育てられました。祖母といっても40代で祖母になったので当時はおばあちゃんという感じではなく周りからはお母さんによく間違えられていました。2人とも働いていたのですが、田舎のため兼業農家です。小さい頃から土日は手伝いでした。手伝わないと、「自分が子供の時は休みなんかなかった。よその子は手伝いして賢い」と何かにつけて比べられいました。もちろん勉強についても、よその子は…と比べられました。習い事は「母親がいてないからさしてもらえへんって言われんのがかなんやろう」と、周りの子達と同じだけさせてもらえました。多分祖母のさせてやってるという自己満足だったんだと思います。何か悪いことをして怒られるときは、必ずと言っていいほど、「そんなんやったら、よその子になれ!!」とよく言われていました。
この過去のことを私は長男を出産するまで気にもせずいたのですが、出産してからというもの、子供の頃に祖母からいわれて凄く嫌だった事等をよく思い出してしまうようになりました。なので自分が嫌だったことは言いたくないし、自分の子供にもそんな思いは絶対させたくないと思い育児してきたのですが、、自分の感情がコントロール出来ず、よく怒鳴ったりしてしまい、少し時間が過ぎてから自己嫌悪になるというのを繰り返しています。。今まで気が長い方ではないとは思っていましたが、私自身こんなに短気でと嫌になっています。
祖母が病気で家事が出来なくなった為、長男が6ヶ月の時に実家に帰ってきました。同時に私のストレスも増えて、子供にあたるのは駄目だとわかっているのに、どうしてもイライラする毎日で…。おとーちゃんさんの言われている、いわゆる過干渉だったと思います。何かにつけ、“あれは駄目これは駄目。こうしなさいああしなさい。”と言っていました。怒るときも「何でそんなことできないの!!○○君は出来てるのに!!」と、私自身言われて嫌だと思っていた言葉をそのまま息子に言ってしまっていたんです。
長男は早生まれで小粒ながらゆっくりではありましたが順調に成長してきました。言葉もゆっくりで2歳過ぎてから言葉数がだんだん増えました。今思えば私の関わりが希薄だったからなのかもしれません。トイレトレーニングも保育園の先生からのプレッシャーはなかったものの同じクラスの同じクラスのママさんからの「○○君(息子)はまだできへんのー?なにできる?これはできる?」などのプレッシャーがあり勝手に焦っていたのもあります。尿意は早くにわかっていたのですが年少クラスの夏位にオムツが外れたのですが、その後半年くらいの間は保育園でもトイレには頑なに行こうとせず、ずっとトレーニングパットを使っていました。家でも初めてトイレでおしっこしたときにはパニックかと思うくらいに泣き叫んでいました。トレーニング期間中もトイレには座るのですが、おしっこを出すのが嫌と言って(尿意はわかるので)漏れそうになるのを手で押さえて我慢していたこともあります。結局保育園でトイレでおしっこを出来るようになったのは年中でした。同じ頃給食での牛乳も初めは頑なに嫌がり飲もうとせず、一口から始めてそれも一年近くかけて飲めるようになりました。ただ保育園では小さいストロー付きパックなのでストローで飲む練習もしました。他の飲み物はコップでもストローでも飲めるのに牛乳だけはどうしても飲んでくれなかったのです。(牛乳自体は嫌いではないのですが、1歳になった頃牛乳を飲むと何日も下痢が続いてしまったので合わないと思い飲むのやめような。と話していた時期があったのでそのせいもあるのかも知れませんが…)私的にどちらも年少で出来ないとダメという思いよりは、家で出来ていたのになぜ?トイレには入れるのにおしっこを我慢してまで出そうとしないのはなぜ?飲めるのになぜ?という所が気になり、発達相談の先生に相談したこともあります。が、この子なりのスピードで順調に成長していますと言っていただきました。また保育園から帰ると夕ご飯の用意や他の家事があるので、父親が毎日見てくれていました。帰ってから一緒に遊んだという記憶が思い出せません。このことも問題があったのだと今更ながら思います。。
また虹さんの相談コメントにあったように、うちの息子は4歳位から悪いことをして怒られると思ったときはそのことを隠すようになりました。また怒るまでいかなくても、注意しようと名前を呼んでも、怒られると思ったときは返事すらしなかったり目を合わせようとしません。他にも怒られそうなことをわかっているのにこちらの様子を伺いながら“あえてする”ときもあります。5歳なので口も達者なので憎たらしい言い方もするのでそうなると、注意しようと思っていたことをさておき何ではなしが聞けないのかとまた怒鳴ってしまう始末です。。
また今まで気になっていたことですが、年中クラスの頃から小さい虫など放っておけば気にならないような(蟻やクモなど)虫をあえて踏みに行ったり、殺したり。家の中で遊べば、パーツの外れる人形を使って人形同士の頭をぶつけたり、頭や手や足を全部はずして小さい子の遊びとは思えない使い方をしたりと気になっていました。急に幼稚言葉を使ったり、ご機嫌取りのように「ママ好き~」と言うときもあります。おもちゃに関しても年少クラスの頃はライダー系には興味はなかったのですが、周りの影響もあり、テレビを見るようになってからは今では家のおもちゃはライダー系が多く、その殆どはモノ凄い音が鳴ります。ライダー系のおもちゃを持ちながら触りながら、トー○スをみたりするので、どっちか一つにしたら?と言うのですが、その時だけでいつもいつも同じ事を言っています。コマなし自転車の練習に行くときもライダー系のおもちゃを必ず持って行こうとするので、「転けたら危ないし今は自転車するんやから置いて行き」と言うのですがこれも毎度です。もちろん買い物に行くときも出かけるときも畑に行くときですら持って行こうとします。常にガチャガチャ触って音がするので聞いているだけでイライラします。真剣な話をしたり怒っているときも他に気が散ってしまうのかキョロキョロして落ち着かず手も何かしら常に動いているので、そこで又「ちゃんと聞いてんの?!」と一喝です。最近では一喝しても長男は「ふーんだ!ママの話聞かなーい!」と耳を塞ぐこともあります。何かにつけて「ママはいいなー。パパはいいなー。(悲観的な感よくいいます。どうせ○○(長男)ばっかり…」とよくいいます。満たされなさからのモノへの依存なのでしょうか??今日は義母経営の店につれて行ったのですが、缶コーヒーやペットボトルに付いているオマケの車などが置いてあったりするので、勝手に棚の中や引き出しを漁ったり何かおもちゃはないかと色んな所を漁ったので帰りの車で凄い大声で怒ってしまいました。今までも店に着く前から毎回「しないよ。駄目やで。」と話をしてから店には行っていたのですが、興奮したり舞い上がってしまうと話していたことが吹っ飛んでしまうのか、名前を呼んでも聞こえないし聞こえても話を聞かないのです。私の知り合いに手癖の悪い人がいたので、5歳といえども勝手に他人の鞄を触ろうとしたり、お金が入ってるところをわかっていて開けようとしたりすることもあるので私の子供もそうならないかと心配です。お金には凄く興味があるようで、「お金は大切やからちゃんとなおしとこう」と言って貯金箱に一緒に入れるのですが、私のいないところで出しておもちゃにして(トラックの積み荷にしたり)遊んだりしています。こういった息子の行動全てはやはり私からの満たされなさかくる行動なのでしょうか??
過疎地域のため周りに子供が少なく私の幼い頃のことを祖母に聞いても覚えてないと言うのでざっくりでも“子供ってこんなもの。4歳児5歳児ってこんなかんじ”というのがわからないのです。こちらのブログで乳幼児期からの母親との向き合いが大切なのはよく理解したつもりなのですが、幼児期?(4、5歳児~)の相談コメントや対応などが記載されているところを見つけることができませんでした。私自身がそ乳幼児期に息子とうまく関わってやれなかった結果今の息子になってしまったのですが、凄く後悔しています。今すぐにでも始められる困った行動に対しての具体的な対応策などを教えていただきたいのです。
私は子供と遊ぶことが苦手です。どういう遊びなら喜ばせるのかわからないです。なので、おとーちゃんさんがおっしゃっていた先回りした関わりもやっていますが、次男がまだ授乳中(離乳食3回+今もまだ1日8回くらいはおっぱいを欲しがります。夜中もです)というのもありなかなか時間的気分的に余裕がなくゆっくり関わってやれません。授乳のピーク時は15回くらいでしたが家事も頼るところがなく精神的にも参ってしまい毎日イライラし通しでミルクに切り替えたいと思い試したのですが次男は受け付けてくれず、8、9ヶ月の頃までずっと1日12回授乳と家事で長男には我慢させっぱなしでした。最近やっと落ち着いてきたので、遅くはなってしまったけど、どうにか私が変わりたいという思いから相談させていただきました。大人が変わると子供が変わると以前にそのような記事が合ったと思うのですが、ここまで来てしまった私たちでもまだ修正は可能でしょうか??
この大人が変わる=私が変わるだと思うのですが、どのように接していけばよいのでしょうか?5歳4ヶ月になってしまった今更遅いでしょうか?またどのくらいの期間で様子を見ていけばよいのでしょうか?
私は自分自身に自信がありません。子供の頃からほめられた記憶もなく長男に対してもどういう風にほめてあげたらいいのかわからない時もあります。今まで本当にダメ出しばかりだったと思います。
主人には私は何のことでも気にしすぎるところがあると言われることもあります。保育園の先生には「お母さんは慎重ですね」と言われました。父親には何度か「お前は子供を怒りすぎる」と言われたことがあります。でもその時は気付けなかったんです。そして今気付いているのに、おとーちゃんさんのブログで照らし合わせてもどうすればいいのか、何からしていけばいいのかがわからないのです。長男に「ママのどこが嫌?」と聞くと「ママの口。優しく行ってくれたら聞く」と言うのですが優しく言っているときには何度言っても聞いてくれません。。自分が本当に情けないです。
でも出来ることからと思い、最近は暖かくなってきたし授乳も少しだけ落ち着いてきたので保育園のお迎えまでにご飯の用意を出来るところまでしておき、帰ってから少しでも遊べる時間を取れるように頑張っているつもりです。それでも30分~40分ですが…何か用事で出来なかったりすると、「今日は遊べへんのー?ママの意地悪ー!」と説得するのが大変です。
こんな状況ですが救いなのは、長男は次男にとても優しく接してくれます。

やはりまとまりのないわかりにくい相談になってしまい申し訳ありません。どうか宜しくお願い致します。

再度すみません。

記入もれです。すみません。。

食事面ですが、好き嫌い自体は少ない方だと思います。利き手はメインは右だと思うのですが、時々左手が出たりすることもあります。食事面では右手で箸を持っているのに、左手で触ったり掴んだりして殆ど手で食べています。食事中のテレビは去年から消していますが、食事中に何度も何度も立ち上がったり、違うことをしたり気が散ってばかりで一度として最後まで座ったままスムーズに食べ終わったことはありません。都度座ってだの箸持ってるのになどの小言ばかりなので食事の時間が苦痛です。

ここまでくると、音のでるうるさいおもちゃを離すのは無理でしょうか?離すことによるストレスの方が大きくなったりするのでしょうか?ライダー系のおもちゃは出来ればなくしたいと思っています。
おとーちゃんさん紹介のラキューや積み木等も買ってみたのですが、ライダー系のおもちゃの存在感に負けて殆ど姿を見ません。あと次男も音がでるものに興味が出だしたので、どうにかしたいと思うのですが…
年長児に合ったおもちゃはどういったものがありますか?普段は一階で遊んでいるのですが、使わなくなったおもちゃを二階にしまっているのに、自分でだしてきては部屋中おもちゃだらけで片付けないのでどうすればいいのか悩んでいます。今の息子には合わなくなったおもちゃやから出さないでと言っても、「じいちゃん行こー」と一緒に誘って出しにいっています。父親も初めは駄目というのですが、結局「ママはあかんていうてたやろう」という感じて終わりです。次男も使うであろうものもあり捨てるわけにもいかず、困っています。。

今まで何のことでも怒るときとそのあとは、「ママがあかんて言うてる」とママ以外はその言い方ばかりでした。
子供はママだけがうるさくいってると思っているようです。

すみませんが宜しくお願い致します。

ベビーサイン

ご回答ありがとうございます。

なるほど、特に害は無いんですね。一歳になってからは、投げキッスやテヘペロなど、ちょっとふざけたサインを教えて遊んじゃっています。

どんなに小さな子にもその子なりの考えがあり、一人の人として尊重しなければいけない、というのは最もだと思います。
先生は数多くの経験があるのでうらやましいです。私は自分の子ですら何を求めているのか分からないことがありますよ。でも分からないものは仕方がないので、本人にもそう言って謝っています。

最近、アスペルガーの漫画家さんが自身の幼稚園時代を描いた漫画を読んだのですが、周りから見たら理解できない行動にも、それぞれ理由があるというのがよく分かります。先生も記事中でいろいろな事例を紹介されていますよね。

あまり先入観に囚われることなく、これからも子育てしていきたいと思います。記事の更新楽しみにしています。

チェリーブロッサムさん

ご自分の育ちを乗り越えようとなさっているのはとても大変なことだと思います。
でも、それをしようとしているチェリーブロッサムさんは立派です。


「過干渉」を自分で気をつけることでセーブできるのならば、それはそれでよいでしょう。
でも、過干渉だから子供が育たないかというとそんなことはないわけです。

どこかでバランスがとれさえすれば子育てはそれなりにやっていけるものです。


厳しくしつけられてきた人や、叩かれて育ってきた人の中には、「子供を適応的な姿にしなければならない」という気持ちが強くなることがあるようです。


>安全や危険に関する事でなければ「〜ねばならない」にせず 意思を尊重すれば良いのか?
それとも たとえ1歳児でも「ダメなものはダメ」で通せばいいのか?
日々の細々とした事すべてがどうしたら良いか分からず、そのたびに困り果ててしまいます。


これらをどうするか以前に、まずこの年齢の子供はたくさん可愛がられていれば間違いはないです。


ここでのコメントの相談では、「困った行動をした時の対応」というのが中心になっていますが、それは実は二の次でいいです。


しっかりと可愛がっておけば、そういうときの対応がうまくてもへたでもなんとでもなります。

なので、そういう問題にあたったときではなくて、普段からその可愛がるということを重視してみてください。


それは一種の保険であり、貯金になります。

もし、子供に対しての対応がまずかったとしても、その保険・貯金が利くので問題がでない方に作用してくれます。


暴力的な虐待を受けた経験があって、過干渉気味になってしまう人(子供のひとつひとつの行動が気にかかるタイプの人)というのは、これから子供が大きくなったときにいまよりももっと子供の姿から感情が波だってしまうことが起きる可能性が通常よりも多くあります。


そのときイライラしたり、よしんば手が出てしまったとしてすら、今の時期にたくさんかわいがったことが保険となり・貯金となり問題を小さくしてくれます。
もちろん、そうならなければそれでいいのですが。



また、しっかりかわいがっておくことは、親が自分に対する自信となります。


「これまであれだけしっかりとかわいがったのだから、強く叱っても親子の絆はゆらがないのだ」そう思うことができます。
この自信をいまのうちからの積み重ねで親自身が獲得できると、今後も子供への対応にブレず毅然としてのぞむことができます。


そんなこんなでまずは、今の時期は「○○すべき」よりも「かわいがること」に重点をおくことが大切です。



つぎに

>安全や危険に関する事でなければ「〜ねばならない」にせず 意思を尊重すれば良いのか?
それとも たとえ1歳児でも「ダメなものはダメ」で通せばいいのか?
日々の細々とした事すべてがどうしたら良いか分からず、そのたびに困り果ててしまいます。

これらの質問をみていきます。



>「〜ねばならない」

まずこれの基準はどこかということがポイントです。

過干渉の人は、「世間の基準」に照らし合わせて「○○せねばならない」「○○してはならない」ということを重ねる人がいます。


「自分では判断つかないけど、周りの人はこれを快く思わないだろう」とか「世間で言われるからこれはさせないといけないだろう」

などの、絶えず他者の目を気にして子育てをしているか否かというところをチェックしてみてください。


この他者の目を気にして、子供への干渉を重ねるようになっていると、やっている親もとてもしんどいですし、まずたいてい確実に「過」干渉になります。

もし、こうなってしまっているようだったら一旦そういうのはおいておいたほうがいいでしょう。

ことさらそういうことを細かに気にせずとも、1歳半の子は社会的に問題のあるようなことをすることはありません。

自信がなくとも物事の判断の基準というのは、親自身の「自分」でいいのです。


それで判断して、それでも子供にその行動を「させるべき」「させないべき」という種のことであるならば、そこは毅然として言えばいいでしょう。


自分の感覚で判断して、それをさせててもいい、させなくてもいいと思えることであれば、それでいいのです。



>1度伝えてダメだったとしても 冷静に何度も言い聞かせ、ひたすら待つしかないのでしょうか?

子供に言いなり気味のような人だったらば、↑これでいいけれども、もともと過干渉気味の人がこれをしたらそれはやっぱり「過」干渉になるよね。

それが子供にもたらす結果は、親の言葉をスルーするようになるという可能性が高くなってしまいます。


「言い聞かせる」というのもケースバイケースなもので、過干渉になって子供がスルーするようになる(信頼関係を低下させる)ということをするくらいならば、(それが自分の感覚でさせるべきと判断されたことならば)大人が毅然として、大人の強権でいいからさせてしまったほうがいいこともあります。


普段しっかり可愛がっているのであれば、この無理やりさせるということをしてもネガティブな問題というのはさして気にすることはありません。

それよりもスルー(信頼の低下)というほうが避けるべきことです。


>日々の細々とした事すべてがどうしたら良いか分からず、そのたびに困り果ててしまいます。

繰り返しになるけれども、ここは他者の感覚でなくて、自分の感覚でもって自信をもって対応していくことです。
他者の感覚を意識していると、ほんとうにどうしたらいいのかわからなくなるし、対応にブレがでます。

子供もネガティブ行動が多くなり、結果的にイライラや叩きたくなる衝動を抑えることで、子育てが行き詰まってしまいます。


いまの1歳という年齢では、「すべきでないこと」といってもたかが知れています。
ですからそこでの対応はやっきにならなくても大丈夫です。

とにかくいまのうちにしっかりとかわいがっておくことです。

しっかりかわいがられた子供は、わがままでもやんちゃでも、幼くてもあとからどうとでもなります。

追記 チェリーブロッサムさん

>「降りようね」と伝えているのに 子供がローテーブルに何度も乗ってしまったり、
>雨よけのカバーを全力で嫌がられ 結局びしょ濡れで家まで帰らせる結果になってしまったり、
>散歩の時に もう時間も遅くて帰らなければならないのに 別の方向に行きたがって手をつないだまま座り込みをされてしまったり・・・

これらの行動はチェリーブロッサムさん自身はして欲しくないと思っているわけですよね。

だったら毅然と子供の意志に反すればいいのです。

普段可愛がっていさえすれば、どれだけ意志に反したところで、泣いたところで、なんの問題もありません。


むしろ、「ネガティブな行動で自我を満たす」ということを学習させてしまうよりもよほど必要なことです。

このあたりに関しては、成長期についてかかれた『魔の2歳児』 カテゴリにあるとおりです。


「しっかり可愛がりそれに自信を持ち、毅然と対応する」でいいわけです。

さらに追記 チェリーブロッサムさん

とはいえ、それらを厳密にやらなくてもいいんです。

子育てには「おおらかさ」が大事です。



子供が帰りたくないとゴネる時、イヤイヤつきあうのはさしてプラスにもなりませんが、「急いで帰らなくても、じゃあ今日のごはんはレトルト食品でいいかー」と開き直ってしまって、気持ちよくそれにつきあってあげれば、そのときは大人がみせる気持ちの余裕などを子供は感じ取ってそれで満たされるということがあります。

これならばプラスになります。


子供の育ちは「今」が終点ではないので、あとからでもなんとでも軌道修正することもできるものです。

なので、あせらないでおおらかにいくと、大人も楽になりますし、子供にも余裕ができます。

そうやって、子育てをしんどいものから楽しいものにしていけるといいです。

ありがとうございました

とても丁寧にメッセージしていただき、本当に参考になりました。
一つ一つ、じっくり読ませていただきました。

おっしゃる通り、私は「子供を適応的な姿にしなければならない」という気持ちが強いと思います。
が、今まで自覚できていなかったので こうして気づかせていただけて本当に良かったです。

色々と考え過ぎてしまい「どうしたら良いかわからない」という状態だったので、これからはあまり固く考えすぎず「まずはたくさん可愛がる」という気持ちを強く持って娘に接していきたいと思います。

また、今は自分の育児に自信がない状態なので「これまであれだけしっかりとかわいがったのだから、強く叱っても親子の絆はゆらがないのだ」と思えるよう、プラスの貯金もたくさんしていきたいです。

こちらのブログの過去記事や今回のメッセージを参考に娘と過ごしていましたら、まだほんの数日ですが お互いの関係に少し良い影響が出てきた気がします。

まだ先の長い子育てですが、 おとーちゃんさんのブログを参考に 良好な親子関係を築いていけるよう日々を過ごしていきたいと思います。

お忙しい中、本当に本当にありがとうございました。

いちごママさん

まずはじめにですが、文章上手ですよ。
これだけ長文だと、ストーリーラインがバラけるものなのに、それが一貫しているのでとても読みやすかったです。

コメント読んで僕が思うのは、これはもう「自己肯定感」を高めていくことに尽きると思うケースです。


なのだけど、その前にひとつ。


いちごママさんが、怒ったり、叱ったり、イライラしたりするということで自分自身で責めないようにすることをちょっと気に留めておくといいと思う。

僕も大変ヒステリックな母親に育てられたので、子供を相手していて感情が荒ぶってしまうというのがよくわかるのだけど、そこで自己嫌悪になっているとこれはもう辛いし、そこで堂々巡りをしてしまうので、なかなか前に進めません。


子供との関わりというのは、「バランス」なので、どこかでマイナスをしても、別のどこかでプラスをすればなんとかなってしまうものです。


なので、怒ったしまったりということがあっても、それを否定しないで、気にやまないことです。




子供は自己肯定感が欠如すると、返って大人が困るようなこと怒るようなことをしてしまうようになります。
そうすると余計に怒られたりして、自己肯定感が下がってしまうのだけど、どうしても子供は自分でそれをどうすることもできません。


なので、ここは大人の方から子供を「認める」「肯定する」というアプローチをしていかないとなりません。


これについては「認める」や「自己肯定」で過去記事を検索してみてください。



とはいえ、なかなかこの認めるというのは難しいですよね。


例えばこんなやり方もあります。

・息子さんが小さかった頃のこと、赤ちゃんだった頃のことを話してあげる。そのときいちごママさんがどう感じたなんかも入れるといいでしょう。

こういうのを、一緒にお風呂に入っている時などのくつろいだ時間にしてみる。こういうことも子供にとっては「認められる」と感じる経験になります。

また、いちごママさん自身のことを話してみるなんていうのもいいです。
自分が子供だったときどんな遊びをしたとか、どんな思い出があるなどなど。

こういうことも子供の心を開いてくれることにつながります。


5歳でも遅いなんてことはありません。
子供は子供のうちなら変わります。


特に男の子は母親への依存心というのを比較的強く持っています。
自分に余裕さえあれば、母親の心を理解していたわってもくれます。
なので、諦めることはありません。
これからでもなんとでもなりますよ。


もし、息子さんが小さかった時の話を聞いたり、お母さんの子供だった時の話を心を開いて聞いてくれるようだったら、自分が子供だった時に他の子と比べられて嫌だったこと、あなたにも本当はそうしたくないのだけど、つい気づくとそういうことをしてしまって、自分でも嫌になるということなどといった自分の気持ちを息子さんに伝えてみるのもいいと思います。



>こんな状況ですが救いなのは、長男は次男にとても優しく接してくれます

こういったことも、ちゃんと言葉にして息子さんに伝えるといいでしょう。
「あなたは弟にとても優しくしてくれるからお母さんうれしいんだよ」などなど。

言葉というのは、うまく使えばとても大きな力を持ちます。



>それでも30分~40分ですが…何か用事で出来なかったりすると、「今日は遊べへんのー?ママの意地悪ー!」と説得するのが大変です。

こういうときも、「子供をどうにかしよう」とするのではなくて、言葉でもって自分の状況を伝えてしまいます。

「今日はお母さんいろいろやることがあるんだよ。お手伝いしてくれたらちょっと楽になるかなー」
「今日はお母さん大変だったから疲れちゃったよー」

などなど。

子供をどうにかしようとするのではなく、自分の状況を伝えてしまって考えさせてみるのも手です。


そんなとき、手伝ってくれたらたくさんほめたり感謝の言葉を伝えたり、状況を理解してくれたら「わかってくれてありがとう」と言ったり。



いちごママさんが頑張ることで、「子供をどうにかしよう」と考えていたらいつまでたっても余裕はもてないので、イライラしたりすることは減りません。


少しでも頑張らないでいいポジションを模索してみてください。
いちごママさんがまずそこを見出さないと、息子さんに自己肯定感を持たせるプラスの関わりというのもなかなか難しいですから、まずはそこです。



自己肯定感が低いと、子供は望ましい姿というのをとりたくてもとれないので、食事の姿など改善しようとするのは現段階では二の次です。

自己肯定感を高めていけば、自ずと困った姿というのは減る方向へ行くのではないかと思います。




「頑張る」というのの多くが、「子供の要求に応える」ということだったら、それはイニシアチブを子供がもっているということです。
そして、子供からすると「要求したものに応えてくれる」ということなので、実はBランクの満足度しか得られません。


Aランクの満足度を与えられるのは、「要求したことに親が応えてくれる」ということではなくて、「親の方から積極的に関わってくれたとき」なのです。


なので、Bランクを頑張るよりも、できないときはできないとしてしまって、余裕のあるときに「親の方から子供を受容する」ということを少しでもしたほうがいいのです。
このことが「先回りした関わり」ということなのです。

お礼が遅くなり申し訳ありません。

おとーちゃんさん、、拝見&お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
わかりやすくご丁寧な返信をありがとうございます。
返信して頂いたのを読む前日に保育園行事があり、さらに土日を挟みお礼の内容が落ち着いて考えることが出来ず今頃になってしまいました。又聞いていただきたいことが増えてしまいました。
先週木曜に旦那の迎えで帰って来るなり、旦那に暴れるのを抱きかかえられ「あっち行け!!バカヤロー!!出ていけー!!」等と長男の声で凄い声が聞こえたので、「何があったん?どうしたん?」と聞いたのですがベッドの中に隠れて何も話さず。なので「言いたいことがあるなら、お口で言わないとわからないよ」と言うと、叫びながら「もういいもん!!パパいじわる出ていけー!!」と余りに酷いので「パパにそんな言い方したら駄目!!」と強く言うと今度は「ママ出て行け!!ママ噛んだる!!」と言って叩いたり蹴ったりしながら私のお尻をガブッと噛みました。思いのほか痛かったので反射的に私はビンタしてしまい、するつもりなかったのにしてしまったので、すぐに悪いと思い謝ったのですが、癇癪はおさまらず…何の騒ぎかと祖父まで登場し、しばらく一人にしておくと時間はかかりましたが落ち着きました。癇癪の理由はどうやらライダー系のおもちゃだそうで、欲しいと言ったのに、駄目と言われたからと…。私としては理由も成り行きも話さず、買ってもらえないからと叫んで“叩いて蹴って噛んで”というのは納得いかなかったので、きちんと口で言わないと駄目と言うことを話しました。又長くなりましたが、このような場合、私のとった対応でよいのでしょうか?噛まれたあとは痛すぎるしびっくりするしでお尻を抑えて立てなくなりました。長男に対する関わり方は夫婦ともに似ていると思います。今まで叩いて来たりすることは稀にあったのですが(返信で教えていただいたので自己肯定からくるものだと理解しています)、噛まれたのは今回が初めてで凄い勢いで来たので私がとてもびっくりしています。これもやはり私の関わりが悪かったので、そのストレスからくるものなのでしょうか?

園行事は親子で出掛けたのですがやっぱり大変でした。。水族館だったのですが魚に全く興味なく、友達が見ようとしているにも関わらず、自分は興味ないので「早く行くよー置いてくよー」とみんなを焦らすばかり。また「写真撮ろう」と言うと、入ってはいけない(コーンが置いてあるところ)へわざと入り、帰りのバスではシートベルトを外したいと言いだし「危ないから駄目」と何度も同じやりとりが続き、最終的には「○○ちゃんはしてないのにーママいじわる。」とみんなに見えないように私を睨みつけバスを降りるときには「○○ちゃん、ちゃんとベルトしいよー!!」と八つ当たり感丸出しで言う始末。。年長で最後だったので、イライラしないで楽しみたいと思っていたのですが、我慢していた怒りがこみ上げ帰宅後爆発してしまいました。毎度のようにそのあと言い過ぎたと自己嫌悪で…
でも、自分をせめない方がいいのですね。せめたところで後の祭ですよね。。今までは、自分でいけないと思い改めるのに少し日が経つと又同じ繰り返しで、おとーちゃんさんのおっしゃる通りまさに堂々巡りでした。
頭の中では理解して読んでいるつもりでも、なかなかその通りに行動に移せず、結果いつまでたっても同じ所にいたのですね…。

返信で頂いたように、、、
長男が小さい頃の話なども話したりするときもあるのですが、こちらから話しかけたりするときは大抵最後まで聞いてくれるという事がないのです。なので「○○(長男)も赤ちゃんの時はこんなに可愛かってんで。これが好きやったで。」と、ただそれだけを言おうと話をしても私の言葉を聞き終える前に被さるように違う話題を話し出したりします。極々たまに長男から「○○もこんなんしてた?」など聞いてくることもあるのですが、それでもやっぱり最後まで聞くということはなく言いっぱなしで他のことを話し出したりおもちゃを触ったり、ヘタするとその場にいなかったり…。。ある意味振り回されています。このような感じなのですが、こういった場合はどのようにすればいいのでしょうか?いつも私だけが不完全燃焼でした終わっている気がします。。

次男に対して優しくしてくれることに関しては、いつも「ありがとう。優しいなぁ」等簡単な言葉だけで済ませてしまっていたので、これからは「○○に優しくしてくれてママはうれしいよ」と私の気持ちもきちんと伝えようと思います。
言葉選びって難しいんですね…自分勝手にそうしてしまっているのかも知れませんが。。
“受容”“共感”“先回りした~”“認める”“全面肯定”等々の言葉の意味が考えれば考えるほど難しく思えて、私自身勝手に訳がわからなくなっていました。。
おとーちゃんさんが仰るように、私はずっと「子供をどうにかしよう」と思っていたのだと今更気付きました。自分が変わらないといけないとわかっているのに。。
こんなに頑張ってるのに何で?と…。

私にとって頑張らないでいいポジションというのがとても大きな課題です。自分で見つけられるのか、全然自信がありません。でも少しでもいい方へ向かえるように頑張らずに頑張ります……(爆)

前回も今回も長文申し訳ありません。再度相談になってしまいますが、宜しくお願い致します。
いつも拝見するのも打ち込むのも夜中ですので頭が回らず目も追い付かず、前回誤字脱字が多々あり申し訳ありませんでした(笑)
今回もブレてないといいのですが…

質問です。

コメント欄の内容についての質問があります。
初めての質問です。まとめるのがヘタで長くなりそうですが、宜しくお願いいたします。


いちごママさんへの返信の中に、

僕も大変ヒステリックな母親に育てられたので、子供を相手していて感情が荒ぶってしまうというのがよくわかるのだけど

とありましたが、おとーちゃんさんが子供に対して感情的になってしまった時に、具体的にどういう風にそれを抑えていますか?
ご自身に対して声かけをする、一旦子供から離れる…などネットの中では色々と見かけるのですが、プロの方達はどうされているのかと思いまして…

と言いますのも、私自身、娘(2歳3ヶ月)に対して感情的になってしまった時に自分をコントロールできずに悩んでいます。

こちちらでも時々見かける話題で、自身の生育歴から、子供に辛く当たってしまう…というのがありますよね。

私自身は、父から母への暴力・暴言を幼い頃から見て育ちました。
長いこと、家庭内での父の機嫌や行動などに怯えて緊張して暮らしてきましたので、我が子には同じ思いはさせたくないと強く思っていました。

しかし現実には、些細な事で、黒いマグマのような感情が吹き出してきて声を荒げてしまいます。
手の甲やお尻ポンッと叩いたことが、3〜4回はあります。
子供を持つ友人に話したところ、そんなの日常茶飯事だ、と言われましたが、私は自分の辛い経験から、その数回をとても悔やんでいます。
以前の、叩くことに断固反対していらっしゃった記事を読んだ時には、本当に何とも言えない気持ちになりました。


ただ救いなのは、主人がとても温厚で子煩悩なので、私とは正反対で娘にとても優しく接してくれていることです。
当然、娘もパパ大好きで、その二人の姿は本当に微笑ましいです。

よく主人に、「こんな時娘にイライラしないの?」と聞くのですが、イライラするほうがわからないと一蹴されてしまいます。

その主人自身は、とても暖かい環境で育ったようです。
義両親や親戚はとても優しい方ばかりで、私は一緒に帰省するととてもホッとできます。
特に両祖父母がとても可愛がってくれたようで、昔話を主人の口からよく聞きます。
これが生育歴の違いか…とまざまざと見せつけられる気がします。

でも、生育歴の違いのせいにしてはいけない、こんなに手がかからない子供に対して何を言うのか…と自分を責める思いもあります。
おとーちゃんさんが、自分を責めてはいけない、と時々おっしゃっている、その文字を読むのが救いです。

冷静になろう、深呼吸しようとしても、それを思い出す前に口から大きい声が出てしまいます。

もし、読者の方でもいいので、こういう時に実践されてらっしゃる対処法があったら伺いたいです。
色々と試してみて、少しでも早く、主人のように穏やかに娘に接してあげられるようになりたいです。

いちごママさん

多分に推測で補って書いているので、必ずしも正確ではないということを理解して読んでくださいね。

もし、僕が息子さんを保育園で担当するということになったとしたら、いろいろとハードルを下げて考えるところからスタートするでしょう。


はっきり言って、この状態にある子の場合、大人から見て望ましい姿、褒めたくなってしまうような姿というのは出せない段階にあります。

子供の良い悪いを言っているのではないですよ。


自己肯定感や情緒、モチベーション、自己表現などから、大人の望む姿というのは出したくても出せない状況にあるだろうということです。


そこからスタートしないとケアできません。



その状態にあっても、褒めるべき姿、そこまでいかずとも及第点をもらえるような姿というのを大人が望んでいたら、子供にプラスの関わりができないからです。

なので、ハードルを下げて考える・関わるという必要があります。


園外保育のように、「○○しなければならない」という姿が必要な場では、どうしても気になる姿というのが増えてしまうでしょう。

まあこれは他者との兼ね合いというのもあるので、多少はしょうがありません。

ですが、まだこういったときに適応的な姿というのを期待していける段階ではないので、できるだけ目をつぶってしまう、大人の方も気にしないようにして、ハードルを下げられる状況でのプラスを考えていくほうが建設的です。



また、大人の他者の目を意識しての子供へのアプローチ、これも一旦どこかへおいておかないと、なかなか前へ進めません。

子供をいい方へ変えていくためには、社会の規範から子供がはみ出た行動をするということを、とりあえず今の段階から気にしていてはあまりうまくないのです。

どうしてもしょうがないときは、叱って適応させるということも必要ですが、ただそれらは関わりのメインではないということは押さえておきましょう。



明日のために、とりあえず規範に当てはめるような関わり、親の希望はおいておかなければなりません。

多少のマイナスには目をつぶって・もしくは大目に見ながら、小さなプラスをコツコツ積み重ねるしかないのです。


おそらく関わりのとっかかりが見つからなくてお手上げ状態になりつつあるのでしょう。


こういうときは騙されたと思って、朝晩コチョコチョとくすぐりをしましょう。
最初は嫌がるかもしれない、ちっとも喜んだ風をみせないかもしれない。
でも、続けてください。毎日です。

なぜかというと、息子さんのこわばった心をそうやって大人から関わる姿勢を見せることで柔らかくしなければならないからです。

2歳か3歳くらいの年齢の心の柔らかさにそうやって戻す必要がどうしてもあります。


ただでさえ5歳くらいになると、そのころの大人と直接つながっているかのような共感していく力というのはだんだんと減っていきます。

なので、まずはそのとっかかりをこちらからの関わりをすることで作らなければなりません。


時間はかかるでしょう。
3年かけていまの子供の姿というものが作られたのならば、3年かけてそれをいい方へ戻していくというくらいの気持ちが必要です。


いちごママさんがいま望んでしまうような、適応的な姿というのはその3年後に達成すればいいというくらいではないかと僕は思うのです。
見当違いだったらごめんなさいね。
コメントから判断するに、そういう感触を受けます。



適応的な姿、規範というところでは、

>「パパにそんな言い方したら駄目!!」

こういう正論で関わっていくのは厳しい状態にあるという認識です。


このケースのように感情が激してしまったときというのは、どんな対応になってもある程度仕方がないのだけど、5歳に望むような規範に当てはめていくのはおそらくプラスにならないでしょう。

ハードルを下げて、規範はどこかにおいた状態で関わらないとならないと思うのです。


自己肯定感が低い状態で、ダメだしをされるというのは、場合によってはそれをさらに下げるということです。


本当の根っこのところで見れば、そのものが欲しかったわけではないのではないかと思います。

ただ、それを買ってもらうということで一種の自己肯定として、親に受け入れてもらえるという機会としたかったのでしょう。


それを否定されたことで、自分の存在を否定されたような、オーバーに言えば自分という存在の危機とでも言うようなことが、起こったために自分でも自制できないような噛み付くという姿につながったのではないでしょうか。


そう言う意味では息子さんにとって、そうするだけの理由があったということです。

たしかに噛み付くのは良くないことです。
それこそ5歳児が本気で噛み付いたら、あとの残るような傷にもなりかねません。

なので噛み付きなどされたら本当にこまるわけです。

でも、だからと言って噛み付くことを否定して、叱り倒していたら前へは進めないでしょう。


この先どうでるかはわかりません。
でも、毎日くすぐり続けて共感の言葉かけをして、プラスの関わりをして、気持ちをつなげるとっかかりを作るところからしていく必要があるのはまちがいないと僕は思います。

いちごママさんができないなら、もちろんできていてもでいいのですが、ほかの家族からもそういうアプローチを(否定ではなく、せめて普段はできるだけプラスで)関わってもらうということをしていってもらうといいでしょう。


今の段階では難しいことはできなくてもいいから、とにかくくすぐるというのを朝晩の日課にしていくことです。それで子供になにか変化がでてくればコツコツと積み重ねるなにかとっかかりが小さくとも出てくることでしょう。


これまで子供に「正しい姿・あるべき姿」というのを身につけさせようとして、「否定」で関わってきてしまったとしたら、あせらずそれを戻していくしかないと思います。

No title

いつも誠実な記事やコメントに、感謝の気持ちで読ませていただき、学ばせていただいています

過去の記事も何度も読んでいます

子供時代を子供として生きて欲しいという思いに心から同感で、この記事が出たときにも感動してすぐに返信不要としてコメントを送らせていただきました

しかし、少し時間を経て読み直すと…わからないことが出てきました

お時間在るときに教えてください


4歳の息子は、おとーちゃんの教えてくださっている
過干渉や過保護についてを意識したり
子供時代をゆったり過ごせる時間環境というか
人環境がある気がします…

ですが息子は、どんどん「無邪気さ」が少なくなってきました
(家では無邪気な時も多いですが、幼稚園では表情が固いです)

また、最近
思った通りにならないと、私を叩いたりお友達を叩いたり
「もう遊ばない!」「もうあっちの部屋へ行く!」とすぐに拗ねます

本当にすぐにです

「~しないと~できないんだよ!」と条件づけの言い方も…
(これは私も主人も言わないのですが)

すぐにイラッとしたりカチンとしたり心を閉ざしている様子が伝わり
「そんなふうにぷりぷりするとお母さん悲しいよ」
「叩かれると痛いし悲しいよ」と返しています
(この対応もいいのでしょうか)

また、逆に、何でもすぐ「ごめんね」「ごめんね」と謝ります

例えば
「もうあっちの部屋へ行く!」
20秒後くらいに
「え~ん お母さん来て~」
「ごめんね、ごめんね、ごめんね!」(と泣く)

一人っこで、コミュニケーションに慣れていないのか
気質なのか
親の受け止め方や接し方で考えなければならないことがあるのか

また
騒がしいところが苦手で
幼稚園に行くときも
バスから降りてくる子たちの集団と一緒になるのを嫌がります
(ずらして行きたがる)

こういったことも
年齢や経験と共に…と受け止めて
あまり気にせず見守っていけばいいのでしょうか


おとーちゃんの忙しさを思うと、こうして質問コメントを送るのは
申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが…
すみません…

羊とアルパカさん

>子供に対して感情的になってしまった時に、具体的にどういう風にそれを抑えていますか?

やっぱりよく言われているように、「切り替える」というようなことが多いです。

子供の行動が気になりそれにイライラしだしてしまうと、自家撞着というのでしょうか、そのことばかりが気になって、そこから目が離せなくなり、そんなに大したことでなくともとても気になり執着してイライラが募るということがあります。


そんなときは、ちょっと冷静になって「それをしたところでなにか大きな問題はない、もしそれをさせていても取り返しのつかないようなことや、危険なことはない。なので一旦気にするのはやめよう」というように自分に言って、離れたり、視界に入れないようにしたり、他のことをしたりするようにします。

それでもそんなすぐその感情が収まるわけでもないのだけど、さらに執着してイライラを爆発させるようになるよりはいいので、それでその場をしのぎます。

一番いいのは、そのときはそれでなんとかしのいで、誰かに子供の世話をバトンタッチできるときは、「これこれこういうわけで、イライラが止まらないからあとはお願い」と任せてしまいます。


人間は誰しも万能ではないですから、出来ない自分を責めなくてもいいと思うのです。
そして子育ては一人でしなければならないものでもありません。
周りの頼れる人は頼っていいと思いますよ。

mamaさん

どうしても字だけのやりとりなので、見えない部分というのはたくさんあるのだけど、こういったときの子供の姿というのもそのひとつです。

また、それ以上にわからないのは大人の方の関わり方です。

>「そんなふうにぷりぷりするとお母さん悲しいよ」
「叩かれると痛いし悲しいよ」と返しています
(この対応もいいのでしょうか)

例えばこういうときも、この同じようにこの関わり方をしたとしても、子供の状況や気質によっても受け止め方というのは違うし、もっとちがうのは大人それぞれによって違ってくることです。

これでうまく伝えられてしまうタイプの大人もいれば、同じことが逆効果のようになってしまうという大人もいます。

こういうときに自信をもってそれができると、いいというのはひとつはあります。

あとは、「これでいいかどうか」という答えは僕が持っているわけではなくて、目の前のお子さんがもっているということです。

それがお子さんに伝わってなんらかの良い方へと響いいているならばそれはいいのだろうし、ちっとも変わらないように見えるとか、逆効果になっているというのであれば、その場合はそのアプローチというのは適していないと考えられるでしょう。
(なかには効果が目に見えなくても蓄積されてプラスに働いているというケースもありますが)


僕がコメントから受けた印象では、最初は「過保護・過干渉」や「依存」という影響があっての姿なのかなとも感じました。

>過干渉や過保護についてを意識したり

しかし、↑にあるようにこれまでそれには気をつけていたというのならば、それは当てはまらないのかもしれません。

まあ、一応「依存」の傾向が強くなっていないかどうかはチェックしてみるといいかもしれません。


あとはですね、一昨日くらいの記事に書いた「言葉を使う」ということを、もっと意識してみたらどうかと感じます。



答えは常に子供の中にあるわけです。

なので、問いかけてみればいいのです。

「どうしたの?」です。


>「ごめんね、ごめんね、ごめんね!」(と泣く)

こういうとき、親から見てもなんで「ごめんね」になってしまうかということがわからないのですから、本人にそのまま投げかけてみるといいのではないかと思うのです。

「どうして、ごめんねって思うの?」


>バスから降りてくる子たちの集団と一緒になるのを嫌がります

これも「どうして嫌なの?」と問うてみればいいのではないでしょうか。


別に、それによって答えを吐き出させて改善してやろうというのではないです。

それでよしんば行動面ではなにもかわらなかったとしても、お母さんは自分の気持ちを汲み取ろうとしてくれたんだという事実は残ります。


そのことは、お子さんの中にあるなんらかのわだかまった感情というのを、わだかまりのままではなく「出していいのだ」という心境にいつの日かなれる手助けとなるのではないかと思うのです。


だから、「ごめんね、ごめんね」に対して「どうしてごめんねなの?」と問うて、それでなにかしらの気持ちなり、理由なり(大人から見てちっとも理由になっていないようなことであっても)話そうとしてくれたのならば、「ああそうだったんだ」と受けてあげるだけでもいいと思うのです。

もし、もっと踏み込めそうな感触ならば、「ああ、そうだったんだ。でもそんなに謝ることではないとお母さんあh思うよ」というように伝えたっていいでしょう。


mamaさんにわからないことは、僕にもまずたいていはわかりません。
でも答えはいつでも子供の中にあるはずです。

だから素直にそのままを聞いてみて、それでそのうちなにかが見えてくるのではと思いますよ。

No title

ありがとうございました。

答えは子供の中にあること
自信があるかないか
言葉にしてみること
お母さんがくみとろうとしてくれた事実が残るということ
親にわからないことは他のものにはわからないこと

一つ一つが胸に落ちます。

いつも親身になって答えてくださりありがとうございます。
おとーちゃんのやさしさや
子供の幸せを願って下さる思いに励まされています。

これからも陰ながら応援させていただき
更新を楽しみに読ませていただき
親として学びたいです。

本の出版を切に願います。
1人でも多くのお母さんに読んでいただきたい思いで
ランキング応援クリックを続けます。

お礼が遅くなり申し訳ありません。

早々に返信いただきありがとうございました。読ませていただくのが遅くなり申し訳ありません。前回頂いたあと、関連する記事も再び読ませていただいていました。

見当違いではないと思いながら読ませていただいていました。
それどころか、私が伝えたいのに伝えきれていないところまで拾い出して下さっていると感じました。なので、子供をこんな風にしてしまったと自分で凄くショックでした。同時に今更ながら大変なところにまで来てしまっているんだと痛感いたしました。
全ては私の子供に対して求めすぎていた「あるべき姿、正しい姿」というレベルが高すぎたのだと思います。
おとうちゃんさんに初めて相談させて頂くまでの間にも、途中何度もこのままではいけないと思っていても、言い方を変えたり対応策を変えたりしても、いつも最終的に行き着くところは同じ(最後には私がイライラして大声で怒ってしまう)で…
どうしていいかわからず、おとうちゃんさんが仰る通りお手上げ状態でした。旦那がいない土日は本当に全部丸投げしてしまいたいと思うことがしょっちゅうです。。変わりたいと思っているのに、こんなことではいけませんよね…。


今回頂いた返信を読ませていただき、朝晩のコチョコチョを改めて試しています。私の時間的余裕がなかったり次男のぐずりで出来ない日もありますが、それでも私からそうやって関われた日は夜の寝入りが少しだけいいように感じたりもしています。(朝の寝起きは機嫌が良くなかったりで嫌がることもありますが、息子はアトピーなので脇や背中をコチョコチョされると、掻いてくれるんだと思って、あぁ~そこそこ~っと喜んだりします)
今は全く先が見えず暗闇を追いかっけっこしている感じではありますが、おとうちゃんさんの言葉を信じ焦らずコチョコチョを続けて行こうと思います。

前回頂いた返信で、、
>噛みつくには噛みつくだけの理由があった
その時は私もびっくりしてそこまで深くは考えてやれなかったのですが、おとうちゃんさんに気付かせていただきました。本当にそうだと思いました。子供にそこまでの思いをさせていたのかと思うと、情けなすぎます。

>毎日コツコツ積み重ねる
本当にその通りですよね…。
コチョコチョを改めて試すようになってから、まだ数日ではありますが、やはりその間にも気に入らないことがあると「ママなんか出ていけー!!」「ママの話は聞かない!!」「もう叩いたるー!!」と叫んで泣きじゃくり叩いてくる日もありました。
昨日は「○○(自分)はいらん子やろー?」「○○(自分)が全部悪いもん!!」「悪いことばっかりしてしまうねん!!」と泣き自分ばかりを責めるようになりました。。これは自己肯定感が低すぎて自己否定ですよね…?
その時はどう言ってやれば伝わるのかわからなくなり、私も子供と一緒に泣いてしまいました。
それでも私が全てしてきてしまったことです。。
イニシアチブを子供が持っているというのも、最初は良く理解できなかったのですが、その通りだと思います。あるべき姿や否定で関わっていたのに、そういうところはブレブレだったんですよね…。そのことに関しても結果を急がずコツコツ積み重ねることを続けていきます。
また、ちょっとしたことで行き詰まりどう対応すればいいのかわからなくなるときがよくありますが、それでも逃げず子供と共に良い方向へ向かえるように頑張るしかないと思っています。
今まで、自分でも思い出せないほど子供に対して常に「あるべき姿、正しい姿」「否定」で関わってきたのかと思うと後悔しかありませんでした。

他の方のコメントにもありましたように、私だって本当は子供に対して穏やかな気持ちで接してやりたいのに。何でいつもこうなってしまうのか。。
それでも前を向いていくしかありません。
行き詰まったときには、こちらで頂いたおとうちゃんさんからの返信を読み返し、毎日が少しでも笑っていられるように良い関わりとコチョコチョを続けて行きます。。

おとうちゃんさんにはお忙しい中、親身になり相談にのっていただき感謝しております。本当にありがとうございます。
引き続きこれからもブログ読ませていただきます!
次男も1歳になりましたので、また乳幼児期のところも覗いてみようと思います。
同じ間違いを繰り返さないように。。

あと、お願いなんですが、、、
記事の中に「こういうときは3歳までの子供にはこうすれば…」というのは良くかかれていますが、年長さん位までの対応もどういったのがあるのかも知りたいので、時間のあるときでいいのですが、載せていただけるとありがたいです。どんな記事の内容でも構いません。
最後に厚かましいお願いをして申し訳ありませんが宜しくお願い致します。。

いちごママさん

>旦那がいない土日は本当に全部丸投げしてしまいたいと思うことがしょっちゅうです。。変わりたいと思っているのに、こんなことではいけませんよね…。

むしろ僕はそうは思いません。
もし、丸投げできる日があるならしてしまっていいと思います。


お父さんが釣りでもするのなら、休みの日に一緒に釣れていってもらってお父さんと並んで釣り糸でもたらしてくればいいと思います。
「なにかをともにした」という経験というのは、それだけで自己肯定につながる行為です。
別に釣りは例なのでなんでもいいのだけどね。


アトピーがあると辛いですよね。
慢性的にかゆみがあるというのは、その本人にしかわからないとても大きなストレスです。
ほかになりもなくとも、それがあるだけでイライラしたりするものです。

でも、そんなところにもお子さんの自己肯定感を高めるきっかけというのはあります。

例えば薬を塗るときおおらかなになって、暖かい気持ちで塗ってあげます。
この行為は子供にしてみたら、「お母さんが自分を見て自分のためになにかをしてくれている」というとても大きなプラスの行為です。

こういうことも、親子の信頼関係を高め、子供にしてみれば自己肯定感を形成してくれることです。

子育てをよくしていくために、何かすごいことをする必要というのはちっともありません。
こういう普段することをただ丁寧にするだけでいいわけです。


うちの子たちも軽度のアトピーがあってしばしば薬が必要です。
そんなとき、「よし、おとーちゃんが直してあげるからね」と言いながら薬を塗ります。
塗り終わって「これでもう大丈夫だよ」と伝えてあげます。

子供たちは薬を塗ってもらう行為をいいものとして認識しています。



あと先日の記事に書いた「表情」を少し気にするといいかもしれません。

どんなに子供に一生懸命関わっていると思っていても、普段の表情が硬かったり、子供との関わりに際して表情が硬かったりするとうまくいくものもいきません。

子供は親の硬い表情によって、常に緊張して不安を抱えて過ごさねばならないからです。
その気持ちは子供のネガティブ行動を多くしてしまいます。

怒る必要があるときは怒っていいです、でも普段は心配やイライラを顔に出していたりするのは気をつけたほうがいいです。
これだけでもずいぶん変わります。



>「こういうときは3歳までの子供にはこうすれば…」というのは良くかかれていますが、年長さん位までの対応もどういったのがあるのかも知りたいので


確かに僕は多くのことを3歳までの子供への関わりを念頭において書いているのですが、実を言えば基本はそれ以上の年齢の子供でも同じなのです。


ただ、年齢があがるとさまざまな要素が加わってくるので、乳児に対するのと同じように単純ではなくなってしまうことがあります。

例えば、恥ずかしさが前面にでてきて、素直にくすぐりなどを受け入れられなくなったり、甘えの道筋をつけてあげても甘えを出せなくなったりなどです。


他にも、子供自身の発達によって、周りの子供にも目が行くようになり自分から他児と比べて自己肯定感を下げたり、「○○をしたい」「○○がほしい」というような意思もはっきりしてくるので、単純な親からの関わりだけではカバーできない部分というものが増えてきたりもします。

ですが、基本的なところで子供は後戻りが可能なのです。


前回のコメントで

>2歳か3歳くらいの年齢の心の柔らかさにそうやって戻す必要がどうしてもあります。

と書いたのはそのためです。



子供は足りないものがあると後戻りすることができるのです、ただ年齢が上がれば上がった分だけその後戻りには時間がかかります。

また、その後戻りというのは常に幼くなってしまうということではありません。


生活の中でときどき、後戻りできればいいのです。

例えば、子供は保育園など外の世界にいるときは、その年齢相応の姿を自分で出します。


家庭に戻ってくればやや幼い姿をだします。

さらに大人がくすぐりやさっきの薬を塗るなどの大きく受容する関わりをしたときは、もっと幼いときのメンタルに戻れます。

その戻ることによって、以前に足りなかったものがあったとしたらそのとき取り戻せるのです。


子供が年齢相応の自分を出しているときは、その年齢相応の子供として認めてあげればいいでsぢょう。


たとえば、家の手伝いをしたりする、一緒に料理や掃除をするということができるのは5歳くらいの成長があるからこそです。

ならばそういった場面で年齢相応の姿というのを認めることによって、自己肯定感を作っていくのです。


つまり、これらのことは「できない姿を認める」(幼い姿)ということと「できる姿を認める」(年齢相応の姿)ということの二本立てのアプローチなのです。

感涙です

いつも拝読させていただいてます、もうすぐ二歳になる男の子の母です。
夫婦共働きフルタイムで保育園通いの核家族です。悩み迷うときはこちらのブログを見て、「可愛くてしょうがない我が子はちゃんと育ってる!」とブレないように初心に立ち返らせてもらってます。
いわゆる「魔の二歳児」を迎えてますが、成長の一環と思うとそれすら愛おしい姿に見えます。

今回の記事には特に感涙です。

子供時代に培ったものはお金に換えられない財産ですね。
嫌でも思春期になると悩み、大人になると苦労が増えます。
そんなとき、のびのびと過ごし、めいっぱい遊び、甘えた子供時代の経験はその後の人生を支えてくれる糧になると思います。
子供は大人にはない素晴らしい発想や考えを持っていると子育てをしていて感じます。
つい、「早く大きくなれ」「自立」という考えに陥りがちな今の時代ですが、子供時代というキラキラ眩しい時間をわざわざなくすことはありませんね。
この一つの記事で様々な教えがあり、大変感銘を受けました。

他の記事も読ませていただいていてどの記事も勉強になりますが、あまりにも良い記事が多くキリがないので、こちらにコメント致しました。
書籍化のお話があるようで、この記事についてはぜひ載せていただきたいです!
(セットで「子供は欠如体ではない」も!)
長文乱文失礼致しました。


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