社会の変化と家庭のはざま - 2014.05.26 Mon
もちろん、都市労働者というのが主体の時代にそれは無理なのはわかるのだけどね。
なぜこんなことを言うかというと、
いまの女性が男性と同様に働くという就労の形というのは、ある面ではむしろ都市労働者・核家族以前の、例えば農村におけるような女性も完全に一人の働き手としてあった時代により近いからです。
そこでは祖父母や、一人前の働き手以前の状態にある者などが、幼少の子供の面倒を見たり、家事を維持していました。
いまからそうなりなさいと言いたいのではありません。
でも、現在の女性のフルタイム労働というものは、核家族としてのこの状況では「家庭」というものを維持できなくなりかねないほどに厳しいのではないかということです。
これからさらに女性の社会進出というのが求められています。
扶養控除などを切り下げたりと、制度的にもそのようにしていくという話が具体的にでていますので、これは日本全体の話ですね。
でも、じゃあその分家庭を維持していくためには、なにか具体的な援助があるの?というとほとんどそれらは見えてきません。
子供関連の手当というのが少々増えたりという程度で、本質的なものではありません。
育休・産休だって、建前ほどにはとれるようにはなっていないのが現実です。
現代ではかつての大家族のように各家庭で子供を見れない分、社会福祉というものでカバーするのですが、その代表的なものが保育園です。
「女性ももっと働きなさい、まごまごしてると扶養手当なんか削っちゃうよー」と国はいうのですが、最低限増やさなければならない保育園ですら必要なほどありません。
本当に多くの女性を働かせるのならば、小学校のように子供全員分の保育設備を用意するくらいのつもりがあってもいいでしょう。
でも、「働かせたいし、子供も増えて欲しい」と言う割には、子供にお金をかけることには渋いです。
まあ、これに関しては話がそれてしまうのでやめておきます。
保育園に預けられている子供で、週に3回くらいの外食は当たり前というような地域の園もあります。
フルタイムの両親共働きで、毎日のお迎えが7時、8時ともなってくると、そこから買い物をして食事を作ってというのはなかなか簡単ではありません。
中には週末にお母さんが頑張って、月曜から金曜までの夕食のおかずを作って冷凍しておけるようにしているなんて家庭もありますが、週のうち3~4日が外食やお弁当、週末のうち一日はファーストフードというような家などもそう珍しくはないです。
子供は11時間~12時間保育園で過ごし、外で食事をし、家に戻って風呂に入って寝るだけ、お父さんには朝と週末しか会えない、そんな家庭もあります。
一人暮らしの若者でもあるまいに、家が帰って寝るだけというのは幼少の子供にとってはけっこう大変なことです。
でも、親の仕事を考えたらそうならざるを得ないという家庭が少なくないのが現状です。
何が言いたいかというと、現在の労働形態と家庭のあり方には溝があるということです。
これは、保育園が足りないというレベルの問題ではありません。
保育園が増えて、働ける人が増えたところで、この「家庭」というものの希薄な現在の家族のありかたは根本的には変わらないわけです。
保育園というのは地域によってそこに通う家庭の特色がけっこうあるものです。
ある保育園の話です。
そこはもとはわりと下町なのだけれど、都心への交通の便がよいところだったので、近年たくさんの高級マンションが建ちました。
ですので、そこにそれ相応の収入のある人たちが住むようになります。
それまで、その園に通うお母さんはパートタイムの仕事をしている人など多かったのですが、そういった新しい人たちが増えるにつれて、フルタイム労働の人が多くなり、いつしかパートくらいの人は指数の関係ではいれなくなりました。
ですので、保育園には必然的に保育時間が長い子が多くなります。
そのように入諸条件が厳しくなると、お母さんの労働時間も長い人が多くなるからです。
前述のように食事も外食や、園が終わると家では帰って寝るだけというような子供がとても多くなりました。
新しく増えたマンションに越してくるという人は、祖父母などの手助けも得られない人が多いです。
そのように高級なマンションに住む人たちですから、所得は高いです。
平均的な年収の2~3倍くらいの人たちがざらにいます。
そこの子供たちは、家庭での生活や時間の代わりに、お金をかけた余暇やお金のかかる習い事、服やおもちゃ、教育にもお金をかけてもらっています。
大人でしたら、仕事で大変であってもレジャーや趣味にお金をかけたりして精神的なバランスをとるということはそれなりにできてしまいます。
でも、子供にとって家庭で過ごす時間や経験というのは、「消費」という行為ではそうそう埋め合わせの効くものではありません。
現在の、社会が要求する労働の形態と、家庭のあり方のあいだにはどうにも噛み合わないものがあって、その溝を埋め合わせる方法というのはまだみつかっていないかのようです。
男性の育児参加ということもずいぶん見直されては来ていますが、これも本質的な解決方法にはならないでしょう。
このことがいまの子供達、家庭のあり方を見ていて難しいなと思う点です。
これに対応するには、社会が多様な労働形態の許容、例えば時短勤務だとかワークシェアリングなんかも考えていかなければならないのではないかと思います。
せめて、現状ではザル法になってしまっている労働基準法をもうちょっとでも真剣に考えてもらえるだけでずいぶん違うと思うのだけど。
でも、「ブラック企業、なにそれ素敵!」っていう政府では、あんまりそういう方面には期待できないですよね・・・。
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● COMMENT ●
No title
いつもブログ楽しみにしています。
本当にそうですよね。
正社員で時間短縮してもらってますが、おとーちゃんと同じことを思っていました。
子供たちもよく病気をするし、病児保育も利用します。
主人が手伝ってくれるのも限度があるし。
小学生になると夜勤をしなくてはいけない職種です。
子供たちも私も負担が大きく、もっと楽なパートを探した方がいいのかな?とも考えています。
独身の50代女性上司との折り合いも悪く、しんどいです。←個人的な理由ですみません。
贅沢をしたいわけでもないのですが、経済的には働きたいです。
子育てもいろいろしてあげたいし。
専業主婦だから育児が完璧にできるとは思ってませんが。。。
いまの私の一番の課題です。
世の中のお母さんたちも同じ気持ちなのかなっと感じました。
子供たちも親もみんなが生きやすい世の中になってほしいですね。
おとーちゃん、いつもステキなブログありがとうございます。
No title
社会が要求する労働形態の利益状況に合わせようとすると、どうしても子供がそのワリを食ってしまいます。
会社や同僚は大人だから分かりやすく要求したり文句言ったり、給与が減ったりしますが、子供は大人を信じてついてくるだけですから、親が無自覚だとどんどん子供に負担が行く構造になっている気がします。
子供は分かりやすく文句が言えないから、荒れた行動で負担感を表現してくるのでしょうか。
今は実家の近くに住んでいますが、そうでなかったときは、生活の質を下げて子供と向き合う時間を作るしか選択肢が無かった面もありました。
当然、週に何度かは外食、家も掃除が行き届かずごちゃごちゃしたまま、長期休暇には家事をせずに子供とゆったり過ごしたいので旅行がち、とまさに上の記事のような感じの生活でした。
仕方なかったとは思いますし、あれ以外どうしようも無かったですが、子供と向き合う時間と、生活の質が両立できたらどんなにいいかと思ったことは数知れずです。
今は実家の近くにいるので、生活の質の維持のバックアップを助けてもらっていて、なんというか、ホッとしてます。外食も、家でゆったりする時間が減るからと、ほとんどしなくなりました。要は今まで家ではゆったりする場所ではなく、単に寝る場所だったのかなと、この記事を読んで思ったりしました。
同感です
今の現状だと社会のありようと家庭のはざまで、しわ寄せが来るのは
結局「子ども」だと思います。
母親には「産めよ、働けよ」で育児&フルタイム労働を要求して
「仕事も育児もあきらめないで生き生きと輝く母親」を世の中は求めているような気がします。日付が変わるまで働いたり、睡眠時間を削ったりしても、人格ができている大人はそれでも歯を食いしばって乗り越えられる
かもしれませんが、これから育っていく子どもたちにとっては、両親の笑顔が引きつっていて家庭が機能していない生活は、弊害が大きすぎると思います。
なんとか家庭の生活だけは大事にしようと意識していても、
私自身の生育歴のこともあり、実際それができるか私には自信がありませんでした。
いい保育園保育士に巡り会えるか、子どもが大きな病気もせずに持ちこたえてくれるか…
自分自身の子どもの子育てなのに、「綱渡りのイチかバチかの賭け」では、リスクが大きすぎると思いました。
私自身、きちんと子育てに向き合いたいし、子育てを楽しみたいと思って結局正社員の仕事を手放しました。
「子育てか仕事か」を迫られて、結局子育てを選んだという形になるんでしょうけれど、やっぱり経済的には厳しいし、自分自身の自己実現や社会とのつながりという意味では仕事もしたいとも思います。
甘い考えなんでしょうか…
子どもが安心して産めて、健全に育っていかなければ国の存続が危ぶまれます。おとーちゃんさんがおっしゃる通り、もう少し、大胆な時短勤務やワークシェアリングの制度ができて、社会全体で子育てをしていくというあたたかい風潮ができるといいと思います。
No title
今回の話大変共感しました。
私の会社は一般的にはとても恵まれていると思います。
3歳まで育児休暇も取得可能ですし、時短勤務も可能です。
それでもとても働き辛いです。
シフト勤務なのですが、早番固定の自分がいる事で他の人に負荷が
かかっているのは明らかですし仕事をしながら申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも先日の人事面接で
「そのような働き方が出来るのは周囲のおかげ、感謝の気持ちを忘れないように」
と言われ、もう心の重荷に耐えきれなくなりました。
子供を産む産まない、結婚するしないはもちろん自由ですが何も考えずただ仕事をし、
独身を謳歌している人達は誰にも迷惑をかけていないのでしょうか?
また、会社は時短勤務者が増えすぎた事に頭をかかえていて
なんとかフルタイムで働かせようと必死です。
そんな中提携の保育園で22時まで保育可能。夕食・お風呂・洗濯します。
月謝10万円前後。という所を勧めています。
共働き家庭に社会が想定しているのは「育てやすい子」なんですよね。
病気が多かったり、感受性が強かったり、繊細な子では対応しきれない。
仕事と育児の間の溝が少しでも小さくなれば良いのですが…。
No title
子供の一番大事な時期に、環境を整えられない現状。
どうにかならないものかと思います。
はじめまして
ある方のブログからたどり着き初めから読ませて頂いています。
まだ読み終わってないのにコメント失礼します。
今回の話とは別の内容ですみません。
私には3歳と1歳の娘がいます。
長女が2歳になったころから、私は怒ってばかりです。
ごはんをこぼした、寝ると行ったのに寝ない、幼稚園ではトイレでおしっこできるのに家ではしない、次女が泣くから静かにして…
毎日毎日怒ってしまいます。
それが長女が悪いことではないと分かってはいるのに、やっぱりその時になると怒るのです。
私は娘がきちんとした子になってほしい、周りに迷惑をかけないでと思っていました。
娘もひとりの人間なのに自分の思った通りにならないとイライラするんです。
半年ほど前から娘は何をするにも私の顔色を伺います。
ごはんをこぼしたら怒られないかこっちを見る、お菓子を食べたいとおやつの時間以外に祖父母にもらったら何か言われないかこっちを見ると言うように。
この前はうんちをしたかったようですが、私がイライラしていて言い出せなかったようでおもらしをしました。その時はうんちを片手に持ちごめんなさいと泣きながら私のところにきたのです。(ごはんを作っていて見えないところに長女はいました)
うんちのときは娘にトイレ行きたかったの?ごめんねと言いましたが、以前なんで家ではトイレでできないの!と怒ったことが原因で今回泣いたのだと思います。
その上、ママ怒ってない?と聞いてきたり、何かしてほしい時に言葉が小さな声になります。
怒っていると書きましたが、怒鳴るに近いです。暴言をはいたこともあります。
虐待になるのかもしれません。本当にお恥ずかしいです。
今日の朝娘に『ママ今までいっぱい怒ってごめんね。何回ももう怒らないよっていったのにできなくてごめんね。今度は本当に頑張るよ』と話をしました。
娘は私がイライラするから怒ってしまうだけで、本当はとってもいい子だと思います。
でも、いい子にさせてしまっているのかもしれません。
1年もこんな状況においてしまった娘でも、今からブログにあったような怒らない育児をすれば、間に合うでしょうか?
一度失敗してしまって娘に申し訳ないです。
厳しいお言葉でも大丈夫ですので、お返事いただけると嬉しいです。
長文失礼しました。
はじめまして
昔のモーレツサラリーマンが基準になってて、それに女子供が合わせよなんて、何だかな~と思います。いくらお金が稼げても、そんな生活続けてたら病気になります。
もっとワーママが働き易い社会に!と言われていますが、そうじゃないと私は思います。男女共に自分達の生活を営むだけの時間が必要です。
No title
前回の朝ドラのごちそうさんを見てて、すこし前の日本の家族の在り方っていいなぁ…と思いました!
戦時中のお話でしたが、おじいちゃんおばあちゃんに両親と子供達。さらには、叔父さん叔母さんまでみーんなで大きな食卓を囲んで、子供について困ったことがあれば、家族みーんなで支えて。お母さんが我が子を受け入れられない時は、祖父母が受け止めてくれて。
そんな少し前の家族形態って、子供にとっては、素晴らしくいい環境だなぁと思います。それで私も、今は復職しましたが、数年後、息子が小学校に上がる前には仕事をやめて、夫の実家に引っ越す決意をしました。本当は、今すぐ辞めて息子の大事な乳幼児の間一緒に過ごしたいのですが、経済的に許されず…。
働きたいお母さんばかりじゃないんだぞー!お家にいたいのに、今の経済事情、社会事情的に仕方なしに働きにでているお母さんだっていっぱいいるんだぞー!と大きな声で言いたいです!
今回の記事、本当にそう思います。
時短で職場復帰をさせてもらっていてありがたい環境ですが、2人の子どもたちが立て続けに風邪をひいて、まだ復帰して2ヶ月弱ですが有給を10日以上使ってしまっている状況です。
主人は全く休めない、実家は遠方、義実家も働いているので、どこにも頼れず、だからといって病児保育は、そもそも施設自体少ないし、弱ってる時に知らない場所に預けられるなんてさらに心細いよなと思って、働きながら育児をするということの大変さをひしひしと感じます。
子どもたちの将来を考えると、お金も必要だし、関わる時間も必要だし、難しいです。
同感です
お忙しいと思いますので、本コメントへのお返事は不要です。
まさに、うちの子が通っていた保育園はそんな感じでした。
認可ですが夜8時まで開所しており、
希望者は夕食が用意されるため
夜遅くまで保育園に居て、夕食も親と一緒にとれないお子さんも
多かったです。
そういう子の保護者の方に聞くと、保育園で夕食を食べても
家に帰ってきて一緒に食事したがるのだそうです。
ようやく話せるようになってきた2歳の子がそう言うのだそうです。
せつないですよね。
いわゆるバリキャリの保護者の方が多く(いわゆる富裕層です)、
習い事にはとてもお金をかけていました。
保護者は、会社に迷惑をかけないよう長時間預けて働きたい、
お役所も、保護者のニーズに合わせて長時間開所にするのでしょうが、
それが将来、子どもの成長にどう影響するのかが、
あまり考慮されていませんよね。
今は時短取得される方も増えてきました。
子どもへの影響を少なくするだけでなく、
長時間開所によるコスト削減を図れるならば、
開所時間が短時間である保育園を設けるという手段も
アリなのではと思います。
働きづらいですね・・・
「迷惑をかけてすみません」という気持ちでいるところに、「なんで育休・時短の人の分まで残業しなきゃいけないの」「権利を主張しすぎ」、女性管理職の人には「私たちの時代は・・・」といわれると、やっぱりへこみます。
完全に「育児=個人の事情」でしかない社会の雰囲気ですよね。
でも、今のみんなが余裕のない労働環境では、いいたくなる気持ちはそれはそれでもっともなのだろうとも思います。
みんな、残業したり家で仕事したり、大変な思いをして働いていますから。
自分の中では、「面の皮を厚くして、制度は最大限に利用して時短を取る、そして自分にできる最大の時間を育児に割く」と整理しています。
仕事は、自分の能力は時間内で最大限に発揮して、頭を使って職場で求められている以上の仕事をしていきたいと考えてはいますが、キャリア志向はありません。
給与は今より減ってもいいし、偉くならなくてもいいから、もう少し思い切った時短勤務のできる職種などの選択肢が広がるといいのにな・・・とよく思います。
消費で埋め合わせる・・・自分もこんな子育てになってしまっていると思います・・・。耳が痛いです。
できることとして、義父と同居して夕ごはんの支度や病気時の対応をお願いしてはいますが、子どもには十分な時間は与えてあげられていません。
でも、親の借金トラウマのある自分は、手元のお金が少なくなるとどうしても子どもに笑ってあげられないので働いています。
再就職に不安がなければ、一時期離れるという選択肢もあるのでしょうが、周りの保育園のパートママのお話を聞いていても、簡単なことではないようですし、実際不安です。
こう書いていると、親の社会に対する不安のために、子どもを犠牲にしているような気がしますね・・・。
どうにかなる、という強さがもてればよいのですが。
個人的には「働くママって素敵」とみたいな雑誌の特集には、違和感を感じてしまいます。
もっと子どもも含めてみんな必死なんじゃないのかなあ、と思うのですが。
すみません、愚痴になってしまいました。
相談コメントへの対応や記事の更新など、お忙しいことと思います。
感想を書き連ねてしまっただけなので、先の「さむみ」の記事の感想コメントとあわせて、返信は不要です。
同感です
まったくその通りだと思います。今5歳と1歳の子供を保育園に預けて働いていますが、平日帰宅してごはんを食べて、お風呂に入れて寝るだけ。ついつい急かしてしまいます。このライフスタイルが子供に負担をかけてるんでは、と常に気になります。
今は時短しているのでなんとかなっていますが、時短が終わった後のことを考えると…経済的にも自分のためにも仕事は続けたいですが、子供のことを思うと、思いきってやめることも今考えています。
大家族=心を育てる育児
記事の内容には同感ですしコメントを読むほどに強い憤りを感じます。
でも問題は、子どもの環境というより、仕事と子どもの間で板挟み状態になっている母親を、心身の過労から護らなければいけないことなのかも知れません。
「乳幼児期に母親と居る環境は大切だ!」と専業主婦をしていたって、生育環境などから責任感が強いわりに子育てスキルが低ければ、
しつけはいくら育児書を読んでも上手くいかない、子どもは四六時中自分を求めるから家事だって完璧には出来ない。
この上生活費も稼げないなんて…自分を責めて行き着く先は虐待やネグレクトの手前だったり。(このブログに辿り着く前の私の姿です^_^;)
子供のメンタル面において、大家族の代わりになりえるのは多分共通するものがあって、
それはこのブログで繰り返し伝えられているような、「心を育てる」意識を以って子どもと関わることなのではないかと思います。たとえそれが短時間でも。家の中でなくても。
その大前提が無い限り、いくら子どもの環境を整えたところでそれは表面的なまやかしになってしまうだろうし、その逆も言えるのではないかと思います。
胎児の時からすでに・・・
私の勤務する園では、1歳で完了食になっていれば、7時以降のお迎えになるお子さんに夕食を提供しています。
現在も、毎日夕飯を園で取る1歳児が数人おり、年長児の中には、かれこれ5年、ほぼ毎日8時まで、一日12時間以上を園で過ごしている子もいます。
母子家庭のお子さんも、海外出張の多いママや研究職のママのお子さんもいて、長時間保育を頼む理由はさまざまですが、大人の私が一日6時間の仕事でも心身ともにクタクタなのに、こんな小さな身体と発達途上の脳(こころ)で、本当によくもまあ毎日耐えているものだと、常々子どもたちの健気さに感心し、心から健やかに育って欲しいと思わない日はありません。
実は、保育園に通って来ている子どもたちの多くは、夕食まではいない子達でも、すでに入園のずーっと以前、お母さんのお腹の中にいたときから、ある意味苦難の道を歩んでいた子達が少なくないと思います。
私が保育園の前に勤めていた産婦人科では、専門職に就いている女性が妊娠して、つわりがひどかったり切迫早産の兆候が出ても、そうそう長くは休むわけにいかない、先輩女性から「私たちの頃は、休みなんか取らなかった」などなど言われたり、休めば周りが迷惑することが痛いほど解りすぎて、薬をのみつつ電車通勤の危険を冒しながら、仕事と安全な出産をぎりぎりの天秤にかけているような患者さんに何人も出会いました。
ドクターも、「休むのが一番だんだけどね~」と言いつつ薬を処方しましたが、その選択を巡る妊婦さんの心の葛藤と当然の身体の負担が、胎児の心身の健全な成長にとって、よくない影響をもたらさないはずはないだろうなーと、当時、一介のパート看護助手の身ながら、この国の働く女性と子どもたちの未来はどうなってしまうんだろうと、本当に心配になりました。
どんなに、社会が近代化して、家事が電化したり手軽な惣菜や外食に抵抗感がなくなったりしたとしても、女性の身体は100年前と比べたって、別にロボットやサイボーグのように進化したわけではないのです。お産は昔も今も「命がけ」であることを、‘近代ボケ’‘効率優先’の社会が忘れてしまっていることが問題だと思います。
その上、おとーちゃんさんがおっしゃるように、ほんの数十年前までは、日本でも大都会以外は大家族も当たり前で、少なくとも姑との同居など子育ての手が複数あったのとは違って、今では仕事も家事も子育ても、一人の女性が引き受けて、それでどれも完璧にこなせるなんてありっこない。どれかにしわ寄せがくる、犠牲になるのは弱いか無抵抗の部分ということですよね。
いまさら古い封建時代の‘子宝思想’を持ち出せば、「男尊女卑」と言う人やら、曲解して溺愛し、わがままな子どもを作ってしまう危険性を言う人もいるでしょうが、子どもが未来を作ることはそれこそ昔も今もまぎれもない事実なのだから、20年後、50年後、100年後の国のあるべき姿をよく考えて、子どもとそれを育む母親や家族のこと、それを支える保育・教育の仕事のことももっと本気で真剣に考えて、良い策を講じて欲しいものだと毎日思っています。
別の記事へのコメントにもなりますが、「指導保育士」「上級保育士」「専門保育士」(カウンセリング、食育、運動発達、ことば、情操・・)などの技能・資格の新設と、それの取得を奨励するような保育現場の風土の一新も大切だろうと思います。
私自身は、保育士の専門性と技能の向上、適性の振り返りを怠らないために、心理や発達の勉強を続けています。おとーちゃんさんの哲学に裏打ちされた保育観にもいつも刺激を受けて、もっと勉強しないと、といつも背中を押していただいています。
子どもが不幸な国に明るい未来はないですよね。
これからも力強い発信を楽しみにしています。
長々失礼いたしました。
今の現状
ふと、頭に浮かんできました。ひどい言い方、風刺的かもしれませんが
今の日本の現状って 「産めよ、育てよ、働けよ」 じゃないですか?
女性には「産めよ」、子どもの柔軟な適応力をあてにして、育てる側の視点がなく、子どもには「育て」、母親には「働けよ」。
なんかそんな気がしてなりません。
どういう風に育ててあげたいか、また、それを社会全体で支えてあげる視点や仕組みが充実することを願っています。
あーこさん
日本にはこういった怒りんぼ子育てになってしまっている人がとても多いです。
もともと真面目な人が多いところに加えて、「こうあるべき」というように親世代が育てられてきたり、他者の目を意識することの強さなどが、そのように子供に「正しい姿」というものを望んでしまうのかもしれません。
そのような子育てをする人はたくさんいます。
なかにはそれでもバランスがとれてうまくいってしまう人もいますが、そうならないケースというのもまた多いです。
どれだけ理屈として正論であったとしても、それは結局「否定」のアプローチにほかならないからです。
子供の姿にダメ出しをしたり、別の姿を要求したりを積み重ねることは、マイナスの関わりです。
これで子供に育ってしまうのは、「自己否定感」「自己肯定感の欠如」ということです。
直接ダメだしをしたりしなくとも、「親が私の姿を見て不機嫌になっている」というそのこと自体が、子供にとっては強烈な否定として映ります。
「自己肯定感の欠如」ということに比べたら、親が要求するちょっとした「適応的な姿」「いい子像」というようなものはなにほどのこともありません。
子供のうちにその子の中で自分を認められない気持ち、否定する気持ちが育ってしまうと、場合によっては一生それを引きずりかねないものともなります。
あーこさんが目指すことは、「怒らないこと」というよりも、もちろんそれも以前が多すぎたのならば減らしたほうがいいとは思いますが、「肯定すること」「認めること」というようなプラスの関わりです。
その上で「困ることを困る」と伝えるようなことは問題ではありません。
とりあえず騙されたと思って、毎日笑顔で楽しくくすぐり遊びをしてみましょう。
それだけでも変わるはずです。
今の時点でこのことい気づいたことは良かったのだと思います。
これから気をつけていくことで、いくらでも子育てをいいものとしていくことができますよ。
乳さん
男女平等というのが目指していたのは「これだったの?」と今一度問い直していかなければならないのではないかと思います。
やっぱり怒ってしまったり、だめ!って言葉が先にでたりすることは多々ありますが、この何日かでも娘がごねてキーキーなることは少なくなったように思います。
長女に対する態度を改めてから次女にもきちんと説明しながら、ごはんだから座ろうねとか、危ないからちょうだいとか言うと、泣かずにその通りしてくれるようになりびっくりしています。
おとーちゃんのブログに出会えてよかったです。
でも認める、って分かっていても難しいですね。
気を付けないとすぐ否定の言葉が出てしまいます。
でもおとーちゃんにまだ大丈夫と言ってもらえて気持ちが楽になりました。
また質問で申し訳ないのですが、やはりまだ娘が喋る時に声が小さくなったりどもったり、時には怒りながら話すことがあります。
そんなときは、かわいく言って、怒らないで話してと言っていいのでしょうか?
これは娘の現状に対する否定にはなりませんか?
あと、くすぐり遊び毎日やっていきたいと思います。
じょうさん
イメージ先行なところがあって、逆にそうできないのは良くないみたいな印象も与えがちですよね。
>再就職に不安がなければ、一時期離れるという選択肢もあるのでしょうが、周りの保育園のパートママのお話を聞いていても、簡単なことではないようですし、実際不安です。
日本の新卒万歳みたいな就労形態は見直して、柔軟に雇用につけるようにならないといけないと僕も思います。
あーこさん
そんなときは、かわいく言って、怒らないで話してと言っていいのでしょうか?
これは娘の現状に対する否定にはなりませんか?
これらはケースバイケースです。
どもりなどは、精神的なストレスが感じられるときにそのようになることが多いですから、そこに否定的に関わるのは余計にそれを増やしてしまうことにつながるということもあるかもしれません。
ただ、
>かわいく言って、怒らないで話してと言っていいのでしょうか?
こういうことも、ニュアンスの違いで、否定にならず受け止めながらすることも充分可能です。
例えばですが、「うん、そうなんだわかったよ。でももうちょっと穏やかに言ってくれた方が、私も気持ちよくあなたのお話を聞いてあげられるかな」など。
相手の性格・状況などにもよりますのでまさにケースバイケースではありますが。
あーこさんの場合だと、お子さんの自己肯定感を挙げられるようにやや受容気味の姿勢でいくのがいいかとは感じます。
ただ、大人の方の感情というのもありますから、実際どう関わるかというのは臨機応変に試行錯誤していくしかないのだろうと思います。
No title
そうですね、新卒以外の就職の門戸が、かなり狭いと自分も思います。
一定期間勤めた会社で、育児・介護でやめたあとも、待遇が下がってもいいから再復帰できたらいいのになあ、会社もある程度お金をかけて育てた人材が流出するのはもったいないと思うんだけどなあ・・・など、勝手な妄想をしています。
労働組合で、時短勤務など労働条件の交渉に出席すると、必ず経営側は「そんなことまで企業が負うことなどできない」といっていました。
社会全体で子育て、というところまではなかなか遠い道のりだなあ、と感じます。
No title
こちらの記事に共感いたしました。
私も以前病児保育を数回利用しましたが、今思い出しても、あの時ばかりは娘に辛い思いをさせたと今でも心を痛めています。
職場には、子どもが熱を出した際に座薬を入れて一時的に熱を下げ、保育園に預けていた方も沢山いたようです。
私は子どもが10ヶ月の頃から保育園に預けて働いていましたが、今年9月一杯で退職いたしました。現在専業主婦として2歳半の子どもと一緒に過ごしております。
娘と同じクラスのお母さん方に退職する報告をした際、「子どもを家でみるのはしんどい、仕事をしている方が楽」だとおっしゃる方が沢山いました。そして、そう思う気持ちは非常によく分かります。
個人的には、子育て支援センターを中心に親子を引き離さない施策をまずやって、「外で働いている方が楽」と思うより、「子どもと一緒に過ごしてみたい」と思えるような社会であることがまず必要なんだと感じています。
保育園という「ハコ」だけ作っても、一番肝心な保育士さんの人手不足はもはやどうにもならないことを、松居和さんの「シャクティ日記」というblogを読んでもよく分かります。
娘と同じクラスの親御さんにもいらっしゃったのですが、経済的な理由の他に、(娘と同じクラスの子どもの)親が癌等の病気で本当に保育園を必要としている子どもたちがいます。
そういった子どもたちには、どんな理由があろうと安定して手厚く関わってあげられるようにしてほしいと強く願います。
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今の社会に適応して行こうとすると、夫よりも妻、妻よりも子どもがいろいろなものを犠牲にしているのではないでしょうか。
私はあの横浜に住んでいましたが、待機児童ゼロなんて数字の上だけのことでしたし、最近増えた待機児童については「待機児童ゼロが良くて引っ越してきた人がいた」と説明されていますが、実際はそれだけではなく、応募しても入れないので応募しなかった人たちが応募し始めたんですよね。潜在的な待機児童はかなりの数いると思います。
ああいうのを見て思うのは、政府のご老人たちにとって、残される者の優先度は低いんだろうなということです。いくら若者が選挙にいっても、多数決の世の中では老人主体の福祉は止まることはないと思いますし、この先どうなっていくのか不安はあります。