社会の変化と家庭のはざま Vol.2 - 2014.05.30 Fri
そういったものが必要な人がいる、欠かせない人がいるということはよくわかります。
それはよくわかるのですが、でも「じゃあ必要なんだからいいんじゃない」と考えてしまうにはちょっとひっかかるものがあります。
日本人は「現実論者」とよく言われます。
また、問題を客観的なものとして議論したり考えたりするよりも、個人的なものに引き寄せて議論するという傾向が強いので、現実論にそぐわない理想論のようなことを言うと、「現実にそれをしている私を否定するのかっ!」というような感情的な反発を呼んだりして、現状に一石を投じるような意見は好まれないのですが、ここではあえて理想論を述べさせてもらおうと思います。
この10年、15年くらいでしょうか、保育の中でも「親のニーズ」という言葉が頻繁にでてくるようになりました。
そういったユーザーのニーズを受けて、一般からは目に見えないようなところまで、例えば「11時間以上開所していない園は補助金を減らす」というようなさまざまな変化というものがでてきました。
この上の例は「長時間化」というニーズの要請ということですね。
*こういうケースは「親のニーズ」とはいっても、元をただせば「社会のニーズ」なのだけれども。
「病児保育」「夜間保育」というようなものは、現在進行形で増加しているものです。
社会というものが、働く人たちにそういったことを要求して、そこで子育てする人はそのような必要にかられて、「病児保育」「夜間保育」といったことを求めています。
このシリーズの前の記事では、女性の労働力としての要求が高まる中で子供に「家庭」というものを持たせることが困難になってきているというお話をしました。
「病児保育」「夜間保育」というものは、それらの傾向をさらに先鋭化していくことです。
前回のところでは、「夕食はお迎えに来たあとに外食やお弁当、あとは帰って寝るだけ」の家庭が増えているという話でしたが、「夜間保育」を実施すれば、それすらも家庭外でするということになります。
保育施設で、夕食も食べて、ケースによってはそこで寝について、寝ているあいだに親が迎えに来るというような生活ということもあります。
その分ほかの日に休日が保証され、子供とゆっくり過ごせているなどというのであれば、バランスもとれるかもしれませんが、子供にとっては日々の生活、そこから維持される「情緒の安定」なども欠かせない成長の要素です。
家庭で過ごす時間を減らすということには、それ相応のリスクというものが生まれる懸念があります。
子供というのはよく体調を崩すものです。
病気ということでなくとも、体の疲れ・心の疲れから発熱したりということが、これは子供にとっては避けられないものとしてあります。
保育園に預けられている子が、体調を崩して休み、そこで家庭で心身ともに休めることで、気力の回復となってまた保育園で頑張れるといった側面もあるのです。
病気であっても家庭で休むことができない、「親の看護」という自分に目が向けられている、自分を大切に扱ってくれていると実感できる機会というのが失われるということは、これも「病児保育やっています。ハイ預かります。病気が治りました。また保育園にいきましょう」というように、それだけで解決してしまう問題でもないと思うのです。
子供というのは大きな柔軟性があります。
そのようにしたとしても、じゃあ決定的になにか悪影響があるかというとそんなこともないかもしれません。
ひとりひとりの個性というものもありますので、おしなべて同じ結果がでるというものでもないでしょう。
ただ、そこには大人が「現実に必要なのだからしょうがないじゃないか」で割り切れるものではないリスクというものが発生するということは言えると思います。
いまそういったことを利用している人を責めようとして言っているのではありません。
そういった人達も、本当は家庭で見れるものならば見たいと思いつつも、やむを得ず涙を飲んで預けているという人もたくさんいることでしょう。
それはよくわかります。
しかし、制度とか社会全体の動きとして考えた場合、「現実に必要があるから」だけでそこで育ちを送る子供のことを抜きに進めていってしまうのは、その当事者にとってすら不利益がでてしまうこともあるのではないかと思うのです。
「子供の健全な成長」と「親の就労」ということを両立させようと考えることはいけないことでしょうか?
もちろん、そんなことはないはずです。
本来ならばこのことはセットで女性の社会進出が考えられねばならないことでした。
しかし、実際には経済的な要求が主となって制度的な問題などが推し進められたので、いつの間にかセットではなくなっていました。
女性の社会進出の本格化にあたって、それを主張することが「悪いこと」と社会が考えるのであれば、「男女雇用機会均等」「男女共同参画」などという考えを社会が求めることは時期尚早だったのです。
ですが、こういった動きは女性の自己実現という点からも必要だったことなのですから、「尚早」という言い方は適切ではありませんね。
ならば、社会には「子育てと仕事」を両立できるということを前提として考えてもらうことが必要な段階にきているということです。
その前提が踏まえられた上で、「病児保育」や「夜間保育」に代表されるようなさらなる保育施策というものが必要なのだというのであれば、それはそれでいいのだと思います。
でも、ただ「現実が必要としているのだから」ということだけで、子供に負担をかけることをなし崩し的に社会が要求していってしまうというのは、非常にリスクのある、また問題を単に先送りにしかねない危ういものであると考えます。
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● COMMENT ●
No title
No title
その言葉が出て来てからずっと違和感を抱いています。
私はあえて専業主婦をさせてもらっています。
また、経済的にも何とかなっていたのもあります。
日本政府は女性に専業主婦が出来にくくし、女性を働かせ税収を上げようとしているのが見え見えですが・・・。
「男女平等」ではなく「男女分権」、「男女役割分担」が本当はいいのではないでしょうか?
女性差別だとかで反論する方が居るかとは思いますが、今の日本社会・子供の現状を見ると本当に専業主婦は大事だなと思ってしまいます。
夫を気持ち良く仕事に送り出し、気持ち良く帰宅させる。
家の中を清潔に保つ。
子供を心身ともに健やかで健康に育てる。
これがなかなか出来ずにいる・・・。
マスコミにより持ち上げられた「男女平等」の言葉に乗せられている女性。
それに加え、専業主婦をしていると無言の「働かないの?」とのプレッシャー(私はスルーしますが)
この先の日本はどうなるのでしょうね?
考えると暗澹とした気持ちになってしまうのは否めません。
一連の記事を読んだ感想です、返信不要です。
10ヶ月になる子どもがおり、現在は専業主婦をしています。最近子育てが少し楽になってきたせいか、復職したいなぁと考えることが多いです。しかし、今の日本の風潮では子育てと仕事の両立はとても厳しそうでどういった形でいつから働くのがいいの悩む毎日です。
子どもを持つ母親の就業に関しては企業側の論理が声高に叫ばれています。「権利ばかり主張するな」「金をもらってるんだから厳しいのは当たり前」「いつも周りに申し訳ないと思え。感謝しろ」それは一面では正しいのでしょう。
でも、声を上げられない子どもの視点が著しく欠けている気がします。
親が忙しすぎて「話す時間がない」「一緒にご飯も食べられない」「病気で辛い時もそばにいてもらえない」子供にとってキツイ世の中ですね。
働くの母親のため、だけでなく子どものためにも子育てと仕事の両立に寛容な社会になって欲しいと切実に思います。
それから義務教育開始までは時短勤務可能、となっている企業が多いようですが、子どものことを考えると、小学校卒業までは残業しないでようような制度が充実して欲しいです。
こちらのブログだからこんなことを書けますが、世間一般でこんなことを言ったらすごく叩かれるんだろうな…
☆返信不要です
No title
いつも更新ありがとうございます。
クレーンゲームのお話、とっても癒されましたし、他の記事も興味深いです。
今回の記事ですが、これから母親が男の子をどう育てるかがとても大事だなあ。と自分の視点では思います。
まだまだ男性が政治経済を握る日本で、育児や家事、そういったものにより一層心を寄せ、子育ての重要性を理解できる男性を育てていけたらと思います。
そのためには、子供にそういう父親の姿を見せねばならないので、、、まずはそこからですね、、、。
うちの息子が保育園にだいぶ慣れましたが、お迎えの後はなかなか素直に甘えられないようで、そんな時に「ベビーシートに座らないとくすぐっちゃうぞー!」とくすぐるようにしたら、夕方だいぶ落ち着くようになりました。
笑顔で触れ合って楽しさを共有することは、大人でも子供でも本当に大事ですね。
お返事は不要です。
入院して退院した日に登園。
土曜日は給食があるので仕事じゃないのに預ける。仕事じゃなければできるだけお子さんとの時間を持ってあげてと伝えても主人が夜勤で。育児休暇でも土曜保育利用。理由は家にいても見て一緒に遊んだりあげられないからそれなら保育園に行って楽しい方がいい。自分1人で子供2人見るのは無理。
荒れてる子供達。
こういう子たちが将来大きくなったらどうなるんだろう?と思います。
はじめまして
相談させてください
この春、保育園に入園した現在2歳7か月の子がいます。通っている保育園は、公立の全員で30人ほどの小さなところです。入園前も一時保育に行っていました。そのときから先生や園に対して、ん?と思うことがあったのですが。例えば、マンツーマンなのにおでこにひどい打撲をして帰ってきたり、1歳9か月のときに母乳をやめた方がいいと言われたり、1歳台からジュースや飴を与えられたり。私の中では、どうなんだろうと思うことがたまにあるのですが、選択肢が他にないこともあって(多少無理をすれば通えるところもあるのですが)仕事の都合で入園しました。
最近、怒りのようなことを感じたのは、担任と毎日やりとりする連絡帳のコメントです。
「排泄のリズムが園の生活と合わないので、おむつの中でもらすことが続いています。うんちはおむつの中でしてもいいと伝えました。トイレへ行く時間と分かると、一番早く行きます。いっぱい褒めています。」おしっこは集団で決まった時間に行っているようなのですが、クラスは6人しかいなくて、そのうち1人はおむつが外れていて、2人は1歳前半でトイレ練習の対象外のようです。なので実際は3人がトイレ練習していると思います。担当の先生は2人いるんですが、子どものペースに合わせてもらうことを提案するのはいけませんか?自己中心的な考え方なのでしょうか?
あと、表現の仕方に対して腹が立つのかもしれませんが、おむつでもらすという書き方と、トイレへ一番に行くことが褒めることなのでしょうか?私にはそんなことで褒めなくていいのではという思いがあり、こういう気持ちは先生に対してどう伝えたらいいか教えていただきたいです。もしくは、私の考え方がおかしいのでしょうか?このままだといつか感情的に言ってしまいそうです。ちなみにうんちをおむつの中でというのは、少し前にうんちをしかけたときに、嫌がっていたのにむりやりトイレへ連れていって(2~3回ありました)、園でうんちができなくなっているからです。出したくなると泣くそうです。泣くんですが、そのうちに出ないまま終わって、家に帰ってきてしばらくするとします。
お時間のあるとき、お父さんのご意見をお聞きできたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
No title
息子の苦手な部分(人見知り・場所見知りなど)をも認めてあげることを意識してみると、本当に心が軽くなりました。そして私自身、顔のニキビで7年くらい治らなく悩んでいましたが、この2週間ですごく良くなりました!今まで治そう、治そう!と思って鏡を見るたびに憂鬱になっていましたが、にきびを含めて自分なんだ!まあ、いいか!と思ってきたら徐々に良くなってきたのです!!子供を育てるのは自分を育てるのと一緒なんだなーと感じました。
改めて感謝です。
そして、前回の相談と少しかぶるのですが、息子(三歳三ヶ月)の一人遊びについてです。5月2週、3週とだいぶ一人でも家で遊べたのですが今週はほとんどママを求めて「ママ、カルタやろう」「絵本読んで」と言ってきて一緒にやっています。ぷらレールは自分で組み立てるものの輪にできないと「うえーん、できないー、やってー」という感じで癇癪をおこします。「どうしたいの?」と聞いて息子にやらせ、見守りますが結局二人でやる形になってしまいます。こういう時、おとーちゃんはどういう風に対応していますか?遊びを展開させるにはどうしたらいいのでしょうか?また、もっと違うおもちゃ積み木などを増やしたほうがいいのでしょうか?
私が今でも一人で遊べず、趣味もこれと言ってなく主人への依存があります。私のようにはなってほしくないので、保育園から帰ってきて、毎日一人遊びを目標にしていますが、今週だけでもできないと「わぁ!今日も一人で遊べなかった!将来できなかったらどうしよう」とすごく焦ります。
息子に「自己肯定感」はある程度ついていて、登園時など
他のお母さんにも「よくニコニコしているね」といわれます。
ただ、一人で考えて遊べるかというのが疑問です・・・
まだまだこれも長い目でみていけばよいのでしょうか?
支離滅裂な文章ですみません。
NOを突き付ける勇気
理想論というより精神論になっちゃいますが、(気を悪くされる方がいたらすみません、そんな中でもしっかり絆を重要視している方がいるのは分かっています)、この利便性がさらに進んでいくことには、行き過ぎたしつけや虐待の問題以前のものがあると思いました。
子が親の愛だけでなく憎というマイナスの心すら知らずに、育っていく恐れがあるということです。
そのまま生育環境に従えば、自分も他人も無機質な'モノ'だと認識して生きていくことになるでしょうか。
勤労報酬を人質にして親を子から切り離し、心を奪う…そのほうが国にとっては都合がいいのでしょうね…(国はもはやあてにならないと私は思っています)
生活できないのに働かないのはもちろん良くないことですが、子育て世代にとって、過剰なまでの「物質的な豊かさ」に、勇気を出してNOを突き付けるべき時がやって来ているのかもしれませんね。
初めまして
娘のイヤイヤ、すぐふてくされる、泣き叫ぶ、弟を攻撃する(このブログで書かれている「ネガティブ行動」というものでしょうか)行動で、原因を作っているのはきっと私の接し方が悪いのだろうと悩みに悩み、悩んでいても1日1日は過ぎていき、その間も子供と関わっていかなければならないのだから!と現状を打開すべく私の住んでいる地域の子育て支援事業として行われている「怒らない・怒鳴らない子育て~コモンセンスペアレンティング~」の講座に行ってみました。
まだすべての講座に行ったわけではないのですが、大事なのはまずは母親自身がイライラしたり怒りだしそうになったら落ち着くことだなと感じました。仕事に行かないといけないのにぐずぐずされる時、してほしくないことをされてイライラした時についつい大きな声をだしてしまいます。
疲れている時、自分に余裕がない時もです。
最近、このブログを発見して、ちょこちょこと拝見させていただいているのですが、「全面肯定」の記事はとても心に響きました。
親として本当に間違った対応をしていたのだなぁと反省しきりです。
「もう、知らん!」と何回娘に言ったことか・・・。
『「子供がネガティブ行動を出すのは、自分を求めている証拠」だと思って前向きに対応していくといいと思います。』
この言葉にとっても助けられています。
子供にたいしてそんなに怒らないといけないことなんてきっとそんなにないはずですよね。お姉ちゃんをもっとハグして抱っこしてほめて関係を作りなおしていこうと思います。
自分の思いを書いてしまいましたが、このブログに出会えて本当によかったです。これからもよろしくお願いします。
病児保育は、父母の会共済制度で1972年度から
1972年度から父母の会共済制度で、
病児保育を運営してきたと記憶しています、
仕組は、社会福祉法人のスタッフたちが、つまりXX保育園スタッフたちは、XX保育園の父母の会の会員となり、病児保育の運営を支援するカタチでした、
No title
いつもとても参考になります
悩みにたくさんアドバイスいただくことがとても嬉しく、育児を頑張ろうと思えます。とてもはげみになります。
育児というか今日は父親のありかたについて、おとーちゃんさんの考え方を聞きたくて書きました。
私の父は家庭より仕事で子育てノータッチ、夫の父は義理の父で、夫は養子にあたり、少し遠慮と壁がある関係だったそうです。
正直、こんなお父さんっていいねという像が夫婦ともに皆無です。
なにか参考になる本や、おとうちゃんさんの考え方など聞かせていただけるとありがたいです。漠然とした質問ですいません。
夫は祖父母と、母とで暮らした期間が10年ほどあったため、夫が息子たちに接する姿がまるでおじいちゃんの接しかたでは?と思うことがたたあります。
たとえば今日の出来事ですが、家族四人で(息子二人、5歳2歳)ホームセンターへいきました。私たち夫婦は風呂の蓋を買いに、上の子はえんぴつけずりを買うと、下の子はガムを買うと、出掛けました。
店につくと、上の子は何を買うのかすっかり忘れた様子。んじゃ、おかあさん、お風呂の蓋見よかなぁーいい?と言いながら売り場へ。
息子が買う物を思い出すか、違うものが買いたくなるのか、諦めるのか?さーてどうするのかな、息子はの様子を見ていようとしたのです。
しかしそこで夫が私に「まず子供たちの買うもののところへ行ってやろうよ!」と言います。私が優しくないのでしょうか。
なので、息子になにかうんだっけ?と尋ねると「消ゴム」と言うのです。まぁ消ゴムが買いたくなったのか?と思い、消ゴム売り場に連れていきました。
私の思いとしては、もしあとでえんぴつけずりを買うんだった!と思い出したら、その時点で店に戻ればいい、家に帰ってしまったら、また明日にしようと伝えるつもりでした。自分で買いたいと決めたなら自分で覚えておくべき、忘れたことを責めるつもりは毛頭ないし、忘れないようにメモを持っていくといいかもね、とかそういう風にしたかったのです。
普段からそういう思いを夫には伝え続けています。しかし夫は「そのくらい教えてやったらいいだろう。お前は冷たい。やることが。」と言われてしまいました。
消ゴムを選んでいた息子に再度思い出すかな?と私が「今日は消ゴムを買うんだって言ってたっけねぇ?」と言うと「違った、えんぴつけずり」と言いました。
あ!思い出したんじゃん!そかそかーんじゃえんぴつけずりだったねー見にいこうよーと売り場に向かいました。
そして夫に私は「ちゃんと自分で思い出したよ」と言ったのです。そのときの夫の表情で気づきました。夫に聞くと「俺がさっき教えた」と言うのです。
目的をもって買い物に来た意味は??なんのために来たのやら。なんだかとてもがっかりしてしまったのです。夫に。
私が厳しいのですか。夫が優しいのですか。お父さんって、お母さんがすることを阻止する人ですか?
なんだかわからなくなったのです。
例文が長く、すいません。愚痴のようになりました。申し訳ありません。
父親のありかたについて、記事を書いていただけたらと思っています。また、参考になる本などあれば教えてください。
No title
その小児科医は、病児保育もしている方なのですが、本当はこんなものが無くても子育てができるようになればいいと、困る方がいるからやっているけど、お母さんが利用を迷うくらいの必要度しかないのならどうか利用を思いとどまってお家で家族のもとでみてやってほしいと仰っていました。
それを見て、確かに職場に迷惑はかけますが、休めなくもない環境にいるような私みたいな人まで、病児保育をついつい検討してしまう現状に危うさを感じました。
今回の記事も非常に共感しました。ありがとうございます。
子どもに遊んでもらっています
具合的にかつ詳細に”子育て”について書かれていて大変勉強になります!!ありがとうございます。
私は都内在住で小1と2歳になる子どもを育てております。仕事をしておりますので2人とも0歳から保育園に預けておりました。
子育て=叱る
はまさに恥ずかしながら実践しておりました。時にはゲンコツもパンチも飛んでおりました。
子どもは伝えれば分かるのですよね!!
分からないものと自然に考え行動しておりました。
また、保育園、幼稚園の違いのブログでは家庭で済ましているはずの養育が保育園にシフトしているとの綴りは本当にその通りだと思います。
最近でも2歳の子のトイレトレーニングを保育士さんから指摘され、これって私から持ちかける問題だよなーと思いながらも支持された通りに動いてしまう体たらくです。
何を軸に子育てしたらよいかが分からない時代です。
ちょっと光が見えましたー!!
私が仕事が休み日は必ず「今日何して遊ぶ?」と子どもたちに問いかけます。
朝から晩まで遊んでます。
あー、私は子どもと遊びたいのだなあと痛感するも養育に関してかなりルーズだったなあと一しきり反省しました。
今年1年生になった上の子はまだ見て見ぬふりができず帰ってくるなり質問攻めしてしまいます。
とにかく可愛くて仕方がないのですが、子育て≠叱るではない事を肝に銘じて楽しく子育てしたいと思います。
また色々参考にさせて下さい。
ありがとうございました。
No title
おとーちゃんは、上に行くべき(出世していくべき)ではないでしょうか。
現場の様子や、子どもたちの課題をもっともっと上の方に伝えていって、少しでも子どもたちに良い施策を創り上げていってくれたら、どんなに素晴らしいか…。
というか、それでしか、世の中が良くなる方法はないのではないでしょうか。もちろん、おとーちゃんの勤める園の親や子どもは変わるでしょうし、このブログを読んだ親も確実に変わるとは思うのですが、世の流れが変わらない限り、子どもの育ち自体が良くなっていくことはないように感じるのです。
私たち親もいつも襟を正して育児をしつつ、専門家が的確な政策を施していってくれたら、きっと何かが変わると思うのです。
補助金
今回もまた、考えさせられる内容でした。ありがとうございます。
*補助金について
「11時間以上開所していない園は補助金を減らす」
こういうふうに、保育や介護等の福祉の分野では、
補助金を使って国が施策を誘導するんですね。
他にも、「公立保育園の建て替えには補助金を出さない」
というのがあるようですが(私はシロウトなので、今もそうなのか
正確に知りませんので、間違っていましたらご指摘願います)、
これも、補助金を利用して、公立保育園を減らし、
民間の参入を促しているということですよね。
我々保護者は国がそのように動いていることに普通は気づきません。
保育の質を無視し、知らないうちに、国にとって都合が良い方向に
誘導されてしまうのは危険だと思います。
行政は表向きはいつも、
「民営化すれば夜間保育できます、開所時間も長くなります、だから、
サービスが良くなります」という説明をします。
しかし、そこには、その施策が「子どもの成長にとってどのような影響があるか」が全く考慮されていないのが、本当に腹立たしいです。
*誰が施策を決めているのか
他の方のコメントにもありましたが、
本当に、おとーちゃんさんのように、
事情を良く知る方が施策を決めてほしいです。
しかし、役所の担当者の方をみていると、
保育や教育についてあまり理解がない方が担当しているような気がします。
親からのアンケートの要望、例えば、
「保育園や学童クラブの開所時間を延ばしてほしい」とか、
「病児保育をしてほしい」とか、
数が多い要望をそのまま実現させているように見えます。
お役人として見れば、
サービスの向上のため忠実に働いているということかもしれませんが。
本当に、どういう人が、役所の保育課の責任者になっているんでしょうか。
子どものことを良く理解している方が保育施策を決めていないことは、
どう考えても問題だと思います。
追伸
こういう状況で、親になにが出来るのか、考えてしまいます。
経済成長!と国や経済界は連呼しますが、
アホちゃうかと。
幼少期に不安を抱えて育ち、
人間の根っこの部分が不安定な人間を沢山育て、
そのような人間に、「やる気」だの、「実行力」だのを求めても
無駄だと思うのです。
きららさん
僕もそういうケースをたくさん見ています。
なかには早くも小学校に入って問題を大噴出させている子もいます。
いまはまだ、親は大変なのだから要望通りに預かることが「育児支援」なのだというように言われています。
でも、これはいたちごっこで、親は「大変だからあずかってもらえるのね」と預け、子供はさらに満たされず荒れていくという悪循環を生んでしまいます。
これでは本当の意味で支援にはならないはずです。
本当はもっと根っこのところ、子供といるのが苦にならない、楽しく過ごせるということを親にも提供してあげられるのが、真の育児支援になるのではないかと僕は思っています。
まだまだ道のりは険しそうですが・・。
まーりさん
これは園で保育士がそうしたということなのかな?
僕からは確かなことは言えませんが、コメントを読む限りでは保育観が古いところなのだと感じます。
>1歳9か月のときに母乳をやめた方がいい
これなんか、昭和の考え方ですね。
そのように「○○すべき」を主張しているにもかかわらず、1歳児にアメを与えてしまうというのは、あんまり考えて保育をしていないととれます。
>トイレへ行く時間と分かると、一番早く行きます。いっぱい褒めています。
というのは、「トイレでするべき(根底にはおむつは早くに取れるべき)という子供観」があってその「○○すべき」という大人の姿に近いことをしているので、そこは褒めるべきところとみなしている、
いっぽうでウンチをおむつにするのは「すべきでないこと」という認識があるので、「もらす」という好ましくないことをしているという意味合いを持った表現をしてしまっているというあたりなのでしょうか。
これなんかも僕からするとまったく古い考え方です。
しかしながら、世間的に見るとこのような考え方で保育をしているところは少なくありません。というか大多数がそうかもしれません。
そういう保育士に今のあるべき保育というのはこういうものでしょうと何度も説いたことがありますが、次元が違うので向こうに悪意がなくとも全く理解してもらえない、本当に「糠に釘」という経験を何度もしたことがあります。
そこの園も、1歳児に飴をあげているようでは、とうてい理解できないレベルにいるかもしれません。
とはいえ、「今はこのように言われていますよね。我が家では焦っていないので無理やりにまでトイレットトレーニングをしてもらわなくてもいいです」というような意見なり、思いなりは伝えてもいいかと思います。
なかにはそれでかえって嫌な思いをするということも、残念なことにあります。
保育士が考えが古いだけで悪い人たちではないというのならば、ダメもとでも伝えるだけ伝えてもいいでしょう。
そうしたときにあまりに保育士の態度が悪いようであれば、その旨役所に言ってもいいです。
保育園というのはお仕事などのために通わせなければならないところです。
幼稚園選びのように、十分に納得のいくところを探してそこに入れるというようなこともしにくいです。
ある程度は家庭でしっかりと子供を見ていけば問題はないと割り切っていくことも必要かもしれません。
僕も上の子はそれで割り切ってあずけていました。
たかさん
関わる大人の方が「○○しなければ」、ここでは「ひとり遊びできるようにしなければ」というような姿勢でいると、遊びの純粋さ楽しさというのは薄れてしまいます。
メリハリをもって対応するといいでしょう。
時間や余裕があって遊びの相手ができるときは、気持ちよく一緒に楽しむ。
できないときは、イヤイヤ相手をするのではなくきっぱりと「今は○○だからできないよ。終わったらしようね」など。
「遊びの相手をしてもらう」ということが関わりの手段となっているのでしょう。
そういう子に対して、「一人で遊べるようにしなければ」と迫っていくのは、「あなたの相手はしませんよ」というように子供には感じ取られることがあります。
自分はきちんと見守られているという実感が持てるようになればだんだんと遊びも自立していけるのではないでしょうか。
基本的には保育園で遊べているのならば遊ぶ力自体はついているので、そういう面は気にしなくていいです。
なまこさん
僕は理想的なイメージを設定してそこに近づいていこうという思考法がどうにも苦手なので、ありかたとかそういうことについて書いた本とかはあんまり読んだことがないですし、書くこともできないのではないかという感じがします。
あるべき姿というようにイメージを打ち出したものというのは、どうしても多かれ少なかれ綺麗にかっこよくまとまってしまいますよね。
僕はどうにもそういうのが苦手で、なんかそこには真実でないものが織り込まれてしまっているような気持ちになってしまいます。
現実の人間というのはもっと泥臭くて、かっこわるくて、それでもなんとかやっていくというようなもののほうが真実味人間味があると思っています。
例えば、このまえ「社会の変化と家庭のはざま」の記事では多くの人がコメントしてくれました。
そのなかで世の中に流されている「スタイリッシュでかっこいいママ」みたいなものに違和感を感じるという意見がいくつかありました。
僕もそんな風に感じてしまいます。
人間ってたぶんみんな欠点はあるのだと思います。
僕にもあるし、なまこさんのご主人にもその人なりの欠点というものがあるでしょう。
そこが気になり出すとどうしてもその部分というのがクローズアップして見えてきてしまいます。
そうなってしまうとお互いにその状態は心地よいものではなくなってしまいます。
たぶん順序としては、いい点を見るようにして認める関係があって、その上で気になる点があるならば、そこについて話し合っていくということを重ねることで互いに良い形で前にすすめるのではないかとおもいます。
紹介して欲しいと言われたのに、個人的な意見になってしまってすみません。
ありがとうございます
うんちは保育中に保育士がトイレへ連れていったのです。家では強引に連れていくことはありません。あまりに嫌がって出なくなったのでその保育士から報告がありました。そこで言われたのも、いきみ始めたら家でもおむつのままでいいのでトイレへ連れていってみてくださいというものでした。初めての育児でわからないなりに、ん?がしばしばあります。飴のときは連絡帳に飴の食べ方がわからなくてがじがじかじっていました。と書いてあり、なめるものだよと教えました。とまで書いてあり、さすがに私も苦笑いが出そうでした。
おとーちゃん保育士さん、ありがとうございます。まだ記事をさかのぼり中ですが、いいなりとくすぐり、Fが今のところ特に為になっています。本当にこのブログに出会えてよかったです。ありがとうございます。
仕事と家族どちらが大切か。
家族のための仕事ですが、なぜか仕事のための仕事になってます。
子どものために早く帰ろうとすると、
奥さんいるんでしょ?
って言うひと多いです。
まるで変人。
変えたいですね、この社会。
ハマナスさん
なんでもいろいろと考えるたちなので、さまざまなことをここでは書きはしますが基本的には僕はマクロ的なものが先にあるよりも、ミクロ的なものが先にあるという風に、実際に関わることがしょうに合っているようです。
なので、子供に関わるか子供を育てる人と関わるのがちょうどいいみたいです。
いまはできたら保育士を目指す人に保育を伝えられる仕事などいいかと思っていました。
あおぞらさん
保育課長はそれなりの出世コースです。
そのポストにつくのは、ほとんどが独身男性のみです。
家族持ちにさせると、保育士や保育園に対して便宜を図りすぎるから、もしくはそう思われるかららしいです。
議会の主流派は保育関係の予算というのを削減対象とみなしているので、それを実行することが役所には期待され、そのためそれができる人材を管理職に据えるわけです。
一般向けには綺麗事で保育施策を厚くするというようなことを言うけれども、これで質があがるわけがないのです。
なんとも悲しい現実です。
お返事ありがとうございます。
お父ちゃんさんの後押しで、「今はお母さんの時間ね」というと、割と素直に離れられました。ただ、遊びの間隔は短く、手持ち無沙汰なことも多いです。遊びが終わって私のところにきたり・・・「見ててみてて」といったり。
でも、私もきちんと自分の時間がとれることで息子とも気持ちよく遊べます。ワクブロック買ってしまいました。まだ集中しては遊べませんが今日もおうちを作って見せてくれました。私には想像できない形だったのでものすごい驚きました!
これからもブログ楽しみにしています!!ありがとうございました。
道理で
お返事ありがとうございました。
お手数をおかけして申し訳ありません。
>保育課長はそれなりの出世コースです。
>そのポストにつくのは、ほとんどが独身男性のみです。
>
>家族持ちにさせると、保育士や保育園に対して便宜を図りすぎるか
>ら、もしくはそう思われるかららしいです。
そうなんですか。
先日、子どもが通う学童の民営化説明会に参加してきました。
具体的に書くとバレてしまうからあまりはっきり書けませんが、
保育課担当として相応しくないような方が保育課の担当だったので、
変だなあと思っていました。納得です。
>議会の主流派は保育関係の予算というのを削減対象とみなしている
>ので、それを実行することが役所には期待され、そのためそれがで
>きる人材を管理職に据えるわけです
私が住む自治体でも同様に、
議会の主流派は保育予算を削減しようとしているようです。
少子高齢化が進み、選挙でも、子どもを持つ世代よりも
お年寄りにアピールしたほうが票をとりやすいんでしょうが、
子どもたちが軽んじられていて、やるせないです!!
あくまで、私が住む自治体についてですが、
学童保育については、株式会社の参入が保育園よりも進んでおり、
参入障壁が低い学童保育から切り崩していって、
保育園に参入しよう…という株式会社側の思惑が
透けてみえるようです。
また、記事「保育が福祉なのだと感じた瞬間」、
ありがとうございました。
うちの息子も、おばあちゃんのような(失礼ながら)学童指導員の先生方に
大変お世話になっています。
保育園でも、高齢保育士さん(失礼ながら)に大変可愛がってもらいました。
息子がお世話になった&なっている保育士さんや学童指導員さん、
上記記事でのA保育士さんやおとーちゃんさんのような保育士さんの世代が
いなくなったら、日本は本当にどうなるんだろう…と思って心配しています。
のりぼうずさん
家族がいるならそれを大切しようと思うのは自然なことだと思うのですが、その自然なことを堂々とできないのは本当につらいことですね。
祖父母の助けの得られない地域で、だんなとどうにかこうにかやりくりして働いています。
一緒にゆっくりいられる時間、子供をみつめてあげられる時間、は制度では代替え出来ないだろうと思います。親を呼び寄せての同居、もしくはパートへの転職を考えています。現実問題としては難しいですが、、、この度無理をし過ぎて切迫早産→休職になってしまい、切実な問題です。ファミリーサポートに登録してみましたが、どんなものなのか。
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私はフルタイムで仕事をしていて、息子2才9か月、は保育園に預けています。
病児保育も使えたら助かる・・・と登録方法を調べる所まで行きましたが、悩んで登録を見送りました。
どこか、ひっかかるものがあって。
先日お昼を食べていた店で、後ろの席にいた女性2人の会話です。
盗み聞きではないですが、ボリュームが大きかったので(笑)
A「最近、どう?」
B「年度が変わって担任も変わったのよね・・・悪くはないんだけど・・・」
A「前の先生が良かった?」
B「新しい先生、小さなお子さんがいて、子供の体調が悪いって、休むのよね。また?って感じで・・・」
A「それは困るね。成績だってあるものね」
B「ちょっと無責任な感じよねぇ」
他の話の内容から学校なのか塾なのか、小学生のお母様のようでした。
同じ女性、しかも先輩ママからも、小さな子のいる母が子供の体調不良で休むと無責任と言われるんだなと、少し悲しい気持ちになりました。
未来を担う子供たちの健全な成長、社会が少しずつ目を向けてくれたらな、と思います。
☆返信不要です☆